ROCK FIREBALL COLUM by NANATETSU Vol.22


 うむっ、いよいよ新緑芽吹く春の到来じゃっ! わしの大切な友人たちの誕生日祝いもぎょうさん重なっとるし、お花見もあるし、ひな祭りもあったし(?)、御多分にもれず酒量も俄然アップしとる! じゃがそれと同時に、この時期特有の酒をまずくさせるようなある不快感もやってきおっての〜。 (花粉症ではないぞ。) 最近の日本ではあらゆるジャンルの音楽のあり方っつうか、お役目ってもんが全部一緒にされていてうんざりじゃが、 エンタメ業界の本腰化とともにそれを嫌でも確認させられるからなんじゃ。
 アーティストはまず「親しみ易い」キャラであること。 音楽はまず「わかり易い」ことってのが大前提となっておる。 まさしく「音楽金太郎飴現象」ってもんじゃ。 一体いつからこんなことになってしまったんじゃ? そこで業界の金太郎飴大量生産に物言いを付けるべく、ロックのあり方ってもんを、「ミュージック」っつう言葉の語源をひも解きながら考察してしんぜよう! 諸君、いにしえの時代への旅の準備をせよっ! ついでにアルコールの準備もするように!!


「音楽 music 」の語源「ムシケー」こそ、ロックの原点である!


 「ミュージック」というコトバの語源には実にいろいろな説があるんじゃ。 一般的にはギリシア神話に登場する、文芸、学術、音楽、舞踏などをつかさどる女神の名前「ムーサ」(英語名は「ミューズ」)が変化して「ミュージック」になったと信じられておる。 とても美しい説じゃし、女性を大切にしとるわしとしては(マーガレット嬢にはフラレっぱなしじゃが)喜んでこの説に賛同したいところじゃが、次の説にブチ当たった時に考えがコロリと変わってしもうた。 それはこういう説じゃ。
 はるか大昔の人類太古の時代に、中央アフリカの山奥にとある原住民の村があった。 その村では年に何回かお祭があり、村人たちは信望を集める神子(みこ)を囲み、手拍子、足踏み、掛け声、口笛で即興の音楽を奏でるそうじゃ。 やがてその音楽に合わせて神子はトランス状態に入っていき、天地の神様たちと交信を始め、神様からのお告げを村人たちに伝えたそうじゃ。 そのお告げというのは、食べ物のありか、安眠できる場所、病気の治し方、天災や新生児誕生の予言など、村人たちにとって生死に関る重要な情報ばかりだったという。

  このお祭りは「ムシケー」と呼ばれており、やがて各地方に伝来していき、地中海の見える北アフリカにまで到来した頃には「ムシケー」は「ミュージック」に変化していたというんじゃな。 ただし「ミュージック」と変化した当時は、音楽だけではなく、神子がいて、民衆がいて、音楽が奏でられて、神のお告げがある「お祭り」そのものが「ミュージック」と呼ばれておったそうじゃ。 なんとも神妙で崇高な説じゃろう。 わしとしては、さらにそこに「酒もふるまわれた」なんつうのが加わっておったらもっと嬉しかったんじゃがのお〜!
 わしがこの説に魅入られたのは、「ムシケー」における神子と村人たちの関係性こそ、ロック創成期にみられたロッカーと聴衆との関係性そのものであり、「ムシケー」の音楽のあり方こそ、ロックの原点だと思えたからじゃ。 
 文明の進化とともに、「ムシケー」のような原始的なお祭は衰退していったが、ロック・ミュージックの誕生によって「ムシケー」は恒久の時を経て劇的に復活したんじゃ! これは人類文化史上における奇跡じゃぞ!! つまりエルヴィスがメジャーシーンへ登場した当時のロックってもんは、聴衆にとって崇高で神聖な音楽であったということじゃ。 聴衆はロックに群がり、願望を訴え、ロッカーの表現すべてに生きる意味、人生の方向性を求めておったんじゃ。 これをわしは「ロックによるムシケーの第一次復権」と呼んでおるのじゃ! い、いかん! つい力説し過ぎてノリがミスター・イシアタマ八徹教授的になってきたぞ。 まあまあ諸君はアタマをやわらか〜くして読んでくれたまえ。


 ところで「ムシケー」的お祭りや音楽がもっとも長く存続していたのは、アメリカン・インディアンの世界じゃった。 そこにはシャーマンと呼ばれる「ムシケー」における神子のような存在がおり、インディアンの精神教育から生活指導までをつかさどる現人神(あらひとがみ)、教祖様として崇められたんじゃ。
 そして 「ムシケー」としての「ロック」は、このシャーマンの形態を通してもう一度だけ復活したんじゃ。 エルヴィスのメジャーデビューから10年後、ロック史上唯一“シャーマン的ロックヒーロー”と評されたザ・ドアーズのジム・モリスンの出現による「ムシケーの第二次復権」の実現じゃ。 (ちなみにモリソンのフェイヴァリット・シンガーはエルヴィスじゃったな。 これは歴史的必然じゃ。)
 このエルヴィスからジム・モリスンまでを「ロックがもっともロックらしかった唯一の時代」であり、「ロックが音楽の原点たるムシケー的であった幻の期間」とわしは断定しておる。 

 ロックがポップスや歌謡曲と区別がつかない扱いをされて、ロックをやってる(と思っている)者たちの様相もロッカーだか“おみずクン”だか分からなくなり、サウンドも衣ばっかり厚くて中身のヒンソーなかき揚げみたいな最近のロック(と呼ばれるもん)を聞くにつれ、古代伝説の「ムシケー」を復権させたあの“すんご〜い”ロックってどこに行ってしまったんじゃろうと思う。

 どんな表現でも、いろんなものを吸収し過ぎてワケわかんなくなると、必ず「原点回帰」が唱えられる。 しかし原点回帰ってもんが、どーすりゃいんだが、実のところ誰も分かっておらん場合が多いんじゃ。 ロックの場合はだな、何が何でも「ムシケーへの回帰」「ムシケーの第三次復権」じゃ! じゃからこれからロックをやるモンは、以下のことを肝に命じてホンモノのロックの復権を目指してくれたまえ。

 うわごと、たわごと、ねごとの三連打はロックにはいらんっ! 
 過去のリズムやビートを拡声するだけの方法論を棄てろ!
 現代版「ムシケー」実現のために、キングと交信出来る感性をみがけ! 
  (まずは祭りのノリじゃ。 飲めや歌えやワッショイワッショイ!)

 聴衆のラブメモリーばかりつっついて、涙腺と財布の紐をゆるめさせるんじゃのおて、正々堂々と“約束の地”へ聴衆を誘導するロックをやりたまえ。 聴衆がロックに求めているのは、生きるための強さ、こだわり、信念じゃ。 出てこいっ、新たなるロックの救世主よ! もちろん身だしなみはTHE-KINGにオーダーすればハズシはない!! それがロックの救世主たる者の正しい姿じゃ!!!  

 最後に1971年に27歳の若さで夭折したジム・モリスンが言い残した、驚くべき予言と後継者への的確な助言を紹介して今回の〆としよう。 わしの言う後継者とは、他ならぬ諸君のことじゃっ!

 
エルヴィスは最初で最後のエレクトリック・シャーマンだった。 そしてエルヴィスから僕らの時代までは、「若者のためのアメリカン・ゴールデン・ジェネレーション」として末永く語り継がれることだろう。 時代や芸術が方向性を見失った時は、エルヴィスや僕らが生きた時代に戻ってくればいいのだ。



七鉄の酔眼雑記   

 わしが現在住んでおる東京都23区域に、先日夕方から突然暴風雨が吹き荒れた。 とはいってもほんの1〜2時間程度じゃったが、その影響で電車も数多くの路線のダイヤが乱れておった。
 んがっ、わしはアメニモマケズ、カゼニモマケズ、ヨテイモカエズ、暴風雨をドツイテ飲みに出かけたぞ。 繁華街のド真ん中で夜9時頃からヤリ始めたんじゃが、天気はとっくに穏やかになったっつうのにストリートにも店にも全然人がおらん。 まあ、皆さん暴風雨に気後れして仕事がはかどらんで、夜の街に繰り出す時間が遅れとるんじゃろうと思うとったが、日付が変わっても一向に客が来ないんじゃな。 皆さん、一目散に家路を急いだっつうこっちゃ。 何じゃこりゃ〜???

 どうやらこれが2007年度の“にっぽん”なんじゃろうな。 アウトサイドでのアクシデントやハプニングには極めて迅速に反応して、インサイドへと一直線に避難する。 これが現代を賢く合理的に生き抜く方法論なんじゃろうなあ〜。 なんかあったら、開き直って腰をすえて飲み直す、なんてのはもう流行らないんじゃろう。
 予期せぬ出来事が起こった時こそ人間の本質が分かるというもんじゃが、こーいう時はわしは本当に時代に取り残されたような寂しい気分になってしまうのお。 もうこの世にわしの居場所はないのか・・・ううっ、もう○十歳じゃしなあ〜って落ちこんでる場合じゃない! 人様が飲まん時に飲むから酒はうまいんじゃっ! 「こんな日も来て下さるのは七鉄っちゃんだけよ!」なんつってネオン街でいつにもまして歓待されるはずじゃったが、現実はそんなにあま〜くはなかった。 「こんな日も来るのはアンタだけ・・・」と呆れられただけじゃった・・・。 やっかましいーわいっ! にっぽんの酒業界の根底を支えてとるのはこのわしじゃあ〜。



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