ROCK FIREBALL COLUMN by NANATETSU Vol.95
1回お休みしたこのテーマ、再びふんどし締め直して再スタートするぞお〜! 今回は70年代のど真ん中、1974、75年といこう。 76年まで入れると、あの世界中に吹き荒れたディスコ&パンク・ブームまで触れにゃあいかんし、チト話が長くなるんで、まあ「ディスコ、パンク前夜の時代」って感じでイメージしてくれ〜い。 個人的な思い出としてはだな、わしは何かに憑かれた様にやたらとロックの新譜を買い捲っていた記憶が強いんじゃ。 当時新宿や渋谷あたりにレアな輸入盤を扱うショップが出現し始めた頃でもあった。 わしはそちらにも足繁く通うようになり、レコードコレクションが飛躍的に増えたもんじゃ! 何だか稼いだゼニはぜ〜んぶレコードに費やしていた気もするのお〜。 |
あ、いや酒代を引いた残金を、じゃ。 でも、レコードをぎょうさん買っておったのは、何もわしだけではなかったぞ。 知り合いの同世代のロックフリークたちは、程度の差はあれ、みんな同じような行動をしておった。 「いつ会ってもレコード抱えとるのお〜」なんて言葉を交わしたもんじゃった。 まあ「趣味のお買い物に走る」っていう心理の底には、空虚な心を埋めたいとか、何かの脅迫観念から逃れたいとか、そういう列記とした理由があるもんじゃ。 そうやってわし自身の深層心理を基軸としてこの頃を振り返ってみたところ、わりとすんなりと時代背景、世相、世界情勢を思い出すことが出来たのじゃ。 わしらロックフリークは、なぜレコード買いに走っておったのか? 時代の何がそうさせたのか? そんな感じで振り返ってみるぞ! |
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■ 第5回 1974/75年 ■ (昭和49/50年) |
高度成長期が、長嶋茂雄が、ベトナム戦争が、日米の首領が・・・。様々な“終わり”の中で、ロック界は“最後の傑作・大作”シンドロームへ。 【ザ・事件 1974/75】 その1 〜ベトナム戦争終結 1975年4月30日、10年余りに渡って続いたベトナム戦争がついに終結。 首謀国アメリカは翌1976年に建国200周年を迎えるにあたり、仕方なく白旗を上げたわけじゃが、これでアメリカの若者は「反抗の標的」を失ったことになり、同時にアメリカン・ロックも原動力を失ったようになり、当然のごとくミュージックシーン全体が急速にソフト&メロウ化していったのじゃ。 戦争とは、あらゆる視点からも称賛、価値付けを控えなければいかんが、「リアル・ロック」には憎むべき、反抗するべき対象が必要だっただけに、ベトナム戦争の終結はロックのひとつの終結をも意味していたのじゃ。 戦争が終結すれば、人々は平和をしみじみと味わいたくなるのは当然であり、ソフト&メロウ路線が求められても仕方ないもんじゃ。 「ロックよ、君はこれからどこへ行くのか?」ってとこじゃな。 その2 〜日米政界それぞれの大物トップが退陣 1974年8月アメリカのニクソン大統領が、同年12月日本の田中角栄総裁が相次いで退陣しおった。 良きにつけ悪しきにつけ、強烈なリーダーシップと強引な政策で経済大国を牽引してきたこのご両人じゃったが、足をとられたのはいずれも“闇のお金と人脈”が絡んだ不祥事じゃった。 両巨頭の退陣を「リーダーを失った」と嘆くか、「新しい時代が到来した」と喜ぶかは人それぞれじゃが、それ以降の日米の政界リーダーのキャラが小さくなっていったことは否めないじゃろう。 その3 〜長嶋選手は引退した、ハイセイコーも引退した・・・ それでもオレたちゃ墓場にゃ行かないぜ! (↑)このフレーズは、1974年当時の人気テレビドラマ「傷だらけの天使」(萩原健一主演)の最終回の予告映像のナレーションじゃ。 そうこの年、石原裕次郎と並ぶ戦後最大のヒーロー、プロ野球の長嶋茂雄選手が「我が巨人軍は永久に不滅です!」の名言を残して引退してしもうた。 また大人気競走馬のハイセイコーも引退。 増沢騎手が歌った「さらばハイセイコー」なんつう曲まで出来よったなあ。 前年の1973年におきた「石油ショック」の後遺症もあり、日本全体が何かとてつもなく大きな心の支柱を失ったような寂しさに包まれてしもうたのじゃ。 「それでも墓場に行かない」ではなく「行けない」ってのが本音じゃろう。 長嶋茂雄というプロ野球選手は、日本の経済、人々の生活をも左右してしまうほどのビッグな存在だったんじゃよ。 長嶋選手の引退とともに巨人軍の黄金時代も終わり、1975年には長嶋氏が監督になった巨人軍は史上初の最下位。 「この先日本はどうなっちゃうんだろうねえ〜」なんて酒のCMがあったほどじゃ。 【ロック 1980/81】 その1 〜大物ロッカーたちが相次いで名盤を発表! 「ジョン・レノン/心の壁・愛の橋、ロックン・ロール」「ポール・マッカートニー&ウイングス/バンド・オン・ザ・ラン、ヴィーナス&マース」「キング・クリムゾン/レッド」「ブルース・スプリングスティーン/明日なき暴走」「ボブ・ディラン/欲望」「バッド・カンパニー・ファースト」「ロキシー・ミュージック/サイレン」「レッド・ツェッペリン/フィジカル・グラフィティ」「ジェネシス/眩惑のブロードウェイ」「ジェフ・ベック/ギター殺人者の凱旋」「ザ・バンド/南十字星」etc・・・。 以上は当時わしが買いあさっておったビッグ・ロッカーたちの新譜のほんの一例じゃ。 揃いも揃って、いまだに名盤の誉れ高い作品なのじゃよ。 それも単なる名盤ではない。 バンドやロッカーたちの一種狂ったような美意識が結集したっつうか、わしら聴く側に真剣勝負を挑んでくるようなもんが多かった。 実際、ジョン・レノン、キング・クリムゾン、ザ・バンドは第一次活動期の事実上のファイナル・アルバムだったし、まるでロック界全体が「ディスコ・パンク大ブーム」の到来を予期して、「今のうちにやりたいことを200パーセントやっとけ!」って感じじゃった。 そうなりゃ、買う側はハズレが少ないからどんどん買ってまえ!ってなるわけじゃよ。 またそういったロッカー側の真剣な制作姿勢がジャケット・デザインにまで色濃く滲み出ていたような気がするのお。 30センチ四方のレコジャケいっぱいに広がるジャケット・アート、ダブルジャケット(見開き)ならば、更に中ジャケットのアートまで鑑賞出来ることも当時のロックアルバムの堪らない魅力じゃった。 音響作品としてのレコード、プラス美術作品としてのジャケットと、あの頃のアルバムは有難味(お買い得感も!)がいっぱいであり、1枚入手するごとにドキドキしたもんじゃ。 その2 〜にっぽんのお嬢様方がロックシーンに貢献(?!) (↑)タイトルだけでは何のことだか・・・じゃろう。 端的に申し上げるとだな、にっぽんの若い女性ロック・ファンが突然増え出したってことじゃ。 それまで日本人女性のロック・ファンってのは非常にマイノリティ(少数派)であり、冷たい風情のイイ女、もしくは頭のキレる才媛ってなイメージが強かったもんじゃが、この頃は年端もいかぬ女子中学生の間でも「ROCK」ってのは興味の対象になってきおった。 それに伴い、日本では洋楽専門雑誌の創刊ラッシュとなり、老舗の「ミュージック・ライフ」を先頭に、「ロッキン・オン」「音楽専科」「ザ・ミュージック」「ザ・ジャム」などが書籍店を飾る時代となったもんじゃ。 女性ロックファンたちの間で爆発的な人気を呼んだのはクィーン。 続いてスィート、パイロット、ラズベリーズ、ミッシェル・ポルナレフ、ベイシティ・ローラーズらにブームが飛び火していき、わしら男性ロックファンは「アイドルとロッカー、ポップスとロックを一緒にするな!」ってイキリたったもんじゃ。 わしはクィーンとかラズベリーズには優秀な才能を感じておったが、そんなことを一言でも口走ってみい。 途端に男性ロック仲間からつまはじきにされるような時代だったのじゃ! |
その3 〜日本人は知らなかったヨーロッパ・ロック・ブーム 1970年中期までの日本には、アメリカとイギリス両国のロック・ニュースしかほとんど伝わってこんかった。 まあそれで十分だったのじゃが、実はヨーロッパ大陸においては、あちこちの国からクラシックとロックを融合したり、シンセサイザー音楽を耽美的に追求したりする優秀な連中が続出しており、現地では結構大きなブームになっておった。 一例を挙げると、ドイツからクラフトワーク、タンジェリン・ドリーム。 イタリアからPFM(プレミアタ・フォルネリア・マルコーニ)。 オランダからフォーカス、トレース。 フランスからアンジュ。 ギリシャからアフロディティス・チャイルド。 オーストリアからセバスチャン・ハーディー、イーラ・クレイグ、といった具合じゃ。 どいつもこいつも楽器の物凄いテクニシャン揃いであり、ピンク・フロイドやEL&Pといった当時イギリスのプログレ界のトップ・ロッカーたちが、フェスティバルで共演するのを嫌がっていたというほどじゃ。 このヨーロッパ・ロックが日本に伝わってきたのは、もうちょっと後で1977〜8年あたりで、日本で名が知れていたのはクラフトワークとフォーカスぐらい。 じゃが既にわしはPFMやセバスチャン・ハーディーのレコードを持っておったぞ! どうじゃ、この情報収集の早さ! 当時からわしは女にゃ奥手じゃが、ロックには手が早かったのじゃ! 【にっぽん 1974/75】 広島カープと貴ノ花の初優勝に庶民は感涙! 元気があったのはロック・ファンだけ?! 長嶋選手という庶民のビッグ・ヒーローを失い、田中角栄という政界のドンが去り、なんか日本全体に元気がなくなっておったことは先述したが、実際に庶民の購買意欲は減少して、日本の経済は戦後初めてのマイナス成長となり、世界史に名高い、驚異的な日本の高度経済成長時代は終わったのじゃ。 ロックの名盤に毎日コーフンして元気を取り戻しておったわしは、今思うと完全に浮いた存在だったわけじゃ! しかしロックをよお聞かんのが世間様。 スポーツ界では、万年最下位じゃった広島東洋カープや、非力で痩身の美男力士の大関・貴ノ花が共に初優勝を飾って多くの庶民に感涙の雨を降らせたものじゃったが、なんかこう、毎日の生活にビシッとした芯がないっつうか・・・流行った歌謡曲は、そんな庶民の虚しさが反映されておったな。 「赤ちょうちん」(かぐや姫)、「昭和枯れすすき」(さくらと一郎)、「私は泣いています」(りりぃ)、「シクラメンのかほり」(布施明)、「時の過ぎ行くままに」(沢田研二)、「あの日に帰りたい/荒井由美」と、あ〜タイトル書いとるだけで気が滅入ってきそうじゃ。(みんなエエ歌じゃがのお) わしは「アンタ、あの娘のなんなのさ!港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカあ〜〜」(ダウンタウン・ブギウギ・バンド)、「君も観るだろうかあ〜いちご白書お〜」(ばんばん)がオキニじゃったのお〜。 テメーどこが洋楽ばっかりなんだよ! しっかり聞いてんじゃねえかーって失礼しましたあ〜♪ しんみりとした世相、しんみりとした流行歌、そんな思いが次々と蘇ってくる1974/1975年じゃが、日本のロック・ファンにとっては誇るべき事件もあった! 加藤和彦、高中正義、高橋幸宏らが結成したサディスティック・ミカ・バンドがイギリスでブレイク! アルバム「黒船」も、ロキシーミュージックの前座として敢行した全英ツアーも大好評! 日本人のロックが初めて海外で評価されたのじゃ! 「タイムマシンにおねがい」はリバイバル・ヒットしたのお〜! またロッド・スチュワート率いるフェイセスに、日本人ベーシスト山内テツが起用されたことも喜ばしいことじゃったのお〜。 残念ながらわしにはお声はかからんかったのお。 フェイセスは1974年に来日公演を行っており、山内テツにとっては凱旋公演となったのじゃ。 ロッドの「テツ・ヤマウチ!」の紹介に日本武道館は沸きかえり、チョッと恥ずかしそうな笑顔を浮かべたテツの表情が忘れられんなあ〜。 テツはテツでもナナテツは紹介されんかったな〜って当たり前じゃ!(右写真の左端がテツ。真ん中がロン・ウッド。その隣がロッド) 世間様が大きな喪失感に包まれておる中、わしらロック・フリークはロック名盤の嵐に救われて元気を取り戻しており、ロックに「感謝、感謝」の期間ではあったものの、そのロックをも吹き飛ばしてしまう暴風雨(ディスコとパンク)がそこまで迫っておることにはわしゃ〜気がつかんかったよ。 若かったのお、わしも。 でもなんじゃな。 一人のヒーローや政治家が去っただけで世の中に隙間風が吹くってのは、今となっては信じられん現象じゃ。 それだけ、現在マスコミを賑わしておる著名人はスケールが小さいってことなんじゃろうな。 う〜んスケールの大きい人間って、どうしたらなれるんじゃろう。 とりあえず、当時のわしのように世相に影響されず、クヨクヨ悩まずにロックを聞きまくれ! そしてTHE-KINGブランドでナリをキメまくれ!! そうすれば新しい風が必ず吹いてくる! 七鉄の酔眼雑記 〜酒を飲ませてくれない飲み屋 久しぶりにトンデモネー飲み屋に入ってしまった! 知人と2人で昭和の残り香漂う、とある飲み屋街をフラフラと流していると、赤提灯とひなびたネオンの間に小さな古本屋を発見したんじゃ。 店の入口周辺に古本が無造作に山積みされており、中を覗くとあたり構わず膨大な古本を積み上げてあるのじゃ。 そのまま紐でぐるぐると縛ってゴミ捨て場に持っていかれても仕方がない廃業間際のような有様にちょっと呆れたものの、本の山が雪崩れをおこさんように注意深く店内に入ってみた。 すると三畳ぐらいの店内を占拠している本の山の中に強引に作られたような、ネコの額ぐらいのわずかなスペースに小さなテーブルとソファがあり、そこでお客らしき二人組が酒を飲んでおった。 なんとそこは飲み屋だったのじゃ。 まあこの手合いの飲み屋とか喫茶店は、昔は割とあったもんじゃ。 店主の蔵書をインテリアにして、こだわりの酒とかコーヒーを静かに飲ませるというスタイルに、インテリどもは落ち着きを感じていたものじゃ。 大概は店主の愛想は悪くて、酒やコーヒー、置いてある本のうん蓄をヘタにかますと睨みつけられるような頑固オヤジが多かった。 じゃが、この店はそれとはぜ〜んぜん!違う。 山積みされている書籍のほとんどは映画とクラシック音楽関係の、それも古くて貴重な資料のようではあり、「ほほぉ〜これはなかなかのもんじゃのお〜」と口走ってしもうたのが運の尽き。 「え?センセーこれをお分かりになる! すごい!! お会いできて光栄です。 それならこれも、いや、あれも!」ってな感じであっという間に古本を何冊も手渡されてしまい、それから店主のマシンガントークによる解説がスタート。 息つく暇もないほど延々と喋り続けていて、酒のオーダーもなかなかとらないのじゃ! 何がセンセーじゃ、まったく・・・。 ハナシのスキを突いて「ところでいくらで飲ませてくれるんじゃい?」と聞くと、まあ一般のバーやスナックと大して変わらん値段だったので、ひとまず安心。 ところが、ひたすら続く店主のうん蓄話、自慢話に相槌を打つのと、次から次へと勧められる古本を見るのに忙しくて酒を飲むヒマなんざないのじゃ! わしにはまず酒を勧めろバカモノ! 途中からわしは出された水割りを一気飲みして飲み代の元をとろうとしておった。 またちょっとでも姿勢を変えると、四方から迫っている書籍の山に身体が当たってしまいそうで、煙草もオチオチ吸ってらんない身体膠着状態。 自由に本を探したり見たりすることさえ不可能なのじゃ。 結局約1時間ほどでその店をさっさと退散した。 身を縮めながら店主のマシンガントークにつきあうためにお金を払ったようなもんじゃった。 頼みもしない酒が次々出てきて・・・なんてのは聞いたことはあるが、聞いてもいない話を延々とされて酒を飲ませてもらえない酒場なんてのは初めてじゃった。 何をどう勘違いして、あんなスタイルの商売をしておるんじゃろう・・・。でもそれが楽しいお客もおるんじゃろうか。 いかん・・・また頭いとうなってきたわい・・・。 GO TO TOP |