ROCK FIREBALL COLUMN by NANATETSU Vol.94


わしには“カンケーネー”に突然ハマった瞬間!
興味のなかったロッカーが、一瞬で好きになった体験集

 
 ヒットチャートを賑わしとるからといって、好きでもないのに聞かねばならん道理はこの世にない! 同じく、まわりの友人たちがごぞってコンサートに行っても、それに付き合わねばならんなんつー規則もない! わしはわし、キサマはキサマってことで、若き日より自分流を貫き通してきた「七鉄のロック道」。 だからわしは、ロックに関して、知っとることは誰よりも知っとるつもりじゃが、知らんことはまったく知らんわ〜いのガンコ偏屈なロック・フリークじゃ! 全部知っとるのはTHE-KINGのラインナップだけじゃ!!
 「おいおいジジサマ、今さら何を開き直ってるんだ!」とお叱りを受けてしまいそうじゃな。 いやいや失礼。 今回はだな、4回続けてきた「ロック的時代白書」をお休みして、息抜き、気分転換のために、リラックスしたテーマを1回かますべく、我がロック・スピリッツの原点に戻ってみただけじゃ。 本文の方では、ロック・ファッションの原点が出ていたこともあるしのお〜。 
 三度のメシ、いや毎日の酒とともにわしの人生になくてはならんロックだって、中には全然ピンとこないヤツも数多くあるもんじゃ。 立場上は仕方なく「え? ええまあ、あれはええよのお〜」なんて言っときながら、「あんなん、どこがええんじゃ」と腹ん中で悪態ついとる場合も少なくはない。 しかもわしはガンコ(単細胞?)なんで、なかなかその思いが消えてくれん困った性分なんじゃ。
 じゃがそんな「興味の薄いロッカー」に限って、ほんの一瞬のアクシデントで評価や好みが一転してしまうのも、これまたわしの性分でもあるのじゃ。 いやあ〜わしのそん時の好みなんざケッコーいい加減じゃ! ってことで、今回は、興味のなかったロッカーへのスタンスがひっくり返った!わしの「チョー劇的な一瞬」をご紹介してみよう。




■第1話〜ピンク・フロイドの巻■ 
 “あの音”にノックアウトされた、涙、涙、また涙の忘れ難き取材体験

 

 ピンク・フロイドは、70、80、90年代、そして21世紀になっても作品が世界中で売れ続けておるロック史上に残る長寿バンドじゃ。 じゃがわしは昔っからどーしても好きになれんかった。 理由? よお分からんが、どの作品を聞いていても気がつけば寝ておるんじゃよ。 仕事柄、また友人との交流のため、聞かねばならん事も多かったが、心の中ではいつも「このバンドだけは一生ダメかも・・・」と諦めておった。
 時は流れて2003年。 わしは東南アジアのタイ国首都バンコクにおったんじゃが、ピンク・フロイドのリーダー・ロジャー・ウォータースがソロ・プロジェクトを率いてバンコクで1回だけコンサートをやったんじゃ。 そん時わしに取材&撮影の仕事の依頼がきよった。 ピンク・フロイドの曲がメインになるっつう情報を事前にキャッチしておったので、「寝てしまわんようにせんと・・・」なんて気軽に引き受けて出かけたもんじゃ。
 ところが、コンサートが開始してPAから飛び出してきた一頭最初のギターサウンドにわしの脳天は吹っ飛ばされてしもうた! そのなんちゅーかうまく言えんが、久しく聞いておらんかった、60〜70年代のロック黄金時代を生きてきた者にしか絶対に出すことのできない“あの音”だったんじゃよ。 もう体中の血液が音を立てて激流と化し、ヘナヘナと腰が抜けてしもうた。 さらに涙が止まらんようになってしもうて、ついにカメラのピントを合わせることが出来んかったよ。
 その音だけじゃよ。 たったそれだけの理由でピンク・フロイドが好きになってしもうたんじゃな。 そうなったらわしの行動は早い! ベスト盤から始まって、今ではアルバムはほとんど持っておるという変わりようじゃあ〜。 ちなみに、そのコンサートの撮影写真じゃが、現像してみたらだな、なんとほとんどピントが合っておったのじゃ! カメラマンとしての職務をまっとう出来たという安堵感・・・なんてことはどうでもええ。 「ロックの神様がピントを合わせて下さったのじゃ」とわしは今でも信じておるぞ!


■第2話〜イーグルスの巻■
 暇つぶしに“現場”を訪れた時、確かに“何か”が降りてきた!

 
 イーグルスの全盛時代ってのは1970年代中期あたり。 当時わしのまわりにはイーグルス・ファンが多くてのお。 彼らは「聞け聞け、これ聞け!」ってレコードを貸してくれるんじゃが、名作の誉れ高い「呪われた夜」「ホテル・カリフォルニア」なんかを何度聞いてもわしはピンとこんかった。 メロディもいい。 コーラスもいい。 歌詞もいい。 アメリカの伝統音楽の匂いもする。 ケチを付ける理由なんかどこにもない。 でも決してズドン!と胸に響いてこんのじゃよ。
 そんなイーグルスに対するわしの感性のベクトルが一変するきっかけをもたらしたのは、1980年(だったと思う)アメリカ西海岸への旅じゃった。 予定を全部クリアしてもなお帰国までに2日ほど余ってしもうてな。 「しゃーないな。 ビバリーヒルズ・ホテルでも行ってみるかのお〜」と、「ホテル・カリフォルニア」のモデルになった実在のホテルを訪ねることにしたんじゃ。
 ファンならジャケ写が撮影されたような夕暮れ時に行くんじゃろうが、わしが行った時は真昼間じゃ。 「ほっほぉ〜、ここがホテル・カリフォルニアかいのお〜」などと余裕こいて、勝手気ままにロビーからボールルームに通じる廊下を歩いている時じゃった。 壁も天井も床も薄青緑色のペンキで統一されたその廊下にミョーな妖気が漂っておるのを感じ、わしの足は止まってしもうた。 そして突然頭ん中で歓声とともに「ホテル・カリフォルニア」のイントロが聞こえてきたんのじゃよ。 それもスタジオ盤で聞くアレンジとはちょっと違う初めて聞くヴァージョン・・・。
 帰国後、わしはイーグルスのレコードを初めて身銭切って買ってみた。 発売直後の2枚組のライブ盤じゃ。 オープニングは「ホテル・カリフォルニア」。 そのイントロを聞いた時、わしはびっくらこいた! あの時、ホテルの廊下で聞こえてきたアレンジだったのじゃ。 この不思議な体験がわしとイーグルスの熱い関係の始まりとなったのじゃ。


■第3話〜エリック・クラプトンの巻■
 “グッド・タイミング”のマジックにかかって、一瞬で大ファンにへんし〜ん!


 その昔「ロック界3大ギタリスト」って表現があってのお。 それはエリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジのことじゃった。 そん中でわしはどうしてもクラプトンにのめり込むことが出来んかった。 ギタープレイはスゴイし、いい男だし、ファッション・センスもいいし、名曲も多い。 じゃがどうも昔のロッカー特有の「生死のギリギリの境界でロックをやる」みたいな緊張感、凄みを感じなかったからじゃ。
 当たり前じゃ。 クラプトンはそんなものは早々と卒業しておったからのお。 と分かってはいたものの、70、80年代のどのアルバムを聞いても「こんなレベルの作品なら、クラプトンはいつだって作れるのに・・・」と、才能を出し惜しみしているようにしか思えんかった。
 90年代に入り、クラプトンは名盤「ジャーニーマン」を発表。 すぐさま日本公演も実現した。 わしは友人から譲り受けたチケットで日本武道館へ出かけたんじゃが、これはタイミングがもたらすアートとでもいうべきじゃろう。 「まだ開演まで10分くらいはあるじゃろう」と余裕の気分でアリーナ席に通じる扉を開けた瞬間、ドンピシャのタイミングで館内照明が消えて、大歓声とともにスポットライトを浴びたクラプトンの雄姿がドド〜ン!と視界に飛び込んできたのじゃ!
 その時観たクラプトンは「世の中にこんなクールなヤツがいるのか!」と信じられないくらいにカッコよかったんじゃよ。 今風の言葉なら「ヤバイかっこええ〜」じゃろうな! 肩まで伸ばした栗色のロン毛、均整のとれた痩身、純白のスーツ、そしてストラトキャスター・・・わしは自分の座席を探すことも忘れてクラプトンに見とれて通路に立ちすくんでしもうた。 以降クラプトンにハマってしもうたのは言うまでもない。 わしもミーハーじゃのお〜♪


■第4話〜ヴァン・ヘイレンの巻■
 「ロックは明るく、楽しく、さわがしく!」をわしに認めさせた、世にも“憎らしい”ビデオクリップ

 80年代のアメリカン・ハードロックのナンバーワン・バンドじゃったヴァン・ヘイレンじゃが、70年代後半にデビューした時からわしはとにかく嫌いじゃった。 「最後のギター革命児」と言われたエディーのプレイは「あんなテクニックは皿洗い機と同じで、あってもなくてもいいもんじゃ!」とわしはのたまわっておった。 セクシー・パフォーマンスとお笑いキャラで全米を沸かせていたデイブ(Vo)も、わしにはエルヴィスやロバート・プラント(レッド・ツェッペリン)の勘違いパロディのように見えてしまい、じつ〜に不愉快な存在じゃったよ。
 しかしまあ、1984年の大ヒット曲「ジャンプ」のビデオ・クリップは衝撃的じゃったのお〜。 古典的な3分間ポップスの中に、いろんなロック・フィーリングをセンスよくブチ込んだ曲は実に爽快だったし、何よりも映像で観るエディとデイブが、ロッカーの昔ながらのパフォーマンスやテクニックを、まるで子供が玩具で遊ぶように、実にあっけらか〜ん!と楽しそうにやって見せるからじゃ。
 「スピリットもトレーニングもいらね〜よ。 ロックなんざ天分さ! 明るく楽しくやろうぜえ〜おりゃああー!」ってな感じじゃった。 う〜ん、御見それいたしました!ってトコじゃったな。 これを機に彼らが大好きになったのはもちろんじゃが、エディ&デイブのコンビは間もなく解消されてしもうて、彼らが再びわしを楽しませてくれることはなかった。


■第5話〜ジェリー・リー・ルイスの巻■
 LP盤をシングル盤回転で再生! ステレオの反則技で新境地を開拓!?


 
フィフティーズ・ロッカーはなんでもござれ!のわしも、実はどうもジェリー・リーは苦手だったんじゃ。 ジェリー・リーはよくこんなことを言っておった。 「炎のようなロック衝動を止めることができない」とか「オレ様のロックの情念が勝手に歌いだす!」とか。 言っとることは分からんでもないが、それにしちゃあピアノ演奏のノリが迫力不足であり、聴いていてイライラしてくるってのがわしの本音じゃった。
 そんなイメージが豹変したのは、実に意外なキッカケからじゃった。 若き日に親交のあった某ロック友人にわしの本音を話したところ、彼はサラリとオモシロイアドバイスをくれたんじゃ。 「そんなら、LPを45回転で聞いてみたら?」と。 LP盤をステレオで再生する場合はターンテーブルの回転数を33 1/3回転にセットする。 シングル盤の場合は45回転であり、回転速度は33回転より早くて再生音も当然スピーディーになるわけで、わしは早速試してみた!
 ハマッタね! ボーカルが「ミャーミャー」と赤ちゃん声になって笑ってしまったが、ピアノ演奏のスピードはバッチリ! なんだか、ジェリー・リーがピアノ演奏にぶち込んでいたスピリットみたいなもんが一瞬のうちにわしの魂に入り込んできた! まあこんなステレオの使い方をやっとると故障しやすくなるんで滅多にやらんかったが、レコード盤時代には時々こんな遊びもやりながら、より幅広くロッカーを理解しようと努めていた訳じゃ。
  

 諸君にも、どうしても好きになれないロッカーはおるじゃろう。 それを無理して聞く必要はないぞ。 来るべき時(好きになる時)がまだ来ていないだけのことなのじゃ。 わしのように、予期していなかった一瞬の出来事で「大好き!」になることもあるのじゃし、すべては運命じゃ。 音楽の神様のお導きなのであ〜る! 
 もちろん知らないロッカーをとりあえず聞いてみる「お勉強」が必要な時もあるとは思うが、やはり無理をすることはない。 そうじゃの〜。 わしのような劇的な瞬間を自ら呼び寄せる方法っつったら、常に己のロック・フィーリングに埃がかぶらないようにしておくことじゃ。 そうすれば、例え年齢を重ねてもロック・スピリッツは永遠になり (右の写真のジェリー・リーのようにな!)、新しいロックとの出会いがやって来ると思うぞ!
 そのためには現在好きなロッカーをより好きになるようなトレーニングを怠ることなく、自分自身が憧れのロッカーの生きた時代に身を投じる「気合」が一番なのじゃあ〜。 
わしはアニマル浜口か! THE-KINGブランドはそのためにも存在しておる!と言ってもよかろ〜!ナリをキメることが、フィーリングをキメル最初の儀式であることを忘れるなかれ!




七鉄の酔眼雑記
 〜頑張るということ・・・

 先日ちょっとした飲み会があってな。 そん時に悩みをボソボソ話しておる元気のない友人に対して、わしはいつもノリで「オマエさん、ロッカーじゃろうがっ!元気出さんかい、頑張れ!」と励ましたところ、同席していた別の友人からお開きの後にお叱りを受けてしもうたよ。 「あのね〜七鉄さん。 最近は人に対して簡単に“頑張れ”なんて言ってはいけないんですよ。 その一言で追い詰められる人がいるんだから」と。 「じゃあ何て言えばええんじゃ?」と聞いたところ、「頑張り過ぎるなよ、でいいんです」と返されてしもうた。 「頑張り過ぎるな」ねえ〜。 そんな風に励まされても、わしじゃったら全然元気でんけどな〜。 いやあ〜つくづく言葉の選び方が難しい時代になったもんじゃ。
 10年ほど前じゃったか、東南アジアをほっつき歩いていた頃、内戦が終わったばかりのある発展途上国には、20世紀になるまで「頑張る」という言葉、単語そのものが存在しなかったという話を聞いたことを思い出してしもうた。 その国は元来農業資源、水産資源が豊富なので、かつて国民のほとんどは自給自足の生活をしていたから「頑張る」必要などなかったのかもしれんが、何だか経済大国にっぽんが、そんなはるか昔ののどかな時代まで戻らなければならないのか?とツマラン連想をしてしまい、ちょっとゾッとしてしもうたよ。
 しかしお調子モノのわしは「頑張り過ぎない」ということに挑戦してみようと思い、3〜4日ほど、他人様のスケジュールに左右されることのない完全マイペースで仕事もプライベートものんべんダラリと過ごしてみた。 結果、持病のぎっくり腰が再発するわ風邪はひくわ食欲はなくなるわで、身体の調子が一気に狂ってしもうた。 やっぱり、平日はある程度の緊張感を維持しておかんとだめじゃの〜。 わしの緊張感ってもんが、世間一般の「頑張る」ことになるのかは分からんが、「頑張り過ぎない」ってのは一体どの程度のオハナシなのかはもっと分からんな。
 
 また先日、オーバー30で必死に再就職先を探しておる知人からこんな話も聞いた。 「最近の会社面接では、頑張るって言ったらダメなんです。 努力します、じゃないと無責任な発言にとられるんですよ」とな。 もうよお分からんようになってきおった。 そんならいっそのこと日本語の辞書から「頑張る」という言葉を削除してしまえアホンダラ! 人をシンプルに励ますこともできない時代って、やっぱり不健康じゃ。 やはりロックにのめりこみ続けるしかない! 
 

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