ROCK FIREBALL COLUMN by NANATETSU Vol.92
■第3回 1965/66年 (昭和40/41年) ロックと世相と事件で振り返る「ロック的時代解体白書」。 その3回目は近代史の中でもっとも熱かった“若者の時代”である1960年代のド真ん中に位置する、1965/66年といこうか! 1965年と言えば、前年に東京オリンピックが開催され、日本の人口が1億人を突破!と発表された頃じゃ。 当時わしは神奈川県横浜市の端っこの造成地(山を削って作られた住宅地)に住んでおって、カブトムシ君やカナブン君やザリガニ君たちとともに、カントリー・ライフを |
送っておったが、テレビも新聞も、とにかくやたらと“騒がしかった”記憶が強いんじゃ。 時代はまさに「高度経済成長」が始まったばかりの「イケイケ、ドンドン!」であり、表向きは活気に満ち溢れておったのじゃ。 これは元気の出ない報道ばっかりの現代とは正反対じゃな。 またテレビ番組では“洋モノ”が多くて、報道番組でも「アメリカ、ヨーロッパの何とかが来ました!」ってのがいつも流れていたイメージが強烈に残っておる。 さらに1970年代のはじめまで、海外のどこそこで何かが起こった!ってニュースもとにかく多かった。 詳しいことは後ほど述べるとして、1960年代のど真ん中とは、日本経済が燃え盛り、日本と海外との間に「目に見えない大きな橋」が出来上がり、ワールドワイドで情報が飛び交い始めた時期じゃろう。 また日本にとって第二次外来文化襲来期と言っても差し支えないじゃろうな! 外国から何がやって来て、日本人が何に驚いて流行したか、そこら辺をロック・ネタを交えながら振り返ろう! |
“経済大国化”へ日本はロケットスタート! 欧米型経済主義か、人類原点回帰主義か、世界中が真っ二つに割れた20世紀後半最大の変革期!! 【ザ・事件 1965/66】 その1 〜ベトナム戦争突入 以後約10年間も続く、20世紀最長、最悪の泥沼化したベトナム戦争は1965年から本格化したんじゃ。 膨大な数の若者が戦地へ駆り出されたこの戦争は、アメリカという国が、若者の命よりも国家の威信や世界戦略を優先した結論であり、国家と若者の主張が真っ向から対立し、当然のごとくロック・カルチャーの育成に結びついたこともまた確かじゃ。 ベトナム戦争への反旗は、若者の精神と知性を鍛え上げ、やがて「黒人人種問題」「女性人権問題」などの様々な対立運動を勃発させていったのじゃ。 国家政策に立ち向かうことは、当時のアメリカの若者たちとっては「青春のシンボル」というよりも「死活問題」だったのじゃ。 「政府の強引な侵略政策に、なんで命を捧げなければいけねーんだ!」ってこと。 だから、政府や体制のキメゴトに何でもかんでもイチャモンを付けていた日本の学生運動なんざ、アメリカに比べればただのファッション、お遊びとも言われたもんじゃ。 アメリカの学生を中心とした「反戦運動」はやがて世界中に飛び火していき、1960年代という「革命の時代」を作り上げていったのじゃ。 わしも諸君も大好きなフィフティーズ・カルチャーも、このベトナム戦争によって、一時的に文化の表舞台から姿を消すことになるんじゃよ。 その2 〜宇宙戦争と大型飛行機事故 50年代後半から始まったアメリカと旧ソ連との「宇宙戦争」。 どっちが先に宇宙船を打ち上げたか、人類が宇宙に飛び出したか、月の写真をとったか。 その先陣争いは凄まじいもんじゃった。 国民全体がようやく“食べていける時代”になった日本人にとっては「宇宙戦争」なんかは夢物語であり、入ってくるニュースをぽか〜んと口を開けて見ておった。 60年代も半ばに入ると、技術的に人類が月に着陸できることが現実となり「宇宙戦争」は益々激化しておったが、その反面、地球上においては、宇宙ロケット以外では最高の工学技術物である飛行機の大規模な墜落/爆発事故が世界各地で相次いだもんじゃった。 この死者云百人という大惨事の連続は、なまじ宇宙なんざに飛び出したばっかりに、人間が自らの技術力、技術推進速度を過信し過ぎたことへの神様からの警告だったのじゃよ。 経済発展や国家威信を最優先し、地球環境や人間本来の姿を置き去りにした「経済/技術最優先主義」はこの時代から加速しておったのじゃ。 【ロック 1965/66】 その1 〜ビートルズ大旋風&日本上陸、 そして勇気ある反抗声明の発表 エルヴィスがロックをお休みしておった1960年代、「ナンバーワン」の座に駆け上ったのはビートルズじゃった。 マッシュルーム・カット、ニュースタイルのスーツ、バンドという活動形体、そして自作自演っつうエルヴィスとは異なったロックン・ロール・パワーをさく裂させたビートルズは、まさに台風のごとくあっという間に世界中を制覇! 1966年6月にはついに日本にもやってきおったな。 しかし日本中の大パニックをよそに、ビートルズのメンバーは疲れ切った、醒めた目をしとったな。 ステージに立っただけで「ワーワー、キャーキャー」の大洪水にウンザリしとったのは明らかじゃ。 日本公演から二ヵ月後、ビートルズはライブ活動の中止を発表しおった。 それはショービジネスの中で踊らされる者が初めて自ら示した「反抗声明」のようじゃった。 「金権主義、経済至上主義なんざクソくらえ!」わしにはそう聞こえたぞ。 一方キング・エルヴィスは映画出演に忙しい日々を延々と続けており、ビートルズ旋風に対するエルヴィス側からの返答は無いも等しい状態。 これに関しては今でも様々な憶測を呼んでおるが、印象深かったのは、エルヴィスもビートルズも、お相手に対して敬意を表したようなコメントを発表したことじゃ。 さすがはエルヴィス! 慌てふためくこともなく、優秀な後輩にエールに贈って余裕を見せたところはキングならではの太っ腹ってとこじゃ。 |
その2 〜ブリティッシュ・インヴェイジョンとスゥインギング・ロンドン ビートルズに続けとばかりに、イギリスからはローリング・ストーンズ、ザ・フー、キンクス、ヤードバーズ、アニマルズ、スモール・フェイセス、ジェリー&ペースメーカーズ、といった優秀なバンドが続々と登場としてアメリカへ上陸。 エルヴィス以外で優秀なロッカーを生み出すことが出来ずにいたアメリカの音楽市場を独占することとなり、それは「ブリティッシュ・インヴェイジョン」(イギリス勢力の侵略)と呼ばれたもんじゃ。 明治維新ではないが、まさにブリティッシュ・ロックという名の文明が開化の時代を迎えたのじゃ。 イギリスの若きロッカーたちの大活躍は、イギリスの若者の意識改革をもたらし、やがてロンドンで大ファッション・ブーム「スゥインギング・ロンドン」を誕生させるのじゃ。 ロックとファッションが大規模にミックスになった世界初のブームじゃな。 オカタイ貴族趣味で凝り固まっていたイギリスの文化が、一気にカラフルになったのじゃ。 マリー・クワント女史の「ミニ・スカート」もこのブームの中から生まれたのじゃ! わしの鼻の下が長くなったのもこの頃からじゃ! その3 〜社会派フォーク・ロックの誕生 フォーク・ミュージックというと、いまだに日本ではアコギを抱えて甘く切ない私小説的な歌をポロロン、ポロロンと弾き語りするというイメージが強いが、ロックの本場は全然違うのじゃ。 イギリスでは、神秘的な伝統民謡を現代風に華麗に奏でる音楽を一般的にフォーク、もしくはトラッドと呼ぶのじゃ。 アメリカの場合は、自分の主義主張をアコギのシンプルな演奏にのせて世の中にぶつけていく音楽じゃ。 その代表格がボブ・ディランじゃよ。 そんなフォーク・ミュージックが大ブレイクしたのもこの頃。 エレクトリックなアレンジを加えたサウンドは「フォーク・ロック」と呼ばれるようになったもんじゃ。 時はベトナム戦争突入期。 音楽と主義主張が一体となったフォーク・スタイルは瞬く間に全米の若者たちに浸透。 その中からバッファロー・スプリングフィールド、バーズ、ホリーズ、ラブといったアメリカン・ロックの歴史を作るバンドが登場してくるのじゃ。 【にっぽん 1965/66】 石原裕次郎にGSに、バットマンにサンダーバード。 “いざなぎ景気”に公害問題。 にっぽんよ、オマエさんはこれからどこへいくのか? 高度経済成長のロケットスタートを切った我がにっぽん。 以後景気の上昇は1970年代まで続き、それは「いざなぎ景気」と呼ばれた戦後最長の上昇状況を迎えるのじゃが、暗いオハナシも表面化してきておった。 急激な経済成長の裏側で環境破壊もまた着々と進んでおり、「公害」という事件が初めてマスコミに登場したのもこの頃じゃ。 矛盾を抱えながら、日本はお金持ち国家への道を突っ走り始めたんじゃ。 若者文化の成長もとどまることを知らず!とはいっても、当時の最大のスターは石原裕次郎さんじゃ。 特に裕次郎さんが映画の中で披露した「マリンスポーツ」の魅力は若者の心をつかみ、日本に最初の海洋レジャー時代を作り出したもんじゃった。 ちなみに裕次郎さんは、66年にエルヴィスとのツーショットに成功しとる! そのエスコートをしたのが、このわしじゃ!のわけねーだろうがっ。 音楽の方では、1966年のビートルズ来日という「大事件」があってから、ようやく「ロック」らしき香りが日本のポップシーンにも漂い始めたが、「グループ・サウンズ(GS)」っつうブームが生まれよった。 一応ロックバンドの形体はしとるが、歌の内容は「かわいい歌謡曲」。 女子大に通っていたわしの姉上&ご学友たちは「ジュリ〜♪」(沢田研二)「ショーケン!」(萩原健一)って感じでGSに夢中じゃったよ。 一方テレビ番組の洋モノ番組の数は増える一方! 「エド・サリバン・ショー」「アンディー・ウイリアムズ・ショー 」「バットマン」「サンダーバード」「わんぱくフリッパー」などが軒並み高視聴率を記録。 欧米文化の香りが日本のお茶の間にまでどど〜んと進出してきたことで日本の若者の美意識、価値観が急激に変革されていったような気がするな。 余談ではあるが、当時わしは公開されたばかりのフランス映画「男と女」の主人公(ジャンルイ・トランティニアン&アヌーク・エーメ)にノックアウトされておった! 「欧米人って、なんてクールでロマンチックなんじゃろう・・・」とため息をついておったよ。 ませたガキだったのお〜♪ この映画の反響はなかなかのもんで、音楽やファッションにおいても「プチ・フレンチ・ブーム」が起こったもんじゃ。 でもわしは「おふらんす」だけではなかったぞ! あのジェフ・ベック(ヤードバーズ在籍時)がステージでギターを叩きつけるシーンが挿入されたイタリア映画「欲望」も観に行ったぞ。 映画の内容より「ロック」を感じたい一心でな! ところで、もし人類の情報文化の伝達スピードがもうちょっと早くてだな、この頃のブームがあと10年早く日本に訪れておったら、それはエルヴィスのメジャー・シーン登場の頃とピタリと一致することになり、日本の若者文化は本場のロック文化を現在進行形でキャッチできたことになったんじゃがなあ〜と考えることもある。 そうなっていたら、日本のロック文化はもっと早く充実したかもしれんとな。 しかしあの時代のロック文化の真実の香りを現代によみがえらせてくれる、スバラシキTHE-KINGブランドが今後も奮闘してくれるから心配ない! THE-KINGブランドと、それを愛する諸君との絆が深くなればなるほど、日本のロッカーと本場のロッカーとのロック・フィーリングのズレは解消されていくのじゃ。 ロック事情の「過去」はわしに聞くように! 陰でそっとおまんじゅうを頂くのもやぶさかではないがのお〜。 七鉄の酔眼雑記 〜33年ぶりのご対面! 「タイトルも演奏者も分からないが、どうしても忘れられない曲」ってのが諸君にもあると思うが、わしは先日、実に30年以上も探していた1曲にようやく再会できたんじゃ。 “その一曲”とは、70年代の後半にアルバイト先で短期間だけ一緒に働いた知人がカセットテープに録音してくれた曲じゃ。 ギターソロあり、ドラムソロありの長大なロックであり、即オキニになったんじゃが、テープをいつの間にか紛失してしまい、その知人の連絡先も分からない。 どういう訳か曲のタイトルもバンド名も忘れてしもうた。 それから30年あまり、様々な音楽仲間と出会い、数多くのコンサート、ロック酒場、CDショップに通い続けたもんじゃが、依然として“その一曲”に出会うことはなかった。 先月、「You Tube」でのほほ〜んといろんな曲を検索していた時、たまたまセレクトした曲のタイトルから突然“その一曲”のタイトルが連想されて、試しに検索してみたら、ピッタシカンカ〜ン!だったのじゃ。 “その一曲”とは、ドイツのハードロック・バンドだったルシファーズ・フレンズの「スパニッシュ・ギャレオン」というナンバー。 調べてみるとルシファーズ・フレンズは、70年代にドイツでそこそこ活動していた、いまやマニアックな部類に入るバンド。 CDが乱発発売される現代においては、一応日本でも佳作とされる2〜3枚のアルバムが期間限定で発売されておった。 しかしその中には「スパニッシュ・ギャレオン」は収録されておらんかった。 そんなマニアックなバンドのマイナーなナンバーが「You Tube」にアップされておったのもオドロキじゃが、かつての知人がインターネットもない時代に、そいつが収録されたレコードを持っていた事実にあらためてギョーテン! 70年代後半とはいえば、ロックの本場アメリカ、イギリス以外の海外のロック情報をゲットするなんてほぼ不可能であり、ドイツ・ロックなんて、輸入盤専門店でスコーピオンズぐらいしか入手出来ない時代だったからじゃ。 知人とはロック愛好家同士ということでほんのひと時話が盛り上がり、「いつか海外に行きたいよねえ〜」なんて話していたのは覚えておるから、彼がドイツで入手したってことはありえんのじゃ。 マニアってのは、情熱と資金力とコネクションによって、自らの巨大な欲望を充足させていくもんじゃが、その知人は恐らくスゴ過ぎる情熱だけで日本で入手できるはずもない「スパニッシュ・ギャレオン」にたどり着いたんじゃろうな。 若かりし日、わしは「日本一のロック知識者」みたいなプライドを持っており、「わしが知らんロックはない!」ってクソ生意気なツラをしとったが、「スパニッシュ・ギャレオン」に再会したことで、そんな若気の至りをモーレツに反省してしもうた。(今さら遅いわい!) インターネットや資金力がなかろうが、情熱の炎さえ燃えておれば不可能を可能にすることだってある! 30年以上の時を経て、僅かな期間のお付き合いで終わった知人から、情熱の尊さを、凄さを教えて頂いた次第じゃ。 GO TO TOP |