ROCK FIREBALL COLUMN by NANATETSU Vol.88


かつてラジオはメディアのキングだった!ラジオに捧げられた懐かしのロック名曲集
 

 師走の寒さが本格化する前、THE-KINGからグレイトなコート4連発が発表されおった! うむ、これでオシャレな防寒対策は問題なしじゃ! さて、わしの方は何をしとったかというと、慌しくも引越しを済ませたんじゃ。 今度は下町の和室じゃ。 和室に住むのはそれこそ中学生の時以来云十年ぶりじゃよ。 「あの頃は良かったのお〜。 わしも若かったし、純粋だったし・・・」と夕日を浴びながらのんびりと郷愁に浸っておったところ、ふと口から出た言葉が「あ〜ラジオが聞きたい!」じゃった。 「ラジオ!」 わしはわれに返った! 
 わしの中学校時代には既にテレビは普及しておったが、わしのような洋楽好きにとっては、テレビよりもラジオが大事じゃった。 ラジオこそ、洋楽の知識を深めて、広げるための絶対必要不可欠なブツだったのである。 ラジオを持って部屋中をウロウロし、その日その時間もっとも電波がクリアにキャッチできる場所を探し、エアチェックしたサウンドをmaxwellのカセットテープに録音していたもんじゃ。

 あの時代、有名ロッカーからわしのような無名のロック・ファンに至るまで、ラジオは「神器」だったのじゃ。 それだけにラジオやDJを題材とした曲は少なくない。 今回はそんな「ラジオを讃える名曲」をご紹介してしんぜよう。 「ひえ〜古くせ〜!」と言うではないぞ! 考えてもみたまえ。 ミュージックTVやインターネットを讃える曲なんぞがあるか? あるのかもしれんが、わしゃあ知らんぞ、そんなもん。 ラジオとは、音楽とファンとをもっとも熱く結びつけることのできたスバラシー!メディアだったことを語る名曲、いざ行かん!


♪tune-1 ラジオ・スターの悲劇/バグルス
 

 ラジオを歌った曲の中で、もっとも有名なのはこの曲かもしれんな。 かわいい女性の声の"ア〜ワッアワ!"っつうコーラス、“Video kills the radio star〜”(ビデオがラジオ・スターを殺す)という印象深いくだり。 ビデオ映像が急速に普及していった70年後半、ラジオとラジオスター(DJ)の存在はあおりを食い、やがて衰退していく・・・。 あまりにも悲しい曲じゃが、曲調が明るいこともあって大ヒット曲となった。 またツボを押さえた美しいシンセをキメていたジェフリー・ダウンズは、後にエイジア結成に参加して大スターになったもんじゃ。


♪tune-2 ラジオ・ガガ/クイーン
 

 この曲のタイトルの“ガガ”ってのは、まだ言葉をよく喋ることのできない赤ちゃんが、ラジオのことを“ガ〜ガ〜”と言うことのようじゃ。 この赤ちゃん言葉を、人々のラジオへの愛着の深さのシンボルとして、「ラジオは常に新しい! まだまだたくさんの人がラジオを愛している!!」と歌われるのじゃ。 クイーン最後の大ヒット曲として記憶しとるが、作曲者は意外にも(?)ドラマーのロジャー・テイラーじゃった。


♪tune-3 ラジオを聞きながら/アル・スチュワート
 
 アル・スチュワート君とは、イギリスの没落貴族スチュワート家の末裔らしいが、そのDNAゆえなのか、“哀愁のヨーロッパ的“儚さと憂いを湛えたルックスと歌声が70年代中期に人気を博しておったな。 そんな彼がラジオを歌うとどうなるか? ラジオから流れてくる優しい音楽に身を任せ、地平線の彼方に視線を送りながら夢想に耽る・・・そんな感じじゃ。 
 かつて日本ではラジオでも聞きながら何かを漫然と行う若者たちのことを総じて“ながら族”と言ったもんじゃが、その“ながら族”の実態をロマンチックに歌った曲とも言えるかもしれんな。


♪tune-4 オン・ザ・ラジオ/ドナ・サマー

 70年代後半、セクシー・ディスコ・クイーンとして大活躍したアメリカン・ミュージック・シーンのブラック・ダイヤモンドのドナ・サマー。 「ホット・スタッフ」「愛の誘惑」「ワンダラー」等など、出る曲出る曲、そりゃ〜もう全部に全米がノックアウトされたもんじゃった。 まだうら若き青年(?)じゃったわしも、ラジオのDJがドナ・サマーの名前を口にするだけでドキドキしたもんじゃよ。
 この曲はそんなセクシー・ヒット・ナンバーとは一味違う、歌の上手さを聞かせるような一撃。 セクシー・ヴォイスは少ないが、その艶のある地声もまたしっとりとした官能性が溢れており、またまたノックアウトされた!


♪tune-5 ラジオ・エチオピア/パティ・スミス

 女性版「パンクのゴッドファーザー」と呼ばれるパティ・スミスじゃが、わしに言わせればロック詩人じゃ。 パンク的サウンドはパティの体内リズムを常にピークに保つ方法であり、武器はあくまでも言葉! そんな彼女は、ラジオの持つ報道のスピードとエリアの広さに着目し、本来知らなくてもいいはるか遠い地域の事件まで素早く知ることの出来てしまう社会の残酷な側面を歌っておる。 男性ロッカーがラジオへの愛着を切々と歌っておるというのに、なんともスルド過ぎる女性じゃ。 因みに同名の小説(蓮見圭一著)があるが、この曲からインスパイアされたと思われる女性が登場する。


♪tune-6 レイズド・オン・レイディオ/ジャーニー

 
80年代のノッケからガンガンにレコードを売りまくったジャーニーの最後のヒット曲。 発表されたのは1986年。 既にミュージックTVが話題となっており「Raise On Radio〜ラジオで(知名度)を上げる、とは何とも時代錯誤のタイトルじゃのお〜」と思ったもんじゃが、よ〜くみるとRaiseではなく、過去形のRaisedじゃった。 過去を振り返る曲だったんじゃよ。 この曲がヒットした後、ジャーニーの人気はラジオ同様急降下していったもんじゃ。

 

♪tune-7 僕はDJ/デヴィッド・ボウイ

 ラジオのDJに憧れる少年が、自分の部屋の中でレコードコレクションを駆使してDJごっこをするっつう楽しい〜♪オハナシっつうか、そーいう曲。 DJの存在が、少年たちにとってどれだけ大きいかを歌った、これも100パーセントの「ラジオ賛歌」じゃ。 わしもレコードコレクションがある程度揃った時、そんなことをやった!ことはねえが、「自分の好きなレコードをかけまくることのできるラジオ番組があったらなあ〜」なんて胸をふくらませたことは確かにあった!


♪tune-8 テキサス・ラジオ&ビッグ・ビート/ドアーズ
 最後にわしのお気に入りのナンバーを! ドアーズのジム・モリソンに言わせると、アメリカ・テキサスはアメリカ中でもっとも多くのラジオ電波がキャッチ出来る地域なんだそうじゃ。 国境を越えてメキシコ、中南米の電波まで入ってくるという。 その分だけ様々な音楽が聞けるというわけであり、少年時代テキサス周辺を転々と移り住んでいたジムは、瑞々しい感受性でキャッチしていた「テキサス・ラジオ」への思い出を畏怖と感謝の念をもって力強い朗読でキメておる。 〜テキサス・ラジオの話をしよう。 それはクールでスローで正確で、バックビートが魅力的。 天から聞こえてくるように素晴らしく・・・〜

 こうやってリストアップしてみると、いかにラジオという存在が偉大であったかが分かるというもんじゃな。 テレビやインターネットにはないラジオの魅力、それはズバリ!映像がないことじゃろう。 曲そのものとDJの気の利いたおしゃべりだけ。 それだけでリスナーは「どんな顔をしたミュージシャンが歌っておるのじゃろう?」「どんな気分でこの曲を歌っておるのじゃろう?」 ついでに英語の分からない日本人は、「どんなことを歌っておるのじゃろう?」ってのもあるな。 ラジオから流れる曲を全身で受け止めながらひたすら想像力をはたらかせておったもんじゃ。 この想像力の養成こそがラジオ最大の魅力じゃ。
 そしてこの想像力の強さこそ、曲とファンとを強い絆で結んでおった。 だからコンサートに行くということは、長い間通信教育を受けていた先生や、文通をしていた友達に初めて会いにいくような独特の興奮、高揚感があったのじゃ。
 さて、モノの有り難味、古き良きラジオの有り難味を思い出すことで心の充電は済んだ! あとはグレイトな新作コートを羽織って、パワフルに師走のストリートを闊歩するぞ。 わしに続け諸君! 新しき年はすぐそこまで来ておるぞ!! 最後に、ラジオ体操もかかさないようにな!




七鉄の酔眼雑記


 下町の和室に引っ越しをして、その昔懐かしい香りに思わずラジオ全盛時代を思い出してしまった今回じゃった。 ちなみにわしは、海外に定住しておる時も含めれば30回近く引っ越しをしておるかもしれん。 結構な数じゃな。 人には自分自身では気づいていない趣味、嗜好があるとはいうが、わしの場合それは引っ越しかもしれんな。
 しかしたかだか30回。 わが尊敬する大作曲家ベートーベン殿なんか、生涯で250回引っ越しをしたと伝えられておる。 ソナタの1〜2楽章を書き終えたら引っ越しするなんて日々もあったようじゃ。 仮にわしがこの原稿を書き上げる毎に引っ越ししたとしても88回。 う〜ん、まだまだベートーベン大先生の足元にも及ばん! なんてアホなことを書いてないで、ちょっと新居の説明でもしてみようか。
 新居っつってもアパート/マンション形体であり、1年前まで和風旅館だった建物を改造したというなかなかお目にかかれない珍しい物件じゃ。 敷地入口から建物入口までは石造灯篭のある和風庭園で、エントランスはまさに旅館風のだだっ広い玄関。 玄関の先には大広間(ロビー)スペースがそのまま残されておる。 部屋に入ると玄関から部屋まで短い廊下もあり、そこには玉砂利が敷き詰められておる。 天井は高くて、壁も厚く、床は当然畳じゃ。 まさに元旅館の残り香に包まれた、和式建築の“新旧折衷”ともいうべき新居じゃ。
 周囲の環境は、歩いて1分の都電荒川線の駅を中心として、昔ながらの個人商店街が広がっておる、まさにザ・下町!って感じじゃ。 ここでは、新進のチェーン店もまだ控え目に営業しとるように見える。 引っ越し当日、早速酒のディスカウント・ショップも発見し、店長らしきあんちゃんに欠品銘柄について指導をかましてきたわい!
 なにはともあれ、下町風情の中ににどっかり腰を据えて師走を迎えることになったが、炬燵、ちゃぶ台、すだれ、和風カーテンなんかをこれからそろえていくことを思うと、なんかわくわくしてくるのお〜♪ いくら世界をほっつき歩こうとも、やっぱりわしは日本人なんじゃの〜としみじみ感じ入っておる。 くれぐれも引っ越し祝いの心配はなさらぬように!(笑) 

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