ROCK FIREBALL COLUMN by NANATETSU Vol.76
うむ、2009年度ロックの日(6月9日)をいかがお過ごしかな? さておニューのピストルパンツ紹介ページで語らせてもらったが、37年前の6月9日はエルヴィスが初めてエンターテイメントのメッカであるニューヨークでコンサートをやった日じゃ。 あの巨大なマディソン・スクエア・ガーデンが狂乱のるつぼと化した伝説的な日じゃ。 エルヴィスのメジャーデビューから数えて16年目、まさに満を持してのニューヨーク・ライブのデビューだったのじゃ。 |
すべてのロッカー憧れの地ニューヨーク!巨大な夢と長く苦しい修行の日々が交錯する、魅惑のライブ・スポット集 ■ ファット・チューズデイ ■ ■ イリジウム ■ 「なんだい、このおっさんは? 七鉄のおじいさんかい?」などと言ってるようでは、諸君はまだまだ甘いぞ! あのレス・ポール殿じゃぞ! 1996年に閉鎖になった「ファット・チューズデイ」は、ジャズ界の名プレイヤーが多数出演することで有名であり、名ピアニストのビル・エバンスはここに出演中に倒れてそのまま亡くなられたそうじゃ。 ロックとはほとんど接点のないような場所じゃが、ロック・ファンとして忘れてはならんのが、エレクトリック・ギター「レスポール」の生みの親であるレス・ポール殿が、1980年の半ばから閉鎖になるまで毎週のように出演していた場所ということじゃ。 そして閉鎖に伴い、レスポール殿は「イリジウム」というクラブに移動することになり、毎週月曜日に演奏しておるそうじゃ。 レス・ポールを慕うロックの大物ミュージシャンが毎週のように飛び入りするらしく、「イリジウム」はわしのような筋金入りのロック・ファンに注目されるクラブになっておる。 ちなみレス・ポール殿の誕生日は6月9日(1916年)なのじゃ! 90歳のバースディ(2005年)には、エリック・クラプトン、ポール・マッカートニー、ジェフ・ベックらの超ビッグ・ロッカーがレスポールの元に馳せ参じて「レス・ポール&フレンズ」をレコーディングしとる。 残念ながら、わしは呼ばれんかったぞ。 ■ シェイ・スタジアム ■ ロック史上最初のニューヨークでのビッグ・コンサートは、1965年にビートルズが出演したシェイ・スタジアムのコンサートじゃろう。 6万人という当時としてはアンビリーバブル!な大観衆が押し寄せたことはロック史の代表的な伝説じゃ。 さしものエルヴィスもパーカー大佐も、この大事件にはブッタマゲタそうじゃ。 じゃがジョン・レノンは言ったそうじゃ。 「これだけ成功したんだから、エルヴィスは僕らを認めてくれないかな〜。 エルヴィスに会いたいよ〜」と。 その念願が叶い、この年の全米ツアー中に、ビートルズはエルヴィス邸の訪問を許されたのじゃった。 シェイ・スタジアムは、メジャー・リーグのニューヨーク・メッツの本拠地じゃった。 60年代中期のメッツは万年最下位の弱小球団であり、当然客入りも悪かったが、ビートルズにレンタルしたことで、いとも簡単に減価償却をした!っつう逸話も残っておる。 1969年にメジャーリーグ史に残る奇跡の大逆転優勝を遂げてからはメッツは人気球団となり、そのせいかシェイ・スタジアムは以後ロック・コンサートに使用されることはなくなってしもうた。 ビートルズ、メッツと“奇跡の現象”が起こるマジックなスタジアムじゃったが、昨年いっぱいで閉鎖されたのじゃった。 ロック・ファンにとって貴重な場所が無くなるのは寂しいもんじゃのお〜。 ■ マキシス・カンサス ■ ビートルズのシェイ・スタジアムの大成功はロック界に衝撃をもたらしたわけじゃが、あまりにもスケールが大き過ぎて、ニューヨークでの大成功を追随するロッカーは1970年代になるまで現れんかった。 で、ニューヨークのロックはどんな事情じゃったかというと、狭くて汚いライブ・スポットで独自の音楽性を追及する超個性派ロッカーたち(半分はヤク中?!)のたまり場じゃった。 その代表が、60年代後期に現地でカリスマ的人気を誇ったカルト・バンド、あのアンディー・ウォーホールのバナナ・ジャケットで有名なヴェルヴェット・アンダーグラウンドじゃ。 彼らのフランチャイズのひとつがこの「マキシス・カンサス」であり、まあ音響的にも衛生的にも褒められたクラブじゃなかったそうじゃが、彼らのお蔭でそれなりに名の知れたクラブになったそうな。 ここでのライブ盤が残されておるが、その演奏状態、録音状態は、うわさ通り! ■ フィルモア・イースト ■ ニューヨークでそれなりの数の観客を収容できて、音響的にもまあまあで、会場側も出演者側も元がとれるのは、「フィルモア・イースト」ぐらいじゃった。 ロック史に残る名プロモーター、ビル・グレアムが経営していた会場じゃ。 グレアムが考案した時代を象徴した革新的なデザインのポスターや幻想的なイリュミネーションで出演者をサポートするサービスは、当時としては画期的な試みであり、それは「フィルモア・アート」と呼ばれておった。 ビル・グレアムは“しぶちん”でも有名であり、お金大好きカネゴン・オジサンのパーカー大佐とは折り合いが悪かったので、エルヴィスのニューヨーク公演がなかなか実現しなかったという説もある。 しかしエルヴィス以外のビッグなアメリカン・ロッカーはほとんど「フィルモア・イースト」に出演しておる。 1960年代の東海岸のロックの殿堂的存在ではあったが、古い劇場を改造した建物はいかんせん箱が小さく(約3,000人収容)、エルヴィスが出演するにはちょっと場違いではあった。 結局「フィルモア・イースト」は巨大化していくロック・ビジネスの流れについて行くことができず、「マディソン・スクエア・ガーデン」のロック界進出とともに、ロックの殿堂の役割を終えることになり、西海岸の「フィルモア・ウエスト」とともに1971年に閉鎖。 ■ マディソン・スクエア・ガーデン(別称MSG) ■ お待ちかね! エルヴィスの記念すべき初ニューヨーク公演になった会場じゃ。 ニューヨークのほぼド真ん中に位置した立地、巨大な収容能力(25,000人)、抜群の音響設備、威風堂々とした外観、まさにナンバーワンのエンターテイメント会場じゃ。 元々大規模なクラシック・コンサートとスポーツ・イヴェントの開催を目的として建設され、1968年に大リニューアルを施して現在の場所に移転してきたのじゃが、なにせ会場側の敷居が異常に高くて、「ロック・コンサートなどにウチを使わせるか、ドアホッ!」と宇宙から地球を見下すような態度だったらしい。 やがて巨大なロック・ビジネスに着目したMSG側は徐々に態度を軟化させ、エルヴィス、レッド・ツェッペリン、エルトン・ジョンに使用の許可を特別に与えたそうじゃ。 ちなみにMSGを口説き落とした最初のカシコイ男は、実はパーカー大佐ではなくて、レッド・ツェッペリンの名マネージャーのピーター・グラントだったらしい。 ピーターが提示したエサは「公演の映画化」(後の映画「永遠の詩〜狂熱のライブ」)であり、その収益の一部をMSGに支払うという条件じゃ。 パーカー大佐はよほど悔しかったのじゃろう。 ピーターに対抗して、「それじゃあこっちは、エルちゃんの公演直前にスペシャル・インタビューを開き、来場者一人につき120,000ドルを支払わせよう!」とMSGに提案したらしいが、MSG側は誰も賛成しなかったらしいゾ。 ■ ボトム・ライン ■ MSGに出演できるのは、ほんの一握りのビッグ・ロッカーだけじゃ。 MSGを夢見ながら中堅どころはどこで演奏したんじゃろう。 「フィルモア・イースト」が閉鎖されてから、ニューヨークには3000人収容レベルの中規模のロック・コンサート会場があまりない代わりに、クラブ、ライブ・スポット的な、小規模ながら設備が充実した会場が多数点在しており、その中で名高いのが「ボトム・ライン」じゃ。 アーティストの卵たちが多数住んでいたグリニッジ・ヴィレッジという一画に位置しており、デビューからブレイク直前までのブルース・スプリングスティーンが毎晩のように出演していたことでも有名じゃ。 「ボトム・ライン」という名前は意訳すると「登竜門」じゃな。 ベテランさんも新人くんもみんなここでしっかりと実績を積んで知名度をアップさせていったのじゃ。 ロック界でもジャズ界でも名ライブ盤が多く残されており、出演者がここでいかに真剣にプレイしていたか、よお分かるってもんじゃ。 ■ セントラル・パーク ■ 世界中でもっとも大規模な無料屋外コンサート会場のひとつじゃろう。 ニューヨークの中心地マンハッタンの中で、南北約4キロ、東西0.8キロに渡って広がるこの公園では、毎年夏になると様々なコンサート開催され、ニューヨークの夏の風物詩にもなっておる。 ロック界では地元周辺の出身者が数多く出演しており、名高いのはサイモン&ガーファンクル、ブルース・スプリングスティーン、ボン・ジョヴィらじゃ。 特にサイモン&ガーファンクルの1981年度のコンサートは歴史的名演として後にライブ盤化されて発売され、世界に「セントラル・パーク・ライブ」の存在をしらしめたもんじゃ。 今年の年初に、都市の名称をタイトルに付けた曲の中では、「ニューヨーク」がダントツに多い!と書かせてもらったが、覚えておるかのお〜。 それだけニューヨークはすべてのロッカー、いやいやすべてのエンターテイナーの最後の夢の場所なのじゃ。 それだけに、わしはいつの日かニューヨークとロックについて腰を据えて大論文を書き、ミスターイシアタマ教授に謹呈し、エルヴィスの墓前に捧げることが夢なのじゃが、まあ今回は手始めにサラリと書いてみたが、楽しんでいただけたかのお。 まさにニューヨークのロックシーンは、大小様々、悲喜こもごも、天国と地獄、十人十色・・・。 ニューヨークで戦うロッカーにとって、MSGとエルヴィスという巨大な夢だけが唯一の道しるべなのかもしれん。 夢への道のりは長く曲がりくねっておるじゃろうが、これからはピストルパンツをキメながら歩んで行ってほしいもんじゃ! もちろん諸君の街でかますことから夢を追ってもらいたい! もちろん夢を追うのはいいが、その前に注文を忘れないようにな!! 七鉄の酔眼雑記 先日中国人の友人の強いススメにより、「上海灘」という80年代に中国全土で空前の大ヒットとなった連続テレビドラマを拝観した。 この作品は、1930年代の上海の租界(外国人文化地域)で、裏社会のボスへと成り上がっていく男の愛と友情と悲劇のストーリーじゃ。 後に「上海グランド」のタイトルで映画にもなっておる。 言っちゃ悪いが別に目新しくもなんともないストーリーじゃが、わしは思わぬところでこの作品にグイグイと引き込まれてしまい、短期間でDVD8枚に収録された全25話、時間にして合計約20時間あまりの連続ドラマを既に3回も制覇してしまった! 主人公がマフィアの世界のトップに登りつめていく過程で、終始苦悩となってつきまとう心情が、「自己犠牲」「義理人情」「武道家精神」「勤労奉仕」「家族愛」といった、日本古来の神道にも通じる「男の美しく正しい生き方」の精神そのものなのじゃ。 日本のヤクザ映画や欧米のギャング映画のメインアクターたちのキャラにも似たような描写は数多く見られることも確かじゃが、「上海灘」の場合、ストーリーの核が“成り上がり”ではなくて“精神性の葛藤”と思えるほど、その描写は鋭くて、また濃厚なのじゃ。 そしてしつこい! この作品が中国全土で、しかも老若男女が揃いも揃って熱中したっつうことは、中国人と日本人とは大いに共通点があると喜んでもええが、これは大間違いかもしれんな。 大体日本古来の文化ってのは、仏教や文字をはじめとして、中国から伝来されてきたんだし、そこに日本古来の文化がミックスされていったんじゃ。 いまさら似ている!と驚くのは愚かなもんじゃろうな。 長い時間の中で、中国と日本とはあんまり似ていないような国になった訳じゃが、重要なのはその崇高な男の“精神性”ってもんが、中国側の現代社会においてしっかり根付いていたことじゃった。 「自己犠牲」「義理人情」「武道家精神」・・・近代日本の社会ではすっかり忘れられておる精神性じゃのお〜。 やっぱり中国という国は日本の先生的な立場なんじゃな、と再認識した訳じゃ。 しかし文明の面では、中国は今でこそ物凄いスピードで進化しておるが、まだまだ日本の後塵を拝しており、人民全体に「拝金主義」が蔓延しとる状態じゃ。一方日本は「拝金主義」から徐々に脱皮しておる。(と思いたい) 文明の過剰なスピード進化による「拝金主義」の功罪に関しては、日本が中国に示して差し上げるべきではないじゃろうか。 この部分では日本が中国の先生になるべきだと、わしは思うとる次第じゃ。 GO TO HOME |