NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.368


The King meets The King ! 
1960年、プミポン前タイ国王がエルヴィスに会いに行った理由


はじめに~国王様のお写真はトップに

 The-Kingのボスよりこの七鉄コーナーへちょいとリクエストがあった。
「1960年にタイ国王はエルヴィスに会っているが、その辺の事情が知りたいので取り上げてほしい」
ボス直々の要請となれば何をさて置いてもお応えせにゃならんので、一丁かましてみるぞ!

 まずその前に。
 当ページの一番上にタイ国王ご夫妻とエルヴィスが一緒に収まっておる写真を配置したが、これは「いかなる理由があろうとも、まずトップに国王様のお写真を載せなければいけない」というタイ国内での不文律に従ったのじゃ。

 実はかつてこんな騒動に遭ったことがある。1999年にわしはタイ・バンコクで発行されていた日本語情報誌編集部に採用されたんじゃが、出社5日目ぐらいに印刷所から納品された最新号はプミポン前国王様のお誕生日を祝う催しの特集企画号じゃった。
 しかし第一面を飾る国王様のお写真の上に広告バナーが配置されてしまっていて編集部内は大騒ぎになった。「極めて不謹慎だから、国王の写真をトップに移動させてから刷り直し」を主張するタイ人スタッフと、「刷り直しは経費の無駄」「納品日が遅れると広告主との折衝が面倒」とごねる日本人編集長とが真っ向からぶつかったのじゃ。
 入社間もないわしはこの号の製作に関わっていないので蚊帳の外じゃったが、いきなりタイ独特の習慣やタイ国王の絶対的権威を思い知らされたもんじゃった。今ではこのような習慣、不文律は希薄になってはきたが、エルヴィスにお会いになられた故プミポン前国王は今でも「タイ国民にもっとも敬愛された偉大なる国王」として讃えられておるので、やはりメインのお写真をページのトップに配置させて頂いた次第じゃ。


国王様のお名前は、ラーマ9世・プミポン・アドゥンヤデート。王妃様はシリキット

 エルヴィスを訪問したタイ国王はラーマ9世。チャクリー王朝第9代のタイ王国の国王(在位:1946年6月9日~2016年10月13日)であり、通称はプミポン・アドゥンヤデート(Bhumibol Adulyadej、「大地の力・並ぶ事なき権威」の意)。一般的にはプミポン国王と呼ばれておったお方じゃ。
 1960年、軍隊を除隊して映画「G.I.ブルース」を撮影中のエルヴィスをどうしてプミポン国王夫妻が訪問することになったのか。その理由は未だに明らかにされておらん。恐らくタイ人社会の中でも、日本の小泉元首相がグレースランドに行ってはしゃいでいた様な外遊程度としか認識されておらんじゃろう。

 プミポン国王がお亡くなりになってから5年が過ぎようとしており、国王の伝記関連の書籍もちらほら出版されてきておるが、わしはまだ読んでおらんし、果たして国王の外遊状況まで詳しく調べられておるのかも分らん。
 先述した通り、プミポン国王はタイ国民に敬愛され続けた方なので、ネット上での冷やかし紛いの似非情報すら見当たらない。もしそんな情報を流出させたら、タイ国から不敬罪扱いされて手が後ろにまわりかねんからじゃ!
 そこで基本的な情報量が不足している中での厳しい調査状況ながら、わしがこの度行き当たることのできた僅かな事実を紹介していきながら、プミポン国王とエルヴィスの会見の背景を書き記してみたい。

 なおプミポン国王のエルヴィス訪問は、タイ国内においては「The King meets The King/キング(国王)がキング(エルヴィス)に会った」という単純明快な語呂合わせによって口承され続けておる。わずか10数秒じゃが、その歴史的事実を伝える映像があるので御覧頂きたい。


「G.I.ブルース」撮影後半期の訪問?

 まず1960年という時期じゃが、エルヴィスは3月5日に除隊した後、すぐに映画「G.I.ブルース」の撮影に入り、アメリカでの映画の公開は11月23日とされておる。撮影フィルムの編集やプロモーションの期間を考えると遅くとも7月ぐらいには撮影は終了していたと思われる。
 一方プミポン国王は、同年の6月14日から7月15日までアメリカに滞在したという公式記録をこの度発見した!ということは、国王が渡米して、時の大統領アイゼンハワーや政府高官との会談を後回しにして最初にエルヴィスに会いに行ったとは考えにくいので、パラマウントスタジオへ足を運んだのは7月上旬あたりか。映画の撮影終了間際だったのかもしれない。

 次に、何故プミポン国王はエルヴィスを訪問したのか?
 実は国王はスポーツ、絵画、カメラなど大変に多趣味な方であり、とりわけ音楽に対しては熱心極まりなかった。サックスをはじめとして多くの楽器の演奏を楽しまれ、作曲にまで打ち込まれていたご様子じゃ。音楽の中では特にジャズがお好きであり、実はエルヴィス訪問と前後してベニーグッドマン楽団も訪れて共演までされておる。(左上写真)
 この時の演奏は一時you tubeにアップされておったが、現在は残念ながら削除されておる。ベニーグッドマン側とタイ王室側との著作権の問題もあるのでこの後正式リリースされるかどうかは分らんが、もしまた一時的にでもyou tubeにアップされでもしたら必ず個人的にダウンロードして拝聴してみたい。


 話がエルヴィスではなくてベニーグッドマン訪問に逸れてしまったが、まあ今から60年も前に、まだ世界一般的にはクレイジーミュージックとされていたロックンロールの王者に一国の国王が夢中になっている!なんて報道をされたら迷惑心外だ!とプミポン国王が思われたかどうだかは知らんけど(笑)、あくまでも訪米期間中の余暇を利用した国王側からのエルビスへの表敬訪問、外遊の一端だったのじゃろう。

 しかし実はプミポン国王だけではなくて、同時期に海外からの賓客が頻繁にエルヴィスを訪れておる。写真を発見しただけでも、ネパール国王夫妻(左写真)、スエーデン、デンマークそしてノルウエーの妃殿下たち(下写真)と多彩じゃ。
 世界中の大人たちから「世界最狂の若者」「悪魔の音楽の申し子」とレッテルを貼られていた若きエルヴィスが、軍律を守って兵役を務め上げ、愛国心に富んだ善良な若者として社会復帰した後だけに、世界中の王族様も皇族様もエルヴィスを訪れやすい状況だったことは間違いない。裏を返せば、口に出せなかっただけで、実は皆様エルヴィスの大ファンだったのじゃろうな!
 
 なお、世界中からの賓客を受け入れておったエルヴィス側じゃが、365日24時間ミスター商売人のパーカー大佐はこの事態をいかように受け止めていたのじゃろうか(笑)
 「う~ん、まさか王室相手にキャラクターズグッズを高値で売るなんて不謹慎なことをやるわけにもいかんし、パテントを取り付けるわけにもいかんしなあ。大事なエルちゃんの貴重な時間を費やす価値があるんじゃろうか?まあ、アメリカのお堅い良識派連中への牽制にはなるじゃろうなあ」などと悩んでおったに違いない(笑)


プミポン国王訪米の深い意図や如何に?

 ところで、もっと根本的な原因じゃが、どうしてプミポン国王は1960年にアメリカに行かれたのか?まさかエルヴィスやベニーグッドマンに会いたかったからではないじゃろう(笑)調べてみると、1959年12月からの約1年間をプミポン国王は世界18ケ国の訪問に要されておるのじゃ。その意図に関して、わしがこの度見つけた資料の中から下記の文面を抜粋掲載しておくのでご参考までに。

 サリット内閣(※当時のタイ内閣)が正式に発足したのが1959年2月9日であり、同年12月から国王の外国訪問が始まっている。1960年は特に積極的に外国訪問を行っている。国王が前面に出ることで、サリットが独裁的であるという批判をかわし、さらには国王の行動へ国民の注意を向けようとしたのである。
 また、国王夫妻の外国訪問を受けて各国の王族がタイに答礼訪問するなど、タイ王室を「世界各国の王室」と結び付ける役割も果たした。
 国王夫妻の帰国後には最大規模の祝典が催され、サリットは、国王が諸外国な国王らしさを、実際に国民に見せつけるという新しい効果もあったと考えられる。
(中略)
 これによって、タイ王室が各国の王室と肩を並べる存在であり、同時に国民を代表する存在でもあるという印象を国民に与えたと考えられる。伝統行事の復活や外国訪問によって国王が対外的に存在感を増していく一方、サリットは地方への訪問を積極的に行った。サリット自身が地方を訪問して水や道路を始めとするインフラ整備の必要性を実感したと繰り返し述べていることから、「サリットが地方を訪問している」というイメージは、国民、少なくとも地方役人の間ではかなり定着していたと考えて良いだろう。
 この段階において、地方訪問という行為は国王のものではなく、首相の役割だったのである。サリットは、「国王がタイ民族の主権と栄光ある過去の体現者として存続し、その一方でサリットは現実の指導者・・・となるという形を取ることによって、国王を頂点に据えながらも、自らの権威を確保し、政治的な指導者として君臨することを可能にした。

(以上、「身近な国王」へのパフォーマンス―タイ国王プーミポンによる地方行幸の実態とその役割―櫻田 智恵より引用)

 以上の部分だけを読むと、何だかプミポン国王が時のタイ内閣に利用されているようでもあり、その為にエルヴィスまで担ぎ出されているように拡大解釈をしてしまうかもしれん。
 詳しい説明は避けるが、プミポン国王は先見の明のある聡明な頭脳の持ち主であり、上記の内閣の意図とはまた別の次元でアメリカとの友好関係を強固にするために訪問先としてアメリカを選んだと推察出来る。


アメリカンミュージック輸入を見据えたエルヴィス訪問

 1960年時点ではまだタイ国内にエルヴィスのロックやアメリカンカルチャーは殆ど流れ込んできていなかったので、「国王がエルヴィスに会った」というニュースは当時のタイではさほど騒がれなかったはずじゃ。
 しかし1965年に第二次インドシナ戦争(ベトナム戦争)が勃発すると、アメリカ軍隊がベトナム侵攻への寄港地としてタイを経由する事態となる。
 またアメリカのアイゼンハワー大統領は、共産圏大国の東南アジア侵攻を防ぐべく1954年に東南アジア条約機構なる東南アジア諸国による軍事同盟を形成し、その本部をバンコクに設置。タイとの共同軍事演習も頻繁に行っておった。
 これらの政治的事情によってタイにアメリカンカルチャーが流れ込んでくることになるのじゃが、恐らくプミポン国王はこうした時代の流れを予見していたこともあって、エルヴィスやベニーグッドマンを訪問しておいたのかもしれない。

 「エルヴィスって、国王がわざわざ訪問した大スターだよね!」
こうしたタイ国民への話題の提供は、タイ国民がエルヴィスに対して素直に憧れと親近感をもつきっかけになり、またアメリカ人がタイを訪れた際のタイ人から受けるホスピタリティーにも繋がることになるのじゃ。勿論それはアメリカにとって大変有益であり、タイ国に対する信用状になったはずじゃ。
 我々としては、お金や武器が直接的には介在しない爽やかな領域において、プミポン国王はタイとアメリカとのフレンドリーシップの基礎を築くためにエルヴィスを訪問したと解釈するべきであろう!

 もちろん、エルヴィスがプミポン国王の権威付けに一役買ったことには変わりないが、それは後にニクソン大統領がアメリカの若者から政策の賛同を得るためにエルヴィスをホワイトハウスに招いたことと同じじゃ。偉大過ぎるエンターテイナーならではのお役目を、エルヴィスは結果としてタイ国に対しても行ったということじゃ!



 プミポン国王ご夫妻、タイの将来まで見据えた訪米とエルビス訪問、大変遅ればせながら御礼申し上げます。お陰様でタイは今でも平和であり、わたくしども外国人も大勢長期逗させて頂いております。
 そしてエルヴィス殿、ロックンロールに映画に、そしていわば国のご公務に至るまで、誠にお疲れ様でございました!

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