NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.337

 このところ5回連続で「原宿ロックンロール・ドリーム」をやらせてもろうとるが、ここらで1回連載を休憩してこのコーナー本来の七鉄節をかましておこう。 やっぱり時々「バカモノ!」「ヤカマシーわい!」ってな感じのノリをやらんと調子が出てこんわい(笑)テーマはVol.3でストップしたままの「憧れのロックギタリストたちに捧ぐ」にするぞ。

 実は3回目終了時点でボスから「フィフティーズ系のギタリストを取り上げるように」とのお達しが!そりゃもうThe-Kingというブランド・サイトの性質上重々分っておるんじゃけど、わしの場合はフィフティーズってのは「神々の時代」なんでそれ系のロッカーを取り上げるとなるとどうしても及び腰になっちまう。あーでもないこーでもないって論じるのは気が引けてしょうがないんじゃけれど、ボスからの要請ってこともあってチャレンジしてみよう。
 「憧れのロックギタリストたちに捧ぐ」は毎回2人づつ紹介してきたが、最低1人はフィフティーズ・ギタリスト(もしくはフィフティーズ系ギタリスト)ってことにする。今後も「原宿ロックンロール・ドリーム」の連載は続けていくが、不定期の箸休め的コラムとして「憧れのロックギタリストたちに捧ぐ」も継続していくのでどうぞよろしゅう。


憧れのロックギタリストたちに捧ぐ~Volume 4
「キング・エルヴィスを支えた偉人と、アルバム1枚のみ巨大なセンスを炸裂させた幻の名人」
~ジェームス・バートン&ゲイリー・マイリック

■ ジェームス・バートン
  ~エルヴィス・プレスリーのロックンロール・スピリットを看取ったギタリスト ■


 本年御年81歳、まだまだご存命で活躍中のジャームス・バートン殿。The-King宛ての写真付きメッセージを下さった“本物”を知り抜いておるお方でもあるが、この人ほど、バリバリの現役当時よりもお年を召されるに従って評価と人気が上がり続けるギタリストってのも珍しいじゃろうな!ロックサイドからポップサイドからカントリーサイドから、色んな方面からわしなんか名前しか知らんような若手ギタリストたちの口からもこのお方の名前が次々と出てくるから驚いてしまう。しかも「TCBバンドのギタリスト」としてではなく、純然たるギタリストとしてのジェームス・バートンに憧れておるって声が多いのじゃ!

 わし個人的には、ジェームス・バートンとジェリー・シェフ(ベース)がTCBバンドにおらんかったら、70年代のエルヴィスは単なる“ベガスのビッグ・エンターテイナー”に留まっておったんじゃないかとさえ思うとる。まあわしはギタリストではないんで、どうしてもジェームス・バートンに対する視点の大半が「TCBバンド」の中に限定されてしまうんじゃけど、“キング・オブ・キング”・オブ・ロックンロールのエルヴィスの円熟期を支えたんだから、そんじょそこらのバンド・ギタリストとは格が違うんで「TCBバンドのギタリスト」って位置付けは決して失礼ではない!TCBバンドは1969年から1977年まで、いわゆるエルヴィス最後の黄金時代を支えたバンドであり、更にギタリスト・ジェームス・バートンは、エルヴィスに最後のロックンロール・スピリットを焚きつけ続けた存在だったのじゃ。

 わしが初めてジェームス殿に注目したのは、ご本人には大変失礼ながらTCBバンドのプレイではなくて、1973年に発表されたグラム・パーソンズというカントリーロックシンガーのソロアルバム「GP」でのテレキャスターとドブロギターの音色じゃった。聴覚に響いてくるというよりも、聴覚を通り越して脳みそを染め上げてくる(もしくは締め上げてくる!)というか、まるでカントリーという音楽が培われた地域の風や土の匂いまでを伝えてくるような圧倒的なサウンドの色彩力じゃった。それは当時日本で大流行していたブリティッシュハードロックの連中がかますエレクトリックギターノイズのダイナミズムを一掃してしまうような、本物のアメリカン・ロックンロール・ギターだったのである!
「一体誰なんだ、このギタリストは?」
ってんでクレジットをチェックしたら驚き!エルヴィスのバンドのギタリストではないか!
 そう言えばジェリー・シェフのプレイに惹かれ始めたのもTCBバンドではなくてドアーズのラストアルバム「L.A.ウーマン」じゃったし、当時のわしはエルヴィスのライブ・アルバムではエルヴィスの圧倒的な歌唱力のみにノックアウトされていたってことじゃ。

 今にして思うと、エルヴィス&TCBバンドに不運があったとすれば、それはエルヴィスの存在があまりにも大き過ぎ、またコンサートがゴージャス過ぎて、彼らの演奏がロックンロール・ミュージックとしては聞かれていなかったことじゃろう。しかしエルヴィス&TCBバンドのプレイは紛れもなく当時のロックシーンの流行の先端を突っ走る素晴らしく革新的なクオリティだったのじゃ。
 1970年代に入るとロックミュージックは大きな変革期を迎えた。それは様々な音楽ジャンルが積極的に導入されて新しいエレクトリック・ミュージック・ワールが創出されるようになった。その潮流の代表例がカントリー&ウエスタン・ミュージックやもっとディープなスワンプ・ミュージックの導入であり、スワンプに関しては既にエルヴィスは『エルヴィス・イン・メンフィス』において早々と大成功を収めておった。その次のエルヴィスのアプローチがカントリー&ウエスタンであり、TCBバンドのプレイの根幹を成すことになるのじゃ。

 カントリー&ウエスタンの導入の有名どころは、イギリスではローリング・ストーンズであり、アメリカではザ・バンドであり、彼らは音楽的新境地に到達するためにその方法論に従って次々と名曲を仕上げていくことになる。ロックンロールとはルーツを辿ればカントリー&ウエイスタンとブルースとの融合であり、当時のロックシーンはその原点に立ち返ることがブームであり、TCBバンドはライブにおいていち早くソイツを極上のレベルで完成させておったのじゃ。
 まあ言っちゃあなんじゃが、ストーンズやザ・バンドとはレベルが違う!興味と願望に駆られてカントリー&ウエスタンに突っ走った若造よりも、既に50年代からその筋の名手じゃったエルヴィス&ジェームス・バートン相手に適うわけがないのじゃ(笑)ビールのCMじゃないが「コクが違う、キレが違う、深みが違う」!

 「オンステージ」の映像をチェックすると、ジェリー・シェフのテンションがグングンあがり、ジェームスのギターがスパークしまくり、仕舞にゃあエルヴィスのヴォーカルがとんでもないレベルにまで駆け上っていく!カントリー&ウエスタンだけに脈打っておる特有の精神的なダイナミズムの成せる業であり、まさに「ミステリートレイン」のエンジンじゃ。ストーンズやザ・バンドたちが到底及びもつかぬ天空まで突き抜けていくエルヴィス&TCBバンドのプレイは、時代の最先端であり永遠の輝きを放つロックンロール・ミュージックそのものなのだ。それは1950年代にエルヴィス自らが確立したロックンロールミュージックの最高の変革&改訂バージョンでもあったのじゃ!

 わしは60年代以前の古いカントリーミュージックの実態やカントリーミュージックそのものの進化に関しては詳しくないが、ロックンロールのもっとも重要な変革期じゃった1970年前後、有望な若手ロッカーたちを先導し未来への絶対的なフォーマットを作り上げたTCBバンドとジェームス・バートンの偉大さにおいては、日本のファンに声を大にしてアピールしていきたい!


■ ゲイリー・マイリック ~果たしてブライアン・セッツァーよりスゴカッタのか!?
             色鮮やかなロックロールギターの名演を僅かに残して消えた男! ■

 この聞き慣れない名前のギタリストとの出会いを、まずは簡単に。
 あれは確か1984年、当時の彼女さんを深夜車で自宅まで送り届ける最中のこと。かけっぱなしのFEN(海外在住米軍人向けラジオ番組/現AEN)からありきたりのアメリカン・エレクトリック・ポップスがチャカポコと流れてきた。わしは全然興味が湧かなかったが、わしよりも英語が堪能な彼女さんがDJのナレーションに反応した。
「この人、あなたが好きなスティーヴィー・レイボーンと同じテキサス出身で、ローカルバンドでスティービーの後釜としてギター弾いてたって言ってるわよ」
 スティーヴィー・レイボーンは、当時白人ブルースギタリストの最有望株のニューフェイスであり、まさに飛ぶ鳥落とす勢いのスゲーヤツじゃった。
「ぬわにっ!ステーヴィーの後釜だと!」ってわしは驚いて慌ててブレーキを踏んでしまって車を激しく横転させてしまったってのはジョーダンじゃけど、その時はわしの本音はこんなもんじゃった。
「軽薄なアメリカンポップスやってるヤツがスティーヴィーの後釜だったはずがあるかバカモノ!」

 時は流れて1992年。原宿ラブミーテンダーのスタッフじゃったT君がわしのアパートに遊びに来て、「コレ、かけてみて下さい」と1枚のCDをわしに差し出した。
「クラッシュのポール・シムノンの新しいバンド、ハバナ3amってバンドなんです。俺たちの間では、ブライアン・セッツァーよりロカビリー・ギターが上手いって評判なんですよ」
 T君の手前「やかましーわい!ブライアンより上手い訳がねえ」という本音を隠しながらCDのジャケをチェックしてみると、どこかで聞いたことがある名前がクレジットされておった。「Guitar:Gary Myrick」。
 そん時は気が付かなかったが、その演奏にぶっ飛んだわしは後ほどそのCDを買いに西新宿の輸入盤屋に行って探してもらったら、やたらとマニアックな知識を持っている女性のオバサン店員がハバナ3amを褒めちぎった。
「このギタリスト、テキサス出身でスティーヴィ―・レイボーンの後釜やってたこともあったそうよ。ポール・シムノンもクラッシュの時よりいいベース弾いているし、あなたお目が高いわね~」
褒められて悪い気はしなかったが、それから数分後に店員さんの説明と先述した8年前の彼女さんの発言が重なった!
「あん時のヤツだ!あいつ(彼女さん)の言ってたこと(DJナレーションの通訳)は本当だったんじゃ!」

 ロカビリーとレゲエとラテンとマンボとをごっちゃ混ぜにしたロックンロール・ギター、それがゲイリー・マイリック!明媚なギタートーンや淀みの無い鮮やかな展開は、確かにブライアン・セッツァーのプレイよりも大衆人気を得られそうでお見事!ギターオーケストラ向きの壮大なフレーズが多い構成もブライアンと双璧を成すと言えるじゃろう。それでいて骨太なロックンロール的で、ちょっとパンキッシュでもあるベースとフィットするセンスも完璧じゃ。

 強いて難癖を付ければ、完璧過ぎるのじゃ。なんつうかな、やたらと上手いんじゃけれど、スタジオミュージシャン的な上手さなんじゃな。何をやってもロックンローラー気質が抜けないブライアン特有のクールな粗さがゲイリーには無いんじゃな。わしの様なオールド・ロックンロール・ファンにはその辺を突かれるじゃろうが(笑)、若いロックファンならばサウンドの隅々にまで行き渡る恐ろしく風通しの良い、まったく隙が無い色鮮やかなロックギターワールドにイチコロじゃろう!

 結局ゲイリーがロックシーンの表舞台でギタリストとして活躍したのは、実質的にはこの1枚のみ。全てをやり尽くしたパンクロッカーが、カリブ海のハバナでリラックスしながらレコーディングしたようなオシャレな大人のロックンロールギターだけに、「幻の名演」として取り上げたかった次第じゃ。

 なお、冒頭で記述した1984年にわしが彼女さんと車の中で聞いたナンバーは、ゲイリーがテキサスからカリフォルニアに移住してから結成したゲイリー・マイリック&フィギュアズのヒット曲「「She Talks in Stereo」か「Message is You」のどっちか。ブルースとエレクトリックポップとロックを融合させた日本では受けそうもないヘンテコなポップソング(笑)。
 ゲイリーはその後に、70年代にパワーポップシンガーとして人気を博したジョン・ウエイトと組んでノーブレイクというバンドを結成してナンバーワン・シングル「Missing You」を世に送り出しておる。こうしたキャリアから察するとかなり多芸な方の様じゃが、当時は殊更目立ったギターは弾いておらん。ハバナ3amにおいて突然変異的にギタリストとしてのセンスが大爆発したようじゃ。

 また余談ながらハバナ3amというバンド名は、“マンボ・キング”と呼ばれたキューバ出身のマンボ指揮者兼バンドリーダーのぺレス・プラードのアルバムのタイトルから引用されておる。ぺレス・プラードのマンボをご存知ない方もいらっしゃるじゃろうが、日本でもっとも有名(?)な一曲は「タブー」。この曲のアレンジ版が1972〜3年に「8時だョ!全員集合」にてザ・ドリフターズの加藤茶演ずるストリッパー・ギャグ「ちょっとだけよ」の伴奏として使用されてリバイバル・ヒットしておる。



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