NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.333

 


時代が狂っていたのか、俺たちが狂っていたのか!?
バブル狂騒時代に原宿に咲き乱れたロック・アーティスト専門ショップたち!
「Love Me Tender」「Get Back」「Gimmie Shelter」「Yardbirds/World Tour」
「Gun's Shop」「Keibuy Gallery」etc

遅刻したって残業すりゃ文句ねえだろう!
血を吐くまで酒飲んだこともないヤツなんて信用できるか!
バックルームで居眠りしてようが、酒飲もうが、売上げ良けりゃ問題ねえ!
俺たちはメンフィス・マフィア直系だ、アップルレコードの社員だ、ストーンズファミリーだ!俺たちの情熱こそが会社の理念だ!!

青春の残り火を激しく燃やし尽くした、愛すべきスタッフたちのあの異常な熱量は何だったのか。


 かつて原宿にあった5つのロックアーティスト専門店を経営するJ社に入社したのは1988年11月。 時はまさに異常なバブル景気真っ只中だった。 前回から連載をスタートさせた「原宿ロックンロールドリーム」の第2回目は、この時代を知らない方の為に「バブル景気」の実態、世相について書いてみたい。

 日本のバブル経済と欧米のロックンロールとは一般的にはあまり関係がないように思われているかもしれないし、ロックアーティスト専門店の当時の店長たちも世相や流行なんざクソくらえ!で、己の拘りの美学で店を切り盛りしていた意識が強かったかもしれない。
 しかし一般企業から転職してきた俺は、あの時代特有の狂気、熱気がロックアーティスト専門ショップをも突き動かし、俺たちの毎月の給料や時々のボーナスもまたバブル経済の恩恵によってもたらされていたことは間違いないと思うのだ。
 もはや伝説と化した「狂気のバブル経済期」とは一体どんな時代だったのか? 体験論というよりも身の上話が多く、ロックアーティスト専門ショップに関する記述は今回は少なくて恐縮だが、各ショップに隆盛をもたらした当時の経済事情、世間の流行を確認しておいて頂きたい。



原宿ロックンロール・ドリーム
/ロックアーティスト専門ショップ激闘記
第2回~円高経済、接待天国、MTV、
ジュリアナ東京とイケイケガールたちetc
これが昭和末期/バブル時代の実態だ!


■急激なドル安/円高による空前のバブル景気■

 左の表でもわかる通り、1985年(11月)の「プラザ合意」によってアメリカドルのレートが一気に下がったことが一般的には異常なバブル景気をもたらしたと言われている。 1ドル230~250円のレートが、わずか3年間の間に半額近い120円台にまで下落したのである。

【プラザ合意とは~「世界史の窓」より引用】
 1985年、ニューヨークのプラザホテルでの先進5ヵ国(アメリカ・フランス・イギリス・西ドイツ・日本)の蔵相・中央銀行総裁会議において、レーガン政権下のアメリカ経済の苦境を救済するため、ドル高を是正することに合意したこと。この合意に基づき、各国金融当局は協調介入に乗りだした結果、1ドル=240円台であったものが、1ドル=200円に一気にドル安・円高状況となり、アメリカの輸出の増大をもたらした。
 この合意は、ドル高が続いてアメリカ経済が悪化することは世界経済全体に悪影響を及ぼすという大国間の利害の一致から、ドル相場を協力して下げ、アメリカ製品の輸出を増やしてその経済を救ってやろうと言うことであった。こうして「ドル安」時代が始まり、同時にプラザ合意は、主要国が政策協調を行い、各国が為替相場に介入して調整するという経済調整の始まりとなった。


 当時の経済状況を簡単に言ってしまえば、ドル(外貨)に対して円の価値が跳ね上がったことで、輸入貿易業が急激に盛んになり、日本のあらゆる市場においてアメリカ産を初めとする輸入品が膨大に増えたのである。また円安による海外旅行ブームも起こり、一方では貨幣錯覚を伴った不動産や株式に対する投機が促され、既にGNP世界第二位の経済大国だったはずの日本は、まるで「文明開化」を迎えたような異様な消費ブームが巻き起こったのだ。
 当然輸出業や国内製造業の方は大きな打撃をこうむり、特にたくさんの町工場が倒産に追い込まれる等の悲劇を生むことになるのだが、円高に乗じた数多くの企業が東南アジア各地に現地生産工場を建設するべく進出を続けて東南アジアに未曾有の経済発展をもたらすことにもなり、バブル景気の光の部分が殊更強調される時代になっていったのである。

 我らが原宿ロック・アーティスト専門店も、円高のお陰で大量の商品を輸入できる状態になったことは言うまでもない。 ただし「何でもかんでも」な明らかに仕入れ過剰状態であり、苦言を呈する者はいてもその声は全て上層部の連中に揉み消されていたのも事実だ。


■ 洋楽はMTV時代へ。来日アーティストも激増 ■

 日本における洋楽をとりまく状況も俄然熱気を帯びていたが、これは「バブル景気」の影響というよりもまずは「MTV(ミュージックTV)」ブームによるところが大きかった。新しいシングル曲はイメージビデオをとともに発表される時代になり、ヒットチャートに順じてビデオが紹介されるTV番組「ベストヒットUSA」も人気を呼んだ。
 洋楽アーティストの動いている姿がテレビで観られる!こんな事は今では当たり前だが、当時の日本のファンにとっては革新的な出来事であり、洋楽アーティストと日本のファンとの距離が一気に縮まり、やがて空前のアマチュアバンドブームを巻き起こすことにも繋がった。(その本拠地もまた原宿だった) 日本経済も日本の洋楽状況も、ひと言で言えば「ハチの巣をつついた様な」大騒ぎになったのだ。

 異常な円高は洋楽アーティストの“呼び屋”業者にとっても好都合だただけに、80年代中盤あたりから来日アーティストの数が激増した。70年代に中学生、高校生時代を送った俺にとっての80年代の来日公演ブームが、自分のロック熱が醒めることなく継続させてくれた事は明白だった。それは音楽ライブを鑑賞するというよりも、憧れのロックアーティストの生の姿を観に行くといった感覚だった。
 少々知識不足のロックアーティストでも片っ端から来日公演に出かけた。J社入社以前にも、ミック・ジャガー、エリック・クラプトン、リンゴ・スター&オールスターバンド、ジェフ・ベック、ボブ・ディラン&トム・ペティ(&ハートブレイカーズ)、クイーン、エアロスミス、デヴィッド・リー・ロス・バンド、ホワイトスネイク、ガンズン・ローゼス、プリテンダーズ、アイアン・メイデン、ポール・ヤング等など、もう手あたり次第である。

 因みに、J社に入社した後に聞いた話だが、東京でロックコンサートが行われた後はブリティッシュロック専門店「ヤードバーズ」の売上が跳ね上がったらしい。コンサート終了後に興奮を抑えられない純粋なファンが、その余韻を楽しむために“ロックがある”「ヤードバーズ」を訪れる機会が多かったということだ。


■両国新国技館、東京ドーム、ジュリアナ東京■
 
 円高経済の上昇に歩調を合わせるように、様々な大型娯楽施設がオープンしたのもこの頃だ。 まず大相撲の旧・蔵前国技館が閉鎖となって両国に新国技館が完成した。 竣工は1984年だが間もなく到来する空前の「若貴ブーム」を予見した相撲の神様のお導きによる新施設と言えるだろう。
 プロ野球・巨人軍の本拠地である旧後楽園球場も、日本初の屋根付き球場・東京ドームとして俄然スケールアップしてリニューアル・オープンした。既にプロ野球界はKKコンビの名で知られる清原(西武)、桑田(巨人)を筆頭に、“トレンディ・エース”と呼ばれた若くてハンサムな投手たちも活躍中。1989年には老舗球団である阪急ブレーブスと南海ホークスが球団を譲渡。大相撲の「若貴」同様に、完全に世代交代、イメージチェンジを果たした新しい時代を迎えようとしていたのである

 そして「ジュリアナ東京」。ウォーターフロントと呼ばれた東京都港区芝浦にあった、ボディコン/ワンレンの若い女性たちが羽根つき扇子を持って踊り狂う巨大なディスコティック。バブル経済期の狂乱状態の象徴としてもはや伝説と化している場所だ。
 大挙してジュリアナ東京に駆け付ける女性たちを根底から突き動かしていたのは「女子大生ブーム」「OLブーム」だ。「オールナイトフジ」という深夜テレビ番組が企画して流行らせた若い女性賛歌のブームであり、学生の分際で(笑)着飾って街を闊歩する女子大生たち、会社オフィスを飾る華麗な女性たちが意味もなく世間的にもてはやされていたのだ。時代のイケイケぶりをそのまま纏っているのが彼女たちだった。「OLブーム」を更に焚きつける大人気テレビドラマ「東京ラブストーリー」のスタート(1991年)ももう間近だった。

 既にお分かりの様に、すべてのブームの主流は若い女性たちであり、女性たちが美しく活発に躍動すれば男たちも自動的に群がってくる。まるで日本という国が若い女性を中心として一気に垢ぬけて煌びやかに昇華した「女性上位時代」と錯覚するような時代になった。
 日本の洋楽ファンも以前は圧倒的に男性ファンが多かったものだが、この時代の流れによって間違いなく女性ファンも急増。俺自身も原宿のロックアーティスト専門店に出入りする身分になって初めて女性ロックファンの多さに驚いたものだ。
 これは偶然だろうが、「ラブミーテンダー」の正木店長を筆頭に、各店の店長たちはタイプこそ違え揃って男前であり、彼らの女性客への対応も優しく丁寧。彼らが各店の店長を任されていたのは彼らが仕事が出来た事が最大の理由ではあるが、女性客ウケする容姿と接客力の持ち主だったことは見事に時代の需要にフィットしていた。原宿ロックアーティスト専門店にも、「バブル景気の神様」の配剤があったのだ。



■大企業の社員であれば、ペーペーでさえ厚遇■


 バブル景気時代の悪名高き伝説といえば、大企業のどんぶり勘定による「接待費(交際費)使いまくり、使いまくられ状態」だろうか。
 東京大手町の皇居前という超一等地にオフィスビル構える一部上場企業の貿易部の社員とはいえ、入社間もない俺はペーペー(下働き)に過ぎなかったが、それでも「貿易部」は社内の花形部署であり、貿易商材も会社の巨大な利益を支える一番手だったので、接待費を使う権利こそ与えられてはいなかったが、身分不相応な厚遇を随分と受けたものだ。俺自身の体験から、当時のバブル景気の「接待費(交際費)使いまくり、使いまくられ状態」の実例をご紹介しておこう。

 まず新入社員の分際でお得意さんの接待を受けたことが忘れられない。年齢は俺よりも2回り以上も上の方から、高級料亭で「ささっ、お若いの、どうぞどうぞ」酒杯を受けて面食らってしまった。
 先輩社員から「俺のボトルが銀座のどこそこの店にあるから、社会勉強のために部署のツケで好きなだけ飲んでこい」と帰宅用のタクシー券まで渡されて一人で高級なクラブに行ったことも何度かあった。ある店では、ホステスさんから諭されたこともあった。
「ボク、まだ新入社員なんでしょ?こんなトコ一人で来ちゃだめよ。人間がおかしくなるわよ」
美人ホステスと乳繰り合いながら飲みまくっていたある店では、ママさんの強烈なひと言が今でも忘れられない。
「君のお名前で飲めるんじゃないのよ。会社のお名前で飲めるのよ。これからそのことを忘れないでね」

 貿易部は当然海外からのお客さんが多く、彼らが来日した際に吉原のソープランドへ案内したついでに、俺自身も接待費でちゃっかり遊んだこともあった。マレーシア人のあるお客さんからは俺のソープランド接待が大変に喜ばれ、彼は帰国前に俺に超高級ウイスキーをプレゼントしてくれた。先輩からは「お前は貿易よりも接待向きだな」って大笑いされたりした。

■高級食材もタダ食い■

 会社が大手食品商社だっただけに、貿易部専用の冷蔵庫の中はサンプル扱いの高級食材の山!週末には「お~い、サンプル品が冷凍焼けする前にみんなで持ち帰ろうぜ!」という先輩の掛声によって、下っ端の俺も高級なおこぼれ品に随分とありついた。
 輸入食品展示会のイベントで部署のブース管理を任された時は、最終日に展示用の大量の高級食材サンプルの持ち帰りを許可されたこともあった。地方への卸先出張訪問に先輩の付き人同然で同行すると、それこそ頬っぺたが落ちてしまいそうなほど美味な食材をたらふく食べさせてもらった。お陰で魚介類や肉類への味覚は相当発達した(と思う!)。もっとも味覚の発達とともに身体そのものがかなり肥え続け、入社2年間で10キロも太ってしまった。


■頼るべきものは、もはや自分の直感だけ!■

  大企業ならではの恩恵は他にも多かった。 独身寮や社宅は充実しているし、ボーナスは年六ヶ月分も頂けるし、無料の社内医療システムも利用出来るし、福利厚生も申し分なし!おまけに若くて独身の男性ならば余程のキモ男でもない限り、社内、社外問わずに女性からモテまくり。
 この異常事態に対して「何とも有難いものだ!早い内に身を固めて仕事頑張っちゃうしかないだろう!!」という思考回路が普通の男性社員だろう。現に俺と同期入社した仲間たちの多くは早々と結婚していき、社内で交友関係の広かった俺は一時期「祝儀貧乏」になったほどのスピード結婚の嵐!俺のアパートは結婚式で頂いた使い切れない引き出物で溢れかえった。そして大企業就職、結婚と人生の基盤を整えた彼らは、「あとは出世するのみ。するかしないかは、自分の能力次第」ってことで益々仕事に没頭していった。こうした状況は、たとえバブル経済期ではなくても大企業ならば多かれ少なかれ起こりうる事態なのかもしれないが、当時が大企業異常性絶頂時代であったことは間違いないと思う。

 この連載を読んで頂いている方を少しでも不快にさせないためにも一応断っておくが、自分が常にモテテイルという優越感よりも、女子大生ブームとOLブームを享受していた自信たっぷりの女性たちから、次々と「アタシッてどう?選ばないアンタはお馬鹿さんなのよ!」と威嚇されていた様な印象が俺は強かった。 俺は学生時代に全くモテナカッタとは言わないが、ここまで女性からアピールを受け続けたことはなかっただけに「これは何かが狂っている。今の自分は本当の自分ではない」と直感していた。

 俺は次第に追い込まれていった。 自分自身で勝手に追い込んだのかもしれないが。同期入社の仲間たち、社内恋愛中だった彼女、直属の上司等、彼らの話す個人と会社との相互発展論に自分自身の行く末を重ね合わせることがまったく出来なくなっていったのだ。それは大企業内における疎外感、孤立感となり、やがて一種病的な危機感まで抱くようになった。
「俺の様な時代や会社が折角用意してくれているレールの上を素直に走っていけない者は、やがて出世していく同期の連中にコンプレックスを抱くようになるに違いない」

 四方八方が楽しそうに大騒ぎしている「バブル経済期」において、俺の心情は八方塞りに陥った。誰に心情を告白したところで、納得できる答えを得ることは出来なかった。 親父のコネで入社出来た手前、両親に相談することもはばかられた。
「ならば頼れるものは自分の直感と嗜好のみ」
若さならではの単純な結論に達した俺の腹は決まった。
「今、もっともやりたいことをやろう」
さっさと退職して、学生時代にやり残していた「アメリカ大陸放浪の旅」を決意した。 (つづく)

■「原宿ロックンロールドリーム/第1回」■


GO TO TOP