NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.330

 昨年末の前回からスタートさせた「憧れのギタリストに捧ぐ」っつう連載、第2回目は年初だからビッグネームで行ってみるか。 
 わしの世代にとっての「ビッグ・ギタリスト」と言えば、やっぱり「世界三大ギタリスト」って日本のロックファンが勝手に言っておった、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジじゃろう。

 彼ら3人が揃って大活躍しておったのは1970年代。 今からもう半世紀も前のオハナシであり、実際には当時の彼らの何処か「三大」なのかなんて定義は特になく、恐らくどっかの音楽雑誌がその様にスペシャル・カテゴライズしたのが定着したんじゃと思う。
 彼らの共通点といえば、全員ヤードバーズ出身者であり、タイプこそ違うが男性ファン受けするビジュアルの持ち主であり、レコードセールスも良かったので、何かと同一線上で比較しやすかったんじゃろうな。
 また3人とも女性ロックファンにも一目置かれておって、彼らの活動歴やギターテクをきちんと説明できることは、彼女たちにモテル必須条件でもあった! 何故彼らが女性にも人気があったのか。 それはなにはともあれ「世界三大」という絶対的な名誉、称号を与えられておったからじゃろう(笑) いつの時代も女性は男性の地位や名誉にイチコロじゃもんな!

 彼らの登場から半世紀以上が過ぎた今、あらためて彼らの功績を考えてみると、やはり「ロックギター」の絶対的なスタイル、イメージは彼らによって創出され、ギタリストという存在をボーカリストと同等以上の立場まで引っ張り上げてみせたことに最大の賛辞を贈られるべきじゃろう。
 そして彼らの活躍によってロックバンドの数は飛躍的に増大し、と同時にロックの進化、変化のギアは俄然ターボに入ったのじゃ。 そんな偉大なる「世界三大ギタリスト」を、七鉄少年はどんな目で見て、そのサウンドをどのように感じておったのかをお話してしんぜよう。



憧れのロックギタリストたちに捧ぐ~Volume 2
世界3大ギタリストよ永遠なれ!ロック少年、青年たちが胸をときめかせた、E・クラプトン、J・ベック & J.ペイジ

■ エリック・クラプトン ■
~何をやってもキメてみせたミスターギターマン。 若くして頂点に立ったE.C.のキャリアは、ロックを放棄してから始まった! 

 横浜市というそれなりの大都市の中で中学、高校時代を過ごした当時のわしのロック仲間の中では、3大ギタリストの中でエリック・クラプトンの人気がもっとも高かった。 だから横浜よりも規模のデカイ東京でもクラプトン人気は絶大だったんじゃないか?
 わしがクラプトンを聞き始めたのは70年代中期からで、既にレイドバックしたスタイルでライトなブルースやレゲエをやっておった。 正直な所、ソイツはそんなに日本人ウケはしてなかったが、クリームやデレク&ドミノス時代の熱演の余韻は日本では絶対的だったと記憶しとる。
 クリーム時代の火を吹くような超絶早弾きギターに男も女も泣かせる美トーンなビブラート奏法、更に「いとしのレイラ」の熱情の極致を行くフレーズ、おまけにオシャレでハンサム。 まさにスター・ギタリストを地で行くような存在じゃった。

 実はだな、当時からわしはあんまりクラプトンに興味がなかったんじゃ。 理由はただひとつ、サウンドもルックスも“ロッカーらしくない”からじゃった(笑) どんなヘアスタイル、ファッションでもクラプトンは似合うし、他者のレコーディングにセッション参加してもすぐに「クラプトンの音」は聞き取れてしまって主役を食っとるのに拍手喝采されとるし(笑)、エラソーな事は(表向きは)絶対にコメントしないし、あくまでもスマートでカッコ良過ぎ!
 また時々に交流のあったミュージシャンの作品を積極的に自分のアルバムでカバーするんじゃが、その大半がわしは凡作にしか聞こえんかったのに周囲は友情の証とか祭り上げるし、なんかロックンローラー特有の「ヤバさ」も「ケバさ」も「男臭さ」も「反社会性」も全然クラプトンから感じることが出来なかったのじゃ。
 まあこんなイメージが形成されたのは、わし自身がギターが弾けなかったらクラプトンのギタリストとしてのスゴサに直感的に辿りつけなかったからかもしれんな。

 後年クラプトンの実質的なメジャーデビュー作品となったヤードバーズ時代のライブ盤「ファイブ・ライブ・ヤードバーズ」を聞いてからは、クラプトン・イメージが一変した! ライブの収録は1963年。 当時のギタリストの誰もがエレキをペケぺケ、プツンプツンと鳴らしては喜んでいた時代に、既にクラプトンはブルースフィーリングたっぷりの現代でも充分に通用する流麗なリードギターを弾きまくっておったから仰天したわい! まさに天才、ギターの神様と言われるに相応しい凄まじいプレイじゃった。
 当然ヤードバーズの他のメンバーのテクはクラプトンのプレイに相応しくなく、あってもなくてもドーデモイイ感じ(笑) そのバックとのギャップがまさにロックンロール・ダイナミズム! ミュージックシーンに生きるプロデューサー、楽器演奏者がクラプトンの演奏レベルに追いつくには更に数年を要したまさに破天荒な若きクラプトンがここにおる!

 クラプトンがデビューと同時にギタリストとして最初の頂点に達していたことを理解してからは、その後の長い活動歴の辿り方もおのずと違ってくるというものじゃ。 まあ今回は「聞きはじめイメージの良く無さ」で文字数を使ってしもうたんで、わしの現在のクラプトン観はあらためて!



■ ジェフ・ベック ■
 ~ロックギタリストの理想像! 唯一無比のロックギター・インストゥルメンタリスト


 エリック・クラプトンとは対照的に、わしにカッコイイロックギタリストのイメージを確立させたくれたお方であり、そして歌無しロック(インストゥルメント)で感動を与えてくれた唯一無比のお方じゃ。
 まずルックス。 ヤードバース時代から一貫してボサボサのウルフヘアーに犯罪者一歩手前の様なスルドイ眼光。 洗いざらしのブルージーンズ、テキトーなTシャツ、エレクトリックギターのシンプルなコーディネイトがこの上なくクールなファッション。 特別ないで立ちではないのに、何故かこの人がやってると超個性として成立してしまうのじゃ!

 ミュージシャンとしてのイメージは、バンドを作ってはぶっ壊し続けた気紛れ野郎?じゃが、ついにはボーカル無しのギターインストゥルメンタル・アルバムを完成させるという我がまま創作力故の大勝利をつかみとる! まあルックスの異様さも相まって、商業路線に背を向け、男一匹ギター1本でロックシーンを渡り続ける超硬派なロッカーというイメージにわしは惚れ込んでしまった。 正直、サウンドよりも先にジェフ・ベックの(自分が勝手に作り上げた)存在感、イメージに魅了されちまったわけじゃが、そんなのめり方もまたロックンロール・ミュージックならでは魅力ではあるまいか!

 わしの大好きなジェフ・ベック・エピソードを紹介しよう。 80年中期の某ロックフェスでの一コマ。 某若手人気ギタリストがバリバリのギターソロを披露して何万人もの聴衆が拍手喝采。 まだ会場内の異様な興奮状態が冷めやまぬ中、ジェフが登場。 チューニングを始めると一瞬のうちに会場が静まり返ったという(爆) その場にわしはおったわけではないが、非常に納得できるエピソードじゃ。それだけジェフのギターサウンドの存在感は圧倒的なのじゃよ。
 ギターサウンドそのものが声であり、ギターフレーズは唄なのじゃ! 極論を言えば、若き日のジェフのアルバムは、ギターサウンドさえ冴えわたっておれば、あとはドーデモイイっつった構成(笑)
 バンドを新しくする毎に無名のスゴ腕ミュージシャンを発掘してくることでジェフは有名じゃが、彼らとてあくまでもジェフのバッキング以上のプレイは結果として出来ていないその超絶ジコチューぶりがジェフ・ベックがジェフ・ベック足る為の重要なファクターなのじゃ。

 ギターの弾けないわしの代わりに、ロックギタリストを目指しておった旧友の忘れられないジェフ・ベック評をお伝えしておこう。
「特別運指が早いとか、ビブラートが強いってことはないけど、ジェフ・ベックってエレクトリックギターの機能を知り尽くしているよね。 ボリュームつまみとかアーム、ディストーションとかエフェクターとか、基本的な機能を実にセンスよく、タイミングよく一曲の中で使いまくって原曲をとんでもないテンションまで引き上げてしまう天才だよ!」
 彼のコメントを聞いて、どうしてジェフ・ベックのギターサウンドの存在感が圧倒的なのか、シロウトながらに分かった気がしたもんじゃ。 エリック・クラプトンにおけるブルースとか、エディ・ヴァン・ヘイレンにおける新しいギターテクとか、名ギタリストには自らの存在を支える絶対的な嗜好や趣向があるが、エレクトリックギターの機能を知り尽くし、極限まで使い尽くすことがジェフ・ベックというギタリストの最大の個性なのじゃ。

 その一方でロカビリーやジャズ/フュージョンといった既成のイメージをぶち壊すサウンド・チャレンジを続けた軌跡もしっかりと残されておる。 エレクトリックギターの機能を知り尽くした者にとっては、ロックンロール、ブルースというフォーマットだけでは物足りないってことなんじゃろうか!



■ ジミー・ペイジ ■
 ~ギター1本で重厚サウンド作りを目指した、天才的リフメーカーにして名プロデューサー


 今も昔も、日本では“上手いのか下手なのか”が取り沙汰されるレッド・ツェッペリンのジミー・ペイジ。 そんな議論は不毛じゃ! ジミー・ペイジをリードギタリストとして捉えるというミステイクが元になっとるからじゃ。 
 このお方のギタリストとしてのスゴサは、いわばリードギター以外の全ての要素、つまりリフ作りを含めた作曲能力、多彩な音楽要素が背景になったプロデュース能力、一人で三人分の演奏を担当しているようなバッキング・テクニックがまさに天下一品なのじゃ。
 まあリードギターは“弾き切れない”といった表現が適切なほどテク不足(の様に聞こえる)。 じゃが本人はそんなウィークポイントをまったく気にしていないようなテキトーさでレコーディングしているだけに、故意的に下手っぽく弾いているという噂も根強いので、この点は突っ込む必要はなかろう(笑)

 ルックス的には、長身、長髪、超細身、低いギターポジショニング等、カッコイイロックギタリストの最初のフォーマットを確立したお方じゃ。 特にギターを極限まで低い位置に構えて弾くスタイルは、手脚が異常に長いジミーペイジだからこそ似合うスタイルであり、胴長短足の日本人がやったらチョーカッコワリーから(笑)余計に誰もが真似したがったもんじゃ。
 わしなんか一生懸命ギターを練習してた時、指が短くて腕も短いし気も短いから気が付いてみたら逆ジミーペイジ・スタイル、つまり顎のすぐ下でギターを弾くバタヤン・スタイルになっとったわい(笑)
 更にダブルネックギターの存在を最初にメジャーにしたのもジミー・ペイジじゃろう。 これもまた長い手脚のジミーだからこそカッコよく映ったもんじゃ。 ライブ映画『永遠の詩』では、ダブルネックギターで名曲「天国への階段」を演奏するシーンは映画のハイライトシーンであり、わしもうっとりしてしまった記憶がある。
 レッド・ツェッペリンといえばハードロックの権化みたいな言われ方が圧倒的に多いが、実は彼らが額面通りハードロックでアルバムを埋め尽くしたのは最初の2枚だけ。 3枚目、4枚目ではブリティッシュ・トラッドの影響を強く受けておったジミーの嗜好が如実に現れており、それをまたハードロックボーカルのキングじゃったロバート・プラントが正統派シンガーとしての力量を発揮して歌い切っており、ツェッペリンというバンドの懐の深さに驚いたもんじゃ。
 また6枚目の『フィジカル・グラフィティ―』では中近東サウンドに端を発するワールドミュージック的世界観が壮大に描かれており、いずれもジミー・ペイジのロックの新時代を睨んだ斬新なプロデューサーぶりが発揮されておる。
 ツェッペリンが時代を経ていくうちにジミー・ペイジの多彩な才能が次々と開花してくわけであり、単なるギタリストとしてこのお方を論じること自体が陳腐になっていった。 だからリードギタリストとして上手いか下手かなんて議論を喜んでやっておった当時の日本人は、後進的なロックファンだったのじゃ。

 ジェフ・ベックのギターサウンドの存在感のスゴサは上述したが、ジミー・ペイジの場合はバンド・サウンドの存在力がスゴイ。 まさにサウンドが物質化しておるような存在力じゃ。 これは楽曲のベーシックなリズムやリフを、ロック史上最大のヘビードラマーじゃったジョン・ボーナムとともに作り上げるという独特のスタイルによる産物らしい。 これほどまでに多芸、多彩な才能をもったギタリストがロック史上おったじゃろうか?
 しかしながら何故ジミー・ペイジはレッド・ツェッペリン解散以降は、さしたる音楽的軌跡を残すことが出来なかったのじゃろうか? ロックの歴史が続く限り、永遠の謎として議論されていくことじゃろう。 リードギターが上手いか下手かなんてことより、こっちの方が日本のロックファンにとっても興味の対象となるべきじゃ。 故意的に自らの才能を封印したのであれば、その理由をわしの目の黒いうちに語って頂きたい!

GO TO TOP