NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.323

  このところ、七鉄コーナーを続ける上で小さな気持ちの張りが出来たので助かっておる。 8鉄センセーがカムバックされ、以降順調に筆が進んでいらっしゃるからじゃ。

 8鉄センセーにはお会いしたことはないが、わしはセンセーの原稿が大好きでな。 わしとは好きな音楽のタイプも、音楽やファッションに対する感性も、文体も全然違うが、それでいて“読ませて”くれる。 この七鉄、頑固じゃけども自分とは違う感性を持った同業者は素直に賞賛するんじゃよ。

 唐突にかまされる8鉄センセーの「昭和の思い出話」も好きじゃ。 いつか、あんな感じにロマンチックにミステリアスに自分の過去を振り返る原稿を書きたいと思っとるんじゃけど、わしには無理! でもこのところ自分の(割と近年の)思い出話を綴っておるんで、もっと時代を遡って「昭和の七鉄」を書くチャンレジをしてみたい。 8鉄センセーの様には書けんけど、どうかわしのトレーニング原稿に付き合うつもりでお気軽に読んで頂きたい! ほっほお~ジジイの茶飲み場バナシもたまにはわるかねーな!って思って頂けたら幸いじゃ(笑)


残しておきたい昭和の記憶~若くして逝った元オリンピック選手候補生「妖精Y嬢」に捧ぐ


■ 昭和の学校はスポーツエリートの特別扱いが許されていた ■

 わしが中学生時代、校内に“超中学生級”のスポーツ能力を持つ2人の生徒がおった。 一人は野球の投手S先輩であり、小学生のリトルリーグのチームでわしの直属の先輩じゃった。 後に日本ハム・ファイターズに入団したぐらいじゃから、その実力は当時からずば抜けておった。

 もう一人は女子体操のオリンピック候補生じゃった同学年のY嬢。 身体の成長が早くて既に女の色気を漂わせる容姿だっただけに、男子生徒の憧れの的でもあった。
 歳若くして一芸に秀でた者が性格がいいはずがない(笑)。 S先輩もY嬢も普段の態度は超タカビー(笑) それでもS先輩には取り巻きがおったけれど、Y嬢が他の女子生徒と戯れている姿なんて見たことがなかった。 イメージとしては一人で超然と佇んでおり、彼女がいる場所だけに光が当たっておるように見えたもんじゃ。 ツッパリ野郎もスケ番ネーチャンも、Y嬢にだけは近寄れなかったに違いない。
 わしは彼女と同じクラスになったことはなかったので真偽のほどは定かではないが、授業中の居眠りも早弁も早退も黙認され、更に父親の運転による車の登下校も許可されていたらしい。 丁度我々がその中学校に在籍していた時期に、同校出身の男子体操のK選手がオリンピック出場を決めたこともあって、学校側も「K選手に続いてくれ!」とばかりにY嬢を超特別扱いしておった。


■ 拒否られた取材! そして厚意 ■
 
 ある日の事。 わしは職員室に突然呼び出され、「中学生の分際で酒持参で通学するな!」ってこっぴどく、じゃなくて、学校新聞発行担当の先生にK選手のオリンピック出場の祝福記事を書くよう命じられた。 野球記事なら今すぐ書けるが、体操って何を書いたらええんじゃろう」って悩んでおると、先生は「体操ならYさんに聞けばいいんじゃないの?」って名アドバイスをくれた!
 そりゃもうマッハのスピードでY嬢のトコへ取材にすっ飛んだわい! 天が与えてくれた、Y嬢と交流が持てる千載一隅のチャンスじゃ(笑) 
 じゃがY嬢はあまりにも素っ気ない態度で、発した言葉は二つだけ。
「あなたが頼まれたんでしょ? 好きに書けばいいじゃない」
「男子の体操なんて、あたし知らない」
あとはしら~んぷり。
 Y嬢に完全に無視されただけに?、結局何を書いたのか未だに思い出せない(笑)

 Y嬢が校内でもっとも輝いたのは運動会。 Y嬢だけに特別に演技時間が与えられていたからじゃ。 全校生徒と多数の父兄たちが見守る中、Y嬢は床運動演技を披露して観ている者のドギモを抜いた。
 彼女の演技はまさに妖精の舞いじゃった! 中学校の運動会でのエキジビジョンだからY嬢はそれなりに手を抜いていたはずじゃが、それでも彼女が我々凡人とは違う別世界の住人であることは明白な演技じゃった。
 わしはたまたま彼女の演技終了地点近くにいたので、演技の迫力をダイレクトに受け、そりゃもう渾身の力で拍手した(笑) モノクロームの記憶の中で、今でも彼女の演技だけがカラーで蘇って来る!

 わしの拍手がデカ過ぎたためなのか、ここから意外な事が起こった。 演技を終えたY嬢は、涼しい顔をしてわしに近づいてきた。
「あなた、野球部のエースだったのね。 よろしく!」
それだけを言い残して彼女はさっさと消えてしまったが、わしはいつまでも彼女が自分の目の前にいるような夢見心地に陥ってしまった(笑) 彼女がかけてくれた言葉、それは一ヶ月ぐらい耳の中で残響しておったわい! 中学三年間、Y嬢との接点はたった2回だけじゃったんで、今では嬉しい思い出として残っておる!


■ ケーベツの眼差し ■

 駄菓子菓子!
 現実、時の流れってのは残酷じゃ。 わしは高校生になって半年で野球を止めてグータラになった。 激しい練習を止めたんで身体は太る一方であり、成長期を支える食事だけが楽しみな誠に無気力な毎日を送っておった。 運悪く、そんな時期に街中でバッタリY嬢と再会した。 Y嬢はまるで汚い物を見るような蔑んだ目でわしを見つめ、ひと言も言葉を発さずに立ち去った。

 わしに対するY嬢の態度は充分過ぎるほどショックじゃったけど、少し経ってから彼女が中学生時代の運動会でかけてくれた言葉「よろしく!」の真意が分かった気がした。
 どんなに特別扱いされても、男子生徒から憧れの眼差しを受けていても、授業を終えた後は激しい練習の毎日を送っていた彼女は、きっと孤独だったに違いない。 だから、たかだかいち中学校のエース投手とはいえ、わしのことを自分自身と同じスポーツを得意とする者として少なからず同胞者意識をもっていたのじゃろう。
 「よろしく!」とは、すなわち「お互いに高みを目指して頑張りましょう」だったんじゃと思う。 そんなY嬢の思いを、ブクブクと太ったわしの姿がブチ壊してしまったのじゃ。

 一方野球のS先輩じゃが、わしが軟式の中学高野球部に入部した直後にひどく怒られたことがあった。 
「高校に行って硬球握ったら、一発で肩が壊れるぞ!バカかオマエは!!」
 右投手のS先輩は、リトルリーグ時代からサウスポーのわしに一目置いてかわいがってくれていただけに、遊び半分で投手をやっとるわしに余計に腹が立ったようじゃ。 それ以来、S先輩はわしと口をきいてくれなくなったもんじゃ。


■ 聞かなきゃよかった・・・■

 2人のスポーツ・エリートと持つことの出来た奇跡に近い接点も、わしのイーカゲンさやグータラさによってその後の有意義な発展はなかった。 それでも、高校、大学と進学しながら、わしは彼らが華やかな舞台に登場してくることを楽しみにしておった。
 特にY嬢においては、1972年ミュンヘン・オリンピックのオルガ・コルブト(左写真)、1976年のモントリオールオリンピックのナディア・コマネチ(下写真)といった少女の体操選手が世界的な大スターになったこともあり、近い内にY嬢が「日本のコルブト、コマネチ」としてマスコミにその名が取り沙汰される日が来ることを心待ちにしておった。

 しかしその日はついにやってこなかった。
 20年ぐらい前、わしの中学生時代の女友達が突然連絡をしてきたことがあり、彼女にさり気なくY嬢の消息を聞いてみたところショッキングな答えが返ってきた。
「ああ、あの体操の上手だった子ね。 噂だと高校時代に白血病で亡くなったそうよ」
 わしは返す言葉を失った。 高校時代に亡くなったってことは、わしと偶然再会して強烈な軽蔑の眼差しを送られたすぐ後ではないか。 誰もが羨むような大きな才能のつぼみを開花させることなく逝ってしまったY嬢の不幸な人生、また自分が彼女に軽蔑されたままで、名誉回復の機会が完全に失われてしまったという自己嫌悪感に胸が潰れそうになった。 Y嬢のその後など聞かなきゃよかった・・・。

 S先輩、そしてY嬢。
 思い出される二人の共通点とは、身体の成長の早やさもあるが、中学生ながらに周囲を圧倒する存在力、弱者を一蹴するような“眼力(めじから)”じゃった。 彼らのような少年/少女こそ、スポーツ・エリート、スタープレイヤーとしての素質があるって言われる稀有な存在じゃ。


■ 好きに生きたんでしょ?それでいいじゃない ■

 10年ほど前からじゃろうか、わしは一種の自己強迫観念に捕らわれるようになった。(まあ病気と言えるほど酷くはないが) それは「自分は結局“何者”にもなれなかった」ってことじゃ。
 学生の時点でスポーツは諦めてしまったし、さりとて勉学に勤しむこともなかったし、サラリーマンにも成れなかったし、温かい家庭を築くことも出来なかったし、物書きやメディア編集者としても大した足跡も残せなかった。 ただ食い繋げてきただけ・・・。
 でもこのところ、生粋のお気楽極楽性格のお陰で、「それでも、所々で一流どころと知り合ったり、すれ違ったり出来たじゃないか! 今だってThe-Kingと関わりを持てているではないか! わしに才能の微塵もなかったら、そんなことすら起きなかったはずじゃ。 それでいいじゃないか! それがわしの人生なんじゃ!!」とポジティブに考えられるようになった(笑) これだからいかんのじゃよなあ~わしは(爆)

 さしずめ、一流どころとの最初の出会いがS先輩であり、Y嬢だったのじゃ。 本来彼らからすればわしなんかは視界の端っこにも入らない存在だったはずなのに、神様の茶目っ気で彼らと僅かな接点を持つことが出来たんじゃ。
 しかしY嬢はあまりにも薄幸な人生じゃったと言えるわい。 生意気ながら、勘違いながら、彼女との出会いは一体わしに何を与えてくれたのじゃろうかって考えざるをえない。
 「一期一会」~出会いは一生に一度であるということを心得て、互いに誠意を尽くす心構えを意味する諺じゃ。 もう二度とY嬢に会うことは出来ないが、青春時代の入口で彼女の様な別世界のエリート住人と言葉を交わすことが出来たことに感謝し、あらためてご冥福を祈るばかりである。

 もしあの世に行ってY嬢に再会したら?(爆)
 やっぱり、「グータラな人生だったんで恥ずかしいよ。 所詮俺はそんな人間だったんだ」って遜るじゃろう。
 彼女の返答は想像出来る。 学校新聞の取材を申し込んだ時と同様、素っ気なく言うに違いない。

「あたしは生き長らえることが出来なかったけど、あなたは好きに生きたんでしょ? それでいいじゃない」

 以上、今回もご静聴ありがとうございました。



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