NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.322

 諸君、毎度ハロ~、七鉄じゃ。 今でこそスマホを使いこなして、日々の生活に必要な情報のほとんどをネットから得ておる七鉄。 諸君と同様にネットから離れられない当たり前の現代人になっておるが、2006年に8年ぶりに日本に本帰国した時は、世の中の変わり様に唖然としてまったく付いて行けなかったもんじゃよ。

 このところしつこく続いておる七鉄の「昔ばなし」じゃけど、もう一丁、あの浦島太郎状態の一部を詳らかにしてみたい。 あんな思いは二度としたくないから、周囲から笑われようが何をされようが必死に時代の流れに付いて行こうとするわしの意欲の原動力こそ、2006年の浦島太郎状態なのじゃ。 恥をしのんで書かせて頂きやす!




我こそは浦島太郎なり!2006年に味わった、壮絶時代遅れ体験記


■ 最初の衝撃は若い女性のお顔じゃった!そして七鉄誕生!! ■

 2006年当時は、まだスマホは一般的ではなくてガラケー全盛時代じゃったな。 しかしガラケーよりもネット時代よりも何よりも、本帰国してみて最初に驚いたのは、若い女性のお顔がみんな同じように見えた時じゃった。
 今でもよお覚えておるが、帰国後初めてThe-Kingのボスと飲む約束をして、電車に乗った時のこと。 わしの目の前の座席がたまたま若い女性たちで埋まっていたんじゃけど、彼女たちがまったく同じお顔に見えるのじゃ。 お化粧の仕方の絶対的フォーマットがあるわけもなく、髪型もファッションも違うはずなのに、どうして同じに見えたのか。 しかも仕草も同じ。 要するにみんな示し合わせた様にガラケーを操作しておるから、余計に気味悪く感じたわい。 この状態が一週間ぐらい続いて気が変になりそうじゃった。

 ひょっとして昔の人間が現代にタイムスリップしてきたら、現代人のお顔はみんな同じに見えるんじゃないのか!? これは基本的な価値観、美意識、生活様式が誰も変わり映えがしない、しかも同じ情報に操作されておるから同じ様な顔つきになるんじゃろうか? 世の中が進歩するってことはこういうことなのか?これはとんでもない所に戻ってきてしまったと相当なショックを受けたもんじゃ。
 もっとも現代の日本に突然帰って来たわしは、彼女たちから見ると恐らく野蛮人に見えたことじゃろう(笑) 「いやいや、野蛮人じゃなくて仙人だろう!」ってヤカマシーワイ!

 日本の女性のお姿にショックを受けた日の晩は、先述の通りボスと飲んだんじゃけど、その時のボスからの依頼がこの「頑固七鉄コーナー」じゃった。 つまり七鉄というキャラは、浦島太郎状態、野蛮人状態の時にスタートしたってわけじゃ(笑) 現代日本にショックばかり受けていてもストレスが溜まる一方なんで、定番の「バカモノ!」「ヤカマシーワイ!」をかますことになった、とも言えるな!


■ 本屋もねえ、CDショップもねえ、喫茶店もねえ、タバコも吸えねえ・・・■
 
 お次のショックは、どの街中からも本屋もCDショップも喫茶店もほとんど姿を消していたことじゃった。 この3つは七鉄の毎日に欠かせない重要な存在だったので、とにかく街中にいても時間の潰しようがない。 この3つの集結地ともいえる東京・お茶の水/神保町に行ってみたものの、馴染みの喫茶店が全部無くなっており、CDショップも激減していたので大ショック!
 後ほどボスに聞いてしまったわい。「みんな最近は何処で本やCDを買うのか」って(笑) ボスは一言「ネットでしょ」と。 その「ネット」という意味、システム自体が理解出来なかったものじゃ。 当時のわしはネットショッピングの存在すら知らずamazonとか楽天とかも「何それ?」状態(笑) 通信販売かなんかが発達したのか?ぐらいにしか思えなかったわい。

 何時間も本屋やCDショップを周り続け、買った物をオキニの喫茶店でタバコと珈琲を嗜みながらゆっくりと読んだり聞いたりする。 これがわしの最大の趣味のひとつじゃったが、それが出来なくなった悲しみはそりゃもう大きかった。 大体喫煙所なるもんを探すのに一苦労!タバコが恐ろしく嫌悪の対象になっておることも知らなかったのじゃ。
 珈琲を飲めるところでタバコが吸えないってどういうことじゃバカモノ! 喫茶の「喫」は喫煙の「喫」でもあるんじゃねーのかオラア~って叫んだところで誰も相手にはしてくれん。 そんなことやったら、まさに野蛮人そのものじゃわい(泣)


■携帯用音楽プレーヤーの超小型化、いつでもどこでもネット可時代に超絶焦った!■

 ある時電車の中で若者が、手の平にスッポリ入る見たことの無い銀色の物体を指で摩り回しておった。 その銀色の物体にはイヤホンが接続されておるから、「ラジオもこんなに小さくなったんじゃのお」って思ったが、気になったのでオーディオショップで同じブツを探したところ、それが初期型のi-podであることを店員さんから教えてもらった。
 正直言うと、そん時店員さんが何を言ってんのかよく分からなかった(泣) 音楽を再生するのに、なんでソフト(CD)が要らないのじゃろう? 音楽のデータをこの中に入れる?ってなもんじゃ(笑) わしの大好きなロックンロールが、こんなマッチ箱みたいな小さな物体で再生できるわけがねーだろう!気分的にはそんなトコじゃった。

 帰国直後のわしは姉貴家族が住んでおる家に居候しておったが、毎日のショックを大学生の姪っ子ちゃんに話すと大笑いされたもんじゃ。 そして姪っ子ちゃんから、ガラケーをネットに繋いでおけば、辞書機能、交通機関の時刻表調べ、各種ショッピング、メール機能など、ネットシステムにおいては要するにPCと同じ様に使えることを教えてもらった。 携帯電話はタイでも使用しておったが、それでインターネットが使えて色んな機能がある、もうそれだけで驚異じゃったな。
 更にインターネットが職場だけではなくて、家の中、街中でも利用出来ることに驚いたわい! わしは職場外は「ネットはネットカフェで」って思っておったからな。 また姪っ子ちゃんは「就職先探しているんでしょう?それもエントリーシート(履歴書のこと?)に入力してネットで申請できるのよ!」って教えてくれた(笑) もう毎日毎日、焦りまくりじゃったよ。



■ほとんど相手にされなかった就職活動、コンビニの進化に驚嘆して中年太り■

 予想を遥かに超える進化を果たしておった日本社会に驚いてばかりもいらんない! とりあえず食いブチを探さにゃいかんって事で、慣れないネットによるエントリーシート申請作業によっていくつかの出版社などに申し込んでみた。
 8年間日本に居なかったとはいえ、タイで数年間現情報紙の編集長をこなしてきたし、ド田舎の居酒屋も成功させたので、日本での再就職を少々甘くみておった。 結果は無残にも1勝5敗。その1勝も「北京(中国)駐在なら」という条件。 タイでの実績なんて日本では全然お呼びじゃないし、逆に8年も日本に居なかったという事実が絶対的なマイナス評価になったようじゃ。 毎日毎日自分自身で浦島太郎状態を痛感しておるだけに、この結果は素直に受け入れることは出来た。
 ちなみに「北京駐在なら」の条件を付けられた仕事じゃが、最終面接日当日に高熱を出してしまい、「これは、折角帰国したのにまた日本を離れることはない、というお告げかもしれない」と割り切って面接をキャンセルしたわい。

 帰国後の驚きとしてもうひとつ、コンビニエンス・ストアの食料品のお味の向上がある。 お弁当、お惣菜、スイーツ類、何を食べても美味しい! わしは1990年代の数年間、毎日の食事のほとんどをコンビニ飯で賄っておったことがあったので、コンビニ飯にはうんざりしておったけど、お味とメニューが格段に進化しておった。
 浦島太郎状態と貯金の激減に焦りながらも、毎日コンビニに行っては「今日は何を食べてみようか」なんて真剣に考えておったから、やっぱり根がお気楽極楽野郎なんじゃよ、わしは! お陰で体重だけは激増してしまい、自らの本帰国祝いとしてタイでオーダーメイドで作った2着のスーツが着られなくなってしもうた。
 エモヤンの「ベンチがアホだから野球がでけへん」じゃないが、「スーツが着られんから就職活動も出来けへん!」ったくもう、何やってんだかってもんじゃわい。

 恥ずかしながら、帰国した当初の貯金は50万円弱(笑)タイよりも遥かに早いスピードで貯金が無くなっていったから、これまた不安と焦燥は募るばかり。 「こりゃもう飲食店の下働きでも、土方さんでも何でも、職を選ばずに金を作りながら現代日本に慣れていくしかない」と開き直ることにしたのじゃ。
 そんなある日、The-Kingのボスが、ステキなプレゼントをして下さった。 浦島太郎が毎日不安な日々を送っておることを不憫に思ったのか!?、正式な商品化にならなかった上下クリーム色のナッソースーツを下さったのじゃ。(右写真はイメージ)
 就職活動には着ることは出来ないモデルじゃけど、眩いクリーム色のオーラを放つこのナッソースーツを眺めていると、この浦島太郎も不思議と明日を生きる勇気が湧いてきたものじゃ。


■貯金284円からの再起!?小さな奇跡が到来■

 2006年晩秋、就職先がみつからないまま、ついに貯金が284円になってしもうた。 そんな時にネットで申請しておいた職場、池袋にある深夜営業のタイマッサージ屋さんがお声をかけて下さった。 日の丸キャバレーの2階にある、古ぼけたビルの怪しい店舗じゃったが、ひるんでおる場合じゃない!
 採用理由はただひとつ、「タイ語が話せるから店舗管理(タイ人従業員管理)をやってくれ」じゃった。 「なんでもいい、金を稼がないと生活できない」と、日払い可のこの仕事を引き受けることにした。

 初めての出勤日、小さな奇跡が起こった。
 その日は日常業務のノウハウを教えてくれた先輩(歳はわしよりもずっと下)の偶然にも最終出勤日に当たり、その先輩は年末から自分でタイマッサージ屋さんを開店させる予定らしかった。 わしがタイで8年間生活していた事実を話したことで話が一気に盛り上がり、新店舗用のエクセルの売上台帳、スタンプカード、名刺、看板デザイン、店内ポップのアートワーク等のたくさんの仕事をわしに一括で発注してくれたのじゃ!
 報酬は納品時という条件だったんで、そりゃもう超特急で仕上げて一週間後に現金10万円を頂いた。 たかが10万円、されど10万円(笑) この時ほどお金の有難みを感じたことも無かったわい! 納品したデータの完成度に先輩は満足して下さり、「年末に店が無事オープンしたら、うちで働いて下さい」という有難いお言葉も頂戴した。

 同時期、それまで都内のウイークリーマンションやらサウナやらを転々としておったわしは、「敷金、礼金ゼロ」のシェアハウス(当時はゲストハウスと呼ばれておった)に入居。 「敷金、礼金ゼロ」の貸し物件が日本にあるなんて知らなかったんで、部屋も確認しないままソッコーで入居したわい。
 大きな倉庫をクロスを貼ったベニヤ板で区切っただけの部屋じゃったけど、小さなTVと寝具は備え付だし、ネット回線(有線)もあるから問題無し。 って事よりも何よりも、隣の部屋に住んでおった気のいい若者が、パソコンやらネットシステムを熟知しておったから大いに助かった。 わしを浦島太郎にさせた現代ネット社会の実情を毎日教えてもらうことが出来た。 要するに、ネット社会の何たるかの基本を、彼が手ほどきしてくれたのじゃ。
 極例を挙げるとだな、you tube、ニコニコ動画、amazon、Yahoooオークションなんかの存在、音楽や映画のデータ化等は全て彼から教えてもらった! また彼は様々なアプリにも詳しかったので、使い勝手の良さそうなもんも全て教えてもらったわい。

 更にこのシェアハウスの住人みんなが、それぞれの事情によって上京してきた者ばかりであり、タイから帰国して浦島太郎状態のわしを何ら奇異の目で見ることもなく本当に仲良くして下さった。 これは何にも代え難い幸せじゃった。 皆んなわしよりも10~20歳も若いのに、このわしを仲間にして下さったんじゃよ。
 右の写真は、毎週末にシェアハウス内で催されていた共同キッチンでの宴会の一コマ。 写真に写っておる全員が、わしと一緒に酒を飲んでくれて、バカっぱなしをかましてくれて、わしゃ~心の底から嬉しかった(涙、涙) ちなみに、写真中央のサングラスをかけておるブルーのシャツ野郎が当時のわしじゃ。



 いやあ~~~~~~~~~、それにしても寸でのところで救われたわい!って自慢しとるわけではないぞ。 なんで貯金284円になるまで落ち込んだんだ。 もっと早く何とか出来なかったのかよ、ってのが正常な人間のご判断じゃ。 まあわしは正常ではないんで、こんな生き様になっちゃうんじゃろうなあ~。
 本帰国直後の苦労なんて二度と味わいたくないが、「七鉄」のキャラを授け、希望を与えてくれたナッソースーツをプレゼントして下さったThe-Kingのボス、タイマッサージ店の先輩、シェアハウスの隣の若者と当時の入居者たち、彼らへの感謝だけは一生忘れんようにしていく所存でアリマス!

 以上、今回もご静聴ありがとうございました。




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