NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.321 |
諸君、このところわしの昔ばなしばかりでスマンなあ~。 お付き合い下さっておる方々、本当に深謝じゃ! 「まあそう気にすんなよ。 オメエさんも、そろそろ人生をまとめてオサラバするべき時期がきたんだよ」って、また出たな、七鉄降板誘導作戦が!? これでもな、少しでもいい年の取り方をしたいと望んでおるから、過去をきちんと反省しておこうという心づもりも多少あるんでまあお許し下され。 どなたさんも、人生色々。 山あり谷ありじゃ。 もっともわしの場合は谷あり谷ありじゃけどな! わしはThe-Kingのボスのように、自分で事業を立ち上げ、ブランドを作り上げるような才覚はまったく無し(威張るな!)。 だからわしは今まで雇われ社員かフリーランスかのどっちかで生きてきたわけじゃが、たった一度、後にも先にも絶対にありえないようなチョー過激な転職ってのを体験しておるんで今回はその話を書いてみたい。 もし諸君の中で、「転職検討中」の方がいらしたらささやかな参考になるかもしれんけど、それよりも「人生一寸先は何が起こるか分からない!」ってことを基軸にしながら話を進めていくことにいたしやす! あらためてお付き合いの程をヨロシュー。 |
思い出はそのままに~七鉄のギョーテン転職バナシ!ブンヤが突然居酒屋のマスターに!? |
■ 酒を飲む才能はあるでしょっ? ■ 時は今から15年前の2004年。わしは約6年間従事した「バンコク日本語情報誌」の編集者の職を辞すことを決意して、本帰国の準備をしておった。 わしの編集者生活を支えて下さった数多くのクライアント様への退職のご挨拶と後任者の紹介が日課じゃった。 そんなある日のこと、第一面広告を下さっていた大手居酒屋の社長さんの元へ行くと、予想もしなかった返答をくらった。 わし:長い間ありがとうございました。一身上の都合で退職して帰国致します。 社長:辞めるの?あっそうなの。 わし:随分とお世話になったのに、申し訳ありません。 社長:謝らなくてもいいですよ。ところで、あなた新しい店をやらない? わし:えっ? 社長:店舗と従業員は私が用意するから、新しい店を出してみなさい。 わし:・・・私は新聞作り屋ですよ。 社長:酒を飲む才能はあるでしょっ?だったら出来ますよ。 こんなイミフ、ヘンテコリンなオファー、ヘッドハンティングを受けたのは初めてじゃった。 唖然とするわしに社長さんは「近いうちに新店舗の建設予定地へ案内するから一緒に行こう」とおっしゃった。 まあ毎日退職の挨拶を続けるのも正直なところ退屈なので、ほとんど物見遊山で新店舗予定地へ案内して頂くことにしたんじゃ。 ■ バンコクの遥か彼方へ拉致られた!■ バンコクの繁華街はデカイから、新店舗ってどの辺りじゃろうか?なんて呑気に構えておったが、その場所はバンコクではなかった。 バンコクから車をぶっ飛ばして約5時間、プラチンブリーというとんでもないド田舎だったのじゃ。 どのぐらいトンデモナイかというと、バンコクを抜けるとただひたすら大平原が広がり、そのど真ん中を地平線に向かって延々と突っ走る! 途中小さな集落がいくつか現れるが、その間隔も時間の経過とともにどんどん離れて行くのじゃ。 唯一の“救い”は道路がきれいに舗装されていることぐらい。「こりゃ、トンデモナイ所に連れて行かれるわい」って胸中不安が膨れ上がっていったのじゃ。 赤土の大地とそこにへばりつくように生えているぺんぺん草みたいな僅かな緑しか風景なんてものはなし! そこに忽然とモダンな工場地帯が登場するのじゃ。聞けば、トヨタやホンダ関連の車の部品工場らしい。 社長:この工場地帯には日本人が約100人働いていて、近くにショッピングエリアがあるんだよ。そこに店を出すから、100人全員取り込みなさい。 わし:100人だけですか? 社長:更に車で1時間走ると、もうひとつ工場地帯があって、日本人が50人いる。この50人も取り込みなさい。 わし:・・・ 社長:1~2年後には日本人がもっと増えるって情報もあるよ。 ショッピングエリアには既に3件日本食屋があるから、そこのお客を頂いて潰せばいいんだ。私は週1回だけ食材の補充に行くから、商売のやり方は全て任せるよ。 わし:任せるって・・・。 ほとんど会話になっておらんが、結果として社長さんは有無も言わせぬ勢いでわしに承諾させてしまった。 社長は事前に周囲のマーケティングを周到に行っていたようで、「ここは成功する」と自信満々!わしの唯一の疑問は「何故、わしに?」じゃった。 工場地帯近くのショッピングエリアじゃが、50メートル四方に飲食店、雑貨店、クリーニング屋、市場があり、さらにタイマッサージ店、日本人用カラオケ店まであり、この中で生活に必要な物のすべてが揃うんじゃけど、周囲は大平原なので完全な陸の孤島状態! バンコクという大都会からいきなりこんな所に来て不安を覚えないヤツなんているじゃろうか。 このわしもさすがにうろたえたわい。 それでもこの仕事を引き受けたのはどうしてだったんじゃろう? ■ロックボトム(どん底)■ 当地に赴任してから最初の二ヶ月間は、昼間は店舗建築現場に出向き、大工たちの手伝い(お掃除や資材運び)。夜はパソコンで「新店舗告知」のビラを何種類か作り、それをショッピングエリア内に貼りまくっておった。 生まれて初めて周囲はタイ人だけ。大工さんたちはプラチンブリーの田舎者ばかりで愛想はいいけど、わしのいい加減なタイ語が全然通用しない! 時々大工の奥さんたちが幼い子供を連れて来て紹介してくれたりしたもんじゃ。彼らにしてみれば「生まれて初めて見る外国人」がわしだったので珍しかったらしい(爆) 先述の通り、社長の指令は2点のみ。 「日本人100人全員取り込め」 「3件の既存店を潰せ」 店舗の完成が近づいてきたある日、わしは電話で思わず聞いてしまったもんじゃ。 「まったくのどシロウトなので、どうやって100人取り込めばいいのか分かりません」 この疑問、不安に対する社長の返答もまたシンプルじゃった。 「やって来るお客さん全員と仲良くなればいい。 君に会いたから来たって言わせるまで仲良くなれ」 具体的な居酒屋業務の詳細の記述は話が長くなるから止めておくが、とりあえず営業状態は書いておこう。 最初の四ヶ月間はまったくダメ。 客が来ないからタイ人従業員たちも次々と辞めていってしまったから暗澹たる気分じゃったよ。 そんなある日、久しぶりに現場に現れた社長に一喝された。 「最初は客が来ないなんてことは分っていたよ。 君はシロウトだからな。 問題はそこじゃない。 君が元気がないことだ。 マスターが元気のない店に客が来るか!」 更に無茶苦茶な要求をしてきた。 「君が失敗したら、私は“人を見る目がなかった”って笑い者にされるんだぞ。 そこも考えろ!」 ■あぁ、うらめしやあ~花火■ わしのシロウト仕事の他にも店がダメだった理由があった。 わしが居酒屋をスタートさせた同時期、別の新店がオープンしたのじゃ。 そのお店は内装には一切お金をかけない「海の家」みたいなお店じゃったが、バンコクの綺麗どころのオネーサンを大量に送りこんで浴衣姿で接客をさせていたのじゃ。 工場地帯で働いておる日本人は全員単身赴任者だから、彼らが常に女を求めておる心理を狙ったわけじゃ。 一方わしんトコはただの居酒屋。 どっちの新店に客が行きたがるか、そりゃもう火を見るよりも明らか。 この点だけは社長は「アイツらが進出してくる情報をキャッチ出来なかった」とわしに謝っておったけどな。 そのお店の名前は「花火」。 まさに花火のごとく華々しくオープンし、その陰でわしんトコはホントーに惨めじゃったなあ~。 「花火」にやられっぱなしで細々と営業を続けていたわしんトコ。 希少なお客さんと仲良くなれる時間だけは与えられていたもんじゃ。 有難かったのは「アイツ、こともあろうにプラチンブリーとかいう所で居酒屋やってるらしいけど大丈夫なのか?」って、バンコクの知人たちがお土産持参で次々と訪れてくれたことじゃ。 中には日本に一時帰国した時に買って来たという日本の珍味なんかを分け与えてくれた方もおった。 わしはその有難いお土産を全部、僅かなお客さんに差し上げたりしておった。 「もうこうなったらやりたいようにやってやる」って、最初のビール1杯は無料、料理は全て大盛! 希少なお客さんを逃がしてなるものか、って原価計算を無視して、先のことも考えずにシロウト商売をやり続けるしかなかった。 これ以上従業員たちに辞められたら店を開けられなくなる恐怖もあり、日本への雑貨の輸出をやっておる知人に現金を渡し、「若い女の子が好きそうなTシャツやバッグを出来るだけ買ってきてくれ」と頼み、彼が運んできてくれた大量の商品をウエイトレスたちにふるまったりしたもんじゃ。 また男性の板前たちには、閉店後に「好きなだけビールを飲め」って大サービスもした(笑) 優しい板前からは「マネージャー、そんなことしてシャチョーに怒られませんか?」って心配されたけど、「やり方は任せるって言われているから気にすんな!」って気分じゃったよ。 業績を大きく好転させるアイディアなんかないから、せめて僅かな利益を守り、従業員流出被害を食い止めることしか出来なかったんじゃよ。 ■ある日突然、炎のごとく!■ オープンから五ヶ月目に入った。 「最初の半年で業績が上がらなかったら“考えてみる”」って社長に言われておったから、「そろそろクビだろうな」って覚悟しておった。 シロウトなりにやってはみたが、とても「出来ることは全てやった」という開き直りすら出来なかったわい。 しかし突然事態が急転して、お客が大量に入るようになったんじゃ。 「やっと苦労が報われた!」なんて喜んでおる暇もないぐらいの忙しさになったんじゃ。 理由はすぐに分かった。 「花火」が潰れたのじゃ! 「100人の日本人のほとんどを毎晩取り込んでいた店が何故?」って思ったが、「花火」の常連さんだったという方の話では、「綺麗な女の子たちは全員日本人たちに個人的に囲われてしまって店に出なくなったんですよ。 噂では売上金をチョンボしていた従業員もいたらしく、オーナーが早くもさじを投げてしまったんだ!」「キミんトコは女を売り物にせずに地道にやってるよね。 飯屋なんだからそれでいいんだよ。 結局人はそういう所に自然と戻っていくようになっているんじゃないの」って複雑な言い方で褒めて下さった(笑) 予想もしなかったライバル店の出現と撤退に振り回されたが、結局はわしの力量ではなくて単なる幸運によって店は大繁盛! 事態が好転してから半年以内に既存の3軒の日本料理のうち2軒が潰れて、そこの従業員たちはわしんトコで受け入れてあげたので、もう従業員不足で悩むこともなくなった。 最初がひど過ぎただけに「涙が出るほど嬉しかった」って言いたいが、涙なんか流しておる暇があったら、今日頂いておる多数の予約客の料理と接客をどうさばくかを腐心せにゃならん! 売上絶好調のある日、バンコクの社長が電話をしてきてわしに詰め寄ってきた。 社長:君、そっちで一体何をやってんだ? わし:売上げに不満ですか? 社長:そうじゃない。 バンコク店の従業員たちが、みんな君んトコで働かせてくれって言っているんだ。 何をやっているんだ! わし:(多分、ウイエトレスへの物品プレゼントとか、板前たちへのビールサービスがバレたんだろう。 おっと、売上がサイコーの日のポケットマネーからのチップもバレたな!) 社長:君はバンコク店を潰す気なのか! あんまり余計なことをしないでくれ!! これは今でも、滅多に人を褒めない社長の、唯一のわしへの誉め言葉だったと信じておる! 電話を切った後、わしはプラチンブリーという僻地へ来てから初めて心の底から笑った! ■可愛くて仕方がなかった従業員たち。そして辞職■ 大入り満員が続けば従業員たちもやる気が出る! 若い板前たちは張り切りまくり、寿司職人は自ら海沿いの村まで遠出してネタを仕入れてくるようになり、他の板前たちは「これ(和食)、本のレシピをみながら作ったんですけど、お客さんに出せますか?食べてみて下さい」って新しいメニューにトライしてわしに試食を頼むようになった。 ウエイトレスたちは、接客に俄然熱が入り、美人はいなかったが(笑)お客さんの評判は上々であり、自然と嫌味なく追加注文を取れるようになった。 中には「マネージャー(わし)のお嫁さんは、ワタシが探してあげる!」って大きなお世話をしたがる娘もいた(笑) どん底状態の時は不貞腐れていた彼らが笑顔で激務をこなす姿を見る事が出来るようになったこと、それがわしの一番の幸せじゃった! 経験の無い拙い仕事ぶり、下手くそなタイ語、仕事が終わったらただの酔っぱらい(笑)、そんなわしにキミたちよくぞ付いて来てくれた! 天井知らずの売上、従業員全員の給料も上がりっぱなしが続いてから約一年後、わしはその居酒屋マスターを辞めた。 このままこのプラチンブリーで働いていたら小金持ちになれるかもしれんけど(笑)、それをやってしまうと「自分は日本人に戻れなくなってしまうのではないか?」という恐怖に憑りつかれてしまったんじゃ。 「今なら、カッコ良く、惜しまれて辞めることが出来る」というスケベ心が働いたのも言うまでもない(笑) 社長はわしの辞職を止めなかった。 辞職を申し出た時はたったひと言、「バカか、オマエは・・・」。 バカか、確かに大馬鹿野郎かもしれんって思えたわい(笑) ■皆んな、あなたに“捨てられた”って思ったんじゃないですか■ とにもかくにも、ハッピーエンドで終わった人生唯一の居酒屋マスター稼業。 しかしわしの人生における数少ないハッピーエンドには必ず“良からぬ”後日談が付き物なのじゃ。 それから3年後、懐かしさのあまりプラチンブリーを訪れたが、わしが辞めて程なくして、二代目マスターに対して従業員たちの反乱が起こり、店は一時ガタガタになった事実を知った。 再訪したわしを迎えてくれた三代目店長の奮闘によってようやく持ち直したとのこと。 半分ほど残っていた当時の従業員たちは、わしがいた頃の目の輝きは消えており、「今頃何しに来た!」って目で見られてしまったわい。 ショックを隠せないわしに向かって言った三代目店長の言葉が胸に突き刺さった。 「あの頃のメンバーは、皆んなあなたに“捨てられた”って思ったんじゃないですか」 「こんな僻地で力を合わせて働いていたら、店員みんなが家族みたいなものじゃないですか。 あなたに去られて皆んな寂しかったんじゃないですか。 だから二代目店長に反抗したんでしょう」 返す言葉は何も無かったわい。 全ては後の祭りじゃった。 美しい思い出を振り返ってみたくなるのは人間として当然じゃ。 時間が経過すればするほど、美しい思い出は夢の様に感じてくるからじゃ。 でも「夢は夢で終わらせることの出来る強さ」も人間には必要なんじゃないかと思うわい。 夢をほじくり返そうとしない、意志の強さじゃ! そんなことをしてもロクなことはないのかもしれん。 プラチンブリーでの日々から約15年、再びタイで働き始めたわしに、かわいくて仕方がなかったタイ人従業員たちのリアル過ぎる消息が改めて入ってきた。 店が絶頂期だった頃に社内(店内)結婚した夫婦は別れてしまったらしい。 旦那は腕も性格もいい板長じゃったが、わしが辞めた後にギャンブルに走ってまともに仕事をしなくなったことが離婚の遠因らしかった。 またわしがもっとも目をかけていた板前は、他店からわずか30バーツ(約100円)の時給上乗せの条件に惹かれて店を移った直後にオートバイ事故で死亡したらしい。 久しぶりに三代目店長の言葉が蘇ってきた。 「皆んな、あなたに捨てられたと思ったんじゃないですか?」 もしわしがプラチンブリーに留まっていたら、彼らは幸せになったのかもしれん・・・またひとつ十字架を背負うことになってしまった七鉄であります。 以上、今回もご静聴ありがとうございました。 |
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