ROCK FIREBALL COLUM by NANATETSU Vol.32

 イヤハヤなんとも、グレイト! 今回のTHE-KINGの新作、ご覧になったことじゃろう。 ENTERアイコンは、50年代のイギリス製バイク、その名も「ヴィンセント」じゃ。 THE-KINGのHPにおいて、まさに「ジーン・ヴィンセントのロック・スピリッツここに復活」じゃ! これはわしも気合っつうもんをガツンと注入しておおいに語らにゃならんのお〜!!
 
ロックの歴史が一般的にウンヌンカンヌン、ドーダッタアーダッタされる時、ジーン・ヴィンセント様が引き合いに出されるのは、残念ながらほんの一瞬じゃ。 「“ビーバップ・ア・ルーラ”でロカビリー時代の幕開けを飾った」―とまあこれだけなんじゃな。 それはね〜だろっ! `
 じゃがヴィンセントのホントーのスゴサってのは、ヒット曲の数とかチャートの順位とかでは証明できんから、世論に対してなかなか反撃の機会が無かったのお。 しかし、ついにその時がやって来た! 「待ってましたっ! しばらくは死ぬほどヴィンセントを語るぞー、ぅおーりゃ〜!!!」と行きたいが、まずは年寄りの冷や水なんて言われんように、第一回目は冷静になろう。 ではヴィンセントのロッカーとしての経歴を、どこの本にも書かれていないわしの持論によって紹介してしんぜよう。 是非とも諸君にご賛同いただきたい! 


 
アメリカを愛し、アメリカに捨てられ、アメリカに反抗し続けたロッカー、Gene Vincent
 その永遠に受け継がれる
「反逆のロック遺伝子」


捨て身の覚悟で決行した逆アトランティック・クロッシング

 前回のこのコーナーで、わしは50年代初期の荒くれ軍団ROCKERSの歴史を紹介したが、しっかり読んでもらえたかのお? それで、このROCKERSの歴史とヴィンセントのロッカーとしての歴史は一時期歩みを共にしている、っつう事実からハナシを始めてみよう。
 1954年に映画「乱暴者」の公開によってその全貌が広く知られることになったROCKERSじゃが、ヴィンセントはそのファッションもアクション・イメージもROCKERSそのものじゃったな。 当時のロックスターの多くも、そのスピリッツの原点にROCKERSの影響があったものの、パブリックなイメージを展開する場合ではROCKERSスタイルを拒否していた。 しかしヴィンセントだけは時折ちょいとイトイカシタオリジナリティをミックスしながらも、
そう今回のヴィンセント・シャツVol.2のような!あくまでもROCKRESスタイルをベースにしておった。

 50年代末期にROCKERSカルチャーがアメリカからイギリスに移行すると、アメリカでは既にデビュー当時の勢いを失いかけていたヴィンセントは、活動の拠点を同じくイギリスへ移すことになった。 エディー・コクランも一時期はヴィンセットと同じアクションを起こしておったが、ご存知の通り交通事故でこの世を去る。バディー先生は逝っちゃうし、エルヴィスもやがて入隊。 
 ロックの祖国アメリカでは、ロカビリーの大ブームの後は、船頭を失った船のようにロックは大低迷することになってしもうた。 自分たちが立ち上げたロックが祖国でスランプしとるこの頃、ヴィンセントはイギリスでロックの普及活動をしとったというわけじゃ。

 と、まあそんな風に書けばカッコいいし、コクランと組んだツアーあたりまではヴィンセントはスター扱いされておった。 しかしその後はアメリカで行き場を失ったスターのドサ廻りみたいなもんじゃったらしいぞ。 例えば、ヨーロッパをツアー中のヴィンセントは、61年に下積み時代のビートルズと共演したことがある。 いや共演させられてしまった!ってのが本当のところじゃろう。
 当時のビートルズは、ジョン・レノンの証言によれば「客にウケるためなら何でもやった」バンドじゃった。 「ある晩演奏中にパンツのケツんトコが裂けちゃったんだけど、それをわざと女性客に見せて“ひえ〜またやっちまったぜ!”なんてことまでやってたよ」とまあ、こんなレベルのバンドだったんじゃ。
 ヴィンセントに言わせると ビートルズの演奏そのものはかなりイカシテいたらしいが、オゲレツお笑いパフォーマンスには付き合わされていたんじゃろう。 やっぱり当時のヨーロッパ・サーキットってのは相当なハードワークだったことに違いない。
 やがてヴィンセントが常に意識していたROCKERSカルチャーはイギリスでも衰退。 “さすがのヴィンセント親分も意気消沈”となってもおかしくはないが、それでもヴィンセントはサバイバルを続けておった。 
お、男じゃのぉ〜
 ヨーロッパ人が富と名声を求めてアメリカ大陸に上陸してくることを「アトランティック・クロッシング」(大西洋横断)というが、ヴィンセントの場合はその正反対で、まさに失意、失墜からの復活を賭けた「逆アトランティック・クロッシング」だったんじゃ。



度のロック大革命に影響を及ぼしたゴッドファーザー
 
 ヴィンセントがツアーサーキットをしていたのは、実はヨーロッパだけではないぞ。 南アフリカやイスラエルなんてトンデモネートコまで出かけておるのじゃ。 ソー言えば日本にも来たことがあったのお。 南アフリカ、イスラエル、日本・・・みんな当時はロック後進国じゃった。 そんなジーン・ヴィンセントの苦労は、やがて意外な形で実を結ぶことになるんじゃ。 
 1960年代中期、ヴィンセントのイギリスの弟子ともいえるビートルズ、ストーンズ、ザ・フーら、イギリスの若手ロッカーたちが大挙してアメリカン・ヒット・チャートを荒らし始めた。 あの「ブリティッシュ・インヴェイジョン(イギリス勢の侵略)」と呼ばれて、アメリカの音楽業界を根底から揺るがした大ブームのことじゃ。
 これは、アメリカから遠く離れた土地で奮闘していた、ヴィンセントの不滅のロック・スピリッツが若手ロッカーに乗り移ったってことじゃ! これはいわば、アメリカに捨てられたヴィンセントからの、ロックを忘れかけていたアメリカへの反抗、復讐でもあったと言えるじゃろう。 この「ブリティッシュ・インヴェイジョン」は、エルヴィスのロックシーン復帰に大きく影響しているだけに、その陰の首謀者であるヴィンセントの功績というのは絶大なもんがあるということじゃ。

 さて、命懸けでキープ・オン・ロックンロールしていたヴィンセントもついに力尽きたか、1971年に死去することになるんじゃが、それでもヴィンセントのロック・スピリッツは生き続けたんじゃ。 その死から約5年後、またまたイギリスからロックの革命の嵐が吹き荒れてきた。 「ロンドン・パンク」じゃ。 それはロック史上最強最大の暴風雨となってあっという間にアメリカ大陸までやって来た。 そのロンドン・パンクスたちの多くが、自らのヒーローとしてヴィンセントの名を挙げていたのじゃ。 死してなお弟子たちの活躍でミュージックシーンに嵐を呼ぶその不滅のロック・スピリッツ、マ・コ・ト・ニ恐るべし!じゃ。

 一度ならずも、二度まで! しかも二度ともロック史に残る大革命を先導したジーン・ヴィンセント。 人はエルヴィスを「キング」と呼ぶが、ならばわしはヴィンセントを「ゴッドファーザー」と呼ぼう!
 そしてもうひとつ。 音楽の世界では、いつの時代もファンよりもまず第一に同業の者から尊敬を集める音楽家を「ミュージシャンズ・ミュージシャン」(“男の中の男”のニュアンスように、“音楽家の中の音楽家”ってなカンジじゃ)と呼ぶが、ホンモノのロックをやろうとする骨太ロッカーに愛され続けるヴィンセントは、さしずめ「ロッカーズ・ロッカー」とも言うべきであろう!

 「ゴッド・ファーザー・オブ・ロック」そして「ロッカーズ・ロッカー」。 
この二つの称号をジーン・ヴィンセントに捧げることで、その偉大なる功績を大いに讃えよう!!



七鉄の酔眼雑記  

 最近amazonのネットショッピングにハマってしまってのお〜。(笑) こりゃ〜ラクチンラクチン。 パソコンさえあれば、欲しいものを探し当てて、そいつが自宅まで届いてしまうとはタマランなあ〜。 わしはミュージックソフトや音楽書籍を買うことで使いまくっておるが、ちょっといい気になって使い過ぎの弊害ってのが出てきおった。 ちなみに「amazonカード破産」ではないぞ。  
 最近どうも足腰の調子が悪くてのお〜。 年齢は無視するとして、その原因を探っていくとだな、自分の足で音楽ソフトやら書籍やらを探しに行かんようになったことじゃなかろうかと。 ちょっとハードで広範囲のアクションを続けていると、足腰がヘナヘナと崩れていくような感じになってしまうんじゃ。 CDショップや古本屋を回るってのは、欲しい物を探すってことだけではなく、わしの場合は貴重な運動の機会だったということに気が付いたのじゃ。 それがamazonにうつつを抜かし過ぎておろそかになっとったという訳じゃ。

 考えてみれば、その昔欲しいブツを探し求めてレコードショップや古本屋をハシゴするってアクションは、目的にたどり着くこと以上に、そこまでのプロセスが楽しかったんじゃな。 目的が遠ければ遠いほどプロセスは長く、その長さの分だけ新しい価値観、美意識、知識、友人との出会いがあって自分の世界が自然と膨らんでいったもんじゃった。 別のブツへの欲求が突然起こったり、想定外のブツに足をとられたり、手持ちの金が足りなくて地団駄踏んだり、ハプニングやアクシデントってのも多かったが、それもまた新しいエネルギーに転換されとった。
 amazonってのは、目に見えない相手との巨大な予定調和の世界であり、目的までの最短距離が用意されておるようなもんじゃ。 ハプニングやアクシデントは無いが、新しい世界との出会いってカンジにはどうもならんしのお。 
 やっぱり街へ出て散策することと、ネット検索は上手に使い分けるべきじゃな。 ネットショッピング・システムの充実により、街のCD屋さん、本屋さんは大変な苦戦を強いられておるようじゃが、まだまだ頑張ってもらいたい。 欲しいブツを自分の足と勘で探し続ける、そのアクション自体の果てしない喜びを若いモンに伝えるためにも!

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