NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.318 |
ハロ~諸君、そろそろ本格的な夏じゃな! The-Kingサマーファッションのゲットにアーユーレディ? さてと、わしは事あるごとに言い続けてきたもんじゃ。 「二度と洋楽業界に戻りたいと思ったことはない」と。 1999年から続けていたタイでの情報誌づくりの仕事を切り上げ、2006年に日本に帰国した際にはちょっとだけバイト君で復帰したが、The-Kingとの関わり合い以外には一切洋楽業界とは縁を切っておる。 その理由はさておき、業界におった1988~1993年の間で、「あの仕事だけはもう一度やってみたい!」と今でも心密かに願っておる業務があった。 それは懐かしさからでもなく、報酬をたくさん貰えたからでもなく、女の子たちにモテたからでもない(笑) その業務に携わっていた約1年間は超絶的な忙しさだったが、疲労感など微塵も思い出せないほど爽やかな気分で振り返ることが出来るんで(笑)、前回の「七鉄少年をレコード・コレクターに豹変させた忘れ難きバイブル2冊」に引き続き、今回もわしのロックンロール的思い出話にお付き合い願おう。 前回は熱狂的ロックファンになる“きっかけ”バナシじゃったが、今回は熱狂的ロックファンであったわしの“終焉”バナシとでも最初に言っておこう! 「親兄弟友達よりも、三度の飯よりも、〇ックスよりも」ロックンロールを求めていた時代に終止符を打つことになったって意味じゃ。 まあ年寄りのしょーもねー昔話って言われても仕方ないが、時代がどんなに変わろうともわしはあの1年間の仕事こそ「販売促進、プロモーション活動の原点」と思うておるんで、諸君の中に営業職の方がいらっしゃったらささやかな参考になるかもしれんと願いつつ書かせて頂きやす。ビールでもお茶でもたしなみながらリラックスして読んでくれ~。 |
ロック馬鹿七鉄を社会人へと変えた!? 1993年「ロックンロール・バザール全国40都市縦断ツアー」の思い出 |
■ それは社内会議で突然発表された ■ その仕事のプロジェクトは、原宿「ラブミーテンダー」第2代店長じゃった正木大センセー(要するに現The-Kingのボス)が「オレは燃え尽きた」という言葉を残して退職した約1年後にスタートした。 「ラブミーテンダー」を初めとして、数々のロック専門ショップの商品を集結させ、日本全国を周って売りまくる大プラン、 名付けて「ロックンロール・バザール全国縦断ツアー」じゃ! 会議でこのプロジェクトが発表された際、わし以外の社員のほとんどが及び腰(あまり賛成ではない)じゃった。 「店舗を守りたい」「地方イベントをどうやったらいいのか分からない」「東京にいたい(地方にいきたくない)」等、みんな理由は様々。 本音は多分、「ロックンロール・バザール」に対して「全国ドサ周り」みたいなイメージをもっていたのじゃろ。 わしは昔っからこの性格なんで(笑)、ドサ周り大いに結構じゃ~。 旅して仕事してお金稼いで、(行く先々の現地の酒を飲んで~笑)サイコーではないか!ってことで「ロックンロール・バザール」隊長に名乗り出たのじゃ! ■ 「ロックン・ロール・バザール」 ■ 「ロックンロール・バザール」、実は元々「ロックンロール・サーカス」という名前で年に何回か大都市で開催されておった物販イベントじゃ。 この度のプロジェクトは約1年間かけて日本の各都道府県の主要都市約40ヶ所を周回し続けるという大掛かりなイベントじゃった。 まあイベントとはいっても、原宿と渋谷にあった7つのロック・アーティスト専門ショップの在庫を2トントラックに詰めこんで一週間、ないし二週間おきの週末に、現地イベント会場を借りて在庫を売り続けるってことじゃ。 2日間のイベントの最低売り上げ目標額は確か150~200万円。 ソイツを翌月曜日に本社の口座に振り込み続けることがわしの使命となったのじゃ。 業務の流れの概要は次の通り。 「A都市」で土、日曜日のイベントが終了したら、翌月曜日には在庫を積んだ2トントラックを自ら運転して「B都市」に移動。 その月曜日から「B都市」でイベントが開催される前日の金曜日までは現地でイベント開催告知活動じゃ。 現地到着後は宿にチェックインしたら、まずはレンタカーを借りて、昼間は「B都市」の全CDショップ、ヤング向けファッションショップや(若者が立ち寄りそうな)飲食店に告知ビラ設置のお願い周り。 また現地のテレビ局、ラジオ局に出向いて告知放送をお願いしたもんじゃ。 日のあるうちに時間が余れば、都市部に近い学校の駐輪場に入り込んで自転車のかごに告知チラシを入れまくったりした。 夜は「B都市」にあるすべての中学校、高校、大学、専門学校周辺の電信柱なんかに告知ポスター(捨て看板、略して捨てカン)を張り付けまくる! このパターンを月曜日から金曜日まで延々と続けるのじゃ。 現地で動き回るのは、わしプラス1名。 わしはツアーに出っぱなしじゃから、もう1人は原宿の店舗からワケーもんの誰かが代わりばんこにやってくる。 いやあ~楽しかったね!地方のテレビ局やラジオ局では地元美人のアナウンサーに逢えるし、場合によってはわし自身が出演じゃ~。 昼間のお店周りでは、「東京のロックショップの人が来た!」って結構歓迎された。 小規模の都市部や山ん中をレンタカーで走り回って地図頼りに学校を探しまくっておる時はまさに旅気分! 捨てカン貼りは深夜じゃから、都会では吸えない地方の山間部の新鮮な空気に包まれるし、毎日毎晩ウキウキしながら仕事に没頭しておった。 また地方の夜間は交通量が少ないので、どこでもレンタカーをぶっ放せてストレス解消にもなったわい! ご当地料理や酒を味わえる時間なんてほとんどなかったけれど、深夜3~4時に宿に戻ってから飲む買い置きのウイスキーの味は格別じゃった。 ■こんな幸せな仕事があるだろうか!■ さて、肝心の物販イベント当日じゃが、大体イベント開始時刻の3時間前(午前9時)に会場に入り、在庫をすべて会場に搬入して商品をセッティングする。 この作業を、わしと本社から来ているもう一人のスタッフ、プラス現地で募ったアルバイト君たちのたった3~4人でやるのじゃ。 ここで活きたのが、かつて「ロックンロール・サーカス」時代に正木大センセーから教えてもらった「会場にあるデスク、ボード、布など、使えるものは何でも使ってアイテムはより立体的にディスプレイすること」じゃ。 しかし会場に運び込んだ在庫プラス、本社から郵送されてきた新しい商品を、ロックアーティスト専門店別に7つのブースを作って3時間内にディスプレイしなきゃいかん。 まさに時間との闘いじゃ。 そして結構ヘトヘトになって迎える正午のイベント開場時間。 この時点で会場前にどれだけの人が列を成しているかで売り上げの大半が決定する。 大勢の方々が開場を待っていれば、売り上げ的に成功間違いなしなんで、ゆとりをもってお客様方を迎えられる。 逆に少なかったら、開催時間内の接客姿勢が重要になるんじゃ。 月曜日から金曜日までのイベント告知期間、土曜日と日曜日のイベント開催期間、まさに息を抜く暇もないほどじゃったけど、「自分が死ぬほど好きなロック関連商品を、東京直送の商品を心待ちにしておる地方のロックファンに届ける。 こんな幸せな仕事があるのだろうか!」と、売り上げが良かろうが悪かろうが充実感に包まれた日々を送っておった。 |
「ロックンロール・バザール」全国縦断ツアーによって、誰もあまりやりたがらない仕事をたった1年間とはいえやり切ったという充実感を得たが、それよりも地方のロックファンたちが喜んでいる姿を繰り返し見るにつけ、「俺は今、人様に喜んで頂いているのだ!」という得も言われぬ快感を何度も味わうことが出来た。 それまでのわしは物書きバカ、メディア編集バカであり、自分のやりたいことを発信する喜びだけに浸っており、お相手がどう感じておるかなんかは二の次、三の次じゃった。 そんな自分の愚かさを、地方の純粋なロックファンたちが気が付かせてくれたのじゃ。 また自分がどんなに楽しんで、喜んで仕事をしていようが、周囲の人間は必ずしも同じではない、場合によっては迷惑がられているという当たり前の事にも気が付かされたもんじゃ。 そしてわしの「ロックンロールバザール」のツアーにおける最大のミステイクは、本社からのサポートを当てにして独立採算の意識が芽生えるのに時間がかかり過ぎたことじゃ。 やれる事は全てやったと自負してはおるが、もっと早く独立採算の覚悟を持つことが出来たならば、より効果的な告知活動も思いついたはずじゃ。 ひとつのプロジェクトが終了した直後に、これだけすらすらと素直な反省点が出てきた事は初めてじゃったな。 ■これが成長するってことなのか!?■ 約一年間の「ロックンロールバザールツアー」終了の後、すぐに辞表を提出した。 何だか社会人として自分がひとつ脱皮したことを心から実感したし、それと同時にロックンロールに対する愛情の在り方が大きく変わったからじゃ。 それまでは「ロックンロールは俺の人生を変えてくれた。 コイツがあれば人生怖いものはない」と純粋ではあるがオコチャマ的情熱を爆発させながら仕事をこなしていたが、「ロックンロールバザール」での様々な体験によって、ロックンロールと自分の人生とをある程度切り離して考えることの出来るいちロックファンに収まった、まあ大人になったってことじゃ。 だから「思いっきりやってきたし、この洋楽関連の仕事はもうこれでいい、終わらせよう」って思ったのじゃ。 「この経験を必ず活かしてステップアップしてやる!」とガラにもなく真面目に誓ったもんじゃ。 まだインターネットが普及していなかったあの頃から四半世紀が過ぎ、あの経験がどこかで活かされてきたのかどうか(笑) 2006年に日本に帰国した際にはちょっとだけその会社でバイトしたが、久しぶりに会った社長に「もうバザール・ツアーはやらないんですか」と聞いたわい。 社長は苦笑しながら「今は単発のイベントだけだよ。 あんな事をやれる者は今の若者にはいないし、もう社内で伝説になってるよ」と! 伝説と言われて悪い気はしないが、伝説じゃなくて現実として遂行したわしとしては、若者の洋楽離れが激しいと言われて久しいものの、地方に眠っている若きロックファンをもう一度掘り起こして、彼らに喜んでもらえる仕事を、いつの日かやってみたい! |
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