NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.313



 残り少なくなってきた「ロック回想録」、今回は1982年のロックじゃ。
 この年はオモシロイ現象が起こった。 それはエレクトロニック・ポップが全盛時代を迎えようとしており、イギリスではオシャレで斬新なシンセ・サウンドがストリートを闊歩していた記憶が強いが、そんな80年代のロックシーンに70年代に名声を勝ち得ていたビッグ・ロッカーたちがそれぞれ渾身の気合を込めて力作を次々と発表したことじゃ。
「俺たちを墓場に連れて行くのはまだ早すぎるぜ!」
「流行に乗るだけじゃなくて、ホンモノの才能とはこういうもんだ!」
ってな大いなる反骨精神の現れじゃろう! 80年代の新しいロックを自然と意識していたわしも、さすがにベテランたちの頑張りに「やっぱりロックはこうじゃなきゃいかんのじゃ!」ってなったもんじゃ。 新進ロッカーたちの瑞々しいサウンドよりも、ベテランたちの知恵と勇気に溢れた熟練作品の方に完全に心を奪われてしまったのじゃ!
 こーいうことやっとるから、わしは時代に付いて行けなくなってしまうんじゃよな〜と分かってはいたが、まさに「分かっちゃいるけど止めらんない!」状態じゃ。

 まあこうやって時計の針をちょっと戻したり、時代に歩み寄ったり、一気に未来へ暴走したり、だからロックで楽しくてしょうがないんじゃろうな! では1982年に発表されたロックアルバムのベスト10、すべてベテランロッカーたちの作品なんでどうかご了承を!っつか、彼らの時代への挑戦のスピリットを感じ取ってくれ!

(上写真)映画『レッツ・スペンド・ナイト・トゥギャザー』でのワンシーン。 キース・リチャーズが手にしておる酒こそ、今や製造中止になった幻のバーボン「レベルイエール」じゃ。
(右写真)70年代のプログレのビッグネーム4人で結成された、超絶ポップ・プログレ・バンドのエイジア。



2019年ロック回想録C 37年前/1982年のロック
新時代到来のフィーリングを台無しにしやがった(笑)
愛しきオールドロッカーのアルバムたち!
彼らの新時代への執念が聞こえる!!



1 ロック史上最強の未発表曲集!
2 超絶ポップ・プログレ!
コーダ(最終楽章)/レッド・ツェッペリン    ■詠時感〜時へのロマン/エイジア■
 解散後約2年を経て発表された、ツェッペリンの未発表曲(未発表ライブ)集じゃ。 この手のオムニバスアルバムは本来セレクトの基準から外しておるんじゃけど、本作はスンゲエ〜クオリティなので例外じゃ!
 未発表曲集っつうと反射的に「ボツになったもんばっかだろう?」ってなるが、収録曲のほとんどにおいて、ツェッペリンに限りなきダイナミズムを求めるファンにとっては初期の名盤「I」「II」に引けを取らないクオリティじゃ! オリジナル・ラスト作『インスルージアウトドア』の評判があまりにも芳しくなったことが本作の評価を殊更上げておるのも確かじゃが、ったくなんでこんなスゴイテイクがボツ扱いにされておったのか理解に苦しむような名曲、名演なのじゃ!

 亡きジョン・ボーナムの追悼作としての色合いが強い作品でもあり、全曲ジョンのドラム・サウンドのボリュームがデカくてサイコー! ロック界全体が煌びやかになって、楽曲もオシャレでソフィスティケイトされたモンが多くなってきていただけに、そんな少々軟弱なニューロック・ブームを木端微塵にしてしまう様なド迫力じゃわい。 これぞ、ジョン・ボーナム、これぞレッド・ツェッペリンじゃ。

 結局『インスルージ〜』はジミー・ペイジが多才多芸なジョン・ポール・ジョーンズに気を使い過ぎた民主主義的姿勢が作品を中途半端にしたんじゃろうが、本作の制作指揮はジミー・ペイジ・オンリー、サウンドの基本はブルース、レコーディングのメインはジョン・ボーナム! 本作の発表によって、ツェッペリンが終わったという事実、ジョン・ボーナムには代替え人不可という事実にようやく前向きになれたフリークも多かったに違いない。


    「売れりゃいいんだろー、これでどーだ!」
 元キング・クリムゾン、元イエス、元EL&P、元バグルスのブリティッシュ・プログレのインテリたちが、「時代遅れ」「自己満足」と散々揶揄された過去に決別すべく、全知全能を傾けて徹頭徹尾売れるロックを追求して完成させたアルバムじゃ!
 そりゃもう往年のプログレファンはせせら笑ったに違いないが、ビルボード年間アルバムチャートで1位になっちゃったんだから、どんな頑固ロック野郎もぐうの音も出なかった。 ジャケを担当したロジャー・ディーン(プログレ・アルバムのカヴァーを数多く手がけた名匠)のデザインも躍動しておる!
 当時はToto、ジャーニー、スティクスに代表されるアメリカン・ポップ・プログレ全盛時代じゃったが、彼らの名声すら凌駕してしまうほどの品の良いポップ感覚と高度なテクニック、そしてロック的でありながらもオシャレなアレンジで世界中を夢中にさせてしまった当年最大の衝撃的な作品じゃ。

 リーダーのジョン・ウェットンは言っておった。「ロックでアバをやりたかったんだ!」。 まあここまで開き直れるプログレロッカーもスゴイが、とてつもない結果を出してしまったことはもっとスゴイ。 「やっぱり音楽を知り尽くしておるプログレの連中ってスゲエな」って変な感心の仕方をしたもんじゃよ。
 でも今更ながらに「何でエイジア(アジア)ってバンド名にしたんじゃろう」って思うわい。 東南アジアに来て初めて知ったことじゃが、この地域ってのはポップじゃない音楽はほとんど売れない。 音楽をやる者の実験性とか個人的な拘りなんて誰も期待していない。 だからこそ超ハイレベルで研究されたポップ性が求められる。 その辺を見習ったのかなあ〜(笑)



3 大天才が孤独に耐える美しさ!
  4 デンジャラスなストーンズの
ラスト・スタンディング
■タッグ・オブ・ウォー/ポール・マッカートニー■    ■スティル・ライフ/ローリング・ストーンズ■
 ビートルズ以来、久しぶりに美しいマッカートニー節を聞かせて頂いた!
 わしは70年代のポール&ウィングスって『バンド・オン・ザ・ラン』以外はほとんど興味がなかったので、ホント10年ぶりぐらいに夢中になって聞いたポールのアルバムじゃった。
 まずズレのない明確なリフがあり、綺麗なメロディーがリフに自然とフィットし、ポールのボーカルと各楽器が適格な色付けをしていく。 まさにビートルズ時代の名曲の黄金律が蘇ったマッカートニー・ミュージックならではの立体的な美しさに溢れた楽曲が目白押しじゃ。 プロデューサーは、やっぱりジョージ・マーティン! 不滅のコラボレーションじゃ。

 どうしても触れなければならなかったテーマ「ジョン・レノン追悼」も、さり気ない様で美し過ぎる(「ヒア・トゥディ」)。 「ヒア・トゥディ」とは「(彼が)今日ここにいてくれたなら」って意味じゃけど、“いてくれたなら”ではなくて“やっぱりいないんだ”というどうしようもない喪失感を見事に対象化しながら自然と生まれて来たアイディアを控え目に完成させた名曲ばかり。 ポール・マッカートニーの底知れぬ才能を思い知らされたもんじゃ。
 そう言えば、妻リンダと二人だけで作った『ラム』も美しかった。 だからスティービー・ワンダーとの共作「エボニー&アイボリー」の見え透いたテキトーなポップ感覚だけが邪魔じゃ!
 これを機に、エルヴィス・コステロやマイケル・ジャクソンとツマンナイコラボを始めるポールじゃが、この希代の大天才に唯一欠落しておる意識とは「孤独に耐える」ことじゃ。 ポールがやるビートルズ・カバーが何故美しいのか? それは楽曲の素晴らしさは元より、何よりも他の3人がいない孤独に耐えておるからじゃ!誰かそれを強調してくれ〜。

     ライブ映画「レッツ・スペンド・ナイト・トゥギャザー」とともに、80年代もストーンズ健在なり!を知らしめた81年の北米ツアーのライブ盤。 昨年、一昨年発表のスタジオ盤『エモーショナル・レスキュー』『刺青の男』は一応は売れたが、ストーンズ本来のノリが無く、ミック・ジャガーの優れたアレンジャーの才覚によって辛うじて80年代に乗っかった感の強いストーンズじゃったが、やはり彼らの真骨頂はライブ! 時代性も何も関係なく、彼らに染み付いた屈強のロックンロール・スピリットとミック&キースの火花散るコンビネーションこそが、ストーンズの命であることが本作と映画によって証明されたのじゃ。

 要は重度のヤク中じゃったキースの心身の復活が大きかったわけじゃが、本作で聞ける演奏はキース本来のダイナミックなテキトーさ(笑)これが聞けないとストーンズではないのじゃ! 
 キースの復活によってミックも活き活きとしており、そうなればあとは彼らに好きにやらせておけばいいんじゃ。 70年代の絶好調時(『女たち』あたり)のライブよりももっと荒々しくて、なおかつ華やか! スタジオ盤では一応時代に歩み寄った姿勢は見せても、そのフラストレーションをライブにぶつけることで存在力を巨大化させていくストーンズがここにおる!
 そうは言っても、ストーンズの80年代は実質ここまで。映画とライブでがっぽり儲けて、あとはよくわかんないスタジオ盤を1枚(『アンダーカバー』)、キース主導のギターアルバムを1枚(『ダーティーワーク』)出しただけで、ライブツアーは無しで、ミックはソロ活動に執心することになる。 「ミックよ、何をやったっていいけど、ストーンズを解散させるような事だけはするなよ!ってのが当時のわしの本音じゃった!


5 ブリティッシュロックの様式美
6 さあ新しい出発だ。
思い出を燃やしてしまおう!
時の過ぎゆくままに/ジョン・ロード■    アイ・キャント・スタンド・スティル
             /ドン・ヘンリー■
 ディープ・パープルのキーボード・プレイヤーのソロ作品じゃ。 クラシックとロックの異種トーン間をソツなく行き交うセンスは常々賛否両論じゃったけど、そんなジョンの持ち味がパープルの作品よりも良い着地点で収まっておるのが本作の特徴じゃろう。
 軽快なロックンロール、バリバリのハードロック、時代遅れのプログレ・ハード、ブルージーロック等、彼のキャリアをなぞる様なバラエティな楽曲が並んでおる。
 しかしながらジョン自身の名演ってもんがない。 その代わりに、セッション参加したコージー・パウエル(Ds)、サイモン・フィリップス(Ds)、バーニー・マースデン(G)、ミック・ラルフス(G)らビッグ・ミュージシャンの素晴らしいプレイを誘発しておる。 まさにディープ・パープルでリッチー・ブラックモア(G)やイアン・ペイス(Ds)の名演を演出していたジョンの仕事そのものが幅広く再現されており、やっぱりこの人は華麗なる裏方が似合うのじゃろう。
 歌入りのナンバーでは割とクセの無い地味なシンガーを起用しているだけに、パープルよりも楽曲自体の良さを際立たせる効果も発揮しておる。

 本作にはブリティッシュ・ロック特有の様式美の素晴らしさと儚さの原型が詰まっておる。 フォーマットであるブルースやクラシックの本質に辿り着けないフラストレーションをテクニックとセンスで解消しようとする逞しさ、フラストレーションを独自のブルース・フィーリングに転化しようとするセンチメンタリズムそのものが、聞こえざる、見えざるアレンジとして楽曲の根幹を形成しているのじゃ。
 原題は「Before I Forget」。“忘れてしまう前に”ってことじゃが、ロック全体が煌びやかなショー化へと加速していく80年代において、ブリティッシュロックの原型たるものを今一度提示させるべく製作されたアルバムと言えよう!

     イーグルスの名曲「ホテル・カリフォルニア」「呪われた夜」等の“名唱”で知られるドン・ヘンリーのファースト・ソロ。
 後のセカンド、サードでは時代を意識したド派手な作り込みサウンドが導入されておったが、本作は流行にはギリ無頓着であり、とりあえず国民的バンド・イーグルス解散後の虚無感の中で出来そうなことだけをやったスタイルが実にいい。 そういう意味ではイーグルスのファイナル『ロングラン』と共通した魅力がある。

 殊更エモーショナルでもウエストコースト風でもなく、彼のルーツミュージック(苦も無く歌い出せる)がシンプルに披露された風情があり、下手をしたらまったく話題性が無くなってしまうような危うさもあるが、そこは希代の名ボーカリストとしての歌唱力、更には元イーグルスのメンバーをはじめとした豪華なセッションメンバーの的確なサポートによって程よい商業アルバムになっておる。 わしなんかは、イーグルス・サウンドのレントゲン写真の最重要部を見ておる様で楽しく、しっとりと聞かせて頂いた。
 後述のロバート・プラントのファースト・ソロと同様、「明確な方向性はないものの、まずは立ち上がって一人で始めてみる!」っつう意識の元に製作されており、かつてのバンドの名作と同じ尺度で計っても何ら意味はないじゃろう。
 一人ぼっちになった男が思い出深い家屋を去る際に、残ったマッチに火を付けながら過去と決別しようとする場面が描写されたジャケ写はやたらとキザじゃが(笑)、ドン・ヘンリーにはこうしたクサイお芝居がよく似合っておる! 未練がましいセンチメンタルな気分になった時に聴いたら輝きを増す作品じゃろう!



7 ツェッペリン遊び満載の
    予定調和ソロ作!
    8 寄せ集めのクール・バイオレンス
■11時の肖像/ロバート・プラント■  ■セインツ・アンド・シナーズ/ホワイトスネイク■
 ツェッペリン解散後に初めて発表された、元ツェッペリンメンバーからのソロアルバム。 本作にコージー・パウエル(Ds)が参加しとることで、「コージーが加入してツェッペリン再結成か!」とトーチューみたいな報道がされておったなあ〜(笑) コージー自身も「ツェッペリン加入?アリエナイ事じゃないね」なんつってリップサービスしとったわい!
 まあコージーは2曲だけの参加であり、いわばツェッペリン哀惜に苦しむ(?)ファンの為の話題作り! 残り6曲のドラムはフィル・コリンズ。 実はこの6曲の方がロバートの新時代への意欲を証明するような楽曲なのじゃ。 巧みな強弱の付け方、チラリと変拍子もかます味なテクニックは亡きジョン・ボーナムともコージーともまったく異質の魅力を放っており、ロバートのツェッペリン・イメージからの脱却をさりげなくリスナーに伝えようとしておるのじゃ。
 でもギターのロビー・ブラント(元シルバーヘッド)っつう男がモロにジミー・ペイジ・トーンであり、結局は「まず俺はソロとして動き出したのだ!」っつうロバートのシンプルな決意表明以上の意義が伝わりにくい作品になってしまったのが残念じゃ。

 わしは中途半端なツェッペリン・ファンであり、「コージーを入れて再結成してくれ派」じゃったので彼の参加した2曲は大好き。 特に「スローダンサー」は、当時ほとんど聞けなくなったブリティッシュ・アフタービート炸裂であり、もしツェッペリンが80年代にも活動していたら、新時代へのあいさつ代わりに披露したような中近東サウンドがベースになったニューロックじゃ。
 ジミーペイジの弾き切れない(弾き切ろうとしない?)リフとコージーの叩きだすリズムはあんまり合致せんじゃろうが、ひょっとしてツェッペリン用としてロバートが用意していた曲だったんじゃないか?と思わせるほどロバートはアルバム中もっとも活き活きと歌っておる。


     時代遅れだがカッコイイブルース・ロック路線で突っ走っておったホワイトスネイク。 右肩上がりのクオリティの作品を出し続けておったが、何故か活動停止の報が。
 原因はマネージメント側のバンド運営方針とか、メンバー間の不和とか噂されたが、本作はそんな矢先に残されたストックによって強引に構成されたという1枚じゃ。 要は「いつまでも古めかしいロックをやっていたら未来はない!」と誰かが結論を出し、残り物を寄せ集めて最後の商売しておけ!ってな完全見切り発車的クオリティ!? だけどそれがわしの様なブルースロック・ファンにはタマラナクかっこええのじゃ!

 ロックって時々こうした不思議な化学反応を起こす音楽だからやめられんのかもしれん! 民主主義や周到なビジネス戦略をもってしても成し得ないダイナミズムがアルバムに漲る時があり、本作はそうした稀有なパターンの作品じゃ。 余計な装飾が殆どない、エレクトリック・ギターとリズム・セクションのサウンドと、必要最小限のコーラスだけでリードボーカルが全面で暴れまくる。
 楽曲の配列もテキトーじゃが、叩みかけるようにヘヴィでハードなロックが鎖の様に続いていく! 実力派バンドでしか成立しない、粗暴じゃけどロックの底知れぬクール・バイオレンスが炸裂しておる!
 なお、本作収録の「ヒア・アイ・ゴー・アゲイン」「クライング・イン・ザ・レイン」の2曲は、アメリカン・マーケット仕様で再結成された彼らが4年後に発表した大ブレイクアルバムにリメイクされて再登場する。 今にしてみれば、リメイク版のデモテイクの様な仕上がりじゃ。 どちらのテイクがお好きかで、ご自身の根本的なロック嗜好が70年代と80年代のどちらのロック派に属するかお分かりいただけるじゃろう! 

 

9 ボスの魂
    10 テキトーだけどカッコイイ、
ザ・フー流オトシマエ
■ネブラスカ/ブルース・スプリングスティーン■  ■イッツ・ハード/ザ・フー■
 何度も書いてきたが「ボーン・イン・ザ・USA」以降の、いわゆる“アメリカン・ビッグ・ボス”のブルースにわしは一切興味なし。 なんかロックってもんを理由もなく聴衆を煽り立てる超兵器的なバケモノにしてしまったからじゃ。
 って事はここではどーでもいいが、その2年前にひっそりと発表された本作は、完全プライベート作品であり、アメリカ各地の深部で決して消えることなくくすぶり続ける、一生日の目を見ることのない名もなき人々の暗い情念を綴ったアコギ1本による弾き語りで終始しておる。

 金も名声も手に入れた者が、周囲に踊らされる境遇から離れてたった一人でアメリカ各地を粛々とドライブしながら書き溜めた様な散文詩が横溢しており、何度も何度も聞き直さないと日本人には到底理解し難い内容じゃ。
 その視点は逃亡者であり、堕落者であり、生涯貧乏人であり、身の置き場や心の拠り所の無い者たちの彷徨いじゃ。 「ルート66の旅」「ルーツミュージックの旅」といった甘っちょろいものではないのじゃ。 良いんだが悪いんだがよくワカンネー作品じゃけど、やっぱりボスは恵まれない者の心情をすくい上げ、不正や不条理にまみれた者をロマンチックに支えようとするセンスは天下一品。 もともとニュージャージーの大工業地帯でうごめく民衆の心を歌い上げることでのし上がってきたロッカーだけに、その観点を全米に向けてみた作品と言えるじゃろう。
 時として恐ろしく退屈に聞こえることもあるが、それはボスの歌唱力ゆえか!? E・ストリートバンドという相棒たちのサポートがないだけにボスの歌唱力がクローズアップされてしまう。 それは本来ロックンロール・シンガーであるボスにはちょっと辛かったかもしれんが、“バケモノ”に成ってしまう前にボスが自分自身の根本的な資質を見つめ直そうとした静かなる意欲作が本作なのじゃ。


     ザ・フーのオリジナル・ラスト・アルバム。 ツェッペリンの『インスルージ〜』同様、賛否両論激しいビッグバンドの最終作であり、変なb言い方じゃが気分の悪い出来事が続いた時に聞くとサイコーのアルバムじゃ(笑) もちろん、その逆もありありじゃけどな!
 「いつまで不良ぶってロックンロール・バンドなんかやんなきゃいけないんだ!バカバカしくてもうやってらんないよ!」みたいなピート・タウンシェンドのヤル気の無さが顕著であり、そこに腕っぷしの強いロジャー・ダルトリーが殴り込みをかけ、ジョン・エントウィッスルとケニー・ジョーンズは「だったらこっちは好きにやらせもらうぜ!」って具合で全然コラボしておらんし、名曲と呼べるナンバーもない。
 だからこそこっちの気分の悪い時、身の回りの事全てをテキトーに済ませてしまいたい時にはこのアンバランスなパッケージングにハマル! 「名曲並べて最後は美しく」なんてザ・フーらしくもないからコレでええ! うっかり「もうやりたかねーから解散だ」って口走った手前上作っておかねばいけなかった様な作品(笑) でもタイトルはカッコエエ!

 ドガチャカ・ボカスカ・ドラムの風雲児キース・ムーンが亡くなってしもうたことで、ザ・フーは一気に失速した。 でもピートが音楽的深化を追求するならば、ケニーは適任と思ったが、実際はピートとケニーは犬猿に近かったらしい。 しかしケニーとジョンがピートのヤル気の無さをカバーしたことで、皮肉にもザ・フー・サウンドの新境地が見つかりつつあるのが本作かもしれない?
 ストーンズにもキースのアルバムが存在するように、バンドの長い歴史の中には予定調和以外の異質があってもいい。 だから、個人的にはここで解散はしてほしくはなかった! ピートはロックンローラーと言うよりも思想家の側面が強かったから、バンドの活動経緯を絵画の様な完璧な作品にしたかったからキース不在の喪失感を脱することが出来なかったのじゃ。 ピートよ、たかがロックンロールだぜ!ってわしの声は届かなかった(笑)
ecify
その他選モレの作品は下記の通り。

『青春の光と影/ジョニ・ミッチェル』(右写真)
『ホット・スペース/クイーン』
『アバロン/ロキシー・ミュージック』
『黙示録/マイケル・シェンカー・グループ』
『オリエンタル・ビート/ハノイ・ロックス』

『ノー・ファン・アラウンド/グレン・フライ』
『ミラージュ/フリートウッド・マック』
『ラフ・ダイヤモンド/バッド・カンパニー』
『ドリーミング/ケイト・ブッシュ』
『アンダー・ザ・ビッグ・ブラック・サン/X』

『ルック・オブ・ラブ/ABC』
『カモン・アイリーン/デキシー・ミッドナイト・ランナーズ』
『カルテット/ウルトラボックス』
『スプリング・セッション・M/ミッシング・パーソンズ』
『クリス・レア・ファースト』

『フォーエバー・ナウ/サイケデリック・ファーズ』
『ブルー・マスク/ルー・リード』
『ハッピー・ファミリー/ブラマンジェ』
等など。

 新進バンドでグッドなアルバムも結構あったが、やっぱりオールドロッカーの力作の前に霞んでしまった印象が強い。 シングル曲では聞きまくった新進バンドもあったが、アルバム1枚聞かせる力量ではやはりオールドロッカーに軍配が上がったってことじゃろうな。
 個人的に非常に残念だった思い出は、大好きなブリティッシュ・バンドのバッド・カンパニーの『ラフ・ダイヤモンド』。 前作が理想的なアメリカンナイズされた大傑作『ディソレーション・エンジェル』だったのに、こっちは「俺たち、もう引退します」ってなまったく覇気のないアウトテイク集然とした内容じゃった。バンドがこのまま自然消滅していくのが明らかじゃったな。
 せっかくツェッペリンの自社レーベル「スワンソング」のお抱えバンドなんだから、もうちょっとレーベル側がカッコつけさせるべきだったんじゃなかろうかと!? ベテランの力作揃いに熱狂した1982年じゃったが、バッド・カンパニーの衰えた姿にわしは心ひそかに「やっぱり70年代は終わってしまったんじゃなあ〜」とあらためて認めたくない現実を直視せざるをえなかったもんじゃ。



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