NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.311



 昭和世代の人間ってのは、西暦の節目に対しては(例えば1950年代から1960年代へ、1960年代から1970年代へ)かつては割と無頓着じゃった。 そりゃあ昭和30年代が40年代に、昭和50年代が60年代になった方が「時代は変わったんだ」と強く意識したもんじゃ。
 わしの場合は1970年代が1980年代になった時に初めて西暦での時代の変わり目を感じたもんじゃ。 もちろんそれはロックシーンが大きく変動したからである! 前年末にジョン・レノンが射殺されてしもうてから迎えることになった1980年代のロック。 ひと言で言えば「ロックシーンが垢ぬけ始めた」のじゃ。 70年代後半から、「パンク」「ディスコ」「ニューウェイブ」と続いた大変革期がひと段落して、プレーヤーの信念とか意欲よりもロックが音楽そのものに戻って来たんじゃ。
 またミュージシャンのファッションも過激なパンクファッションから「ニューロマンティクス」と呼ばれる連中のおしゃれイズムが浸透し始めてきて、それに合わせる様にミュージックビデオも続々と登場! ロッカーたちをサウンドだけでなく映像によって印象付ける時代がスタートしたのじゃ。

 そして70年代までのワイルドでダーティーで退廃的なイメージは、ロックシーンから徐々に締め出されていった。 オシャレに垢ぬけてきたということは、その分女性や子供たちのファンが増えるってことでもあり、明らかにロックのあり方が変わってきたのが1980年代なのじゃ。 ロックはもう「不良少年のシンボル」でも「過激な先鋭的アート」でもなくなってきたのじゃ。 一方では新しいヘヴィ・メタル・ブームも起ってはいたけれど、わしは元々ヘヴィメタ的ハードロックはダメじゃったので興味は無し。
 1980年代、それはエルヴィスの時代からロックを知っとるわしとして、何とも居心地の悪い時代になってもおかしくはなかった。 しかしわしは1980年代のロックにも付いていくことが出来た。 それはこれからご紹介するアルバムのお陰じゃろう! あのやかましいパンクは表向きではブームが終わり、「ニューウエーブ」という多少はクリエイティブな音楽ブームへ移行したこともわしにとってはよろしかったわい!
 偶然にもわしは1981年から生活環境が大きく変わり、新しい友達や新しいアルバイト先にも恵まれた時期なので、新しい時代のロックに触れ、ロックに対する新しい考え方が出来るようになったことも大きかった! まあ新しい考え方が出来たとしても、ロックに対する根本的な美意識は結局全然変わらんかったけどな。 では1980年代スタートの年、1981年のアルバム・ベスト10をお送りすることにしよう!
(上写真は、1981年メジャーデビューしたストレイ・キャッツ)
(右写真は、古色蒼然としたキャラと音楽性で奮闘していたホワイトスネイク)



2019年ロック回想録B 38年前/1981年のロック
イギリスはパンク鎮静、ニューウェイブ到来。
アメリカはゴージャス主義へ。
ロックにまったく新しい時代がやって来た!



1 ロックが霞んだ!?
2 彷徨っているならば
フライディ・ナイト・イン・サンフランシスコ
/アル・ディ・メオラ、ジョン・マクラフリン、
                 パコ・デ・ルシア
  ■パイレーツ/リッキー・リー・ジョーンズ■
 当時のジャズ/フュージョン界の3大ギタリストと呼ばれた超絶テクニシャン3人によるライブ盤。
 実は当時のわしは友人の経営するお茶の水のジャズ・ハウスでアルバイトをしており、お客さんからもっともリクエストの多かったアルバムがマイルス・デイビスの「スカイ」と本作だったので、今も強い印象が残る数少ないジャズ系のアルバムじゃ。 本作を聞くと、レコード盤の塩化ビニールと客席に運ぶサントリーホワイトの水割りやアイスコーヒーの香りが蘇ってくるほどじゃ(笑)

 既にロック系超絶テクニシャンのプレイを相当聞き込んでおったものの、このお三方のプレイは殊更新鮮じゃった。 それはエレキじゃなくてアコギの超絶テクだったからじゃ!ってのは半分ジョーダンじゃが、言葉を持った歌心溢れるギタープレイであり、とてつもなく早いギター捌きってもんは結果に過ぎず、サウンドの原型はあくまでも“歌”だったからじゃ。
 ヘンテコな言い方じゃが、リードギターのリードとは「Lead」じゃが、彼らのギターは「Read」であり、詩を読むように歌うギターに聞こえたんじゃな。 意地の悪いジャズファンの知人は「生ギターがギターの基本だぜ。 ロックギタリストは生ギター1本でここまで長時間客に聞かせらんないだろう!」なんてヌカシテおったが、悔しいながらも「そうかも」と思ったりしたな(笑)
 もう38年も前の作品か・・・ロック馬鹿だったわしも、こうして耳が成長していったんじゃ!


     わしが当時死ぬほど好きだった女性、いやアルバムじゃ!
自分自身を“彷徨える女”としてジャジーにコケティッシュに歌い上げたデビュー作『浪漫』から待つこと2年、本作は“彷徨える男たち”への永遠の愛と憐憫と情けを歌っておる様であり、一人でウイスキーをチビチビやりながら聞いておると気が変になってきそうじゃった(笑)
 “彷徨える男たち”とは、50〜60年代のビートニックの時代に若い命を燃やし、新しい時代に身の寄せ場の無い野郎どものこと! 収録曲全てが彼らに付いて行けそうで行けないリッキーからのララバイみたいじゃ。 わしもかつてはビートニクだった様な勘違いを起こし(笑)、リッキーに歌を捧げられる資格があるように引導されてしまったものじゃ。 生身の女性ではなく、女性シンガーというタレントに恋をするってのは、つまりこういうことじゃ!

リッキー固有の魅力とは? それはコーヒーハウスかなんかの小さなライブ会場で、聴衆一人一人に自然と語り掛けるように歌えることじゃろう。しかし特定の客と語り合っていても、それが周囲の客との会話へとやんわりと広がっていく術を彼女は知っておるのじゃ。そんな稀有なシンガーのバックバンドは余計なことはしちゃいかんのじゃが、彼女の歌心に惚れぬいていた当時の凄腕ミュージシャンがちょっとやり過ぎているのが本作唯一の難点!
 因みにジャケ写も素晴らしい!1920年代からヨーロッパの夜の街や娼婦や恋人たちを撮りまくったハンガリーの写真家ブラッシャイのショットじゃ。



3 ロック界の宮廷音楽家
ランディ・ローズ最後の戦慄
  4 ロック歌劇、ここに極まれり!
■ダイアリー・オブ・マッドマン
             /オジー・オズボーン■
 
  ■楽園への翼/ジム・スタインマン■
 クラシカル・ロックギターの革命児ランディ―・ローズが生前最後に残したオリジナル作品。 前作よりもクラシカルなフレーズが多用されており、オジーの描くダークで多少猥雑なオカルトティックな世界観を、格調高い荘厳なトーンで磨き上げるランディのセンスにただただ聞き惚れるばかり!
 当時の日本語のライナーノーツに「黒(オジー)と白(ランディ)との壮絶な戦い」と表現されておった記憶があるが、“戦い”というよりも、黒から白へのヒステリックでドラマチックな変換というべきか、因果な運命によって悪魔に身をやつす者が、天啓によって天使へと昇華していく過程の心身と状況の変貌が美しいオカルトムービーのごとき色彩感をもって描き切られておる。 わしはオカルトも黒魔術もまったく興味がないが、それらの怨嗟と汚辱の世界観に絶世の白夜をもたらしたのがランディ・ローズだったのだろう!

 オジーのバンドへ加入してからランディは突然変異したと語られることが多かったが、先日you tubeでランディの下積み時代(クワイエット・ライオット時代)のオーディエンス録音によるライブ演奏を聴いたが、ギターソロでは後にロックシーンを騒然とさせるクラシック・スタイルのプレイが既に披露されていた! その音源が本物であるならばランディは空前絶後、歴代ロック・ギタリストの誰からも影響を受けていない、真のオリジナリティを持ったギタリストってことになる!
 ちなみに本作の唯一の不満は、CD6曲目「トゥナイト」のエンディングでのランディの超絶美旋律ギターソロがフェイドアウトされておる事。 全フレーズの半分程度しか聞き取れん! 全フレーズ披露バージョン持っとる方、連絡くれー(笑)


     80年代にアメリカでブームを巻き起こす大仰なオーケストレーション導入による「ロック歌劇」のスタイルを作り上げたプロデューサーがこのお方。
 本作では某有名シンガー(スイマセン名前を失念)の作品の為に用意した楽曲とアレンジを、そのシンガーに敬遠されたために「そんなら俺の名義でやって、歌も俺が歌っちまえ!」って完成させたソロ・アルバムじゃ。
 原題「Bad for Good」とは意訳すると“限りなきワル”って意味らしく、ロックンロールに夢中な血気盛んな少年が、人を殺してしまいたくなるほどの得体の知れない衝動をギタープレイに転化して、やがてロック・ギタリストとしてスター街道を駆け上っていくストーリーが展開していくコンセプトアルバムじゃ。

 全編まさに一部の隙も無いほどの音の洪水であり、「ロック歌劇」というよりも「ジェットコースター・ロック」と言えるほど構成が超ドラマチック!
 確かハイライトのパートではトッド・ラングレンがギターをかき鳴らしておるが、あのセンスのいい独特のトーンをもつトッドが、ジム・スタインマンの過剰な要求通りに(?)ギンギンにギターを歪ませて喚き散らす様にプレイしているのが何とも痛快!
 歌劇を歌劇たらしめるほどの歌唱力はないものの、オーケストラ、女性コーラス、吹奏楽器、多彩な打楽器を入るべきところにきっちり入れて、あらゆる楽器とのコラボレーションによって作品を聳え立つように輝かせるジム・スタインマンの徹底ぶりに脱帽!
 彼自身は本作について後にこう語っておる。「このアルバムを歌い切れるのは、レッド・ツェッペリンのロバート・プラントかボニー・タイラーだけさ!

5 オールドウェイブ最後の牙城
6 誰も書かなかった?若きストレイの魅力とは!?(笑)
カム・アンド・ゲット・イット/ホワイトスネイク■    ゴナ・ボール/ストレイ・キャッツ■
  頑なに70年代的ブルースロックのスタイルに固執していたホワイトスネイク。 シーンが華やかにショーアップされていく中でも彼らの音楽性は揺るがず、またまた頑固なホワイトブルースアルバムを完成させてしまった!
 頑固さでは引けを取らんわしも「おっさんたち、いつまでこんな古臭いロックを続けるのだろう」と心配したもんじゃけど(笑)、ロックファンの低年齢化現象が本格化する直前の時期だっただけに、時代の変化に躊躇する中高年(?)のロックファンをハートを本作でガッチリ掴んでみせたといえよう。

 前作までは「本物のロックに時代性なんか関係ねー!」ってな過剰な意気込みが少々鼻につき、意地になってオールドファッションロックをやっておった印象が強かったが、オジサンたちにもゆとりが生まれたのか、本作では熱くなり過ぎずナチュラルにやりたいことをやっておるから聞きやすい!
 もっともこういうスタイルは一般受けしずらいんじゃけど、デヴィッド・カヴァーディル(ディープ・パープル第3代ボーカリスト)というセクシーな実力派シンガーのキャラが実にうまく作用してバンドイメージとサウンドの底上げに繋がっておる。 日本では一部の音楽雑誌がデヴィッドをスターにするべく懸命にアピールしておったなあ〜。 
 ホワイトスネイクの方法論には未来を感じることはなかったが、「行ける所まで行ってくれ!」と念じながら聞かせて頂いたもんじゃ! 後年煌びやかなL.A.メタル風にイメチェンして世界的に大成功することになる彼らじゃが、当時はムサイおっさんたちのカッコイイロックじゃった!


     ご存知ストレイ・キャッツの大ブレイク作! ロカビリー・サウンドなんて遠い記憶の彼方に追いやられていた当時、彼らのサウンドもファッションも異様じゃった。 正直なところ「何考えてんだコイツら!」って受け付けられんかったが、ミック・ジャガーの「コイツラは本物だ」っつった談話や、ブライアン兄貴のとんでもない才能をレコード会社どもが争奪し合ってトラブルに巻き込まれたっつったニュースを読んでトライ!

 わしのニューバンド体験にはある程度ひとつの傾向がある。 最初にサウンドなりルックスなりに激しい嫌悪感を持ったバンドに限って、後ほどハマルんじゃ!ルックスに激しい「?」があったストレイ・キャッツはってえと、ノメリコムまで少々時間を要した。 わしが勝手に「古き良きコクランやヴィンセント的サウンドの復権的バンド」とキメつけておったからじゃ。 ロックンロール・スピリットの伝承者であると同時に、彼らがパンクやニューウエーブとは異なる境地へと純粋に突っ走ろうとする姿勢が最初は見えてこなかったのじゃ。
 更にわしのブルースロックの聞き過ぎの弊害で、リズム・セクションに馴染むことが出来んかったのじゃ。 やがてブライアンの歌心の根底が、ロカビリーと更に古い時代の1920〜30年のデキシーランド、スゥイング・ジャズ辺りに及んでおることを察知出来てから、「とんでもねえ野郎だ!」ってなった次第じゃ。
 ニューバンドの過激なヤル気が真骨頂のロックじゃが、大いなる音楽のたおやかな流れに若者の新鮮な才能が抱かれておる本作は、当時よりも今の方がその魅力の真髄が分かるってもんじゃ!


7 歌姫であっても、
  お姫様じゃない!
    8 時代の変革期に咲いた
       フツーのお嬢さん
■麗しのベラドンナ/スティーヴィ―・ニックス■  ■モダン・ガール/シーナ・イーストン ■
 フリートウッドマックの可憐な歌姫として、70年代後半から絶大な人気を誇ったスティービーの初のソロアルバム。
 バンド・メンバーのソロアルバムに何を期待するかはファンそれぞれじゃが、わしは彼女のソロアルバムには一般的な魅力に隠されている、「ひょっとしてこの人、〇〇なんじゃないか?」って勝手に描いておる非一般的イメージの披露を期待した。 それは彼女がオフショットやライブ演奏の合間にチラリと見せる“激しい女”としてのスタイルじゃった。 日本人男性が大好きなロリ系少女のイメージが強い彼女に、正反対の本性らしきもんを表現してほしかったのじゃ。

 ジャケ写はカワイイながらもナルシスティックでちょっとガッカリ(笑) でも収録曲はわしの勝手な期待値にかなり達してくれた! シングル3曲は秀逸であり、特に「エッジ・オブ・セブンティーン」が強烈。 ガールズ・ロックンロールの最高峰! トム・ペティ、ドン・ヘンリーとの共演の2曲も、「ちょっとアンタ客演でしょっ? あんまり邪魔しないでよ!」って掛け合いルールをキープするギリギリの領域まで迫って来る。 また日本人が勘違いしておるウエストコースト・サウンド幻想が崩れ落ちるようなエッジの効いた楽曲もあって痛快!
 かつての麗しの歌姫の近況は、コカ中、整形崩れ、肥満、自己破産等ロクなもんじゃないけど、わしは彼女をロックンロール・シンガーとして評価しておるだけに、いただけないエピソードも不思議とは思わない。 破天荒な彼女の行く末が垣間見れるリアル・ロックンロールを聞くことが出来る!


     去年ソフトバンクのCMにシーナ・イーストンの遥か昔のヒット曲「9 to 5」が使われて人気を呼んだらしいのお! その曲を含む彼女のデビュー作がコレじゃ。 もう1曲「モダンガール」も大ヒットしたこともあって、個人的には80年代の幕開けを飾る爽やかなレディというイメージが強いお方じゃ。
 しかしなんで彼女の印象が殊更強いのじゃろう。 多分新しい女友達が車を持っておって、彼女がカーステで本作をしょっちゅう聞きながら歌いながら運転しておったからじゃろう! まあロックじゃないが、流行のエレクトロニック・サウンドの具合が程よくて、彼女の声も嫌味が全然無くて適度にお上品!前述した2曲のミュージックビデオも、イギリスへ短期留学した時の情景が思い出されるシーンもあったりで、色んな意味で個人的な新しい体験と絶妙にシーナ・イーストンの声と映像がダブルっておるってことじゃろうな。典型的な古き良きポップ体験じゃ。

 あらためて映像を観直したが、別にイイ女じゃないし(笑)、ファッションも個性ないし、健康的なイギリスのお嬢さんOLみたい! やっぱりイギリスの音楽シーンが騒がしい時代が続いたので、従順っぽいキャラが逆に眩しかったんじゃな〜。 彼女は本作がバカウケした余波で、「007ユア・アイズ・オンリー」の主題曲を歌いボンドガールの端くれ(?)にもなったが、それは全然似合わなかったなあ〜。
 毎朝満員電車に揺られて出勤したら、爽やかな笑顔で「おはよう!」なんて言ってくれる清潔感のあるフツーの女子社員がいたら「さあ今日も仕事だ」ってなるじゃろう。 そんな役割をシーナ―・イーストンは演じておったに違いない!
 

9 ミック・ジャガーの賭け
    10 ニューウェイブの旗手
■刺青の男/ローリング・ストーンズ■  ■ヴィエナ/ウルトラボックス■
 前作『エモーショナル・レスキュー』で上手い具合に時代に迎合したなあ〜と感じさせたストーンズじゃが、本作では一気に垢ぬけて健在ぶりをみせつけた様な作品。
 特に大ヒットシングル「スタート・ミー・アップ」の俄然ライトアップしたノリは、オールドロックンロールの理想的な進化に聞こえたもんじゃ。
 ただし前作でも顕著だった様に、古いロックファンなら「ストーンズ、本当は調子悪いんじゃねーのか?」って気が付かせてしまう歪さ、ストーンズ特有のグルーブ感の無さが否めない。 過剰なスタジオワークが全編に施されているだけに、純然たる新曲ではなくてオクラ入りナンバーがリメイクされてんじゃないか?って疑わせてしまうのじゃ。

 後に発覚したが、当時ミックとキースとの仲は犬猿であり、キースのヤク中振りも酷く、ストーンズは絶不調じゃったらしい。 ミックが全てを切り盛りしながらストーンズ存命の為に知恵を絞りまくっていたとのこと。 
 恐らくミックは、プレスとオールドファンからの悪評を覚悟で、新しい時代のファンを獲得するために当時最新のスタジオワークを駆使して未発表曲を磨き直したんじゃろう。
 先述した「歪さ」とはそうしたストーンズの危うい状況の露出ではあるが、新しいファンにはそんなことは関係なく、本作はストーンズ史上でも指折りの華やかなチャートアクションを見せたんだから、やっぱりミックって凄いヤツじゃ。 古くからのストーンズ・ファンと新しいファンとの評価が本作ほどかけ離れた作品は他に無いと思われるが、何はともあれストーンズが危機を脱することの出来た作品として記憶に留められたし。

     当時シングル「ニュー・ヨーロピアン」が日本のCMでも起用されて人気が急上昇しておったウルトラボックスじ。 わしは翌年の日本公演で彼らの演奏を聞いてファンになった。
 このバンドは当時のヨーロッパ系テクノ・バンドの代表みたいに言い伝えられておるけど、わしはロックバンドじゃと思う。
 本作はリーダーが耽美主義的メロディーを連発したジョン・フォックスからタレント性の高いミッジ・ユーロに変わってからの初のアルバム。 テクノっぽいリズムサウンドは効果音に過ぎす、従来のウルトラボックスよりもメロディラインが明確になって随分と聞きやすくなった印象が強い。
 ジョン・フォックス時代はパンクからの精神的影響やデヴィッド・ボウイの“ベルリン三部作”から逃れられない様なペシミスティックなトーンが強かったが、本作ではポジティブなニュー・ウエイブ路線へのスムーズなチェンジに成功しておると言えるじゃろう。

 如何なるタイプの新進バンドにも当時は「オシャレでダンサンブル」な要素が要求されておったが、そうした時代性と一線を画してなお存在力を発揮できたのは、U2、エコー&ザ・バニーメン、そしてウルトラボックスじゃったと思う。 特にウルトラボックスはピンクフロイド系のエモーショナルなギターメロディのあとからダンサンブル的リズムが追いかけて来る様な独特なグルーブ感があり、ダンス以前に「じっくりと鑑賞する価値のあるサウンドじゃ。
 ミッジ・ユーロが本作で仕掛けたメロディ重視のニュー・ウエーブ路線は、多くの新人たちに反響を呼び、翌1982年には同系の方法論を掲げた多くのニューバンドがブレイクすることになるのじゃ! 
ecify
その他、選モレの主なアルバムとしては下記の通りじゃ。


『ゴースト・イン・ザ・マシーン/ポリス』(写真右)
『フェイス・ダンス/ザ・フー』
『ファン・イン・スペース/ロジャー・テイラー』
『4/フォリナー』
『プリテンダースII/プリテンダース』
『オクトーバー/U2』
『Bangkok Shocks, Saigon Shakes, Hanoi Rocks/Hanoi Rocks』
『エスケイプ/ジャーニー』
『ハード・プロミス/トム・ペティ&ハートブレイカーズ』
『ペントハウス・アンド・ペイブメント/ヘブン17』

『悪の戯れ/マリアンヌ・フェイスフル』
『ヘブン・アップ・ヒア/エコー&ザ・バニーメン』
『トーク・トーク・トーク/サイケデリック・ファーズ』
『プレシャス・タイム/パット・ベネター』
『ディシプリン/キング・クリムゾン』

等など。

 残念な印象としては、前年にデビューした新人バンドのセカンド・アルバムのほとんどがイマイチじゃったこと。 プリテンダース、エコー&バニーメン、サイケデリック・ファーズ、バウハウス、そしてU2もしかり。
 みんなある程度“やりたいことをやらせてもらいながら”デビューしてセカンド・アルバムまでこさえることが出来たと思われるが、早くもデビュー前のストックのネタ切れ感が出てしまっておる。 彼らにとって1981年は辛抱のしどころだったのかもしれんな!



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