NANATETSU ROCK FIREBALL COLUME Vol.307 |
ハロ~諸君。 平成と昭和の日本洋楽シーンを振りかえるシリーズも、4回目に突入するぞ。 ロック(洋楽)と昭和っつう時代を一緒に思い出してみると、どうしても避けて通れない「悔しさ」みたいな感情が蘇ってくるもんじゃ。 これは年配のロックファンで、しかもわしの様な少々ひねくれ者が抱く感情じゃろうが、あの頃はタイトルに「ジャパン」とか「トーキョー」とか付けられた楽曲の多くから、「日本や日本人はナメラレテおるな!」って思えるのが多かったし、ナメラレテはいなくても、「コイツラ完全に日本の事を勘違いしておるな」ってガッカリさせられるパターンが多かった。 しょーがねーよな、当時既にGNP世界第二位の経済大国に急成長したとはいえ、日本経済はアメリカに首根っこ掴まれたまんまの弟分だし、一生懸命働いたって欧米人からは「エコノミック・アニマル」とか揶揄されるし、白人から見れば日本人は背はちっちゃくて脚が短い猿人類みたいだし、サッカーのワールドカップには出られないし、日米親善野球ではコテンパにやられちゃうし、今では想像もつかない三等国家扱いされておったからな。 TOYOTAさん、SONYさん、Nationalさんらがおらんかったら、スポーツ界ならば柔道の山下氏と野球の王氏がおらんかったら、ホント日本人は欧米に行ったって格下民族とみなされっぱなしだったわい。 「それは日本人全体じゃなくて、オマエさんだけだろう」ってヤカマシーワイ! まあわしも確かに“格下日本人”の中に入っておったことは紛れもない事実(苦笑)。 だからこそ、一生懸命ロックをお勉強して、欧米人に負けないだけの知識を付けようと頑張ったってわけじゃ。 ロックにのめり込んだってのは、欧米人コンプレックスの裏返しでもあるんじゃけど、その「ロック猛勉強中」に知ってしまった、「毛唐め、キサマら日本をナメとったら承知せんぞー!」「異人さん、にっぽんを勘違いしてませんか」ナンバーを今回集めてみた。 数少ないながら賞賛すべき「日本美化ナンバー」も! まあどんな音楽スタイル、日本へのスタンスにせよ、「昭和の時代、日本と欧米の距離は地球と火星ぐらい遠かった」ってのをどうか感じてみて頂きたい。 |
平成の終わりに寄せて~昭和まで振り返ってしまうぞ! Vol. 4 JAPANもTOKYOも、まだまだ外タレさんにとっては未知の場所だった!?日本や東京を歌った“あだ花”洋楽集 名曲も少し! |
♪~フローズン・ジャップ/ポール・マッカートニー ♪~クリスタル・ジャパン/デヴィッド・ボウイ 真っ先に思いついたのが、いずれも1980年に発表されたこの2曲。 ポールは年初にファン待望の初の日本公演が予定されておったが、成田空港税関で大麻所持が発覚して即お縄、拘留&強制送還。 その半年後に発表された作品『マッカートニーII』で「フローズン・ジャップ」を発表。 日本に対する恨みつらみがつまったとかなんとか話題騒然となってしもうた。 直訳すれば「氷のように冷たく閉ざされた日本人野郎」となるワケで、まあどんな熱狂的ファンでもガッカリしたじゃろう。 曲自体はインスト曲なんじゃが、当時世界を席捲していたイエローマジックオーケストラのテクノサウンドを小馬鹿にしたようにも聞こえた似非テクノ。 天下のポール・マッカートニーにしちゃあ大人げない仕業じゃ。 後ほど「ジャップって意味は日本人蔑視じゃない」とか「日本に行く前に作った曲」とかポールは懸命に言い訳しとったのが余計見苦しかったな。 一方同年3月、デヴィッド・ボウイが日本の宝焼酎「純」のCMに出演し、CM用にボウイは新曲を書きおろした。 CMが撮影された京都比叡山を借景にした枯れ山水庭園が美しい禅寺の正伝寺(しょうでんじ)での体験をモチーフにした、ボウイが静謐で神秘的なシンセサイザーを演奏するインストナンバー。 日本の古典雅楽からインスパイアされたようなメロディとシンセとの調和がイマイチだったとはいえ、日本の歴史、伝統、文化と真正面に向かい合って作られたことが明白なナンバー。 この「クリスタル・ジャパン」が発表されたこともあって、「フローズン・ジャップ」ひいてはポール・マッカートニーの評判は地に落ちたとまでは言わんが、ポールはますます男を下げたといえるじゃろう。 ちなみに「フローズン・ジャップ」は、日本盤のみタイトル表記が「フローズン・ジャパニーズ」に変更されよった。 ♪~ビッグ・イン・ジャパン/トム・ウエイツ、アルファビ、サンドラ(3曲は同名異曲) “Big in Japan”って言い方は、欧米人アーティストにとっては単純に“日本で有名”って意味以上に、“どういうわけかワカンネーけど日本だと売れるんだ”というニュアンスを伴って使われるらしい。 「売れてるんだから、つべこべ言うな。 有難いと思え」って日本人なら言いたいところじゃが、自分自身すら気が付いていない自分の作品の魅力がわかる日本人や日本文化への一種の畏怖の念もあるようじゃ。 でも酔いどれロック詩人トム・ウェイツにそう言われると、「おい、テメーラ日本人って、どーしてそんなワケワカンナイ感性もってんだい?」って揶揄われておるようじゃ(笑) まあどうせ揶揄われるなら、ちょっとだけ聞きかじった日本の古典音楽や覚えたての日本語単語を使ってフザケタ事やられるよりかは、こういう言い方された方がまだマシか!? この曲の発表は1999年じゃったからとっくに昭和は終わっておるけど、同名異曲をドイツのエロクトロニックバンド・アルファビがやっておって、こちらは1980年代中期の発表じゃった。 一応調べてみたら、なんとアルファビの「ビッグ・イン・ジャパン」は、あの日本のディスコを席捲した「ハロ~ハロ~ザ・モンキ~」のアラベスク・サンドラ嬢がソロアルバムでカバーしているそう! 「ハロ~ハロ~ザ・モンキ~」は日本だけの大ヒットじゃったのか? なんかこっちは日本への悪意を感じるってのはわしの勘違いじゃろうか(笑) ♪~ジャパン・イン・ア・ディッシュパン/キャプテン・ビーフハート・マジック・バンド “ジャパン”と題された楽曲の中でもっともワケワカンナイ曲。 大体このバンド自体がノン・ジャンルでアバンギャルドの極致であり、フランク・ザッパとともに世間的見地が一切通用しない代表的バンドじゃ。タイトルの“ディッシュパン”とは洗ったお皿を入れておく容器のことで、どうやら目一杯日本がバカにされておるようじゃが、どこの国のリズムなんだかさっぱりわからんノリでチャカポコ、ボカスカ展開するこの曲、あまりにも可笑しくてくだらなくて、それでいてとりあえず最後まで聞いてみたくなる! 仮に日本や日本人をナメくさった曲だとしたら、さしずめ川向こうから抱腹絶倒状態の聞いたこともない外国語で、大声でからかわれているような気分になってくる。 どうせバカにされるなら、ここまで思い切りバカにされてみたい・・・とは思わんぞビーフハートの野郎!(笑) 対象を非難する、罵倒する、蔑視するってのはロックの重要なエネルギーじゃけど、ここまで嘲笑しているように聞こえる曲も珍しいことは確か。 ターゲットが日本ってのは誠に遺憾じゃけどな(苦笑) ♪~ウーマン・フロム・トーキョー/ディープ・パープル 日本のロックファンの中でもっとも有名と言ってもいい“トーキョー・ナンバー”。 1972年の初日本公演を大成功させ、名ライブ盤『ライブ・イン・ジャパン』を世に送り出したディープ・パープルだったので、1974年に発表されたこの曲はいわば日本への御礼曲とでも言うべきか。 まあ歌詞を読んでみても新しい恋人の出現に胸躍らせる野郎のオハナシに過ぎず、別に“トーキョー”じゃなくて“オーサカ”でも“ナゴヤ”でも“ペキン”でもいい内容じゃ(笑) エンディング近くてホンキートンク調のピアノプレイが披露されたり、またムーグと戯れとる余裕のパートもあり、パープル風ロックンロール遊びといった風情で曲としてはわしは好きな一曲じゃけど、「“フロム・ロンドン”とか“フロム・ニューヨーク”だったら、こんなアレンジにはならなかったんじゃない? 日本の女をバカにしてるワ」ってのは当時のわしのロック・ガールフレンドのご感想! 「まあまあ、ピアノの代わりに琴とか三味線使ったらズッコケルんじゃねーか」ってわしは慰めてあげたわい(笑) ♪~トーキョー・ジョー/ブライアン・フェリー “トーキョー”と題しておきながら、イントロでモロ中華風のメロディが奏でられ、しまいにゃ銅鑼まで叩かれる“勘違い日本”の代表的ロックと言われる一曲。 歌詞を読んでも、完全に日本と中国がごっちゃまぜになった光景が描かれていて、まあ当時の白人さんにとっちゃあ、日本と中国との違いなんてよお分らんかったんじゃろうという結論に落ち着いた。 当時の日本人がイギリスとアメリカとの違いがよく分かってないのと同じじゃろうな。 でもこの曲、実は結構中身が深くて、1949年に公開されたハンフリー・ボガード主演のB級映画「東京ジョー」がモチーフ。映画内にセットされた戦後まもない銀座のキャバレー「東京ジョー」での男と女の色恋描写にブライアンが触発されたようで、まあその映画がやっぱり日本と中国とがごっちゃまぜだったようで(わしはまだ見ておらん)、ブライアンが勘違いしたまま曲を作っちゃったのはしょーがねーって随分あとになって納得したわい。 一説によると、この曲は西洋かぶれの先進気取りな某日本人(音楽評論家)をからかっているとも言われておるが定かではない。 ちなみにそれはわしではないぞ! ♪~トーキョー/ブルース・スプリングスティーン この曲はスプリングスティーンの正規盤には収録されておらん、未発表曲のひとつ。 初期のライブでは割と演奏されておったようで一部の熱狂的ファンなら知っとる少々マニアックな存在。 よく聞いてみると、どうやら歌詞の登場人物の名前が“トーキョー”であり、やっぱり彼の名が“トーキョー”である必要なんか全然ない! 周囲の者とはちょっと違った個性をもっているから、よくワカンナイ外国都市の名前で呼ばれておる“トーキョー君”のオハナシ。 それに“シャンハイ”君も登場してくるので、スプリングスティーンも日本と中国とがごっちゃ混ぜになっとるってわけじゃ。 スプリングスティーン自身、この曲を「シャンハイ」と呼ぶ時もあるそうで(笑)、まあしょーがない。 初期のスプリングスティーンはニュージャージーの片田舎から出たことのない貧乏シンガーだったわけだから、東京がどこにあるかも知らんかったのじゃろう。 日本人でわざわざニュージャージーに行くヤツなんかもいなかった時代じゃし(笑) “世界の東京”とはいえ、1970年代初期なんてまだまだ実質的な知名度は低かったのじゃ。 しかし、ここまで必然性無き使用をされ続けると、もはや欧米の田舎者にとって東京は、火星とか土星みたいな存在だったんじゃろうかって思えてくる(笑) ある意味、バカにされとるよな!いや充分バカにされとるぞ!! タコ入道みたいな宇宙人と日本人とが一緒にされておったってことじゃチキショー(笑) ♪~ライフ・イン・トーキョー/ジャパン 快適に過ごすのも、清廉に過ごすのも、何かを探し求めて過ごすのも、いずれにしても東京の生活はウンタラカンタラ~って曲みたい(笑) 発表された81年当時の音楽雑誌で作曲者のデヴィッド・シルビアンがそんな事を言っておった記憶がある。 まあいろんな文明や文化がひしめき合って不思議な共存をしているのが東京って言いたいんじゃろうとわしは早合点したが、そんなニュアンスを当時最新のシンセサウンドとリズムボックスでちょっとダンサンブルに仕立てたデヴィッドのセンスがわしは好きじゃった。 日本賛歌として捉えても良さそうじゃ。 日本や東京を歌ったロックが、安易なアレンジやアプローチがみられずに完成された一曲として記憶に強く残っておる。 デヴィッド・ボウイの「クリスタル・ジャパン」が発表される約1年前、シングルとして発表された。 ディスコ音楽の仕掛け人として世界にその名をはせたジョルジオ・モロダーとデヴィッドとの共同作品であり、そのクレジットを見た時「東京を勘違いさせるような妙なディスコサウンドにされなくて良かった」と胸をなでおろした記憶も(笑) ♪~トーキョー・ローズ/ライオット 今では考えられない事態じゃが、1970年代後半(昭和50年代前半)はヘヴィ・メタル/ハードロックの大暗黒時代じゃった。 需要が高かったのは何と日本のみ! 日本だけでデビューアルバムが発売されたバンドもあったぐらいじゃ。 そんな時期に人気の高かったバンドのひとつがライオットであり、この曲は日本人女性賛歌とみて差し支えないじゃろうな。 タイトルはキャバレーの店名みたいで安っぽいけど(笑)、あらためて聞き直すといかにもB級メタルっぽいが、80年代中期から全盛を誇るアメリカン・ライトメタル(L.A.メタル)の原型みたいで非常に耳に馴染みやすい佳曲じゃ。 このライオットの他、クワイエット・ライオット、スターズ、プレイング・マンティス等もうちょい頑張っとれば80年代に大きく開花したであろうバンドが多かったが、結果的にヴァン・ヘイレンの一人勝ちになったなあ~。 ♪~トーキョー・ドリームス/アラン・ホールズワース アラン・ホールズワースとは、プログレ界のマニアックバンドであるソフト・マシーンの初代ギタリストであり、バンドを転々としながらもその圧倒的なギターテクニックが有名じゃった。 エドワード・ヴァン・ヘイレンがギター少年時代に手本にしていたっつうぐらいじゃから、わしはよう分からんけどスゲーんじゃろうな。 この種のお方は当然日本で人気が高く、この曲は1985年の日本公演を収録したライブ盤のオープニングナンバー。 この曲をはじめとして収録曲のほとんどが即興曲じゃったらしく、予定調和的な楽曲構成は一切なく、またタイトルも何だか安易じゃけど当時流行していたフュージョンっぽいトーンも随所に聞けるしぶ~い名曲。 まるでバカテク・ギターサウンド大好きな日本のファンに作られたような一曲じゃ。 実は、当時ロックと冠が付けば片っ端から洋楽コンサートに出かけていたわしも、彼のコンサートにも行ったんじゃが、この曲覚えてないんじゃよな~(笑) 1997年にリマスター盤が発表された際に購入して、初めてこの曲の素晴らしさを実感! 確かにイケイケ・ロック青年にはちと理解し難い“調べ”がある。 長生きして良かった!ってことで、東京が描かれたロックの優秀曲の最右翼に挙げておこう。 |
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