NANATETSU ROCK FIREBALL COLUM Vol.306


  
 ハロ~諸君。 2019年の幕開けじゃ。 年初から過去を振り返っるってのはポジティブじゃないし「ボケティブ」とか揶揄されそうじゃが、今回も「昭和のロック、昭和の洋楽」ネタでいこう! 平成の終わり寸前でバタバタ振り返るってのは落ち着かないから、今のうちにやってしまえ!じゃ。
 我がにっぽんの都市部において、今や外国人を見かけることは珍しくなくなっておるな。 白人さんだけでなく、黒人さん、アジア人さん、アラブ人さん等など本当に多民族が入り混じっておる国際都市が多くなったもんじゃ。
 でも洋楽が次々と日本に入って来た1950、1960年代当時は外国人さんは珍しかった。 背が高くて鼻が高くて脚も長くて、また総じてガタイが良いのでちょっと仰ぎ見る感じ!(笑) 「話かけられたらどうしよう」なんて遠巻きに見ておったもんじゃ。 「テメーの場合はガラが悪かったから、白人さんの方が“アイツには話しかけない方がよさそうだ”とか思われていたんだろう」ってヤカマシーわい! まあ白人女性さんに至っては、大していい女じゃなくても(笑)、金髪ってだけで映画女優でも見るようにポ~としちゃったもんじゃよ。 

 わしらロックファン、洋楽ファンってのは、当然一般的な日本人よりも白人コンプレックスが薄いと思われがちだが、憧れが異常に高いから自分一人で勝手にコンプレックスを抱いておった(笑) ロックスターや映画スターが今よりもずっとベールに包まれた存在だっただけに、「憧れ」なんてレベルは超越して「雲の上の存在」「別次元の人種」じゃった。
 そんなスター・オブ・スターの彼らも、時にはおかしな日本人向けサービスをしてくれた。 ハッピ着て日本の空港に~じゃなくて、「英語の楽曲に日本語を挿入する」ことじゃ。 中には一曲まるごと日本語に翻訳(意)したバージョンを歌ってくれたりした。 洋楽後進国の日本で、何とか洋楽を普及させたいという当時のレコード会社の、洋楽歌手に対する涙ぐましい折衝の結果なんじゃろう。 でもわしなんかは、「無理してそんなバカバカしいことさせる必要なんかねーぞ!」って思っておった。 60年代ぐらいまでは、日本の歌手が洋楽の翻訳(意訳)バージョンを歌うことが少なくなかったので、そっちの方が全然良かったしな。
 でもやっぱり洋楽に日本語が入っておると、楽曲の好き嫌いは別としても後々まで頭ン中に残っておるもんじゃ。 半世紀ほど経過してから、ようやく「あの時日本語入れて下さって、ごくろーさん!」って気分じゃ。
 ではでは、昭和の頃、洋楽歌手、ロックシンガーはどんな日本語を歌ったり、挿入しておったのじゃろうか。 結構グッドアイディアなヤツから、ズッコケものまで、思い付くままに一気にご紹介しよう!

 
平成の終わりに寄せて~昭和まで振り返ってしまうぞ! Vol. 3 
何かヘンだけど、不思議と耳に残った!?日本語入り洋楽の名曲、珍曲あれこれ

♪~ビューティフル ジャパニーズ フォークソング コージョノ ツキッ! 
                          /荒城の月(スコーピオンズ)

 日本語入りロックで、わしが真っ先に思い浮かんだのはコレじゃ! 日本の明治時代の代表的音楽家・滝廉太郎作曲の名曲を、ドイツの国民的ハードロック・バンドのスコーピオンズが1977年の日本公演において特別サービスとして演奏。 驚くなかれ全ての歌詞は日本語のまんま歌われておって、見事な発音による歌唱力。 これ、絶対に一夜漬け同然の日本語じゃない! 後半のギターソロも原曲を見事なまでにハードロック的アレンジをしておって、いやあ~あっぱれ! ただし「ジャパニーズ・フォークソング~」って紹介の仕方はちょっと違うんじゃねーか?(笑)
 スコーピオンズは余程このテイクの出来栄えに満足したようで、後日来日記念盤として発表された「トーキョー・テープス」にバッチリ収録されておった。 笑っちゃうのは、ドイツ人ボーカリストのクラウス君がしっかり「荒城の月」の歌詞を覚えておるのに、合唱しておる日本人の観客が途中から歌詞を知らねーのか、歌えておらんところじゃな!

 思い出すのは今から約15年ぐらい前。 タイ・バンコクでスコーピオンズのコピーバンドがバービアのステージに出演してきて、コレを演奏した時のことじゃ。 タイ人ボーカルは、日本語の意味なんて知らん感じの字面だけを追ってコピーしたボーカルじゃったが、割かしイケた。 日本人客はみんなポッカ~ンとしておって「なんでコイツラが“荒城の月”をやってんの?」ってバカヅラ(笑) まあわしの方も、たった一人で大きな拍手してしまって恥ずかしかったわい!


♪~ワタシワア~ ユメミル シャンソン ニンギョ―オ~/夢見るシャンソン人形(フランス・ギャル)

 多分、日本語入り洋楽以前に、日本人が初めて聞いた白人さんの長めの日本語はコレが初めてだったんじゃねーかな! フランス・ギャルって、列記とした歌手の名前だから今では笑ってしまうけど、60年代中期日本のフレンチポップ・ブームの人気をシルビー・バルタンと二分しておったアイドル系歌手じゃ。
 全編にわたって意訳日本語によるクダラナイ歌詞を歌っておるから、その姿勢にはわしから「努力賞」を進呈しようってジョーダンはさておき、なんかバカっぽい歌い方で却って親近感が湧くのお~(笑) まあ本人は何を歌ってんだか分ってないだろうから、歌唱テクニックをかまそうにもかませないからレコーディングは大変だったんじゃろうなあ~。
 未だに不思議なんじゃけど、オリジナル・バージョンは日本で結構売れたはずだが、その後わざわざこの日本語バージョンまでレコード買ったヤツってたくさんいたんじゃろうか? このバージョンで憧れのフランス・ギャルちゃんとの距離が縮まった!とか喜んだヤツはいたんじゃろうか? どう聞いたってオリジナルの方がええけどな!
 確か、弘田三枝子さんっていう当時歌唱力の高い女性歌手がコレを歌っておったけど、当然弘田さんバージョンの方がええ。 まあ今となっては、日本のみ発売のシングルのB面って風情を感じる懐かしいバージョンじゃ!


♪~テオ トリアテ コノマアマ イコウ 
アイスル ヒイトヨォ~/
手をとりあって(クイーン)

 グループ史上、最初に人気が爆発したのが日本だったクイーン。 この曲は5枚目のアルバム『華麗なるレース』のラスト曲としてセットされた日本のファンへ向けたサービス曲。 歌詞が記載されたLPの中ジャケットには、日本語歌詞担当として確かChika Kuziraoka とかいう方の名前がクレジットされておったから、クイーンも本気でレコーディングしたんじゃろう。
 でもラジオで最初聞いた時には日本語部分が聞き取りづらくて、特に「アイスル ヒイトヨォ~」の後の日本語「シズカナ ヨイ二~ ヒカリヲトモシイ~」(静かな宵に光を灯し~)ってのが、わしには「静かな酔いに錨を降ろし」に聞こえたりなんかで、なんかヘンテコリンな曲じゃなって思うとった。 「酔いに錨を降ろす」って「腰を据えてじっくり飲めっつうことか?」とかな(笑) 「オマエは本当に発想が貧弱と言うかなんというか~」なんてダチ公には笑われ、クイーン・ファンの女友達にはケーベツされた!? 日本語歌詞担当者を起用したことは立派じゃけど、やっぱり外国人さんにはもっと簡単な誰でも分かる日本語を歌わせた方がええんじゃないか?


♪~スバラシイ アサガアケル ヨアケガ ヨビカケル~
    /ラ・ジャポネーズ(フレディー・マーキュリー&モンセラート・カバリエ)

 クイーンがらみでもう一曲。 これは平成に入ってからの楽曲じゃが、ボーカルのフレディがスペインの世界的オペラ歌手モンセラート・カバリエとコラボレーションしたアルバム『バルセロナ』収録の一曲。 歌詞の大半が日本語であり、美しい日本語表現をふんだんに使って歌って下さっておる日本人としては誠に嬉しいナンバー。 フレディもカバリエも、さすがは超一流歌手だけあってほぼ完ぺきな発音による日本語で見事に歌い上げておるからビックリじゃ。
 一説によるとカバリエの方は当初録音にノル気じゃなかったらしいが、フレディの熱意に根負けしたとか。 2人のコラボはアルバムのタイトルソングであり、バルセロナ五輪のテーマソングともなった「バルセロナ」ばかりが取り沙汰されるが、この曲はフレディが生前残した隠れた名曲、隠れた日本語洋楽の佳曲じゃ。


♪~マッテクダサ~イ/待ってください(キング・クリムゾン)

 質実剛健たるイメージの強いプログレの雄キング・クリムゾンが、「ちょっと日本語を借用してます」ってラジオで最初聞いた時は幻滅したもんじゃ。 「プログレ好きの日本人向けのサービス」と早合点して、「クリムゾンもベンチャーズみたいになったのか」(日本ベッタリって意味)と大して期待もしてなかった。
 しかし、この「Mattekudasai」って歌詞じゃなくて単なる“音声”が、楽曲のユルめなキメのパートに馴染んでおって悪くなかった! スロ~テンポの美旋律にふんわりと乗っかって来る「Mattekudasai」の音響効果はオリンティックで秀逸。 歌詞の流れから「待ってください」という表現が適切かどうかは知らんけど(笑)、仮に意味無し音声としての「Mattekudasai」だとしても問題なく聞けますな! 確か、わしが観た1981年の日本公演でも披露されたが、さすがにプログレバンドだけに「マッテクダサイ~」ってな合唱は起こらんかった!(笑)


♪~チョトマテクダサイ/ちょっと待ってください(サム・カープ

 「Mattekudasai」といやあ、元祖はこっちじゃな(笑) 1972年にハワイのシンガーであるサム・カプ―が飛ばしたヒット曲じゃ。 オモロイのは、「チョトマテクダサイ」のフレーズだけではなく、歌詞の中にやたらと日本語が登場して、それを英語で説明したり、単に英語と日本語をミックスしたり。
 「Seems sayonara means goodbye」「Sakura was in the spring」「Never leave me kudasai」って、結局歌詞そのものに大それた意味は無くて、英語と日本語で遊んでおる感じ。 作詞クレジットにはJ.Nakashimaとされておるんで、日系人なんじゃろうな。ちなみにこの曲、日本のゴールデンハーフっつう女性トリオがカバーして日本でかなりヒットしておった記憶がある。


♪~リンジ ニュースヲ モウシアゲマス 
ゴジラガ ギンザホーメン二 ムカッテイマス
ダイシキュウ ヒナンシテ クダサイ
      /ゴジラ(ブルー・オイスター・カルト)


 ブルー・オイスター・カルトってのは70年代のB級アメリカン・ハードロックバンドであり、そのサウンドは80年代にブームとなったアメリカン・ライトメタルの元祖ともいえる。 日本ではほとんど人気はなかったが、この曲はタイトルと変な日本語が入っとることで一種お笑いナンバーとして日本のハードロックファンに知られておった。
 2分18秒から「リンジ ニュースヲ~」って下手くそなアメリカン・ジャパニーズのラジオキャスター的ナレーションが入るのじゃよ! う~ん、重量感まるで無しのリズムセクションと音が歪んでいないライトなギターの為か、「避難しないで、ゴジラが来るまで待ってようぜ」って気分になるな!
 なお、元巨人、ニューヨーク・ヤンキースのゴジラこと松井選手の打席登場のテーマとしてこの曲の日本語パートが使われたら、松井選手の成績は上がっただろうか!?なんてクダラネーこと考えたのはわしぐらいじゃろうなあ~。 失礼致しやした!


♪~ア~イ スマセン ヨウコサ~ン/アイスマセン(ジョン・レノン)

 変な日本語っつうたら、実はジョン・レノンにも一曲ある。 ヨーコさんに謝っとる曲で「アイスマセン/Aisumasen」。 “スイマセン/Suimasen”じゃないところがミソっつうか、なんつうか・・・。 アイ(I/私)をくっ付けたジョンの言葉の遊びなんじゃろうけど、往年のレノン・ファンにしてみれば、なんだかな~って曲。
 ジョンのソロ活動期間でもっとも冴えない頃(1973~4年)のアルバム『ヌートピア宣言』に収録されており、発表当時はアルバムを2、3回聞いて放棄。 ホント、つまんねーアルバムでジョンがファンに向かって「スマセン」って謝っておるような内容(笑) 自分の心情を素直に表現することが許された稀なアーティスト、ジョンの低迷期の魅力が分かるまで、まあこのわしは随分と時間がかかったわい。 今ではわしからジョンに「アイスマセン」じゃ。


♪~ワイノ ジュンコ ア~ソボッ!/ワイノ・ジュンコ(ポール・マッカートニー&ウイングス)

 ビートルズ関連でもう一曲。 これは果たして日本語が入っとるっていえるのかどうか!? 実は長い間この曲にはガセネタがまかり通っておいた。(わしの周囲だけか!?) ポールとウイングスに熱をあげてる魅力的な日本人グルーピー、ジュンコさんを歌った曲であると! ダイレクトにタイトルにしちゃうとマズイので岸和田弁っぽく「わいのジュンコ」と! なんでポールが岸和田弁を知っとるのかなんて当時は誰もそんなことは言わんかった(笑) また「わいのジュンコ、遊ぼう!」とまで歌われておるんで、みんな日本語入りロックと疑わんかった!?
 しかし真相は、「Wino Junko」とは「Wine Junkie」を意味する造語、「ワイノ ジュンコ アソボ」ってのは「Wino Junko, eyes aglow」(笑) 「Eyes aglow」ってのはアルコールやドラッグで目が異様に輝くこと!
 この曲、実はポールではなくてウイングスのギタリストだったイアン・マッカロックの作品で、ボーカルもイアン。 イアンは当時極度のドラッグ&アルコール中毒に陥っておったんで、これはいわば自己憐憫ナンバー。 まあ英語が分らん日本人とはいえ、我々はトンデモネー勘違いをしておったわけじゃ。


♪~コトバダト ウソニ ナルウ~ハダカノ オレダケヲ ウケトメテホシイカラ /ディー・ドゥ―・ドゥ―・ディー・ダー・ダー(ポリス)

 わしはポリスがデビューした頃からのファンじゃったが、日本のファンの為に特別収録されたっつうこの日本語バージョンで一気にポリス熱が冷めてしもうた。 オリジナルはぶっ壊したスカとレゲエのリズムをミックスさせたような不思議な覚醒感のあるノリに乗せて、スティングの宇宙人的なボーカルが跳ねる独創的なナンバー。
 これが歌詞を日本語にしたというだけで、一気にドッチラケ。 日本語的にはうまく楽曲にハマっておるんじゃけど、スティングの声と日本語の語感がマッチしてなくてやたらとアホっぽく聞こえて幻滅・・・。 「こーいう事やるって、ニヒルなインテリと思っていたスティングよ、興覚めだぜ!」ってなっちまったけど、あらためて聞いてみると、オリジナルとは別テンションへ持って行ってくれそうな気もする日本語バージョンじゃな!


♪~スマハアマ ソコワ コイスルヒトタチガ テニテヲトッテ~
           /想い出のスマ浜(ビーチボーイズ)

 スマハマ?スナハマ(砂浜)の間違いじゃろうって最初は思ったが、これは須磨海岸と砂浜をひっかけたタイトルらしい。 須磨海岸とは古典文学「源氏物語」の主人公「光源氏」が悲しい恋に落ちた場所で、いわばこの海岸は恋の聖域なんだそう。
 ビーチと青春の恋を歌い続けることが宿命のビーチボーイズにしちゃ、この曲は出来過ぎの引用っぽいけど、雰囲気たっぷりの時代劇風のイントロや間奏は悪くないな! 効果音としていい加減に日本語を乱用されるよりも、古典文学にまで踏み込んで日本語を扱うってのは日本人として嬉しい。 まあアレンジがところどころ中華風っぽくもあって、白人特有の日中イメージごっちゃ混ぜ感はご愛敬じゃ。


♪~ダイチノ オトガ スルウスルウスルウ~/大地の音(スリッツ)

 スリッツってのは、ほとんどセックス・ピストルズと同期でデビューした女性三人組のパンクバンド。テクニックを無視した強引なレゲエ、ダブミュージックのパンク的混合サウンドで、まあワケワカンナイ事歌っておったけど、1981年に出したセカンドアルバムは荒削りのアングラワールドミュージックみたいなサウンドで一部のマニアから注目されておったな。 そのタイトルソングの日本語バージョンがコレ!
 彼女たちには、大地の音ってこんな風に聞こえるのか、としかわしは感想はなかったけれど、女性がカッコつけ無くてシンプルにフリーキーに歌うスタイルが、いわゆるパンク発の良質のインディーズって呼ばれておった。 しかしわざわざ日本語で歌うほど、彼女たちは日本で人気あったかのお。 日本語に訳して歌った場合のリズムや本人たちのワケワカランダイナミズム感に「採用!」ってなったらしい。 日本語入り洋楽の歴史の中では異色じゃけどオモシロイ試み! 日本のアイドルちゃんたちも、同じ様なモンばっかじゃなくて、たまにはこんなの歌ったらどうかのお?


♪~シルエットヤ カゲガア カクメイヲ ミテイルウ 
モウ テンゴクノ ジユウノ カイダンワ ナイイ~
           /イッツ・ノー・ゲーム・パート1(デヴィッド・ボウイ)


 一つの楽曲の中で日本語の意味と語感を“爆弾”として扱った最右翼のナンバー。 もっともデヴィッド・ボウイ本人が日本語で歌ったのではなくて、日本語パート専用の日本人女性をナレーターとして起用しておる。 相変わらず、わしの様なアタマワリイ~リスナーには何が歌われておるのかサッパリのボウイ・ナンバーであり、日本語パートも意味不明。 でも迫力満点! 1980年代初頭までは何をやっても斬新じゃったボウイだが、 さすが日本語を扱わせてもやり方がハンパ無かったな。
 ちなみにこの曲、「シルエットや影が革命を見ている」というフレーズは、当時独裁政権、軍事政権に牛耳られておったカンボジアやミャンマー、つまり不幸な東南アジアの現状を憂いたナレーションらしく、当時のアジアのリーダーだった日本に向けてボウイが発した救助指令だったという説がある。 しかし日本語ナレーションのラスト、「俺の頭に弾を打ち込めば、新聞は書きたてる」ってのは、売名行為に走る日本の報道ジャーナリストたちへの苦言でもあったらしい。


 一応ネットで調べてみたが、ラップやクラブミュージック系では結構日本語入りって多いらしいな。 試しに数曲聞いてみたが、洋楽ミュージシャンご本人が日本語で歌ったもんでも、みんななかなか上手な日本語でちょっとビックリ。 日本語の歌詞を丸暗記しただけとしても、相当練習したんじゃないかって感心したわい。 でも逆にあんまりオモロクナイ!(笑) やっぱり、少しはズッコケ感がないとなあ~!
 日本語じゃないが、ビートルズがバラード曲「ミッシェル」にフランス語を導入しとるが、昔わしの姉貴殿の友人のフランス人女性に聞かせたら大笑いしておった! でも「ビートルズってカワイイ」とかヌカシテおったから(笑)、外国語で上手く歌わない方が現地人に親しまれるのかもしれんな!
 ヘンな日本語の入ったちょっと味のある洋楽(ロック)、これもまた「昭和の洋楽」特有の現象でありました~♪ では、おあとがよろしいようで!

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