NANATETSU ROCK FIREBALL COLUM Vol.303 |
日本でも公開中の映画「ボヘミアン・ラプソディ」。 クイーンのボーカリストじゃった故フレディ・マーキュリーの伝記映画じゃな。 わしのおるタイ・バンコク、先日出張したシンガポールでも公開中であり、やたらと評判がいい! 会社のタイ人女性3人が一緒に観にいったらしく、「感動して泣きました」って言っておったから、「よっしゃ、わしは泣かせるんじゃなくて笑わせる原稿を書こう!」としたんじゃけど、まだ映画館に足を運ぶ時間がとれんのじゃ。 それでも締切は刻一刻と迫ってきておるので、ここは映画から少し離れて、わしのクイーンの思い出話をカマシテみよう。 エルヴィスとかビートルズとかドアーズとか、特定のロッカーに熱を上げ続けた若かりし日のわしが、ロックシーン全体を幅広く見渡し、様々なタイプのロッカーをまるで“気がふれた”様に聞き漁り始めた1973~4年頃にイギリスからデビューしてきたのがクイーンじゃった。 正直なところわしは大のクイーン・ファンというわけではないのに、デビューアルバム『戦慄の女王』から新作が発表される毎に全て買っておった。 6作目の『世界に捧ぐ』まで、恐らく全収録曲をテキトーな英語(もしくはハミング)で歌える! もしくはイントロ当てクイズでも即答出来るじゃろう。 「それって、大ファンということじゃないか!」と言われるじゃろうが、実際に「七鉄コーナー300回記念」として楽器演奏者のパート別「ベスト20(30)」をやった際にクイーンのメンバーは誰もランキングしなかった。 これは自分でも説明の難しい結果なんじゃけど、少なくともクイーンの初期においては不思議な思い入れと思い出があるので、その辺を正確に思い出しながら綴ってみることにする。 映画の様にフレディ・マーキュリー主体にはなっておらんのでご了承のほどを。 |
映画「ボヘミアン・ラプソディ」公開記念寄稿 活動約20年間、常に聞き逃せなかったクイーンの凄みとは一体何だったのか?! |
■序章~クイーンデビュー当時のロックシーンについて ■ まずクイーンがデビューした1973年当時の日本のロックファンの状況から。 当時はハードロック・ファンとプログレッシブロック・ファンの二手に大別されており、音楽のタイプは両極端だったにせよ、両ロックはテクニックとアイディアでガチンコ勝負しておった時代じゃった。 「どれだけ聴き手を驚かせることが出来るのか」それが両ロックのエンターテイメント・スピリットだったと言えるじゃろう。 グラムロックやローリング・ストーンズ的ロックンロールもそこそこ人気があったが、誰も「マーク・ボランのルーズさが~」「キース・リチャーズのセンスが~」なんて言ってなかった! ノリよりもファンを一発でノックアウト出来る能力の優劣がロックバンドの評価の最大のキメ手じゃった。 それは日本以外の国のロックファンでも似たような嗜好が強かった。 まあストーンズとフェイセスだけは別次元で語られておったと思う。 そんな時代にデビューしたクイーン。 彼らは一体、どんなバンドだったのか? ■ クイーンが売れたら、帽子でも何でも食ってやるぜ!」 ■ わしがクイーンを聞き始めた頃の印象で強烈に覚えておるのは、「コイツラ、60年代から現在まで(1973~4年時点)のブリティッシュ・ロックのスタイルをほとんどやろうとしてんじゃねーか?」ってことじゃ。 要するにハードロックも出来る。 プログレも出来る。 ビートルズ的ポップロックも出来る。 ブリティッシュ・トラッドも出来る。 そして見てくれはグラム・ロックの最新版みたいだったのじゃ。 やってないことと言えば、ストーンズやフェイセスの様なR&B色の濃いロックンロールのみ。 まさに、過去10年間のロックの現象が凝縮されておるようなサウンドじゃった。 しかも、フレディ・マーキュリーのボーカルは徹頭徹尾オペラチックであり、バロック音楽や宗教音楽の様な異様な厳粛さをもって最終的に仕上げられておる。 こんなロックバンドはわしは初体験じゃった。 有名バンド、人気ジャンルの“いいトコどり”を驚異的な多重録録音で本格的に成立させるというトンデモナイセンスのバンド、それがクイーンというイメージをもったのじゃ。 よく初期のクイーンはマスコミから叩かれ続けたと紹介されるが、それも事実じゃ。 「クイーンなんか売れたら、帽子でも何でも食ってやるぜ」なんて某イギリス人DJのコメントは有名じゃった。 また「ここまで多重録音をして、一体何をやりたいのか理解に苦しむ」なんてコメントもあった。 映画でもこの辺が最初に強調されておるようじゃが、今思い返してみるとロック良識派を自称するマスコミ連中はクイーンの得体の知れないセンスに感性が付いて行けなかっただけだったのじゃ。 言い換えれば、当時のロックマスコミはまだまだ保守的であり、正統的なルーツが明白でない(様に聞こえる)のに、斬新な方法論に固執しているようなバンドをケナス事が彼らの仕事だったのじゃ。 まあわしはだって「俺はクイーンを認めていたぜ」とは言えん。 ただただ驚いていただけで、「こんなバンド、あるんだな~」ってなレベルに過ぎなかったわい! ただし次作では何をやらかすんだろう?って期待値が大だったのお。 ■ グッド・ビジュアルまで非難の対象 ■ クイーンに対するマスコミの悪口を加速させたのは、彼らのビジュアル性にも原因があった。 ファッションはグラムロック・ファッションと妙な貴族趣味的ファッションのミックスであり、メンバー全員のマスクは「酒、ドラッグ、女大好き」の荒くれ者とは対極にあるインテリ坊ちゃん風(笑) 実際に、全員が大学や特殊専門学校を卒業した修士号や学位の持ち主なのじゃ。 それにフレディ・マーキューリーのステージ・アクション! これは「さあみんなで音楽を楽しもう」ではなくて、「俺たちの圧倒的な音楽を聞け!」じゃった。 「カモン!」じゃなくて「リッスン!」だったのじゃ。 圧倒的な歌唱力を誇るフレディだけに許されたいわば特権的ステージ・アクションなんじゃけど、そんなヤツは当時は誰もおらんかったし、それをデビュー当時からやっとったんじゃから、誰もが唖然としながら心の何処かで「何をエラソーに!」だったんじゃないか! フレディの歌唱法とは一聴して分かるようにそのベースはオペラ。 オペラ歌手が聴衆とのその都度、都度の駆け引きを意識しておったらオペラにならん! 圧倒的な歌唱性、演技性によって聴衆を魅了するのがオペラ歌手であり、そのスタイルをフレディはダイレクトにクイーンのステージに引用したわけじゃ。 そのスタイルを膨張、拡散させるようなファッションをまとっておっただけに、フレディはまさに前代未聞のステージ・アクターだったのじゃ。 ■ 日本のロック雑誌はクイーン一色! ■ イギリスではアルバムのチャートアクションでそこそこの成功は収めておったものの、日本ではそのビジュアル性によって人気が爆発した! 育ちの良さそうな欧米人のお坊ちゃんたちが貴族衣装(王子様衣装)を着てオペラチックでメロディアスな音楽をやる。 もうそれだけで日本の女の子は夢中になる! 当時の日本のヤングカルチャーはそんな側面が強かったのじゃ。 いやいや、今でもビジュアル系バンドは日本の若い女の子たちに人気があるが、そのハシリってのは案外クイーンだったんじゃないか! さて、女の子ウケを見込んでクイーンを大々的にフューチャーしたのが日本のロック雑誌の最大手「ミュージック・ライフ」。 毎月の様に表紙やカラーグラビアはクイーンばっかし! 人気投票の集計では毎年のように4人のメンバーの内3人が第1位(もう一人は第2位)。 まるでクイーンの後援会雑誌みたいなノリに急変したのをよく覚えておる。 これが日本の男性ロックファンの逆鱗に触れたのじゃ! それまでの「ミュージック・ライフ」の編集方針は結構硬派であり、多少マニアックなハードロック、プログレッシブロックまでも取り上げておって読み応えがあったが、クイーンの登場で一気に女性ロックファンにターゲットを絞ったビジュアル雑誌の様になったからじゃ。 わしも当時は多少はウンザリしておったが、他にロック雑誌が無かったんで我慢して買い続けたもんじゃよ。 まあ白黒ページの記事は従来通りの充実した情報記事が多かったけど、はっきり言って本屋のレジに持っていくのが恥ずかしいくらいの女の子向けのクイーン・オンリーな表紙ばっかじゃった。 ■ げに恐ろしきは男の嫉妬 ■ 女の嫉妬は質が悪いって言うが、男の嫉妬もスゲーもんじゃ! レッド・ツェッペリンもローリング・ストーンズも、キング・クリムゾンもピンク・フロイドも、俺たちの大スターたちがぜ~んぶクイーンの後回しにされたら黙っちゃいない! クイーン・サウンドの特徴である重厚なコーラスに対しては、ウイーン少年合唱団をパロッて「クイーン中年合唱団」とか、フレディの男性バレリーナ風タイト・タイツを「モッコリ勃起タイツ」とか、インテリお坊ちゃん風ルックスを「マザコン集団」「男色家好みのカマ集団」とか、ま~~~~~~~~~~色々と言っておったわい! 更にギタリストのブライアン・メイが「もう僕たちはレッド・ツェッペリンよりも有名だ」というコメントがミュージック・ライフに掲載された時は、わしの周囲のツェッペリン・ファン、ハードロック・ファンは怒髪天を突く有様じゃった! クイーン中年合唱団ごときがナメタ口きいてんじゃねー!って具合に(笑) かくいうわしも、男性ロックファンのクイーン嫉妬の激しさゆえに「クイーンが好き」「アルバムを持っている」なんて口が裂けても言えない状況になったわい! だから当時は結構隠れ男性クイーン・ファンって多かったんじゃないか? |
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