NANATETSU ROCK FIREBALL COLUM Vol.294
前回に引き続き、「七鉄のロック映像コレクション」をやるぞ。 今回は「ロックンロール」という音楽とそのスピリットにドタマをガツン!とやられたまんま人生を突っ走る者たちを描いた作品をご紹介する。
諸君はロックンロール・フリーク、The-Kingフリークじゃが、みんな熱いロックンロール・スピリットを持ちながらも様々なお仕事に就かれておることじゃろう。 今回ご紹介する作品の主人公たちは、ロックライター、レコード店店員、ポルノ男優、バーテンダー、そして探偵じゃ。 まずは彼ら独自のロックンロールの扱い方を楽しみながら観てもらいたい。
彼らは純粋なロックンロール嗜好そのままに仕事に精を出しながら壮大な夢や美しい愛を掴もうとするが、人生のテーマ、日常の基軸がロックンロール・スピリットばかりではうまくいくはずもない。 ロックンロールがもたらす非日常的な快楽、独自の満足感が膨れ上がるのと同時に、彼らと現実との距離はかけ離れていく。 それぞれの立場を越えて、ロックンロールという音楽の猛毒性がやがて伝わって来るはずじゃ。
恐しいまでのロックンロール・ワールドを生き抜く為には、結局はどんな形にせよ、スター(大成功者)になることしかないのか。 スターに成れなかったら、彼らは現実の世界に戻ってこれるのだろうか。
ヒューマンドラマあり、コメディあり、ハードボイルドあり、サイコディカリーあり。 人生とロックンロールをもう一度見つめ直したい方にお勧めする5作品じゃ。
(写真上~「あの頃ペニーレインと」から)
(写真右~「ハイ・フィデリティ」から)
七鉄のロック映像コレクション便り(2018年度版)~Volume 2
人生とロックンロールをもう一度見つめ直したい方へ。幻想、倨傲、錯乱の地獄河岸へ行った者たちに帰る所はあるのか!?
少年が目撃したロックンロール・ワールド
■ あの頃ペニーレインと ■
【製作】2000年アメリカ
【概要】厳格な家庭で育った少年が、家出した姉の残したロックのレコードに興味を持ち、高校生でロックライターとしてデビュー。 彼は卒業間際の通学時期を潰して、ロックバンドのツアーに随行する。 「コイツは暴露屋なのか味方なのか」少年ライターに対するバンドメンバーの心中や態度は複雑であり、またグルーピーたちも同行したツアー中に様々なトラブルが発生することで、少年は書くべき焦点が定まらぬまま、ロックバンドのツアー特有の非現実的な世界で立ち往生する。
グルーピーの中で唯一バンドにクールなスタンスをとるペニー・レインの存在感、彼女に淡い恋心を抱く少年の錯綜する心情、ツアー随行記事を少年に依頼した大手出版社の冷たい編集方針、決して民主主義では収まらないロックバンドの内情等、シーンのひとつひとつがとてもリアル。 しかし酒池肉林、弱肉強食なロックの世界が存分に描かれているにもかかわらず、一人の少年ライターの成長記録、ヒューマンドラマとして観ることが出来るのは、監督のキャメロン・クロウの実体験が元になった脚本だからだろう。
【解説】
個人的には、恥ずかしながら当たり前の事にようやく気が付かされた映画じゃった。 コンサート評にしろレコード評にしろインタビュー記事にしろ、常々ロックの本場のライターの文章と日本のライターの文章との「臨場感の違い」に対してわしはライターの端くれとしてコンプレックスを抱いておった。 日本のライターの文章は、「ロックのスケール(臨場感)」そのものに包まれていないのじゃ。 これは国民性の違いと既に諦めかけておったが、その原因はロッカーのツアーに同行して彼らと寝食を共にした経験があるのかないのか。 ナマのロックサウンドではなく、ナマのロックンロール・ライフを知っているのか知らないのか、この違いだったのじゃ。
この作品におけるナマのロックンロール・ライフとは、「酒とドラッグとセックス」ではなく、人間的過ぎるロックンローラーたちの飾り気のない姿や本音の炸裂が主体じゃ。 グルーピーたちも、あばずれである前に生身の女性として誠実に描かれている。 それらは全て、まだ少年であるライターの視点、観点であるから決して間違ってはいない。 ロックンロール及びロッカーたちを狂気に走らせるのは、ロックンロールという音楽や酒、ドラッグ以上に、彼らをプロモートする側(レコード会社、マスコミ)の冷たい論理やバンドに取り入ろうとするプッシャー等の取り巻き連中の邪心なのかもしれない。
ベテラン・ライターなら「こんなものだろう」と俯瞰できるじゃろうが、少年ライターはそんな経験値は持っておらん。 彼は純粋にロックンロールが好きだからこそ、ロックンロール・ワールドに翻弄され続けるロッカーやグルーピーたちに尽きる事の無い優しさを持って接することが出来る。 初心な心に突き刺さったロックンロール・ワールド、そいつを体現した時から、少年の真のロックライター稼業がスタートするのじゃ!
ツアー中に少年を暖かく見守る神秘的なグルーピー・ペニーレイン、教育ママながら少年にツアー随行ライターを許可する母親、くたびれ果てた少年を労わるように戻ってくる家出した姉、原稿を出版社に却下されて不貞腐れる少年の元に現れたバンドのギタリスト、少年にアドバイスを続ける先輩ライター、少年と深く関わる登場人物はみんな優しくて人間的だ。 彼らもまた、少年に「臨場感あるロック原稿」を書かせる存在なのじゃ。
ロックという魔法が解ける時・・・
■ ハイ・フィデリティ ■
【製作】2000年アメリカ
【概要】主人公はロック・レコード店を経営する30男。 経営云々以前に、ロックレコードにどっぷり浸っているオタク君じゃ。 2人の店員もそれぞれに趣味の違う同じくオタク組。 何かにつけては「オレ様の〇〇ベスト5ソング」をセレクトし合い、客注よりも自分の趣味を客に押し付けようとするグータラ社長&店員じゃ。
ある日、主人公は同居していた愛人に愛想をつかされて出て行かれてしまう。 「どうして俺は女に振られてばかりなんだ」と失意にくれるも、さっそく「オレの失恋体験に相応しい曲ベスト5」を作り、各曲をなぞりながら過去の失恋体験を回想。 やがて彼女たちとの再会を決意! 曲の情緒に浸りながら失恋相手に再会する主人公だが、彼女たちの本音によって彼は初めて人生の綾を知ることになる。
【解説】
アナログ・レコードの膨大な山に囲まれている主人公の部屋は、30年前のわしの部屋そのもの(笑) 「ロックが好き過ぎて女に愛想をつかされるのも、オマエさんそのものだろう!」ってヤカマシー(笑)
豪華な家具なんて無くたって、部屋にたくさんのレコードがあれば満足。 「〇〇ベスト5やら10」をテープに編集している時が何よりも幸せ。 曲に込められた哲学性や文学性を真に受け、曲の情緒に現実の女性を当てはめたりしたり、そんな経験がある方ならばこの作品にノッケからのめりこんでいくじゃろうな(笑)
でも、そんなレコード・オタク、ロック馬鹿が、新しい失恋を機会に自分を振ったかつての女性たちに会いに行くことで「失恋の原因」を探し求める、これはとても優秀なオタク君じゃ!(笑) まあ30代で少なくとも5回も失恋していれば、そんな気分になるかもしれない!
余程のアホでもない限り、年齢と失敗を重ねれば、失敗の原因は自分自身にあることに気が付くはずじゃ。 でも、音楽とか文学が好きなヤツってのは、作品からの影響力がダイレクト過ぎて自分自身や現実が見えてくるのに時間がかかる。 つまり音楽や文学の魔法がなかなか解けないのじゃ。 解けないから、同じ失敗をやらかす、って何だか自分自身を卑下しているようで情けなくなってくるが(苦笑)、まあ主人公も魔法が解けていないままで失恋相手たちに会いに行くのがミソじゃ。
作品中で設定された「失恋曲ベスト5」の曲の内容と、失恋相手、失恋の原因ってのが完全に結びつかなかったものの、主人公が女性たちから聞いた失恋の原因は、パターンに違いはあれ、すべて主人公の「勘違い」。 要するにロックの魔法にかかったまま夢うつつ状態の男性と、あくまでも現実的な女性とのすれ違いであったのだ。 このすれ違いの5パターンを観られることがこの映画の醍醐味なのじゃ!
そしてもっとも好きだった女性からは原因が突き止めらず、しつこくつきまとう内に「俺は、女性に対して幻想ばかり抱いていたのだ」と失恋の元凶を悟るのじゃ。 5人にも聞かないとわかんねーのかよって、まあそれがロック馬鹿っちゅうものなのかもしれんな!
結局主人公は過去最愛の女性とよりを戻すハッピーエンドが待っており、何だかホットした。 「ああ、オレが振られ続ける原因はここにあったのか」っつって終わっちゃったら、同じロック馬鹿として暗澹たる気分になるもんな。 ロックを作り出しておる側も「ロックに狂って不幸になっちまえ!」って想いがあるはずもないから、これでええのじゃ! しかし魔法が解けた後は、自分の中で堆積したロックをどうすりゃええんじゃろう(笑)
キープ・オン・ロックンロール!
その栄光と転落、そして生還
■ ブギー・ナイツ ■
【製作】1997年アメリカ
【概要】「1970年代末から1980年代にかけてのアメリカのポルノ業界の光と影にスポットライトを当てた作品」とのフレコミじゃが、決してエログロのキワモノ的作品ではないことを最初に記しておこう。
ナイトクラブでアルバイトをしていた主人公の青年が、その“でかまら”を見込まれてポルノ映画の監督からスカウトされる。 それまでありきたりの青春時代を送っていた主人公は「どんな人間にだってひとつは取り柄がある。 俺の“でかまら”は神のお恵みだ」とスターになることを誓い、やがて出演作は次々とヒットして栄光の座をつかむことに。 しかし業界に蔓延していたドラッグに足を取られ、世代交代の波にも飲まれ、驕り高ぶりまくる態度も災いしてジャンキーへと転落していく羽目に。
【解説】
ストーリーはロックとは直接関係はないが、作品中に70~80年代のヒットチャートを沸かせたロックがふんだんに挿入されることで当時のアメリカの雰囲気を創出しておる。 アメリカのエンターテイメント業界そのものが、最新の明るく楽しいアメリカン・ロックンロールのノリに後押しされて暴走していた様子がよく分かる。
また主人公や登場人物が、絶好調だろうが不調だろうが自らを奮い立たせる際に叫ぶ「キープ・オン・ロックンロール!」のフレーズは、「信じる道を突き進め」というニュアンスで受け取るべきじゃろう。 主人公が栄光の座から転落して、ロックシンガーとして再起を計ろうとするシーンもあり、ロックが当時のヤングカルチャーにとって絶大な影響力を誇っていたことを物語っておる。
落ちぶれてしまった主人公は、悪友にそそのかされて強盗を企てるも失敗。 命からがらかつての映画監督の元へ逃げ帰り、己の数々の非を詫びて再起のチャンスを監督に懇願する。 この映画はフィクションだからこうしたある種のハッピーエンドでもええが、実際は主人公と同じような凋落の果てに命を落とした若きスターたちもいたに違いない。 そこまで事実をエグク描写していないところが、この映画がエログロのカルト映画ではなく、辛うじてヒューマン・ドラマ映画の域に留まって多くの視聴者に鑑賞されてきた所以じゃろうか。
ただし主人公の周囲を飾っている男優、女優たちの悲しい実生活の描写は事実だったんじゃろうな。 異常性欲者になり果てて家族から射殺されたり、「仕事がポルノ」「ポルノ屋だからジャンキー」と言う謂れなき偏見に苦しむ数々のシーンは辛辣じゃ。
主人公を初め、同時期に活躍した何人かは地獄の淵から何とか生還出来た。 それは一度はガチで「キープオン・ロックンロール」を誓った者に対する、ロックの神様からのご慈悲、ご加護だったのじゃろう。
無常の世界しか生きる場所はないのか?
■ 54 フィフティー★フォー ■
【製作】1998年アメリカ
【概要】1970年代後半から1980年代にかけてニューヨークに実在したディスコ「スタジオ54」を舞台にして、「54」のバーテンダーからモデルのスターに成ることを目論む青年が悪戦苦闘する物語。
当時「アメリカでもっともホットでハッピーな場所」と言われていた「54」は、世界各国の皇室、政財界のお偉いさん、大スターたちが出入りする豪華絢爛たるディスコ。 この世界最高級の享楽と退廃が乱舞するディスコは、また明日のスターを夢見る若者たちが強力なコネクションを獲得するために入場を熱望している場所でもある。 美貌が幸いして「54」のバーテンダーに採用された主人公は、コネを掴みかけては失ったり、経営者の理不尽な態度に翻弄されたり、性病に罹ったり、痴情のもつれや業界の無常に巻き込まれたりしながら「54」の異常な世界の中で激しく苦悩する。
【解説】
まず主人公がニュージャージーの片田舎の青年という設定でスタートするので、ハドソン川を挟んで屹立するニューヨークの摩天楼を「夢の場所」と憧れるシーンが、ブルース・スプリングスティーンやボン・ジョビみたいでとてもロック的!
ディスコ「54」は実際にミック・ジャガー、マイケル・ジャクソンら錚々たるスターたちが出入りしていただけに、巨大なロックンロール・パーティ・ブースそのものじゃ。 1階はダンスフロア、2階は今でいう「ハプニング・バー」的“ゆきづりのメイク・ラブ”スペース、その他秘密のカジノやドラッグスペースが用意されており、地獄絵図的なパラダイスとでもいうか、この撮影用のセットだけでも観る価値あり! また毎晩入口に押し寄せる一般客は、「54」の支配人の勘と好みにかなった者だけが入場を許されるというチョー上から目線の「54」の経営方針、脱税や来場者へのドラッグ配布のあの手この手の手口も必見じゃな。
「54」に潜り込めた主人公が最初にぶち当たった壁は、己の無知。 ルックスが良くてセックスが強いだけでは大物女性パトロンはゲット出来ないという厳しい現実じゃ。 主人公の夢がスルリとその手からすべり落ちてしまってから、物語は急転する。
夢も職業意識も失いかけた主人公は、自分と同類の「夢だけを食べて生きている」女性にあえなくソデにされる。 彼女は主人公よりもっと信念が強かったのじゃ。 クリスマスに顔を出した実家では、家族からドラッグ中毒を危惧されて喧嘩別れ。 更に支配人の横暴振りは「54」の従業員たちを追い詰めていく。
そんなある晩、主人公の知り合いであり、性病治療薬の代金を肩代わりしてくれた「54」馴染みの御婆さんがディスコスペースで急死。 御婆さんが運び出された後に「54」は通常営業。 あまりの無常な営業姿勢に対して激しく憤怒する主人公。 そして同夜、「54」に運命の鉄槌が振り下ろされる。 税務署からガサ入れがあり、ついに営業停止に。 「54」に賭けていた主人公の壮大な夢は、「54」の終幕と同時に潰えたのじゃ。
栄華に向けてスピードアップするということは、没落へのカウントダウンのスピードもアップしているということなのじゃろう。 強烈なビートに併せて、酒、ドラッグ、セックスに酔いしれることだけがロック・ミュージックの魅力なのじゃろうか。 退廃も理不尽も不条理も全て肯定した果てに辿り着くスターという座は本当に気持ちの良いものなのじゃろうか。 「54」の創出する世界に埋没している時だけが心から「生きている」と実感してしまうほど、この世は虚しいのじゃろうか。
ハリウッドから締め出しを食った怪作か、
それともただの駄作か!?
■ フォード・フェアレーンの冒険 ■
【製作】1990年アメリカ
【概要】元ロックンローラー、現在はロックンロール探偵と呼ばれるヤクザな探偵稼業の男が主人公。 髪はバリでリーゼント。 ファッションは革ジャンにカウボーイブーツにシルバーアクセサリーをジャラジャラで、根っからの女好き。 まるで50sの漫画から飛び出してきたようなスケコマシ野郎の探偵フォード・フェアレーンは、仕事はかつての業界のツテによって得ているだけに、ロックンローラー癖が全然抜けていない大バカモノ。
ある日かつてのバンドの相棒に行方不明の娘の捜索を依頼されるが、相棒はその直後に惨死。 無事に娘は見つかったものの、有名ロッカーのグルーピーでイカレポンチだった。 だがこのイカレポンチを探し当てた瞬間から、2人は命を狙われる羽目に! ストーリーは至ってマジメなようだが、主人公の立ち振る舞い、アクションシーンの数々は完全なコメディ映画。
【解説】
公開当時の評判は最悪であり、わずか一週間で打ち切り。 アカデミー賞授賞式前夜にシャレで発表される、数々の「最低賞」であるゴールデン・ラズベリー賞において、3部門受賞、3部門ノミネートという“輝かしい栄誉”を受けている作品じゃ!?
まるで3流のジョン・トラボルタみたいな主人公の容姿、終始連発される下ネタギャグ、50年代と90年代がごっちゃ混ぜになったようなスクリーンのイメージ、金と女しか興味の無い男ども、ケバクてお下劣なアーパーギャルたち、キンキラ過ぎるお偉いさんたち、まるで深みのない探偵ストーリー、迫力不足のアクション・シーン等など、確かにC級娯楽映画そのもの。 金と時間をかけて映画として製作する必要があったのか?って思わせるほどじゃ。
でもこれって、アメリカのエンターテイメント業界の基本そのもの! 芸術性も哲学性も一切無視して、ただただ受け狙いの娯楽映画を作ればこんな作品になるじゃろう。 まあ高いお金を払って劇場で観るだけの価値があるのかどうかは疑問じゃが、少なくともDVDレンタルで観る分には元がとれるだけのクオリティはアリマス!
全員が胡散臭い登場人物の中で、唯一異彩を放っておるのが、何とプリシア・プレスリー! どういう経緯で出演を承諾したのかは不明じゃが、登場人物のほぼ全員が必ずどこかでズッコケ・シーンを演じているのに、彼女だけは終始シリアスな存在。 それが出演の条件だったのじゃろうか? ワンシーンだけ下ネタをかますが、演技者が演技者だけにどうにも笑えない!?
終始観る者の嘲笑を誘いまくる作品じゃが、終盤では主人公の命を狙い続けた犯人、ハリウッド業界のお偉いさんが業界に対する本音を吐露するシーンが迫真じゃ。 己が悪事に手を染めた原因が、腐り切ったハリウッド業界の様々な不条理に対する反抗であることを認めるのじゃが、ここまで業界の実態を暴露してしまって良いものなのかと、少しドキドキしたわい!(笑)
監督のレニー・ハーリンは、スゥエーデン人。 「エルム街の悪魔4」「ダイハード2」「クリフハンガー」等をヒットさせたが、生粋の“ハリウッド人”ではないからやってのけた脚本なのかもしれんな。 上映の短期打ち切りや、ゴールデン・ラズベリー賞などは、ハリウッド界からの嫌がらせだったのかもしれない!
ヒッチャカメッチャカの事件が解決し、秘書の女性に真の愛を見つけた主人公は呟く。 「俺はずっとロックスターの幻想の中で生きてきた。 でも君は俺の真実だ」。 前述の「ハイ・フィデリティ」の主人公とほぼ同じ趣旨の言葉じゃ。 幻想に浸っていたから巻き込まれた大事件、それを片づけた末にようやくロック・マジックから解放され主人公。 長年のロックフリークにとっては、最後の最後でヒューマンドラマチックな感慨が味わえる!
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