NANATETSU ROCK FIREBALL COLUM Vol.291


  2018年ロック回想録の5回目、30年前/1988年のロックといくぞ。 毎度この企画を書く時は、当然その当時の生活状況がフィードバックしてくるが、1988年においてはほとんどその記憶がない。 これはわしがボケテしまったとか、当時アル中とかポン中とかで毎日ひっくり返っておったってワケではないぞ! 実は人生の中でもっとも超絶ハードな仕事期間に突入してしまっており、仕事に関する情景以外がまったく思い出すことが出来ないのじゃ。

 時はまさにバブル期真っ只中であり、さらに日本における「洋楽黄金期」の終焉時代じゃった。 そんな時期に初めて洋楽業界にもぐり込んだわしじゃったが、会社側は新人の頭脳とかセンスとかは別として「とにかく働け!」の一辺倒(笑) 「望むところだ!」ってんでムキになっておったのじゃよ。
 そう、The-Kingのボスが第二代「ラブテン」の店長さんに就任した頃であり、同じ会社の別セクションに配属になったわしと共に、ボスもよお働いておったわい! 今でこそ懐かしく思い出されるが、当時はボスもわしも命がけ、特攻隊員みたいな顔をしていたに違いない!(笑) 「特攻隊後の成功例がThe-Kingで、成れの果てがオメエさんか!」って、・・・そのご指摘は当たっとるけど、ヤカマシーですぞ!

 当時聞いていたロックのニュー・アルバムといえば、とにかく今日の疲労を吹き飛ばし、明日の活力を湧かせてくれる、それまで聞いたこともないロック! それはジェフ・ヒーリー・バンドの壮絶なブルースロックとアイリッシュ・ロックの数々じゃった。 30年が経過して聞き直してみたところ、さすがに当時の「ハイグレードなユンケル黄帝液」をダブルで喰らった様な滋養強壮効果は薄れているものの(笑)、急激に力が漲ってきたり、疲労が薄れていく快感に酔ったりしていた若かりし頃の自分の姿が目に浮かぶわい! 30年前のボスと自分自身の頑張りを祝し(笑)、また諸君の今後の疲労回復を願って1988年アルバム・ベスト10をお送り致しやす!

※(上写真)ジェフ・ヒーリー(右写真)ポーグス




2018年ロック回想録D 30年前/1988年のロック
アイリッシュ・パワー吹き荒れる!
新しいハードロック、ロックンロールも続々と登場!
90年代への布石となる多種多様な名盤10選。



1 道なき道を驀進するド迫力! 2 楽しくて哀しくて美しい
アイリッシュ・ロックンロール
シー・ザ・ライト/ジェフ・ヒーリー・バンド■   ■堕ちた天使/ポーグス■
 盲目のギタリスト、ジェフ・ヒーリーのデビュー作。 スタイルはオーソドックスなホワイト・ブルース・ロックじゃが、溢れんばかりのサウンド・テンションがあまりにも凄まじい!
 ステレオ、スマホ、PC、何で聞いてみても、音量もイコライザーも関係なく聴覚に突き刺さってくる超ハイテンションなギタープレイが全編で暴れまくっておる。
 盲目のミュージシャンをその肉体的ハンデキャップだけで特別視するつもりはないが、やはりブルースならレイ・チャールズ、ブルーグラスならドク・ワトソン、ソウル系ならラウル・ミドン、ラテン・ポップならホセ・フェリシアーノ、そしてロックならこのジェフ・ヒーリーはスゴ過ぎる。 当たり前の情景こそ彼らは見えていないが、逆に我々がまったく見えていない別世界、別テンションへと彼らは誘ってくれる。 ジェフ・ヒーリーのギターが奏でるサウンドワールドは、ひょっとしたら生前のエルヴィスですら到達出来なかったであろう超ハイ・エクスタシーなロックンロール・ワールドじゃ。

 とにかく音が“太い”! 少年時代に初めて聞いた衝撃的ロックサウンドの忘れ得ぬインパクトにも似た、まるでハンマーで頭を殴られたような強烈なショックを受けたもんじゃ。
 映像を観てまたも衝撃! 膝の上にペダルスティールのようにエレキギターを乗せて、10本の指を縦横無尽、変幻自在に滑らせる!もうギターがぶっ壊れそうになりながら泣きわめいておる。 マイナー調のブルージーな楽曲が多いものの、陰鬱なトーン一切無しで、全ての音が周囲の空気の壁をぶった斬っていく迫力がもうサイコーじゃ。
 ボーカルもジェフが担当しており、ちょっと鼻声気味でハスキーな歌いっぷりは、暴走するギタープレイを自ら抑制するようなオーソドックスなブルース唱法。 一本調子ではあるものの、このボーカルスタイルでないと、各曲が楽曲として成立しなかったのじゃろう。
 80年代はスタジオ録音技術が上がり、楽器のクオリティも進歩し、特にロック系アルバムは音抜けがよくてクリアなレコーディングの最盛期を迎えておった。 本作もそんな風潮の中で製作されておるが、このジェフ・ヒーリー・バンドの作品だけは、あえて70年代前半的な、ロッカーの肉体感やセンスが滲み出るレコーディング・レベルで聞いてみたかった!
     バンド全体がロックン・ロールというよりもお祭り騒ぎ、乱痴気騒ぎ状態! ヴォーカルスタイルはパンクじゃが、メロディはアイリッシュ・トラッド!? しかも楽曲のアクセント、ポイントにはバンジョー、アコーディオン、フィドルが多用されるという、80年代後半にもっともユニークな演奏スタンスをとったロックバンドがこのポーグスであり、彼らの最大のヒットアルバムが本作じゃ。
 一時期、演奏スタイルそのままにアイリッシュ・トラッド・パンクと称されておったが、パンクとはいっても彼らの精神の骨格は反抗性や破壊性ではなく、労働者階級でうごめく民衆たちの悲喜こもごもを、あくまでもリアルにエモーショナルに歌い上げて、演奏しまくる大いなるポジティブな前進性である! その表現手段としてアイリッシュ音楽の伝統性がモチーフとされておるのじゃ。

 大ヒットしたシングル曲「ニューヨークの夢」が、ポーグスの全てを雄弁に物語っておる。 ニューヨークへ移住してきた貧しいアイルランド移民の夫婦のクリスマスにおける会話が、男女のボーカルの掛け合いで歌われていくが、最初は美しかった若かりし日を懐かしみ合い、やがて現状への不満を罵り合い、最後は無事に(?)クリスマスを迎えられることを感謝し合う。
 幸せだったのか不幸だったのかよく分からないお互いの人生の流転を、アイリッシュ・トラッドの調べが優しく、哀しく、そしてコミカルに染め上げていく。
 この劇的な展開は構成はクラシック組曲的であるが、異質の楽章の全アレンジにアイリッシュ・トラッドがピッタリとフィットしているから驚かされ、そして涙させられてしまう。
 「パンク」の枠で括られるバンドの中で、ポーグスほどひとつの音楽の伝統性から斬新性を引っ張り出してみせたインテリジェンス溢れる連中はおらんじゃろう。 それも真面目くさったスタイルではなくて、常にハッピーフィーリングを演出しながらやってのけたのだから、なおさらスゴイ。 U2もシン・リジーも適わない、アイリッシュ・ロックの最高傑作曲じゃ!
 毎年クリスマスになると、ポーグスはこの1曲の知名度で各メディアに引っ張りだこらしいが、コミカルなワイルドボイスが売りだったボーカルのシェイン・マガウアンは酒とドラッグで既に歌うことが困難らしい。 あまりにも哀しい。


3 長寿バンドの核心を聞け
  4 幻の名カバーアルバム
■魂の叫び/U2■    ■バック・イン・ザ・USSR
      /ポール・マッカートニー■
 新曲9曲、ライブ6曲、他のミュージシャンの音源2曲で構成された、同名ドキュメンタリー映画のサントラ盤。 前作『ヨシュア・ツリー』で全米で大ブレイクしてからのU2には興味を失ってしもうたが、この変則アルバムだけは例外。
 キース・リチャーズが手ほどきしたという(キース本人談)ブルース教育によって、ボノ(Vo)のR&B嗜好が一気に開花しており、またビートルズやボブ・ディランのカバーも秀逸!ジョン・レノン、ジミ・ヘンドリックス、アダム・マギー、ビリー・ホリディへのオマージュ(トリビュート)スピリットも素敵じゃ!!
 いわば、偉大な先人たち、永遠のルーツ・ミュージックへの敬意を表した作品じゃ。 詰め込み過ぎの感もあるが、当時メンバーの年齢が27〜28歳であることを思えば、尊敬すべき崇高な精神じゃわい。 「驚きゃしなかったけど、ボノってのは頭のいい野郎だぜ!」とは先述のキース・リチャーズからの賛辞じゃ。

 ヨーロッパ系のロッカーがアメリカン・ルーツ・ミュージック的なスタイルをとると、どこか「墓場から掘り起こしてきた」様なゾンビ感漂うカバーが多いんじゃけど、本作におけるU2のスタンスは自分たちのオリジナル感と原曲のスピリットとのバランスが独特じゃ。 だから過去の楽曲がゾンビにも懐古趣味にもならず、時代にフィットした煌めくニュー・バージョンになるんじゃな。 
 それにしてもU2というバンドは、やることなすこと全て成功させるから信じ難い。 デビューから35年あまりでザックリ分けて5回の大きな音楽的転換があり、ことごとく世界的な賞賛を呼びこんでおる。 神格化されたネームバリューによる長期の成功ではなく、常に時代の先端に立ち続けられるU2の巨大な才能は、恐らくロック史上唯一無比じゃ。
 これは奇跡なんじゃろうが、あえてその要因を探るとすれば、音楽的な部分ではやはり根底にルーツ・ミュージックへの、溺愛でも崇拝でもない「純然たる敬意」というスピリットがあるからじゃろう。 そのスピリットをサウンドで体現してみたい方には本作は最適、永遠の1枚になるはずじゃ。 

     発表当初はロシアのみの発売で、タイトルもロシア語で「Choba B CCC」。 収録曲は当初11曲で、1991年の世界共通盤CDのリリース時には14曲。
 全編50年代のロックンロールとスタンダードのカバーであり、「カンサス・シティ」「トゥエンティ・フライト・ロック」「ルシール」「ザッツ・オール・ライト・ママ」「サマータイム」等、オールド・ロック・ファンには馴染みの深いセットリストじゃ。
 ポールのセンスにかかれば、例えマイナーソングのカバーでさえ名曲に仕上がるのは分かり切っている。 しかし本作を聞いて驚いたのは、独自のアレンジが薄い極めてオーソドックスなカバースタイルなのに、どの曲も“ポールの曲”になっておることじゃ! 恐らく熱心な50sファンでも異論はないと思う。 天国のエルヴィスもエディ・コクランもため息をつきながら賞賛したんじゃないか!?
 ジョン・レノンのロックンロール・カバー・アルバムは、ジョンが50sスターに成り切りながらも、裏声でシャウトしまくってロックンロールをロックにしておった。 一方本作におけるポールは、カバー・ソングをオリジナルにしてしまったのじゃ!

 ポールは若かりし日から憧れの50sミュージシャンのモノマネが恐ろしく上手く、そのセンスにジョン・レノンが惚れ込んでビートルズ結成につながったことは有名じゃ。 ビートルズ初期の頃もその才能は発揮されておったが、本作における本家本元を凌ぐ素晴らしい歌いっぷりにはもう脱帽、ひれ伏すしかないわい! 
 今でも不思議なのは、これほどのカバーの超名盤が何故当初はロシアのみの発売だったのか。 世界共通盤発売までに3年を要したのか。 マニアックな推測が飛び交ってはおるが、要はポール自身もレコード会社も本作のスゴサを認識出来ていなかっただけなのかもしれん(笑)
 また初の日本公演を含む、翌年からのワールドツアーのセットリストにおいても本作のスタイルが少しも導入されていなかっただけに、ポールのキャリアにおいて忘れられたままになっとる幻の名盤じゃ。


5 ファンタスティックな
     ロウ・テンション
6 ケルトの風に吹かれて
トリニティ・セッション/カウボーイ・ジャンキーズ■    ウォーターマーク/エンヤ■
 カナダ出身の静かなる音楽集団じゃ。 揺蕩う囁きの女性ボーカルと必要最低限の音だけで勝負するバックバンドによるスローなカントリー・フォーク。 
 間違ってもスタジアムを湧かせるタイプではないが、小規模のライブハウスならば一声、一音だけで会場の空気を支配出来る室内楽的演奏じゃ。
 本作は彼らのセカンドに当たり、派手な演奏もプロモも一切関知しなかった活動歴の中でもっとも売れに売れまくった作品じゃ。 どういうきっかけで本作に巡り合ったのかは失念してしまったが、惚れ込んだ理由はただひとつ、夜中に酔っ払って聞いておると気持ちよく漂っていられたからじゃ(笑) 激しく魂を揺さぶられるのではなく、全身をサウンドの中に委ねさせてくれて、緩やかにスウィングしてくれる快感に酔いしれていたのである!
 今回の執筆において久しぶりに聞き直したが、そのサウンド・マジックはまったく失われておらんかった。 バーボンでもスコッチでも焼酎でも、酒の種類は関係無しに浸れる最高の癒し系アルバムじゃあ〜。

 ソング・フォー・エルヴィスと記された「ブルームーン・リヴィジテッド」、ベルベット・アンダーグラウンドの「スウィート・ジェーン」、ハンク・ウイリアムスの「泣きたいほどの悲しさだ」等のカバーも秀逸。 オリジナル・スタイルの輪郭を静かになぞりながらじわじわと楽曲の核心に近づいていくちょっとダウナーなプレイは、後にブームがくるオルタナティブ・ロック的でもある。
 フィドル、マンドリン、ペダル・スティール、ドブロ、アコーディオン、アコギ等、多様な楽器がまるで薄めた絵具を僅かに垂らしていくように楽曲に色付けしていく展開が、ある意味でとてもスリリングなのじゃ。
 バンド全体の精神状態が悪いと聞く側も心筋梗塞を起こしそうな演奏ではあるが(笑)、逆もまた真なり! 演る側と聞く側が一心同体になって音楽世界に入り込めるのじゃよ。
 音楽よりも映像主体な新人バンドばかりが注目されていた当時、彼らのような超地味な存在が脚光を浴びたことはとても意外じゃったが、これが懐の深いアメリカン・ミュージック・マーケットの魅力。 「奇をてらった一発屋か?」と疑ったこともあったが、意外や意外、彼らはその後何枚か中ヒット・アルバムを発表し、現在も活動中。 基本スタイルに変更は無し! モノホンのバンドだったのじゃ。

     音楽シーン全体がプロモクリップ主体となり、音もファッションもケバケバしくなっていった当時、爽やかな風が吹き抜けていくような清涼感をもたらしてくれたのが、アイルランドの歌姫エンヤじゃった。 アイルランドの伝統音楽(ケルト音楽)を、クラシックと教会音楽的に浄化させ、ぶ厚いテクノロジー・コーラスをかぶせた独特の荘厳なポップミュージックを生み出しておった。 本作は大ヒット・シングル「オリノコフロウ」を含む、エンヤの最高傑作アルバムじゃろう。 同郷のU2やポーグスの大ブレイク、チーフタンズの再評価傾向と相まってアイルランド・ブームを世界的に巻き起こした作品でもあるな! 日本でもニューエイジ・ミュージック(癒し系音楽)の旗手として大人気じゃった。

 アイルランドのミュージシャンと言えば、先述のU2を初め、ヴァン・モリソン、シン・リジー、シネイド・オコナー等の戦闘的イメージが先走りがちじゃが、エンヤの登場によってそんなイメージは払拭され、基本になっておる深遠なケルト音楽の汲めども尽きぬ魅力に世間の目を向けさせたエンヤの功績は語り継がれるべき偉業じゃろうな。
 本作発表当時は、「オリノコフロウ」における144チャンネル・デジタル・マルチトラック・レコーダとかなんとかの多重テクノロジーコーラスが苦手じゃったわしも、作品1枚を通して聞くとケルト音楽の魅力に引き込まれていったもんじゃ。
 60年代にブームがおこったインド音楽ほどのインパクトは無かったものの、学生時代に多少慣れ親しんだアイルランド神話の神秘的でドラマチックなストーリーをそのまま音楽にしたような、通常の西洋音楽とはまったく異質の旋律と展開に、しばし、ブルースもロックンロールも忘れて没頭出来たものだ。 未だ実現していないが、いつの日かオリジナル曲を多重コーラス無しの原型で披露して頂きたいと思うとる!
 ちなみにわしは90年代に、何の因果か日本ではまだマイナーなニューエイジ・ミュージシャンのCD解説書執筆の仕事がぎょうさん来てしまい、癒し系なる音楽を聞き過ぎて自律神経失調症気味になるというお笑い沙汰を起こしてしもうた(笑) エンヤほどのビッグ・ミュージシャンの作品だったら、果たして!?



7 果たして、
 神への冒涜だったのか!?
8 エロクトロニック・センセーション
■キングダム・カム(ファースト)■  ■イズント・エニシング
  /マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン■
 あまりもレッド・ツェッペリンに似ていた為、最初は大爆笑。 やがてヤミツキ。 デビュー前に匿名のデモテープがラジオでオンエアされてしまい、「ツェッペリン再結成か!」と騒然となったほどだから、コピーバンドではなくてスゴイ新人バンドだったのじゃ。 
 80年代後半は、ハードロック(ヘヴィメタル)・バンドが腐るほどデビューし続けたもんじゃが、ボーカルは若かりしロバート・プラントそのものであり、ギターやドラムスはまさに80年代的ツェッペリン風ヘヴィ・ロックだった彼らに、わしはガンズン・ローゼス、ニルヴァーナに続く、ニューハードロックバンド・コンテストの銅メダル(3位)を差し上げたいほど才能は本物だと感じておった。

 ツェッペリンのデビュー当時は、黒人ブルースのハードロック的変換で名声を勝ち得ておったから、キングダム・カムのスタイルが非難を浴びる理由はない。 ところが、世界中のオールド・ロック・ファン、オールド・ロッカーたちがキングダム・カムに対して「ふざけるな」と声を荒げまくった。 ジミー・ペイジまでもが! 「おいおい、オマエラちょっと大人げなくねーか?」「ロックそのものが、パクリパクられながら歴史を重ねてきたんじゃねーのか」と思ったがなあ・・・。
 冷静になって収録曲を聞き直してみれば、原曲はツェッペリンよりもポップなブルース・ロック。 フリーやハンブル・パイの人気曲に近いノリじゃ。 このセンスは、決して悪くはない。 ブルースロックの魅力を後世に継承していく道程、80年代後半というタイミングにおいては理想的な演奏じゃ。 現に轟々たる非難の中でも、本作は全米で売れまくったのじゃ。 しかしこの売れ過ぎ状態が、自称良識派オールド・ロックファンやロッカーたちの神経を逆撫でしたんじゃろう。
 まあ古豪ホワイトスネイクだって、露骨にツェッペリンのいいとこ取りをしまくって念願の全米制覇を果たしておったし、ツェッペリン・サウンド自体の需要が当時高かったと考えれば、ジミー・ペイジは「嬉しいものだね」と大人の対応をするべきだったじゃろう。
     マイブラ(バンド名の略)はアイルランド出身のシューゲイザー/オルタナティヴ・ロックバンド。 わしは21世紀になってからマイブラを気に入ったが、発表当時は本作を評価出来んかった。 んが、最高傑作と呼ばれる次作『ラブレス』とともに今では音楽データコレクションの中でダントツに再生回数が多いのでランクインさせておきまする!

 マイブラのサウンドとは、異常な回数の多重録音によるドリーム・ノイズ・ワールド。 トランスとテクノとロックとが混然一体となって、聞く者を日常生活空間から幽体離脱!?させてくれる。 ギターとかボーカルとか、ライブとかスタジオとか、そうした音楽を形成する要素や概念の一切合切を無効にしてしまう、一種原始宗教音楽のような異様なエクスタシーへと誘ってくれるのじゃ。
 ノイズ・ワールドといっても決して雑音の洪水ではなく、甘美なメロディーや硬質なリフを雑音寸前まで解体してから合体させる恐ろしく幾何学的な構成美と新しい耽美性を誇っておる。
 次作『ラブレス』はマイブラ・サウンド美学が凝縮された超名盤じゃが、本作(デビュー作)は『ラブレス』で一体化された様々なサウンド構成要素がまだ分離状態であり、或る意味では元祖グランジ・ロック的じゃ。 明確な音楽的バックボーンは聞こえないが、リスナーを病的に覚醒させる様々な音(音楽ではない)の原型がたたみかけるように襲ってくるのじゃ。 超ハイグレードな再生システムで聞いてみたい願望にかられているんじゃが、実際にそれをやっちゃうと気が狂うかもしれない!
 同時期のシングル曲や未発表曲を集めた「EP'S 1988-1991」と併せて聞くと、パンク〜ニューウエイブ〜エレクトリック・ポップといったブリティッシュ・ロック(ポップ)の流れが、マイブラの登場によって分裂を起こし、一方は本作の様なパラノイア的なオルタナティブ・ロックへ向かったことが分かる。 (もう一方は正統的グランジ・ロックじゃろう。)
 発表当時に本作の価値が理解出来ておれば、その後のわしの音楽嗜好もかなり変化していたはずじゃ!



9 ビッグネームたちの
  アフタヌーン・ティー
    10 ロック版オレ流!
■ヴォリューム・ワン
         /トラヴェリング・ウィルベリーズ■ 
■トーク・イズ・チープ/キース・リチャーズ■
 ジョージ・ハリスン、ボブ・ディラン、トム・ペティ、ジェフ・リン、ロイ・オービソンの5人による懐かしのスーパーバンド。
 全員が交互にボーカルを担当しておるので、スーパーバンドというよりも仲良しビッグネームたちの息抜きプロジェクトじゃ。 翌年のグラミー賞では、最優秀ロック・デュオ/グループを受賞。 プロモーションには、ジョージが愛用していたギター・ブランドのグレッチ社よりサポートを受け、全員がグレッチのギターを持った写真が撮影されるなど、メンバーの知名度もさることながらほんと〜に素敵なオヤジ・バンドの風情があったもんじゃ。
 前年に久々の大ヒット作品『クラウドナイン』を発表したジョージ・ハリスンが音頭を取って実現しただけに、往年のビートルズ・ファンも「ジョージ完全復活!」と喜んだことに違いない。

 カントリー&ウエスタン、ロカビリー、R&B、50sポップ等、アメリカのトラディショナル音楽を程よくオリジナルに変換したほのぼのとしたサウンドばかり。 説教臭さも気取りもなく、ポジティブでもネガティブでもなく、5人それぞれが「今歌いたい曲」を肩ひじ張らずにやっておる雰囲気がいい。 ことロックミュージックの世界ではこの極めてラフなスタイルは成功しないもんじゃけど、5人の個性が絶妙のアクセントとなって優雅なひとときをリスナーに提供してくれる。
 最近は往年のロックスターたちが集結した企画プロジェクトが頻発するようになったが、どれもこれも「大音楽会」みたいな荘厳なプロモーションがなされておる。 「ロックジジイたちの懐メロ大会では終わらせんぞ!」ってコトじゃろうが、気合が入り過ぎたジジイは逆に顰蹙を買うこともある!(笑) このトラヴェリング・ウィルベリーズのノリって、案外ファンは歓迎するものじゃ。 「元大スター、元名シンガーの名に恥じぬよう〜」なあ〜んてプレッシャーは捨てて、まずはいい仲間、協力者を見つけて、やりたいようにやって頂きたい。 その等身大のスタイルが自然とオーラってもんを引き出してくれるはずじゃ!

     キース、デビュー四半世紀目の初のソロ・アルバム。 タイトルを直訳すると「グダグダ言うな」。 大騒ぎ必至の状況を先んじて制する名タイトルじゃ!
 んで内容はと言うと、確かにグダグダ言ってもどうにもならないような、キース・リチャーズしか作り得ない名作でも駄作でもない“超作”(笑)
 キースがバーボンを飲み干せばそれがロックンロール、煙草を吸えばそれがロックンロール、バラードを歌えばそれがロックンロールetcと定義されておるミスター・ロックンロールなキースだけに、ソロアルバムを作ればそれがロックンロール(笑)って全然説明になっとらんけど、実際そんな作品じゃわい!

 あえて本作の音楽の魅力を探った場合、「ストーンズ、ミック・ジャガー抜きの音楽」って事じゃろう。 でもそんな独立志向は、有名バンドのメンバーのソロアルバムに共通しとる。 しかしことキース・リチャーズってなると、世間ではストーンズのギタリストの立場を遥かに超越して独り歩きしたイメージが膨れ上がっておる。 ギターも歌も下手くそ、音楽観もファッション観もセンス至上主義者、酒にもドラッグにも負けない超人的肉体の持ち主。 ポジティブ&ネガティブ相半ばするイメージを「とりあえず全部フォローしてやるぜ!」ってのが、本作における「ストーンズ、ミック・ジャガー抜きの音楽」の正体ではないじゃろうか。
 イメージとしては、キースがスタジオにふらりと現れてテキトーにギターをいじくりながらマイクにがなっているテイクを何とか楽曲として成立させた感じ! その為にスティーブ・ジョーダン(Ds)、ワディ・ワクテル(G)らのスゴ腕の連中が呼ばれたようなもんであり、根本的には彼らとキースのフィーリングとは合っておらん。 だがこの辺の歪さもまたキースらしいロックンロールってことになるのかのお。
 余談ながら、キースのソウル・フレンドであり、ストーンズ専属ピアニストだったイアン・スチュワートが生きておって本作の製作に参加していたら、もっとブルージーかホンキートンクな作品になっておったと個人的には信じておる。

以上の10選から漏れた主な作品は下記の通り。

『ナウ・アンド・ゼン/ロバート・プラント』
『アウトライダー/ジミー・ペイジ』
『デンジャラス・エイジ/バッド・カンパニー』
『ノーバディズ・パーフェクト/ディープ・パープル』
『バルセロナ/フレディ・マーキュリー&モンセラート・カバリェ』
『アメリカン・ドリーム/CSN&Y』
『ブライアン・ウィルソン』
『インスティンクト/イギー・ポップ』
『ビッグ・タイム/トム・ウエイツ(ライブ)』
『グリーン/R.E.M』
『ドリーム・オブ・ライフ/パティ・スミス』(右写真)
『スカイスクレイパー/デヴィッド・リー・ロス』
『オデッセイ/イングヴェイ・マルムスティーン』等。

 70年代から活躍するビッグロッカーたちが相次いでニューアルバムを発表しておる。己の美意識に固執して90年代まで駆け抜けようとする意志は感じるものの、どうもインパクトに欠ける作品が多い。 それだけアイリッシュの新興パワーが強かったということか。 翌年からはローリング・ストーンズやポール・マッカートニーが久しぶりのワールド・ツアーをスタートさせてオールドパワー復権の扉を開くことになるが、1988年時点ではわしは新興勢力の方に軍配を上げておったようじゃ。

 上述の通り、この頃は業界のお仕事で超絶ハードな日々がスタートしており、わしはロックの流れなんてものを気にするゆとりなんてまったくなかったはずなんじゃが、こうしてベスト10をあぶりだしてみると、結構流行をキャッチしておったようじゃのお。 これもロック野郎としての本能の成せる業か!? それでは皆の衆、ごきげんよう。また次回!
 



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