NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.287
うだるような東南アジア特有の熱気に包まれながら、今回は「45年前/1973年のロック(アメリカ編)」を書いてみたい。 現在わしは、約半年間の取材旅行を終えて、休息でバンコクにおるが、体調維持と節約の為に冷房無しのお部屋に宿泊しとる。 空調服なんざ持っておらんけど、暑さを忘れる為にはこの手の原稿がええ! 一気に書き上げたぞ! やはり集中力を発揮するにはロックンロール・ネタが一番というか、思い出話が一番じゃな(笑)
この年のアメリカン・ロック・シーンは、何と言ってもエルヴィスの全世界衛生中継「アロハ・フロム・ハワイ」の印象が強烈であり、1973年のアメリカン・ロックにおいてはその他の事はどーでも良かった?けど、こうして時系列に沿ってアルバムをセレクトすると、とても聞き込んだアルバムが多かったわい! ブリティッシュ編を含めてセレクトに困るほどオキニのアルバムがたくさんあったという事実は、「アロハ・フロム・ハワイ」の映像によってわしのロック魂があらためて活性化された証なんじゃないか、と思えてきた! エルヴィスならびに「アロハ・フロム・ハワイ」に感謝を込めながら「45年前/1973年のロック(アメリカ編)」をお送りしたい。
2018年ロック回想録B 45年前/1973年のロック(アメリカ編)
アロハ・フロム・ハワイ・ショック! ニュー・スターたちの快進撃が一斉スタート!!
1 エルヴィス・トウ・ザ・ワールド 2 エルヴィス・プレスリーみたいなギタリストだ!
■アロハ・フロム・ハワイ/エルヴィス・プレスリー ■ ■スペクトラム/ビリー・コブハム■■
問答無用の歴史的作品なんで、わしのノーガキなんかよりも、まずウィキペディアの紹介でいこう!
「1973年1月14日0時30分、ハワイのホノルル・インターナショナル・センターで行なった慈善コンサート。 報道番組だけに使われていた人工衛星を使い、世界同時生中継された史上初で最後の巨大ショーである。 (中略) 約38カ国で放送され、視聴者数は10億人以上とも、 15億人とも言われている。 日本では7時というゴールデンタイムで中継され、視聴率37.8パーセントを叩き出した。 アメリカでは33.8%、フィリピン91〜92%、香港70〜80%を記録した」
以上はライブ中継の解説であり、中継では24曲が披露されたが、アナログ2枚組のライブ盤として発表された本作は、現在では放映40周年記念の「レガシーエディション」として、CD2枚組の中にリハテイクを含めた51テイクが収録されておる。
実は73年にエルヴィスのアルバムは本作を含めて、オリジナル・アルバムの『ロックンロール魂』他、ベスト盤2枚の計4枚も発表されておる。 本作によって巻き起こった世界的な大エルヴィス・ブームを当てこんだセールスだったんじゃろうが、まあ他の3枚は影が薄いわな。
このまさに宇宙的な大企画によって、エルヴィスはロックスターからユニバーサル・スター、アメリカン・ヒーローになり、本作を単なるロックの名盤と定義するのは暴挙であることは重々分かっておりますんで、お怒りの方はどうぞ気を鎮めて下され(笑)
少々残念だったのは、ウィキべディアの後半でも書かれておったが、「ロックンロールは軽く流し、バラードに力を入れている。 ゴスペル調の張り上げる歌唱スタイルで感動を呼んだ」ってトコかのお。 もはやロック・スターとは次元の違うイメージ作りがエルヴィス・サイドで進行しておったんで致し方ないか!
当時日本ではほとんど注目されていなかった、ジャズとロックの融合(フュージョン的ロック)の先駆け作品であり、アメリカでは話題騒然となってビルボード誌のジャズ・チャートでトップに輝いた早過ぎた大傑作じゃ!
アルバム名義がジャズ・ドラマーのビリー・コブハムであり、アメリカではこの作品はロックではなくジャズ扱いされたことが、日本への情報が遅れた要因でもあるじゃろう。
ビリーはジャズ界でもトップクラスの超テクニシャン・ドラマーとして名高く、後にジェフ・ベックのギターインスト・アルバムでも大活躍する奇才キーボード・プレイヤーのヤン・ハンマーとコラボしたことでこの名作が生まれたのじゃ。 全編にわたり凄まじいドラミングとハイパーなシンセサイザーの応酬は、ロックでは体験できないマッハのスピードとスリルが炸裂しとる!
更に特筆すべきは、4曲でギターを弾きまくる当時ジェイムス・ギャングのメンバーだったトミー・ボーリンのプレイ!オープニング曲でのバカ・テクを聞いたディープ・パープルのメンバーが、トミーをリッチー・ブラックモアの後釜として強引に引き抜いたという有名なエピソードがあるほどの超絶ギターじゃ! 「エルヴィスみたいな〜」のコメントの主はリッチーじゃ。
わしもジミヘン以来の衝撃を受けたもんであり、とてつもないヤツが出てきた!と胸を躍らせた記憶がある。 トミーのプレイはジェフ・ベックをはじめとした数多くのギタリストに影響を与え、ロックシーンにおけるギターインスト、フュージョン・ロックといった新しいジャンルの確立に大いに貢献したのじゃ!
トミーはその後ディープ・パープルに参加して“しまった”挙句、3年後にはドラッグの過剰摂取で他界。 偉大なる功績は幻となってしまったが、本作発表45年の機に彼の再評価を期待したい。
3 殺すぞ、テメーラ!?
4 ボス登場!
■ニューヨーク・ドールズ・ファースト■ ■アズベリー・パークからの挨拶/ブルース・スプリングスティーン■
ニューヨークパンクの元祖、ニューヨーク・ドールズのデビューアルバム。 1973年時点でこの作品を聞いていた方ならば、3年後の1976年にデビューしたセックス・ピストルズごときに衝撃は受けなかったであろう!
発表当時は、わしにはそれまでのロックの歴史をないがしろにした、だけならばまだいいが、踏みにじり、パロディにしておるとしか思えない、絶対に許し難いアルバムじゃった。 当時はまだパンクという言葉はなかったと思うが、まさにクズ(パンク)にしか聞こえなかったもんじゃ。 まあ衝撃と言えば衝撃には違いなかったが、出来れば受けたくもなかった類の衝撃じゃった。
70年代初頭からコンセプト・アルバムや、高い演奏力を誇るロックばかり聞いておったわしは、マジメに歌え!きちんと弾け!!ブレイクを入れろ!!!ざけんなてめえらあああ〜!!!!って、こき下ろす為に我慢して本作を聞いておったようなもんじゃが、いつの間にかフラストレーション発散に繋がってハマってしもうたわい(笑)
一度ハマルと、当時全盛時代を謳歌していたブリティッシュ・ハード・ロックなんて全然ハードに聞こえなくなるほどの、恐るべきバイオレンスなロック・ワールドじゃ。
「ミュージック」の語源は「ムシケー」という説がある。 「ムシケー」とは、人類太古の時代の村祭りみたいな祭典であり、音楽を奏でる者たちとそれに合わせて踊る者たちが一体となったトランス状態そのものを指し示す言葉じゃ。
本作はわしにはロックンロール的ムシケーじゃな。 既成概念や現実全てを忘れさせ、ドールズとともに聞くもの全てをトランス状態に導く音楽じゃ。 極論を言えば、クラシックファンだろうがロックファンだろうが、大統領だろうが物乞いだろうが、その場で聞いてしまった者すべてを別世界へと放り出してしまうような超現実なロックンロールじゃ。
恐らく当時のレベルでも、ドールズの演奏は下手クソの部類じゃろう。 だからこそ出来た芸当かもしれん!? 唯一の例外はベースのアーサー・キラー・ケイン。 アーサーの無機質ながらも正確無比なベースラインという制御装置が無ければ、ドールズのプレイは楽曲して成立しなかったはずじゃ。
ロックとは暴力を暴力衝動で抑制することで奏でられる音楽ともいえるが、暴力衝動で留めおくことのできるメンバーがたった一人というバンドもロック史上稀じゃろう!
“ボス”・スプリングスティーンのデビュー作じゃ! ボスをロックンローラーではなくて、吟遊詩人もしくは散文家ととらえたならば、本作はボスの最高傑作と言えるかもしれん。
ご存じの通り、ボスのあまりの巨大な才能に対して、レコード会社は第二のディラン的フォークシンガーかロックンローラーか、売り出し方に大いに悩み、結果前者を選択したことで本作は非常に中途半端な完成度になってしもうたという逸話がある。 実際にチャートアクションも芳しくなかったので失敗作と見なされておる。
しかし失敗の原因とは、音楽的完成度ではなくて、作品自体が当時としては前代未聞であまりにもぶっ飛び過ぎておったからなのじゃ! 既にボスは、フォークとかロックとかの枠を飛び越えた遥かかなたのテンションから音楽をやっておった。 だから運良く本作を耳にしたリスナーも、本作の聞き方を知らんかっただけだったのじゃよ。
全編にわたって何かに憑かれたように言葉を乱射し続ける凄まじいスピードはロック史上でも例がなく、リスナーは耳が付いていかなかったはずじゃし、言葉(歌詞)自体も長編の日記なのか散文詩なのか何なのか、特殊な比喩や文法もないのにさっぱり分からなかったはずじゃ!
オレたちの住んでいるのはここだ! こんなことをやって毎晩暴れまくっているぜ!! 昨日アイツはああして本日コイツはこうだ!!! 生きているとはどういうことだ? 愛ってどこにあるのか?? 正しいってどうして苦しいのか??? オレたちは未来永劫このままなのか???? 労働者階級の青春の情熱と苦悩をあらんかぎりのエネルギーで書き散らかして歌いまくっているのじゃ。 「これはこれで素直に受け止めるしかない」のじゃ。 バックバンド、E・ストリート・バンドでさえ、まだボスのサポートの仕方を把握していない様な不安定な演奏なのに、リスナーがボスの受け止め方を分かろうはずもない。 とりあえず一般向きには、ブルース・スプリングスティーンというとんでもない才能を持ったロックンローラーが出現したという事実を知らせるためだけの作品じゃ。
本作収録曲の中から、マン・フレッドマンズ・アース・バンドが「光に目もくらみ」を、デヴィッド・ボウイが「都会で聖者になるのは大変だ」「成長するということ」をカバーしておる。 既にボスのメロディメーカーとしての才能も発揮されており、青春期特有の超自己満足的作品ではないことも付け加えておこう。
5 評価が難しい、50年代へのザ・バンド流オマージュ
6 粒ぞろいの楽曲でいきなり大飛翔
■ムーンドッグ・マチネー/ザ・バンド■ ■レイナード・スキナード・ファースト■
アナログ盤時代のレコードスリーブは、50年代のジューク・ジョイント。 ソングリストは全編オールド・ロックンロール&ポップス。 タイトルは50年代の人気DJアラン・フリードのプログラム「ムーンドッグ・ロックン・ロール・パーティ」からの引用。
ノスタルジー感満載のイメージで固められた本作は、アメリカン・トラディショナル・ミュージックの伝道師ザ・バンドが発表したフル・カバー・アルバムじゃ。
60年代以降のシーンは、アルバムはオリジナル曲で占めることが通例となっていただけに、久々にロックシーンに登場したフルカバー・アルバムでもある。
しかしながら、故意的にモダンなアレンジやテクニックを避けて、シニカルにコミカルに独特のトラディショナル・プレイを披露してきたザ・バンドが、時代を遡った前時代的ロックン・ロールを聞かせるのかと思いきや、真逆なスタイルによってオールドタイム・ソングを蘇らせたところがミソ!?
ザ・バンドとしては初めてと思われる綿密なスタジオワークで統一されて、淀みのないクリアなアレンジと各楽器のモダン・トーンが全曲において徹底されておる。 ちょっぴり下手くそに聞かせてきたコーラスやアンサンブルは影を潜め、まるで映画のサウンドトラックの様な仕上がりじゃ。 ロックアルバムに聞こえなかったためかセールスも上がらず、評価はイマイチ。 見事にファンの期待を裏切った作品として位置づけされてしもうた。
ノスタルジーは誰もが内包しておる嗜好ではあるが、それを音楽で完璧に表現することは不可能であり、しかも過去の再現という表現自体が偉大な先人たちの冒涜行為とザ・バンドはみなしておったのじゃろうな。 しかしやっぱりファンはザ・バンドのノスタルジックな演奏を期待したのじゃろう。
本作の価値をあらためて考え直した場合、それは時を経るごとに「実は素敵なアルバムだった」って感じられる可能性を秘めておることじゃろう。 73年時点で超モダンだった音も次第に古臭くなっていき、オリジナル・バージョンに至っては陳腐に聞こえてしまう場合もある。
ザ・バンドは愛する楽曲たちが陳腐に聞こえてしまう時代を見据えて、可能な限りの超モダン・スタイルで録音に臨んだのかもしれん。 発表から45年、本作が大衆に愛される時期が到来しておるのかもしれない。
オールマン・ブラザースとともにサザン・ロックのスターバンドだったレイナード・スキナードのデビュー・アルバム。
当時からトリプル・ギターを含む大所帯のバンドとして売り出されておったが、爽快な音抜けを基調とした楽曲のアレンジは特にコケ脅かし的なスケール感はなくて、典型的なサザンロックバンドの風情が横溢。 またアメリカン・オールド・ポップスの様な万人受けする楽曲が多く、特にバンドの終生においてライブのハイライトとなる「フリー・バード」、更に「シンプルマン」「チューズディズ・ゴーン」の3つの名曲が既に発表されている事実に、デビュー間もなくの大ブレイクを予感させる!
彼らはエネルギッシュなライブ活動によって、一気に全米的な大人気を獲得していくことになるが、アルバム自体はしばらく凡作が続くことになる。 とにもかくにも、このデビュー作無くして彼らの名声も無かったのじゃ!
後に彼らのシンボルとして南北戦争の南軍旗(サザン・クロス)が用いられ、ハンバーガー、マルボロ、コカ・コーラ、ミルクシェークといったアメリカンの生活必需品の数々がPRアイテムの中で踊ることになる。 それは全米的人気を獲得するための戦略でもあるが、彼らの音楽のテーマ自体がアメリカンの日常生活に根ざしておることのアピールでもあり、楽曲のテーマも楽器のテクニックも複雑化の一途を辿っていたロック界へのアンチテーゼでもある。
ジャケ写で明白な通り(?)、学生上がりの気のいいアンちゃんたちが集まったいわばご近所ロック・バンド!?がやる、情緒があってカッコイイロックンロール、それが彼らの基本スタイルなのじゃ。
また取り立ててスター・プレイヤーもいない代わりに、大所帯のメンバー全員が一致団結してスケールアップを試みるバンド運営方針も、大衆の支持を得ることになったのじゃ。 楽しみも悲しみも、ファンを含めてみんなで共有していこうというファミリー・ロック集団がレイナード・スキナードじゃった。
ロックンロール・スターには反体制的な危険な香りが付き物じゃが、そんな古典的な属性を振り払った地点からスタートした彼らは、ロック・バンドの新しいスタイルだったのかもしれん。
7 ピアノ芸人 8 アメリカン・ローカル・ロックの醍醐味
■ピアノマン/ビリー・ジョエル■ ■バング/ジェイムス・ギャング■
デビュー作がまったく売れず、レコード会社を移籍して仕切り直して製作されたビリー・ジョエルのセカンド。
当時のビリーには、後の彼の冠となる「ニューヨーク」は無く、アメリカ西海岸各地を放浪する彷徨いのピアノ弾きといった風情がピッタリ。
また後に発表される名曲「ストレンジャー」「素顔のままで」「オネスティ」といった洒落たシティブルース風味とは異なり、場末の見世物小屋のお別れソングのようなひなびた哀歌調が漂っておるんで、わし個人的にはビリーのベスト作。
まあ垢ぬける前の野暮ったさが好きなんじゃけど、同年デビューしたやはりピアノ弾きのトム・ウエイツほどの強烈なキャラクターはビリーには無いので、音楽的に洗練されながら故郷ニューヨーク凱旋に近づくことがビリーの生きる道だったんじゃが、ビリー本来の職業ピアニスト/シンガーとしての芯の強さ、素の姿をそこはかとなく感じることのできる秀作じゃ。
先述の通り、まだニューヨークへの道は遠く、クラブのピアノ弾きで生計を立てていたビリーだけに、リスナーに語り掛けてくるようなダイレクト感がとても魅力的じゃ。 意外とブルースやカントリーのフレーバーを感じさせるのも 、客受けするならなんでもやらなければならなかった当時の現実から生まれたアレンジじゃろうが、それを哀愁とか悲哀を越えて一種のお笑いの域に引き上げてしまう芸人としてのビリーの才能の成せる技じゃ。
その一方では、ショウウインドウの向こうにある輝くばかりの高価な楽器、ストリートを闊歩する天使の様な美女、豪華なディナーをとる上流階級の家族等への多少の世間的なやっかみ、恨みつらみを抱えながらも、表面化するギリギリのレベルで封印出来る音楽家としての素晴らしい抑制力も既に発揮しておる。
デビュー作の失敗は、レコード会社のアレンジ過剰がもたらした結果だったが、それを踏まえて極めてシンプルにビリーのセンスを全面に押し出したことにより、本作は後のスーパースターに真のスタート地点を与えた記念碑的作品となったのじゃ。
イーグルスの“ホテル・カリフォルニアを弾いた”ジョー・ウォルシュが在籍したことでも知られるジェームス・ギャング。
本作はジョー脱退後にトミー・ボーリンを迎えて製作された作品であり、スタジアム・ロック的華やかさはないが、ローカル・ロックのカッコよさがビシバシ展開される隠れた名作じゃろう。
スワンプ・ロック、サザン・ロックもしくはテキサス・ロックなど、リスナーに感じさせる地域の風土によってアメリカン・ロックはカテゴライズされておったが、ひっくるめて言えばローカル・ロックであり、ブルースやカントリーなどの伝統音楽が色濃く反映されておるロックじゃ。
ジェームス・ギャングはいわばその典型であり、本作はワイルド・ブルージー一辺倒なジョーのパワー・ギターを推す従来のファンには不評かもしれんが、トミーのブルース・ギターとハードロック・ギターの基本を踏まえた織り目正しいテクニックが、楽曲を全米ネットワーク上で通用するまでスケールアップさせとることは間違いない!
しかしトミー・ボーリンというギタリスト、控え目というか我が強くないというか、何故だか弾き切ろうとしないスタイルが何とももどかしい。 リスナーが絶頂を迎えそうになると引いてしまうのじゃ。「ここまでやって、そりゃ〜ねーだろう!」ってフレーズが実に多い。
バカテクのくせに、センスは(良い意味で)ルーズであり、まったくもってムカツク!(笑) この辺のフラストレーションは、先に取り上げた「スペクトラム/ビリー・コブハム」でのプレイで解消するしかない!
アメリカン・ローカル・ロックの魅力とは、メジャーに成れそうで成れない微妙なサウンド・スケールじゃろうか? 当時は、そいつを強引に水増ししてメジャー化させようとする無粋な?プロデューサーは少なく、ある意味でローカル・ロックにとっては良い時代だったのかもしれん。
トミーはジェームス・ギャングというバンドを、そんなローカル・ロックの本質から逸脱させたくなかったとしか言いようがない。 しかし、翌年にはディープ・パープルへ移籍って、やっぱり彼のアクションはとっても変。 ロックの女神の歴史的ミステイクじゃよ。
9 イーグルスのビフォー・アフターが交錯 10 果たしてジミー・ペイジは親指を立てたか!?
■ならず者/イーグルス■ ■アメリカン・バンド/グランド・ファンク・レイルロード■
イーグルスに対して「ホテル・カリフォルニア」派ではなく、「テイク・イット・イージー」派の方ならば文句なく傑作に挙げるじゃろう!
セカンド作品にあたる本作のイーグルスは、完全なカントリー・ロック・バンド。 バンジョーの達人バーニー・レドンが演奏の主導権を握っており、まだまだローカル・バンド然としておる若きイーグルスの躍動を聞くことが出来る。 なんか、大きなマグを掲げて生ビールをガブガブ飲んどるお客でいっぱいのビアホールに出演するカントリーバンドみたいな風情を感じるわい!
西部開拓時代のならず者ドゥーリン=ドルトン・ギャングの盛衰が描かれたコンセプト・アルバムらしいが、それは日本人にはあんまりカンケーナイというかワカランわい(笑) じゃが、そのコンセプト・アルバムという構成が起伏ある楽曲の配列をもたらし、大いなるアクセントとしてセットされたのが名曲の誉れ高いタイトル・ソングと「テキーラ・サンライズ」じゃろう。 この構成が、同系のデビュー作と本作との大きな違いじゃ。
デビュー作との差別化を図ることに功を奏したコンセプト・アルバムという構想は、まだ表面化していなかった各メンバーのパーソナリティの覚醒にも繋がっておる。 ドン・ヘンリーの深く陰影に富んだ情緒性、グレン・フライの責任感のある楽観性、ランディ・マイズナーの幅広いマルチ性、その個々のキャラクターがソングライティング、ボーカル、楽器演奏においてそろそろ芽吹き始めているのが本作の聞きどころじゃろう。 一介のカントリー・ロック・バンドだった彼らが、後にビッグなバンドへと大飛躍を遂げる予兆を感じとる事が出来るのじゃ。
有名バンドが大ブレイクする前には、不思議と過去のオマージュ的作品が収録されておる。本作においては「テキーラ・サンライズ」が該当するじゃろう。 何をどうしていいか分からず、美しい夕日を前にテキーラサンライズ(カクテル)を飲むしか術のない自分を自嘲するナンバーじゃが、この曲を歌うグレイ・フライには、既に大きな未来がはっきりと見えていたのかもしれない!
「めっちゃカッコイイけど、手が付けられないほど粗野で下手くそ」ってのが定評じゃったGFR。 ツェッペリンのジミー・ペイジに親指を下に向けて蔑まれておったな!
まあこの手のバンドの人気は長続きしないもんじゃけど、デビューから5年、人気回復として起死回生の一撃になったのが本作じゃ。
プロデュースを買って出た奇才トッド・ラングレンによる鮮やかな楽曲の改編、希代のハードロックの名曲であるタイトル曲の存在、血生臭いブルースロック志向からポップ・ロック志向への転換が明白等、本作を名作たらしめた様々な要素が語り継がれておるが、まあどれも正解(笑)
しかしどの論評も、いわば薄汚いハードロック野郎が髪を切って髭をそってキレイなジーンズを履いて規則正しい生活を始めた、みたいなもんじゃ!
わしの方からもうちょっとツッコンダ指摘をするならば、本作におけるGFRの激変は、元来彼らが内包していた様々な音楽性をトッド・ラングレンがきちんと分類し、精製したと言えるじゃろう。 だから厳密には音楽的に従来のGFRと大きな差異はない。
初期のGFRは、ブルース、カントリー、ファンク、ガレージロック、オールドポップスなんかをごちゃまぜにしながら突っ走る得体の知れないセンスで押し通してきたが、トッド先生が「ロックはロック、ファンクはファンクで、余所見をしないでちゃんと演奏しましょうね」と不良生徒じゃったGFR君たちを更生させたようなもんじゃ!(笑)
まあゴリゴリ、バリバリのGFRファンからすれば随分とお行儀が良くなったGFRに難色を示したようじゃが、タイトルソングの大ヒットが引き金となって、こうした方向転換がすぐにビッグセールスに結びつくのもアメリカン・マーケットのおもしろいところじゃ。
タイトルソング終盤で、リーダーのマーク・ファーナーが「Come On Blue, Let Get It On!」と雄叫びを上げるが、これはやりたい放題やってきた過去への惜別宣言と受け止めるべきじゃろう。
今上記セレクト外での名盤、個人的な愛聴盤としては、
『野獣生誕/エアロスミス』
『ブラザーズ・アンド・シスターズ/オールマン・ブラザーズ・バンド』『クロージング・タイム/トム・ウエイツ』
『ロウ・パワー/ストゥージーズ』
『GP/グラム・パーソンズ』
『ライフ・アンド・タイムス/ジム・クロウチ』
『ベルリン/ルー・リード』
『青春の叫び/ブルース・スプリングスティーン』
『ジョニー・キャッシュ・&ヒズ・ウーマン』
『ロックン・ロール魂/エルヴィス・プレスリー』
等といったところじゃな。
ブルース・スプリングスティーン、レイナード・スキナード、エアロスミス、ニューヨーク・ドールズ、トム・ウエイツがデビューし、ビリー・ジョエルやイーグルスがセカンド・アルバムにて体制を整えるといった、まさに70年中期のアメリカン・ロック・シーンを瑞々しく彩った面々の若き日の傑作アルバムが揃った年が1973年のアメリカン・ロックの実体じゃな。
では、次回は引き続きのロック・ネタ「40年前/1978年のロック」といってみたい!
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