■ “嘆きの一言”が導いた「Xバー」との出会い ■
大晦日が迫る昨年の年末、バンコクのいきつけのバーで飲んどった時のこと。 運悪く飲みたいウイスキー3~4種類がことごとく欠品じゃった。 イライラがつのって「なにやっとんじゃ、バカモノ!」ってわめきたいのを堪えに堪えて(笑)、「好みのウイスキーが無いのお~」とため息まじりにこぼしたところ、思わぬフォローが。
カウンター席数席隣りにおったもう一人のお客さんが、「そんなにウイスキーがお好きなら、〇〇にある“Xバー”に行けば必ず飲みたいウイスキーが見つかりますよ」と。
聞けば、看板も出さず、宣伝広告もしていない、日本人経営のシークレット・バーらしい。 バンコク歴がそこそこあるわしも初めて聞く名前じゃった。 お店の外観も、飲食店やマッサージ屋が林立するストリートにひっそり佇む、人家なのか店舗なのか倉庫なのか見分けがつかないという。
紹介して下さった方に丁寧に御礼を述べておると、欠品だらけのバーのマスターがいい顔をしていないのが分かった。しかしそんなこと、知ったこっちゃねー!(笑) その日は既に深夜1時を過ぎておったので、年が明けてからさっそく“Xバー”へ繰り出すことにしたのじゃ。
■ シークレット・バーと少々ミステリアスなマスター ■
“Xバー”は某ショッピングストリートから入った1本の路地の奥に位置し、外観のほとんどは高い垣根のような樹木に覆われておる。 垣根の奥に少々重めの木製扉が見える。 確かに「何の建物か」判然としないので、初めて扉を開ける時は少々勇気がいるかも?!
店内は20人ほど並列に座れる細長いカウンターがあり、その奥にはおびただしい数の洋酒と日本酒のボトルが陳列された棚がセットされておる。 優しいジャズの調べ、程よい温度の冷房、彩度を落とした照明がシークレットバー特有の静謐な雰囲気を演出しておるが、インテリアはとりたてて豪華でも超個性的でもない。 いわば秘境や樹海の中に忽然と現れる「癒しの山小屋」の様な、マイナスイオン漂う静謐な空間じゃ。
まず初老のマスターの柔らかい物腰、平身低頭な接客姿勢に緊張感が和らぐ。 「一見さんお断り」「安酒オーダーお断り」「うん蓄お断り」みたいな超頑固マスターでもおったらおもしろいじゃろうな!などと勝手に想像しておっただけに、まるで大会社の重役秘書のようなマスターの雰囲気に、ついついわしも低姿勢になったわい(笑)
しかし、自然と身に付いておる優雅な佇まいと紳士的な姿勢は、“ただものではない雰囲気”を漂わせてはいる。 この人は一体どんな方なのだろうか?取材屋気質がムクムクと頭をもたげてくることしきり!
更にわしにとって幸運だったのは、お互いの軽い自己紹介の際にマスターが「バンコク在住歴云十年」ということが分かり、かつてわしが製作しておった日本語情報誌までマスターは読んで下さっていたことじゃった。 当時の日本語情報誌事情にも大変に詳しい。 そこからスムーズに会話が展開することになり、訪問後1時間ほどは他にお客さんがいらっしゃらなかったこともあり、わしは結果として“Xバー”初心者として温かく迎えて頂けることになった。
■ どうしてええのか分からん御通しセット?! ■
さっそくわしのフェイバリットのアイリッシュ・ウイスキーすると御通しセットが運ばれてきたんじゃが、これが素晴らしい! 赤い酢タコと黒豆(別の日は酢ダコとだし巻き卵)。 チェイサー。 牛乳のような液体が入ったショットグラス。 さらに水とスポイドの入った小ぶりのグラス。 このお通しセットだけで、この店が普通のショットバーではないことを思い知らされ、新たな緊張が走る!
恥ずかしながら、酒場に行くといきなり「ねーちゃん、ナマチュー(ナマダイ)ひとつ!」の世界に慣れとるわしには、ひっさしぶりに訪れた飲酒の格式のようなセット。 どーしてええか全然分からん!(笑) 躊躇しているわしにマスターは何も言わない。 何となく、いきなりウイスキーをあおるのが失礼な気がして、恥をしのんで「このセット、どうしたらよろしいでしょうか」と聞いてしまった(笑)
まずショットグラスにはいった白い液体は、じゃがいもと乳酸飲料の冷製スープ。 飲酒の前にこれを胃にいれておくと酔いが抑制されるとのこと。 酢ダコと黒豆(別の日はだし巻き卵)は、おせち料理気分の演出と同時に、全てのお酒に合う食べ物という前提でセレクトしているという。 う~ん、このお通し、もったいなくて口に運べないわい!
■ 1杯〇〇,〇〇〇円スコッチの爆発 ■
さらに御通しセットの中でもっとも謎めいていた水とスポイトじゃが、これはウイスキーをストレートでオーダーしたお客に添え出されるようで、常温の水を少々スポイトに吸い込ませてウイスキーに一滴垂らすと、ウイスキーの香りが豊かになって味わいが深くなるんだそうじゃ!
「ではさっそく!」とスポイトを手にした瞬間、マスターから「待った」が(笑) 「水を垂らす前に、ウイスキーの香りと味を確認しておいて下さい。 そうしないと後ほど違いが分からなくなりますから」と。 もう恥かきっぱなしだけど、楽しいわい(笑) クオリティの高いウイスキーになればなるほど、加水すると嗅覚でも味覚でも“まるで花のつぼみが一気に開いたような変化”を味わえるんだそうじゃ。
しかし残念ながら、わしにはそこまでの感動はなかった。 恥ずかしながらその旨を伝えると、マスターは47年前に醸造されたその名も「1972年」という既に醸造所自体が廃止になった超高級クラシック・スコッチ・ウイスキーで試させて下さった!
結果、全身しびれる様な感動! ウイスキーの芳香、芳醇とは、まさにこの事成り、じゃ。 わしが感動でウルウルしておると、マスターは更にひと言。 「今度は、水を垂らした後、スポイトでウイスキーを軽~く混ぜてみて下さい」と。
結果アゲイン、ウイスキーの芳醇が炸裂!爆発した香りが目や耳から噴き出してくるんじゃねーかって思ったほどじゃ。 この素晴らしき体験を素直にマスターに伝えると、「これはですね、1972年というスコッチならではの効果なんです。 貴重な体験をして頂いた次第です」と! 後ほどこっそりと、ボトルの裏側に張ってあるお値段シールを確認したら、確か一杯約15,000円に見えた(大笑)
■ 居酒屋にしたくない=お酒そのものを味わってほしい ■
さて、“Xバー”が何故看板も出さず、取材も受け付けず、広告も出さないのか? マスターの答えは実に明確であった。
「居酒屋にしたくないからです」
と。 居酒屋にしたくないということは、お客さんがお酒を飲みながら楽しく語らい酔っぱらう、という店のスタイルをとりたくないということじゃ。 つまり、上質なお酒の味そのものを、一人もしくは少人数で静かに、穏やかに楽しんでもらう事がマスターのポリシーなのじゃ。 だからメディアへのアピールは一切必要ないのじゃ。 そのポリシーを開店以来14年も続けてきたというから驚きであり、 口コミのみで、流行り廃りの激しいバンコクのバー業界で生き残ってきたのじゃ!
「居酒屋にしたくない」「お酒そのものを楽しんでもらう」
この2つを“Xバー”のキーワードとすれば、静謐ながらシンプルなインテリアと店内のムード作りのベースになるスピリットが見えてくる。 余計な装飾が「お酒の味を鈍らせる」ことをマスターは何よりも嫌っておるのじゃろう。
更にマスターは「カウンターを挟んだ、お客さんとの適度な距離感」を大切にしておるそうじゃ。 お客さんとの遠からず近からず、このバランスが崩れるとやはりお酒の味を鈍らせるということなのであろう。 このマスターは、本当にお酒を愛しておるのじゃ!わしも同じじゃけど、愛し方が全然違うのお~(苦笑)
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