NANATETSU ROCK FIREBALL COLUNM Vol.281

 2017年は約9ヶ月の間東南アジアにおったわしじゃ。 本来は8月頃から中央アジア~トルコ~東ヨーロッパを周遊する予定じゃったが、バンコクで準備を進めておる途中でアセアン諸国の取材依頼が入ったので、自由旅行を断念して再びアセアンを訪れて続けておったわけじゃ。 
 正直なところ、旅行者としてはもう東南アジアは飽き飽きしており(笑)、取材依頼がなかったらしばらくはご遠慮したいところじゃったが、そうはならなかったのも東南アジアとわしとの縁ちゅうもんじゃろうな。 直近の三ヶ月は取材、もしくは取材の根回し、協力者探しに必死じゃったのであまり遊んだ記憶はないが、たくさんの人との縁に恵まれてこの度第一次取材が終了した。 
 しかし簡単に「縁」と呼ぶにはあまりにも劇的な再会、有難い出会いが続いたお陰で、ともすれば取材だけの荒涼とした日々に鮮やかな色合いを加えて頂いたもんじゃ。 日本の中で平和ながらも平凡な生活を続けておったら決して味わうことのできない喜びと感慨を味わった。 旅の神様、The-King、そして今年もこのコーナーまで読んで下さった諸君に深く感謝しながら、大変に印象に残った出会い、再会、そして別れまでご紹介して「頑固七鉄コーナー2017年度版」の〆とさせて頂きたい。

七鉄のロック回り道紀行~Vol.24 
「2017年度・七鉄の旅」を彩った、出会い、再会、そして別れ

■ 第1話 タイ・バンコク編~男の記憶を消す女 ■

 1999年から2006年までわしはタイで働いておったが、最後の1年半は居酒屋のマネージャーじゃった! それも見渡す限りの大平原の中にぽつんとある田舎街であり、日本人が当時100人ほど働いていた工業団地に近い50メートル四方のショッピング・エリア内での飲食稼業じゃった。
 そのド田舎の小さなショッピング・エリアの端っこに奇妙な店があった。 年の頃30歳手前のタイ人ママが一人でやっているこじんまりとしたスナック・バー。 そのママが何ともミステリアスな雰囲気をもった色白美人。 タイ人にしては珍しく無口であり、昼間に彼女をみかけた者は誰もおらず、彼女に会えるのは夜間の営業時間のみ。 夜間も店はやっていたり、やっていなかったり。 「昨日行ったよ」という者もいれば、「え?昨日は閉まっていたけど」という者もいた正体不明のお店・・・。
 わしが仕切っていた居酒屋に来る常連さんのほとんどが彼女に興味津々じゃったが、誰もが「彼女は一体何者なんだろう」「身の上バナシを一切しないんだよ。 尻尾を出さないんだ」と話しておった。 中にはストレートに「口説きたいんだけど、鼻にもかけてくれない」とこぼすお客さんもおったほど、人気絶大じゃった。
 だからわしも3回ほどこっそりとお店の様子を見に行ってみたんじゃが(笑)、彼女はほとんど口をきいてくれない。 よく覚えている唯一のセリフは「カラオケはやらないの? だったらギター弾く?」。 店の奥からアコギを持ってきてくれたっけな。

 今年の夏、取材旅行の準備の為にバンコクに逗留していたある日、宿が電気工事の為にwifiが繋がらなくなり、wifiフリーのカフェでPCを叩いておった時のこと。 斜め後ろ45度くらいの位置から人の視線を感じていたので振り返ると、品の良い日本人とおぼしき中年女性が微笑んでいる。 カフェのママのようでもある。
 「珈琲もう一杯いかが」と。 タイ語だ。 日本人じゃなくてタイ人だった。 「いや、もう珈琲はいいよ」と返すと「じゃあ、ビールは?」と。 「まだ昼間だからビールは早いよ」と再び返すと驚きの返答が!
 「居酒屋のマスターさんが、昼間ビール飲めないなんて」と言って、口に手を当てて笑い始めた! 要するに、あのミステリアスな美人ママだったのじゃ! よくもまあ、10年以上も前に3回だけ来た客の顔を覚えていたものだと驚愕したわい!

 それからそのミステリアス・ママと昔話をしたが、口数は多くなっていて、美しさには磨きがかかっていた。 しかし不思議だったのは、あの当時、彼女はわしと一緒に最寄りの地方都市まで彼女の車で一緒に買い出しに行ったことが何度かあるという。 また、彼女が店を撤退する時、お店の片づけをわしが手伝ったんだそうじゃ・・・。 まったくわしは覚えていないんじゃな、そんなこと。
 さらに「私の誕生日には、お店からわざわざお寿司を届けてくれたじゃない」と言われた時は、正直なところ怖しくなったわい。 ミステリアスな美人ってのは、男にとって他人に自慢したくなるような嬉しい(有難い)記憶を消してしまうものなのかと、彼女が「宇宙人」か「もののけ」の様に思えてきてゾッとした。

 今では、カフェから離れた所でパブもやっているそうで名刺を頂いたが、とても行く気になれない(笑) ただでさえ年のせいで記憶力が悪くなっておるのに、その上また記憶まで消されてしまったらたまったもんじゃない!(笑)
 しかし、この手の女性と出会ったり、再会したりする事は、知らない土地に行って、知らない人と出会っていくに従って成立してくる取材という仕事に得体の知れないパワーを頂けるものなのじゃ!


■ 第2話 カンボジア・プノンペン編~スマホ没収の危機を脱する大芝居を成功させた再会 ■

 プノンペンを初めて訪れたのは18年前の1999年。 当時と今とでは街の様相が激変しており、1999年当時のアングラでディープなプノンペンを見つけることは不可能に近い。 しかし当時のイメージだけは強烈じゃ。 街のあちこちに長すぎた内戦の傷跡が生生しく残っており、モニボン通りという目抜き通り以外は舗装がされていな発展途上国以前の発展開始国状態。 ローカルの飯屋や飲み屋は掘っ立て小屋同然の店も多く、夜はモニボン通り以外は乏しい灯しかなくて、まあ~妖しさ満点のダーク・シティじゃった。
 1999年も取材で訪れたんじゃが、当時の写真も取材メモもまったく残っていない。 あるのはおぼろげな記憶だけ。 今回の取材がひと段落したある夜、その乏しい記憶だけを頼りに、当時泊まったホテルや、オフに利用した飲み屋、カラオケ屋等を探してみた。 しかし人間の記憶なんていい加減であり、しかも土地勘のない外地の記憶はまったく当てにならない。 やっぱり何ひとつ見つけることが出来なかった。

 「18年という年月はあまりにも長過ぎたのお」と諦めて、あるオープンエアーのバービアでビールをあおっておると、バースペースの奥に見える建物の入り口が何となく見覚えがるような気がして、ビアマグ片手にその建物に入ってみた。 その瞬間、2階に上る階段の位置や角度、周囲の壁や天井の雰囲気から、この建物の2階は18年前に打ち合わせと称して現地取材協力者と頻繁に待ち合わせをした個室カラオケ店であることに気が付いた! 超色白、脚長、長身の美人受付(チーママ?)がおったからじゃ(笑)

 階段を登っても何故か店員が一人もいなかったが、懐かしさのあまりスマホで写真を撮り始めた直後、予想外の出来事が起こった。 シャッターの音に反応するように手前の部屋の扉が開き、いかつい男ども3人が飛び出してきた。 彼らは口々に「キサマ、何やってんだ!」と大声を上げてわしのスマホを無理矢理取り上げやがった!
 冗談じゃない! 大切なデータが満載のスマホじゃ。 わしは没収(もしくは破壊)される恐怖に取りつかれた。 「なんでカラオケ店で写真がダメなんだ」「ここはカラオケじゃねえー! 隠し撮りなんてふざけんな!」と激しいもみ合いになってしまった。
 やがて一人の中年女性が「アンタたち何やってんの?」と姿を現した。 色白で背が高い羽振りのよさそうな女性だ。 多分ママだろう。 彼女を見て、咄嗟にこの女性は18年前にいた美人受付嬢ではないかと閃き(勘違い?)、ダメもとで「あなた、18年前にここで受付をやっていたベリー・ビューティフル・ガールでは? 僕はあなたに会いたくてよくココに来たんですよ」と出来るだけ冷静になってお世辞をかまして助けを乞うた。

 わしの問いかけには何も答えなかったが、やがて彼女は男どもに落ち着くように指示を出し、わしに静かに話し始めた。 「カラオケ店ってのは、随分昔の話よ。 今は“闇マッサージ屋”(本番付き違法マッサージ店)。 あなた知らなかったの?」と。 「そうでしたか。 18年ぶりにプノンペンに来たもので・・・さっき撮った写真は削除して構いませんので、スマホを返して頂けますか」と丁重にお願いしたところ、写真を削除した上でスマホを無事返してもらえたのじゃった。 「闇マッサージ屋じゃあ写真は厳禁じゃよな。 いやあ~危なかったわい」と胸をなでおろした次第。
 しかし彼女は本当にあの受付嬢だったのじゃろうか。 “あなたは、あのベリー・ビューティフルな~”ってお世辞はいわば苦し紛れの芝居じゃったけど、それが功を奏したのは間違いないじゃろう(笑)


■ 第3話 ミャンマー・ヤンゴン編~激ワル、嫌われジイサンが紹介してくれた、超ご親切な和食店の大将 ■

 旅人の世界ってのも一般社会と同じで案外狭いもの。 一度悪評が立つと、尾ひれが付いてあっという間に広まってしまうものなんじゃ。 初めてのミャンマー入りの前、わしはバンコクの宿で運悪く“札付きのワル、変態”呼ばわりされておる日本人おじいさんと部屋が隣になった。 ところが、このおじいさんが大のミャンマー通であり、頼みもしないのに、次から次へと現地情報をくれた。 「とにかく1回行け。 必ず行け」と念を押されたミャンマーの旧都ヤンゴンにある日本料理店へ試しに行ってみたら、これが大正解! ここのマスターが後のミャンマー取材の力になってくれる方を次々と紹介してくれたのじゃ。
 そのあまりの親切ぶりに驚いたことは言うまでもないが、そのマスターとは奇妙な共通項が多く、一風変わった縁で結ばれていたとしか思えないような事実が次々と発覚して「こんな事ってあるのか」とお互いにうろたえるほどじゃった(笑)

 まず、同世代(マスターがひとつ上)。 誕生日は、わしが昭和天皇誕生日で、マスターが平成天皇誕生日(笑)。 もっとも好きなヨーロッパの都市がお互いにハンガリーのブダペスト。 わしは柔道初段でマスターは剣道の7段の師範(違い過ぎか!)。 極めつけが、マスターの本籍地が、わしの本籍地の隣町! ついでに好きな昭和の女優さんも酒類もそっくり(大笑)
 またタイで居酒屋稼業の経験のあるわしと、ヤンゴン日本食店歴数年のマスターと、従業員の教育の仕方、現地在住日本人に愛されるための方法論などもほとんどお互いにズレがなく、まあマスターと飲む酒は最高じゃった!

 依頼されていた取材仕事の他にも、ミャンマーに関して個人的に調べたいことがいくつかあったが、それもマスターの「ここに行けばいいかも」「この人を訪ねてみたら?」というアドバイスがほとんどドンピシャだったのにも驚いた! マスターの仲介で知り合えた方々は、こっちが知りたい事を伝える前に、ほとんど世間話のノリでスラスラと教えてくれる。
 「これが以心伝心ってやつか」と思ったものじゃが、よく考えてみれば、わしがその人を訪ねる前に、マスターが事前にわしの訪問の目的を事細かにお相手に伝えておいてくれていたに違いない! その目に見えない心遣いにも感謝感激じゃった。


■ 第4話 マレーシア・クアラルンプール編 ~完全空振り視察を救った、味噌ラーメン病 ■

 今回の取材旅行で、ほとんど視察にもならずに成果が無かったのがマレーシア・クアラルンプール。 取材基地となる恰好の場所も見つからなかったし、良き協力者と出会うことも出来なかった。 以前のこのコーナーでも書いた通り、マレーシアは物価が大変に高い国なので、金銭的にも精神的にも大損こいてしまったのじゃ。
 事前に人づてに協力者候補を何人か教えてもらってはいたが、その全員が揃いも揃ってクアラルンプール不在であり、まあついてない時ってのはこんなもんじゃな。 マレーシア出国のエアチケットを予め確保しておいたので、固定費(毎日の宿代や食事代、バカッ高いビール代)だけがお財布から虚しく消えて行く。
 こんな時は気分を変えて観光地域にでも移動すればいいんじゃけど、先々の取材予定を考えると娯楽費は極力抑えないといかんから、何も出来ない。何処にも行けない。 東南アジアってのは時間がゆっくりと流れておるものじゃが、あれほど滞在期間が長く退屈に思えた時は無かった。

 クアラルンプール滞在最終日、わしの持病が再発した。 ギックリ腰!ではなくて「どうしても味噌ラーメン病」じゃ。 わしはどういうわけか、旅先でイライラしたり疲れが極限に達すると無性に味噌ラーメンが食べたくなるのじゃ(笑) 使い切っていないマレーシア・リンギット(現地通貨)もあったんで、思い切って一杯1000円はする日系のラーメン屋へGO。
 ものすごい勢いで味噌ラーメンを平らげてから店を出ようと出入口の扉を開けた瞬間、再会など到底考えられないような人物が扉の外側に立っておった。 それは18年前、わしの初めてのカンボジア・プノンペン取材をコーディネイトしてくれた現地エージェントの方だったのじゃ。 日本語ペラッペラのミャンマー国籍の方であり、一度会ったらまず忘れられない個性的な容姿の持ち主なので、わしは一発で分かった!

 その晩は二人で当地では珍しいレゲエ・バーに移り、再会を祝して乾杯大会!(笑) 聞けば、彼はマレーシア赴任からは日が浅く、その前はラオス・ビエンチャンに長く赴任されていたそう。 「マレーシアでは力になれないが、ラオスなら」と情報をバシバシくれたのじゃ! ラオスは来年年初の取材予定地に入っているが、マレーシア同様にまったくコネが無い国だったので、彼のお陰で随分と取材の下準備が出来るようになった!
 マレーシアからは手ぶらで出国したことには代わりはないが、「ラオス情報」という先々に役立つプレゼントを頂くことが出来たのじゃ。 「どうしても味噌ラーメン病」に素直に従い、ケチることなく日系のラーメン屋に行って良かった!と、大きく胸をなでおろしたのでありました。


■ 第5話 ベトナム・ホーチミン編~ベトナムまで今生の別れにやってきた老猫 ■

 最後は、ちょっとしんみりと「お別れ」のエピソードを。
 わしの姉貴殿の家(実家)には、今年19歳になったおばあちゃん猫がおる。 名前はミウ。 子猫の時分から大変に人懐っこくてかわいいので、わしも旅立つ前に姉貴に挨拶に行った時にミウと遊んできた。 見かけは今でもかわいいが、さすがにもうヨボヨボじゃったがな。
 12月初め、ホーチミンの宿にチェックインした時のこと。 ミウの子猫時代にそっくりな飼い猫がわしにすりよってじゃれてきた。 なんでも人見知りの激しい猫らしいので、宿の人もびっくり! こちらのお名前はミア。 ミアがミウに見えてしまって、そりゃもうかわいがったもんじゃ。

 それから3日後、ミアが外に出て行ったきり帰ってこないと宿のスタッフ(飼い主)が探し回る日が始まった。 ミアはまだ子猫なので、方向感覚はしっかりしているはずだし、みんなにかわいがられているので帰ってこない理由がないのだ。 元々人には簡単に懐かない猫だから、別の猫好きの方に捕まって飼われてしまうことも考えにくい。 取材仕事のない時間、宿のスタッフさんと一緒に近所にミア探しに出かけたもんじゃ。
 ミアがいなくなってから4日後の夜、やはり宿の周囲を「ミア、ミア」と呼びながら探している時、スマホのLineのチャイムが鳴った。 見ると姉貴殿からのメッセージであり、ミウが亡くなったと。 それから、結局はミアも宿に帰ってこなかった。

 ミアと最後に会った時、ミアはわしが泊まっておる部屋の前まで来て、わしの顔をじい~と見ておった。 あんまりにもかわいい表情だったので抱っこしようとしたら、ミアはゴムまりのような軽快なフットワークで近くのベランダの柵にひょいと飛び乗り、そのまま人家の屋根伝いにいずこへと去って行ったことを思い出した。 ミアはミウの分身としてわしの前に現れてくれたのか。
 思い越せば18年前の1999年、バックパックの旅を中断してタイで就職が決まった直後、姉貴殿に預けておいたミウと同じ19歳の黒猫ちゃんが亡くなった。 わしにしか懐かなかった猫であり、わしが帰国していればもっと長生きしたと信じられるぐらい元気じゃったので、その激しい悔恨は未だにわしの胸に刻まれておる。 ミウと黒猫ちゃん両方の魂の化身がミアだったと思えてならないのじゃ。


 取材旅行だろうが、自由旅行だろうが長く続けておれば、また長生きしておれば「こんな程度の出会い、再会、別れは普通に起きる事じゃねえのか?」と言われてしまいそうじゃが、少なくともわしには非日常的な出来事であり、旅を前進させる原動力になったのじゃ。 体験出来ただけでも、わしの2017年の旅は良かったと言えるのじゃ!
 まあ諸君の場合は、The-Kingファッションをキメておけば、良い出会い、素晴らしい再会には事欠かんじゃろうな!The-Kingファッションを愛好し続けることは「ミステリー・トレインの旅」じゃから、いつの日か「ミステリー・トレインの旅」ならではの出会い、再会のオハナシを諸君から聞ける日がやってくることを願っておる。

2017年もお付き合い頂き、ありがとう! 来年もよろしくお願いいたします!

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