■ お釣りがタバコ3本?! ■
これは驚いたというか、笑ってしまった! 最近になってミャンマーにも出現したというコンビニにおいて、酒やらタバコやら水やら買った時のこと。 200チャット(約18円)のお釣りがかえってくるのを待っておると、店員さんが「細かいお釣りが無いから、コレ代わりにどうぞ」て、タバコ3本を差し出してきた! 一瞬「ぇえっ?」ってたじろいだものの、これも旅先特有の微笑ましいハプニングと割り切ってあっさり受け取ったわい。
こういった習慣はミャンマーではいまだに残っており、朝市や夜市に行くと、細かいお釣りが飴玉とかお菓子で返ってくることは珍しくないそうじゃ(笑) 日本人の中には「ザケンナって感じですよね」なんて言っとる輩もおったが、わしはぜ~んぜん! 大昔の物々交換みたいで楽しいじゃないか。
コンビニでも個人商店でも、また大手スーパーでも同じような「物品によるお釣り」は結構受け取ったわい。 レジ周りを見ると、少額紙幣不足の場合に備えて(ミャンマーにはコイン貨幣は無い)封を切ったタバコの箱やお菓子袋なんかが置いてある! ある時は500チャット(約42円)のお釣りが無かったようで、レジ係さんからスポーツドリンクをもらった。 「プレゼント・フォー・ユー!」だって(笑) プレゼントじゃねえけど、ええではないか!
余計な心配じゃが、閉店後会計を〆た時に、現金の合計金額とレシート上の合計金額が絶対に合わないはずじゃが、差額はどうすんのかのお~♪
ちなみに上記のコンビニはいっつも少額紙幣のお釣りが無くて、買物をする度にタバコ3本のお釣り。そのタバコをよく見てみたら「レッドルビー」という銘柄で1本約3.6円だから3本で10.8円。10.8円は約130チャット。200チャットのお釣りがコレじゃ、ち~とばかしこっちが損をしておるんじゃけど、そこはご愛敬じゃ。 「タバコ3本じゃ合わねーから、もう2本くれ」なんて言ったら日本人として名折れじゃもんな!
■ 12ドル払っても急造の簡易宿泊所?! ■
ミャンマーは宿代が高くて、なかなかシングルルームに泊まれない。 その代わりに、10ドル前後で超清潔で快適なドミトリー専用ホステルが続々とオープンしとることはVol.268でご紹介させて頂いた。 そんな安宿事情の中で、一泊12ドル(約1400円)のシングルをホテル検索アプリagodaで見つけたので、ダメ元で予約して宿泊した。
「たったの1,400円程度で贅沢を言うなんて筋違いだろう!」と日本の皆様は思われるじゃろうが、物価がミャンマーと同程度の国、例えば東南アジアなら、カンボジアやラオスならば、12~3ドルを払えば、とりあえずは気持ちよくシャワーを浴びて熟睡出来るシングルルームを確保出来るのじゃ。
ところがこの12ドル・シングルルームは、ほとんど建築現場にあるプレハブ造りの急造簡易宿泊所みたいじゃった。 白いペンキで塗ったベニヤ板1枚で仕切られただけの3畳程度で広さで、デスクは懐かしい学校机!エアコンは温度調整出来ず、日当たり無しでベッドシーツは湿ったままで、部屋全体がカビ臭い。 どこかから蚊は進入してくる。 ドアの鍵も壊れっぱなしで、夜中に酔っぱらった従業員が乱入?! トイレとシャワールームは共同で、従業員の洗濯物が置きっぱなし。 温水シャワー用の給湯器も壊れたまま。 電気代節約の為か、客室エリアの廊下の電灯は常に消されているので真昼間から真っ暗。 wifiはフロント周りだけしか繋がらず、部屋の中では携帯電話の電波も弱くてテザリングもままならない。 ビルのエレベーターは昇降はするが、扉が開かないことがあり手動で・・・とまあヒドイ宿じゃったな。
オマケを付け加えると、シングルルームとしてはかなりの安宿なので、いわゆる“連れ込み宿”としても時々使われておる気配もあった。
agodaの会員によるレビューや評価が何故か一切掲載されていなかったので嫌な予感がしていただけに、正直な体験レビューをわしから送りつけておいた!
実はこの宿、軍政時代から存在していた古いホステルであり、その時代の設備がそのまま改修もされずに使われおるらしい。 あるミャンマー通に言わせると、軍政時代の安宿はどこもこの程度であり、「値段は長らく据え置きみたいだし、昔の状態がそのまま残っている希少な宿に泊まることができたんだよ」ってミョーな慰められ方をしたな(笑) どこの安宿もこの程度のクオリティだったとは、昔のミャンマー旅行ってのはさぞかし大変だったんじゃな~。
■ 超旧式の下水道構造がもたらす洪水 ■
ミャンマーの旧都ヤンゴンは、人口500万人を越える大都会じゃ。 一応ミャンマーの中ではもっとも文明的に進んでおる地域じゃが、ひとたびスコールが降ると街の至る所が汚水の湖と化してしまう。下水道の機能がまったくお粗末なのじゃ。 わしは丁度地元の日系企業に表敬訪問をしとる最中にこの被害に遭い、ビルから一歩も外に出ることが出来なくなった。
汚水の湖は一時間ほどで水が引いたものの、その後は辺り一面にゴミが散乱して衛生状態は最悪じゃ。 ミャンマー人は何食わぬ顔をして、ズボンのすそをたくし上げて汚水の中をジャブジャブ歩いて移動しておったが、免疫力の弱いわしらなんかがそれをやったら、一発で破傷風かなんかになっちまうじゃろう。
これは英語ペラペラのタクシー運転手から聞いたハナシじゃが、1948年にイギリス領から独立した時からミャンマーの下水道機能は一切修復、増設されておらんそうじゃ。 それはミャンマーがイギリス植民地から独立した際に、イギリス政府の“嫌がらせ”により当時の下水道配管地図が抹消されたんだそうじゃ。 地図がないから、どこをどう改善していいのかまったく不明なんだそうじゃ。 この下水道問題が解決しない限りヤンゴンの真の近代化は無いと、その運転手は力説しておった。 雨季にスコールが降ったら、タクシー運転手はあちこち迂回を余儀なくされて商売あがったり状態になるから、なかなか説得力のあるオハナシではあった。
まあ名も無き一市民のハナシなんで信憑性は保証の限りではないが、独立前の首都の下水道配管地図が50年以上も見つからないというのは、何かしら政治的な力がはたらいておるという説はあながち無視できない。 現在日本政府(企業?)へのはたらきかけにより、ミャンマー政府が国をあげて大都会ヤンゴンの“洪水問題”解決に向けて動いておるらしい。
■ 街中に点在する小さな神様 ■
ミャンマーという国の特徴のひとつとして、都会でも田舎でも大きなパゴダ(仏塔)の数が多いことだろう。 どれも金色に塗られ、遠くからでも一目で分かる。
パゴダの多さはミャンマー人の仏教への信仰の高さの証であると思っておったが、口の悪い(?)ミャンマー人に言わせると(笑)、昔の王様や地方の偉い豪族たちは見栄っ張りだったから、とにかくパゴダをたくさん建てて自分の力を誇示したがったのだと言っておった!
大型パゴダはさておき、ヤンゴンの街中を歩き回っておるとある不思議な光景に何度も出くわす。それはストリートの中に小さな祠が幾つもあって、やはり金色に塗られた小さな仏像が収められておるのじゃ。 夜になると仏像のまわりの電飾が光り、暗闇の中に浮かび上がるのじゃ。各家庭内で用意された神棚の類よりも、仏像(神様)の存在が庶民のより身近な存在であることを感じさせるのじゃ。
ヤンゴンの中にはインド系民族も大変に多く、彼らもまたミャンマー人の“ストリート・スモール・パゴダ”の習慣に倣っておるのじゃろう。 信仰する宗教の神様的存在を路上の祠の中に祀っておるのは微笑ましいと言えるな。
■ 番外編/ヤンゴンで“再会した”懐かしき神奈川中央交通バス車輛 ■
東南アジアを旅しとると、鉄道やバスの車輛で日本製の中古品が再利用されておる場面に時々出くわすもんじゃ。 車輛に直接記された日本語表記がそのまま残されていてとてもオモシロイ! ヤンゴンでは、わしが子供時代に毎日の様に利用していた神奈川中央交通のバス車輛のご活躍を目にした!
わしが小学生じゃった40年前頃、わしの家族は横浜市栄区(旧戸塚区)の山を切り崩した造成地域に住んでおり、栄区一帯を含む東海道線沿線、小田急線沿線のかなりの広範囲のバス路線を走っていたのが神奈川中央交通(通称かなちゅう)じゃ。
既にワンマン化されておったから運転手さん以外の乗務員はおらず、乗車する際に整理券を専用機械から抜き取るシステムじゃった。(後で調べてみたら、日本で最初にワンマン化、自動整理券方式を導入したのがかなちゅうさんじゃった) だから乗客がわし一人の時は、運転手さんがよく話かけてくれたもんじゃ。
一度、伝説のキックボクサー沢村忠のスパーリングパートナーをやったことがあるという運転手さんに出会った。 「ボク、どこまで行くの?」「ぇえっ!ピアノのお稽古って・・・」「あのな、空手やりなよ。 男はね、強くないとダメだよ!」ってボコボコに節くれだった指を見せながら力説されたことが忘れられん。
まだブルース・リーによる空手大ブームが訪れる前だっただけに、運転手さんのアドバイスに従って空手を始めていたら、わしは子供空手タレントとして大スターになっていたかもしれん(笑)
その他にも、かなちゅうさんや運転手さんとは色んな思い出があったんじゃよ。 運転手さんが、一人客の小学生に気軽に話しかけてくれる・・・いい時代じゃったな~。 んで、当時と変わらぬ黄色と赤とのペイントのバスがヤンゴンの街中を走っておったのでビックリ! まさか40年も前の車輛ではないじゃろうが、自分の子供時代の足となってくれたバスとのヤンゴンでの再会は、まったく思いもよらなかっただけになかなか感慨深いものじゃったな~。
わしの感覚としては、アセアン諸国の中でもっとも都市部の開発が遅れておるのが、ミャンマーとラオスじゃろうか。 ラオスの場合は首都ビエンチャンでさえ開発が着手されておる部分が非常に狭いので「カントリーなシティに来た」と思い直せば苦にならないが、ミャンマーの首都ヤンゴンは大都会なのでそれなりの文明化を期待してしまうためにあれこれと不便を感じてしまうのは事実じゃ。
ただしミャンマーの遅れている文明化は、先進国からやってきた人間に対して特殊な感情をもたらしておることに今回の滞在で気が付いた。 それは現地で働いておる数多くの日本人と接してみて分かったことじゃが、彼らは「現地のレベルに文句を言いながらも、現地人と一緒になってミャンマーという国の発展を目指す」といった心構えがあることじゃ。
これが中途半端に文明化を迎えておる某周辺国になると、「俺たち先進諸国の技術とお金が、この国の未来を作ってやっているのだ」といった多少横柄な姿勢が垣間見れるのじゃ。 不便ながらも懸命にミャンマーで働いておる先進諸国の方々の心境やいかに? それはミャンマー人の気質が影響しておるのか、それとも我々の意識が及ばない部分でミャンマーの輝かしい未来を彼らが感じ取っているからなのじゃろうか。 次回ミャンマーを訪れる機会があったら、その辺も調査してみたいと思うとる。
まあこれは余談ではあるが、わしのこの見方をある優秀なミャンマー人に伝えたところ、「いやいや、日本人もまだまだですよ」とキツ~イお言葉が返ってきた! その理由は「日本人は、いわゆるNATOなんですよ」と。NATOとは、「Not
Action Talking Only」の略で、要するに口先で指示するばっかりで、自ら率先して動かないことらしい。 ミャンマーという国の未来を作っていくためには、もっと現地人と一緒に泥だらけになって現場で働け!ってことじゃ。
逆に、それを実行している日本人指導者もいるものの、「現地人と一緒に」で自己満足してしまい、現地人への報酬が低いんだそうじゃ(笑) だから現地人が長く付いてこないと・・・いや~途上国で働くってのは、まことにシンドイ稼業じゃわい!
|
|