NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.263

 ベトナム、カンボジア、タイ各地を周遊しとる今回の旅じゃが、意外なことに暑さがそれほど気にならない日々が続いて酒が大いに進んでおったが、タイに近づくにつれて気温は上昇。 このところ昼間の体感温度は35度。 それでもしたたる汗をぬぐおうともせずにThe-Kingの原稿に向かうわしじゃ。 真面目じゃろう(笑) いや実際、息を吸ったら熱気が口に入り込んできそうな暑さじゃよ! わしの業務姿勢を讃える代わりに、お買い物を頼むぞ諸君!

 今回はエルヴィスの亡くなった40年前、1977年のロックをご紹介する。 エルヴィスの本拠地メンフィス周辺では大規模な追悼イベントがいくつか企画されておったが、ロックシーン全体の話題は前年に大爆発したロンドン・パンク題に占拠されておった気がする。
 エルヴィスの死をないがしろにするほどの勢いではなかったものの、パンクは連日連夜の大賑わいでこの世の春を謳歌しとる感じじゃった。 セックス・ピストルズ、クラッシュ、ストラングラーズ、ジャムらの人気パンク・バンドのデビューアルバムが出揃ったってことがその一番の要因じゃった。
 しかしアルバムのクオリティという範疇で判断すれば、パンクのにいちゃんたちはまだまだ。 もっともそんな事は彼らは意に介さず大暴れしておったが、60〜70年とロックを聞き続けてきた者にとってはアルバムはロッカーの活動状況を把握する最たるメディアであったから、わしなんか「まだまだ大したアルバムを作ることもできないんだから、パンク恐れるに足らず」と思っておった。
 当時のパンク・アルバムに対するわしの評価は今もあんまり変わってはおらんが、代わりにピックアップしたアルバムを見渡すと、やはりパンク・ロックがロックシーン全体に与えた影響というのは計り知れなかったことを思い出させてくれた。 どんなタイプのロッカーでありバンドであり、まずはシンプルにメンバーのセンスや演奏力をフューチャーしたアルバムが実に多い。 能書きやテクニックよりも、まずはロックのダイナミズム!ってなスタイルへの回帰じゃ。 70年代という時代が進むにつれて、ロックとポップスとの境界線があやふやになっていったことを考えれば、パンクロックの影響というのは長年のロックファンとしてはとても有難いものじゃった。

 諸君の中には「エルヴィスが亡くなった年のロックなんざ興味ねーよ」という頑迷な方も少なくないことは想像に難くないが、今やエルヴィスの後輩としてクラシック・ロックなる称号を与えられて博物館入りになったロッカーたちが、当時如何にしてロックのダイナミズムをあらためて追求したのか。 その辺に興味をもって読んで頂けたら幸いじゃ。


2017年ロック回想録B
40年前/1977年のロック
パンクに度肝を抜かれた連中の新しいダイナミズムが集った70年代ロック最後の輝きを聴こう!


1 解散前の強力自画自賛集 2 ロック第三国から発せられた異星人のシグナル
四部作/エマーソン・レイク・アンド・パーマー■   ■ヒーローズ(英雄夢物語)/デヴィッド・ボウイ■
  70年代の超兵器シンセサイザーを駆使し、クラシックを強引にロックにアレンジしながら時代を圧倒し続けてきたEL&P。
 スタジオ盤4枚、ライブ盤1枚(3枚組)を発表してネタ切れが囁かれる中での新作は、3人のメンバーのソロをそれぞれアナログA面〜C面に、グループ作品をD面に充てた2枚組アルバム。要するにソロアルバムを1作にまとめてバンド名義で発表した異例の作品じゃ。
 ファンが既に認知しておる各メンバーの個性、個人的力量が最大限にフューチャーされており、「バンド作品としてのクオリティ云々」なんつう評論家の通例文をあざ笑うかのような傲慢で迫力ある演奏が横溢しておる。 人気と実力があればある程度は何をやっても許される風潮が強かった70年代ならではの作品じゃ。

 バンドのアルバムやライブにお金を払うファンには、バンド全体が好きか、メンバーを個人的に好きかに分かれるが、後者のファンはどのメンバーが好きにせよ、アルバムを通して聞けばEL&Pの集合体としての凄さを間違いなく知ることができるじゃろう。
 わしが知る限りでは本作のような構成のロックアルバムは皆無であり、バンドサウンドが煮詰まった時などは是非とも踏襲してもらいたいスタイルじゃ。 ひょっとしたらバンド存続の危機を乗り越えられるかもしれん。 
 1977年の最優秀ロック・アルバムとは言い難いが、リーダーであり超絶技巧ピアニストじゃたキース・エマーソンの一周忌に捧げるべく、第1位にさせて頂いた次第。
     タイトル・ソングはヒットチャートを賑わした有名曲であり、日本ではボウイの美しき自画自賛ナンバーのように勘違いされてしまったもんじゃが、実はベルリンの壁に阻まれた恋人同士の束の間の幸福をモチーフにした70年代中期を代表するプロテスト・ソングじゃ。 「ヒーロー、ヒーローになるのは、いまあ!」じゃアリマセンゾ!!

 さて、日本人写真家・鋤田正義氏撮影によるアルバム・カヴァーに包まれた本作には、“ジギー・スターダスト”や“ヤング・アメリカン”時代のボウイはその幻影すら無く、カルトティックでミステリアスなヨーロピアン・アーティストのオーラをまとった新しい異星人としてのボウイがおる。 ドイツやポーランドといった当時は厚いベールに覆われた東欧に活動の拠点を置いていた当時のボウイの音楽的視点は西欧と東欧とのミクスチャーであり、前作と次作を合わせた「東欧三部作」の中では本作がもっとも聞きやすい作品じゃ。
 しかし情感豊かなコード進行やポップなメロディも、バンドサウンドを多少無機質、機械的に処理することによって、安易に西欧チャートに迎合させられるパターンを拒絶しておる。 ある意味で反時代的でとてもプログレッシブじゃ。 色艶はモノクロームじゃが、うねる情念が顕著な東欧的リズムセクションに新しい活動の根幹を見出したボウイの真意は、明らかにかつての自分自身との決別じゃ。
 ただし当時のライブのセットリストを見ると、スター時代の人気曲を適度に混ぜ込みながらの大人のエンターテイメント・ショーであり、この辺が商売上手というか、つかみどころがないというか、音楽家とエンターテイナーとの狭間で苦悩する(様な)ボウイが垣間見れる。 

3 やはりロッドはロックが似合う!
  4 パンク・サバイバーの祈り
■明日へのキック・オフ/ロッド・スチュワート■    ■ラスト・フォー・ライフ/イギー・ポップ■
 バンドメンバーの各力量を明確にさせたアルバムが多かった1977年、ロッド・スチュワートも同じ方法論で名盤を作り上げた一人じゃ。
 活動の拠点をアメリカに移し、多少どんくさい(笑)ブリティッシュ・ロック・シンガーから煌びやかなアメリカン・スターに変身していたロッドじゃが、本作では強力なロックバンドを率いることでシンガーとしての力量を爆発させたと言えるじゃろう。
 アメリカン・ロック史を代表する名ドラマーのカーマイン・アピス、ジェフ・ベックの名盤を支えたベーシストのフィル・チェンらロック・スピリット溢れるメンバーの溌剌としたプレイにより楽曲のダイナミズムが格段に上がり、バンドに煽られるようにロッドはフェイセス時代を凌ぐような強烈なボーカルを披露しておる。 スター然として振舞うロッドよりも、やはりロックンローラー・ロッドの方がカッコエエ!

 ご機嫌なロックンロール「ホット・レッグス」、メランコリックなバラード「胸につのる想い」、泣き節たっぷりの長尺な「キープ・ミー・ハンギング・オン」、切ない希望の歌「イフ・ラヴィング・ユー・イズ・ロング」等、まるで「映画:ロッド・スチュワートのロック人生」のサントラを聞いておるような色彩感抜群の構成になっており、やり尽くし感いっぱいな完成度は、今風に言えばコストパフォーマンス抜群!ラストソング「ただのジョークさ」は、「これで終わりさ」に聞こえてしまって感涙もんじゃったな。
 以降ロッドはディスコブームに乗った過剰な時代的作品によって活躍を続けることになるのじゃが、ロックンロール・シンガーとしての輝きを体験したい輩には本作をまず推薦致しやす
     パンク・ロックが全盛時代を迎えたこの時期、パンクのゴッド・ファーザーと崇め奉られていたイギーが歌ったのは“生への意欲”じゃった。
 血気盛んな若手パンクロッカー(というかそのファンたち)の定義「破滅こそ美」とのコントラストの様相は意外じゃったが、若手を諭すように歌うのではなく、凄まじいリズムセクションの元で古き良きロックンローラーのようなシンプルなパフォーマンスは、さすが大人のパンクは違うなと唸らせるだけの貫禄はあった!

 前作に続き、プロデュースと作曲でデヴィッド・ボウイが全面協力をしておる。 ボウイの大幅な加担により、生粋のビートニクでありパンカーだったイギーの魅力が商品化、狭小化されたように聞こえないこともない。 口の悪いイギー・フリークは「ボウイがイギーに延命装置を組み込みやがった」とまで言っておった。(わしではないぞ!)
 しかし気違いじみたフリークたちのアイコンであり続けることはイギーとて不可能であり、そこに「変身の名人」であるボウイが手を差し伸べてきて、「聖なる変革」をイギーとともに追求したのが本作なのじゃ。
 スターであれ、カルトヒーローであり、誰にも“変わらなければならぬ”時はやってくる。 それは純度100%でパンカーをやってきたイギーに苦渋の心境をもたらすと想像されるものの、意外とイギーは溌剌と新しい船出の時期を迎えておる。ボウイという良き理解者に恵まれた幸運がもたらした人生の新しい夜明けだったんじゃろう。 過去にまったく疲弊していないような強靭なスピリットが奏でるイギー・サウンドの真髄は、果たして若きパンカーたちに届いたのであろうか?

5 究極のイエスとは?
6 ミューズの慈悲か悪戯か?!
究極/イエス■    ストリート・サバイバー/レイナード・スキナード■
 ピンク・フロイド、EL&P、ジェネシスとともに70年代のプログレ・シーンを牽引してきたイエスじゃが、音楽が担う時代性の変貌を睨んで(?)本作によって実にすんなりとポップ路線に変更を果たしたサウンドには少々驚かされたものじゃ。
 大曲志向は多少残ってはいるものの、自ら完成させたかつての名盤よりも俄然聞きやすくなっており、しかも各メンバーの超絶テクニックは依然として健在。 プログレ・バンドとしての過渡期を極めて明るく軽快に乗り越えようとするイエスのポジティブ・パワーに圧倒される作品じゃ。

 イエスの元々の真骨頂とは、「難解な思想や超絶技巧」の楽曲を笑顔で軽々とやってみせる優れたサーカス集団のようなエンターテイメント性にあった。 しかし思想や技巧にも時代性があることを彼らはしっかりと認識しておったからこそ、新しいサーカス性への移行を果たすことができたのかもしれない。 いわば往年のファンが見落としていたバンドの根源的力量を本作で啓示してみせたのじゃ。
 プログレファンってのは今も昔の偏屈で頑迷であり、黄金時代のスタイルからの逸脱を決して許さないものじゃが、本作におけるイエスの変貌に対しては、あきれ果てていたのか感動し過ぎてしまったのか、誰もが口をつぐんでいたのが今となっては懐かしくて愉快な思い出じゃ。
      70年代のアメリカン・バンドでもっともライブ集客力を誇ったレイナード・スキナードのラストアルバム。
 古き良きアメリカン・ミュージックと現代ロックの理想的な融合!と称された彼らも、ソングライティングにおいて一時期低迷期にあったが、本作よりスティーブ・ゲインズという優れたソングライター(兼ギタリスト)が加入されたことで息を吹き返し、ブリティッシュ・ロック寄りのタイトなハードロック・エッセンスの注入に成功!第二の黄金時代のスタートか?!と絶賛されたもんじゃった。

 ブリティッシュ・ロック寄りの〜ってのは、バドワイザー、ジャックダニエルズ、マルボロ、ハンバーガー、ホットドッグ、ポップコーンジャックなんかで色付けされる開放的なアメリカン・エンターテイメント性と、音楽を音楽として聞かせる職人的剛健さとの共存と言うべきか?!
 エンターテイメント性が優先的に求められていった70年代ロックの流れの中では邪道、無謀とも思える作品じゃが、ロックの神様はレイナード・スキナードに再び微笑み始めて、本作を優れた楽曲集に仕立て上げたのじゃった。
 しかし本作発表後に程なくして、スティーブとロニー(ヴォーカル)は自家用機墜落事故で他界。レイナード・スキナードは再び舞い上がることはなった。凄惨な事故を予告するような、メンバーが炎に包まれた不気味なジャケットは発禁となり、「名盤」という評価だけが残った悲しいアルバムじゃ。

7 世界的ポップバンドの出直しレントゲン写真     8 ガレージ・ポップ・ロック!
■世界に捧ぐ/クイーン ■  ■栄光への旅立ち/フォリナー■
 オペラチックなコーラスとアビーロード・メドレー的なドラマチックな編曲でトップ・シーンに躍り出たクイーンが、新境地に向けて船出した意欲作。
 特に時代性に即した楽曲が用意されたわけではないが、4人のメンバーの異なる“個性的なポップ性”をシンプルなアレンジによってアルバム全編にまんべんなく発揮させることで、従来のファンを納得させながら新しいファンも獲得する完成度に仕上げたバンドの力量には、それまでクイーン敬遠派のわしも「恐れ入りました」ってトコじゃったな!(笑)
 ロックンロール・ライブのオープニングとして世界的に愛されることになる「ウィ・ウィル・ロック・ユー」から、バンド初の全米No.1ヒット「ウィ・アー・ザ・チャンピオン」へと間髪入れずに展開される幕開けは強烈じゃ。

 今にして思えば、クイーンが長く世界的な人気を誇った要因が本作ほど明確になったアルバムはないじゃろう。 絶対的力量をもったシンガー(フレディ・マーキュリー)を中心として、ギタリスト(ブライアン・メイ)はソフトロックの感性鋭く、ドラマー(ロジャー・テイラー)は超ロックンローラーでありベーシスト(ジョン・デイーコン)はまさにミスター・ベースマン! さらに各人が個性そのままのソング・ライティングをこなすので、アルバムはバラエティ。 それでいて世界中の老若男女を魅了するポップ性に溢れておる。 フレディを頂点として綺麗なピラミッド型で構成されておるのがクイーンというバンドであり、そのサウンドなのじゃ。
 日本でのみ圧倒的な人気を博していた初期のクイーン・サウンドは、重厚なバンド・サウンドを追求したいわば“逆ピラミッド型”であったが、それを真逆にひっくり返してみせて大成功につながったのが本作なのじゃ。
     レイナード・スキナードが英米それぞれのロックの融合を目指しながら飛行機事故で解散に追い込まれていく時期、同じ方法論をもった新人バンドのフォリナーがデビューした。 その名(フォリナーとは“外国人”)と方法論の通り、アメリカ人とイギリス人が3人づつのメンバーで構成され、レイナードよりももっと単純明快に英米ミクスチャーをフューチャーしておった。
 レイナードとは何ら関係、交流のないフォリナーじゃが、滅びゆくバンドと生まれ出るバンドが同じ目線だったことも1976年のロックシーンの重要な側面であったことは間違いないじゃろう。

 この時代に聴き直してみるとやたらとドンくさい! ドッタンバッタンのヘヴィなドラムに生音一本槍なエレキギターが被さり、ヴォーカルは煽情路線。 とって付けた様なシンセやコーラス。 更にルックスはダッサダサ(笑)じゃが、これがウケまくった!
 スタジオ技術の余計な装飾、誤魔化しが一切なされていないだけに、必死にプレイし尽くそうとするいたいけ感が漲っており、この素人っぽさが良かったんじゃろうか。
 もっとも楽曲自体は屁理屈、テクニック抜きのクラシックなパワーポップ的ロック一直線。 プロのソングライティングの匂いがプンプン。 実は彼らはフォリナー加入以前にB〜C級バンドで食えなかった連中がほとんどで、売れなきゃ意味ねー!とばかりに開き直ってポップバンドを目指しておった。 その潔さもサウンドに迫力を与えたに違ない。
 ちなみにマルチプレイヤーとしてメンバーに加わったイアン・マクドナルドは、プログレの超名盤「クリムゾン・キングの宮殿/キング・クリムゾン」を作り上げた重要なプレイヤー。 フォリナーで何をしでかしてくれるのか?!と勝手に胸を躍らせたもんじゃったが、何も驚かせてはくれなかったのが少々残念じゃった(笑)

9 許されることのなかった変身の欠片   10 名プロデューサー、ここにあり!
■地下世界のダンディ/T.レックス■  ■ドロー・ザ・ライン/エアロスミス■
 ご存知マーク・ボランの遺作じゃ。 ということを思い直して聞き直すととても20世紀末的じゃが、実は20世紀初頭的に聞こえる変な作品じゃ。
 前時代的な大衆カーニバル・ソングというか、1920年代にドイツで流行したクルト・ヴァイルの「三文オペラ」みたいな“クダラナイ人生を笑い飛ばす悲しきオポチュニティー”がいっぱいじゃ。
 またチープでユニセックス的なマーク・ボラン・サウンドを構築し直しておるようでもあり、見え隠れするボランのくぐもった業が何とも不気味じゃ。

 マーク・ボランがもう少し生きていれば、パンクロックのブームに乗ってスターに返り咲いたに違いないといまだに言われるが、確かにそうかもしれない。 現にボラン信者は若きパンカーに少なからずいて、彼らによってボランが表舞台に引っ張り出される事もあったかもしれない。
 しかし本作を聞くと、“ボラン・ブギーからの脱却”を模索しており、ミュージシャンとしての深化を求めてスペイン地方か中南米、はたまた東欧辺りに移住していたんじゃなかろうか? そこには西欧諸国とは異質のリズムとエモーションがあり、ボランが封印していた嗜好性との接点がわしには聞こえるからじゃ。 まあこんな想定は意味がないが、静かに確実に「ゲット・イット・オン」や「20センチュリー・ボーイ」を葬り続けるような本作は、明日を見つめていなければ完成しないようなポジティブなエネルギーがある。 時代のあだ花を演じ続けたボランの、新しいスタイルを聞きたかったと思わせるラストワークじゃ。
     本作はエアロスミスというよりも、第6のメンバーと言われたプロデューサー、ジャック・ダグラスの作り上げたアメリカン・ロックの名盤じゃ。
 叙情性を排除して徹頭徹尾ハードなブルースロックで押しまくる単調な構成じゃが、決して音抜けせずに壁に跳ね返されて再び襲い掛かってくるような特殊なサウンド効果は、前作の『ロックス』よりも更に強烈じゃ。 過密ライブ・スケジュールとドラッグの悪影響により、当時のエアロスミスはメンバーシップが最悪だったらしいので、ジャックは半ば強権的に己の判断のままに本作を仕上げたらしいが、結果としてパンクロックなんざ到底太刀打ち出来ないテンションまでエアロサウンドを引っ張り上げておる。

 完成されたトータルなハードロック志向強いスティーブン・タイラーと、ロックンロール志向の強いジョー・ペリーの対立はことさら激しかったらしい。 当然のごとく二人のコラボレーション、つまりエアロスミス最大のセールスポイントは本作ではまったく機能していない。 その現実を包み隠さず暴露して逆手にとることからジャックは着手しており、リハテイクっぽいやる気のないプレイまでもそのまま元ネタとして使用するという暴挙も披露?! 
 荒っぽくて下手くそでやる気不十分なプレイをつなぎ合わせ、特殊なコーティングを施しながら強靭なロックアルバムに磨き上げたプロデューサーをわしは他に知らんわい。 スタジオワーク臭の激しいハードロックアルバムってのは、嘘っぽくて迫力に欠けるものが大半じゃけど、本作だけは例外中の例外じゃ。
 

 今回の選から漏れたアルバムは、
『ラブ・ユー・ライブ/ローリング・ストーンズ』
『ラモーンズ』
『ナッシング・バット・ザ・ブルース/ジョニー・ウインター』
『ランニング・オン・エンプティ/ジャクソン・ブラウン』
『スローハンド/エリック・クラプトン』
『ストレンジャー/ビリー・ジョエル』
『アニマルズ/ピンク・フロイド』
『噂/フリートウッド・マック』
『アイランド/ザ・バンド』
『マーキー・ムーン/テレヴィジョン』
 といったあたり。 ベテラン勢に関して、選漏れに大きな原因はないが、パンクロックの影響を上手く利用しておるか否か、ってとこじゃな。

 「オマエさんさあ、ひとつとんでもなく重要なアルバムを忘れているぞ。 ったくアホか!」って言いたいじゃろう。 わっかとるわい、んな事! エルヴィスのファイナル・スタジオ・アルバムであり、「アンチェインド・メロディー」で幕を開ける『ムーディー・ブルー』じゃろう!
 これはもう、パンクなんて屁でもない別次元、別格扱いをしなきゃならんし、個人的な思い入れも宇宙レベルなんで、他のアルバムの同列でカテゴライズなんざとてもじゃないがでけんわい。
 でも取り上げておかないとわしに対する基本的な信頼を台無しにしそうなんで(あるのか、そんなもん〜笑)、最後に『ムーディー・ブルー』が本当のナンバーワンであることを強調しておこう!


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