NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.254 |
「ありゃ? ボブ・ディラン、ノーベル賞受けちまったんだ!」 何だよーせっかく「さすがディラン、カッコイイーぞ!」ってオールドロックファンは大いに盛り上がっておったのに。 わしも「ノーベル文学賞無視記念」なんてサブタイトルまで付けて前回の原稿をアップしてしもうたではないか。 それも「後編もアリマス」なんて言ってしまったし。 ところで、ノーベル賞を受けるにしても、なんでディランはしばらくダンマリをキメテおったのじゃろうか。 これはThe-Kingのボスも不思議がっておったな。 まあボスはそんなことより新作発表の準備に忙しいからそっちに知恵を絞ってほしいもんじゃ。 ちなみに新作ナッソーは、クラシック&モダン・スタイルで極上じゃ! 今やアメリカン・ルーツ・ミュージックの伝道師として活躍するディランには、ノーベル賞授賞式にはコイツを羽織ってほしい! ってハナシが横道に逸れてしまったが、ディランノーベル賞ダンマリの原因は、散々っぱら飛び交った「賞に相応しい選考ではない!」っつった激しい批判が収まるのを待っておったのかもしれんな。 60年代中期に突如エレクトリックに転じた際、コンサートでやじり倒された有名な事件があり、あの時もディランはダンマリをキメテ誹謗中傷が落着するのを待っておった。 「歌いたい事を歌う、演りたいようにやるのが新しい音楽であり、それに対してブーイングされるのも新しい音楽の宿命だ」ってトコじゃ。 だから「ディラン、ノーベル賞受賞」の報に「ザケンナ!」っていきり立った連中に、気が済むまで言いたいことを言わせるのもまたディランの流儀なんじゃろう。 っま、わしとしては「ノーベル文学賞無視記念」のサブタイトルだけはとっぱらって、「ディランのカバー曲は素晴らしいテイクが多いを検証する」後編をやるしかない。 前編の「ギタリストにとってのディラン」「シンガーにとってのディラン」に引き続き、「女性シンガーにとってのディラン」そして「チョイト驚く、畑違い連中!?のディラン・カバー」をご紹介する。 前編同様に、カントリー/フォーク系にはご遠慮頂き、出来るだけロック系ミュージシャンのカバーテイクを集めてみたので、お楽しみあれ。 |
定説「ボブ・ディランのカバー曲は 素晴らしいテイクが多い」を検証する!(後編) ※カバーしたロッカーの架空インタビュー付www |
■Part 3 ■女性シンガーにとってのディラン ワンダ・ジャクソン編 〜♪サンダー・オブ・ザ・マウンテン かつてロカビリー・クイーンの名を欲しいままにしておったこの方、まだまだご健在じゃ。 2010年にはニューアルバムも発表しており、その中の一曲がコレじゃ! 当時73歳であり、元ホワイト・ストライプスのジャック・ホワイト(ギター)ら気鋭のバックミュージシャンを従えて貫禄たっぷりの歌を披露しておる。 MVオープニングの50sシューズの映像に思わず目を奪われてしまうが、メインはワンダ・おばあさまのお姿じゃ。 う〜ん、美空ひばり様を凌ぐオーラがあるな! しかし一体全体、この曲が本当にディランのカバー?って思えるな。 ディランは2006年にアメリカン・ルーツ・ミュージックをオリジナル曲で再現した力作『モダン・タイム』を発表。 このアルバムは21世紀最初のディランの大傑作と評されており、ワンダ・ジャクソンのシンガー魂を激しく焚きつけたらしい。 「私も一丁、すごいアルバム作りたいワ!」となって、「そんなら、この曲はどうか?」ってディランから提供の申し出があったとのことじゃ。 当時ディラン65歳、ワンダおばあさまと合わせて138歳! コラボはしとらんけど、ロック史上最高齢のコンビによる楽曲じゃあ〜。 パティ・スミス編 〜♪チェンジング・オブ・ザ・ガード ♪漂流者の逃亡 「チェンジ〜」は2007年に発表されたパティの完全カバーアルバム『トゥエルブ』に収録。 生粋のロックンローラーや詩人に限りなき憧憬を抱き、“(肉体として)女性になっていく”ことを絶望しながら成長したというパティのディラン好きは有名じゃった。 だから「何をカバーするんじゃろう?」と興味津々じゃった。 この曲の歌詞はよく分からんけど、「己は己で守れ」「他人を信じていても心が変わってしまうことは誰も止められない」というようなニュアンスが強く、選曲に対して「なるほど」とまあ納得。 しかしほとんど自分の色を出すことなく、ディランのオリジナルテイクに忠実に歌っておる。 パティにとって“自分を守る”ということはディランを愛聴し続けるってことなんじゃろうか。 またパティは2012年に発表されたアムネスティ50周年記念企画『ボブ・ディラン・トリビュート』にも参加して、やはりオリジナルテイク通りに「漂流者の逃亡」をカバーしておる。 昔の勇ましいパティを知るファンとしては期待外れだったかもしれんが、オリジナルテイクがディランの毒が強すぎて受け入れられなかった者にとっては新しい評価のフォーマットに成り代わるかもしれん。 ジャニス・ジョプリン編 〜♪拝啓地主様 原題中の「Landload」の和訳が「地主様」ってが笑えるが、地主様のようであり神様のようでもあり、はたまた音楽業界のお偉いさんのようでもある!? この「Landload」の訳し方によって、続いていく歌詞の内容が「おねげーですから、オラたちからあんまり搾取しないでくださいまし〜」か、「この人生あまりにも辛くて耐えられません。 どうかお助けを」とかに変わってくる(笑) ジャニスはどんなニュアンスで歌ったんじゃろう?というか、このカバーテイクはジャニスのアルバム『パール』のアウトテイクであり、1993年まで未発表じゃったんでそのカバーのセンスについて云々されることはいまだに無い。 が、「そんなの誰だっていいじゃないの!」ってな豪快な歌いっぷりがいい。これは立派な新しいディラン解釈法じゃろうな! マリアンヌ・フェイスフル編 〜♪これで終わりさ 原題は「It's All Over Now ,Baby Blue」。 愛する女性に出ていかれる現場が歌われており、「忘れ物すんなよ」とか「忘れ物に気が付いても取りに来るなよ」とか「寂しいけど、君の心を取り戻すことはできない」とか捨てられた男の悲哀、強がり、優しさが綴られておる。 しかし「君の荷物を受け取る男(新しい男)が待ってるよ」なんてシリアスな情景もあって、こりゃ少々強がんないとカッコつかねえなって感じであり、ディランならではの多少ひねくれたぶっきらぼう唱法がマッチしておる。 これが“怨嗟の女”マリアンヌの声にかかるとかなり変わる! 男と女との立場を反対にして聞けば、なかなか恐ろしい。 「た、た、頼むから黙って送り出してくれ・・・」ってビビってしまうわな。 女は恐ろしい、美人ならなおさらじゃ!? これはマリアンヌの隠れた名カヴァー。 ニコ編 〜♪アイル・キープ・イット・ウィズ・マイン このテイクはニコのカバーというよりは、1968年にディランがニコに提供した楽曲として知られておる。 90年代に入って連発されたディランの大未発表曲/テイク集シリーズ「ブートレッグ・シリーズ」にて初めてディランテイク(未完成テイク)が発表されたので、カバー・テイクと同列扱いにしておくぞ。 ディランはニコと同じく、60年代中期は数多くのアーティストから愛されたニューヨークのチェルシー・ホテルの住人であり、ニコがソロアルバム『チェルシー・ガール』を制作する時に、彼女のために一曲書いてあげたっちゅうことじゃ。因みに、ニコにアンディー・ウォーホールを紹介したのもディランなのじゃ。 ニコは元々ドイツ人であり、英語のベシャリも遅く発音もかなりテキトー(笑)そんな彼女のためにディランはスローで歌いやすい歌詞を書いてあげたようじゃが、それでも内容はチト難しい(笑) ただし、却ってニコの朴訥としたたどたどしい英語のお陰で、ディランよりも真に迫って聞こえてくることがあるから歌って不思議じゃ。 〜君はどんなことをしても探そうとするだろう〜でもいつまでも続けられるものじゃない〜だって、失ってもいないものを探しているんだから〜 〜もしも僕があるがままの君じゃなくて〜君じゃない君を愛していると言ったら〜誰もが助けてくれる〜君の探しものを見つけようと〜 多分歌詞の意味なんて分かってないじゃろうが、フィーリングだけで歌っておるニコがステキじゃ! シャルロット・ゲインズブール編 〜♪女の如く シャルロット・ゲインズブールとは、フランスの国民的ミュージシャンじゃった故セルジュ・ゲインズブールと名女優じゃったジェーン・バーキンとの間に生まれたお嬢さんじゃ。 セルジュ・ゲインズブールはフランス国内の音楽に留まらず、英米の音楽に対しても深い理解を示しておったお方であり、娘さんもディランのカバーをやるとは、お父上の影響をモロに受けたんじゃろうな。 本業は女優さんであり、2007年に発表されたディランの半生を描いた映画『アイム・ノット・ゼア』にも出演しており、そのサウンドトラック盤にカバーテイクが収録されてる。 今回紹介するのは、2011年に発表されたシャルロットのソロアルバム『ステージ・ウィスパー』に収録されたテイク。 全編にわたりセクシーなウィスパーボイスで歌われておってチト恥ずかしくなってしまったが(笑)、なんだか久しぶりに「アンニュイ(フランス語のennui)」って表現を思い出してしまったな。 物憂げでちょっと気だるいフンイキのことじゃわい。 ディラン本人は「これも個性だ。許す!」って快諾したんじゃろうな! 余談じゃがシャルロット嬢のアルバ厶は、カスレ気味のため息混じりなウィスパーボイスで歌われた曲が少なくない。 お母様のジェーン・バーキンはかつてセクシー・ウィスパー・ボイスで男女の性交模様を歌った「ジュテーム」で世界中を騒然とさせた方だけに、そっちのDNAもしっかり受け継いでおるのか!? 男としては俄然スケベな興味心がわいてしょーがないところじゃが、驚くなかれシャルロットはディランだけでなく、ジミ・ヘンドリックスの「ヘイ・ジョー」までウィスパーボイスでやっておる!2014年公開のデンマーク映画『ニンフォマニアック』の挿入曲であり、これが素晴らしいデキで、スケベ心なんで吹っ飛んでしまう異例の完成度なんでついでながら是非聞いてみてくれ! では、ここでシャルロット嬢への架空インタビューをどうぞ!わしが生きている内に是非ともお会い、いやお話を聞いてみたいんで(笑) 七鉄:お母様顔負けの超セクシーなウィスパーボイスじゃのお〜(デレデレ) S嬢:誰よ、このスケベ・ジジイ連れてきたのは! 早くつまみ出してちょうだい! 七鉄:冗談はさておき、ディランにジミヘンのカバー、誠に恐れ入りました。 お嬢様のお陰でウィスパー唱法が聖なる芸術であることを教えて頂きました。(ペコペコ) S嬢:あら〜オジイチャン分かるの? エロチシズムと聖なるリリシズムの境界を彷徨う、ゲインズブール家直伝のスタイルよ。 七鉄:はい、心得ております。 お父様(セルジュ)のアルバムも何枚か聴かせて頂いておりましたんで、その辺は理解しております。(スリスリ) S嬢:ふ〜ん、そうなの。 お年寄りは頭でしか理解出来ないでしょうが、私は若い人に頭と肉体の両方で聞いてもらいたいわ。 七鉄:(このクソあま、つけ上がりやがって!と思いつつ)「ヘイ・ジョー」は妻殺人の容疑をかけられてアメリカ大陸を逃げ回る男のお話ですが、なぜエロチシズムの導入を? S嬢:あの曲、表層が暗すぎるけど、真実を語れない者の悲哀が美しいじゃない? 女の側からのジョーに対する愛護の念かしら。 オジイチャンにはもう分かんないでしょうけど。 七鉄:(年寄り扱いにそろそろ我慢の限界)そーいえば、あなたのファーストアルバムのタイトルは『生意気シャルロット』でしたね。 30年経ってもキャラは変わっておりませんな〜。 S嬢:どういう意味よ、それ! 七鉄:そのまんまじゃバカモノ! シネイド・オコナー編 〜 ♪アイ・ビリーブ・イン・ユー この曲はディランが「ボーン・アゲイン・クリスチャン」として改宗したことによって制作されたアルバム『スロー・トレイン・カミング』に収録されておる。 ゴスペル色濃厚なアルバムのカラーをシンボライズした様な曲であり、この曲における“ユー(YOU)”とは、全ての人種、あらゆる立場にある者を決して差別しない「真の神」のようじゃ。 信念を曲げずに生きていくことの辛さを歌った美しいながらもヘヴィな内容じゃが、真のクリスチャンを自負する宗教心の厚いミュージシャンには好んでカバーされるようじゃ。 シネイド・オコナー嬢は、デビュー直後から人種差別、腐敗したローマ教会の実態に対して過激すぎる発言を繰り返してきたアイルランドの女性シンガーなだけに、ディランカバーとしては納得のセレクトじゃな。 このカバーで明白なように、シンガーとしては正当的な実力派であり、時にはハードロック的アレンジでも歌いまくることのできるだけに1980年代はアルバムが売れまくっておったな。 一時期は坊主頭にするなど過激なイメージが先行したシネイド嬢じゃが、このテイクでたっぷりと彼女の歌唱力を堪能してもらいたい。 なお、スペシャル・テイクとしてもう一曲。 1992年の「ボブ・ディラン活動30周年記念コンサート」に招かれたシネイド嬢は、当初このカバーを披露する予定じゃった。 ところがその二週間前、TV番組「サタデーナイト・ライブ」において当時のローマ教皇の幼児虐待に対する抗議の念として、シネイド嬢は放映中に教皇の写真を破り捨てる行動をとった。 これが全米で大顰蹙(ひんしゅく)を浴び、「ディラン活動30周年コンサート」のステージに登場すると、やがて観客からブーイングの嵐。 騒ぎが一向に収まらない事態に対して、シネイドは「アイ・ビリーブ・イン・ユー」を歌わずに、ボブ・マーリーの「ウォー」をアカペラで熱唱。 「私は人種差別を絶対に許さい!」「正しい者が正しくない者に勝つまで、私は闘い続ける!!」と絶叫したのじゃ。 この模様は同コンサートの正規版DVDにもしっかりと収録されており、「シネイド・オコナー、全米に向けた捨て身の抗議」としてロック史に刻まれておる。 シネイド嬢の抗議シーンはNHKでも放映され、当時“業界”におったわしも職場の若い連中と一緒に観ていたんじゃが、わしも含めて全員が凍りついたもんじゃ。 メタル風の社員が呆然としながらも「なんてカッコいいんだ・・・」と呟いた事をよく覚えておる! ちなみはディランは、シネイド嬢のこの行動に対して後日「あれでいいのだ。 何か問題でもあったか?」と涼やかに答えたという。 オリビア・ニュートン・ジョン編 〜♪イフ・ノット・フォー・ユー 超個性派女性シンガーばっかりになってしもうたんで、最後は爽やか大衆路線で(笑) この曲のカバーはジョージ・ハリスンのテイクが有名じゃが、多分オリビアはジョージの曲だと思って吹き込んだようじゃ。 全編通して、どう聞いてもディランのオリジナル・テイクをオリビアが聞いたことがあるとは思えんわい(笑) ジョージ・テイクにクリソツじゃ。 それだけジョージ・テイクが良かったってことなんじゃろう。 ■Part 4 「チョイト驚く、畑違い連中!?のディラン・カバー」 リー・ロッカー編 〜♪ワン・モア・ナイト ディランのオリジナルテイクは1969年発表『ナッシュビル・スカイライン』に収録。 トレードマークのしわがれ声を抑え、ジョニー・キャッシュと共演もしながら、あくまでも軽快に爽やかにカントリーミュージックに取り組んだアルバムじゃっただけに、カントリー・スピリット全開なハッピーな仕上がりそのものじゃった。 一方リー・ロッカーのアルバム『ブラック・キャット・ボーン』においては、アルバムのオープニングからオリジナル・ストレイ・キャッツ路線がダイナミックに展開するだけに、どうもこのカバーの印象が薄いのお(笑) よお〜く聞くと、リー・ロッカー殿はディランの物真似をやっておるようにも聞こえ、カントリーとロカビリーの適度なミックスをシンプルな手法で狙っておるようでもある。 この辺がブライアン・セッツァーの手にかかれば仕上がり具合も大幅に変わってくるんじゃろうが、アメリカン・オールド・スタイルに拘ったようなこのアレンジがリー・ロッカー流ってことなんじゃろうな。 ストレイ・キャッツの中でもっともロカビリー嗜好に純粋に固執していたのは案外リー・ロッカーだったのかもしれない。 グラハム・ボネット編 〜♪これで終わりさ いやあ〜この人がディランをやっていたとはあらためて驚くわい! メタル界のグラサン野郎、横山のやっさん顔負けのヤーコー風ネオリーゼント!?のグラハム君じゃ。 しかも何を歌わせても、笑っちゃうぐらい声がデカイ! 前述のマリアンヌ・フェイスフルと同じ曲をカバーしとるとは思えんほど自分のスタイルにしておって見事なんじゃけど、やっぱり笑ってしまう、と茶化してばかりいてもしょうがねえな。 もともとグラハム君はハードロックに特化したシンガーではなくて、簡単に言うとパワーポップ系の歌を好んでおり、レインボウ参加によってハードロックを歌ってみただけのオハナシなのじゃ。 この曲はレインボウ参加以前の1976年に発表され、イギリスやオーストラリアで大ヒットしておったのじゃ。 しっかし、やはり何もそこまで全編で力いっぱい歌う必要もないようなすごい声量じゃのお〜。 ディランのオリジナルを考えれば、やり過ぎ、アンバランスの極致じゃ。 でもリーゼントとグラサンでメタルとか、声はバカでかいのに背はちっちゃいとか、グラサンで強面演じているのに素顔は優男とか、アンバランスがグラハム君の持ち味なんで、この唱法でもええんじゃろうな〜。 なんか、レインボウに入った直後のヒット曲「シンス・ユー・ビーン・ゴーン」とそっくりな、「女にフラレちまったぜ!」って笑いながら大声でわめいているみたいでオモシロイ。諸君ももし恋路がうまくいかなくなったら、グラハム君のように、事の転末を大声でわめいていてみよう。 そうしたら自然と笑いに転化できて救われるかもしれんぞ〜。 ガンズン・ローゼス編 〜♪天国の扉 「ママ、天国への扉を叩いているところなんだ」っつう自己破滅に向かう若者の追い詰められた心情が歌われておる曲と勝手に理解しておったんで、ガンズンなら上手くカバーするじゃろうという期待は見事に叶えられた。 クラプトンの70年代中期のカバーも名高いが、当時のクラプトンは覇気がなくて自堕落っぽくあり、周囲の温かい協力によりかろうじてミュージシャンをやっとる印象が強かったんで、なんか「思わせぶりじゃな」って感は否めなかった。 ガンズンの場合は、自己破滅の心境をあくまでも夢の中での幻想の様にやっており、光と影とが表裏一体になった日常の真実をえぐり出しておるような迫力を感じたものじゃった。 しかし驚いたのはライブにおいて、途中レゲエのリズムに変調させるアレンジじゃった! シリアスに歌っていたアクセル・ローズが突如溌剌としたアクションをみせ、合わせて美しい黒人のバックボーカルのお姉さん方が、黒い蝶々のように踊る姿はまさに幻想的であり、そして悪い夢を一気に覚まし、あらためて生へ誘うような舞踏じゃ。 原曲の新しい解釈とはこういうことなのだ!とあくまでも自分勝手に感動した次第である! ジョニー・サンダース編 〜♪ジョイ 生粋のドグサレ・パンカーのジョニーのことだ、どうせお得意のいい加減なスタイルでディランを“流して”〜なんて思っておったら、意外にも真面目にやっておる! 原曲は壮絶な生を生きたストリート・ギャングのお話なんじゃが、この物語風の歌詞の追いかけ方がジョニーの気怠いナレーション的ボーカルとマッチ。 もっとも原曲の半分の長さも歌っておらんので、フル・テイクがあるのであれば是非聞いてみたい。 極めてポジティブで才能を枯らさない努力を怠らないディランを、自己破滅志向の塊じゃったジョニー・サンダースがカバーって、やっぱりロックの歴史を調べ続けていくとオモシロイ事実が見つかるな! ではここで、架空インタビュー第2弾ジョニー・サンダース編をどうぞ(笑) 多分、というか間違いなくこんな内容になるじゃろう! 七鉄 :せっかく、あんたの才能を認めかかったのに、なんで全部歌わないのじゃ。 ジョニー:長すぎてメンドクセーよ。 メンドクセーことはやらねえ。 七鉄 :歌詞を全部覚えられないだけじゃろう? ジョニー:うるせージジイだな。 いいトコだけ歌ってりゃそれでいいだろう。 七鉄 :あんたの人生もオモロイが、「ジョイ」ほどはドラマチックじゃねえな。 なんで惹かれたんじゃ? ジョニー:「ジョイ」ほどじゃねーから途中で歌うのを止めたんだろうが。 それで文句ねえだろう! ところでジジイ、ヘロ持ってねえか? 七鉄 :ねえよ。 わしは酒の方がいい。 代わりにコレ(The-Kingのナッソージャケット)やるから、次回のライブまで歌詞全部覚えとけよ小僧! ジョニー:ジジイ、いいトコあるじゃねえか! んじゃ、次回はエルヴィスでもやってみるか。 まっ、それまでアンタ生きているかどうか知らねーけどな(爆笑) 七鉄 :やかましーわい! エルヴィスやるなら真面目にやれよ!! ヤードバーズ編 〜♪我が道を行く ジェフ・ベック在籍当時の1967年3月のBBCライブで、ヤードバーズはディラン・ナンバーをカバー。 前年に発表されたロック史上初の2枚組アルバム『ブロンド・オン・ブロンド』収録曲じゃ。 歌詞の内容よりもこの曲が潜在的にもっておるスピード感をジェフ・ベックあたりが敏感に嗅ぎつけてカバーしたと思われる。ギターのリフを聞いておるとジミー・ペイジのプレイのようでもあるが、資料によると確かにこの時期のギタリストはジェフ。 既に親交のあったジミーが「おもしろそうじゃないか。 やってみたら」と進言したのかもしれんな。 幾通りにも解釈が出来る歌詞だけではなく、言葉を発するスピードによってサウンド全体をチューンナップ出来るディランのもうひとつの重要な魅力に、ヤードバーズがいち早くも惹かれていたっつうことじゃろうな。 ボーカルのキース・レルフの明らかな力量不足が聞いていて悲しくなってくるが、ここはジェフのプレイを堪能しよう。 ブルーチアー編 〜♪悲しみは果てしなく ブルーチアーと言えば、今でもカルト的な人気を誇る元祖ガレージ・パンク・バンド。 1968年にエディ・コクランの「サマータイム・ブルース」のトンデモナイヘヴィ・カバーをやって有名になり、わしはドアーズのジム・モリソンが「見たことのない比類なきバンド」と発言したことにより一応興味を持ったことがある。 ガレージ・ロックというよりも、サイケデリック・トリップ・ロックであり、「好きな人は好きじゃろうな〜こーいうの」程度じゃった。 しかし話題をさらったのはデビュー当時だけでわしも以降は忘れておったが、サードアルバムでディランをやっとるんじゃな。 どんどん人気が下がっていって、サードではアナログA面においてポップ路線に変更したようで、その〆としてディランのこの曲を選んでおる。 元ガレージロックバンドというイメージを捨てて聞けば悪くない。 情緒的、攻撃的にやりたい衝動を抑えながら曲の進行に付いていっとるプレイは、バンドとして彼らがかなり進化を遂げておることを物語っており、ロックンロールのグルーブ感を陰で支えるスピリットの鼓動を感じることが出来る。 その鼓動はディランのオリジナルに匹敵しており、ブルーチアーというバンドを見直すきっかけを与えてくれたわい。 クーラ・シェーカー編 〜♪やせっぽちのバラード クーラ・シェーカーという新しいバンド(1990年代が最盛期。 新しくもないか!?)のこの曲のカバーを初めて聞いたのは、ローリング・ストーンズのオリジナル・メンバーであるブライアン・ジョーンズの死の真相に迫った映画『ストーンズから消えた男』(2006年公開)に挿入された時じゃ。 その他、若手バンドがストーンズ・ナンバーやブルースのカバーをやっておって、そのクオリティがあまりイケてなかった中で、このテイクの出来は素晴らしかった! 若手でもこんなすごいロックがプレイできるのか!って一発でクーラ・シェーカーを気に入ってしもうた。 この曲は「このままでは生きていても何の価値もなくなる男」が歌われたヘビー・バラードであり、「何かがおころうとしている。 しかしアンタは気付かないのさ。 ミスター・ジョーンズ」というフレーズが印象的であり、ブライアン・ジョーンズの存在そのものを歌っておると言われたこともある。 が、ディランが発表したのは1965年であり、当時ブライアンはバリバリのご健勝だったので、この説は違うと思う。 いずれにせよ、ディランがこの歌詞に込めた真意をさらに強調、もしくはさらに不可思議にするようなクーラ・シェーカーのプレイは圧巻であり、ジミ・ヘンドリックスの「見張り塔からずっと」以来、実に約30年ぶりにオリジナルを超えたディラン・カバーを聞いたと「大アッパレ!」をあげておこう! ちなみにこのテイクのお陰でわしはクーラ・シェーカーを追いかけることになり、1990年代以降のロックバンドの中ではしばらくは唯一無比の存在になっていった。 近々このバンドの全貌をお話したいと思うておる! ディランがノーベル賞を受けてしまったんで、わし自身のテンションが下がってしまうことが心配じゃったが、架空インタビューも含めて自分としては楽しんで書かせてもろうたつもりじゃ。 前編も併せて、諸君の中から一人でも、またワン・テイクでも気に入ったモンに出会うことに繋がったらとても嬉しいわい。 もうノーベル賞云々は忘れてしまおう! 当のディランだって既に大して気にもしておらんじゃろうしな(笑) 最後に諸君にひとつお願いがある。 これを機会に、ディランから「フォークの王様」みたいなイメージを払拭してもらいたい。 ディランをよく分かっていない日本のTV番組では、今だにディランを紹介する時にそんなカビの生えた表現を使い、BGMもデビュー当時の牧歌的なフォークナンバーばっかり。 ボブ・ディランとはハードなロックン・ロールも歌うし、ディープなブルースも歌うし、ゴキゲンなロカビリーも歌う、今やアメリカン・ルーツ・ミュージックの伝道師なのじゃ。 また何年か一度に思い出したようにニューアルバムを出して、同時に懐メロコンサートをやってがっぽり年金を稼ぐビンテージ・ロッカーとは明らかに違う、70歳を越えてなお真の現役であろうとする不屈のミュージシャン魂をもった強靭な男であることをどうか忘れんでほしいぞ! |
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