NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.242

■30年前/1986年のロック
 超大型のGWも終わり、諸君、どうか5月病にかからんようにな!(笑) 長期放浪から帰国してからまだ一ヶ月のわしは、GWを意識することなくまじめ〜に働いておったぞ。 そうじゃ、GW真ん中のThe-King開放デーがあったから、諸君は行ったであろうな! それなら5月病なんてカンケーネーな! ボスのベガス帰りの土産話も聞いたであろうし、パワーフルチャージじゃろう! 行けなかった方は、せめてこの七鉄コーナーに目を通して、ロックの英知を養ってくれたまえ! 今回は30年前、1986年MTV大全盛時代のアルバム10選じゃ。

 1980年代中期の生活を思い出すと、入手しやすくなったライブ映像やMTV映像ばかり観ておったと言えるじゃろう。 わしら世代にとって、動くロック・ミュージシャンを観ることは、それだけ有難いもんだったんじゃよ。 だから大して好きでもなかったミュージシャンの映像まで観ており、その結果音楽の嗜好性のレンジが随分と広がった気がするな。 流行にハマってしまったってことではあるが、後にも先にも、あんなにいろんなタイプの音楽を聞いておった時期はなかったはずじゃ。
 当然レコード(CD)コレクションの数もものすごいスピードで増え続けていって、1988年に引越しをする時には、手伝いにきてくれた友人が「オマエの部屋は中古レコード店みたいだな」って驚いておったもんじゃ(笑) そんな80年代中期真っ只中の1986年のアルバムベスト10じゃ。 
 セレクトを始めておる頃に気がついたんじゃが、やはり支離滅裂に聴きまくっておっただけに、傾向というもんが見当たらない(笑) 強いて言えば、アメリカ勢の方が多かったってぐらい。 まさに新旧、ごっちゃまぜじゃ。 新進の映像の力にかなり影響されておったのがよお〜く分かる。 それでも10枚まで絞ると、そのラインナップはやはり七鉄的じゃなあ〜なんて遠い昔を思い出してニンマリしとる次第じゃ。 「何が七鉄的なんだよ?」って思う方は、是非とも読み進んでみてくれたまえ。


2016年ロック回想録C
30年前/1986年のロック
洋楽最後の黄金時代!MTVブームに対峙しながら聴き漁った、新旧色とりどりの傑作集


1 ロック魂を蘇生させる超強力カンフル剤 2 無類の個性派が時代性中で活きた! 
ライブ・アライブ
 /ステーヴィー・レイ・ヴォーン■
  ■ブラー・ブラー・ブラー/イギー・ポップ ■
 ゴリゴリのオールド・ロック・ファンであるわしも、MTVやアンプラグドのあった80年代のシーンには結構“流された”もんじゃ。 「ロックも変わったなあ〜」なんて良識派ロックフリークを気取っておったもんじゃが、このアルバムでそんな思いは吹っ飛んだ! オールドもニューもねえ!やっぱりロックはこうでなくちゃいかんのじゃって、襟元正したわい!!

 スティーヴィー(SRV)のサウンドは、ひたすらブルースでありロックでありエレクトリック。 一応ライブ・アルバムなんじゃけど、観客の反応を確認するようなそぶりは一切なく、ひたすらロック・ギター道一直線のプレイは目が覚める思いがしたもんじゃ。
 SRVの中には、ロバート・ジョンソン、マディ・ウォータース、ジミ・ヘンドリックスがおり、彼らの魂がSRVの肉体を借りて蘇ったようじゃ! エリック・クラプトンもジェフ・ベックも到達できなかった次元にSRVはおる!

     60年代バイオレンス・ロックの生き証人であるイギーを観ておきたかったので、わしは1983年の来日公演に行ったんじゃが、初めて観た支離滅裂なロック・コンサートとでも言うべきか(笑)
 でもイギーの存在感は凄まじくて、「もっと、こうすれば、ああやればビッグになるのに」なんて生意気な感想を持ったもんじゃ。 そしたらこのアルバムはわしの希望通りに仕上がっておったからビックリ!(笑)

 イギーを高く買っておったデヴィッド・ボウイのプロデュースが顕著であり、選曲からアレンジまでボウイ色に染め上げられておるとはいえ、イギーのアバンギャルドな個性がまったく死んでいないところが凄い! 煌びやかな80年代ロック調の中でも、イギーは無法者、放浪者、ロッカーなのである。 
 「オレはオレだ!」が強過ぎる作品が多いイギーじゃが、ボウイと組んだことで突き抜けようとする個性が地平線を這いずり回る様なしぶとさを醸し出すロッカーの色気に変換されておる!


3 ミックが脇役に回った、ストーンズ史上稀有な1枚   4 ロックンローラー・ジョン・レノンの優れた残骸
■ダーティー・ワーク/ローリング・ストーンズ■   ■メンローブ・アベニュー/ジョン・レノン■
 ミック・ジャガーがソロ活動に忙しい時期に発表されただけに、キースが頑張る“Keith's Album”と言われておる1枚。 何曲かはロン・ウッドの名も作曲者にクレジットされており、ストーンズの久しぶりの攻撃的なギターアルバムでもある。
 キースが主導権を握ったということは、原則的に時代性が希薄であり(笑)、いつの時代に聴いてもサウンドがストレートに突き刺さってくる! こういうアルバムが、ストーンズのディスコグラフィーの中にもう少しあってもいいんじゃないかのお〜。

 難点を言えば、プロデューサーのスティーブ・リリーホワイト。 U2を一流に仕立てた“ドンシャリ・リズム”トラック造りの名人じゃが、ストーンズとはミスマッチじゃろう。 チャーリー・ワッツのしなやかなドラミングの妙味を消してしまっておる。 この辺の最終判断は流行を過剰に意識するミックなんじゃろうけど、徹頭徹尾キース流で仕上げてもらいたかった!
 なお、キースがダミ声で歌うスローバラード「スリープ・トゥナイト」から、本作制作途中に亡くなった故イアン・スチュワートのプレイをフューチャーしたシークレット・トラック「ピアノ・インサート」への流れは、ストーンズ・アルバム史上最高のクライマックスじゃ。
     この年の正月過ぎに発表された未発表ライブ集『ライブ・イン・ニューヨーク』に激しく落胆しただけに、こっちの未発表テイク集のテンションの高さには興奮したもんじゃ。
 名盤『ウォール・アンド・ブリッジ』『ロックンロール』周辺のアウトテイクばかりじゃが、ヤスリで凹凸を削って市場に出した完成品の一歩手前といったテイクが多く、ロックンローラー・ジョン・レノンへの信仰心の強いファンにはたまらない作品のはずじゃ。

 時はジョンの死後6年。 依然として「愛と平和の使者ジョン・レノン」という称号が強い時代であり、まったく話題にならなかったアルバムじゃったけど、だからこそわしはムキになって聴きまくったわい。
 時代がどんなに変わろうが、ヨーコさんにどんなに可愛がられようが、ジョンはやっぱり生粋のロックンローラーだったことを静かに証明する貴重な未発表テイク集じゃ。 
 う〜ん、それにしてもジャケに使われたアンディ・ウォーホール作のジョンのお顔がいかんなあ。 作品自体はええが、このアルバムには相応しくない! ボブ・グルーエン撮影のキメの粗い写真あたりが、イメージとしてはピッタリなんじゃがな。



5 クラプトン安寧期の終焉作 6 今夜もバカテクハードロックでドンチャン騒ぎだ!
オーガスト/エリック・クラプトン■    イート・エム・アンド・スマイル/デヴィッド・リー・ロス■
  自然体で写っておるようなジャケ写がエエ(笑) 収録内容もそのまんまであり、スターでもなくギター・ゴッドでもなく、「らく〜にアルバム1枚やってみっか」的じゃ。
 バック・ミュージシャンもそこはかとなくクラプトンを支えており、全編力みのないソフトなブルース感覚に包まれておる。
 ザ・バンドの故リチャード・マニュエルに捧げた「ホーリー・マザー」も、まさに当時そんな気分だったから、大して練りもせずにやってみたんじゃろう。

 説得力のあまりない曲が多くて、却ってそれがまたクールだったりするわけで、まったくこの人は何をやっても許されるなあ〜。 翌年の日本公演もこのまんまの雰囲気。 淡々と朴訥とやっとったが、かといって老成した風でもなかったもんじゃ。
 前作『ビハイド・ザ・サン』からプロデューサーはフィル・コリンズであり、彼の用意したほんわかポップ路線のフォーマットに本作ではどっぷり浸っているようでもあり、そんな時代がクラプトンにあったのか、と今にして思えば意外じゃが、これが紛れもなく80年代中期のクラプトンの姿。 熱心なファンは停滞期と呼んでおるらしいが、安寧期ってとこじゃろうな。
    ヴァン・ヘイレンを脱退したヴォーカリストのファースト・ソロ。 アンダーグラウンド・シーンから超絶技巧のプレイヤーたちを引き上げたデイブが繰り広げるネアカ・アメリカン・ハードロックは、なんつうか、アメリカン・ショウ・ビジネスの楽しさとバカバカしさ、恐るべきレベルの高さと究極の一過性なんかが、虚実まぜこぜになってハリケーンのように襲ってくる!
 ものすごいパフォーマンスやプレイを、ゲラゲラ笑いながらスイスイとやってのけるハードロック・サーカスであり、デイブのみならずバンド・メンバー全員の役者ぶりは圧巻じゃ。取ってつけたようなバラードもなく、これ見よがしの長尺なソロもなく、全編にわたってソファーに横たわりながら缶ビールでも次々と空けながら聞くことができるスーパー・リラックス・ハードロック・ワールドじゃ。

 非常に不思議じゃったのは、本作が予想に反してあまり売れなかったことじゃ。 たしかプラチナディスク(100万枚)止まりじゃった。 デイブが抜けたヴァン・ヘイレンが発表した正当的なハードロック・アルバム『5150』の方が遥かにセールスが良かった結果に、わしゃあ「アメリカ人って、思ったよりもジョークがわかんねーヤツが多いんだな」って憤慨してしもうた(笑) まあ、デイブたちはチトやり過ぎじゃったのかもしれんな。


7 “ダンディ”ダリル・ホールのロックな1枚 8 ソフト・パンク・ザ・スミス
■ドリーム・タイム/ダリル・ホール ■  ■ザ・クイーン・イズ・デッド/ザ・スミス■
 センスが良すぎてわしは付いて行けなかったホール&オーツじゃったけど、ダリル・ホールのファーストソロである本作はOK。 理由は単純明快、全編ロックだったからじゃ。
 ホール&オーツでも、随所にロック・スピリット、ブルース・フィーリングは感じておったのじゃが、あの二人が組むと“恨みも妬みもぜ〜んぶクールに水に流して”ってチョーシにかっこよく、さらにオシャレに変換されてしまうんじゃな。 だからこそ全米規模の人気を獲得出来たんじゃろうけど、本作ではクール&オシャレな変換はほとんどなく、恐らく原曲のスタイルをストレートに磨き上げていったんじゃなかろうか。 

 プロデューサーは当時の超売れっ子であり、ユーリズミックスのデイブ・スチュワート。 彼が本作の「ロック調仕掛け人」みたいに言われておったが、どうやら事実はその反対であり、指揮はあくまでもダリル本人。 デイブは効果音や最終処理の小細工に留まっておるそうな。
 余談ながら、オープニングナンバーのかっこいいイントロを聞いたら、皆さん、ZARDの「負けないで」を思い出すじゃろう。 パクリ過ぎじゃけど、故坂井泉水嬢、ステキな女性だったんで許そう(笑)
     イギリス系文学どっぷりのボーカル・モリッシーと、流麗でモダンなテクニックをキメまくるギタリスト・ジョニー・マーが組んだ、当時イギリスの内向的ロックファンにもっとも人気があったバンドがザ・スミス。
 モリッシーの詩的世界のユニークでシニカルなリアリズムは、まあ直で言われたら腹も立とうが、聞いている分にはなかなか痛快(笑)

 デビュー当時から熱狂的なファンがわしの周囲に多かったんで、試しに歌詞を覗いてみたら、まあ一言で言えば「弁は立つが、女にモテない男の独りよがり」! 書いている本人はチョー真面目なんじゃろうけど、読んでるこっちは大笑いするような的を得た表現ばっかりで、ある意味見事! わしはザ・スミスをひそかに「ソフト・パンク」と呼んでおった。
 ニュー・ダダイズムというかニヒリズム路線で突っ走ってきたスミスが大きく変化したのが本作。モリッシーの世間に対する視点に優しいユーモアが増え、サポートするジョニー・マーのプレイもより情感豊かになってとても聞きやすい!


9 マドンナの生真面目な歌唱作品     10 亡きプリンスも愛した80年代のギャル・バンドちゃん
■トゥルー・ブルー/マドンナ■  ■シルバースクリーンの妖精/バングルス■
 マドンナ嬢がセクシー・アイドルからアメリカの歌姫に変貌を遂げた1枚じゃろう。 キワモノ的なビデオクリップこそあったが、デビューからわずか3年あまりで見事にアイドルから脱皮してみせた実力には脱帽じゃ。
 時代の寵児と言われた名プロデューサー・ナイル・ロジャースとも前作『ライク・ア・バージン』1枚だけできっぱりと縁を切ってみせた度胸も見上げたもんじゃった。 どっかの国の、延々と学芸会を繰り返すアイドルたちとその製造者たちに見習ってもらいたい!

 デビュー直後の小ヒット曲に「ボーダーライン」っつうのがあり、マドンナの歌唱力の高さが聞ける曲なんじゃけど、その方法論を昇華させたのが本作に収録された大ヒット曲であり、本作の骨格を成す「ラ・イスラ・ボニータ」「パパ・ドント・プリーチ」「リブ・トゥー・テル」じゃろう。
 ただしマドンナが“正当的な歌姫路線”を歩むことは次作『ライク・ア・プレイヤー』まで。 それだけにマドンナの歌唱力をじっくりと味わうことのできる希少な?作品じゃ。
 忘れられん現象としては、本作で「マドンナって見直したワ!」っつった女性ファンが日本でもやたらと増えたことじゃ。 女性からしても“ステキな女”だったんじゃろう! 
     今でこそギャル・バンドは珍しくないが、全米で脚光を浴びた最初のギャルバンがバングルじゃろうな。 彼女たちの前にゴーゴーズがおったが、あっちはコーラス・グループじゃったからな。
 先日亡くなったプリンスがやたらとバングルスを気に入っておって「マニック・マンデー」をプレゼントした話は有名であり、本作からは同曲と「エジプシャン」が大ヒットしたもんじゃ。

 とりたてて美人はおらんが、実力派とアイドルとの両サイドをうまく使い分けたイメージ戦略、シンプルなアレンジでメンバーそれぞれの個性を活かしたパフォーマンスはギャルバンの鏡じゃ。 
 わしは基本的にギャルバンに興味はないが、「バングルスのお陰で学生生活が楽しくなった」なんてアメリカの学生さんの声を聞くと、「なんとなく分かるような」気がしたもんじゃ(笑) 邦題の意味がよお分からんけど、気だるく憂鬱な月曜日の朝を描いた「マニック・マンディ」のモノクロ・ビデオのイメージを使ったんじゃろう。
 ヴォーカルのスザンヌ・ホフスのちょっとウェットな小悪魔的個性は、80年代のアメリカのミュージック・シーンに咲いた小さなお花じゃったな。


 最後にマドンナとかバングルスなんて女の子が出てくるところが「実に七鉄的」じゃろう〜(笑)これもMTVの影響かもしれんな〜。 しかし当時は、新人という新人がみんな衣装がど派手じゃったなあ〜。オメーら、みんな紅白歌合戦のトリに出んのか!って感じじゃった。 ベテラン勢の中でも勘違いしとるようなキラキラ衣装を着出して、キモチワリー化粧までしやがって、わしゃー時々は観ておれんかったわい。 それもこれも全部MTVの影響じゃ。わしがそのブームに影響されても仕方ねーよなー!

 1986年、80年代中期と言えば、わし自身が「もう青年ではなくなった年齢」に達した時じゃった。もっとスルドク言えば、「子供であることが許されない年齢」ってことじゃ。 でもMTVブームのお陰で、もう一度ロックという文化にどっぷりと浸ることができた。子供がロックに夢中になる感覚が一時的に蘇ることが出来たと言えよう。 そういった意味ではMTVには感謝せんとな〜。 もちろん当時は頑固ロック・ジジイの片鱗も見せてなかったと思う!(笑) 七鉄の最後の青春時代じゃな〜。 ご静聴ありがとやんした!


七鉄の酔眼雑記 〜(ひょっとしたら)転職を決意させたロック・ビデオ中毒症!?

  「MTVの影響」を強調した1986年じゃったが、冷静に振り返ってみると、音楽を聞く時間よりも、映像を観る時間の方が長かった様な気もする。 なにせ週末は必ず西新宿の怪しいブート屋に出入りして、映像集を買いまくっておったからな。 ほとんどは英米のTV放送を録画しただけのモンであり、今考えるとよくもまああんな粗悪なブツに金を払っていたもんだと呆れてしまうが、それまで映像作品とは縁の薄かったオールド・ロック・ファンの悲しい性ってもんじゃ。

 鮮明に覚えておるのは、仕事が終わってソッコーで部屋に帰り、すぐにビデオをセットして風呂のお湯が溜まるまでとりあえず観る。 風呂から上がったら、今度はマッハの速さでビールとウイスキー(懐かしの2級ウイスキー、ボストンクラブじゃ!)を用意して、あとはひたすらビデオを観る! 何時まで観ておったんじゃろう。多分、酔っ払って寝てしまうまで観ておったはずじゃ。夜中に目が覚めたらモニターの画面が砂嵐!ってな記憶も強烈ですわい。
 あの頃のビデオデッキは机の引き出しみたいにデカくて、更に重い。 ヘッドがイカレテ電気屋に修理に持って行く時、やたらと重かったなあ〜。 あの重さも今となっては懐かしいわい。
 翌朝の出勤時間まで、昨夜観たロックの映像が頭ん中で再生され続けておって(なんたる単細胞!)、仕事の昼休みには映像の詳細を持参しておった資料で調べ、音源として入手するブツを選定したりしておった。まさに仕事以外は、ロック一色な毎日じゃった。
 一度東京から大阪に出張する時、行きの新幹線の中で“それをやってしまい”、同行していた先輩から大目玉を食らったことがある(笑) 当然その先輩は「オマエ、さっさと転職しろ!」って怒鳴ったもんじゃ。 はい、言われた通り、2年後には音楽業界に無事転職致しました!ってなワケじゃ。(“さっさと”ではないか!)そこでThe-Kingのボスにお会いすることになるんじゃよ〜♪ 

 イメージとしては、86〜88年ぐらいのわしの毎日は、日々快晴であり、時間そのものがキラキラと輝いておった。 自分の立場も将来も忘れ、ひたすらロックミュージックの威力、ロック映像の魔術にハマル、そんな時代が残り少なくなってきた人生で(笑)もう一度だけで訪れてくれんかな〜。



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