NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMNVol.241

 最近The-Kingの周囲が騒がしい!? 七鉄が一年半振りに放浪から帰国した(笑)、と思いきや今度はボスが「ビバ・ラスベガス」参加の為に渡米。 そしてニューイタリアンカラーシャツ発表に、GWはスペシャル解放デー。 賑やかなことは誠にヨロシイ! みんなでお〜いにThe-Kingを盛り上げて行こうぞ!!ってわしの帰国がThe-Kingの盛り上がりに関係しとるんかどうかは知らんけど、日本の地を踏みしめながらカマシテイキマッセ!

 その一方で現在久しぶりにローリング・ストーンズの身辺の方も騒がしいようじゃのお〜。 キューバ初のコンサートに40万人が集まった! ロンドンで初の大規模なストーンズ展示会が開催中!! そして11年ぶりの新作発表間近!!! 
 誠にケッコーな事ではあるけれど、その波及効果というか、相乗効果というか!?キース・リチャーズの最近の毒舌ぶりがネット上で面白半分で取り沙汰されておって、わしはこっちの方が興味があってオモシロイ(笑) いやあ〜みんなキースが口を開けばピーチクパーチク、まあ言いたい放題。 だからはわしもその流れにちと乗ることにした!

 「ザ・フーは見せかけだけ」とか「サージェント・ペパーは駄作だ」とか「ツェッペリンは空っぽだ」とかって、キース・リチャーズ流毒ガスが撒き散らされておるような感じじゃ。 キースの槍玉にあがったバンドのファンの反応を見てみると、批判めいた意見の方が多い。 じゃがわしは、ほとんどはキース独特のジョークだと思えるがなあ〜。 ザ・フーもビートルズもツェッペリンもわしは好きだけど、キースの発言には別に腹は立たないぞ。それはある意味で実に的を得ておるからじゃ!
 キースの発言に腹を立てておる輩ってのは、大体ロックンロールって音楽を、またロッカーという人種を“さも、たいそうに”捉え過ぎとんのと違うかい?(笑) いい加減なとこ、テキトーなとこ、こざかしいとこもあってこそ、ロックンロールであり、ロッカーであるんじゃよ!

 キースのこの度の毒舌批評は、一人のロッカーに対しての発言だけを読んでおると個人攻撃のようでもあるが、ぜ〜んぶ読んでみるとだな、ロックという音楽の特性、そのロッカーの音楽性をよく言い当てておる。 言い換えれば、何つうかな、普通のいち読者として読んだら「こき下ろし」に感じるじゃろうが、ロックという音楽を本当に知っておる者が読めば、一種のニヒリスティックな「ロック(ロッカー)の重層的魅力論」として捕らえることができるってもんじゃ!
 キースの毒舌が、相手のどの作品、いつ頃の活動に向けて発せられたかは不明じゃけど、まあ諸君の中にはわしよりもロック歴がはるかに短くて、毒舌の真意がワカラン輩もおるじゃろうから、この際わしが分かりやす〜くレクチャーして差し上げよう! 時にはキース・リチャーズの背後から、キースの言っとる事を「そうだ、そうだ」と囃し立てておるようになって、偉大な人物の権勢をかさに着て威張り散らかす小人(しようじん)みたいかもしれんけど、この際、年端も行かぬ(?)愛する諸君の為に恥を忍んで書かせてもらうぞ!(笑)


虎の威を借る七鉄!?キース・リチャーズの毒舌を大いに擁護する!
「アレは決して悪口ではない。キース特有のロック重層的魅力論であ〜る!」


■ ビートルズに対して ■

 「ビートルズはビートルズらしい時のサウンドが最高なんだよ。 でもあんまりルーツを感じさせないよね。 なんか舞い上がっちゃったんじゃないのかな。 無理もないだろ、そりゃあ60年代にビートルズなんかやってたら舞い上がらない方が無理だから。 で、自分がそもそも何をやりたかったのか見えなくなっちゃったんだよね。
 それで『サージェント・ペパーズ』をやり始めちゃうんだよ。 中には天才的なアルバムだという人もいるけど、ゴミが色々まぜこぜになったもんだと思うよ、『サタニック・マジェスティーズ』みたいにね。 くだらないもんのてんこ盛りなら、自分たちにも作れるぜってな調子でわざわざ張り合っちゃったっていうか」


 キース最大の音楽的信条は「ロックンロール・バンドならば、ルーツ・ミュージックの影響を明確に打ち出すこと」。 初期のビートルズ・サウンドってのはソイツが感じられないって言っとるが、ビートルズは既にそんな段階を終了させた時点でデビューしとるし、だからこそまったく新しいサウンドを世に送り出し、世界中に衝撃を与えられたのじゃ。 衝撃を創出出来た連中がそれに酔ってしまうのは仕方ねえよな!ってことじゃないのか、キースの本音は。
 「サージェント〜」をゴミと言ったのは、その登場によってロック界全体が“サージェント的アルバム”ばっかりとなり、古き良きルーツミュージックを忘れ過ぎ、ロックそのものが“砂上の楼閣”と化してしまったってことを憂いておるんじゃろう。 「サタニック・マジェスティー」ってのもストーンズの「サージェント」的アルバムじゃしな。
 実はわしも「サージェント」は好きじゃない。 今でもほとんど聞かないんじゃ。 ルーツ音楽云々は別にしても、計算され尽くされてキマリ過ぎだからじゃ。 キースが言いたかった事がよ〜く分かるぞ!(笑) ロックンロールというファクターに“キメキメ”というスタイルは必要じゃない!


■ ザ・フーに対して ■

 「ロジャー・ダルトリーはずっと、まやかしだなって思ってきたよ。 ピート・タウンゼントは大好きだけど、ザ・フーについてはやっぱりずっと昔からおかしなバンドだなって思ってきたよ。
 キース・ムーンだって、一緒にセッションをやっても、『スウィングする感じで叩いてくれよ』って言ってもできないんだよ。 ヤツはとんでもないドラマーだったけど、それはピートとやってる時だけに限られたことだったんだ」

「でも、ピートに対してはほかの誰にもできないドラムを提供できたんだよ。 ただ、誰かに声をかけられてセッションに放り込まれたりすると、もう交通事故にしかならないんだ。 だけど、それはそれで全然いいことなんだよ、人によっては絶対にうまく描けるっていう筆を一本だけ持ってるってことがあって、それを徹底的にロックしていくわけだから」

 ドラマーのキース・ムーンに関する発言はまさにご明察! ヴォーカルのロジャー・ダルトリーに関しては、ロジャーのヴォーカルがオールド・スタイルを踏襲、昇華させたスタイルではないので、キースにとっては“まやかし”に聞こえたんじゃろう。 
 それはビートルズを“ルーツを感じさせない”、ツェッペリンを“空っぽ”と言った事と同じ感覚であり、何故堂々とルーツ・ミュージックへの敬意を表さないんだ!って言いたいのじゃ。 それは彼らを認めておるからこそ、「そうあって欲しかった」「オレと同じ地点から音楽をやって張り合おうぜ!」という同胞意識が言わせた言葉じゃろう。 本当に“からっぽ”“まやかし”と思っておる連中は、キースは無視するじゃろう。

■ レッド・ツェッペリンに対して ■

 「ジミー・ペイジのことは大好きなんだけど、あのバンドとなるとそうじゃなくて、ジョン・ボーナムがまるで操縦の利かない巨大トラックのようなドラムで高速をかっ飛ばしている感じになっちゃうからね。 なんか、音楽シーンの方向があれで一方的に決まっちゃったんだよね。 ジミーは素晴らしいプレイヤーだよ。でも、あのバンドに関してはちょっと空っぽなところも感じたりしたんだよね」


 まさに言いえてミョー! 最高のツェッペリン論じゃ!! ジョン・ボーナムに対する例えなんかサイコーじゃ。  ツェッペリンを「70年代のモンスター・バンド」に仕立て上げた最大のファクターは、ボーナムの凄まじいドラミングだったのじゃ。 どんな優秀なロックライターの表現よりも、キースの言い方が的確じゃ。
 “空っぽ”って表現は、ツェッペリンのルーツ・ミュージックである黒人ブルースが、ジョン・ボーナスのドラムにより、まるで被爆して巨大化した怪獣のような“破壊の権化”になってしまったってことじゃろう。 破壊の後には“何も残らない”からのお〜。 こういうスルドイ言い方って、実はキースの“ツェッペリン賛歌”なんじゃねーのか?って思いたくなるな。


■ エルトン・ジョンに対して ■

「年をとったビッチだ……。 
 彼が作る曲は『この世を去ったブロンド』のことしか書かれていない」


 この発言は、エルトン・ジョンが故ダイアナ妃を偲ぶ曲「グッバイ・イングリッシュ・ローズ」を発表した頃に出た発言ではないじゃろうか。 発言の前半と後半の部分の繋りが、読んだだけではよく分からんな。
 キースが本当に言いたかった事は、「エルトンほどの地位も名声も大金もあるヤツが、なんで“大ヒット絶対間違いなし”のテーマの曲を作りやがるんだ」ってトコじゃねえのかな。 「そんなテーマは売れてないヤツラにくれてやればいいじゃないか」ってなもんじゃろう!ってのは、実はこの曲が発表された時にわしがソッコーで感じたこと(笑) だからキースのこの発言には胸のすく思いがしたもんじゃ!
 色んな毒舌の中で、これだけは相手(エルトン)に対する敵意(悪意ではない)を感じることは確か。 その証拠にエルトン側からも強烈なレスポンスがあったもんじゃ。
「キース・リチャーズみたいになるのは嫌だね。 哀れな人間だよ。 関節炎を患ったサルみたいで、ステージに上がって若くみせようとしてる。 僕はザ・ローリング・ストーンズのことは心から尊敬してるけど、15年前にキースを外していればもっと良かっただろうね」





■ デヴィッド・ボウイに対して ■

「見せかけだけだね。 気取ってやがるんだ。 音楽と呼ぶには程遠い。 彼自身も自覚してるさ」


 まるでファッションを変えていくように、音楽性をコロコロ変えていくボウイのスタイルは、到底キースには理解し難いもんだったんじゃろう。 でも若い時のボウイにとって、“見せかけ”と“気取り”は必要不可欠であり、キースの指摘は間違ってはおらん。
 “音楽ではない”ってのは、“ロックではない”もしくは“サウンド(音)である”って置き換えてもええじゃろう。 ボウイは「僕はロックンローラーではない。 ロックに対して僕はディレッタントだ」という発言もあるし、自らの作品を総括して「サウンド・アンド・ヴィジョン」という表現も多用しとるし、キースはそれを少々悪戯っぽくからかったようなもんじゃ。 実際、「夜をぶっとばせ!」をボウイがカバーした時、「アイツ、なかなかいいセンスしているぜ」とキースは認めていたこともある。


■ クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(CCR)に対して ■


「初めて聴いた時は衝撃を受けたね。 でも、すぐに飽きちまったんだ。 数回聞いただけで、イライラし出したよ。 ものすごくベーシックでシンプルなんだが、それがちょっとクドいんだろうな」

 CCRって、まさにそれ以上でもそれ以下でもないじゃろう。 だから、やることやったらさっさと解散しちまったもんじゃ。 キースの表現はまことにどストレート!
 まあストーンズだって、デビュー後数年間はそんなもんじゃったから、キースの発言に悪意は感じられんけどな。 “クドさ”を克服してバンドを長く維持した者が、それをしなかった者に対して向けた、遅すぎる叱咤みたいなもんじゃ。


■ ブルース・スプリングスティーンに対して ■

「もし何かもう少しマシなものがあれば、あいつは今でもニュージャージーのバーで働いてたかもな」


一読すると、「あいつはロック界よりも、ニュージャージーのバーで留まっておくべきだ」って感じじゃが(笑)まあ、バーテンダーが自分の見聞した体験を元にコラムニストとして名を成した、ブルースの音楽ってのはそういうもんさ、って事じゃ。 見事なスプリングスティーン評と言えるじゃろう。
 かつてブルース・スプリングスティーンを「ニュージャージーのボス」と言わしめた魅力とは、まるで労働者階級の連中がたむろするバーのバーテンダーのような視点で描かれたリアル過ぎ、ロマンチック過ぎるロックンロール的視点だったのじゃ。 自分自身がロマンチストであるキースならではの言い方じゃな!
 また、かつてキースはブルースが「ボーン・イン・ザ・USA」でアメリカに対する恨みつらみをぶちまけた時、「世界一イカサナイロックンロール」と評した。 ブルースの視点がバーテンダーから大統領候補になってしまったからじゃ。 だったらロックなんてやるんじゃねーよ!って事なんじゃろうけど、この発言もその頃か? もしくは、なんかすっかりアメリカの好々爺然としてきたブルースに対する近年発した精一杯の皮肉かもしれん。


■ ガンズン・ローゼスに対して ■

「ガッツは認めるよ。 でもカッコつけ過ぎだな。 見た目がさ、個性がないよ。 ジミーに見えるやつもいるし、ロニーみたいなやつもいる。 モノマネばっかりだ。 俺にはカッコつけ過ぎてるように見えるよ」


 本当はサ、「オレみてーに成りたいやつもいるし」って言いたかったんじゃねーのか、キースよ! また、オレみたいなやつ、ロニーみたいなやつがいるってことは、ザ・ローリング・ストーンズってのが後発のロックンロール・バンドにとっての永遠のフォーマットなんだよってのも言いたかったに違いない。 キースはその事をしっかりと自覚しとるから“ガッツは認めるよ”って部分が最初に出てくるんじゃよ〜。
 “個性がない”ってのは、ロックンロール・バンドお決まりのトラブル、例えばメンバー間の不仲、ドラッグやアルコール問題、セックス中毒なんかを乗り越えてからが、バンドの本当の軌道がスタートするってことを伝えたかったんじゃろう。 「ガンズンよ、ありきたりのロック・バンドのブラックホールに落ちるな!」ってトコじゃ。 カワイイ後輩に対するキースなりのエールじゃろうな。


 〜勘違いや深読み、また拡大解釈は承知の上でキースの毒舌を解説してみたが、やはりキース・リチャーズって男は、ロックンローラーとしてのぶっとい芯がビシッと入っておるのがスゲーな。 誰に対して何を言おうとブレがまったくない。 世の中ってもんを分かっておらん、自信だけで突っ走っておる若造ロッカーの他者批判とは次元が違うのお。

 キースの毒舌の是非はともかくとして、引き合いに出しておる様々なバンドの多彩なファクターこそ、ロックンロールという音楽の魅力なんじゃよ。 そう考えると、キースなら毒舌大いに結構! サイコーのロックンロール文化論じゃよ。 今後も大いにかましてもらいたい! キースが口を開けば開くほど、ロックンロールという音楽の真実が詳らかにされていくのじゃ! 



七鉄の酔眼雑記 〜30年前のキース・ロング・インタビュー本

 キース・リチャーズというロッカーが、世界的な人気ロック・ギタリストであるとともに、非常に優れたコメンテーターというか、インタビュー・アンサーであることに気がついたのは、多分1986〜7年に発売された、作家でありロッカーである山川健一氏の「ロックンロール・ゲームス」を読んでからだと思う。
 この本は、カリブ海に浮かぶ小さな島にある別荘でくつろぐキース・リチャーズに山川氏がロング・インタビューした内容がメインであり、山川氏自身が熱狂的なキース・フリークであるだけに、キースへの質問の数々はまさにすべてのストーンズ・ファン、キース・ファンの気持ちを代弁しておった。 読んでいて「よくぞ、それを聞いてくれた!」って質問の連続であり、山川氏に感謝しながら読み耽ったものじゃった。

 更にキースの受け答えが、ストレートでありながらウェット、ユーモアに富んでいて、毒を匂わせる表現が挟まれるタイミングが実にロック的! つくづく「言葉の使い方が達者な人じゃのお〜」と感心したもんじゃ。 また山川氏が抱えるストーンズ幻想をぶち壊さないようなキースの優しさも同時に感じたものじゃ。

例えば、
山川氏:「ストーンズを解散させないで下さい」
キース:「どうしたら解散したことになるのかい? ストーンズは曲のストックだけであと20枚のアルバムがつくれるぜ(笑)」
     「まずストーンズが第一だ。 ビートルズを見ろよ。 メンバーがビートルズよりも自分の事を第一に考えるようになったから解散したんだよ」

山川氏:「ジョン・レノンをどう思いますか?」
キース:「ジョンはビートルズの中でもっともストーンズっぽい男だった。 ジュリアン(息子)がジョンにそっくりで、見ていて辛くなるよ。 とにかくジョンって男はダイレクトなヤツだったよ」

山川氏:「ミック・ジャガーがソロアルバムを出しましたが」
キース:「やらせておけばいいさ。 問題なのは、タイミングさ。 ヤツのクソッタレのレコードの発売日は、オレたちはストーンズの最新アルバムの最終ミックスダウンに立ち会う日だったんだ」

とか、現物がもう手元に無いんで確認することは出来んが、終始こんな感じでキースは明け透けに何でもスルドク、言葉巧みに答えておった。 他者批判は、ミック・ジャガーのソロアルバムについてだけで、ほとんど無かった覚えがある。
 「ロックンロール・ゲームス」のインタビューが行われてからもう30年が経つが、最近のインタビューと比べてみても、キースの言葉の真意はほとんど変わっておらん。 読む側の感性への突き刺さり方、浸透の仕方が同じなんじゃな。 キースの考え方の是非はともかくとして、こういう人間の言っとることは、多少の深読みをした上で本音であると信用し続けて良いのじゃ。 まあ、そんなわけで今回のテーマを決めたんじゃが、機会があったら是非とも「ロックンロール・ゲームス」も購読してみてくれ!



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