NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.217
カンボジアからコンニチワ! ただいまアンコール遺跡を5日ぶっ通しで観光してヘトヘトの七鉄じゃ。 さすがにこの巨大遺跡、熟年ロッカーのわしにも制覇は困難って当たり前じゃが、なんとか健康体を維持しながら旅を進めておるぞ。
こちらただいま体感温度40度・・・日本はThe-Kingのナッソーレジェンドが継続中だし、ますますいい季節じゃのお。 わしも自らの行動力でいい季節にせんといかんな!ということで、わしを遥かに凌ぐ!?凄まじい熟年、いや、ヴィンテージロッカーの紹介をして自らを奮い立たせることにしたぞ。
3年前のビートルズ、2年前のローリング・ストーンズ、昨年のキンクスに続き、今年はザ・フーがデビュー50周年を迎えた。 俗に言う「ブリティッシュ4大バンド」が出揃ってから半世紀が過ぎたんじゃな〜。 彼らがデビューした頃、まさかまさか50年も聴き続けるなんて考えもしなかったんで感慨もひとしお。 「歳はとったけど、頭ん中はまだまだ若者じゃ!」って強がることができる!(エーカゲンニセーヨ、って声が聞こえなくもないが!?)彼らの永遠のサウンドにただただ感謝あるのみじゃ。
ザ・フーのデビュー50周年に際してわしが言いたいことは、たったひとつ。 それはこの50年間、ロック専門メディ以外の日本のマスコミが「“基本的な紹介”を怠っておった」って事じゃ。 だから「ブリティッシュ・ロック界の大御所」「モッズの老舗バンド」といった“知らなくても言える”ことしか、一般のロックファンには伝えられることはなかった。 また「60年代初期は、ビートルズ&ストーンズ」「70年代初期は、レッド・ツェッペリン&ディープ・パープル」といった安易な時代枠の“中間”に位置付けられてしまい、いまひとつ存在感が薄いバンドとして扱われてきたのじゃ。
日本での一般的なザ・フーのイメージを覆すことはわし一人では難しいものの、せめてThe-Kingフリークの諸君には、ザ・フーというバンドのデビューから終始一貫した真実を伝えておきたいので、この度PCを叩く次第である!
ザ・フーの「真実」とは何か?それは彼らが本当の「反逆者」じゃったことじゃ。 ロックバンドには「反逆」「反抗」「若者の新しい感性」といったお約束が付いて回るが、それは大人たちが眉をひそめるような非常識な歌を歌ったり、行動をしたりすることだけではない。 ザ・フーの「反逆」とは、メンバー構成や演奏スタイル、アルバム発表パターンに至るまで、時の音楽業界の通例や流行を決してなぞることなく、独自のやり方を貫き通した事なのじゃ。「反逆」が単なる個人的なカタルシスで終わることなく、しっかりとした形を成して時代やシーンの中に確かな足跡を残したことが、ザ・フーなのじゃ!
ザ・フー・デビュー50周年に寄せて
流行迎合と予定調和を拒否し続けた、
ザ・フー「真の反逆性」を辿る!(前編)
■プロローグ〜ザ・フー活動概要
ザ・フーは、1965年アルバム『マイ・ジェネレイション』でデビュー。 以降、11枚のスタジオ・アルバムと2枚のライブ・アルバムを発表。
イギリスの労働者階級の若者たちに絶大な人気を博し、モッズのリーダーとして祭り上げられることから、ザ・フー栄光の歴史はスタートした。
モッズ・ブームが終わった後は、ロック・オペラ「トミー」を初めとするアーティスティックなアルバムで音楽性の評価を上げる一方で、超ワイルドなハードロック的ライブを身上とするなど、ロッカーとしての両極端な魅力を存分に発揮しておった。
1969年「ウッドストック」、1970年「ワイト島フェスティバル」と、ロック史における伝説的二大ロック・フェスにいずれも出演。
1978年にドラマーのキース・ムーンが死亡した為、後釜は元スモール・フェイセスのケニー・ジョーンズ。
1983年のアメリカン・ツアーを最後に一旦解散。 以降は、再結成と活動停止を繰り返しておる。 1990年にロック殿堂入り。
オリジナル・メンバーは下記の通り。
ロジャー・ダルトリー(ヴォーカル)
ピート・タウンシェンド(ギター、メイン・ソングライター)
ジョン・エントウィッスル(ベース)
キース・ムーン(ドラマー)
■元祖・個性派の集合体
ザ・フーというロックバンドには、「ロック史上初、唯一」という要素がやたらと多いのじゃ。 さしずめその典型が、メンバー全員が注目するに値する個性をデビュー当時からかましておったことじゃ!
60年代前半にデビューしたロック・バンドは、シンガー&バックバンドのイメージが強かった。 バンドの中で目立つのはシンガーばかり。 よほどのイケメンでもない限り、ベーシストやドラマーまで注目されることはない時代じゃったが、ロジャー、ピート、ジョン、キースの4人は、それぞれにキャラ、演奏スタイルともに独特であり、強烈な個性の集合体の最古参バンドがザ・フーであると断言してもよかろう!
この点がまったく日本で注目されなかったのは、“ロック後進国”じゃった日本人にウケル様なヴィジュアルの持ち主がザ・フーの4人の中にいなかったことじゃろうかのお。 また、日本では演奏を歌の添え物的な存在でしかなかった時代じゃったこともその原因じゃろう。
ファースト・アルバム『マイ・ジェネレイション』のラストナンバー「ザ・オックス」は、ハイハット無しでひたすら怒涛のローリングを続けるキースの凄まじいドラミングをフューチャーしたナンバー。 ザ・フーがいかに特異なメンバーの集合体であったことを象徴するナンバーであり、ドラムソロなんて概念すらなかった当時の生ぬるいバンド・プレイのテンションをひっくり返す衝撃の一曲じゃ。
■50sロックの流れを受け継いだ唯一の60sサウンド
ロック史の中で大きなクエスチョンマークといえば、猛威をふるったアメリカンフィフティーズ・ロックの影響力が、60年代のバンドの中に直接的に感じられないことじゃ。 当時ロックをやろうとしていた者の心の中には、エルヴィス、エディ・コクラン、ジーン・ビンセント、バディ・ホリーといった50Sロックスターの存在が絶対ではあったものの、それが作品の中にダイレクトに反映される場合は極めて少なかった。
一番の理由は、本場アメリカでは「エルヴィスの徴兵とともに、ロックンロールの時代は終わった」といった風潮が強かったこと。 またイギリスではブルースブームが起きたことじゃろう。 デビューするバンドの大半はブルースのコピーバンド、もしくはいつの時代にも存在するポップ・バンドじゃった。
しかしザ・フーが信条としたロックンロールのスピリットは、アメリカン・フィフティーズ・ロックそのもの!「明るく爽快に、若者のエネルギーを爆発させたロック」じゃった。 ただしザ・フーはコピー、カバーはやらずに、ほとんどオリジナル曲によってロックの歴史の流れを正統的に継承しようとしたのじゃ。 デビュー当時、リーダーのピートはオモシロイ発言をしておる。
「ロックバンドってのは、やりたい事をやるもんであり、オリジナル曲をやるためのもんだ!」
ブルースのカバーでデビューした多くのバンド、当時の音楽業界のやり方に反抗した言葉だったんじゃろうが、この手の流行、業界の通例への清々しいアンチテーゼは以降も一貫することになるのじゃ。
■ストーンズをも吹っ飛ばした圧倒的な演奏力
60年代前半はシングル盤全盛時代。 ロックバンドにもシングルヒット曲が求められ、多くのリスナーにとってのアルバム収録曲は“没シングル曲”というイメージでしかなかったはずじゃ。 その常識を打ち破ったのがビートルズとザ・フーじゃろう。 ビートルズにはご存知レノン/マッカートニーという早熟な天才ソングライターが二人もおったので、シングルにならない曲にも充分に“聞く価値”があった。
ザ・フーはオリジナル曲のほとんどはピートの作品じゃが、彼らにはメンバー全員の個性的な演奏力があった!ロジャーの歌唱力はもとより、ピートのギター、ジョンのベース、キースのドラムそれぞれに独立した輝きがあり、これぞロックバンド!と言える充実した演奏が聴けるのじゃ。 恐らくバンド集合体としてのテンション、迫力ならば、当時はザ・フーがナンバーワンじゃったに違いない! メンバーそれぞれの力量が単純な足し算になって巨大化しておったのがザ・フー・サウンドじゃ!
彼らはその自らの演奏力の特異なクオリティを充分に認識しており、スタジオ録音臭さを払拭した一発録りの迫力が初期の数々のヒット曲やファースト・アルバム『マイ・ジェネレイション』に詰まっておる。
一方ライブにおいても、ザ・フーの演奏力は炸裂しておった!60年代中盤あたりまでのロック・コンサートには、演奏力なんてものは求められておらんかった。 新しいロックン・ロールに熱狂するファンの声援があまりにも凄まじく、それを凌駕できるだけの音響システムも無かったからじゃ。当時のコンサート状況を、ストーンズのキースはこんな風に語っておる。
「あの頃のコンサートなんて、ステージに出て行って、2〜3曲演奏して女の子を騒がして、後は逃げるだけってなもんさ」
だから当時のバンドの演奏レベルがいかほどであったのかは、今となっては謎じゃ。この点に関してはビートルズのジョージのコメントは次の通り。
「観客の大人しいコンサート(66年日本公演)でやっと気がついたよ。俺たちのプレイはひどいもんだった」
じゃがザ・フーだけは別格じゃった。 とにかくメンバー全員がライブのプレイに全力投球! 時折激しくジャンプしながら、右腕を伸ばし大きく回転させながら弾くウインドミル奏法を駆使するピート、マイクを投げ縄のように振り回すロジャー、“リード・ベース”とまで評されたアタックの効いたマシンガンのようなジョンのベース、そして多くのシンバルとタムタムを並べて縦横無尽に叩きまくるキース。 ザ・フーのデビュー当時からのライブ・パフォーマンスの迫力は唯一無比! 観客が熱狂する前に自分たちが熱狂して観客を圧倒してしまうのがザ・フーのライブだったのじゃ。 後のガレージ・ロック、パンク・ロック、グランジ・ロックのパフォーマンスの源流であることは間違いない!
パフォーマンスを抜きにしたザ・フーの純然たる演奏力の“凄さ”に関しては、隠れた名エピソードがあるのでご紹介しておこう。 1968年にローリング・ストーンズが豪華なゲストを招いたTV番組用フェス『ロックン・ロール・サーカス』を企画しよった。 ジョン・レノン、エリック・クラプトン、ミッチ・ミッチェル、マリアンヌ・フェイスフル、ジェスロ・タル、タージ・マハール、そしてザ・フーらの凄いゲストじゃ。
もちろんトリはストーンズなんじゃが、どういうわけかこの企画番組はオクラ入りとなってしまい、長らく公開されることはなかった。表向きの理由は「ストーンズの演奏状態が不良」とのこと。
しかし密かに出回ったブートレッグ映像において、決してストーンズは不調ではないことが証明されてしまった。 わしも何度も観たが申し分のない演奏状態であり、ドラッグでまともな演奏が出来なかったと言われるブライアン・ジョーンズでさえ冴えておる。オクラ入りの真相は次の通り。
「ザ・フーの演奏が凄すぎて、主役のストーンズを食ってしまっているから」
■変則極まるディスコグラフィー
スタジオ・アルバムの内容をみても、前作から大きく変更した路線がとられることは、60年代当時はなかった。常にシーンの最先端を走っていたビートルズでさえ、革新的な内容の作品の前作には革新の予兆を感じさせる要素を聞くことが出来る。
ところがザ・フーのディスコグラフィーは悪く言えば“ひっちゃかめっちゃか”!? 前作の踏襲路線はほとんど無し! 毎作、毎作、前作とは別個のアルバムを発表してファンの度肝を抜く方針がとられておる!
デビューから10年間の簡単なアルバム内容の流れを紹介しておこう。
@当時のデビュー作としての異例であるほぼオリジナル曲による「マイ・ジェネレイション」(65年)
Aロック史上初のコンセプトアルバムのセカンド「ア・クイック・ワン」(66年)
B時代遅れ的とも言える50s臭漂うサード「セルアウト」(67年)
Cコンセプトアルバム/ロック・オペラの大作「トミー」(69年)
D「トミー」によって作られたアーティスティックなバンドのイメージを覆す超攻撃的なハードロック・ライブ「ライブ・アット・リーズ」(70年)
E優秀な楽曲で網羅した「フーズ・ネクスト」(71年)
F「トミー」とはまったく趣を事にするコンセプト・アルバム「四重人格」(73年)
G未発表曲集「不死身のハードロック」(74年)未発表曲集とは思えない新作として充分に通用する素晴らしいスタジオ・アルバム。
発表ごとに内容がまるで異なるスタイルはデヴィッド・ボウイの十八番じゃが、ボウイの斬新性のヒントになったのは案外ザ・フーなんじゃないか?とわしは睨んでおる!?
■実はプログレッシブ・バンドでもあった!?
先述のディスコグラフィーの中でもお分かりの通り、ザ・フーはプログレッシブ・バンドとしての先駆者でもあったのじゃ! それはクラシックやジャズの要素を大幅に導入する演奏形態ではなく、「コンセプト・アルバム」という新しいロック・アルバムのあり方を早い時期に世に提示したスタイルじゃ。 コンセプト・アルバムの発案者は、「ビートルズだ、ビーチボーイズだ、フランク・ザッパだ」とか言われておるが、どうせ議論するならザ・フーを加えてもらいたいもんじゃ!
『ア・クイック・ワン』は、アルバム1枚を50年代風のラジオ番組に見立てて、リスナーがより楽しめる工夫が随所に散りばめられたアイディア作品。
『トミー』はオペラ(歌劇)の台詞形式、物語構成を導入して、三重苦の少年がピンボールの大スターにまで上り詰めるまでの壮絶な紆余曲折の人生を描いた小説的な内容。
『四重人格』は、一昔前に廃れてしまった「モッズ」たちの青春の行方を美し過ぎる哀歌によって彩ってみせた超情緒的作品。
3枚全て、音楽の領域を越えて小説、映画、絵巻物語としての効果までも発揮する大作。 オーケストレーションや効果音は最低限に留めて、あくまでもメンバー4人の演奏力だけで物語を完結させてみせたのもザ・フーならでは。彼ら4人それぞれの個性的な演奏力の成せる業なのじゃ!
ザ・フーの50年の歴史を一度に振り返るのは、多彩な切り口をもったバンドだっただけに到底不可能なので、とりあえず今回は前編とさせて頂いた。 気まぐれなわしなんで!?次回に後編をセットするかどうかは保証の限りではない(笑) とりあえず前編において、ザ・フーが正真正銘の「ロックン・ロール・レブルなバンド」じゃったことをしかと認識しておいてくれ!
では、ニューナッソーをしっかりとゲットしてロックン・ロール・レブルな気分で後編を待たれし!!
七鉄の酔眼雑記 〜ザ・フーが積年の恨みを晴らしてくれた!?
2008年、わしはザ・フーの日本公演に行った。 もうジョン・エントウィッスルもキース・ムーンもいない「半分フー」。 かつてリーダーのピート・タウンシェンドが「俺たちの演奏は、ベースとドラムがリード楽器で、ヴォーカルとギターはリズム隊さ」なんて言っておったことを思い出して、「そんじゃまあ、フー・ザ・リズムでも聞きに行くか!」ってなヘンテコリンな気分で出かけて行った。
前々日に重度のギックリ腰をやってしまい、杖をつきながら日本武道館へ。 運良く2階席の一番前の席であり、「やれやれ、これなら座ったまま聴けるわい」なんて胸をなでおろした記憶がある、なんてまあそんなことはどうでもええわな(笑) 「ザ・フーは日本では人気がないから、武道館が埋まるんじゃろうか?」って心配しておったが、とりあえず8割方席は埋まっておった。 わしと同世代前後のオッサンたちに混じって、若者風も結構おった。 「てめーら、ヒヤカシで来てたらショーチシネーぞ。 演奏中に居眠りしてたら叩き起すからな!」って気分も無きにしもあらず!?
コンサート中盤、実に意外な現象が起こって、わしの時間が止まった様な気がした。 「ババオライリイ」っつう曲で大合唱が起こったのじゃ。 ロック史に残る名曲でもない。 バンドの代表曲でもない。 曲の途中でバックの演奏が中断するブリッジで歌い易いパートではあったが、決して予定調和的な名フレーズがある曲でもない。
わしはこの時、大袈裟に言えば日本のロック・ファンの“良心”に出会ったような気がしたのじゃ。 ザ・フーほど、海外での知名度と日本の知名度との差が激しいバンドもないが、武道館を埋めることができるスケールで熱心なファンは確かにおり、マイナーな曲で合唱が起こるほどファンはザ・フーを聞き込んでおったのじゃ!
もっとも極端な言い方をすれば、「ザマーミロ、マスコミめが!」って気分じゃったな〜。 ザ・フーの全盛時代はわしの学生時代に当たり、まだまだ海外は遠く、ロックは完全な輸入品であり、日本でロックを紹介するメディに携わる連中(一部を除く)は「俺様が感性の貧相な日本人どもにロックを教えてやってんだ」って態度じゃった。 ほぼ一様にロックファンに対して上から目線であり、ザ・フーを無視する事をはじめとした数々の失態、片手落ちをやらかしておきながらも、欧米型ヤングカルチャーの先導者の様なツラをしておった。
わしはそんな彼らに会うたびに、「オメーラがロックスターじゃねーだろう!」っていきりたっていたもんじゃが、「ババオライリイ」の大合唱を聞いた時、奴らにひと泡食わせた様な爽快な気分に包まれたわい! マイナーなロッカーが、どっかの小さなライブハウスをフルにしたレベルじゃない。 武道館レベルじゃ。 「ファンってのは、テメーラなんざいなくたってちゃんと育つもんなのじゃ」って絶叫したかったわい!
そんな、愉快、爽快、痛快!な気分になったもんじゃから、コンサートの後半のサウンドは前半とは別物の様に輝いて聞こえた。 20年前にフィルム・コンサートで見た名演の誉れ高い「1983年ラスト・ツアー」と同等じゃった! あまりにも自分勝手にコーフンしてしまったので、当日一緒に観に行った生粋のザ・フー・マニアに冷静な意見を求めてみた。彼の返答は
「今日は近年稀な好演だったよ。 ロジャーもピートも明らかに好調だったしね」
って満面の笑顔じゃった。 素晴らしいコンサートのお陰で、帰りは杖はいらんかった! ギックリ腰も吹っ飛んだようじゃ!(笑)
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