NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.214



50年前/1965年のロック
 今年はノッケからThe-Kingの「ナッソー・レジェンド」が続いておるから、諸君の衣替えもスンナリ、しかも気合が入って行われておることに違いない! 羨ましい限りじゃ。 亜熱帯地域におる現在のわしには衣替えは不要じゃからなあ〜。 新しい装いを楽しめない分、シャーナイからはるか昔に思いを馳せてみるか。 半世紀前、1965年度のロックシーンを名作アルバムとともに振り返ってみよう。

  1965年というと、日本では昭和40年にあたり、戦後の高度成長期真っ盛りの頃。この年の11月からの57ヶ月間は景気が上昇しっぱなしであり、「いざなぎ景気」の名称で呼ばれた消費主導型景気拡大時代を迎えたのじゃ。 アメリカで言えば1950年代の景気現象に似た状況かもしれんな。 まあ「昭和元禄」なんて呼ばれた時代であり、日本人のライフスタイルが急激に欧米化していった頃でもあるのじゃ。
 この年の洋楽界をざっくり総括すると、二つの現象が顕著じゃった。 まずビートルズ人気がピークに達したことじゃな。 2月に映画第二弾「ヘルプ!(邦題:4人はアイドル)」が公開。 本国イギリスでは8月に同名サントラ盤、12月に名盤「ラバーソウル」の2枚のアルバムを発表。 アメリカでは独自編集の4枚の編集アルバムが発売。 8月15日には約6万人の大観衆を集めた伝説的なニューヨーク・シェア・スタジアム公演(右下写真)。 その12日後の8月27日には憧れのエルヴィスとご対面。 そして10月26日には「イギリスの多大な外貨獲得に貢献した」として王室からMBE勲章が授与(左写真)。 ロック史上最大のモンスターバンド、ビートルズが世界を完全に制したのじゃ。
 もうひとつは、イギリス国内における白人バンドの黒人ブルース・カヴァー・ブームもまたピークを迎え、同時にビートルズを筆頭にした、ローリング・ストーンズ、ザ・フー、キンクス、アニマルズ、ゼムらのイギリスのバンド勢力が大量にアメリカのヒットチャートを荒らしまくった「ブリティッシュ・インベイジョン」の最盛期となったことじゃ。 

 わしは「ブリティッシュ・インベイジョン」のポップ系バンドにはまったく興味がなくて、ヒット曲もあんまり覚えておらんから、1965年のロック・シーンを紹介する際にはどうしても片手落ちになってしまうが、その点はどうかご了承頂きたい。 しかし、ロック系バンドがこの年に発表したアルバムは、単にブームに乗っかった人気先行型アルバムではなく、ロック史上に残る名作、佳作が多い。 だからロック・バンドの歴史上において「元年」と言い切れるだけに、ロック系アルバムのみのセレクトでも“諸君になら”読んで頂けるじゃろう! 約10年前(1956年)にエルヴィスによって世に登場したロックン・ロールの新しい爆発の記録を楽しんでもらたい。
 尚、当時発売されたイギリスのバンドのアルバムは、イギリス盤、アメリカ盤、日本盤の収録内容が激しく異なっておるので、どれを引き合いに出すべきか悩んだが、現在発売されている日本盤と同じ内容(もしくはそれに近い内容)の盤を、またストーンズの様に現在日本でイギリス盤とアメリカ盤の両方が発売されてる場合はヒットシングルの収録が多い方を取り上げております!


50年前1965年のロック
ロック・バンド元年! ロック第二次黄金時代到来!!



 ロックの進化が始まった!
ラバー・ソウル/ビートルズ■(英オリジナル盤)
 のっけからビートルズだと新鮮味に欠けてしまうが、1965年までに発表されたロックアルバムの中で、本作の芸術的完成度はズバ抜けておるから仕方ない! 試しに、今回セレクトした10枚のアルバム鑑賞の一番最後に本作をセットしてみて、改めて驚愕した。 独創性や先進性、多彩な楽曲群とコーラスワーク、白人文化と黒人文化との折衷、各メンバーの個性の調和等、様々な角度から分析してみても、ビートルズが到達している境地は別次元! 他のバンドはビートルズの背中ですら見ることが出来なかったであろう。
 「ビートルズったって、所詮エルヴィスの焼き直しだろ!」「あのギター、冗談で弾いているんじゃないのか?」なんてコメントしていた有名ロッカーがいたが、彼らはこのアルバムを聞いてグウのネも出なかったはずじゃ。 圧倒的な人気に、圧倒的な音楽性。 まさにビートルズは60年代の絶対的なロック・キングだったことを未来永劫に証明する傑作じゃ。

 レノン/マッカートニーばかり注目されるので、ここではあえて、ジョージ・ハリソン、リンゴ・スターの活躍に触れておこう。 ジョージがギタリストとして覚醒したのは、本作からじゃろう。 個性的なプレイではなくて、ストラトやリッケンバッカー等の使用ギターの特徴を活かしき切ったナチュラルな音色を引き出すセンスが際立っておるな。 一部のギターパートは「俺だ」ってポールは公言しておるが、まあそれはキミ、弟分の手柄の横取りってもんじゃ! 全編に渡ってジョージのギター・トーンがとても艶やかに聞こえてくるアルバムになっておる。
 リンゴにおいては、単なるドラマーの域を抜け出したマルチ・パーカッショニストのようじゃ。 多彩な楽曲それぞれの異なるグルーブ感を 忠実に引き出しており、まるで70年代以降の優秀なスタジオミュージシャン的なプレイ。 「ライブの大歓声が凄まじくて、オカズを入れる事も出来なかった」と嘆いていた当時のリンゴじゃが、彼もまたビートルズのアイドルからの脱皮を望んでいたのかもしれない。 ●You Tube full-album● 

 モノが違うぜ!     恐るべき白いガキ
■ポール・バターフィールド・ブルースバンド■     ■ゼア・ファースト・LP/スペンサー・デイヴィス・グループ■(英オリジナル盤)
 イギリスの白人ブルース・ブームに対して、ブルースの本場アメリカでは、ブルース自体がまだまだ市民権を得ておらんかった。 そんな状況で登場してきたのがポール・バターフィールド。 ブルースの本場シカゴで生まれ育ち、ブルース・スピリットが骨の髄まで染み込んだプレイ(ハープ)は“ホンモノ”じゃった。
 そこにエリック・クラプトンに引けをとらないブルース・ギタリスト、マイク・ブルームフィールドが加わって鉄壁の白人ブルース・コンビが完成! 長らく黒人ミュージシャンの中で腕を磨き続けてきたポールにとって、ようやくメジャーデビューにこぎつけたファースト・アルバムじゃ。

 リズム・セクションはシカゴの黒人ミュージシャン。 ブルース・クラシックにおいては、イギリス勢なんざまるでオコチャマに聞こえるわい! もうブルース・プレイに対する腰の座り方が違うんじゃな。 “ブルースでアイドルやっちゃう!”ってサウンドではないのじゃ。 まさに本格的、いや、本格派のプレイじゃ。 
 これは後に名プロデューサーとしてロック界にその名を馳せることになるエレクトラ・レコードのポール・ロスチャイルドの手腕によるところも大きいに違いない。 「ポールとマイクのプレイの化学反応に着目した」という大人の視点によるプロデュースで、二人の天才ホワイト・ブルースマンは見事にブレイクを果たしておる。
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   「耳を疑う」「アンビリーバブル」とはまさにこの事! 優れた黒人シンガーにしか聞こえないソウルフでユニセックス的なハイ・トーン・ヴォーカルが、実は弱冠15〜6歳の白人少年だったんじゃからその衝撃は計り知れなかった!
 少年の名はスティーブ・ウインウッド。 ロック史上初めて“天才少年”と呼ばれたシンガーじゃ。 とてもジュニア・ハイスクールのガキの歌唱力じゃない! またハーピスト、ピアニストとしてのレベルも既に一流じゃ。 前年に先行シングル2枚で世間の度肝を抜いたスティーブの恐るべき才能が本作で明らかになり、「こんなガキに出て来られたら、俺たちゃ飯の食い上げだなー」って慌てふためいた白人シンガーがぎょうさんおったに違いない。
 
 スペンサー・デイヴィス・グループ自体は、当時のブリティッシュ・ブルース・ブームの線上に位置付けされておったが、彼らが意識していたサウンドはモジョ・スタイル(超男性的)なシカゴブルース系ではなくて、もっとモダンでアダルトなブラック・ソウル路線。 ブリティッシュ・インヴェイジョンに対抗できるアメリカ・サウンドとして徐々に頭角を表してきていたモータウン・サウンドにも近い、モダンな黒人ポップスの匂いもプンプンしとる。
 当然ながらシンガーには本格的な歌唱力が絶対条件になってくるが、白人バンドにとってその高すぎるハードルをクリア出来たのは、当時ではスティーブ少年だけだったに違いない!
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 迫力は既にK点越え    “ザ・ローリング・ストーンズ”に成ってきた!
■ゼム・ファースト(ザ・アングリー・ヤング・ゼム)/ゼム■(英オリジナル盤)   ■アウト・オブ・アワ・ヘッズ/ローリング・ストーンズ■(米編集盤) 
 アイルランドは、その首都ベルファストからやって来たゼムのデビューアルバム。 ヴァン・モリソンの超!爆発的なヴォーカルの質感は、アニマルズのエリック・バードンと双璧じゃ。 バードン同様に小柄な身体に頼りなげな表情ながら、「気に入らねえーヤロウは全員吹っ飛ばしてやるぜ!」ってなヴォルテージは、登場してから50年の間にもそうはお目にかかってはいない!
 モリソンやバードンのヴォーカルに対して「黒っぽい」と言われるのがお約束じゃが、“っぽい”なんて中途半端な比喩はトンデモナイ! 相当なオリジナリティの域に達しておる。 ブルース定番の求愛ソングにおける熱唱は、多くの白人シンガーが好んだ思慕の念を振り絞る演歌的なスタイルとは異なり、モリソンは半ば威嚇(笑)とも思えるハードロック的なスタイルじゃ。

 当時数多くデビューしたブルースを土台にしたバンドの中でも、ゼムは早くも6曲ものオリジナル曲を発表しておるのも特徴。 それは全てモリソンの作品であり、カバー曲と遜色のない出来栄えであることも恐れ入る。 大ヒット曲「グローリア」もオリジナルじゃ。
 全編に渡ってモリソンのヴォーカルが炸裂しておるのは言うまでもなく、更にモリソンはサックスとハープまで担当。 ゼムが彼のワンマン・バンドだったことが伺えるものの、他のメンバーが懸命に食らいついて行っておるサウンド構成が、バンドとしてのゼムの個性じゃった。
 総じて白人ブルース・バンドは黒人たちからは「プラスティック・ソウル」(偽物ブルース)と揶揄された時代じゃったが、ゼムだけは「そうは言わせてたまるか!」という過剰なやる気が漲っておった!

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 永遠のロック・クラシック「サティスファクション」、更に「ザ・ラスト・タイム」「ハート・オブ・ストーン」のオリジナル・ヒット曲が収録されたストーンズの新しい意欲を印象付ける作品じゃ。
 デビュー以来3枚ものブルース・カバー中心のアルバムを発表してきたストーンズも、後発組のゼム、アニマルズ、ヤードバーズらのプレイの迫力には敵わないと観念したようじゃ!? ミック・ジャガーとて、当時はまだヴォーカリストとして傑出した力量は発揮していなかったからな。

 ワイルドなライブで当時から悪名高かったストーンズじゃが、本作のスタジオワークからは恐ろしく勤勉な姿勢が伝わってくる。 プレイヤーとして絶対的な先導者じゃったブライアン・ジョーンズは既に無能になりつつあっただけに、ストーンズは他の4人の結束力をもって、バンドの新しい未来へと歩み始めておる。
 恐らくその視点の先にはビートルズの存在があったんじゃろう。 ブルースを楽しむことは後発組に譲り、革新的なロックンロールの追求を本作からスタートさせたのじゃ。
 ブルース・カバーの時代が少々長過ぎただけに、改革に取り組むスタイルはどこかモタモタしておるようじゃが、「サティスファクション」の爆発的なヒットが彼らにブルースバンドから脱皮する勇気を与えていたに違いない!
 この年は更に「一人ぼっちの世界」「涙あふれて」(本作には未収録)のオリジナル曲のヒットも放っており、“黒っぽい白人坊やたち”から“ザ・ローリング・ストーンズ”へと大きく羽ばたいた一年となった!
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 ジジイになる前にくたばりたい!     神童去って、革命児来たる!
■マイ・ジェネレーション/ザ・フー■ (英オリジナル盤) ■ハヴィング・ア・レイヴ・アップ/ヤードバーズ■(米編集盤)
 「あんなアルバムはクズだ!」とリーダーのピート・タウンゼントは長らく語っておるが、ロックンロールのダイナミズムにポップ性が程よく加味されたザ・フー・サウンドは、既にこのデビューアルバムで完成されておる。
 「ブルースのコピーなんてトウシロウだぜ!」とばかりに、ほとんどがオリジナル曲でまとめられており、以降決してブレルことのなかった彼らの“永遠のロック野郎スピリット”が全開じゃ!

 当時のブリティッシュ・ロック・シーンの中で、エディ・コクランやジーン・ヴィンセントらが残したフィフティーズ・ロックのハッピーテイストを正統的に継承しておるのがザ・フーじゃろう。 部屋の中でグズグズしてたってショーガネー! ストリートに繰り出してカワイコちゃんと一緒にロックンロール!!ってな単純明快なスピリットが彼らの掲げたスローガンであり、シンガーだけではなくてメンバー全員で暴れまくっておる。 メンバー各々の個性的な演奏が単純な足し算として成立したバンドは当時はザ・フーだけじゃろう。
 その瑞々しいポジティブな生命力の横溢は、やがて彼らをモッズのリーダーにまで引っ張り上げることになる! 「ジジイになる前にくたばってしまいたい!」というメッセージ(「マイ・ジェネレーション」)」が、決してネガティブにならずに支持されておったのも、ザ・フーのそんな個性ならではじゃ!
 ラスト・チューン「ザ・オックス」は、ロック史上初のドラムソロのためのインスト!まさに「ジジイになる前に〜」を体現してみせたような怒涛のスピリチュアル・ナンバーじゃ。
 ロンドンのビッグベンをバックにしたアメリカ盤のジャケットも味わいがあったが、やはりモッズの旗手だった彼らに相応しい装いでキメたこのイギリス盤のジャケットこそが彼らのデビュー・アルバムに相応しい。
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   クラプトン、ベック、ペイジを世に送り出したことでロック史上永遠に語り継がれるヤードバーズ。 意外な事に彼らはデビューして2年間(1963〜4年)は、オリジナル・スタジオ録音LPが無かった。 これは初代マネージャーとの契約問題のイザコザが招いた珍事じゃが、とりあえずシングル盤両面をかき集めたアメリカ独自の編集盤『フォー・ユア・ラブ』がこの年に発売。 さらに本作によってLP用スタジオ録音曲集が登場した。
 とは言え、A面のジェフ・ベック加入後のテイクのみ。 B面は既に脱退したクラプトン在籍時のライブ・テイクという変則スタイル。 まあファンは、ベック&クラプトンのプレイが1枚で聞けちゃったから大いに喜んだはずじゃろう!

 A面には「ハート・フル・オブ・ソウル」「スティル・アイム・サッド」「トレイン・ケプト・ア・ローリン」のロック・クラッシクが収録されており、早くも飛び抜けたテクニックを炸裂させるベックのプレイには唸るほかない! B面のクラプトンもまた然り。 現代でも十分に通用する驚くべき先進的なプレイとセンスじゃ。 原曲がブルースだの何だのって、そんな事はもうどうでもよくてだな、頑固な黒人プレイヤーたちも到達しておらん別次元での早熟ぶりじゃよ。
 他のメンバーは手堅いレベルでのプレイに終始しておるが、これが不思議とベックやクラプトンのプレイとマッチしておるのもヤードバーズの魅力じゃ。 彼らが持って生まれた“ロック・センス”の成せる業なんじゃろうか?
 その一方では、すぐにでもポップチューンへの切り替え演奏が可能なアイドル・サウンドのオーラも漂っており、聴けば聴くほど得体の知れん魅力に取りつかれていくのがヤードバーズじゃった。

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 ダッセー!カッコワリイー!!でも・・・
■プリティ・シングス/プリティ・シングス■(英オリジナル盤)
 名前はカワイイ奴ら(プリティ・シングス)じゃが、実体は「ガレージ・ロック/パンクの元祖」とも言われておる“お行儀が悪くてヤカマシイー”奴らじゃ。 タイミング的には、ブリティッシュ・ホワイト・ブルース・ブームのラストに登場。 黒人ブルースの内包している粗野でダーティな部分をスカスカなロック・サウンドで強引に体現しとるようなお下品なプレイ。 ギタリストは、ローリング・ストーンズに“なりそこねた男”ディック・テイラーじゃが、当時のストーンズのブライアン&キースよりも断然やりたい放題、野放図にやってはおるが、あんまりカッコよくない、っつうかカッコ悪い!
 バンドのルックスも、ポップスターの対極にあるような、全然垢抜けてなくて寝起きの不機嫌なツラそのものって感じ!? 視聴者に媚びる様な部分はまったくなくて、よくもまあ、こんな無粋な連中が50年も前に売り出されたもんだと呆れてしまう。 それでも「ビートルズもストーンズも、なんかイマイチ、どっかチガウ」ってなアングラ嗜好的なファンに支持され、徐々に頭角を表してきたのじゃ。

 およそ人前に出る資格なんざなさそうなプリティ・シングスじゃが、デビューシングル「ロザリン」がそこそこヒットしたことにより、なにはともあれこのデビューアルバム発売にまでこぎつけた。 黒人ブルースの“一部勘違いで拡大解釈”ともいうべきラウドなプレイが、トーンダウンすることなくアルバムに収録されておる点はスゴイ! 彼らのダーティぶりが決してポーズではなかったってことじゃろう。
 なお先述の「ロザリン」は、後にデヴィッド・ボウイの60年代回顧的カバーアルバ『「ピンナップス』のオープニングナンバーに採用! 更にもう1曲もボウイにピックアップされておった。 意外とミュージシャンズ・ミュージシャンなのじゃ、このカワイくない”奴らは!
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美し過ぎて怖い    10 裏アメリカン・フォークのスルドイ1枚
■ターン!ターン!ターン!/バーズ■
   ■ブリーカー&マクドゥガル/フレッド・ニール■
 バーズとは、当時“ビートルズへのアメリカからの返答”ともまで評されたフォーク・ロック期待の新人。 本作はセカンドに当たり、同年年初にデビュー作『ミスター・タンブリンマン』も発表。 2枚とも甲乙付け難い名盤じゃが、『ミスター〜』録音時はメンバーの演奏技術がまだ未熟であり、ほとんどスタジオミュージシャンによって代替録音されたらしいので、本作の方をセレクト。
 全編に渡って美しいリッケンバッカーの12弦ギターの音色と華麗なコーラスで埋め尽くされ、カリフォルニアの太陽を浴びながら碧い海の波間で揺られているようなドリーミーなサウンド・ワールドは、確かにビートルズにも無かった、ロック界の新しい個性じゃ。 わしはまだディランもビーチ・ボーイズも馴染めなかったクチなんで、アメリカの新勢力としてバーズは愛聴させて頂いたもんじゃ。

 バーズのサウンドはやがてフォーク・ロック・ブームを巻き起こし、ピーター・ポール&マリー、ママス&パパスらの美しいコーラス隊の誕生を促すことになるが、美しいだけがバーズの持ち味ではない。
 “ドリーミー”と先述したが、そのドリームってヤツには相反するダブル・ビジョンが内包されておる。 現実から派生した憧憬としてのドリーム、現実の裏側にある精神的な世界へと派生するドリーム。 美しさと危うさが表裏一体になった不安定なテンションがバーズサウンドの根底にあり、やがてドラッグ・カルチャーとストレートにドッキングすることが容易に想像出来るサイケデリックな可能性を十分に秘めておるのじゃ。 可憐な花びらから、微かに毒性の香りを放つ特殊な植物の様じゃ。
 ボブ・ディランとバーズとの交流は深く、デビュー作のタイトルソング「ミスター・タンブリンマン」を初めとして、本作でも3曲のディラン・カバーがある。 この年ディランも初のロック的名盤『追憶のハイウェイ61』を発表しており、以降この両者が先頭に立ってアメリカン・ロックの歴史を大きく変えていくことになるのじゃ!
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   最後にチョイとマニアックなシンガーを。 この方は、50年代末期〜60年代初頭に先鋭的フォーク・シンガーの溜まり場じゃったニューヨーク・グリニッジ・ビレッジ界隈を拠点に活動していたいわゆるティンパンアレイに属するアーティスト。
 ロイ・オービソンの「キャンディマン」、映画「真夜中のカウボーイ」に挿入されたニルソンの「噂の男」の作者としてほんの少しだけロックファンに名が知れておると思う。 1964年になって発表されたバディ・ホリーの「カム・バック・ベイビー」も作曲した説もあるが、これは真偽は不明じゃ。
 ボブ・ディランがデビュー当時から意識していた存在とも言われておるが、なかなかレコード・デビューの機会に恵まれず、この1965年になって立て続けに2枚のアルバムが制作されておる。
 本作はセカンド・アルバムであり、ポール・バターフィールドの項でご紹介した名プロデューサー、ポール・ロスチャイルドの御眼鏡にかなったようじゃ。(クレジット上ではロスチャイルドはエンジニア)

 ちょいとニヒリスティック、ジャジー、フリーキーな“アシッド・フォーク”のスタイルではあるが、全編にブルース臭がプンプン! 後の白人フォークシンガーの常套手段である“アンニュイ”“デカンダンチック”“ペシミスティック”な態度がまったくなく、明確なメロディと発声法により堂々とオリジナル・ブルースを歌い上げておる。 その「俺様スタイル」はとてもロック的じゃ。
 日常のありきたりの事象を斜めに、そして鋭く切り込んでいく歌詞もまた、白人フォーク史の中でも異色の個性に富んでおる。 12弦アコースティックギターの弾き語りだけで聞き手を圧倒出来る力量は明白じゃが、その豊かな才能を拡張するべく、当時の腕利きのスタジオ・ミュージシャンがバックを彩っておる。 ちょいとデビューが早すぎたシンガーソングライターじゃったが、このアルバムが後の個性的なフォーク・シンガーたちに与えた影響は絶大じゃ。
You Tube full-album● 


 上記10枚以外にも名作アルバムはぎょうさんある! 白人ロック系では
『オレンジ・ブロッサム・スペシャル/ジョニー・キャッシュ』
『アニマル・トラックス/アニマルズ』
『カインダ・キンクス/キンクス』
『ブリンギングイット・オール・バック・ホーム/ボブ・ディラン』
『追憶のハイウェイ61/ボブ・ディラン』
『魔法を信じるかい?/ラヴィン・スプーンフル』

また黒人R&B系やソウル系においても
『ゴーイング・トゥ・ア・ゴーゴー/スモーキー・ロビンソン&ミラクルズ』
『オーティス・ブルー/オーティス・レディング』
『ピープル・ゲット・レディ/インプレッションズ』
等、ロックファンにも馴染み深いシンガーたちの名作がある。

 以上のラインナップに、更にわしのあんまり知らないブリティッシュ・ポップ系バンドの名作まで含めたら、1965年の作品群は宝の山! 洋楽界全体の文明開化の時と言えるじゃろう。 シングル盤時代からLP盤時代へと切り替えがスムーズに行われるために、音楽の神様が名作を多くのミュージシャンに授けたに違いない! まだ聞いたことのないアルバムがあったら、You Tubeのfull-albumアップにリンクして、是非ともご視聴あれ! 



七鉄の酔眼雑記 〜蛍が来たりて「こんばんは」

 1965年、わしの親父が初めて一軒家を建てたんじゃ。 神奈川県横浜市と鎌倉市との境に近い山間地を強引に造成した住宅地にあり、引っ越してきた日の夜、蛍が部屋の中に迷い込んできて、差し出したわしの掌にすぅ〜と降りてきたのをよく覚えておる。 まだガキだったわしは無邪気に「スゲー」とか喜んでおったが、姉貴殿は何故か不機嫌でな。
 夜9時頃じゃったか、停電になってしもうた! そしたら姉貴殿がろうそくを持って「散歩に行こう」と言い出した。 外灯もない真っ暗な夜道を、姉弟二人でろうそくの灯を頼りに20分くらい歩いてみたら、あたり一面が田んぼになり、蛙さんたちのすさまじいゲコゲコ合唱が聞こえてきよった。 子供ながらに「こりゃ、とんでもねえ所に来ちまったな」って実感したが、ふと姉貴殿を見ると涙が頬を伝わっておる。 微かな嗚咽も聞こえてきた。
 昨日までは粗末な社宅住まいだったとはいえ、東京都世田谷区の住民。 それが停電も当たり前?な田舎に引っ越してきたんで、当時“青春まっさかり”じゃった姉貴殿は悲しかったんじゃ。 念願の一軒家を持てて喜びもひとしおの両親の前で泣くわけにもいかず、こみ上げてくる悲しみを新居の外で放出したかったんじゃな。 生まれて初めて女性の涙を目の当たりにしたわしは、正直ゾッとした。 というのも、姉貴殿の流す涙が真っ赤に見えたんじゃ。 こ、こえぇ・・・。
 この体験がトラウマになって、「女を泣かすぐらいなら、自分が泣いた方がマシじゃ」という「男女関係自己犠牲主義」を実践するようになった、ワケねーだろう! でもあの時、なんで姉貴殿の涙が赤く見えたんじゃろうか。 数年前にその話を姉貴殿にしたら、 「アンタ、バカな弟だと思っていたけど・・・」と言った後、姉貴殿は遠くを見る目になってその先は何も言わんかった。 本当に辛かったんじゃな、アネキよ!

 ほどなくして姉貴殿は「東京の大学に遠過ぎる!」と両親の猛反対を振り切って家を出てしもうた。 親父もすぐにギニアだかブラジルだか、どっか遠い外国に単身赴任してしまった。 振り返ってみれば、トンデモネーゾ、おい! あんなど田舎の山間地で、女親とガキの二人だけが置き去りみたいにされてしばらく暮らしていたなんて信じられん。 無謀じゃ。 お袋はさぞかし寂しかったじゃろうなあ〜なんて、最近しみじみ思いますわい(笑) 
 わし? エルヴィスやビートルズの超メジャー路線以外のロックはあんまり聞いておらず、実のところ、野球の方に夢中じゃった。 引越し早々に地元のチームに入って暴れまくっておったんで、寂しさなんて無縁。 そんなわしの無邪気な姿(あったんじゃよ、そういう時がわしにも!)が、お袋の唯一の慰め、心の支えじゃったのかもしれんな。 

 かような1965年時分を過ごしており(笑)、上記のアルバムのほとんどは実は追体験。 ゼムとかプリティ・シングスとかフレッド・ニールなんてマニアックな情報をキャッチできるはずもない! 1965年という「ロック第二次黄金時代元年」において、ロックにからっきし興味のなかった姉貴殿が青春時代を迎え、終生ロック狂のわしはまだ田舎の野球少年。 神様のこの皮肉な配剤を何度恨んだことか。(笑) だから後々必死になってロックの歴史を遡りながらお勉強しまくったわい。 諸君が上記のアルバム評を「わしが発表時に全部聞いていた」ように感じたのなら、それは間違い! でも、そう読んで頂けたのなら、それはわしのモーレツ・ロック・スタディによる疑似体験のお陰なんでどうか許してつかーさい! 
 それにしても、蛍の飛来に喜び、蛙の合唱に驚き、大雨の翌日は近くの沼か田んぼから流されてきたアメリカ・ザリガニを棒きれで突っついておったカントリーライフの中で、もしもロック三昧の青春を送ることが出来たならば、わしはどうなっておったじゃろう。 ジャーナリスティックなロックの追求ではなくて、楽器に走っていたかなあ〜。
 ビートルズやバーズのようなアート的なロックを目指したか? それともストーンズやプリティ・シングスの悪の匂いにコーフンして不良ロッカーを目指したか? ホンモノのブルースを求めるようになって、超マニアック路線を突き進んだか? ど田舎の環境にも感化されて(?)カントリー方面に流れていったか?(笑) いずれにしても「俺は田舎のプレスリー!」の域を出ることはなかったはずじゃが(笑)、こういうことを考えるのは歳を取った証拠ですな!

 4〜5年ほど経つとバスの交通網が広がり始め、やがて近所に鉄道の駅が出来た。 隣の駅までの線路がほとんどトンネルの中!ってんだから、いかにど田舎、山間地だったかって事じゃけど、それでも都会に出るのが格段に便利になった。 わしが完全にロックに目覚めたのもその頃。 つまり、周辺の文化、文明的な開化に伴って、わしのロック・スピリットが表面化したのじゃ。 ってことは、やっぱりわしには垢抜けた都会的なロックが運命の音楽なのじゃな!ってな〆で、この七鉄昔バナシを終わらせて頂きやす! 



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