NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.211
極寒ニモマケズ、雪ニモマケズ、The-Kingは快調に「ナッソー革命」を続けておるな! あのラインナップにはわしも驚くし、そして心底安心しとる。 何はともあれThe-Kingはナッソーじゃ。 諸君も同感じゃろう。 まあわしのように安心ばかりしていないで(笑)、どうかお買い物の方をよろしくな!
こちら七鉄は、昨年の小連載「云十年前のロック」を今年もやらせて頂くのでよしなに頼むぞ。 まずは45年前、1970年のロック・アルバムじゃ。
この年に発表されたアルバムは個人的に聞き込んだもんが多かったようで、とてもじゃないが10枚ぐらいに絞り込むことができなかった! そこで1970年のロックシーンの主な現象を8つのテーマ(Chapter)に分類した上で、前編と後編に分けてお届け致しまする!
アメリカでは「Decade(10年間)」という単語が「Ten Years」という単純な表現とは別個に存在するように、時代時代を10年毎に区切って定義づける習慣があるな。 だからなのか、1960年代の最終年度に当たる1970年は、時代の変換期に相応しい動きがロックシーンでも顕著じゃった。 だから聞き込むべき名作が数多く生まれたのかもしれんな。
ラインナップを一望して「何だよ。 そこら辺のロック名盤ガイドとあんまり代わり映えしないじゃないか」と思われる方もいるじゃろう。 わしも実際にそう思う(笑) しかし、名盤としての位置づけ方は出来るだけ自論を元に行っておる! 一般論的に語り尽くされた名盤でも、視点の違う感想や論評に触れると、「ほほぉ、そんなら試しに聞いてみるか!」って事がわしにはあるんで、諸君にもそんなアルバムとの新しい出会いがあることを願って書いたつもりじゃ。 どうか、お楽しみ頂きたい。
2015年ロック回想録@
45年前/1970年のロック(前編)
名実ともに終わりと始まりが交錯した、
ロックの歴史的変換期の彩りを聞こう!
Chapter-1 『エルヴィス・オン・ステージ』第三期黄金時代の幕開け
68年に『カムバック・スペシャル』、前年69年には『フロム・エルヴィス・イン・メンフィス』『バック・イン・メンフィス』の充実の2枚を発表して、新進ロッカーとは格の違いを見せつけたエルヴィス。 そして、何かと騒がしいロックシーンを他所に、ロックンロール・キングはこの年にまず映画「エルヴィス・オン・ステージ/That's the way it is」を公開。 加えて3枚ものライブ盤『オン・ステージVol.1〜3』がたて続けに発表されて、映画のイメージを決定付ける役割を担ったもんじゃ。
ただし『Vol.3』は、スタジオ盤+ライブ盤(「イン・パーソン」)」の『バック・イン・メンフィス』からライブ盤のみが切り離されて、この年から独自のアルバム扱いされたものなので、映画「オン・ステージ」のサントラ盤である『Vol.1』と、映画収録用とは別個のライブの『Vol.2』の2枚が1970年度発表の新作ライブ・アルバムじゃ。
1970年とは、エルヴィスにとってはロックンローラーから、遥か異次元の存在に君臨するビッグ・エンターテイナーとしての新しい輝きを得た年となったが、時代性と向き合っていた『カムバック・スペシャル』からの第二期黄金時代が非常に短い期間になってしまった事が少々惜しまれる。 いかなる時代でも、『「異端」「特別」でなければエルヴィスではない!』という運命の定めなんじゃろうか。
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キング「孤高の道標」
■オン・ステージVol.1&2/エルヴィス・プレスリー■
上記の理由から『オン・ステージ』シリーズの『Vol.3』は度外視するが、『Vol.1』と『Vol.2』の二者択一はほとんど不可能。 だから2枚をワンセットで括ってしまおう! この2枚のライブ・アルバムは、エルヴィスのシンガーとしての意志が反映された最後の歌声が収録されておる様にわしには聞こえてならん。 こいつがあれば、ナショナルシンガーとしての以降のライブ・アルバムは少々色褪せてくることもある。
なぜエルヴィスはロックンローラーから、富の象徴たる究極のエンターテイナーとしての道を選んだのか? そこにエルヴィス自身の意志があったならば、自ら生み出したロックンロールという音楽が、60年代に登場した後輩たちによって、時にはバカバカしいベクトルにまで拡散され過ぎてしまい、もはや己の手には負えなくなってしまったからではないじゃろうか?
ロックンローラの始祖としての面影を醸し出す「ザッツ・オールライト」「ハートブレイク・ホテル」「ハウンドドッグ」等のロックナンバーがソングリストからいずれも外されておるのは、エルヴィスのロックへの決別宣言なのだ、っつったら言い過ぎか。 しかも 『Vol.2』のオリジナルLPのフロントジャケットには、“Elvis”の5文字が刷り込まれていない。 エルヴィスのアルバムでは初の珍事じゃが、ソングリストの性質も含めて、「エルヴィス・イコール・ロックンロール」という旧式のイメージと完全にオサラバしようとするエルヴィス(と、そうさせたいパーカー大佐?)がここにおる。
ロックンローラーからの転身に気合が漲るエルヴィスのパフォーマンスは、アメリカン・ルーツ・ミュージックの求道者、垢抜けたブルース・シンガー、はたまたセレブ御用達の特権的シンガーと、変幻自在の極みじゃ。 あらためてエルヴィスの凄さに圧倒されるとともに、予測不可能な荒波に向かって船出する航海士のような悲哀も伝わってくるぞ。
かつて「悪魔の申し子」と呼ばれたエルヴィス。 時を経て「ナショナル・シンガー」という正反対の看板を背負う運命を受け入れて披露したそのパフォーマンスは、単なる名ライブでは決して片付けられない複雑な“リアル・ライブ”としての孤高の輝きに包まれておるのじゃ。 『Vol.1』『Vol.2』ともに名曲ぞろいの誉れが高いが、これは“超曲”ぞろいじゃ。 エルヴィス第三期黄金時代の早すぎる頂点、そして実質的な終焉じゃ。
Chapter-2 ビートルズの解散とアップルレコード
60年代ロックのシンボルだったビートルズの解散は、法的な解散成立は1971年3月12日。じゃが70年4月10日にポール・マッカートニーが正式脱退発表を行っているのでこの年が実質的なビートルズの解散年度じゃろう。 まさに60年代の終わりとともに、ビートルズは消滅したのじゃ。
一方この年、ビートルズ自身が設立した「アップル・レコード」からは、4人のメンバー全員がソロアルバムを、売れ線の契約アーティスト、バッドフィンガーがファースト&セカンド・アルバム、またメリー・ホプキンがヒット・シングル3枚を、そしてビートルズ自身のラスト・アルバム「レット・イット・ビー」を続々と発表。 レーベルの骨格だったビートルズは風前の灯だったとはいえ、ロック界初のロッカーのセルフ・レーベルとしてその動向が注目されていたアップルレーベルは、「レコード発売部門」だけは活発じゃった。
惜しまれるのは、グレープ・フルーツ、ストローブス、ジャッキー・ロマックス、ジェームス・テイラー等他にも優秀な連中と多数契約していただけに、ビートルズ本体さえしっかりしておれば、「アップル」は他に類を見ないユニークなレーベルに成長していた可能性が大いにあったことじゃ!
2 ビートルズのブルース 3 ジョンとヨーコの“ブルース”
■レット・イット・ビー/ビートルズ■ ■ジョンの魂/ジョン・レノン・プラスティック・オノ・バンド■
ビートルズのラストアルバムは長らく『アビイ・ロード』とされてきたが、1990年代半ばにビートルズの詳細なセッション記録が明らかにされ、本作が正真正銘のラストアルバムであることが判明。
バンドの決裂状態を物語る整合感のない演奏と、それを不自然に取り繕うフィル・スペクターのオーバー・プロデュースってのが定評。 でもそれのどこが悪い? 絶対の完成美を誇る『アビイ・ロード』の対極にある、裸に近いビートルズのなしくずしの美を堪能出来るではないか!
「気分がローなら、そのままやれよ! それがブルースってもんだ」ってのはストーンズのキースの言葉じゃが、そいつに倣って言い放てばだ、本作はビートルズ自身から滲み出た、オリジナルのブルースじゃ。
ジョンもジョージもまるでやる気がないのが伝わってくる楽曲が多いけれど、その姿勢が却って逆説的に輝いているフレーズもある。 ポール独りで頑張っちゃって空回りしとるけど、サポートが薄い分だけこの人の才能の凄さが浮き彫りになる時もある。 バンドの凸凹なテンションに振り回されることなく、やるべきことをこなすリンゴの抑制されたパワーも伝わってくる。
“神様、仏様、ビートルズ様”のテンションをひととき忘れて聴き直すべき、ビートルズ唯一のプライベート・アルバムじゃ。
“お母さん、僕はあなたが必要だったけど、あなたは僕が必要じゃなかった”からスタート(「マザー」)。 ラストは“僕はビートルズを信じない。自分とヨーコだけを信じる”(「神」)。
う〜ん、世界中のビートルズ・ファンは“僕はジョンが必要だったけど”“あたしはビートルズを信じていたのに”って言い返したかったじゃろうが、とてもじゃないが言い返せないほどの凄まじい“ジョンの叫び”がアルバムを貫くロック史上“最凶”の1枚。 ある者は、ファンの願望に背中を向けたジョンに涙したじゃろう。 ある者は、胸元を開けて「俺を見ろ!」と迫り来るジョンが怖かったじゃろう。 ジョンはポップスターという虚飾を本作で完全に放り出したのじゃ。 こんな事をしでかしたロッカーは、ロック史上ジョン・レノンただ一人じゃ。
本作を筆頭としたジョン・レノンのソロアルバムの凄さってのは、「とてもじゃないが、ついて行けない」から「ついて行かなくてはいけない」となり、そして「やっぱ、ジョンはこうでなくちゃ!」ってなってしまうとこじゃ。 抵抗感、嫌悪感、義務感とやらが自然と快感になってしまうのじゃ。
それはファンへの使命、ビジネス的策略、先々の展望等を無視した、その時々の哲人としての境地を音楽で赤裸々に綴ることが出来たからじゃろうか。 ジョン・レノンってのはとてつもなく異教徒的なロッカーだったのじゃ。
4 名作というよりも、名演集!
■オール・シングス・マスト・パス /ジョージ・ハリスン■
ジョージがビートルズ時代に書き溜めておいた曲を一気に発表した、ソロ活動のスタートを飾る名作!なんだそうじゃ。 果たしてそうなのか? ジョージがビートルズ時代に書いていた曲ってのは、才気走ったレノン/マッカートニーのナンバーの箸休めとして配置されてあったから輝きを得ておった、なんて言ったらジョージ・マニアに殺されるかもしれないけれど(苦笑)、本作の各楽曲のクオリティも一部を除いて基本的にはその域を出ていないと思う。
ただし、レコーディングに参加したエリック・クラプトン擁するデレク&ザ・ドミノスを初めとした数多くの参加メンバーの演奏が極上じゃ! ジョージの曲ってのは不思議な魅力があるようで、既にビートルズ時代から、他のメンバーがハイ・テンションのプレイを発揮するんじゃな。 「サムシング」「ヒア・カムス・ザ・サン」「タックスマン」、そしてクラプトンの名演で名高い「ホワイル・マイ・ギター〜」などはその最たる例じゃろうな。 「みんなでジョージの曲を盛り上げようぜ!」っていつにも増してメンバーの演奏が充実してくるのが、ジョージ・ナンバー最大の特徴じゃ。
本作においてもまた然り。 しかも職人的なプレイが身上のメンバーが多いのに、みんな嬉々として溌剌たるプレイを披露しておるのじゃ。 だからわしは、アルバム後半の「アップル・ジャム」と称された合計約30分に渡るジャムセッションをオススメしたい!
■その他、アップル・レーベルから発表された主な作品■
「マッカートニー/ポール・マッカートニー」
「センチメンタル・ジャーニー/リンゴ・スター」
「カントリー・アルバム/リンゴ・スター」
「マジック・クリスチャンのテーマ/バッド・フィンガー」
「ノー・ダイス/バッド・フィンガー」
Chapter-3 “観る、騒ぐライブ”から“聴くライブ”の時代へ
パワーアンプ(PA)という大音量/音響装置が開発されたことにより、ロックンロールライブの様相は激変しよった。 大歓声を凌駕出来るだけのPAはロッカーをミュージシャンとしての原点に立ち返る試練を与えたのじゃ。 ステージに出て行って観客を騒がせ、あとはテキトーにプレイしてドロン!という時代は完全に終わったのがこの頃じゃな。
更にライブの充実は優れたライブアルバムの製作を可能にすることになり、さっそくライブ・アルバムの傑作が登場した! 現代のライブアルバムと比較すると、「「これってブートレッグかよ!」と思われるほどの粗雑な作品もあるが、ライブに真摯に向かうロッカーと、デカイ音響効果に酔いしれる大観衆とが一体となった「ニュー・ロック時代」の激しい息吹の収録に成功しておる代表作は次の3枚じゃ!
5 ハードロック・ライブの至宝 6 これが出来れば、テクは不要!
■ライブ・アット・リーズ/ザ・フー■ ■ライブ・アルバム/グランド・ファンク・レイルロード■
60年代末期のロックコンサートの荒削りながらもエキサイティングな実状を封印したライブアルバムとしては、「6」のグランド・ファンクの「ライブ・アルバム」と双璧を成す名盤、いや希少盤じゃ。
正規のライブ・アルバムとして通用するロウレベルぎりぎりの録音状態、演奏状態じゃが、早くもロッカーがアーティストっぽく上品に変貌しようとする一部の動きに眉をひそめていたロックファンには胸のすくような過激な作品だったじゃろう。
もっともロック界のアーティスト願望を焚きつけていたのは、前作でロックオペラ『トミー』を発表したザ・フー自身なんじゃが、何を演ろうが、何に成りたがろうが、ロッカーの基本はこれだ!とばかりに暴れまくっており、その熱過ぎるテンションは、アートロックと対極にあるガレージ・ロック、後のパンクロックやグランジを演る連中の仮装した過激さまでも叩きのめしてしまう捻れた普遍性をまとっておる作品じゃ。
21世紀になってスペシャル拡大盤が発表されたが、最初からコイツをカマして欲しかった。 少なからずロックの歴史が変わっていたかもしれない!
“ホレた女をモノに出来ねえ”“俺の気持ちがテメーに分かるか”“大人の言う事なんざ嘘っぱちだ”この「ロックの絶対激情三原則」を剛速球一本ヤリで聞かせてしまったライブ盤は、ロック史上で本作だけじゃろう。
演奏のアンサンブルは、暴動一歩手前の革命家の決起集会みたいな超デンジャラスなテンションじゃ。 その状態を延々とキープしながら、ツルハシを一心不乱にコンクリートに叩きつけるようなヘヴィでブルージーなプレイが唸りまくる!
ヴォーカルのマークは、土俵際でノドワをくらっている様なハウリングとシャウト! ドラムのドンは、暴風雨で決壊寸前の防波堤で黙々と土嚢を積み上げる様な単調なパワープレイ。 ベースのメルは、“勝ち目のない”マークとドンに更なる延命を強いるような“超ドS”なヘヴィ・ピッキング。 ロック史上、サイテーな演奏でサイコーな恍惚感をもたらすド下手ブルースロックの金字塔!
エルヴィスとビートルズを度外視すれば、ロックってこれさえ出来ればいいんじゃよ。 でも誰も出来ないから、あれこれ考えたりやったりするんじゃ!? 誰もグランド・ファンクにはなれない!
7 変身したストーンズの勇姿!
■ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト!/ローリング・ストーンズ■
ストーンズの公式ライブ盤はほとんど名盤と言って差し支えないが、本作固有の価値は、アイドルから正真正銘のロックンローラーに孵化するまさにその瞬間のストーンズをとらえた特殊なダイナミズムに溢れておることじゃろう。 演奏はまだまだ60年代のペケペケ、ジャカスカ感が残るものの、何が何でも大観衆を興奮させてみせる!といったストーンズの過剰なやる気が徐々に大観衆のバイブレーションと融合していきながら、とてつもないライブ・テンションへと登りつめるプロセスは鳥肌モノじゃ。
60年代のストーンズはアイドル性(イメージ性)偏重とシングル盤重視の時代性に必死に食らいついておったが、時代が変わることによってようやくその仮面と仮装を脱ぎ捨てた本来のストーンズに出会うことができるのが本作じゃ!
当初アナログ2枚組で発売される予定じゃったが、「2枚組は情報が多過ぎる」というミック・ジャガーの鶴の一声で1枚に変更されたとか。 でもそれは“別の戦略”だったのでは? 1枚の収録時間では到底満足出来ないほどのハイクオリティだからじゃ。 「もっと聞きたいだろう。 だったらライブへ来い!」っつうストーンズからの自信に満ちたメッセージが聞こえてきそうじゃ。
■その他の傑作ライブ・アルバム
「マッド・ドッグス&イングリッシュメン/ジョー・コッカー」
「ライブ/アイアン・バタフライ」
「アブソルートリー・ライブ/ドアーズ」
Chapter-4 さらば60年代
メジャーシーンの雄ビートルズとともに!?、マイナーシーンの旗手ベルベッド・アンダーグラウンドもこの年に解散。 永遠のギター革命者ジミ・ヘンドリックスと不世出のブルース・シンガーのジャニス・ジョプリンが相次いで死亡。 ジョン・レノンは「ジョンの魂」の発表で、絶対的ポップスターとしての看板を放り投げた。 たくさんの「ロックの終わり」がこの年に続いたのじゃ。
でも沈みゆく太陽ってのは物悲しくも美しいものであり、新しい希望をちらりと抱かせてもくれる・・・。 そんな夕日の様なアルバムも確かにあった!
8 怒られちゃったジミ・ヘン!? 9 そんな時代もあったねと〜
■バンド・オブ・ジプシー/ジミ・ヘンドリックス■ ■デジャブ/クロスビー・スティルス・ナッシュ・ヤング■
この年の9月に亡くなるジミが、生前最後に発売を見届けることが出来たアルバム。 フィルモア・イーストにおける当年のニュー・イヤー・ギグが収録されたライブ盤じゃ。 わずか半年あまりで活動を停止した黒人トリオによる演奏であり、ジミのライブ盤の中では数少ないハッタリ無しの正攻法のギター・プレイが聞ける。
というのも、その前夜の大晦日ライブでお得意のトリッキーなプレイを爆発させて観客を驚喜させたものの、会場のオーナーであるビル・グレアムが「お前はギターを弾いていない!」と一喝したのが原因であるというエピソードが解説書に記載されておった。
明伯楽であり、名アドバイザーでもあったビルの忠告に素直に従ったのかどうかは分からんが、結果として狂熱のギター・エンターテイナーから一介のギタリストへと一夜にして変わってみせたジミの素の側面?を記録した貴重な作品となったのじゃ。
手段を選ぶことなく巨大な才能を自由奔放に爆発させることを許されてきたジミだけに、バンド・ギタリストとしてのプレイはフラストレーションが溜まっておったじゃろう。 しかし、ファンが唯一ジミ・ヘンドリックスという超天才と同じ音楽空間を共有出来そうな作品であるかもしれない。
ギター・オーケストラ・バンドや、ニュー・ブルース・バンドなど、新しい時代に向けた様々な構想を持っていたとされるジミじゃが、その内のほんの僅かな実験の機会がこのフィルモア・ライブと言ってもええじゃろう。 僅か6曲50分弱の収録なんで、聞き足りない方は「ライブ・アット・フィルモア・イースト」の方へどうぞ。
フォークロック界の人気シンガー4人が一時的に結集した、今で言う“スーパーバンド”。 大雑把に分類すると、D.クロスビーはブルース、S.スティルスはロック、G.ナッシュはカントリー、そしてニール・ヤングはフォーク的な役割を担いながら、60年代後半の当時のヤングたちが何を求め、何に悩み、そしてどこへ行こうとしていたのかを多彩に代弁する実にバラエティな歌曲集じゃ。
4人がそれぞれ別個に曲を書いて提供している寄せ集めのアルバムでもあるが、楽曲単位のクオリティが高い故に特殊な整合感を放つ一枚じゃな。 中でもニール・ヤング提供の「ヘルプレス」「カントリー・ガール」は突出しており、70年代以降の長きに渡る充実したソロ活動を予言しておるようじゃ。
更に当時のフォーク界の異彩な歌姫、ジョニ・ミッチェルからも1曲提供されており、これがアルバムのハイライトというべき名曲「ウッドストック」! 「60年代末期ベスト・フォークロック集」としても後世に語り継がれて然るべき内容じゃ。
45年が経って聴き直してみると、真面目過ぎて可笑しいし、逞し過ぎて暑苦しい。 また真っ直ぐ過ぎて悲しい。 この年の大ヒットシングル「オハイオ」は収録されておらんが、あまりにも時代的過ぎていて演歌や歌謡曲の様に流行っていた昔を思い出してしまい、ロックとは言い難い作品に変わってしまった様じゃ。
でも、こういう作品は二度と現れないじゃろう。 ロックが社会を突き上げていた時代は、もはや幻になりつつあるだけに、本作はロックの永遠の夢が詰まっておると言えるかも知れない。
10 己と時代のパロディ!? 11 ロックの勇士たち、ここに死す
■ローディッド/ベルベット・アンダーグラウンド■ ■ウッドストック・サウンドトラック■
ニューヨーク・パンクの始祖ベルベット・アンダーグラウンドのラストアルバム。 アンディー・ウォーホールの“バナナ・ジャケット”で1967年にデビューした彼らも、その過激な実験音楽の短い歴史に幕を降ろしてしまった。 アングラシーンから彼らが噴霧していた猛毒も、所詮は60年代という時代の産物だったのかとガッカリしたマニアも少なくなかったじゃろう。
最後に一発、FBIから目の敵にされるようなとんでもないヤツをぶちかましてほしかったが、アルコールからお茶、ヘロインからキャンディーに嗜好を変えた!?ような感触が極めて柔らかいポップなロックンロール・アルバムでラストが締めくくられた。
バンドの軌跡への自嘲なのかパロディなのか何だかよく分からんけど、リーダーであるルー・リードの後のソロ活動にも通じる、ストーリーテラー的なアルバムでもある。 ひょっとして、当時流行のシリアスなシンガーソングライター・ブームに対する彼らなりの辛辣な嘲りとパロディだったのかも!?
過激な60年代の風に乗っかっていた多くのロッカーたちは、70年代を迎えるにあたって夢から覚めた浦島太郎状態じゃった。 じゃがルー・リードだけは、新しい竜宮城、御伽噺の世界を目指すべく、ウミガメの再度のお迎えをビーチで待っているみたいじゃよ!ご存知の通り、60年代ロックの集大成、そして終焉のシンボルだったウッドストック・フェスティバルの映画サントラ盤。 映画同様にジャニス・ジョプリン、ザ・バンド、CCRといった超一流のどころの演奏が欠落しとるが、当時のロックシーン特有の“熱さ”を後世に伝える上では最適じゃろう。
映像無しのレコードを聞いておると、出演した連中の時代への視点やサウンド志向が決して同一ではなく、むしろ“てんでばらばら”じゃったのが分かる。 「愛と平和」の名の元に語り継がれておるが、いやらしい振り返り方をすれば、「ウッドストック」には明確な思想的スローガンはなかったのじゃ。 出演した連中にとって、60年代の己の「死に場所」になった機会が「ウッドストック」じゃったと思う。
そう感じながら映画の方を見ると、ジミ・ヘンドリックスのスローブルースをBGMに、フェス終了後のゴミが散乱した広大な跡地の映像が流れるラストシーンは何とも物悲しい。
ほどなくして、ジミ・ヘンドリックスとジャニス・ジョプリンは亡くなり、「ウッドストック」出演を境に急激に勢いを失っていった者も多い。 万単位の観客を動員するビッグ・イベントという興業自体は現在でも続いておるが、その発端でもあった「ウッドストック」は、多くのロッカーにとっての戦没地だったのじゃ。
て戦没地だったのじゃ。
■その他、60年代への惜別的傑作アルバム■
「コスモス・ファクトリー/C.C.R」
「明日に架ける橋/サイモン&ガーファンクル」
「新しい夜明け/ボブ・ディラン」っ
まずは11枚をセレクトしたが、残り9枚は次回後編にてご紹介する予定じゃ。 〆て計20枚、考えてみえばそのほとんどはアナログ盤、もしくは初期のCD盤でしか聞いておらず、最新のデジタルリマスター盤とかでは聴き直す機会がまだない。 「You Tube」で“ハイクオリティ”とか銘打ってフルアルバム・アップされとるもんもあるので試しに聞いてみたが、PCで聞いても有り難みはイマイチじゃ。 よってスタジオ盤の音質とかライブ盤の録音状態とかには詳しくは触れておらんので、その点は悪しからずご了承下され。
しかしどのアルバムもアナログ盤で聞き狂っておった頃の感動の記憶は今でも鮮明! わしの知人の中ではどこのレコード屋で買ったとか、いつどこで誰と聞いた時が最高だったとか、その頃どんな女とよろしくやっていたかとか、昔の愛聴盤にまつわる当時の状況を克明に覚えとるヤツがおるが、わしの場合、そういった能力がかなり欠落しとる(笑) あくまでもどんな感動の仕方をしていたかばっかりがフィードバックしてくる。 だから逆に過去の名盤をあぶり出す場合は割とスンナリできる。 余分な記憶がくっついてこないからな!
まあ平たく言えば、45年前の感動の余韻が今でも続いておるトンデモネー単細胞野郎なんじゃが、そのノリで、今年も不定期に「50年前、40年前、30年前、25年前のロック」もやらせて頂きます!
七鉄の酔眼雑記 〜遅ればせながら・・・
いつもココまで読んで下さっておる方々、本当にありがとうございます。 お一人、お一人にお会いして御礼を述べたい気持ちでいっぱいであります。
約10ケ月ほど前じゃったか、この「頑固七鉄コーナー」がwindows7以降のPCで閲覧すると、ページの一部分が背景の色と同一の保護色状態になって読めない現象が起こっておる事が発覚し、皆様へお詫びを申し上げましたな。 このコーナーはPCアプリを使って、ページ製作自体をこのわしがやっておりますが、問題が発覚した時点で既に過去の相当な数のページにおいてこの保護色現象が起こっていた為に、焦りまくって「すぐに修正に取り掛かかります!」と宣言。 しかしどうにも原因が分からず、効果的な対策を講じられないままの状態でありました。本当に申し訳ない・・・。
The-Kingのボスも心配して下さって、「過去のページデータを流用、上書きじゃなくて、面倒だけど一からページを作ってみたら?」と言って下さったが、それをやってもダメ・・・。 昨年新規購入した最新のwindows8.1のPCも、メイン作業の「七鉄コーナー」製作と修正に全面的に役に立たない、っつう情けない状態。
The-Kingの新作発表日に合わせてアップする新しい回においては、一部文字色やフォントを変える等の応急処置で切り抜けて、全文お読み頂ける状態にしてはおりましたが、いかんせん過去のページはそのまんま。
現在旅人の身分である七鉄ですが、基本的には毎日時間が自由に使えますんで、「これを機に」と約一ヶ月間「保護色現象」に真正面から取り組んだ結果、決定的な原因は突き止められなかったものの、「こうやれば間違いない」という方法を探し当てました!
よって昨年末より地道に過去のページを作り直し、アップし直しております。 現在、約80回さかのぼったページ(Vol.130)までは修正作業完了しており、遅くとも来月中には「保護色状態」を全ページでクリアさせる目処が立ちましたので、ここに報告させて頂く次第であります。
いい歳したおっさんにとって、本当にPCってのは、ハードもソフトも厄介。 マニュアルに書いてないトラブルが起きると、解決出来るまでに時間がかかり過ぎてしまいますわい。 そういえばこの度の旅でも、いきなりwifiが繋がらない原因不明のトラブルに見舞われてあたふた。 しかし今回の問題はネットで検索しても効果的な方法が見つからず、「あ〜でもない、こ〜でもない」の繰り返しでようやく解決策を自力で見つけました。
旅先で知り合った若者に、思わずこのページ作成トラブルをグチったところ、「それはwindows8自体の問題でもありますね。 あれを開発したのは、何かと問題の多かったwindows2000を開発したチームの作品なんです。 問題の少なかったXPとwindows7を開発したのは別のチームなんですよ」って本当か! マイクロソフトよ、ふざけるなっ!!て今更腹を立ててもしょうがない。
今後、windows8.1でどんな問題が起きるかわからんけど、高いゼニ出して買ってしまったので使い倒すしかないですな。 トラブルは「頭の体操」と割り切って対処するしかないですな。
皆様、また七鉄ページで不備が生じておる場合は、ご面倒でもThe-Kingまでご一報頂けると有難いです。
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