NANATETSU ROCK FIREBALL COLUM VOL.203



ロバート・プラント新作『ララバイ・アンド・シースレス・ロアー』発表!
 過日、熟年ロッカーの素晴らしいインタビュー記事を読んだ。

「〜唯一重要なことは、自分の才能を現代のものとして届けられるかということなんだ。 自分を叩きつけることができているか、それとも、実は形をなぞっているだけのことなのか。 もし形をなぞっているだけということになったら、僕もおしまいだよね」

 これは、ニューアルバムを発表したばかりの、元レッド・ツェッペリンのヴォーカリスト、ロバート・プラントのお言葉じゃ。 熟年ロッカーから、わしがもっとも聞きたかった趣向の言葉だった! ロバート・プラントと言えば、以前The-Kingメンフィス店でナッソーをお買い上げ頂いた御恩もあるし、「やはり、The-Kingに目を付けるロッカーはタダモノじゃない!」(笑) 最近はよりシンプルな装いでステージに立っておるだけに、是非とも新作「ノーマル・パンツ」もお買い上げ頂き〜って、御用聞きはこれぐらいにしておこう(笑)
 
 さて、ロバートの言葉じゃが、「形をなぞっているだけではダメだ」という部分が実にいい。 現代に迎合(へーこら)ばかりしていてはロッカーじゃない!ってトコじゃ。 そう言い切れるだけのソロ活動をロバートは足掛け33年も続けており、決して元レッド・ツェッペリンという栄光にあぐらをかくことなくやってきておる。 もちろん新作も然り! こりゃ〜嬉しくてロバート・プラントのソロ活動の歴史を紐解いておかないと気持ちが収まらんわい!

 1982年発表のファーストソロ「11時の肖像」から、2014年9月発表の「ララバイ・アンド・シースレス・ロアー」まで、ソロアルバムは12枚。 その他にジミー・ペイジとの共同プロジェクトが2枚。 期間限定ロカビリープロジェクト「ハニードリッパーズ」のミニアルバムが1枚。 計15枚もの作品をツェッペリン解散後の33年間で発表しとる。 約2年に1枚発表の計算になり、これは60〜70年代にビッグ・ネイムになったロッカーとしてはダントツの数字じゃ。
 33年間のソロ活動を一気に紹介するのは困難じゃが、2003年に発表されたソロ活動におけるベスト盤「ロバート・プラント・アンソロジー」の構成を基軸としてご案内させて頂きたい。 CD2枚組みのこのアルバムは、発表以前と以後では、ロバートのソロ活動のベクトルは大きく異なり、ソロ活動のダイジェスト・ガイドとしてもとても便利なアンソロジーなのじゃ。 



元レッド・ツェッペリン・ロバート・プラントの“限りなき挑戦”
ロック界の「百獣の王」から、グローバル・ミュージックのミクスチャーへ


■「ロバート・プラント・アンソロジー/SIXTY SIX TO TIMBUKTU」の収録内容

 CD1面の全16曲は、1982年から2003年までに発表された8枚のソロアルバムからのセレクト。
 CD2面の6曲目〜ラスト(19曲目)はそのソロ活動の未発表テイク、ライブ集。 またアルバイト的?に歌った映画のサウンドトラック2曲も収録。
 そして1〜5曲目は、マニア垂涎!ツェッペリン以前のロバートの無名時代、1966〜68年のソロ・テイク集。 アルバムタイトル(原題)の「SIXTY SIX(66)」とは、もっとも古いソロ・テイクの発表年(66年)という意味なのじゃ。 タイトル後半の「TIMBUKTU」とは、最終収録曲のライブが収録された場所、アフリカ・マリ共和国の都市の名称じゃ。
 なおジミー・ペイジとの共同プロジェクトであるペイジ&プラントのテイクや、ソロアルバム中でもっともツェッペリン色が強い「11時の肖像」からのテイクは収録されていない。 ソロ活動にツェッペリンは関係ない!というロバートの強い意志の現れなのかもしれない。



■「ロバート・プラント・アンソロジー」 DISC-1
        〜ニューサウンド・アプローチの軌跡

 この1枚でロバートの2003年までのソロ活動のアウトラインが楽しめる。 が、恐らくツェッペリンをまったく知らない人に聞かせたら、歌っておるシンガーが“元ハードロック・キングのシンガー”とは誰も思わないだろう! ツェッペリン時代のロバートの十八番であった超高音域でのシャウトやハウリングはほとんどないのじゃ。
 しかもサウンドのアレンジはほぼ全曲ワールドミュージック。 いやワールド・ミュージック的ロックとでもいうべきか。 中近東、北アフリカ、ブリティッシュ・フォーク、ケルト(アイルランド)と無国籍サウンド的なアレンジが随所にほどこされたナンバーが多い。

 またサンプリングや電子ドラム的パーカッション、女性コーラスを多用することで特殊なリズムや異国情緒がより強調されたナンバーもあり、レッド・ツェッペリンという絶対的な過去から逸脱するための新しいフォーマットの模索、さらにそのアグレッシブな姿勢と時代性との共存の探求のために闘い続けるロバートの必死の姿勢がビンビンに伝わってくる選曲じゃ。 
 一方、ツェッペリンの80年代的展開では?と思えるナンバーもあり、ファンのツェッペリン郷愁をかきたてることになっておるのも間違いない。 ただしわしにはそれは“お遊び”“ジョーク”にしか聞こえない。 ロバートのツェッペリン・ファンに対するささやかなサービスじゃ。
 ブルースやオールドスタイルのロックンロールがベースになったコテコテのロックしか聞いたことのない方ならば、「なんだこりゃ?」って曲が多いかもしれんが、その「なんだこりゃ?」が、実は80年代以降の斬新なスタイルのニュー・ロックだったわけであり、その最先鋭のスタイルにロバートは挑戦していたのである。



■「ロバート・プラント・アンソロジー」 DISC-2 
   〜知られざる多芸ぶりと、限りないフィフティーズ愛

 前述の通り、オープニングから5曲目までは、ツェッペリンのヴォーカリストとして脚光を浴びる以前のテイク。 「所詮、無名時代の〜」なんて侮るなかれ。 この5曲がスゴイ! オールディーズ、ロカビリー、ハードロック、デルタブルースを完璧に独自のスタイルで歌いきっておる! 66〜68年当時、ここまで多彩な楽曲をオリジナルに歌いこなせるシンガーが果たしていたじゃろうか! かつてロバートのヴォーカル・スタイルをジミー・ペイジが「歌う体操選手」と賞賛しておったが、無名時代からそのアクロバティックでマルチなヴォーカル・スタイルが完成されていたことを証明しとる!

 そして6〜19曲目。 ここからはDISC-1に続いて、82〜03年の多国籍サウンドへのアプローチが続くナンバー。 中でも未発表曲、未発表ライブの出来映えが素晴らしく、正式発表されなかったテイクでさえもここまでハイクオリテイかよ!って思わせることで、ソロ活動におけるロバートの果敢な姿勢が単なる実験レベルを越えた、メジャー作品として認知されるレベルであったことを再認識させられる!

 特筆すべきは、2曲のサウンドトラック、映画『ポーキーズ / 最後の反撃』からのロカビリー「フィラデルフィア・レディ」、『ウェインズ・ワールド2』からのコミカルな「ルイ・ルイ」、更にネオロカ・バンドか!と思わせる豪快な「レッツ・ハブ・ア・パーティー」「レット・ザ・ブギ・ウギ・ロール」の50sどっぷりサウンドの中での見事な歌いっぷり! 「エルヴィスの曲は全部歌えるぜ!」ってロバートは若き日に豪語しておったが、この4曲だけでまさに有言実行!
 50sサウンドといえば、DISC-1にも名曲のカヴァーが収録されておる。 ジミー・ペイジ、ジェフ・ベック、ナイル・ロジャースと“お戯れ”でセッションしたハニードリッパーズ名義の「シー・オブ・ラブ」じゃ。 オリジナルテイクに忠実に歌っておるだけに、その50sフレーバーの醸し出し方が抜群! 
 余談じゃが、ロバートは1992年に開催されたクイーンの故フレディ・マーキュリーの追悼コンサートに出演した際も、クイーンの大ヒット・ロカビリー・ナンバー「愛という名の欲望」のヴォーカルを担当して熱唱しておった。 ロバートは本当に「エルヴィス、フィフティーズ・フリーク」なのじゃ!



■「ロバート・プラント・アンソロジー」以降 
      〜ロックン・ロールの未来へ向けて・・・

 「ロバート・プラント・アンソロジー」の発表でソロ活動に大きな区切りをつけたロバート。 以降は平たく言うと、ロックからはどんどん遠ざかっていくことになる。 というか、人生の音楽鑑賞時間のほとんどをロック・ミュージックに捧げてきたわしには、「アンソロジー」以降のロバートの活動を語る言葉をあまり知らない・・・。 ロックンロールのルーツのまたその先のルーツへと、ロバートはひるむことなく古(いにしえ)の世界へと歩み続けておるからじゃ。

 以前のソロアルバムで顕著だったリズムの強調を控え、ワールド・ミュージックをツェッペリンのデモテイク的に!?にアレンジした「マイティー・リアレンジャー」(05年発表)。
 アリソン・クラウドというブルーグラス界の名女性シンガーとのデュエット・アルバム「レイジング・サンド」(07年)。 これは07年度アカデミー賞5部門を受賞した輝かしい作品。 アメリカン・トラッド・ミュージックの過去と現在を二人で行き来し合うような特殊な作品でもある。
 更に、英米のルーツ・ミュージックをロバート風のカヴァーでしっとりとまとめた「バンド・オブ・ジョイ」(10年)。
 そして砂漠のブルースと言われる北アフリカサウンドとブリティッシュ・フォークをスピリチュアルに融合させた静謐なる新作「ララバイ・アンド・シースレス・ロアー」。
  世界中の音楽の旅をロック・フィーリングを基軸に敢行してきたロバートが、完全に「第三世界的境地」に浸って作り上げた作品ばかりじゃ。 
 
 ロック界で培ったフィーリングとテクニックをもとに、新しい音楽世界へチャレンジするって、こんなスリリングな体験を続けておるのはロバートだけじゃろう。 そう言えば、05年に発表したアルバムを作り上げたバンドの名前は、ストレンジ・センセーション(未知の大事件)であり、ロバートの革新的なソロ活動をシンボライズするネーミングじゃったな。 ロバート・プラントというシンガーを語る際に、もはやレッド・ツェッペリンという冠は不似合いとまで思えるだけの足跡を残しておるといえるじゃろう。

 ロッカーの晩節の大半は、自分の音楽性の基本を構築したオールド・ロックンロールやブルースへ限りなく回帰していくパターンがほとんどだが、ロバートのベクトルはまったく違う。 無国籍サウンドを大胆に導入してニューロックの形成を試みたり、ある時はオールド・ロックンロール、ブルースの、そのまた先へ向かったり。 常に己にとって未知もしくは潜在的な音楽世界へとゆったりと、しかも確実に歩を進めておるのじゃ。
 全てが名作、傑作とは言わない。 だが、一種のぬるま湯に浸かることを拒否し、老いてなおアグレッシブに新しい居場所(それは死に場所か?)を探求するその姿勢は、ロック史上でも希じゃ。 これが、本当の偉人のプライドってヤツなのかもしれない!

 ロバート・プラント殿、いにしえの音楽への旅にお疲れになったその時は、是非とも貴殿の大好きなロカビリーのフル・アルバムを作って下され! アレンジはお任せしますが(当たり前じゃ!)、出来ればオールドスタイルの復権ではなく、その時の“貴殿の最新スタイル”でお願い致します! ただし、ステージ・ファッションはお買い上げになられたThe-Kingのナッソーで! なんなら、わしが他に何着かみつくろってお届けに上がります!



七鉄の酔眼雑記 〜カッコいい年寄りとは?

 レッド・ツェッペリンが解散してから4年後の1984年、わしはロバート・プラントのソロ・コンサートに行った。 ツェッペリンの曲は1曲もやらんかったので、コンサート終了後はほとんどのお客が消化不良みたいな顔をしとったのをよお覚えておる。 今思えば、わしはその時初めて「ツェッペリンというバンドは、やはりもうこの世に存在しないんだな」って納得した。 しかし、ソロ・シンガーとしてやっていこうとするロバート・プラントの気概、勇気、決意の大きさまではまだ分からなかった。

 それから2〜3年後、ミック・ジャガーのソロコンサートに行った。 既にミックはソロアルバムを2枚発表していたが、コンサートはストーンズ・ナンバーが半分以上を占める大ファン・サービス大会。 活動停止状態のストーンズに長らく解散が囁かれていた中でのコンサートだったので、東京ドームを埋め尽くした大観衆は、まるでストーンズの幻影を見た様な喝采と狂喜の嵐!

 ロバート、ミックのコンサートからはともに四半世紀以上の歳月が流れたが、彼らの現在は80年代のソロコンサートの時と少しも変わっていない。 ロバートはツェッペリンの遺産から離れた次元において独自路線を歩み続ける。 ミックは、ストーンズの過去のヒット曲を今もエネルギッシュに歌うことで自らのキャリアの上積みを続けておる。
 ヴィンテージ・ロッカーの晩節としては、どちらが美しいのか。 それはファンによりけりじゃろうが、わしとしてはロバートの姿勢はとても魅力的じゃな。 というのも、ロックというのは様々な音楽ジャンルを取り込むことで永遠に進化することが出来る特殊な音楽であり、ロバートは老いてなおもソイツを果敢に実践しておるからじゃ。
 「そんな事を言ったってよ、ミック・ジャガーにはストーンズがあるんだぜ!」ってミック・ファンからパンチを喰らいそうじゃが、ロックが様々な音楽を取り込んでいくダイナミズムってもんを最初に世に示したのはローリング・ストーンズ、ミック・ジャガーだったではないか! 懐メロ大会で喝采を浴び、それをヨシ!としている(ように見える)ミックは、巨大な才能をスポイルしているとしか思えないんじゃよ。

 楽器演奏者と違って、シンガーは身体の一部から直接“サウンドを発する”から、肉体の老いとの闘いは大変じゃ。 60〜70歳を越えてもなお正真正銘の現役で“歌える”シンガーは数えるくらいしかおらん。 その稀少な才能の持ち主、ロックの神様に選ばれしシンガーとして、ロバートには更なる前進を、ミックには大いなる変革を期待する次第じゃ! 年寄りにだって新しい刺激が必要であり、それによって進化出来ることを世に知らしめてほしい!



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