NANATETSU ROCK FIREBALL COLUM VOL.199


 時たま書かせてもろうておる「云十年前のロック」。 45、40、30、25年前に発売されたロックのレコードの中でわしが諸君に聞いて頂きたいヤツをピックアップしてきた。 温故知新などとエラソーに言える内容じゃないが、まあ「温故知古シリーズ」とでも言わせて頂こう。 今回は半世紀前、50年前の1964年のロック(的)アルバムじゃ。

 ここまで時を遡ると、ひとつ、ふたつ困ったことがあるんじゃ。 当時はアメリカ盤、イギリス盤、日本盤のレコードの仕様、収録内容、発売時期が全然違っておったことじゃ。 これはそのロッカーの足跡を正確に辿るためには非常に支障になるんじゃ。
 またLPレコードという代物が、わしを含めた日本人の庶民にはまだまだ高嶺の花であって、発売されても即買いが出来ず、そのレコードを聞いていた頃の記憶と発売時期の記憶が必ずしも一致しないことじゃ。 買ってみてから「これは○年前に出たヤツなんじゃな」って事じゃ。 だからそのレコードの評価を書く事は追体験記であり、発表当時のロッカーの勢いそのものを伝える事が簡単ではないんじゃな。
 しかも1964年は日本人にとっては東京オリンピック・イヤー。 世の風潮、一般社会の嗜好はオリンピック一色であって、洋楽ロックなんてお呼びじゃなかったもんじゃ。 恐らくわしのアタマん中だって、ロックよりもオリンピック優先じゃったような気もするし・・・だからピックアップしたアルバムの評も、どこか余所行きの印象を拭えないと思われるのでその点はどうかご了承頂きたい。とはいえ、歴史的に名高いバンドのデビューアルバムが続発した年であり、いわゆる「ブリティッシュ・インベイジョン(イギリス勢のアメリカ侵略)」が本格的にスタートした年じゃ。 せめて出来る限り初めて聞いた時の記憶を正しく堀り起こしたつもりで書いてみたので、ドーゾヨロシク!


50年前1964年のロック
歴史的ビッグバンドが続々とデビューアルバムを発表した
エポック・メイキング・イヤー!
そしてブリティッシュ・インヴェイジョンが始まった!!



 「ビートルズ・フォー・セール」 〜ビートルズ前世の輝き!?

 1964年という年は、ビートルズが全米で大ブレイクを果たした年であり、アルバムの衝撃度では「ミート・ザ・ビートルズ(アメリカ盤ファースト)、「セカンド・アルバム」「ア・ハード・デイズ・ナイト(サード)」の順じゃろう。 しかし個人的には64年度4枚目(多過ぎ!)のコイツを今でも一番愛聴しとるんじゃ。 すさまじいライブ・スケジュールの合間に突貫工事でレコーディングしたようで、カヴァー曲が半分を占めておる。 さしもの天才コンポーザー・コンビのレノン・マッカートニーもオリジナル曲を書く時間が無かったようじゃな。
 ところが、このカヴァー曲のデキがぜ〜んぶ素晴らしい! 特に「ミスター・ムーン・ライト」「ロックン・ロール・ミュージック」「カンザス・シティ〜ヘイ・ヘイ・ヘイ」「みんないい娘」の4曲は、ジョン、ポール、ジョージ各人の歴史的名唱を堪能出来る。 また決して“上手く”はないが、演奏自体も一発録りの様なノリノリであり、オーバープロデュース気味だった過去3枚のアルバムには無い若きビートルズの溌剌さがみなぎっておる。

 これは正式デビュー前にドイツ・ハンブルグで暴れまくっていた頃の“一度死んだビートルズ”が復活しておるようじゃよ。 「なあ七鉄さん、ハンブルグの頃は“ビートルズ”じゃないんだよ」って著名なビートルズ評論家殿にたしなめられた事があるが、ビートルズ・サウンドの原点、骨格はハンブルグ時代と信じておる変わりモンのビートルズ・ファンにはたまらん!アルバムじゃ。


2  「ザ・キンクス(ファースト)」 〜白人ロックの未来が見える!

 「ロック史上もっともカッコいいデビュー曲」である「ユー・リアリー・ガット・ミー」を含めたオリジナル曲とブルースのカヴァーとが半分づつ収められたキンクスのデビュー・アルバムじゃ。 「ユー・リアリー〜」とセカンド・ヒットになった「オールディ・アンド・オール・オブ・ザ・ナイト」とデキが良過ぎるためなのか、カヴァー曲の印象がまったく薄い。 ということは、曲作りにおいてはキンクスが相当なレベルのオリジナリティをもった早熟な連中だったことを証明しとる。

 キンクスに対して「ビートルズ的でもストーンズ的でもない、キンキー(ちょいとヒネクレタ)なカッコよさを追求したバンド」なんて言われる事が多いが、ヒネクレ者どころか、その後長きに渡って数多くのバンドにカヴァーされ続けるだけのロック・ミュージックの王道的なカッコよさがキンクス・サウンドの真骨頂。 それがデビューアルバムにして既に炸裂しておるところがスゴイ! ビートルズよりも、ストーンズよりも、ザ・フーよりも、キンクスこそが「ロック・バンドとしてデビュー」したのじゃ。


3 「ザ・ローリング・ストーンズ(ファースト)」 〜ブルースおたくの“おぼっちゃまたち”

 ジャガー/リチャーズのオリジナル曲は1曲だけの、黒人ブルース、R&Bのカヴァーが占めるストーンズのデビュー・アルバムじゃ。 当時のバンドとしては別段珍しくもないが、バラエティに富んだ選曲のセンスは恐れ入る。 まさにブルースおたく! 多分、当時のリーダーだったブライアン・ジョーンズの趣味なんじゃろうが、セカンド・アルバム「12×5」とともに、当時のストーンズのブルース・ピュアリスト(純粋主義者)ぶりが尋常ではない!ことが実感できる異色の内容じゃ。

 ただし、デルタブルースの泥臭さやシカゴ・ブルースの懐のデカさは追求されておらず、ただ皆でコピーしてわいわい楽しんでおる!ような演奏は、「ビートルズに対抗してワルで売り出された連中」にしてはあまりにも無邪気じゃ。 変にしかめっ面しながらブルースに真正面から取り組むよりは大衆に受け入れてもらい易いと踏んだんじゃろうか? まあ、この辺の判断はプロデューサーのアンドリュー・ルーグオールダムの戦略じゃろうな。
 2〜3年後に大化けして「悪魔の化身」なんて言われる悪名高きストーンズのその片鱗は、少なくともこのデビューアルバムでは見えてこないが、純然たるロックンロール・バンドとしてのストーンズの原型を楽しめる数少ないアルバムじゃろう!


4 「ザ・アニマルズ(ファースト)」 〜“ブルースマン愛”の咆哮

 ブリティッシュ・バンド・デビューアルバムを続けるが、3発目はアニマルズじゃ。 ご存知の通り?ブルースにベロン・ベロンのエリック・バードンの圧倒的な歌唱力を全面をフューチャーしたアルバムじゃ。 バンドの存在感や演奏力、曲の特徴よりも何よりも、シンガーの個性が絶対的に際立っておるだけに、アクの強さがプンプンしとるところがいい! ストーンズよりもアニマルズの方が、ダーティー・ロックというイメージが断然強かったな。
 当時の流行じゃったブルース愛をまとっておる事はこのアニマルズも変わりはないが、他のバンドはブルースという音楽へ傾倒しとる事に対して、このアニマルズだけは、まるで憧れておる特定のブルースシンガー本人(例えばレイ・チャールズ、ベッシー・スミス、ニーナ・シモン等)への思慕の念を吐き出しておるような印象だ。 翌年に大ヒットする「朝日のあたる家」「悲しき願い」といった抜群のチューンがまだ無いだけに、余計に“ブルースマン愛”がダイレクトに伝わってくるのじゃ。

 ちなみにエリック・バードンのヴォーカルはもとより、チャス・チャンドラーのベース、アラン・プライスのキーボードまで含めて、メンバーの個性的な演奏も注目された、当時としては珍しくアーティスティックなアルバムでもあった。

5 「ファイブ・ライブ・ヤードバーズ/ヤードバーズ」 〜エリック・スローハンド・クラプトン登場!

 エリック・クラプトン在籍時の唯一のアルバム、そしてライブ盤のデビュー・アルバムという珍しい代物じゃ。 ショウの司会者による「リード・ギター、エリック・“スローハンド”・クラプトン!」という紹介は、どういう訳か何度聞いてもコーフンしてしまう! サイコーにクールなそのニックネーム通り、クラプトンのプレイは当時の水準を遥かに超越したレベルにあり、エフェクターの無い時代では信じ難いような流麗なギターさばきじゃ! 

 また熱狂する観客の歓声が凄まじいだけに、とかく「下手くそ」との評判じゃったキース・レルフのヴォーカルもさほど気にならない。 その力量不足のヴォーカルとは反対に、キースのハーピストとしてのプレイはなかなか。 当時はミック・ジャガーよりも上手かったんじゃないか! バックの演奏もクラプトンの異次元的なギターに煽られてか、タイトにばっちりとキマッテおり、ブリティッシュ・ロック創世記の熱いライブ風景が見事に真空パックで収録された名盤じゃ。


6 「アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン」 〜時代は変わる。ディランも変わる
 ボブ・ディランの4枚目のアルバムであり、いわゆる純然たるフォークシンガーとしての最後のアルバムと言われておる。 演奏はまだアコギ1本の弾き語りがほとんどじゃが、ブリティッシュ・ロックの影響が少しずつ現れ始めておる。 それはプロテスト・ソングと呼ばれ、身近な社会問題をとりあげておった楽曲が後退し、よりスピリチュアルに自己の内面を掘り下げていく歌詞が増えてきておる事じゃ。 それだけに従来のディラン・ファンからはあんまり歓迎されなかったらしい。 でもロック的歌詞に慣れ親しんだ音楽ファンにとっては、当時はもっともとっつきやすいディランのアルバムじゃったとか。

 “らしい”“とか”を連発したのは、わしは当時ディランにはまったく興味がなく、随分後になって仕事上ディランを勉強せにゃいかん時になって初めて実感したことだからじゃ。 出来るだけ時代に沿ってディランを聞いてみたいロックファンならば、このアルバムから入っていくのがよろしいかと。 後にバーズやタートルズがカヴァーするロック調ナンバーが揃っておるが、一時期ブルース・スプリングスティーンがコンサートのラストナンバーとしてカヴァーしておった「自由の鐘」が秀逸じゃ。 「人種差別問題」の解決を詩的に切望する歌詞と独特の歌いまわしは、発表から50年が経過した現在でも十分に通用する超先進的な次元のナンバーじゃ。


7
 「グラハム・ボンド・オーガニゼーション/LIVE AT KLOOKS KLEEK」 〜ブルース学校最上級生たち!
 当時のイギリスには「ブルース学校」みたいな、若手ブルース志向者を鍛えるスクール的なバンドがいくつかあった。 その代表格が、ジョン・メイオールの「ブルース・ブレイカーズ」であり、アレクシス・コーナーの「ブルース・インコーポレイティッド」であり、そしてこのグラハム・ボンドの「オーガニゼーション」じゃ。

 このバンドには無名時代のジャック・ブルースとジンジャー・ベイカー、後にクラプトンとクリームを結成するメンバー二人がおっただけに、演奏力は極めて高く、ブルースのコピーから抜け出してオリジナリティを確立しようとするやる気が満ち満ちておる!
 このアルバムでは、既にブルースという枠が窮屈でたまらんわい!っつうようなジャックとジンジャーの破天荒さがチラチラしており、「あ〜コイツラがブリティッシュ・ロックってヤツを形成していくんじゃの〜」とかなんとか、別の次元で聴く者を感動させちゃうような特殊なオーラが確かに漂っておるぞ!


8 「ジョン・ハモンド2世/カントリーブルース」 
〜白人のブルースは“もはやこれまで”!?
 
このお方はな、アメリカ音楽史上に名高いA&Rマン(プロデューサーからスカウトマンまで手がける総合企画者)、ジョン・ハモンド1世の御子息じゃ。 1世は伝説的ブルースマン、ロバート・ジョンソンを世に送り出そうと企画したり、実際にロバート・ジョンソンの演奏をLPレコードにして発表しておっただけに、2世のブルース狂い、ロバート・ジョンソン狂いも相当なもの! このアルバムでは数多くのロバート・ジョンソンの曲をカヴァーしておる。

 2〜3年の後に、クリーム、ローリング・ストーンズを初めとして、数多くのロックバンドがロバート・ジョンソンの曲をロック調に豪快にアレンジ・カヴァーをするが、彼らのスケールの大きい演奏とロバート・ジョンソンの原曲との間には、実はこのアルバムの存在が様々な意味合いで大きいのじゃ。
 ジョン・ハモンド2世は、ナショナル・ギターを使って自己の極限までロバート・ジョンソンをコピーしまくっており、その一種無謀なまでの情熱には敬意を表するものの、優れた耳をもったロッカーの多くは、その2世の壮絶な演奏に黒人ブルースをコピーする限界を悟ったはずじゃ。 「ジョン・ハモンド2世でも、ここまでか」「ブルースを激しく愛するだけでは近づけない」ってなことを気が付かされたんじゃよ。 っておかしな価値付になってしもうたが、このアルバムはそれ以上でもそれ以下でもない気がする。 でも白人ロックが進歩するためには、どうしても登場しなければならないアルバムだったのじゃ。




の1964年、エルヴィスは何をやっとったかというと、まさに映画出演三昧の真っ只中。 「キッスン・カズン」「ラスベガス万才」「青春カーニバル」の頃じゃ。 既に同じような脚本ばかりの映画に嫌気がさしていたと言われるエルヴィスじゃが、ブリティッシュ・インヴェイジョンに対してロックの王者はどのように感じておったんじゃろうなあ〜。 「こりゃ、ただ事ではないぞ!」って脅威に震えておったのか、「まだまだ青いぜ、坊やたち!」って余裕をかましておったのか。
 いずれにせよ、「近い将来、モノホンのロックってヤツをかましてみせるぜ!」ってな、キング・オブ・ロックンロールのプライドを賭けた再活動を誓っていたはずじゃ。 それだけ、ニュー・ブリテッシュ・ロッカーたちのクオリティはとてつもなく高かったのじゃ。 要するに、ロックンローラーとしてのエルヴィス第二のデビューを最初に促したのが1964年だったのじゃ!


 
キング・オブ・ロックンロールを刺激したであろう新進ロッカーは本当に羨ましい! だからわしは、せめてThe-Kingブランドを刺激する存在でありたい!と願ってはおるものの、現実はいまだにピエロにもなれんようなレベルじゃよ、トホホ・・・。 たまらなく役不足を痛感しとる七鉄じゃが、だからこそ諸君にはThe-Kingを大いに刺激する存在になってもらいたい! この場合、刺激するとはまずお買い物に励むことであり(笑)、The-Kingのボスを新しい境地へ導くことじゃぞ! って事で“おあとがよろしいようで”!

:
七鉄の酔眼雑記 〜夜明けってのは、限りなく眩しい!

 ローリング・ストーンズ、キンクス、アニマルズ、そしてヤードバーズ。 彼らのデビューアルバムは、まさに「ブルースをやってなければ(ブルースが出来なければ)ロックバンドにあらず!」ってな当時の風潮が見事に反映されとるな。 彼らはみんなブルースの本場アメリカのバンドではないだけに、アメリカ進出のためには「ブルースが出来ます」ってのは、一種の挨拶状、信用状でもあったのかもしれん。
 そんな「しきたり」はパンクが登場するまでの1970年代後半まで続くわけじゃが、唯一の例外はビートルズじゃろうな。 ポール・マッカートニーは初めてのアメリカ上陸の際に「マディー・ウォータースに会いたい」って言ったらしいが、ビートルズのブルース・クラシックのカヴァーってのはついぞ聞いたことがない。 ポールならそこそこ見事なコピー、物真似をやってみせるじゃろうとか、ジョン・レノンならどうやってオリジナルな歌い方をするんじゃろうかなんて想像するのは楽しいもんじゃが、どっかに録音が残されておるなら、是非とも聞いてみたいもんじゃがなあ。
 
 わしがロックの現状を追いかけることを完全に止めてしまったのは1980年代になってから。 それは80年代からの新人ロッカーにブルースの臭いを嗅ぎとる事が出来なくなったからじゃ。 彼らのベースはブルースじゃなくて、ローリング・ストーンズ、キンクス、アニマルズ、ヤードバーズだったのじゃ。 ブルースのコピーがベースだったのじゃ。 つまり二番煎じまではOKじゃが、三番煎じ、四番煎じはイケマセンって事。 そこまでなっちゃうと、ブルースという芳しきお茶っ葉の出がらしなんじゃな。
 でも二番煎じだって本物ではないじゃないか!って言われてしまうが、ローリング・ストーンズ、キンクス、アニマルズ、ヤードバーズたちは紛れもなくブルースマンだった思うな。 それはブルースをやらなきゃ青春時代を過ごせなかった!という狂気っつうか、ミュージシャンとしてブルースに託した純度200%の情熱を彼らの演奏から感じ取ることが出来るからじゃ。 スターになって金持ちになりたい!という「自己商品化願望」以前に、ブルースをやることで自らを救わなければならないという切迫感があるんじゃよ! まあ1960年代中盤のロック界の時代性といえばそれまでなんじゃけど。

 昔っからモノホンのロックは危ない音楽って言われてきた。 でもそのベースにあって然るべきブルースが危ない音楽って言われたことはあんまり無い。 おかしな話じゃが、これは白人がブルースをやると、やがて特殊な化学反応を起こして危ないロックに変貌するという図式を成立させるのじゃ。 だから1964年にデビューアルバムを発表したストーンズたちは、ブルースが秘めた凶暴性を最初に体現したバンドだったってことなのじゃ。 



GO TO TOP