NANATETSU ROCK FIREBALL COLUM VOL.198

 今年はザ・キンクスのデビュー50周年だというのに、まったく話題にならんな。 「え? キンクスだと? オメーには殿様キングスの方がお似合いだぜ」ってやかましーわい! でも「なみだの操」はわしのカラオケの十八番じゃがな、ってジョーダンじゃない!! イギリス4大バンドといえば、ビートルズ、ストーンズ、ザ・フー、そしてキンクスなのに、なんで日本のロック・メディは全然キンクスを取り上げんのじゃバカモノ!!!

 まあザ・フーやキンクスは日本のロックメディアには昔っから無視されっぱなしであり、特にキンクスは「実在するバンドなのか?」って疑ってしまうほど存在感を感じないバンドのまんまで半世紀が過ぎてしもうた。 だからデビュー50周年ですら話題にならないのは、ある意味でキンクスらしいと言えるかもしれん!? わしが尊敬していて、今でも若干の交流がある音楽評論家さんが「キンクスってのは、大英帝国お抱えの架空のロック・プロジェクトなんじゃないか?」と随分と前に書いていらしたが、まさにそんな感じじゃ。

 実はな、時を遡ること29年前、1985年2月にわしはキンクスのコンサートをアメリカで観たのじゃ。 それはわしがアメリカで体験した初めての大規模なコンサートであり、それまで正体不明じゃったキンクスの実態を確認できた貴重な体験じゃった。 またそのコンサートは、キンクスとは直接関係のない次元においても強烈に記憶に残っておる。
 デビュー50年を迎えたバンドを、このコーナー1回で語り尽くすのは到底無理なんで、今回はその29年前のコンサートの模様を交えながらキンクスの実態のほんの一部を皆様にご紹介することにする!


ザ・キンクス・デビュー50周年に寄せて
エルヴィス追悼の念とネオ・ロカビリーの風潮が交錯した、
     1985年2月24日キンクス・オークランド公演の思い出



キンクス・プロフィール その1(1960〜1970年代)


 1964年にレイ&デイブ・デーヴィスの兄弟を中心にイギリスでデビュー。 60年代は「ユー・リアリー・ガット・ミー」「オール・ディ・アンド・オール・オブ・ザ・ナイト」、「セット・ミー・フリー」、「ウエイティング・フォー・ユー」等のヒットシングルを連発。 ヒット・チャート・アクションにおいては、ストーンズやザ・フーにも引けを取らない実績を残しておる。 特に後にヴァン・ヘイレンがリバイバル・ヒットさせた「ユー・リアリー・ガット・ミー」は、ハードロック/ヘヴィ・メタルの原点!と評されるほどの抜群のデキであり、60年代ロックの中ではズバ抜けたカッコヨサ!を誇っておる。
 60年代後半から70年代までは「コンセプト・アルバム」を連発してバンドとしての内省期に入り、流行とは一切無縁の独自路線を展開。 それでも「ヴィクトリア」「ローラ」「スリープ・ウォーカー」「ロックン・ロール・ファンタジー」等のヒットシングルも定期的に発表しておった。



1956年デビュー間もないエルヴィスがライブした、由緒正しい会場!

 1985年2月24日、アメリカ・オークランドにある「ヘンリー・J・ケイサー・コンベンション・センター」において、わしはキンクスのコンサートを体験した。
 オークランドとは、サンフランシスコのお隣の州じゃ。シスコからゴールデンゲート・ブリッジを渡ってオークランド入りするんじゃ。(そうだったと思う・・・) 当時わしはアメリカを放浪中であり、シスコやロスを回るウエストコーストの旅の記念として、何かひとつロック・コンサートを観たい!と願っておったところ、キンクスのコンサート開催告知を見つけてチケットを買ったのじゃ。
 
 さあ〜て、この「ヘンリー・J・ケイサー・コンベンション・センター/Henly J. Kaiser Convention Center」なんじゃが、この名前を見てピン!ときたお方はおるかな? その方は凄いエルヴィス・フリークじゃよ! この会場はな、1956年6月3日にメジャー・デビュー間もない頃のエルヴィスがコンサートを開催しておるのじゃ! その当時の名称は「オークランド・オーディトラム」じゃ。
 、まさに日の出の勢いのエルヴィスが観客を熱狂させた会場じゃ。 その時の模様を伝える数多くの写真が公表されており、その中でも特に警官に誘導されて当会場入りするエルヴィスの写真は超有名じゃ。

 もう29年も前の出来事なんで、どうやって会場までたどり着いたか記憶にないが、恐らく地図とニラメッコしながらシスコからバスを乗り継いで行ったんじゃろう。 会場の周囲は閑静な学園都市みたいな感じで超整然としており、会場そのものは巨大な体育館、日本で言えば旧代々木競技場第一体育館をもうワンサイズ大きくした様な様相じゃった。
 誠に残念な事に、上記写真で確認できる建物の荘厳な外景はほとんど覚えておらん。 コンサート・チケットを買った日がコンサート開催日当日だったので、シスコからオークランドの会場にたどり着くだけで精一杯の精神状態だったのじゃろう。


予想もしなかったブラスターズの登場!

 当日のコンサート・チケットの写真(左写真)を見て頂きたいが、酒やボトル類の持ち込み禁止とある! だからわしは会場に向かうバスの中で飲んでおったんじゃろう。(笑)ってことはどーでもええ! 出演者の記載は「The Kinks」のみじゃ。 ところがこのコンサートには前座がいたのじゃ。 それがブラスターズだったのじゃ! 知っとるよな。 1970年代末期ロサンゼルスから登場したネオ・ロカビリー・バンドであり、アメリカでは「東のストレイ・キャッツ、西のブラスターズ」と呼ばれた大物新人バンドじゃ。
 日本のコンサートでは既に「前座」という習慣は無くなりかけておっただけに、こういうサプライズはたまらなく嬉しい! もちろん、ストレイ・キャッツが出てきてくれた方がもっと嬉しいが、アメリカではストレイ・キャッツよりもブラスターズの方が人気があったし、彼らにとってオークランドは「準ご当地」だから前座のキャストとしては申し分ない!

 ブラスターズは日本ではネオロカビリーバンドとだけ紹介されておったが、さすがはアメリカの実力派新人バンドであり、カントリーやブルースもお手の物。 時は既にネオロカビリー・ブームは一旦小休止状態にあった為か、ブラスターズのセットリストはカントリーが中心じゃった。 それでも会場の埋めた数千人の観客、特にアリーナの客はブラスターズの演奏にパーティの様に踊り狂っておって、「前座からこんなに盛り上がるなんて、さすがはアメリカじゃな〜」と納得、納得。 このまま盛り上がり過ぎたら、キンクスが出てこなくても客は満足するんじゃないか?って思えるほど会場は盛況じゃったよ。 気がついてみたら、ブライスターズの出演中は会場の照明は一切落とされずにフル稼働されており、明るさ100%のロック・コンサートなんて初めてじゃったな。
キンクス・プロフィール その2(1970〜1980年代)

 ここでもう一度キンクスの足跡を辿ってみよう。 キンクスの存在感が日本で“あやふや”になってきたのは1970年代からじゃ。 大がかりなツアーのニュースもなく、同期のストーンズやザ・フーがエネルギッシュな活動を続けていただけに、キンクスは段々とロックのメインストリームから消えかかっていた。 ツアー、ライブが少なかった原因は、当時発表し続けていたコンセプト・アルバムのライブでの再現が困難だった、という説もあるが、果たして? しかしたまにヒット曲は出して存在を示すだけに、そのイメージはますます分かりづらくなっていったのじゃ。
 キンクスの存在があらためてクローズアップされてきたのは、前述した1977年にヴァン・ヘイレンが「ユー・リアリー・ガット・ミー」をすさまじいアレンジで リバイバル・ヒットさせてからじゃ。 それを機に、幾多のバンドが続々とキンクスのカヴァーを始めたのじゃ。 ざっと挙げると、下記の通り。

・オール・ディ・アンド・オール・オブ・ザ・ナイト/ストラングラーズ
・ストップ・ユア・ソビン/プリテンダース
・ローラ/レインコーツ
・デヴィッド・ワッツ/ザ・ジャム
・ユー・ガッタ・ムーヴ/リチャード・ヘル&ボイドイズ
・セルロイド・ヒーロー/ジョーン・ジェット
・セット・ミー・フリー/グラハム・ボネット

 「ユー・リアリー・ガット・ミー」に至っては、スライ&ファミリー・ストーンら複数のバンドがカバーしておる。 更に特筆すべきは、カヴァー7したバンドが、パンクやらニューウェイブ畑の曲者が多いことじゃ。 またクラッシュの名曲「ロンドン・コーリング」も、その原曲はキンクスの「危険な街角」であることは有名じゃ。 日本では忘れられかけていたキンクスじゃったが、実は英米ではしっかりとロックの後輩たちに愛され、カバーされ続けておるゴッドファーザー的な存在だったのじゃ。 
 後輩たちの、いわば「キンクス賛歌連発」のお陰で息を吹き返したキンクスは、1980年代中盤から再び精力的なライブ活動を開始することになるんじゃが、わしの体験したオークランド公演はそのスタートともいうべきアクションのひとつだったのじゃ。


やはりキンクスは実在した!(笑)

 さあ〜て、そろそろ肝心のキンクスのライブ・レポートといこう! ブラスターズの約30分ほどの前座演奏が終了した後、ほとんど休憩時間が用意されないうちに会場の照明が落ちて、いよいよキンクスの登場じゃ!
 暗闇の中に「ゴ〜ン、ゴ〜ン、ゴ〜ン」と荘厳なハンドベルが鳴り響き、観客は一斉にライターを灯す。 その模様は「ひええ〜まるでヘヴィ・メタルのコンサートじゃないか! キンクスじゃなくて、ブラック・サバス(イギリスの老舗メタル・バンド)でも出てくるんじゃないか?」って感じ。
 やがて、大柄なツートーン・ストライプのジャケットを羽織ったレイ・デイヴィス(リーダー兼ヴォーカル)を先頭にメンバーが登場。 いきなりヒット中の最新シングル「ドゥー・イット・アゲイン」がスタート。 ヘヴィメタ・カラーのプロローグから一転して、ウエストコーストの青空に似合うアップライトな曲調、プレイアレンジに会場は一気に騒然じゃ! 170センチにも満ない小柄なレイ・デイヴィスがメッチャクチャにカッケーーーーーーーー! エルヴィス縁(ゆかり)の会場での出演に、ロック・フィーリング絶好調!(だったのか!?)そのクールなアクションは、観客を盛り上げるというよりも、バンドのプレイを焚きつける様な、内から滲み出る狂気を感じさせる重厚なパフォーマンスじゃ!

 ほとんどMCを挟まないまま渋い選曲が続き、やがて6曲目の「ローラ」では早くも観客は大合唱! 8曲目の「オール・ディ・アンド・オール・オブ・ザ・ナイト」で会場のヴォルテージはピーク! ヘヴィメタ調のこの曲を目一杯ヘヴィメタのアレンジで聴かせる演奏に観客席からは絶叫の嵐! サヨナラ満塁ホームランが飛び出したような爆発する騒ぎに、「おいおい、キンクスってこんなに人気があったのか!」ってわしはもうなんつーか、唖然としたもんじゃった。
 そこから「セルロイド・ヒーロー」「スーパーマン」とヒット曲を連発した後、締めは当然「ユー・リアリー・ガット・ミー」じゃ。 リード・ギターのデイブ・デイヴィスが、この曲をリバイバル・ヒットさせたヴァン・ヘイレンの完全逆コピーをやるもんだから、これ以上の盛り上がりはない!
 「オリジナルは俺たちの方なんだぜ」ってツッパルことなく、ロックの過去と現在がガッチリと手を組んだ極上のパロディみたいなプレイは、まさにキンクスならでは! 後輩(ヴァン・ヘイレン)の手柄を素直に認めて、それに感謝しつつも先輩として味のある貫禄を見せつける! 先輩ってのはこうでなくちゃいかんな! フトコロがデカ過ぎるぜキンクス!!

 「ギターはエドワード・ヴァン・ヘイレンでした!」ってレイ・デイヴィスのMCに会場は大爆笑じゃった! 大爆笑で終わるロックコンサートなんて、わしは初めて観たよ。 これがアメリカン・ロック・コンサートってもんなのか! わしはしばしエルヴィス縁の地におることを忘れるほどキンクスのコンサートに酔いしれておったのじゃった!


 正体不明じゃったキンクスのライブは観れたし、エルヴィス縁の地には行けたし、ついでにネオロカ・バンドの旗手まで観れたし、誠にメデタシ、メデタシの体験じゃった。
 惜しむらくは、会場内でエルヴィス公演のメモラビリア的装飾品の展示の確認をする余裕もなく、また宿をとっていたシスコ行きのバスの終電に間に合わないからアンコールの演奏を聞かずに会場を去った事が心残りじゃがな。 あの当時、もっと腹の座った旅人だったら、会場周辺で一晩野宿をしてでも「ヘンリー・J・ケイサー・コンベンション・センター」の存在そのものを味わっておけばよかったわい。
 
 何だかメインはキンクスなのか、エルヴィスなのか、焦点が定まらないコラムになってしもうたが、どんなロックの話をしようとも、その背景には必ずキング・エルヴィスが存在しとるわけだから、どうか許してくれたまえ!
 そう言えば、キンクス公演の二週間前にロスにおったわしは、ハリウッド・サンセット・ストリップにあったドアーズ縁の場所である「ロキシー」というライブハウスを訪ねた後、隣接するバーで飲んだもんじゃ。 その時話しかけてきた酔っ払いの白人から「オメエ、ドアーズ、ジム・モリスンが好きなのか! へえ、そうかい。 でもな、ジムのヴォーカルのルーツはエルヴィスだぜ。 それを忘れんなよ!」とか何とかカラマレタわい! キンクスだろうが、ドアーズだろうが、ロック縁の地にはエルヴィスの魂が宿っておるってことなんじゃろうな!
 あれから29年か・・・。 当時紅顔の美少年じゃったわしも(ウソつけ!)、今ではご立派な中年オヤジ。 でも今度ハリウッドやらシスコやらオークランドを訪ねる時は必ずナッソー、イタリアンカラー・シャツ、ピストル・パンツの装いで行くからな! 伝説のロッカーたち(キンクスは現役じゃが)の夢の跡地の訪問には、The-Kingファッションが何よりも相応しい。 それが実現できたら、わしはもう死んでもええわい!



七鉄の酔眼雑記 〜キッスじゃないよキンクスだよ、オバサン! でも、ほんとーにサンキュー!!

オバサン:「え? キッス?」わし   :「違うよ」
オバサン:「じゃ何? ディープ・パープルかい?」
わし   :「違うってば。 キンクスだよ、キ・ン・ク・ス!」
オバサン:「キンクス? そんなのあったかのお?」

 これは、キンクス公演の当日、サンフランシスコの「リトル・トーキョー」入口の近くにあったチケット売り場における、券売担当のオバサンとわしのやりとりじゃ。 日本の駅前にある小さな宝くじ売り場みたいな小屋じゃったな。 丁度、キッスとディープ・パープルのコンサート・チケットも取り扱っており、ロン毛で痩身のわしを見てオバサンはメタルファンだと早合点したんじゃろう。 しかしそのオバサン、チケットを発券して窓口からわしに渡そうとした瞬間、いきなりわめいた!

「チョット、ユー! この会場、昔エルヴィスが歌ったトコだよ!!」

 すかさず「それはいつ頃の話でっか?」と問い正したが、「よく覚えてないけど、多分相当昔だよ」とオバサンは答えたもんじゃ。 今みたいに、すぐにインターネットで調べて真偽のほどを確認できるような便利な時代じゃない。 だからオバサンの言った事が本当なのか分からぬまま会場に行った。
 世界を旅しとると、ガセネタを掴まされて無駄に踊らされることは少なくないもんじゃ。 中には悪気はなくて、ひとときの間旅人が喜べばそれでいいじゃないか!って無責任なスタンスで平気でガセネタをかます者もおる。 だからその時のわしも半信半疑じゃったと思う。 でも結果として、エルヴィス云々よりもコンサート自体を十分に楽しめたんだから、それでいいや!って気分で会場を後にしたのじゃ。

 そのオバサンが言った事が本当だと知ったのは随分と後。 The-Kingのボスが店長だった時代の「ラブテン」で、エルヴィス関連の洋書を拾い読みしていた時に偶然に判明したのじゃ。

「ぬおっ! あのオバサン、本当の事を言っていたんじゃ! わしは間違い無く、この写真の会場に行っておったんじゃ!」

ってコーフンしたな! マジソン・スクエア・ガーデンとかの超有名な会場でもなく、ライブ録音が残されておるエルヴィスにとって記念碑的な会場でもない。 エルヴィスの活動歴の中ではマイナーな存在の会場じゃが、だからこそ、別のコンサートとはいえ、有名な写真が残されておるだけにそこに足を踏み入れたという事実はわしにとって掛け替えのないメモリーじゃ。 諸君なら分かるよな、この気持ち!

 あのチケット売り場のオバサン、まだご存命じゃろうか! オバサンのあの一言がなかったら、わしは会場の名前も忘れていたかもしれん。 そうなれば、エルヴィス1956年6月3日の公演会場という事実との照合を出来るどころか、エルヴィス縁の地を訪れていた事に気付くにはもっと時間がかかったか、もしくは永遠に気付くことはなかったかもしれん。 ショートの巻き毛にメガネをかけていたチケット売り場のオバサンに心から感謝する次第である!
 ちなみに、上記したしたキンクス公演当日のチケット写真じゃが、そのチケットを現在まで所有していたから撮影出来たんじゃない。 現物はとっくの昔に無くしておる。 今回の寄稿において、試しにネットで検索してみたら、何と!イーベイに当日のチケットが出品されており、その写真を借用した次第なんじゃ。 出来すぎた偶然じゃが、これはあの日の体験を諸君に伝えよ!というロックの神様のお導きじゃろうな!(笑)


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