NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.197

 何げに「ロック366」っつう、カレンダーに沿ったロック・エピソード集を眺めていたら、今年の6月24日でジェフ・ベックは70歳を迎えることを知った。  いやあ~驚いた。 この4月にも現役バリバリの腕前で日本公演を完遂したジェフ・ベックが70歳になろうとは! ほとんどのビッグ・ロッカーは、さすがにその年になれば、み~んな白髪皺くちゃヨタヨタで(失礼!)、古いファンのあたたか~い厚意によってかろうじてコンサートを終了するってのが相場じゃが、ジェフ・ベックは容姿もプレイも全盛時代から変わらぬご様子じゃったとか!
 わしは残念ながらコンサートに行けなかったが、某評論家さんは「全てが若過ぎる! ミック・ジャガーの鍛え上げて保つ若さではなく、ジェフ・ベックは天然の若さだ!」とおっしゃっていた。 雑誌の記事を見たらまさにその通りで、「何なんだ、この人は!」じゃ。 わしも“もうろく”しておられんわい!
 同期のギター名手であり、かつてジェフとともに世界三大ギタリストと呼ばれた、エリック・クラプトンとジミー・ペイジは年相応のよい感じのご老人になられておるが、ジェフ・ベックってのは傍から見ると老いとは無縁じゃ。 いや、若いとか、老けていない、とかではなくてだな、我々ロックファンの前に出現した1960年代中期から、まったく変わっていないのはどういうことじゃ?
 諸君やわしの場合は、The-Kingが絶え間なく新作を発表してくれておるので少なくとも「装い」に関しては絶対美意識をキープ出来る。 が、チト内面の深~い部分で忍びよる年齢に応じた変化を撃退する秘訣を、ジェフ・ベックから学んでみるのはいかがかな。

 世界三大ギタリストそれぞれのキャリアを参照してみると、ジェフ・ベックだけ明らかに異質のスタンスがある。 それは一般的には無名の凄腕ミュージシャンを途切れることなく抜擢して、彼らのその後のキャリアの土台を用意してみせることじゃ。 孤高、唯我独尊のイメージが強いジェフ・ベックじゃが、実は明伯楽としてのセンスは抜群なのじゃ。 常に新しい刺激を、それも無名の連中から授かることで自分自身を高めてきたロッカーなのじゃ。 永遠の若さの秘訣はここら辺にあるんじゃないかなどと考えておる次第で、今回はジェフ・ベック自身よりも、ジェフによって光を与えられたロッカーたちを振り返ってみたい。 


ジェフ・ベック70歳祝福寄稿!
稀代のギター・カリスマが発掘した名プレイヤー7人衆!


1.ロッド・スチュワート
 クラプトンの後釜として参加しておったヤードバーズを脱退した後、ジェフは「ジミ・ヘンドリックスもぶっ飛ぶ!」様な世界最強のヘヴィ・ロック・バンドの結成を夢見ておった。 夜毎あちこちのクラブに出没してめぼしいメンバーを探しておったジェフは「ダーリン・オブ・ディスコティック」とからかわれておったらしい。 そんな時期に最初に発見したのがロッド・スチュワート。 ロッドの凄まじいブルース・ヴォーカルに「身体に電流が走った!」とジェフは後に語っておる。 さっそくジェフ&ロッドを中心として新バンドの構想が音を立ててスタートした。 それが1968年にデビューする「第一期ジェフ・ベック・グループ」じゃ。

 ロッドはアルバム2枚でジェフと袂を分かつが、70~80年代の快進撃はご存知の通り。 人気と知名度ではジェフを遥かに凌ぐロックスターの階段を駆け上っていった。 その後ジェフとロッドは、1985年発表のジェフのアルバム「フラッシュ」にて名曲「ピープル・ゲット・レディ」で約15年ぶりに共演。 ロッドがジェフに手紙を書いてから再会を果たすというプロモーション・ビデオは、ちょっと白々しかったが往年のファンには涙ものじゃった。


2.ロニーウッド

 1975年にローリング・ストーンズに加入し、永遠の名声を得たロニーに最初のスポットライトを用意したのもジェフじゃった。 第一期ジェフベック・グループでベーシストとして採用されたのがロニーだったのじゃ。 そう、この人最初のビッグ・キャリアはギタリストではなくてベーシストだったのじゃ。 まあジェフとロニーのツイン・ギターなんて成立するはずもないし、仕方なしにベーシストに転向したってのがロニーの本音じゃろうが、やがてジェフとではなくてロッドと意気投合したロニーはバンド解散後は二人でフェイセスを結成。 ロニーはギタリストに戻り、ストーンズ加入の為の重要な一時期を過ごすことになる!

3.ニッキー・ホプキンス
 第一期ジェフベックグループで、もうひとり忘れてはならんプレーヤー(ピアニスト)がこの人。 決してロックスターとしての人生を歩んだわけではないが、ジェフの元でのプレイで注目されて、その後長きに亘ってブリティッシュ・ロック・シーンを代表するセッション・ピアニストとして活躍したのじゃ。 また70~80年代のストーンズのツアー随行ピアニストとしても参加しておった。


4.コージー・パウエル
 第二期ジェフ・ベック・グループのドラマーであり、その後レインボウ、マイケル・シェンカー・グループ等、幾多の名ハードロックバンドでスティックを握った忘れがたき花形ドラマーじゃ。
 60年代後半は、ローカルバンドに在籍しながらカーレーサーを続けていたコージーは、ある日ジェフ・ベック・グループのオーディションの告知を見て「血液が逆流するほど興奮した」そうじゃ。 瞬時に「このバンドのドラマーは俺しかいない!」と神のお告げと思ったという! オーディションではジェフの目の前にドラムをセットして、いきなり両手でシンバル2つを目一杯ぶっ叩いてジェフを威嚇したそうじゃ。 すかさずジェフは「コノヤロー!」って睨みつけてきたが、それを見たコージーは「俺にキマリだ!」と確信したという(笑)

 コージーという男の義理堅さはシーンでも有名。 花形ドラマーとして最初のソロアルバムを発表した時は「今の自分があるのはジェフのお陰だから」と「ジェフ・ベックに捧げる」というナンバーを収録して感謝と友情の念を証したもんじゃ。 そのお礼としてジェフは、コージーのセカンド・ソロ・アルバムに参加して2曲披露。 特に「ホット・ロック」というナンバーでは自分のアルバムに勝るとも劣らない名演をやってのけ、コージーへ友情返しをしておる!


5.カーマイン・アピス
 第三期ジェフ・ベック・グループともいうべき、「ベック・ボガード&アピス」のドラマー。 ヴァニラ・ファッジ、カクタスなるそこそこ売れておったバンドに在籍。 しかしドラマーとしての評価が飛躍的に向上したのはジェフと組んでからじゃ。
 この人のスゲエところは、ほぼハードロック一辺倒だったコージー・パウエルとは正反対で、フュージョン系からヘヴィ・メタル系に至るまで、オシャレ系からマニア系に至るまで、驚くべき多岐にわたるジャンルでドラムを叩き続けておることじゃろう。 ロサンゼルスをはじめアメリカ国内の4都市で「カーマイン・アピスの日」が設けられておる他、1991年にはハリウッド・ロック・ウォークに手形とサインが刻まれる栄誉が与えられておる。 そのドラマーとしての輝かしい名誉の出発点が「ベック・ボガード&アピス」だったのじゃ。


6.フィル・チェン
 以前このコーナーで単独で取り上げた事もあるベースプレーヤーなんで、詳しく知りたい方はそちらをご覧下され!
 ジェフが1974年に発表したロック史上初のギター・インストゥルメンタル・アルバム「ブロウ・バイ・ブロウ」に参加してから脚光を浴び、その後全盛時代のロッド・スチュワートのバンド・メンバーとして名を馳せ、2003年には何と!ドアーズの再結成に参画して日本公演にもいらっしゃった!


7.ヤン・ハマー
 1970年代中期から現在まで続くジェフ・ベックの「ギター・インストゥルメンツ」の歴史を振り返ると、この人とジェフとの出会いは極めて重要じゃ。 ヴォーカル無しのギター・ロックは、ヤン・ハマーがいたからこそ完成出来たといっても過言ではないんじゃ。
 元々は東欧チェコソロバキアのジャズ系ピアニストであり、60年代末期にアメリカに渡り、やがて当時新進楽器だったシンセサイザーを会得してノンジャンル・オーケストラ・バンド「マハビシュヌ・オーケストラ」に参加。 ギターサウンドの可能性をバックから無限に装飾してくるセンスにジェフが惚れ込んで自らのセッション・メンバーに引き抜いたのじゃ。 そこで完成されたのが、フュージョン系ロック・インストゥメンタルの強烈な名盤「ワイアード」であり、その路線をジェフはしばらく貫くことになったのじゃ。 ジェフとの交流は現在まで断続的に続いておることが、ヤン・ハマーというプレイヤーのシーンにおける存在証明でもある。
 カーマイン・アピス同様に、ロックシーン以外の活躍も多く、TVドラマ「マイアミ・バイス」のテーマソングを手がけてグラミー賞を獲得したり、地元ヨーロッパのヴァイオリンプレイヤーやシンガーのアルバムを手がけるなど、才能の宝庫! 


 ロッド&ロニーをデビューさせた第一期ジェフ・ベック・グループの始動が1968年。 ヤン・ハマーと組んだアルバム「ワイアード」の発表が1975年。 このたった8年間で上記7人の他にも、アインズレー・ダンバー(ドラム)、マックス・ミドルトン(キーボード)、ティム・ボガード(ベース)、ナラダ・マイケル・ウィルデン(ドラム)らのスゴ腕プレイヤーを世に紹介しとるんじゃから、スゲエのなんのって! ジェフ・ベックは生涯にわたって(まだ元気じゃが)、レッド・ツェッペリンやディープ・パープルのようなバンドとしての大成功とは無縁じゃったが、これだけのツワモノたちを短期間で発掘してきた手腕はロック史上最大じゃろう!  そしてその“めきき”は依然として衰えておらず、90年代から再び旺盛になった活動でも続々と新進プレイヤーを輩出。 21世紀になってからはジェニファー・バトゥン(ツーハンド・タッピング・ギターの名人)、タル・ウィルケンフェルド(テクニカル・ベーシスト)という2人の女性プレイヤーまで抜擢して、彼女たちをプレイヤーとして見事にブレイクさせておるのじゃ! 90年代以降にジェフ・ベックが発掘した人材に関してもいつか機会を見てご紹介してみたい。  衰退することなく前進し続けるには、絶え間ない人的交流が不可欠であることをジェフ・ベックは我々に教えてくれておるようじゃな! 信念を曲げずに走り続け、優れたプレイヤーを数多く世に輩出してきたジェフ・ベックに、心から「ハッピー・バースディ」と言おう!  信念を曲げず、と言えばThe-Kingもまた然り。 The-Kingの今後の発展の為にも、どうか諸君、絶えることのないThe-Kingとの交流(&お買い物!)をヨロシュー頼んだぞ。 ボスが70歳になってもジェフ・ベックのようにバリバリに現役でいられるかどうかは、諸君のあつ~いアプローチにかかっておるのじゃ!んで、たま~には、わしも仲間に混ぜてくれたら嬉しいぞ!



七鉄の酔眼雑記 ~ジェフ・ベックと菊とロカビリーと

 ジェフ・ベックと言えばな、もう四半世紀も前に亡くなったお袋さんが大ファンじゃった。 昭和初期のお生まれだからロックなんて全然興味なかったお人じゃったが、どういうわけかジェフ・ベックだけは別じゃったなあ~。 お袋さんは菊作りが趣味であり、大事に大事に育てあげた菊に「蒼き風」とか「ダイヤモンド・ダスト」とかジェフ・ベック・ナンバーのタイトルを名付けておったぐらいじゃ。
 今思い出してみると、お袋の育てた菊の素晴らしさはプロ級であり、まるで意志を持っておるかのようにガッチリと花開いた様子はチョット怖かったな。 育てる過程で菊にジェフ・ベック・サウンドを聞かせていたのかもしれない。 よく言うではないか。 蘭なんかの高級な花を育てる為には美しいBGMがあるといいと。 ひょっとして菊とジェフ・ベックってのは・・・。

 1986年のジェフ・ベックの日本公演にお袋を連れて行こうとしたんじゃが、「若い人ばっかりだから恥ずかしい」って遠慮しておったが、その三年後に亡くなったんで、今思えば無理矢理連れて行けばよかったな、と。 当時ジェフ・ベックは42歳。 20歳あまりも年下の外国のロックミュージシャンに憧れておったなんて、やっぱりわしのお袋じゃ!つうか、対象が韓流アイドルみたいなのじゃなくて良かったわい! でも、わしが土産に買って帰ったコンサートパンフレットをしばらく夢中になって鑑賞しておったな!(笑)
 もし今でもお袋さんが存命中で、今年のコンサートに連れて行ったら恐らくこんな言葉が返ってくるだろう。
「やりたい事を貫き通しているから、70歳になっても若々しくてカッコいいのよ!」
アイタタタッ、いやあ~スンマセンですとしか言えんわな(苦笑)
 
 今回はジェフ・ベックの不老長寿の秘訣である「無名の優れたプレイヤーの発掘」に焦点を当てたが、実はもう一つ、ジェフ・ベックには特殊な経歴があるのじゃ。 自分の音楽的原点への回帰ってのを、アルバムやツアーでほとんどやったことがないってことじゃ。
 じゃが唯一の例外が、敬愛しとるジーン・ヴィンセント&ザ・ブルーキャップスと、初代ギタリストのクリフ・ギャラップに捧げられたアルバム「クレイジー・レッグス」じゃ。 バックのビック・タウン・プレスボーイズはイギリスのロカビリー・グループじゃよ。 この辺もタイミングを見計らっていつか詳しく紹介してみたい。 ロック不老長寿の秘訣には、やはりロカビリーの魅力が潜んでおるようで(二ヤリ!)、取り組むには絶好のネタじゃしな! いつになるか分からんが、乞うご期待!



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