NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.189

  前回から始めてみた、「云十年前のロック回想録」を続けさせてもらうぞ。 今回は40年前、1974年に発表されたアルバムで、わしが名盤と言っておきたいアルバムの数々じゃ。 何? 50sから時間が経ち過ぎておるだと? まあそうじゃが、最後の最後、〆でジョニー・キャッシュ御大のアルバムにご登場頂いており、そのアルバム・カヴァーの御大は、The-King新作ナッソーを着てもらいたい!って叶わぬ夢を抱いてしまうほどカッコエエんでどうかご容赦を!
 「1974年」って言い方にピンと来なくても、「昭和49年」なら一気に思い出が蘇ってくる方も多いじゃろう。 あの頃の日本人の大多数は「西暦」よりも「年号」の中で時代を生きておったのじゃ。 その1974年/昭和49年じゃが、日本では「終焉ブーム」の真っただ中。 経済成長は戦後初めて「ゼロ」を記録。 前年の「オイルショック」で世の中が暗~くなったところに、国民的英雄のプロ野球・長嶋茂雄選手と国民的競走馬のハイセイコーが引退。 国民全体が“巨大な虚脱感”みたいなのに包まれておった年じゃった。 まあわしら若者(当時は!)やガキんちょ共の生活には、そんな寂しい世相はあんまり関係なかったと思うが、洋楽ロック界の本場も似たような状況に陥っていたんじゃから、今にして思えば不思議じゃ。

 エルヴィス、ビートルズの登場以来、常に欧米文化の先頭を担ってきたロックン・ロール。 その長きにわたるイケイケ状態の「黄金狂時代」も、ついに1974年に失速してきたんじゃよ。 当時は明確に認識は出来ていなかったが、「なんかつまんねえアルバムが多いな」って印象が強く残ったもんじゃ。 純然たるクオリティは決して「つまんねえ」作品ばかりではないんじゃが、ロックの最大の魅力はビジュアルまで含めたその衝撃性じゃっただけに、1974年発表のアルバムは良く言えば「大人になったロック」「商品化されたロック」って感じだったのじゃった。 

2014年ロック回想録②
40
年前/1969年のロック
ロック黄金狂時代の終わり !?
“俺たちのロック”が、大衆のためのロックになった1年。

●大物バンドは平均作ばかり
 70年代の初めが名作、衝撃作ばかりだった為に、どのバンドもそろそろ安定期に入るのも仕方ない。 でもファンってのは身勝手であり、「今度はどんなスゲーのを発表してくれるんだろう?」ってワクワクしながら待っとるわけじゃ。 振り返ってみればいい時代じゃったなあ~。 でもそんなロックンロール・ドリームは1974年に終わったと言っていいじゃろう。

●ディープ・パープル「紫の炎」「嵐の使者」 ●「キング・クリムゾン/スターレス&バイブル・ブラック」 ●ローリング・ストーンズ「イッツ・オンリー~」 ●プロコル・ハルム「異国の鳥と果物」 ●ジョージ・ハリスン「ダークホース」 ●イエス「リレイヤー」 ●ウィッシュボーン・アッシュ「永遠の不安」 ●ジェネシス「幻惑のブロードウェイ」 ●エリック・クラプトン「461オーシャンブールバード」等々。

 上記のアルバムは「ロックの名盤」として紹介されることもあるが、1970年代の到来とともにロケット・スタートをブチかました彼らだっただけに、わしにとってはどれも「平均作」に聞こえた。 ジョン・レノンはソロ・アルバムの最高傑作を出したが(左写真・「心の壁、愛の橋」)、言っちゃあ悪いけどストーンズやプロコル・ハルムなんかは「新作じゃなくて、未発表曲集なんじゃねえのか?」って疑ったほど新鮮味が無かった。 キング・クリムゾンやディープ・パープルはメンバーチェンジをして臨んだ作品じゃったが、タイトル・ソングだけ良い出来栄えであり、それが却って「ハッタリをかまされただけ」って印象じゃった。
  どんなに優れたバンドにも低迷期や過渡期はあるが、1974年にはロック・シーン全体がまるで厄年の様に示し合わせたごとく多くのバンドの平均作が続いたもんじゃ。

 もっとも「衝撃作」が少ないとか嘆いていたのは、わしの様な「ロックバカ」だけじゃ。 ロックそのものがソフィスティケイトされきて、ロックという名の音楽を聴く者が増え、更にロックファンの低年齢化にも繋がっていき、マーケットは拡大されたと思う。 だから業界さんたちは、わしら「ロックバカ」とは反対にほくそ笑んでいたに違いない! 
「七鉄の様なロックバカを生み出す衝撃作よりも、かわいくて素直なロック少年を育てる方がゼニになる!」
ってことだな、コノヤロー(笑)
 

●傑作ライブ・アルバム時代の到来
 
 クオリティ停滞のスタジオ・ニュー・アルバムばかりな反面、1974年に発売されたライブ・アルバムには傑作が多かった。 わしのフェイバリット盤は後程ご紹介するが、期待外れの新作のショックをライブアルバムからの感動で補っていたような覚えもある。
 今でこそライブ・アルバム製作なんてのは当たり前じゃが、当時はどのバンドもなかなかライブ・アルバムを発表しなかったんじゃよ。 その原因は諸説様々じゃったが、まことしやかに囁かれていたのは「(当時のバンドは)実は演奏が下手くそなんじゃねえのか」ってコト。 まあ本場のライブを体験出来ない日本のファンならではの意見じゃな。 もっともその背景には、洋楽バンドの日本公演の半分は手抜きが多かったってのもあるがな。 T.REX、ユーアイア・ヒープの来日公演なんてヒデ~もんじゃったよ。 この年、日本人ベーシスト山内テツの凱旋公演として期待されたロッド・スチュワート率いるフェイセスの来日公演も、音響的にいまひとつじゃった。 終始遊んでおるように聞こえてしまい、あれは手抜きのだったか、彼らの持ち味そのものだったのか、いまだに判然とせんな。
 結局ライブ・アルバムが少ないってのは、当時のライブ録音器材のレベル的な問題にあり、簡単には傑作を生み出せない時代だったんじゃ。 ロックライブの古典的名盤と言われるストーンズの「ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト」(70年)、ディープ・パープルの「ライブ・イン・ジャパン」(72年)、イエスの「イエス・ソングス」(73年)でさえ、元々のマテリアルはスタジオで相当のオーバーダビングをしないと売り物にならないレベルだったそうじゃ。
 そんな時代において、1974年を機にロックのライブ・アルバムの傑作が続出してきたことは喜ばしい事ではあった。 以降、音楽性の転換期やバンドの休養期における新作の代替えとして、優れたライブ・アルバムは続々と登場してくることになるのじゃ。


俺が歩んだ道を、踏み固めようとするな! “オールド・ルーキー”快心の一撃!
■ 心の壁、愛の橋/ジョン・レノン ■ ■ バッド・カンパニー・ファースト ■
 “ジョン・レノン”というクレジットが無かったら世に出ることはなかったであろう! 恐ろしく知能の高い酔っぱらいが吐露するこの世への“恨み辛み”が、散文詩に昇華してロックになった様な奇跡の一枚。 聴く者の心を激しく侵食していくような、また自虐の果てに突き進むような、レノン・ミュージックのダークサイドここに極まれり、じゃ。
 エルヴィスがやったらパーカー大佐が血相変えてNG指令。 ミック・ジャガーなら冗談。 ボウイならお芝居。 ディランなら嫌味。 クラプトンなら聞いてらんない。 これは、ジョン・レノンにしか許されない私小説ロックの決定版であり、ジョンは遂にロックの果てまで行ってしまった。
 発表当時は凄さが分からなかった、というよりも付いていけなかった。 時代の中にほのかに残っていたビートルズ幻想を無慈悲なまでに木端微塵にする一種独りよがりのジョンの悲痛な咆哮に嫌悪感すら湧き出たもんじゃ。 でもこのわしが「ロックバカ」から「社会的バカ」に成長(?)するに従って、もうどうしようもなく必要な作品になってしまった。 

 「 プログレ、メタル、サザン、グラム、スワンプ、カントリー等など、多様化の一途を辿った70年代のロックシーン。 それはそれで楽しかったが、ロックの原点ここにあり!って、シンプルなロックンロールを鮮やかにキメてくれたのが、バドカンこと、バッド・カンパニーのこのデビュー作。
 メンバー4人は既にビッグバンドでそれなりの評価を得ていた中堅どころじゃったが、このカルテットとして集結することにより、4人はプレイヤーとしての“歌心”が復活したようじゃ。 ギター2本、ベース、ドラム、各々の立場において、全員が力むことなく気持ちよく“歌っている”んじゃよ。 だからどの曲もゴキゲン・モード! 楽器演奏の“重唱”のような溌剌とした構築性があり、そしてテレマーク(着地点)のカッコよさと、そこへノリノリで誘導する天才ロックシンガー・ポール・ロジャースのセンスが文句無し! こんな演奏が出来るのはバドカンだけじゃったな~。
ボウイの「サージェント・ペパー」 ×カントリー ○サイレント・ロック
 ダイアモンド・ドッグス/デヴィッド・ボウイ   グリーヴァス・エンジェル/グラム・パーソンズ 
 多くのビッグ・ロッカーが牙を抜かれたような新作を出す中で、この人だけはやはり別格じゃった!
 「グラム・ロックのヒーロー」から抜け出すべく、近未来に生きるダイヤモンドの犬という別人格に成り切って重厚なコンセプト・アルバムを完成させたのじゃ。 
 ストーリーが難解過ぎて、正直なところ意味不明な展開もあるが、明確な起承転結性の中に意外性をもブチ込んだロック・オペラのようなアルバムの構成美には圧倒されてしまう。 
 気違いじみたビジュアルと、名曲揃いのロック・アルバムを発表していた“地球に堕ちて来た男”は、わずか3年の後に、地上の音楽の美を全て吸い上げて“宇宙の彼方に戻っていった”ようじゃ!?
 70年代のボウイの名盤といえば、「ジギー・スターダスト」と「ヒーローズ」って評価ばかりじゃが、コンセプトの完成度、ロッカーとしてのボウイの才気のほとばしりにおいては本作が断トツじゃよ。

 ロックがつまらなければ、自然と毛色の違う音楽に手が出るというもの。 そんな74年の退屈しのぎの時に出会った忘れじの1枚じゃ。
 キース・リチャーズにアコギの極意を伝授したことで、ロックファンには僅かに知られておるこのお方、一応カントリー・ロックの枠で語られるが、ロック的な“駆け抜けイズム”の元に、美を如何に美しく歌うかに生の炎を燃やしつくす様な悲壮感が持ち味じゃ。
 生を駆け抜けながら、見るべきものを見る、感じるべきものを感じる。 その為には必死に神経をねじって振り返らんといかん。 相反するベクトルの狭間で引き裂かれそうになりながら、なおも微笑みながらアコギを弾く。 その美しさ、悲しさ、儚さを感じることが出来る方には、このアルバムは絶対にオススメじゃ。
 「・・・ったく、悲しいまでに純粋な男じゃな」って何度もホロリとさせられたもんじゃが、このアルバム発表の前に既にドラッグの過剰摂取で亡くなっていた事を知ったのは、アルバムを入手した少し後じゃったかな。 亨年26歳。 典型的に長く生きることの出来ない“ロッカー”の静かなる遺作じゃ。 
ロック新時代を宣言した問題作 頑固者同士の、夢の再共演ライブ
クイーンII/クイーン   偉大なる復活/ボブ・ディラン&ザ・バンド 
 「ロック新時代」と大袈裟に言ってはみたが、「それって何?」って聞かれたら、「別にロックンロールをやらなくても立派に生きていける者が奏でるロック」とでも答えようかな!
 このアルバムによってクイーンを最初に聞いた時の印象はまさにそんな感じじゃったな。 形式としてロックを扱っているだけで、彼らの美学は「輝かしい生の謳歌」なんじゃな。 マイッチング、マチコせんせ~じゃったな、このバンド。 自分のロック概念が、とても古臭く感じられたもんじゃから、コイツは衝撃作としてご紹介しておこう。
 ブルースとかカントリーとかR&Bとかオールディーズとか、そんなのカンケーネー! 学校の音楽室で聞かされたクラシック音楽や、頭のいい作曲家が書いた上質のポップ・ミュージックのいいとこどりにも聞こえる半オリジナルの様な作品を、ドラマチックな組曲風に構成したモノスンゲ~メドレーで攻めてくる! しかもオペラチックなヴォーカリストの力量はハンパない! 聖歌隊の様なコーラスも超本格的!! ただただ脱帽じゃった。
 かつてディランのバック・バンドであったザ・バンドが、ビッグネームに成長した後、8年ぶりにかつての親玉のサポートをしたライブ。
 両者とも己のサウンド・ポリシーを曲げずに時代を切り開いてきたわしもビックリ!の頑固者なんで、果たしてコラボが成立するのか!と懸念されたもんじゃが、 まさに相乗効果爆発! 両者のどのスタジオ・アルバムでも聞いたことのない、ハイテンションのロックンロール・ライブになっておったから恐れ入った。 
 特にザ・バンドの演奏は、完成され過ぎた(編集し過ぎ?)彼ら自身のライブアルバム「ロック・オブ・エイジ」よりも脂が乗った極上の演奏をやっておる。 退屈に感じていたディラン節強過ぎの曲も、ザ・バンドのサポートで別種の輝きを放っておる。
 両者のそれぞれの単独演奏と共演曲のパートの三部構成になっているのも聞きやすい。 しかし何だかディランもザ・バンドも「昔出来なかった事をやっちまおうぜ~」的で溌剌と自由にプレイしとるのがエエ!
暗闇の帝王、ついに浮上す!  極上“不真面目”ロックン・ロール!
■ ロックンロール・アニマル/ルー・リード   フェイセス・ライブ/フェイセス 
 ドラッグと同性愛とノイズサウンドと、何かと暴力的、退廃的に紹介されていたルー・リードじゃが、この作品はオリジナル曲ばかりとはいえ、一般的なロックファンも充分に鑑賞に耐えうるスマートなアレンジに終始。 またエルヴィスの“実況録音盤”を除けば、それまでのロックのライブ盤の中ではピカ一!な極上の録音状態じゃ。
 さらに当時は大変に珍しかった正真正銘のツイン・リード・ギターが暴れまくっており、ロックン・ロール・ライブの斬新な陶酔感がたっぷりと収録されおる。 もっともその饒舌過ぎる演奏が、ルー・リード・ワールド特有の毒っ気を消してしまっておるが、長らくロック界の闇の帝王と呼ばれた男に大きく光が当たったのは事実じゃ。  
 どういうワケか、今も昔も、日本のロックファンはバンドをやっとる一部の連中しかフェイセスを聞かないような印象がある。 ロッド・スチュワートやロン・ウッド、ケニー・ジョーンズ(ドラム)というビッグネームがいるのに不思議じゃ。
 まあ、多少上から目線で言わせてもらえば、フェイセスの魅力ってのは日本人には分かりづらかったのじゃろう。 よくストーンズの事を“下手ウマ・バンド”って言うけど、わしにしてみりゃその権化はフェイセスじゃよ!
 なんつうかな、演奏しながら女をひっかけたり、酒を飲んだり、メンバー同士でジョークを飛ばしまくったり、そんな不真面目な態度が許されるのがフェイセスとでもいうかな。(笑) いや、ナンパや飲酒や談笑の合間に演奏してるというか! このライブ盤を聞けば分かりますゾ!
9 不幸は続くよ、どこまでも・・・
10 運命から逃れることは出来ない!
■ バッド・フィンガー   Ragged Old Flag /Johnny Cash) 
 ロック史上、その実力にもっとも不相応な結末を迎えた最たるバンドが、バッドフィンガーかもしれん。 ビートルズのアップル・レーベルからデビューし、ポール・マッカートニー真っ青のポップ・ロック・センスを全開にしながらもあんまり売れず、各種マネージメント問題に悩まされて印税も入らず、メンバー2人は相次いで自殺。彼らのプロフィールには悲惨な事実で埋め尽くされておる。
 アルバムは今聞いても傑作ぞろい。 中でもレコード会社を移籍した後に発表した本作は、彼らが単なるビートルズ子飼いのバンドではなくて、本質的には優れたロックンロール・バンドであった事を証明するゴキゲンなチューンもある。 ジャケットのセンスもいい。 全体的に荒削りな演奏が多いのも、曲の本質をむき出しにするために余計なアレンジをしていないからなんじゃ。
 じゃが本作もヒットせず、メンバーは途方に暮れたという。 以降は駄作が続いてしまっただけに、彼らが最後の英知を振り絞って製作したような凄惨さを感じてしまう。 
  シビレますな~このジャケット! 「コレを見ろ!」「テメエ、分かってのか!」って無言の威嚇を感じるな。
 1974年当時、誰もジョニー・キャッシュをロックの枠で語る者はおらんかったし、彼の作品も「カントリー・チャート」にしか登場しなかったし、日本でのアルバムの随時発売もなかった。 わしはアメリカ出張帰りの友達のお父さんにコイツを見せてもらい、聞かせてもらってコーフンしたクチなんじゃ!
 タイトルは「古ぼけてボロボロの旗」って意味。 「アメリカをこんなにしてしまったのは、オマエたちだ!」なのか、「アメリカを再生せんかい!」なのか。
 当時はベトナム戦争の泥沼化による世界的批判と、国内でもウォーターゲート事件[国家的盗聴事件)への国民からの非難で、強いアメリカがヨタヨタになっとった時期。 そんな状況の中で、ジョニー御大は「君たちを作ったアメリカへの愛国心を思い出せ!」って歌っておるのじゃ!(と、知人のお父さんから聞いた) ジョニー・キャッシュ御大でしか歌うことの出来ない壮絶なテーマじゃな。 御大のキャリアの中ではあんまり話題にならん1枚じゃが、ジャケットのカッコ良さもあるからトライしてみてほしい!

 ライブ盤3枚が無かったら、1974年は物足りなさ全開モードのロック新作ラインナップで終わった1年じゃったな。
 よぉ~く思い出してみると、この年のロック界最大のニュースは、元ビッグ・バンド出身者たちが集って結成されたバッド・カンパニーのデビューと、彼らのデビューシングル&デビュー・アルバムの期待通りの大ヒット(ともに全米No.1)のニュースじゃった。 住み慣れたビッグ・バンドを離れて新しい刺激を求めた結果でつかんだ彼らの大成功劇は、ビッグ・ロッカーたちがもはや同じフォーマットでは「衝撃作」を作るテンションにはなかったことの象徴だったとも言えるな。
 
 またこの年、日本のロック熱と、本場ロックシーンの現状との温度差を痛感させられる出来事もあった。 それは10月に行われたギター・ゴッド、エリック・クラプトンの初来日公演じゃ。 会場にかけつけた誰もが、クリーム時代の様なすさまじいギター・プレイを期待したはずじゃが、当のクラプトンさんは「そんなのとっくに卒業しました」状態の「ただ今レイドバック中」だったのじゃ。 レゲエ風のヒットナンバー「アイ・ショット・ザ・シェリフ」をはじめとして、ゆったりとカントリーやブルースタッチのプレイをするクラプトンに、誰もが唖然としたもんじゃ。
 でもそれがロックシーンの現状じゃった。 1974年はロックシーンの大きな過渡期だったんじゃよ。 60~70年代にアグレッシブな活動を続けてきた才能あふれるロッカーたちは、みんな歳をとってきたんじゃ、って30歳前だけどな。 昔のヤングは大人だったのじゃ。 
 
 最後の10枚目でジョニー・キャッシュのアルバムを引っ張り出してきたものの、わしは翌1975年まで50sのロックやカルチャーの事はすっかり忘れておった。 それほど70年代ロックの多様な斬新性はすさまじく、その実態を追っかけることでアタマが精一杯だったのじゃ。
 やがてパンクの時代がやってきて、クラッシュやストレイ・キャッツの活躍、そしてエルヴィスの死によって、我らオールド・ロック・ファンは「50s復権」のスタートを実感することになるんじゃ。 1974年は50sロック・パワー空白期間の最後にも当たるわけじゃ。
 長~いロック・ライフの中で、色んな衝撃、空白、復権を繰り返し体験してきたが、まあ今後再び50sロック&カルチャーに対してわしの中で空白期間が起きることはないじゃろう。 The-Kingが途切れることなく活動を続けておるからな! ロックに退屈しかかった1974年当時、もしThe-Kingが存在していたら、今とはまた別の盛り上がり方をしたんじゃないか? ロックという名の時計の針がもっと早く動いていたんじゃないか?って思う事もある。 だって、当時若くしてビッグになったロッカーの精神的源流はエルヴィス&50sカルチャーじゃもんな! なんてのはタラレバなんで、ワクワクするとはいえ、わし一人で妄想しよう! 諸君においては、この2014年にThe-Kingブランドが活躍し、ロックシーンに「純然たる現実としての貢献」をしとることをありがた~く感謝してお買い物に励むようにな!



七鉄の酔眼雑記  ~ツェッペリンかパープルか、ジュリーかショーケンか!?
 
 1974年は日本の世の中全体が停滞ムードだった振り返ることから始めた本編じゃったが、もちろんそんな事は一般的ロック・ファンには関係なかった。 「名盤や衝撃の1枚が少なかった」ってのもわしのような「ロックバカ」の感想じゃってことは、書いたな。
 ロックシーンの正しい現状をキャッチできない、本場から遠く離れた日本のロックファンは、平和なことにいつもの様に「ハードロックだ」「いや、プログレだ」とかやっておった。
 
 あの頃の周囲のロック事情を振り返ってみると、もっともオモシロク思い出されるのがファン同士の「対決姿勢」じゃな。 「ハードロックvsプログレ」「ロックンロールvsブルース・ロック」。 さらに特定のジャンル内においても「ツェッペリン派vsパープル派」「クリムゾン派vsピンク・フロイド派」「ストーンズ派vsフェイセス派」とか。 ロッカー個人においても、ジェフ・ベックかジミー・ペイジか。 ミック・ジャガーかロッド・スチュワートか。 デヴィッド・ボウイかマーク・ボランか。 それぞれのファンは敵対する派閥とは仲良くならず、鉢合わせしたらいつでも相手を論破できるように理論武装しておったな。

 思い返すと笑っちゃうけど、日本人のロックファンって、昔っからこういうの、好きなんじゃよな~。 ビートルズかストーンズか。 ジミ・ヘンドリックスかクリームか。 ドアーズかヴェルヴェット・アンダーグラウンドか。 ジュリーかショーケンか!ってこれはちょっと違うけど(笑)、わしからみれば同じようなもんじゃよ。
 わしはどっちか一方だけに特別に肩入れするような言い方はしなかったから、当時のロック仲間たちからは恐らく陰口を叩かれていたに違いない。
「七鉄ってよう、アメリカともソ連とも仲良くするような、自分のポリシーってもんがないヤロウだ!」とか、
「“両方とも好き”ってありえなくない? 大体さ、あの人ナイーブじゃないのよね」とかな(笑)
「ポリシー」「ナイーブ」って、当時流行った言葉じゃったな~。 はいはい、何と言われていたって結構でございます。 今でも“貴方がたのおっしゃる”ポリシーも無くて、ナイーブじゃないのが七鉄でござる!
 今更ながら思うのは、「対決」の風潮に同調はせず、出来るだけ多くのロックを聞いてきて良かったなあ~と。 そのお陰で老若男女の様々なタイプのロックファンに出会えたし、何よりもまず、余生を楽しく送るには、思い出の数が多い方が得じゃもんな!


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