NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.188

 わしのこのコーナーはどうもリード(前書き)が長いんで、たまには気分を変えて、タイトルをドカン!とカマシテ、テーマの核心へ向けて突っ走ってしまおう! 題して
2014年ロック回想録①
45
年前/1969年のロック
新人から実力派まで、名盤が目白押しだった
ロック史上未曽有の1年!


 突っ走る前に、一言だけ言わせて欲しい。小山氏のご冥福をお祈り致します。

 よぉーし、ここ2~3年の洋楽CD業界では、過去の名盤の「発売云十周年記念エディション」ものが流行っておる。 いつもThe-Kingでお買い物をした後に、残金を計算してからどれにしよーかと悩んでしまう。 正直なところ「ボッタクリだ!」ってわめきたくなるような高価なブツもあるが、「当時はあまり聞こえなかったあの音がクリアに!」 とか「検疫上削除されたあのフレーズが登場!」なんて紹介されると、どうしても聞かざるをえんわな。 ロックがその歴史をきちんと振り返られて然るべき時代に入っておることを、否がおうにも実感させられるもんじゃ。 The-Kingで最新型ロック王道ファッションを楽しみながら、その一方で遙か遠い頃のロックサウンドを味わい直す。 オールド・ロック・ファンとしての正しい姿だと思うとる!

 更にはボケない内にロックに関して振り返るべき事を振り返り、言うべき事を言っておかんとな! ってことでまずは45年前のロックシーンの回想、というよりも、実体を記しておくぞ。
 45年前のロック・シーン全体の動きを総括する書き方もあるが、それはわしも含めてほとんどの日本人は後付けで知った事が大半であり、 日本でゲットできた情報は、当時はレコード盤のみ。 だからレコード、それもアルバムを出来るだけ多く紹介することで1969年のロックシーンを浮き彫りにしてみたい。
 本当はもっとキリの良い「50年前」といきたいところじゃが、1964年はまだまだシングル盤全盛時代であり、 ロック・アーティストの数も少ない。 1964年にスポットを当てることは、特定のアーティスト中心の紹介になるんで、 時代性が見えにくい。 まずはロック・アーティスト、ロック・アルバムの数が飛躍的に増大した45年前とさせて頂くぞ。


●発表されたニュー・アルバムの種類は前年の5倍
 まず1969年は、ロックのアルバム発売数が一気に増大した年じゃ。 ロック・ミュージックがシングル盤時代からアルバム時代へと完全に移行したのじゃよ。 ヒット・シングルを連発すること以上に、1枚の優れたアルバムを制作することがロッカーの絶対的な条件になったのじゃ。
 その原因ってのは、ビートルズが2年前に発表したメジャー・ロック・アルバム初のコンセプト・アルバム「サージェント・ペパー」の影響力があまりにもデカかったことじゃ。 初めてエルヴィスをTVで見たジョン・レノンは「その瞬間、それまでの事は無かったも同然になった」という名言を残しておるが、「サージェント・ペパー」の出現は多くのロッカーにとって「シングル盤の歴史なんて、なかったも同然」にしてしまったのじゃ。

●1年に新作2枚も当たり前
 今では信じられないが、このアルバム偏向主義時代において、年に2枚のアルバムを作るのがメジャー・ロッカーたるものの使命のような風潮も出来上がっておった。 その他にコンサートもこなしていたんだから、当時のロッカーは本当に働き者じゃった。 この時代に活躍したロッカーたちの未発表音源とか別テイクが、後年になって驚くほどザクザクと発見されるのは、ひとえに彼らが働き者だったからなのじゃよ。 というか、当時のレコード会社やマネージメント側はみんな「ブラック企業」じゃあ~!

●デビューアルバム(もしくはセカンド)にして最高傑作が続出
 更に1969年に発表されたロックのアルバムの特徴は、そのバンドのデビュー・アルバムやセカンドが「最高傑作」と呼ばれるにふさわしいクオリティーを誇る作品が実に多かったことじゃ。 若くして、音楽性の頂点に達してしまうという信じられない事実が続出したのじゃ。 例を挙げると、レッド・ツェッペリン、キング・クリムゾン、ザ・バンド、フリー、グランド・ファンク・レイルロード、フリートウッド・マック、ジョー・コッカー、ムーディー・ブルースたちじゃ。
 1956年のエルヴィスの登場以来、ロックという文化の最大の特徴は、その驚くべき成長、成熟のスピードの速さにあるが、ロック文化の細部を見ても、アルバム・クオリティ、バンドの実力という点でもやはりロックは脅威の成長を見せつけたのである。

 では、前置きはこれぐらにして、わしが名盤と評価しておる(ただの愛聴盤!?)1969年発表のアルバムを、出来るだけ多く、端的に紹介しよう。


“歌が“歌えなければ”何も始まらない コンセプト・アルバムの決定版
エルヴィス・イン・メンフィス/エルヴィス・プレスリー ■ トミー/ザ・フー ■
何はともあれ、「ロック1969」と言えばコレじゃ!
  アイディアてんこ盛りのニューロック旋風が吹き荒れる中でキングがブチかました余裕の1枚は、南部スワンプサウンドへのディープな回帰。 もうエルヴィスの歌唱力はただ事ではないぞ。 歌が上手過ぎて、ブルース、カントリー、ゴスペル、ロックンロール、何を歌おうがオリジナルにしてしまうキングも、このアルバムではルーツ・サウンドへ深い敬意を表してオリジナルな歌い方をしておらん。でも、だからこそスゴイ! 「キング様、あなたは一体何歳であられるのですか?」って畏怖の念にかられるようなクオリティじゃ。 ロックな子供たちが様々な楽器で無邪気で遊んでおるのを、天の声一発!で一蹴してしまうような貫録の違いを見せた逸品じゃ。
 「見えない聞こえない話せない」の三重苦の少年トミーが、ピンボールの魔術師としてヒーローになる物語をロックン・ロールで演奏したロック・オペラ。 「サージェント・ペパー」が音楽会の再現というコンセプトなら、こちらはいわば小説の音楽による再現!
 オーケストラや多彩なゲストありの華麗な装飾を想像してしまうが、驚くなかれ、ほとんどバンドメンバー4人だけの演奏でこの長尺な物語を演奏し尽くしている! それだけ脚本(物語)の質も、物語を楽譜に変換する才能も、楽譜を音に再現するセンスも卓越しているからこそ成し得た芸当じゃ! ザ・フー、スゴイバンドじゃ。
ルースとロックの“スピード”が融和 横綱相撲!ビートルズの底力
レット・イット・ブリード /ローリング・ストーンズ  アビイ・ロード/ビートルズ 
 バンドのドラッグ問題、ブライアン・ジョーンズの死、コンサート中の殺人事件等、この時代特有の暗がりを目一杯体現しながらも、それすらパワーに変えて突き進んでいったストーンズ。 彼ら固有の悪魔的なキャリアとそこから滲み出た“負のゆとり”が作り上げたというべき、ストーンズ流ブルース&カントリー・アルバムの傑作じゃ。
 形式としてのブルースの料理に大勢が夢中になっていた当時のロック・シーンの中で、ストーンズだけがブルースが血肉と化していることを証明しておる!
 ビートルズ“四重奏”のファイナル! 誰もが認める名曲、佳曲の数々と、それらの完璧な配列。 “最後”を慈しむかのような4人の最高の演奏とコーラス。 随所に散りばめられた独創的な遊び心。 ジョージ・マーティンの壮麗なプロデュース。
 既に解散へのカウントダウンが加速していたというのに、このハイ・テンションのコラボと異様な完成度は何だ! 非の打ちどころの“なさ過ぎる”ロックアルバムの芸術品じゃ。 アナログ盤B面はポール色が強過ぎるって? でもA面ラストはブルース・ロック・ブームをあざ笑うようなジョンのロッカー魂がさく裂した大曲じゃぞ!
 確か日本盤LPレコードの赤い“帯”に記されたコピーは「何人も到達出来ぬビートルズ・ミュージックの錬金術」。 その通り! わしもそれ以上の讃辞は思い浮かばん!
70年代のロック・キングの咆哮 ツェッペリンにアイディアを盗まれた!
レッド・ツェッペリン I & II  ベックオラ /ジェフ・ベック・グループ 
 デビュー2枚の作品で彼らは大音量のブルース・ロックの永遠のフォーマットを作ってしまった! 大音響システム(PA)の登場と、併せて巨大化していったライブ環境を見据えた戦略じゃろう。
 ギターリフを極限まで強調する強力なリズムセクションを擁して、ブルースを完全に白人音楽化させたジミー・ペイジの手腕は「スゲエ」の一言。 もっとスゲエのは、ライブのボルテージをスタジオ・アルバムに封じ込めたプロデューサーか。 あっ!プロデューサーはジミー本人じゃった!!
 実はツェッペリンが額面通りにハードロックをやったのはこの2枚だけ。 でも2枚だけで十分過ぎる内容じゃ。
 エルヴィスが創造した歌主体のロックン・ロールは、ツェッペリンの登場によって、一旦演奏主体に様代わりしたと言ってもいいじゃろう。
 ツェッペリンを褒めた後に何じゃが、サブタイトル(↑)の言葉を吐いてツェッペリンの成功を妬んだのが、ヤードバーズ時代のジミー・ペイジの先輩ジェフ・ベック。 このアルバムの前に発表した作品「トゥルース」(1968年)を聞くと確かに、へヴィ・ブルースロック路線はジェフ・ベック・グループの方が先に発表しとるから、ジェフに同情したくもなるが。
 ロッド・スチュワート、ロン・ウッドと、ジェフをサポートするメンバーの力量もツェッペリンとタメ。 特にロン・ウッドのシャープで切れのいいベースはグッド。 後のストーンズでもこっそりベースをやっとるが、彼はベーシストとしても超一流じゃ。 
 実際にはこのJBGとツェッペリンとどっちがスゴイかったのか!って比較すると、完成度では後発のツェッペリンに軍配じゃ。 じゃが、もはやそんな事よりも、どっちが好きかでええじゃろう。

プログレの伝説的“怪盤”  ロック・クイーンの歌心
■ クリムゾン・キングの宮殿/キング・クリムゾン   コズミック・ブルースを唄う/ジャニス・ジョプリン 
 「ロック史上最高のデビュー・アルバム」と言われる、プログレッシブ・ロックの不滅の名作。
 まるで西洋音楽の長~い歴史がロックという名の元に集結したかのような恐るべき多彩で深遠な楽曲郡は、45年経った現在に聞き直しても、ただただ唖然。
 まるで聴く者を獲物にとらえて、徐々に距離を縮めながら一気に飛びかかってくる野獣のような、美しい笑みを湛えた美女が突然その虚飾の仮面を脱ぎ捨てて悪魔の実体を晒すような、通常のロックとは異質のドラマ性と精神性が炸裂する演奏は恐ろしいばかり。 エルヴィス、ビートルズ、もしくはストーンズと、正統的な流れを経てきたロックが、このアルバムの登場とともに、突如とんでもない世界にブッ飛んだ!
  「絶叫型、シャウト型ヴォーカリスト」は、バックの演奏と戦っておる!って言われることが多いが、その勇ましき先駆者は実は女性! このジャニスじゃ。 反面、その十八番が彼女の本当の歌唱力、歌心の障害になっていたのも事実。 シンガー、ジャニス・ジョプリンの真実を聞きたい、知りたい人に向けて製作されたような静かなる衝撃の1枚じゃ。
 シナトラとも違う。 エルヴィスとも違う。 数多のブルースシンガーとも違う。 いや、先人のエッセンスを全部吸い込んだ果てに、神様から唯一無比の歌唱法を与えられたのじゃろう。 
9 ジャンルを突き抜け続ける孤高 10 オラは死んじまっただあ~!?
■ ニューヨーク・テンダベリー/ローラ・ニーロ   ザ・バンド/ザ・バンド(セカンド) 
 「ゴスペル、ソウル、ドゥワップ、R&B、更にロック。 目の前にある音楽の領域を次々と飛び越え続けることがローラ・ニーロというシンガーの真骨頂。 誰も彼女に付いて行けない。 誰も彼女をサポート出来ない。 それでも狂おしい私小説というテーマを曲げずに、音楽の果てまで行こうとするのじゃ!
 だから売れない。 だからマイナー。 でもわしは大好き。 女性シンガーで唯一私的感情で惚れそうになった女じゃった。 一昨年、死後10年を越えてロック殿堂入りのニュースには泣いたわな。 熱過ぎるヴォーカルと、その裏側の冷た過ぎる絶望感との二重奏に狂いそうになるぞ。
 ジャケ写はまるで解散前の中年バンドじゃな。 っつうか農夫さんの寄り合い写真みたいじゃ!? でも20歳代中盤のグループのセカンド・アルバムなのじゃよ。
 つまり、そういうことじゃ。 ボブ・ディランのバッグバンドとしてハードワーク、ハードスケジュールをこなし続けた果てにデビューしたザ・バンドは、一度過労死した段階から蘇生されたんじゃ。
 しかしマーケットってのは分からない。 エネルギッシュ過ぎた1969年のロックシーンに、悟りの境地で演奏する彼らは絶賛されたのじゃった。 いわゆる名曲ってのはない。 でもじっくりと時間をかけて熟成させればさせるほど、味わいがじわりと増してくるビンテージ・バーボンの様な、そんなカントリー、フォーク、ブルースがいい。
11 楽しくなければ実験じゃない! 12 たかがブルース。されどブルース!
■ 創世記/ジェネシス   フリー /フリー(セカンド) 
 ここで意外な(?)1枚を。 こいつを名盤とした過去例に出くわしたことはないが、そぉ~と紹介しておこう。
 ジェネシスは後にプログレの名バンド、そのまた後はハイレベルのポップ・バンドになったが、そのスタートはあまりにも知られていない。
 このデビューアルバムは、当時耳障りの良かったポップス、フォーク、カントリーに、自分たちの好きな、歌いやすいような歌詞をつけた「替え歌」の様な趣きがある。 アレンジも「こういう風にやってみないか」的な、ロック小僧たちの楽しい、楽しい実験作品なのじゃ。
 「天下とったる!」「世間を驚かせたる!」つった気合なんざは微塵もなく、感性にひっかかった音楽で遊びまくる純粋な実験精神が、ジェネシスに大きな未来を与えたのじゃ!
 ツェッペリン、JBGとほぼ同時にデビューしたフリー。 平均年齢がもっとも若く、キャリアも浅いものの、ブルースがもっとも上手かったのは、恐らくフリーじゃろう!と思わせる出来じゃ。 
 しかしだからもっとも売れなかったんじゃろうな。 ツェッペリンやJBGは、ブルースの先を見据えたプレイじゃったがが、フリーはドップリ浸ってしまっておる。もっともそこがわしは好きなんじゃけどな!
 しかしまあ、これが若干20歳そこそこのブルースサウンドか。 なんたる枯れ具合! それでいて、必殺のフレーズを一発でキメるタイミングは外さない。 白人ブルースバンドとして、驚くべき早熟ぶりじゃよ。

 以上12枚のアルバムから45年前のロック・シーンの一部が分かっていただければ幸いじゃ。 まだまだ紹介したいアルバムはあるが、とりあえず今回は1969年の第一回目っつうことでご了承下され。 
 ロックの歴史い詳しい方なら、既に感じておるじゃろうが、「何か、この年の大事なことを書き忘れていないか?」とな。 そう、この年は「愛と平和と音楽の三日間~ウッドストックフェスティヴァル」が開催されたんじゃ! こいつの大盛況、大反響によって、以降ロックコンサートは巨大化、お祭り化の一途を辿ることになった。 でも「お祭り騒ぎ」ってのは当時のロックファンが主体となったシーンの現象であり、ロッカー主体の現象で見れば、やはり充実したアルバムの続出がもっとも大きなニュースだったのじゃ。 
 「ライブが先か、スタジオ・アルバムが先か」 ロッカーとしての姿勢においては大いに悩むところじゃが、少なくとも1969年のロッカーの多くは、その両方で充実していた素晴らしい年じゃったことを、どうかお忘れなく!

 ロックの本場の評論家たちは、この1969年が「ロックがロックらしかった最後の年」と論じる傾向が実に多い。 「ウッドストック」、そして傑作アルバムの数々があったんだから、それも無理からぬ結論か。
 45年も前を「最後だ」なんて言われるとドッチラケてしまうけど、ロック・ファッションにおいては、The-Kingとわしと諸君で、これから最高のブームを作ろうな! この45年間で様々なロック・ファッションが生まれてきたが、「やはりロック・ファッションは50sスタイルだ!」って歴史に刻まれるようなブームを我々で創造したいもんじゃ。 インフルもノロも吹き飛ばす、ロックな2014年にしよう!



七鉄の酔眼雑記  ~音楽評論家は一体何をやっとったんじゃ!
 
 「昔の名盤」という、ある意味でもっとも筆が進むテーマをやらせて頂いたが、出来るだけ「評論家」ぶらないラフな感じでアルバムの核心が諸君に伝わることを念じて書いたつもり。
 というのも、わしは今、心の底から「音楽評論家は一体何をやっとったんじゃ!」って怒っておるからじゃよ。 もちろんロックに対してではなくて、現在世間で大騒ぎになっとる「全ろう音楽家S氏詐欺師事件」に対してじゃ。
 
 別にゴーストライターがいようが、実は耳が聞こえていようが、そんな事はどーでもええ。 ましてや著作権法違反や詐欺罪になるのかとか、損害賠償額はどのくらいになるのかとか、まったく興味ないわな。 わしがもっとも言いたいのは、「何故、音楽の専門家、評論家が詐欺芝居を見抜けなかったのか!」ってことじゃ。
 わしは全ろう(と言われておった)音楽家の作品を聞いたことはないが、あのお顔は「何だか、オウムの麻原彰晃みたいで胡散臭いのお~」と思うとったってのは半分本当じゃが、今回の事件の発覚直後に彼に対する某評論家の素直な意見を読んだ。
「彼の音楽はクラシックというより、ムード音楽に近い」
「過去の巨匠のスコアが唐突に出て来たりして、とても不自然な構成」
「クラシック作曲家というよりも、クラシックに憧れている作曲家が作った音楽」
 これらの感想は、クラシック音楽と大衆音楽の境界線、クラシック音楽だけに宿っている精神性、またクラシック音楽家の特異性を知り抜いている者でしか絶対に言い得ないじゃろう。ネットにアップされた日付は事件発覚の前じゃったから、既に今回の詐欺芝居を薄々見抜いておったってことじゃろう。
 このような賢者の見識があったにもかかわらず、マスコミは詐欺師音楽家を「現代のベートーベン」とまでもてはやして、現在マスコミもまた大恥をかいとる。 じゃが、現在第一線で活躍する日本のクラシック音楽評論家のほとんども、自分も恥をかいたってことを忘れんでほしいもんじゃ。 早くもこの点を欧州のジャーナリストは指摘してきておるぞ!はっきり言って、日本の音楽業界全体のレベルの低さを世界にさらしたようなもんじゃ。

 音楽を聞いて人様にご紹介するならば「命をかけて聴け!」 わしも紹介屋の端くれとして、肝に銘じておかんと。 でもわしは余命そんなにないから、丸ごとはかけられそうもない(情けないけど)。 せめて出来るだけ時間はかけることにしま~す!


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