NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.184

 ポール・マッカートニーの日本公演が大好評だったようじゃ。 わしと同世代の知人は「もういつ死んでもいいよ」って夢心地で語っておったよ。 冷静沈着、聡明で名高い某ロック評論家も「涙が出そうになった!」と我を忘れて絶賛しておったな。 The-Kingブランドの女神、我らがマリリン嬢も「感動しました!」と書いておったし、諸君の中でも楽しんだ方が大勢おるとお見受け致す。 ポール・ライブの感動がクールダウンしたであろう今、今度は本道に戻ってくれ! The-Kingの新作が発表されとるのをお忘れなく!
 そしてポールの次は、来年2月にローリング・ストーンズの来日公演が決まった!とマスコミが一斉に報じたもんで、またまた大騒ぎじゃ。 ロック界の二大大御所が、老骨に鞭打ってわざわざ日本でイベントをして下さることは、日本のいちロック・ファンとしては感謝してもし切れないぐらいじゃ。 本当にありがとうございます!

 さてここからは、21世紀のポールやストーンズのコンサートについて、極めて私的な感想文を書かせて頂くので、年末のご愛嬌!としてどうかお許し願いたい。

 本来ならば、ポールもストーンズも堪能して、
「もう酒がウマ過ぎて飲み過ぎちゃって警備員からつまみ出されそうになった!」
とか
「涙が出過ぎで酒まで一緒に抜けてしまい、ついでに感動で腰まで抜けたわい!!」
とかの「グレイト・ロックンロールショー酔いどれ体験記」といくべきなんじゃろう。
 しかし前回の「七鉄番外編」でも書かせて頂いたが、ポールのコンサートにわしは行かなかった。 そして来年のストーンズのコンサートにも行かないと思う。 「チケット代が高い」とか「会場がデカ過ぎて音が悪い」とか、そういうチンケな理由ではない。 もっと切実な問題があり、実は立ちっぱなしのコンサートはもう年齢的にキツイし、腰痛持ちの身にはコタエルんじゃよって、バカモノ! ま、まあ腰痛持ちってのは事実じゃけど、どうしてもポールやストーンズのコンサートへ行く気にならんのじゃ、今は。 そんなヨモヤマバナシをかる~くかますんで、「ロックオヤジのひとり言」としてどうかお付き合いの程ヨロシューな。



拝啓 ポール・マッカートニー様、ローリング・ストーンズ様
21世紀も日本公演ありがとうございます!
でも七鉄は馳せ参じませんので、ご了承下さいませ!?


名曲オンパレードって、いかがなものか?

 超大物ロッカーが来日が決まると、有難いことに今でもかつて業界にいた時の仕事仲間から「チケット要る?」って連絡が入る。 でも近年では07年のザ・フー以外は全部お断りしておる。 今回のポールもまた然り。 ストーンズも同じ事になるじゃろう。
 お断りする度に必ず「いいのかい? これが最後になるかもしれないよ」って忠告も頂くが、それでもやっぱり「要らない」となる。 お声をかけて頂いておる身分としては不謹慎じゃが、「『これが最後かも』って、そんな葬式代稼ぎ、遺族年金募金みたいなロックコンサートなんて行かねえよ」って少し腹が立つもんじゃ。
 いやいや、ちょっと待てよ。 「これが最後」ってのは、実は老い先短いわしの方を案じてんのかバカモノ!

 ジョーダンはさておき、実はわしは既に腹を立てておったのじゃ。 来日公演が正式に発表される前後に、コンサートの大凡(おおよそ)の「セットリスト(演奏曲目)」が分かる時代になったが、その内訳が納得がいかないというか、どうしても気に入らないのじゃよ。 
 名曲、ヒット曲のオンパレードであり、良く言えば「サービス・テンコ盛り!」。 悪く言えば「懐メロ大会」。 どデカイ会場を埋め尽くす大観衆を満足させる「最大公約数」としてのセットリストであることは分かるわい。 しかし決して安くはないゼニを、身銭切ってから聞くリストとしては、世間的には認められてはいても、わし個人としては認めることがど~してもできんからじゃ。

 多分、いや間違いなく、実際にコンサートを観たらわしも涙を流して感動するじゃろう。 友人同様に「もういつ死んでもいい!」って絶叫するに違いない。 それは自分の過去を極限まで美化された無上の喜びであり、生き延びるだけで精一杯の現実に押し潰されそうなオッサンにとっては、「生まれてきて良かった!」って思える奇跡的な至福の時間になるじゃろう。
 じゃがな、その類の感激を頂くにはまだまだ早いというか、わしらはストーンズやポールからもっともっと“大いなる感動”を頂いてきたのではなかったか? そして「懐メロ大会」に涙するって、それは果たしてロックンロール・コンサートの真の意義なのか? ロックン・ロールって、そんな音楽だったか? いい歳をして、「自分を美化されたい」「生まれてきて良かったって思いたい」ならば、もっと別の音楽があるんじゃないか?


“年老いた少年は孤独なんだ” “いつか、きっと”

  ローリング・ストーンズの名曲に「イッツ・オンリー・ロックンロール」ってのがある。 来年の日本公演のセットリストにも入ることは疑う余地もない。 「たかがロックンロールさ。 でも俺はそいつが大好きなのさ!」ってフレーズは、大挙してコンサート会場に押し寄せるファンが待ち望んでいる必殺の一撃じゃ。
 でもわしにはその前に歌われるフレーズの方が重要なんじゃ。 少々意訳じゃが、大意はこんな感じじゃよ。
 「俺がステージでペンを胸に突き刺して血を流したら、アンタはそれで満足するのかい? それならそれで結構だ。 でも年老いた少年は孤独なんだよ」
 皺くちゃながらも今でも相手を射抜く様な面構えのミック・ジャガーやキース・リチャーズを見れば、年老いた孤独な少年が今もなお健在である事を実感するもんじゃよ。 だからこそ、21世紀のストーンズと往年のファンは繋がっておるんじゃろう!

 ポール・マッカートニーには、「アイ・ウィル」というビートルズ時代の隠れた美曲がある。 「アイ・ウィル/I WILL」とは「その内にな」とか「いつか、きっと」って意味じゃ。
 この曲の美しさは、「恐らく永遠に果たせないであろう幻の約束」を歌った、どうしようもない悲しみにある。 ポールは美しいメロディに隠されたこの曲の特異性を強調したかったのか、ベース・パートをベースギターではなくて、口(くち)によるマウス・ベースで“演奏”しておる。 “果たせない約束”があるからこそ、彼は今でも歌い続けることが出来るのではないか?

 “年老いた少年は孤独なんだ”“いつか、きっと”ってのは、ロッカーとファンとの間の永遠に埋める事の出来ない距離の長さを歌っておる。 こうした、通常は歌う必要もない心理まで名曲に仕立て上げられる才能と、また「君たちの聞きたいのは、こんな曲なんじゃないか?」って、お伺いを立てる必要のない特権的な位置から我々を熱狂させてきたのが、ポールであり、ストーンズだったはずじゃ。 それがロックンロール・キングだけに許される素晴らしき傲慢さであり、それを容認出来る事が真のロックファンだけが味わえる快感でもあるのじゃ。
 更にわしらは、愛するロッカーに突き放されてもなお食らいついていく“しんどさ”の果てにある、己の美学に拘り続ける素晴らしさを教えてもらってきたはずじゃ。 それなのになんでこの期に及んで、クリスマスのディナーショーじゃあるまいし、ミーちゃんハーちゃんを巻き込むナツメロ大会を聴かされなければならんのじゃ!
 ロックンロールってのは、もっと孤高で気高く、永遠の闇夜を照らしてくれる唯一のサイリウムであって欲しいのじゃよ、わしは。 サイリウムってもんが21世紀のロックンロール・コンサートに必要なのであれば、大勢のファンではなくて、ポールやストーンズが我々に向けて振るべきものじゃ!


ロックン・ロール・スターたちよ、もっと雄々しく、もっと自分勝手にやってくれ!

 つまりだ。あまりにもその他大勢の大観衆のためのコンサートであり過ぎるから、あんなセットリストになってしまったのじゃ。 誤解を招かんためにも言うておくが、わしらの様な頑固なフリークの為のマニアックなリストにせよ!とはぜ~んぜん思っとらんぞ! ファンの為なんかじゃなくて、ポール、ストーンズがそれぞれ自分自身の為、彼らの未来へと繋がるためのコンサートをやってほしいのじゃ。
 そうやって、かつての様にわしらの心を鷲づかみにして強引に先導するようなコンサートにしてほしいのじゃ。 歳はとっても憧れの存在なる者には、そうあってほしいと願うばかりなのじゃ!

 じゃあ実際にどんなソングリストなら満足できるじゃろう。 最近ではあんまり流行らない形式のようじゃが、かつてエリック・クラプトンやデヴィッド・ボウイ等が試みた事があったと記憶しとるが、二部構成にして、一部で「ヒット曲パレード」をやって、二部は「新曲中心」でやって頂きたい。 そうやって「過去」と「未来」をはっきりと区別した、いわば二枚腰!いや二段ロケット形式!!でやって頂きたいものじゃ~。
 「懐メロ」に涙を流しながらの大合唱は一部で終了! 二部からは力強く未来へ踏み出す姿勢を存分に見せて頂き、過去の美しさに固執する甘ったれたファンを突き放し、新境地へと先導してみせてほしい。 そいつをやってみせてこそ、ファンは本当の明日を生きる力を授かるってもんじゃ! 「彼らはまだまだ真の現役じゃ! こりゃ、わしらもまだまだ老けこむわけにはいかねーぞ!」ってコンサートじゃな!

  ってことを旧友と2人で飲んだ席でブチかましたら、アッサリと切り返しをくらったわい。 「オメーのアタマん中は、いつまで“エルヴィス・ショック”“ビートルズ・センセーション”“ドアーズ・レボリューション”のまんまなんだよ。 ホントにどーしよーもなく頑固だな! ポールもストーンズも、今や超一流のエンターテイナーなんだよ。 だからこそ今でもコンサートが出来るんじゃないか。 みんなで大合唱して、自分の感動をボリュームアップして、素直に涙を流して帰ってくりゃいいじゃないか!」とな。 
 それが出来れば苦労はせんわ! どーしよーもなく頑固で悪かったな! でも“どーしよーもない”からThe-Kingのボスから原稿を依頼されとる気もするぞ! どーだ、参ったか!(笑) まあボスの場合はわしの更に上をいく頑固者っちゅう噂も高いし(笑)、だからこそ途切れることなくハイクオリティな新作を発表し続けることが出来るんじゃろう! わしの頑固なんて、まだまだかもしれんよ。 更なる「ロックンロールの頑固者」を目指して、The-Kingの将来に貢献していく所存じゃ~。 諸君も、頑固にThe-Kingを愛し続けてくれたまえ! 




七鉄の酔眼雑記 ~上司の「喝!」のお蔭で体験できた!?90年ストーンズ初来日公演
 
 ローリング・ストーンズとポール・マッカートニーの初来日は同じ1990年じゃったな。 もう22年も前の出来事か・・・。 時はバブル景気の末期であり、当時The-Kingのボスとわしは同じ会社の傘下の部署で働いておった。 そう、ボスが第2代「ラブテン」の店長さんだった頃じゃよ。 わしは別の店舗管理と出版業務を兼任しており、ただでさえ寝る暇がないほど忙しかったのに、ストーンズ&ポール来日のビッグニュースの為に「これ以上どうやって働けっつうんじゃ!」ってぐらいの壮絶なハードワークを強いられていたわな。
 正直なところ、あまりの忙しさに「ストーンズもポールも、どうして続けざまに来日するんじゃ。 わしを殺す気か! この大バカ野郎!」ってな気分じゃった。 とてもとても両雄の初来日を歓迎し、また熱狂するゆとりなんざ微塵もなかったもんじゃ。 それでも、ストーンズもポールも2回づつ観に行ったんじゃから、「よくそんな時間があったな~」って当時を懐かしんでいたある日、完全に忘れていた思い出が蘇ってきた。

 ストーンズ来日間近のある日、わしら業界人(当時)でも入手困難じゃったストーンズのチケットが「ゲットできた!」っつう朗報が直属の上司から入った。 それも2回分じゃ! こりゃもう「ありがとう~ございます~」ってひれ伏したっておかしくない。 ところが殺人的激務の毎日で青色吐息の過労死寸前じゃったわしは事もあろうに、

「申し訳ないですけど、忙しくてコンサートどころじゃないんです。 お得意様にでも譲ってあげて下さい」

って言ってしまったのじゃ。 ストーンズだろうが、ポールだろうが、いやいや、エルヴィスだろうがビートルズだろうが、あの時のわしは同じ返答をしたに違いない。 それほど激務でアタマがイカレテおったのじゃ。 1990年ローリング・ストーンズ初来日狂騒劇!の真っただ中で、労せずしてチケットを入手できたというのに、それをソッコーで断ってしまうタワケモノもそうはおらんかったじゃろうなあ(笑) 
 当然、その上司は激怒した! そりゃそうじゃ。 「プラチナ・ゴールド・チケットが入手できたのに、その態度はなんだ!」ってなるわな。 ところが上司の怒りの原因はそうではなかったんじゃよ。

「何言ってんだよ! ロックの原稿を書いたり編集したりグッズを販売しているヤツが、なんでストーンズのコンサートに行かないんだ! おかしいだろう!!」

 一瞬、言われた事がよく分かんなくてな。 ポカ~ンとしていたところ、「コンサートに行ってる時間の分だけ、入稿(印刷データの受渡し)が遅れるって印刷屋に言っとくから行ってこい! 俺が責任持つから心配するな」とまで言われてな。 完全に上司命令で強制的にストーンズのコンサートに“行かされた”んじゃよ(笑)
 今思い返しても随分と乱暴な論理じゃ! でも実にロック的などストレートな論理じゃし(笑)、ロックライターとしての基本姿勢、そしてその上司の親心を教えられたもんじゃ。 つくづく「いい上司じゃったな~」って思えるな!
 もちろん、コンサートそのものも、ヴィンテージ・ロッカーのコンサートとしては申し分なかった。新作「スティール・ホイールス」のナンバーを強調しながら時々懐メロを挟む。 今回の本編で書いた「二部構成」とまではいかなかったが、ストーンズのその後の更なる可能性を享受できた質実剛健たる名ライブじゃった。 その後のポール・マッカートニーの公演も同様じゃった。
 
 あの時の上司の「喝!」がなかったら、あの希少なライブ体験も無かったと思うと、この場を借りてお礼を言いたい気分じゃな。 そして諸君にも! 以上、ご静聴ありがとうございました~



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