NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN VOL.183

 「プルオーバー・シャツ第二弾」にコーフン気味のわしじゃ! 今回のは色彩が抑制気味で実にクール! オールド・ロックンロール・ボーイのわしにもバッチリとフィットすること間違いない! 「ロックンロール・ダンディ・ロード」を突っ走るこの身にムチが入ったわい! ではでは、ジョージ・ブランメル(2回)、オルセー卿、オスカー・ワイルド、イアン・フレミング、それに番外編として「ロックンロール・ダンディ候補」(2回)と続けてきた、シリーズ「ダンディと呼ばれし男」も、華々しく再開するとしよう。

 今までご紹介したロックンロール・ダンディ以外の4人は全員が19世紀を生きた人間じゃ。 「ダンディ」という言葉と概念はまさに19世紀に生まれたのじゃ。 そしてその19世紀のダンディ騎士の中に、もう一人加えておきたい人物がおる。 知名度から言って、その人物は先の4人には及ばんかもしれんが、必殺の格言を世に残したことで歴史的にも名高い人物じゃ。その言葉とは

「ペンは剣よりも強し/The pen is mightier than the sword. 」

 この名言を残した人物の名はエドワード・ブルワー・リットン。 このお方はイギリスの伯爵であり、小説家/劇作家としての顔をもつ政治家じゃ。 諸君も高校生の時に世界史の授業で習ったと思われる「リットン調査団」のリットン隊長の祖父にあたるのじゃ。 生前は己の作品の中でダンディの始祖ブランメルを皮肉ることが許されるほどのダンディだったと言われておる。

 実際にリットンの名を有名にしたのは、ダンディなファッション以上に、彼が『ぺラム』という小説の中に記述しておった「服装の心得22カ条」ともいうべきダンディ・マニュアルなのじゃ。
 ブランメル、オルセー卿の様な社交界の伊達男の出現によって「ダンディ」という概念が注目され、じゃあどうやったら「ダンディになれるか」ってのをリットンは庶民に紹介した人物なのじゃ。
 リットンを紹介した文献やブログの大半は、この「服装の心得22カ条」の紹介、解釈、意訳を中心に展開されておるので、わしもそれに倣って、リットン本人よりも、このダンディ・マニュアルってやつを紹介してみたいと思う。
 

ダンディと呼ばれし男:第7回 エドワード・ブルワー・リットン卿

ブラック・フォーマルを確立させた男。
そして著書「ぺラム/服装の心得22カ条」の七鉄流講釈



 
「バットマン」のお屋敷の持ち主

 
まずは、リットン卿の親しみやすいエピソードをひとつ。 映画「バットマン」において、マイケル・キートン扮するバットマンが根城にしておる荘厳な石造建築の邸宅が登場するが、元々の持ち主がリットン卿だったのじゃ。 あのお屋敷の中で、リットン卿はお洒落を研究し、数々の小説を執筆し、ダンディ・マニュアル「服装の心得22ヶ条」も考案されたに違いない。


つらくてかなわん! ダンディの基本的心構え

              

 では本題に行くが、まずは「22ヶ条」のラストから紹介してみよう。

第22条 「くだらないことをくだらないとしか判断しない人間はくだらない人間だ。

     そこから何らかの結論を引出したり、あるいは長所を見出したりできる人間は哲学的だ」

 ヤカマシーぞ! くだらん事をくだらんと言って何が悪い!!っていきなりイチャモン付けたいところじゃが、ここは我慢。 う〜ん、物事を表向きだけでとらえてはいかんっちゅうことかのお。 ダンディとは常に冷静沈着であることから始まるって解釈しておこう。
 
 では、冷静さについてもうひとつ。

第4条 「身づくろいにかけた情熱は、忘れるべきだ。  心理的平静は成功の秘訣だ。 失敗は激しい感情から生まれると言うが、これは名言だ」

 テメー喧嘩売っとんのか! 身づくろいの情熱があるからThe-Kingブランドでお買い物してんじゃねーか! ってどうもすんなりと同意でけんなあ〜。 これは、衝動買いは止めようとか、“着倒れ”は避けようとか、そんな感じで解釈した方がよろしかろう。

では次に、その人が持って生まれた容姿に関して。

第10条 「ハンサムであることはそれだけで人を引き付けるが、ハンサムでなければ非の打ちどころがないようにすれば問題ない。 我々は偉大な人物を前にしたときは、その人のすごいところを探すが、普通の人を前にしたときには、その人の落ち度しか気にしない」
 

 わしはハンサムじゃないが、酒とたばこのやり過ぎ以外に落ち度はないからカンケーネーなこれは! じゃなくて、落ち度のないようにせにゃいかんって、苦痛じゃなあ。 人間関係において、重箱の隅をつつく様な苦言や小言をくらうってことは、自分はフツーの人間だと思われているから、フツーじゃないように努力せよってことじゃろうな。 あーめんどくせー。 たった3つだけで「ダンディ志向」が挫折しそうじゃ。



やってはならん! ファッションの三大禁止条項!?


では、ファッションに関する記述に移ろう。 最初の三ヶ条はやはり含蓄があるぞ! 人それぞれ解釈の仕方があるじゃろうが、やはり極度のナルシズム、目立ちたがり、凝り性はファッションセンスの向上には障害になるという風な内容じゃ。

第1条 「服があまりにキマリ過ぎて、着る者を飾るようではいけない。 
     自然は写生するものであって、そこから美を引き出そうとすべきものではない」


 後半の部分がなんかよく分からんが、要するにキメ過ぎてしまうと、ファッション自体の持ち味が死んでしまい、着ておる者のいやらしい魂胆が見えてくるってことじゃろう。

第2条 「服装から一般に通用しているテイストをすっかり奪い取ってはいけない。世間は
    奇抜を大事においては天才的だと判断するけれど、小事においては愚行とみなすものだ」


 これも後半がちと分かりづらい。 某服飾評論家の先生がオモシロイ比喩をしてたんでご紹介しておく。 野球選手のイチローは偉業を成し遂げたから少々乱暴な発言も「さすが天才!」と許されるが、某新進IT企業の社長(多分ホリエモンの事)の公の場のTシャツ姿には誰も賛同しない!ってことと同義だと書かれておった。 つまり容姿を含めた現在の身の程を知る事も、ファッションの原点であるということじゃろう。

第3条 「服装は他者を魅了するものであって、自分を魅了するものではないということを常に覚えておくべきだ」

 自戒を込めて言うが、自分自身のファッションに「じ〜ん」とし過ぎておるとアタマまわらんし、気が付くと周囲から「大馬鹿野郎」扱いされとるもんな! でも自分に「じ〜ん」とすることも、独自のファッションを確立する第一歩ではあると思うが、それは自室での一人ファッション・ショーだけにしておこう。 そいつが終わって一度クールダウンしてから、外出着をコーディネイトせよ!ってことにしておこう。

 う〜ん。 大層な見かけよりも、まず精神を鍛えよ!みたいじゃな。 大服飾モード学院のイシアタマ理事長の訓示ってノリじゃ。 もっと簡単に言えんもんかのお! っつうか、おつむがあんまり良くないわしの様な人種には、訓示というよりも半分「脅し」に思えるわな。 
 そう言えば、アメリカの超有名な音楽大学の理事長だか誰かが、「我々の使命は、才能ある人材を育てるよりも、才能の無い者を無駄な競争から振り落とすことにある」って言っておったが、リットン殿のお言葉もそんな毒が充分に含まれておる気もするが、ええい! テンション下げることなく〆に向かうぞ!!


これぞリットン流ダンディ・ファッションのあり方

第14条 「服装において最高の優雅を生む原則は端正さだ。 最も下品なのは精密さだ」
 
 服装の「端正さ」とは、決してマニュアルには書いてない、その人だけの全体のバランスとかセンスの節度ってことじゃろう。 一方「精密さ」というのは、着こなしの杓子定規な考え方、例えばジャケットの袖口からシャツが何センチ出ていなければいけないとか、パンツの裾の前と後ろは何センチ違わなければいけないとか、そういう理想形は誰にでも当てはまるものではないってことじゃろう。 己自身をよく知って、自分なりの着こなし方を追求せよ、って事なんじゃろう。

第15条 「服装には2つのコードがある。 プライベートとパブリックだ。 注目は他人から集めるものだけれど、清潔さは自分自身が生み出すものだ」

 やはり、ここにきたか!って感じじゃな。 注目を集めるファッションは、誰も見ていない普段着のファッション(の心構え)から始まるってことじゃろう。 それはまず清潔感であり、普段からそうして自分を律することのできる者こそ、いざ外に出た場合に人様に注目されるファッションをまとうことができる! 分かっちゃいるが、やはりここがもっとも難しい部分じゃ。


狙った女性の前ではお洒落はいかん!?

 
ところで、リットン卿の実像じゃが、やはり写真技術がまだ登場しておらん19世紀のお方なので、僅かに残された肖像画から想像するしかない。 残された資料によると、ネッククロスを含めて、全身黒のフォーマル・スタイルでキメまくり、こと黒の着こなしに関してはブランメルを凌駕していたという。 リットン卿は黒というカラーをメンズ・ファッションの中に定着させた歴史的第一人者としてファッション史の中で紹介されておるのじゃ。 リットン卿が黒に拘った理由は色々とあるが、わしがもっとも驚いたのは、これじゃ。(↓)

「男が黒を着るのは、女性の華やかなファッションを引き立てるためである」

この点の深層心理に関しては、先述の「22ヶ条」の第7条において、下記の様に述べておる。

 「女性の愛情を勝ち取るためには、服装を気にしていないように見せるべきだ。 しかし愛情を持続させるためには、服装に配慮が行き届いているように見せるほうがよい。 最初は服装への無頓着が愛の激しさゆえに服まで気が回っていない、というふうに見え、次は服装への配慮が愛する女性への敬意の証と見えるからだ」

 女性に関して、ここまで気を使いながら(芝居をしながら?)のお洒落は疲れるわな〜。第一酒も不味くなりそうじゃ!なんて言っておったら、一生ダンディにはなれんっちゅうことかいな!? 「ダンディ」ってのは調べれば調べるほど、わし自身には不可侵な領域なようじゃ。
 「俺なら出来る!」っつう勇ましい輩は諸君の中におるかいのお? The-Kingブランドっつうダンディへのこれ以上にない強力なファッションがあるから、追及する条件は問題ないんで、あらためて「ロックンロール・ダンディ」への夢を諸君に託すぞ!


七鉄の酔眼雑記 〜コウモリ男・七鉄!
 
 生まれて初めて海外旅行をした時、フランス人女性にグサッ!と胸に突き刺さることを言われた。

「東洋人のボディって、バランスが悪いワ」

 20歳そこそこの生意気盛りの頃であり、更に初めての海外で完全なお調子モノになっておった身には、この言葉はコ・タ・エ・タ。 帰国後に現地で撮った写真を現像してみて、あらためてショック! 花の都パリの街角で思いっきりカッコつけて写っておる己の姿は周囲のフランス人に比べてホント〜にカッコ悪かった・・・。 ホント〜にバランスが悪い事この上ない! 一応背丈だけは177センチあり、スタイルが悪いなんて夢にも思ってなかったんで、ツラカッタな〜。

 わしがファッションというものに本当に目覚めた?のは、この時からかもしれんな。 しかしわしの場合は西洋人コンプレックスが激しくなり過ぎたんで、「どうやったらカッコよくなれるか?」よりも「どうやったらカッコ悪さをカバーできるか?」って路線に進んでしまった! 「ダンディ」なんて概念とはほど遠く、ただただコンプレックスを解消するためだけにファッションを追求したもんじゃ。

 そこでたどり着いたのは、な、な、なんと、じゃくて、「マント」じゃ! 月光仮面やバットマンが背中でひらひらさせとる風呂敷みたいなのじゃなくて、The-Kingの「アメリカン・ロングコート」よりも更に10〜15センチは長くて全身をすっぽりと覆う超ロングサイズの「ブラックマント」じゃ。 19世紀末に活躍したスイス人画家アノルト・ベックリーンのデッサン(だったと思う)に描かれておった名もなき労働者がまとっていたのが「マント」であり、七鉄青年は閃いてしまったんじゃな!

「これなら、カッコ悪いボディを全部隠す事が出来る!」

 いやあ〜探すのに苦労した。 何でも簡単に通販で買える時代じゃないからな。 やっとこさ、原宿で見つけたが、生地が薄くて冬は寒くて仕方が無い。 ジャンパーや通常のコートの上からマントじゃ、シルエットが凸凹になるし、コートの重ね着なんて脱ぐ時がカッコ悪い。 そこで思案した挙句、クローゼットに眠っておったシンプルで細身仕立てのハーフコートをマントの裏地として縫いつけたのじゃ。 これは町の仕立屋のオバサンに頼んだんじゃが、オバサンは驚いておったなあ〜。 「この子、何考えてんの?」って顔に書いてあった(笑)
 この「七鉄マント」は数年間愛用した。 「きこりか、オマエは!」とか「よっ、コウモリ男!」とか「欽ちゃんの仮装大賞にでも出るのか!」とか周囲の反応は散々じゃったが、概して欧米旅行の際の評判は悪くはなかった。 なんつっても、バランスの悪いボディが見えないし、ハーフコートの裏地を見せると「ユニークだね」とか言われたもんじゃ。

 現在進行中の「ダンディとよばれし男」の数少ない肖像画や写真には、時折この「マント」を羽織っておるお姿がある。 19世紀のダンディとマントは実によく似合う。 メンズファッションの究極のオーバーウエアーではなかろうか。 久しぶりに着てみたくなってきた! The-Kingのラインナップにはまず登場せんから、また原宿とかアメ横で探してみるか。 近い将来、The-Kingオフィス周辺で「コウモリ男」を見かけたら、それがわしじゃ! 一杯やりましょうや!!


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