NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.177

 まだまだ殺人的猛暑が続く中、熱中症でぶっ倒れるのを覚悟で行ってきたぞ、ぱちんこAKB! 特別ユニット「チーム・サプライズ」の歌声にコーフンしながら、ガッツリ稼いできたぜいっ! これで次回の握手会の応募券入りCDが相当買えるわな~♪って、それはわしではのうて、職場の同僚君のオハナシじゃ。 ヤッコさん、“ぱち”で8万円勝ってぜ~んぶCD代にしたそうなって、余計なハナシをさせるな! しかし8万あったら、新作イタリアン・カラーシャツぜ~んぶにナッソーも買えるな!って電卓叩いて歯ぎしりしてしまったわな。 まあ、シャツのあの完成度ならそんな事を考えてしまうのも無理はない。 ここはひとつ、男は黙ってまっとうな稼ぎから堂々とゲットしよう!

 そうではなくてだな、実はもう何十年ぶりか記憶にないほど、ひっさびさに映画の前売りチケットを買いに行ったんじゃよ。 「へえ~どうせ『団地妻・四畳半のなんとか』じゃねえのか?」って、バカモノ! そんなもん、前売りがあるんなら逆に教えてもらいたいわい! いやいや、この8月30日に公開される「路上/オン・ザ・ロード」の前売り券じゃい!

 「路上/オン・ザ・ロード」とは、このコラムでも何度か紹介したことがあるが、1957年にアメリカで出版された、旅・紀行小説の永遠のベストセラーじゃ。 今まで何度もこの作品の映画化の企画が持ち上がっておったものの一向に進展せず、作品が世に出てから実に半世紀以上が過ぎてからスクリーンに登場することになったのじゃ。 かくも長く待たされたというか、かくも長く試行錯誤が繰り返された映画題材は記憶にないほどじゃ。 わしも自分が生きておる間に果たして実現するのかどうかと、ほとんど諦めかけておっただけに誠に喜ばしい! 嬉しさ余って前売り券を買ってしまった次第じゃ。
 公開日まであと一週間あまり。 現在は原作小説を読み返しており、気分は完全に「オン・ザ・ロード」じゃよ。 ここ数年間は「放浪したい!」という気持ちをひたすら抑制していただけに、前売り券だけでは我慢出来なくて、更に記念グッズを売ってるショップにまで出かけていったわい! まるで18歳の美少年時代に(いつ美少年だったんだよ!)戻った様な高揚感に包まれておる。 違う意味で熱中症じゃな! これはもう諸君にも是非「「オン・ザ・ロード」を体験して頂きたく、予備知識を授けるべくこれから拙筆ながら原作の魅力をご紹介させて頂くとしよう!


映画「オン・ザ・ロード」公開記念寄稿
アメリカ文学史上有数の“衝撃作”、
“クロスカントリー・オデッセイ”の最高傑作「オン・ザ・ロード」を読もう!


■地球1周の4分の3! 誰もが驚愕した巨大な旅のスケール!! ■

 小説「オン・ザ・ロード」の初版本が発表されたのは先述の通り1957年。 エルヴィスがメジャー・デビューした翌年じゃ。 エルヴィスの登場がアメリカン・ミュージック、ファッション史における空前の大爆弾であったのと同様に、「オン・ザ・ロード」はアメリカの若者の考え方、生き方そのものを根底からひっくり返してしまった大事件だったのじゃ。

  「オン・ザ・ロード」は著者ジャック・ケルアックが1940年代後半~50年代初頭にかけてアメリカ大陸を横断(縦断)した実体験がもとに書かれたクロスカントリー・オデッセイ(国土を横断する長大な抒情詩作品)じゃが、まず地図によってその驚くべき長大な旅の道程を確認してもらいたい。
 上地図写真の太い青のラインは映画撮影に使われた道程であり、それ以外のラインが小説に書かれておる道程じゃ。 ざっとアメリカ大陸横断(往復)が3回、メキシコまで突き抜けていった縦断(往復)が1回。 これを合計すると実に3万キロ強! 地球1周が約4万キロだから、その4分の3の距離を、飛行機を使わず、乗用車(バス、ヒッチハイク等)だけでケルアックは旅して回ったのじゃ。 まずこの驚異的な旅の距離に読者は頭をブンなぐれられた様な衝撃を受けたのじゃ。

 まだまだ飛行機による長距離移動をする者ですら、ほんの一部の限られた人種のみ。 インターネットどころか、全米を紹介した旅のガイド本すら必要とされない、“隣の州は外国”も同然の時代じゃ。 また当時のメジャー・リーグ・ベースボールの球団は西海岸には無かったことからも分かるように、まだアメリカ全土が一般社会においては繋がっていなかったのじゃ。 だから東海岸(大西洋側)の者にとっては、西海岸(太平洋側)は別天地であり、メキシコとの国境地域(テキサス周辺)は秘境だったのじゃ。
 そんな時代に、さしたる準備もせず、潤沢な資金もなく、まして武装などもせず、己の身とリュックサックだけで果てしなく広がるアメリカ大陸を渡り続けるなど、無謀、暴挙を遥かに越えたクレイジー極まりないアクションだったのじゃ。
 
 ケルアック以前にも全米各地を放浪する者たちはおった。 それは冒険者、もしくは食いぶちを求めての“結果として”放浪をする者たちじゃ。 彼らはホーボー(汚い浮浪者)とかデスペラード(ならず者)とか呼ばれておった。 1940~50年代の大スター、ロバート・ミッチャムも下積み時代にはホーボーの一人じゃったし、多くの黒人ブルースマンもそうじゃった。
 じゃがケルアックの場合は放浪そのものが目的じゃった。 全米各地の様々な個性を洗いざらい吸い込んでやる!といわんばかりの宇宙的な感性と怖いもの知らずの行動力に若者たちはただただ熱狂し、大人たちはただただ唖然とするしかなかったのじゃ。


■僕にとってかけがえのない人間とは 何よりも狂ったやつらだ
 狂ったように生き しゃべり すべてを欲しがるやつら
 ありふれたことは言わない
 彼らは燃えて 燃えて 燃え尽きる 
 星の群れを横切る蜘蛛のように 夜を彩る花火のように ■

 
 このフレーズ(↑)は、小説の中の有名な一節じゃ。 主人公サル・パラダイス(ケルアック本人)と親友ディーン・モリアティは、ある時は一緒に、ある時は別々に放浪を続けながら、お互いに“狂ったように”旅先で青春を謳歌する。 サルもディーンも、酒好き、女好き、パーティー好き、芸術好き(特に音楽と文学)じゃ。 どこに滞在していようが、わらじを脱いだその晩は酒に女にめいっぱい楽しもうとする! 持って行き場の無い燃え盛る青春のエネルギーを、まさに“夜を彩る花火のように”一夜の快楽と放浪につぎ込むんじゃな。
 また放浪を続けることで消えかけた炎がまた燃え上がり、またある時は他所をも“燃やし尽くして”しまう。 だからそこを追われ、また放浪する。 そして金が無くなれば場当たり的に肉体労働で日銭を稼いで飢えを凌ぐ。 腹を減らしながらも、カワユイ女の子にはウインク一発! とまあ、延々とこんな日々が見知らぬ街で繰り広げられていくのじゃ。 

 そんな2人と幾度となく旅路が交錯する同じく個性豊かな放浪者たちも続々と登場! 現れては消え去る無数のストレンジャーたちも、放浪者の目を通して見れば魅力的じゃ! ストレンジャーたちとの丁々発止のエピソードも、物語の進行に欠かせない肴じゃ! パパの運転するアメ車やママの焼くクッキーやパイの中に幸せを感じて育ったアメリカの若者たちが、この作品に衝撃を受けないはずはなかったのじゃ!

 時にはキュートな女の子たちも表れるゾ! 数々の大自然の洗礼を受けた主人公たちの女性を見る目は悲しいまでに美しい。 でも彼女たちの天使の様な存在すらも、彼らの放浪を続けるエネルギーに押し流されて行くのじゃ。

 などと書き連ねて行くと、単なる「明日なきドンチャン騒ぎ道中記」みたいじゃが、そうはならないのが作家ケルアックの瑞々しい感性と圧倒的な筆力! 自然も気候も風習も異なる全米各地の実写が、めくるめく別世界の到来のごとくロマンチックでヒューマニスティックなのじゃ。 

大地を過ぎる風の香り
真っ直ぐに太陽へ向かう多彩な植物たち
己の存在感を示すように屹立する大木
夜空を彩る満天の星空
闇夜の恐怖を駆り立てるコヨーテの叫び
地獄の底の様な渓谷の恐怖
大空まで支配せんとばかりに行く手を塞ぐ圧倒的な山脈

 果ては希望か絶望かってな、広大なアメリカ大陸に点在する大自然に対する畏怖に満ちた語り口は凄まじいばかりじゃ。 その中でケルアックはある時は宗教的な感動も覚え、大地と宇宙と一体化するような体験もしていくのじゃ。

 ケルアックはどうして終わりのないような放浪を続けたのか? 時代はゴールデン50sへの準備が着々と進んでおり、アメリカ国民のほとんどが溢れ返る“モノ”に己の人生の夢を賭けておった。 そんな風潮の中でまったく正反対のライフスタイルを選び、そいつに狂ったように邁進して行ったその原動力、美学は一体どこにあったのか? それをいかにして読み解くかが、小説「オン・ザ・ロード」の読者の使命であると言えるじゃろう。


“風に吹かれ、転がる石のごとく!”“夜の果てに向かってハイウェイを走れ!” ■

 ・この本で僕の人生は変わってしまった。 by ボブ・ディラン
 ・ケルアックが生まれなかったら、ジム・モリスンという個性は生まれなかった。by レイ・マンザレク(ドアーズ)
 ・人生のワイルディスト・ドリーム(見果てぬ夢)そのものだ。 byデヴィッド・ボウイ
 ・一見馬鹿げた路上のパーティーこそ、人生最大の喜びである証明書だよ、これは。 byジョン・レノン

 1957年に「オン・ザ・ロード」が発表されたからこそ、1960年代のロックの豊穣な発展があった!と断言できるほど、この作品のロックへの影響力は絶大じゃ。 1960~70年代に活躍したビッグ・ロッカーの中で、「オン・ザ・ロード」に触発された者は数限りない。 エルヴィスに肉体的な快感を呼び覚まされ、「オン・ザ・ロード」に自由な精神への覚醒をもたらされた者たちが、第二次ロック黄金時代を構築したことをこの機に強調しておきたい。 「オン・ザ・ロード」に描かれた世界観こそ、ロックそのものなのじゃ。
 その昔、「ロックという言葉は音楽形態を示すのではなく、携わる者の生き様を示しているのだ」なあ~んて言われたもんじゃが、じゃあその生き様ってなんなんだ? ロック・スピリットとはとどのつまりどういうことなのか?ってこの歳になっても時々シドロモドロになってしまうもんじゃが、その答えの全ては「オン・ザ・ロード」の中にある!


■ 失われたアメリカン・マインドを探して・・・ ■


 これ以上書き進めると、「オン・ザ・ロード」のあらすじ全てを紹介してしまいそうじゃ。 それは紹介者、案内者として相応しくないんで、最後に「オン・ザ・ロード」に密かにしたためられておる、著者ケルアックの見えざる本音を書いておこう。

 この作品を読み返す度にわしは思うのじゃが、ジャック・ケルアックという人物、「オン・ザ・ロード」という作品は、どこまでもロック的でありながら実は狂おしいばかりの愛国精神に溢れた人物/作品なんじゃないかと。 第二次世界大戦の勝利はアメリカという国家に莫大な利益をもたらし、庶民は物質文明の極みを享受しようとしていた最中、ケルアックは「アメリカ国民の本当の喜びは、もっと別のところにあるんじゃないのか」という提言をしたかったのじゃ。
 文明の発達による人工的な享楽よりも、「我がアメリカにはもっと素晴らしいものが存在しているんだよ」とな。 それは多種多様な大自然であり、そこに生きる素朴な人たちであり、そいつと裸で触れ合うことこそ、アメリカ国民の本当の喜びがあるのだ、とケルアックは言いたかったのじゃよ。
 ケルアックの放浪という行動は確かに奇想天外であり、一般人には到底理解し難い。 しかしそれは決して反社会的ではないと思う。 アメリカ人が忘れかけた、文明の発達の陰で置き去りにしてきてしまった本来あるべき姿に回帰する勇敢なアクションだったのじゃ。 だからこそ「オン・ザ・ロード」は多くの人に愛されて、永遠のベストセラーになったのじゃ。 そこら辺の真理を忘れることなく、映画も小説も楽しんでもらいたいものじゃ。

 諸般の事情により(!?)、ここんとこのわしは世界放浪への思いを封印しとる。 でもな、今度“やる時”は、最低限持参したいブツのピックアップ作業は怠らんようにしておるのじゃ。 今度こそは、星の群れを横切る蜘蛛のごとく、夜空を彩る花火のごとく放浪したいもんじゃ。 それがわしの最後の夢じゃってことを、映画「オン・ザ・ロード」の公開によってあらためて認識した!
 そして、その最後の夢を決行する際には、もうTシャツとずた袋の様なコートで放浪なんかしたくない。 もっとお洒落をしながら放浪したいんじゃよ! 熱帯地方ではイタリアン・カラーシャツ。 温暖地方ではその上にナッソー。 極寒地方では更にアメリカン・ロングコート。 そんな装いで世界を放浪したいな~なんて思い描いておる。 諸君の中で映画製作のセンスがある方がおったら、随行を許すぞ! 是非とも「The-Kingをまとった渡り鳥/最後のオン・ザ・ロード野郎・七鉄」を撮影してくれ! ハリウッドで高く売れる(かもしれない)ぞ!?



七鉄の酔眼雑記
 ~人生初の「オン・ザ・ロード期」も、「オン・ザ・ロード」に反応なし!?
 
 「オン・ザ・ロード」を初めて読んだのは、はるか昔、わしが浪人生の時じゃった。 毎朝「予備校に行く」と言って家を出るものの、そんなトコへ行くはずもないが、時々短期アルバイトをして駄賃を稼ぐ他はこれと言ってやることもない。 だから時間だけはたっぷりある。 来る日も来る日も東京都内を当てもなくブラブラ、フラフラ。 考えてみれば、行くべき所のない、人生で初めて路上に放り出された時期じゃた。 そんな自由ながらも空しくてしょうがない時に読んだからじゃろうか。 いやいや、ストーリー展開の凄まじいスピードに、わしの読解力が付いていけなかったんじゃろう。 その時に「オン・ザ・ロード」にどう感じたのか。 それどころか、どこまで読んだのかすら、さっぱり覚えておらん。 人からどんなに名作と薦められようとも、やはり出会うタイミングってもんがあり、浪人生のわしと「オン・ザ・ロード」とは、その時は縁がなかったんじゃな。
 唯一覚えておるのは、最後に手にした時。 馴染みの喫茶店で読んでいて、読み進めるのを諦めてしまい、かわいいウエイトレスちゃんに「コレ名作らしいから、あげるよ」って進呈しちゃったことだけじゃ(苦笑)

 浪人生時代は、時間つぶしも兼ねて映画を見まくったもんじゃ。 映画の内容なんてどうでもよかったわい。 前衛作品だろうが、青春ものだろうが、ピンク映画だろうが、とにかく3本立て400円(だったかな?)の映画館に片っ端から入ったもんじゃ。 だから浪人時代は名実ともに!?「暗闇の中」にいたってことじゃが、不思議なことにあの頃に観た映画はぜ~んぶ覚えておる。 出会うタイミングが良かった作品が多かったんじゃろう。 DVD時代になって旧作映画が物凄い勢いでパッケージされたんで片っ端から買ったが、まるで浪人時代の思い出をかき集めておるような気分になったな。

 映画「オン・ザ・ロード」は原作発表から50年以上も経過してから実現した。 くどいようだが「オン・ザ・ロード」ほど長きにわたって映画化が望まれ、多くの映画関係者が入れ代わり立ち代わり試行錯誤した作品も珍しい。 まさに待望の映画化じゃが、どうか諸君と「オン・ザ・ロード」が良いタイミングで出会った幸運な体験映画になることを祈っておる。 そして心に残ったならば、是非とも原作を読んでほしい。 現在日本では2種類の日本語翻訳版が入手できるが、おススメは新訳の方。 青山南という方が翻訳されている方じゃ。  


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