相変わらず
         ROCK FIREBALL COLUM by NANATETSU Vol.171


 「毎年この時期だけはロックはダメ!のゴロ〜ン状態」ってことは前回書かせて頂いたが、そんなガス欠状態(決して酩酊状態ではないぞ)が回復しかけた5月20日、わしにとって衝撃的なニュースが届いた。

「元ドアーズのキーボード・プレイヤー、レイ・マンザレク氏逝去」

ちょ、ちょ、ちょっと待て! その2日前、学生時代にお互いにドアーズ好きで繋がり、以来30年以上も付き合いのある親友と10年ぶりに二人だけで飲んだばかりじゃぞ。 しかも奇遇にもドアーズが聞ける店を見つけて「我ら運命のドアーズ論」を語り合っておったのじゃ。 だから「こんな事ってあるのか・・・」って、このニュースに絶句してしもうた。

 諸君、すまないが、今のわしはThe-Kingの新作以外は、レイ・マンザレク・サウンドの事しか考えたくないんじゃ。 毎回諸君に拙文を読んで頂いておる身としては誠にケシカラン心境じゃが、どうか今回だけはお許し頂きたい。(って、いつも諸君の許容範囲を超えているとは思うが) 我が親愛なるレイ・マンザレク殿に、「頑固七鉄コーナー第171回」をささやかながら捧げたい。

 

 
一人のボンクラ少年の人生を変えた“運命のオルガン”
  
元ドアーズのオルガ二スト、レイ・マンザレクよ、安らかに眠れ

 
弔辞に代えて〜わがドアーズとの出会い
                      

 「これから、どうやって生きていけばいいんじゃろう?」
 
 誰しも、こんな人間としての根源的な危機感に苛まれた事が、人生には何度かあるはずじゃ。 そいつを最初に感じたのは、親元(家族)から独立する時とか(叩きだされた時も!)、学生にオサラバする時とか、初恋の姫君にフラレタ時とか、自分が身を寄せていた場所から離れていかにゃあならん時だったんじゃないかな? わしがドアーズと出会ったのは、まさにそんな時じゃった。

 「進学したくもねえし、放浪といっても何処に行けばいいのか、働くってのもどういうことだか・・・」

 高校を卒業してから、何をするわけでもなく、来る日も来る日も東京の雑踏を宛てもなく彷徨っておる時じゃった。 そんな空虚な心に突然あまりにも熱過ぎる(いや冷た過ぎる?)サウンドが怒涛の如く流れ込んできた。 生きることの不条理と生を突き抜けた領域の美しさを諭し、絶叫するジム・モリスン。 ジムの詩に描かれた終わりなき夜の旅のごとき世界観(死生観?)を幻覚のように浮かび上がらせるレイ・マンザレクのオルガン。 気が付いたら、ドアーズは「絶対的な日常」になっておったんじゃ。
 極論を言えば、実体のない幽霊の様な自分自身に心が押し潰されそうじゃった18歳のガキは、「ドアーズの描く世界を追っかけて行けば、何かがある!」と信じてしまったんじゃな

 ドアーズに出会わなかったら、わしはロックファンとして「50sフリーク」の域を出ることもなかったし(それはそれでクールじゃが)、今頃わしはThe-Kingの丁稚奉公か(実際そうか?)、柳谷画伯の鞄持ちかマリリン嬢の親衛隊か8鉄センセーの召使いか!?それも悪くはないのおってよくワカンナクなってきたが、少なくとも「文章を書く」仕事を長年頂けることも、こうして「七鉄」という有り難いニックネームの元に、諸君に「ロック珍義!?」をかます機会なんぞも到底与えられなかったと思うのじゃ。


レイ・マンザレク基礎知識


 1965年にヴォーカルのジム・モリスンとレイ・マンザレクがUCLA(カリフォルニア州立大学ロサンゼルス分校)で知り合ったことがドアーズ結成のきっかけになったことは有名じゃな。 同校でジムと同級生(しかも同じ映画科)には、後の大監督フランシス・コッポラがおる。 
 今でこそ大学の学友同士でバンドを組んだ後にプロとしてデビューするなんて珍しくもないが、1960年代では到底ありえないことじゃったんで、まあ平たく言うとドアーズはロック界初のインテリ連中のバンドだったわけじゃ。 当時ロックといえば、下層階級出身者、社会的落後者たちが集まって演奏する音楽だったからのお。
 
 ドアーズのバンドとしての特質や活動の詳細はここでは割愛するが、レイ・マンザレクを知らない方に、音楽家としての特徴を2つだけご紹介しておこう。
 まず彼の名を一夜にして有名にしたのは、ドアーズの第2弾シングルであり、全米No.1ヒットとなった「ハートに火をつけて/Light My Fire」のイントロのオルガンじゃ。 ドアーズを知らない者でも、このイントロだけなら聞いたことがあるに違いない。 約10秒のプレイだけでレイは音楽家として一生飯を食えるようになったのじゃ!
 以降レイはキーボード・プレイヤーという存在をロックシーンの中で飛躍させた立役者として、現代まで語られ続ける存在になったのじゃ。 ジェリー・リー・ルイスはロックンロールの世界で鍵盤楽器をフューチャーした第一人者じゃが、レイは鍵盤楽器のサウンドそのものを、ギターサウンドと対等な次元まで引っ張り上げた最初のプレイヤーじゃ。
 
 もう一つの特徴とは、あまりにも巨大な音楽的裾野の広さじゃ。 クラッシック、ジャズ、スタンダード音楽、ヨーロッパ舞台音楽、ブルース、カントリーそしてロックン・ロール。およそ人類が創作した全ての音楽を知り尽くしているかのような知識と演奏。 ドアーズの音楽というのは空前絶後の固有の楽曲と言われておるが、それはレイの驚くべき重層な音楽的バックボーンから生まれ出たものなのじゃ。
 例えば、次のドアーズの3曲、「水晶の船」と「ロードハウス・ブルース」「ライダース・オン・ザ・ストーム」を聴き比べてほしい。 それぞれにクラシック調、ブルース調、ジャズ調のピアノ・プレイが聞けるが、この3曲のキーボードのプレイが同一者であることは、とても信じ難いはずじゃ。



 では、現在の日本ではマニア以外はほとんど聞かれることがないと思われる、レイ・マンザレクの「ドアーズ以降」の長い活動歴の中でのわしの愛聴盤をご紹介させて頂こう。 ドアーズのアルバムに関しては、数多くの「紹介文」「私論」がネット上で乱舞しておるので、今回はあえて控えさせて頂く。

・・・アンド・ドアーズ

■アザー・ヴォイセズ/ドアーズ(1971年発表)
 一般的に「ドアーズ」とは、ジム・モリスンの死によって「終了」「解散」とされておるが、実は残った3人のメンバーで更に2枚のアルバムが発表されておる。 このアルバムは、レコーディングは1971年7〜8月。 発表は同年11月。 ジムは同年7月3日に亡くなっておるので、つまり3人はジムの死の喪に服することなく、このアルバムを作ってしまった。
 だからこれは薄情なやつら(?)の身勝手な作品なのか。 それともジムを失った哀しみを乗り越えようとした力作なのか。 そのどちらかは、聞けば分かる。(残念ながら日本盤CDは廃盤じゃが)

 レイはジムの不在を補うべく自らヴォーカルをとり、ジムの生前と変わらぬ一級品の楽曲を作っておる。 でも、何かが足りないというか、“効いて”いないんじゃな。 一級品じゃが、決して特級品ではないんじゃよ。 当たり前じゃ。 ジムがおらんからな。
 しかしジムの声が聞こえないからこそ、レイ・マンザレクの書いた楽曲、プレイの本質がストレートに伝わってくる。 そしてレイの音楽的バックボーンの限りない広さを堪能出来るのじゃ。 ドアーズ・マジックは、無い。 いわば精製され過ぎているドアーズ・サウンドなのかもしれん。
 このアルバムから更にもう1枚「フル・サークル」を発表した後、ドアーズは正式に解散するのじゃ。



“アフター・ザ・ドアーズ”の小さな奇跡

■ナイト・シティ(1977年発表)
 ドアーズの完全解散後3年目にしてレイが結成した、「第二のドアーズ」ナイトシティ唯一のスタジオアルバム。 信じ難いハナシじゃが、オリジナル・ドアーズの4人でしか成し得ないはずのサウンドワールドが、レイ&無名のメンバー4人でわずかながらも復活しておるのじゃ。 筋金入りのドアーズ・フリークにも評判は悪くはなかったものの、結局ブレイクはせずにあっさりと解散したもんじゃ。

 「あのドアーズの再来」「ジム・モリスンの生まれ変わりか!」なんてフレコミのバンドやロッカーは今でも時々登場してくるが、まあ言っちゃあ悪いが、どいつもこいつもレベルが違い過ぎましたなあ。 エルヴィスの生まれ変わりやビートルズの再来なんて無かったのと同じ事じゃ。
 唯一、ドアーズとジム・モリスンが放っていたバンドとしての特殊な体臭が、僅かながら漂っておったのがこのナイトシティじゃった。 新人ヴォーカルくんの雰囲気もジムに似ておったんで、悪ふざけが好きだったジムが、天国からチョイト魔法をかけたのかもしれん!?
 最近知ったのじゃが、レイはこのナイトシティに並々ならぬ意欲を燃やしておったようで、何とバンドのロゴをあしらったTシャツまで作っておったのじゃ。 「僕らが作り上げたもの(ドアーズ)が、別人とでも出来るって言うのかい? レイ、それは悲し過ぎるよ」とは、ドラマーのジョン・デンズモア氏の当時のコメントじゃ。 しかしとてつもない芸術性やスターダムの極みを味わった者が、「夢よもう一度!」と思うことを、誰が批難できようか・・・。


シンセで更に蘇った、ドイツいにしえの詩歌

■カルミナ・ブラーナ/レイ・マンザレク
(1992年)
 「カルミナ・ブラーナ」ってのは、古〜いドイツの修道院の中から発見された、11〜13世紀に書かれたらしい同名の詩歌集に、カール・オルフというドイツの作曲家が曲を付けて発表したことで世界的に有名な声楽曲(世俗的カンタータって言うらしい)のひとつになったのじゃ。 タイトルは聞き覚えないじゃろうが、序奏部「おおフォルトナ、運命の女神よ」なら諸君も聞き覚えがあるはずじゃ。 実に多くの映画、演劇、またロックコンサートのオープニングテーマに使用されておるからじゃよ。 映画「ドアーズ」でも挿入されておった。

 全編約1時間になる声楽曲はオーケストラと男女混声合唱(時には独唱)が絡み合う壮大なスケールじゃが、レイ・マンザレクはこいつをシンセサイザーだけで演奏しておる。 フルオーケストラのロックヴァージョンっつう試みは多くのプログレ連中がやっておるが、クラシックファンにも情緒豊かで聞きごたえのあるBGMとして聞いて頂けそうなのはコレ、かのお。
 テクニックをひけらかすこともなく、独自のアレンジ・センスをかますこともなく、オリジナルスコアに忠実なプレイじゃ。 レイのクラシック音楽への造詣の深さを感じさせる静かなる名作じゃと思う。
 


音楽作品としても聴ける、詩の朗読アルバム


■ラブ・ライオン/レイ・マンザレク&マイケル・マックルーア(1993年)
 マイケル・マックルーアという方は、アメリカのビートニク・カルチャー直系の詩人。 ドアーズの連中とも親しく、特にジム・モリスンとは詩人同士ということもあってかなり懇意にしていたらしいが、ジムほど破滅的な生き方を好まず、アメリカの雑多な文化の中に意識を埋め込んで自らを蘇生させようとする姿勢が試作も溢れておる。 そう言えば、ザ・バンドの解散コンサート映画「ラストワルツ」にも、時代の象徴的文化人として登場して詩を朗読しとった。
 この作品は、マイケル・マックルーアの詩の朗読に旧友のレイがピアノの伴奏をつけたもの。 恐らくジム・モリスンがもう少し生きておれば、この類のアルバムが製作されていたであろうが、そういう余計な想像の余地が入りまないほど充実した朗読アルバムじゃ。 日本語の対訳がないとチトきついが、朗読と音楽とが一致する静かなるダイナミズムが随所に感じられ、“音楽作品”としても周到に計算された構成になっておる。
 なお、レイとマイケルはもう1枚同系のアルバム「ピアノ・ポエムス」を昨年発表しており、それがソロ活動における遺作となっておる。 


生まれ変わるなら、アメリカ人がいい!?


■トランスルーセント・ブルース/レイ・マンザレク&ロイ・ロジャース(2011年)
 スライドギターの名手ロイ・ロジャースとレイが組んだブルース・アルバム。 とまあそれだけなら「オジサン・ロッカーの気ままなブルースセッション」なんじゃが、アメリカの文学史を代表する作家や詩人のフレーズを歌詞としてブルースサウンドと融合させるっつう、インテリジェンスある方法論が話題となって、レイのソロ作品関連では近年異例の日本盤まで発売されよったが、果たして売れているのか!?

 わしはこういうアメリカン・カウンターカルチャーの融合作品を聞くと、どうしても絶望してしまう。 果てしなく広がる荒野、それを突っ切るハイウェイ、そびえ立つ自然の巨大芸術、見知らぬ人々と幾多の神秘主義。 アメリカの土壌っつうもんが先天的に染みついておる生粋のアメリカ人じゃないと到底理解し難い瞬間が何度もやって来るからじゃ。
 若い時はそれが素直に憧れの気持ちに転化されて「いざアメリカ放浪!」とかになるが、この歳になると「死ぬまで分からんじゃろうな〜」ってしょぼ〜んじゃよ。 ただただ、アメリカという広大な大地にはぐまれた者の感性ってもんに畏怖の念を抱かせるような快作じゃ。



 後半3枚のアルバムだけでも、レイ・マンザレクというミュージシャンが時代も国境も超えた多岐にわたる音楽のセンスの持ち主であったことがお分かり頂けるであろう。 正直なところ、日本ではこの部分はまったく紹介、理解されておらん。 まあそれだけドアーズの存在、ドアーズでのレイの活躍が強烈過ぎたってことでもある。
 
 「彼は死んだのではない。 生という眠りから目覚めたのだ」

 これは19世紀のイギリスのロマン派詩人シェリー作品の一節じゃが、この度のレイ・マンザレクの訃報に捧げたいと思うとる。 レイの存在はもとより、長らく日本の音楽ファンに対しては眠っていたレイのアフター・ドアーズの作品群が、彼の死とともに目覚めることを心から願う次第じゃ。

 諸君、長々とわしの喪に服す姿勢にお付き合い頂きまして、心からお詫び申し上げます。 諸君が我慢して付き合って下さったお蔭で、わしもだいぶ悲しみが癒えてきたので、次回からは本来の姿勢に戻って(それも迷惑か!?)、七鉄節をさく裂させたいので、ヨロシュー。 
 爽快なThe-Kingの新作も実に7連射されておるんで、いつまでもお部屋でメソメソもしておれん。 そのスキに新作の在庫をぜ〜んぶ諸君に持っていかれてしまうからな! まっ、The-Kingのためにはその方がいいか! じゃあ次回は、「バカモノ!わしの買う分が無かったぞ!」でスタートするからな!  
   


凸凹


七鉄の酔眼雑記 〜虫の知らせ
 
 いわゆる第六感とか霊感とか、理屈や理論を超越した非現実的なスルドイ能力ってもんはわしには全然無い!
山勘(やまかん)ってのも当たった例(ためし)がない。 こういうヤツってのは「人生送りバント」、つまり温泉や金鉱を掘り当てたり、宝くじに当たったり、美女と運命的な巡り合いをしたり、つった「人生満塁ホームラン」は死ぬまで期待できないから、コツコツ生きるしかない・・・先月末のバースディにあらためて気を引き締めたばかりじゃった。
 
 だからこそ、冒頭で書いたかつてのドアーズ仲間との久しぶりの再会が、今回のレイ・マンザレク氏逝去の「虫の知らせ」に思えて、わしは驚きを隠せないのじゃ。 
 しかも前もって予定していたわけでもなく、親友に再会する当日に
「よお、生きているか? 今日飲まねーか?」
「おう、久しぶり。 望むところだ!」
って簡単なメールのやりとりだけでの唐突な再会だったから尚更じゃ。

 飲んだ場所は東京の某下町の飲み屋街。 昔ながらの赤提灯や、やってんのかどうかも分からんひなびたスナックとかがひしめき合う昭和の香り漂う所じゃが、3件目に入ったこじゃれたショットバーで何とドアーズのCDをかけてもらえたのじゃ。 ここまでくると、なんだかスゴイ体験をしていたような気がするんじゃ。

 「よお、そこのお二人さん。 オレはそろそろ行っちゃうから、久しぶりに俺達(ドアーズ)のネタで酒でも飲んでくれ」

ってレイ・マンザレクからお告げがあったようじゃよ。 

 この度の訃報を告げたネット・ニュースにはたくさんのコメントが寄せられておったが、「先日ブルーレイを買ってチェックし直したばかり」「出勤途中に何気に聞いてみた矢先」といった、わしと同様に虫の知らせを受けたようなファンからの弔いの言葉が少なからず見受けられたな。 ビッグ・ロッカーってのは、作品のみならず、去り際においてはファンにこんな神秘的な思い出を残して逝ってしまうものなんじゃろうか。 
 亡くなってしまった事実はとても悲しい。 でも、「神秘的で奇妙な思い出(虫の知らせ)」を頂けた事は、なんだか「ドアーズ側から選ばれたファン」であるようでほんの少しだけ・・・。
 普段は第六感どころか山勘すら当たらんような人間であっても、大好きなロックにおいては神の領域を覗いた様な気になれるもんじゃな。 やっぱり何かに対して「拘り続ける」「愛し続ける」姿勢には、常識でははかり切れない何かがもたらされるものじゃ。 




GO TO TOP