NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.170

 今年もやって来てしまった「アフター・ゴールデン・ウイーク」!?。 The-Kingの開放Dayは盛り上がったし、ボスはその後も気を抜くことなくアグレッシブなブルゾン9連発をかましてきた! この「キープ・オン・ハイ・テンション!」は熱過ぎるぞ! でもな、わしの方は毎年この時期恒例の「ロック離れモード」に入ってしまったわい。 ブルゾン9連発には激しく心が動いたが、聞く音楽はどうしてもロックを敬遠してしまうのじゃ。 どうせ一ヶ月もすれば、本来の七鉄に戻るのは分かっておるが、もはや自分ではどうにも出来んこのバイオリズム。
 ほんのひととき、ロックから離れた嗜好に身を任せる七鉄の音楽生活の実態を語ってみるかって、約1年前も同じ事をやっとった! これは一年ぶりの続編か!? ロックだけが音楽じゃないって分かっていながらも、実際はロックばっかり聞いとるわしじゃが、この時期だけは毎年ロック以外の音楽を聞いておるので、ここはひとつ無理をすることなく、自然体でこの時期のフェイバリット・ミュージックをピックアップしてみたい。 どうかお付き合いのほどをヨロシューたのんます。


祝~1年ぶりのシツレイ企画!?
もしもロックが嫌いなら/If you don't like rock 'n' roll !?
“ロックお疲れ状態”の時におススメする異種音楽セレクション
Volume 2

「長く生きたいと思ったことはねえ。 死ぬ時が来たらそれまでだ」
(木枯し紋次郎 第16話「月夜に吼えた遠州路」より)

「木枯し紋次郎」サウンドトラック盤
 その昔、The-Kingのボスは「水戸黄門」をよくご覧になっていたらしいぞ!
「ほほぉ~、これはなかなか良い“菓子”じゃ。 しかしおぬしもなかなかのワルじゃのお~」
「いえいえ~、わたくしめなんぞ、お代官様には敵いませぬう~ハッハッハッ」
ってなお約束の悪党同士のやり取りが大変お好きじゃったようで。(笑) その割にはボスは清廉潔白過ぎるがな~。 カスタマーを大事にし過ぎて、自分は安酒ばっかり・・・いやいや見上げた根性じゃ!

 一方、わしの時代劇のフェイバリットは、「あっしには関わり合いのない事で」がキメ台詞の「木枯し紋次郎」じゃ! 人生に何ら希望も持たずに、野垂れ死を覚悟でひたすら諸国を行脚する江戸時代中期の虚無僧然とした旅がらす、紋次郎! どんなトラブルに巻き込まれようと“関わらない”はずが結局は関わりまくって、悪党どもをなぎ倒しては、当ての無い明日へと旅立つ姿は、男の永遠の憧れ!? また宿命と決めた生き方を遮る輩に対峙しながら、頑なに己の虚無の美学を貫き通そうとする紋次郎の生き様は、まさにロックンローラーじゃよ!

 「木枯し紋次郎」は昭和40年代後半に一世を風靡した大人気テレビドラマ。 わしはテレビ放映中には家族に向かって「静かにしててね」なんてお願いしながら、テレビの前にテレコを置いて生録していたほどこの番組のセリフにも音楽にもシビレテおったんで、サントラ盤が出た時は感動した! もっとも数多くの名セリフは収録されてなくて、短いBGM集じゃったがな。
 それでも主題曲「誰かが風の中で」は名曲じゃ。 フラメンコ調の生ギターとウッドベースという当時のTV番組主題曲の中では飛びぬけて垢ぬけたアレンジでメロディーもメランコリックで秀逸。 作曲は60年代の代表的フォークシンガーであり、井上陽水や吉田拓郎とともにフォーライフ・レコードを立ち上げた小室等。
 「心は昔死んだ~微笑にはあったこともない~昨日なんか知らない~今日は旅を一人」の今でも心に突き刺さってくるこの歌詞を書いたのは、番組の監督を務めた市川崑の夫人であり、詩人だった和田夏十(わだなっと)じゃ。


アナタ インドオンガク ワカッテルノ?

■コンサート・フォー・ジョージ(ディスク1)
 どこの国に行っても、必ず当地土着の音楽の演奏会に出かけておったわし。 例外なく演奏会直後にミュージックテープを買ったもんじゃが、帰国後に聞いてみて、もっとも生演奏のテンションとはほど遠かったのがインド音楽じゃった。 その謎の全貌はいまだに解けんが、生で聞いたインド音楽から受けたバイブレーションは、わしが長年親しんでいた欧米ロックとは異次元じゃったから、受けた衝撃がデカ過ぎたってのもあるじゃろうな。
 インド音楽の生演奏が流れておる空間には、極端な言い方をすれば、“無数の得体の知れぬ神の手”が揺れていて、その中に身を委ねるような・・・そういう霊的な空気がはっきりと感じとることが出来て、こっちの五感が200%全開!で演奏会に酔いしれておった。 
 しかも演奏者は時折来場者に笑みを返したりして余裕の表情を見せるから、それが結構怖かった! いや、「アナタ インドオンガク ワカルノ?」ってバカにされとったんじゃろうか・・・。 ちなみにわしはハッパは一切やっとらんかったぞ!
 
 あの時の感動をまた味わいたくて、その後ムキになってインド音楽のCDを聴きあさった時期もあったが、随分と時間が経ってある程度その欲求が収まったのがコレ。 2002年のジョージ・ハリスン追悼コンサートのライブ盤なんじゃが、1枚はインド音楽オーケストラを含む、ほぼ完全インド音楽なんじゃ。
 多分インド人から言わせれば、「ジョージに敬意を表して、異文化圏の人々に分かりやすくしたインド音楽」ってとこなんじゃろうが、わしの様な初心者、ヨソモノにとっては、とても馴染みやすくて、演奏者のテンションも高い。 サービスなのか、ジョージ・ハリスンのビートルズ時代のインド風ナンバー「ジ・インナー・ライト」も披露されておる。 DVDで映像の方もチェックしたが、残念ながら“ 無数の得体の知れぬ神の手”は見えんかった。


「近頃じゃ空気も汚れていて星も見えないだろう? いっそ星の世界に行ってしまいたいよ・・・」(ウルトラセブン 第45話「円盤が来た!」より)

■ウルトラセブン・ミュージック・ファイル

 人間誰しも、子供の頃の絶対的ヒーローがあると思う。 わしの場合は、ウルトラマンとウルトラセブン。 でもそんな思い入れを抜きにしても、「ウルトラマン/セブン」ってスゲエ番組だったと思うな。 地球侵略を狙う宇宙人が、圧倒的な暴力や地球人への激しい恨みつらみではなくて、時には地球人を超越した高い知能、またある種の平和的な策略を駆使するストーリーが多いからじゃ。
 そして、その描写のBGMとして、超耽美的な室内楽や壮大なオーケストレーションが挿入されており、子供ながらにシ・ビ・レ・タ! そのスコアを書いていたのが冬木透氏。 「ウルトラマン/セブン」が今尚TVドラマの傑作と言われているのは、冬木氏の音楽による脚色の手腕がとてつもなく大きいと思う。 とりあえず1曲聞いてみんか? 心が洗われるような美旋律じゃ~。

 このアルバムは冬木氏の秀逸なウルトラセブン挿入曲を集めたもので、「ウルトラマン/セブン」をまったく知らない輩が聞いても印象に残る人は少なくないかもしれん。 その楽曲の根底には、ひっそりと野に咲く小さな花の愛らしさ、朝の到来を告げる野鳥のさえずり、この世でもっとも優しい音と思えるような静謐な小川のせせらぎへの賛歌のようでもある。 
 そして、
「文明の進化にうつつを抜かしている人間が忘れてしまった“美しき地球”。 それを守ろうとしてるのは、実は宇宙人の方なのかもしれない」
そんな冬木氏のメッセージが聞こえてくるような、至高の冬木ミュージックの世界。 そう断言したいほどの静かなる名盤じゃ。
 近年ますます冬木氏の評価は上がり、「ウルトラ楽曲」をモチーフにしたオーケストラ作品も何枚か製作されておるが、冬木氏の作品の原点はこの作品につまっておる。 


あぁ、我が憧れのおフランスよ~


■フランシス・レイ(サウンドトラック)

 フランシス・レイとは、60~70年代に世界的にヒットを続けたフランス映画のサウンドトラックを手掛けておった巨匠じゃ。 「男と女」「ある愛の詩」「白い恋人たち」「パリの巡り合い」等など、当時のフランス映画の超人気作品の音楽のほとんどはこの方のペンと指揮によるものじゃ。
 「高度成長期」に日本が驚愕の経済発展を続ける中、日本人の欧米嗜好も急速にチューンナップ!それを先導したのは「アメリカン50s」の超カラフルなカルチャーとともに、フランス映画の中に漂う「超ロマンチックで耽美的」な雰囲気じゃったと思う。 わしなんか、フランスという国は別世界、フランス女性は天女に思えたほど、フランス映画の世界は「単足胴長」「猿ヅラ」の日本人は永遠に手にいれることのできない、あまりにも遠い夢の領域に思えたもんじゃ。
 それはフランシス・レイの音楽による影響もデカかった。 スクリーン全体をほんのり甘い綿菓子でうっすらと包み込むというか、映画シーンの全てを「非日本的」「非日常的」な美しさで装飾してしまう魔力があったんじゃ。 フランス映画大全盛時代の限りないフランスへの憧憬を蘇らせるためには、映画より、このサントラ盤の方がええ!

 ちなみに当時の大女優カトリーヌ・ドヌーブに捧げた「泉の詩」も特別収録されておるが、この作品はフランシス・レイの最高傑作として当時シングルで発売になった。(写真右) B面には歌入りテイクが収録されとったが、これが当作品には入っておらん! 不満と言えば、それだけじゃな。


■「大好きなママが死んじまった。 もうちっと飲ませてくれるバーを教えてくれ」(クルト・ワイル「アラバマ・ソング」より)

■クルト・ワイルの世界~星空に迷い込んだ男

 とにかく、けだるくて、なあ~んもやりとうない、ゴロ~ンとした休日を過ごしたい時のBGMとして最適なんじゃ、コレ!
 クルト・ワイルってのは、1900年生まれのドイツの作曲家じゃ。 第二次世界大戦前のドイツの演劇やミュージカルのために独特の音楽を創出しておった。 二つの大戦に翻弄された当時のヨーロッパの退廃的な風潮を醸し出しながら、どこかコミカルで風刺の効いた歌詞やメロディーは、演劇やミュージカルの鑑賞が許された当時のセレブは元より、「戦争」や「貧困」といった死と背中合わせだった庶民の方にも支持者が多かったと聞くが、わしもハマッタ!

 ロック界にはクルト・ワイルの支持者が大変に多くて、古くはドアーズとデヴィッド・ボウィが「アラバマ・ソング」や「マック・ザ・ナイフ」をカヴァーしておったのが有名じゃ。
 このアルバムはロック界のビッグネームが集結して製作されたフル・カヴァー・アルバムじゃ。 スティング、トッド・ラングレン、ルー・リード、マリアンヌ・フェイスフル、トム・ウエイツ、ヴァン・ダイク・パークスら、まさにこの企画でなければ集まらないじゃろうと思われる、クセのあるビッグ・ロッカーたちが勢ぞろいしとる! ある意味で強烈なロックであるようで、全然ロックでないような、余計なエネルギーをそぎ落として美しいものだけを見ていたい、感じていたい!ってなおかしな覚醒感をもたらす「怪作」じゃ。 クルト・ワイル存命時の録音を聞きたい時は「クルト・ワイル歌曲集」(写真右)がある! 体調がどんなに悪かろうが、コッチを聞くと酒が進む! 明日なんてどうでもよくなってくる!!
 

 「明日なんてどうでもよくなってくる!」なんて、書いておきながら、やはり明日は確実にやってくるのであって、それをどうにか乗り越えていかにゃならんから、そのうちロックはわしのもとに戻って来る! 

 「娼婦の館に出入りすることは悪いことではない。 そこから出られなくなるのが恥ずべきことだ」

 な~んて、昔のドッカの偉い文学者が言っておったが、ある時は木枯し紋次郎の虚無感、クルトワイルの絶望感、おフランスの幻想世界なんかに浸っても、要は現実に戻ってくればいいのじゃ! でも、今はまだ戻りたくない(笑)。 そんなお方におススメの作品セレクションでありました~。
 GWが終わってもエンジン・フル・ターボのボス。 ロックまでお休みしちゃって「ゴロ~ン」を美化しようとしておるわし。 栄光のThe-Kingのスタッフ(のつもり)の中には、こんな男もおることを忘れんでくれ~。  


七鉄の酔眼雑記 ~窮地の七鉄を救ってくれた!?オフコースと松山千春
 
 ロック以外の雑多な音楽体験も交えて語らせてもらった今回じゃが、ロックの本場アメリカ、ヨーロッパの者が日本のポップスを聞いたら?ってコトの実体験を番外編とさせて頂こう!
 わしがイギリスに初めて行ったのは「語学留学」を名目として旅立った1977年。 渡英前にお手製の邦楽テープをくれた友人もおった。 成田空港まで見送りに来てくれて、「和食レストラン」で御馳走してくれた友人もおった。 「日本を忘れんなよ!」って事だったんじゃ。 まだまだ、男一匹イギリスに行くなんてのは一般的ではなかった時代だったんじゃよ。
 その音楽テープとは、オフコースと松山千春でな。 いくら洋楽狂いのわしとはいえ、名前ぐらいは知っとった。 でもそのテープが日の目を見たのは、渡英期間中たった一度きり。 それは現地の語学学校の授業でやらされた「フリー・スピーチ」の時じゃった。

 スピーチのテーマは自分の母国の事なら何でもよくて、とにかくクラスメイトの前で一人40分くらい英語で喋らんといかんのじゃ。 出番は前日に告げられるんじゃが、指名された前日の夜はホトホト困った。 なんせ学校内で一、二を争うほどのヘタクソ英語の劣等生だったわしには拷問以外のなにものでもないわい。 「何を喋ったらええんじゃ。 大体大して英語が喋れん・・・明日は風邪ひいたってことでズラかるか!」
 しかしこういう追いつめられた時に限って、わしは“悪知恵”がはたらくんじゃな。 「そうじゃ! 英語を喋る時間を短くすりゃええんじゃ。 オフコースと松山千春のテープを使ってしまえ! 日本のポップスなんだから、テーマも問題ない!」

 結果は大成功!(大笑)
 スピーチの時間内で断続的にテープを流しては、まるでDJ気取りでわしはガナった!

「どうじゃ、綺麗なメロディーじゃろう!」 (初めて聞いたクセに!)
「歌詞を英語に訳せだと? バカヤロウ! 音楽はハートで聞け!」 (サイコーの逃げ口実!)
「もっと聞きたいか? OK! オレも気分がいいからもういっちょ行くぜ!」 (ほとんど悪ノリじゃな)

 とかなんとか、 もう40分なんてあっという間じゃったよ。 イタリアの女学生マリーナは、オフコースのメロディにうっとりして「好きよ、コレ!」とか言ってわしにウインクしてくるし(笑)、マリーナの横にいたオランダ野郎のエドワードはウンウンと頷きながら「ギター、いいセンスしてるよ!」って言ってくれちゃうしな。 スイスの女学生ベッティーナからは、松山千春の「長い夜」を「もう1回聞かせて!」なんてリクエストされちゃうし、もうこれ以上ない時間稼ぎが出来た! じゃなくて(笑)、みんなの反応に感動しちゃったもんじゃ。
 「ハ~イ、エブリバディ! 今日はですね、フェイマス・ジャパニーズ・ソングをご紹介します」他、わしが英語で喋っていたのは10分程度だったんじゃないか。(大笑) 立ち会っていたサリー先生はわしの企画力!?に呆れていたけど、知るかそんなこと! いやあ~、あの時だけはテープをくれた日本の友人に心から感謝して、御礼のエア・メールを出したもんじゃよ。 ってことで、オフコースと松山千春はヨーロッパ人ウケがヨロシカッタわけじゃ!

 この一件は今でもわしの忘れることのできない青春時代の大切な思い出じゃ。 逃げ出したいぐらい悩んだ挙句の成功劇だったからじゃよ。 諸君も長期海外旅行に出かける際は、邦楽CDを少しは持参されたし! 思わぬところで異文化交流ができるかもしれんぞ!
 ちなみにそれから3年後、三度渡英した際に同校を訪ねてみたんじゃが、事もあろうにサリー先生に出くわしてしまった! 先生はわしを見るなり、「シガー(わしの当時の愛称)久しぶり! “ジャパニーズ・ミュージックの時”は“うまくやった”わね!」って、もう「イエッサー!」って最敬礼するしかなかったわい!(笑) 


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