相変わらず | |||||||||||||
ROCK FIREBALL COLUM by NANATETSU Vol.168 |
何年、何回関わらせて頂いても、The-Kingの新作発表前はドキドキするのお。 遠足の前とか修学旅行の前とか、好きなロッカーのライブや新譜発売の前とかと同じ気分じゃし、一週間ほど前からは何も手につかん日もある! しょく〜ん、ハアハアしてる?じゃなくて(檀蜜じゃない!)、ドキドキしとるかあ〜? しかしこの度、そのドキドキをひと時だけ忘れてしまった! WBC侍ジャパンの無念を吹き飛ばしてくれたようなダルビッシュ君の快投じゃ! 完全試合一歩手前とは、誠にオ・ソ・レ・イ・リ・マ・シ・タ。 ところで、あの試合のTV放送を観ていた人の中には、試合の行方とは別に「へえ〜」って驚いた方もいらしたと思う。 ヒューストン・アストロズのホームスタジアム「ミニッツメイド・スタジアム」じゃが、センターのフェンス手前数メートルからフェンスまでが緩やかな坂になっておることじゃ。 坂の天辺あたりにはフラッグポールも立てられておった。 大きなセンターフライが上がると、中堅手(センター守備者)は、この坂を登りながら打球処理に務めることになり、場合によってはこのポールに打球ないし中堅手自身がブチ当ってしまうこともあるわけじゃ。 日本の球場のグラウンドにこんなモンを作ったら、「守備の邪魔」とか「センターが怪我をする」とかって非難ごうごうじゃろうな。 大体「何でそんなモンが必要なんだよ!」ってなるじゃろう。 でもアメリカではこんな事はどぅ〜てことない!んじゃよ。 アメリカは「個性大国」ってよく言われるが、それはちょっとでも他者とは違う特徴を大事にするってことであり、ベースボールのスタジアム造りにも如実に現れておるんじゃよ。 今回はダルビッシュ君の快投に触発をされたわしが、1950年代に存在した個性的、特徴的なアメリカン・ベースボール・スタジアムをご紹介することで、「アメリカの個性」ってモンをちいとばかり考察してみたい! 思えばこのコーナーの丁度10回前、1950年代のメジャーリーグの実態をご紹介したが、今度はその当時のスタジアムに焦点を絞って、あらためてロックンロールとは別サイドから1950年代のアメリカを振り返ってみたい。 しばしお付き合いのほどをヨロシュー。 なお1956年という年は、ロックにとってエルヴィスがメジャーシーンにデビューした史上最大の記念イヤーじゃが、メジャーリーグにとっても忘れ難き年じゃ。 ダルビッシュ君が逃がした完全試合が、こともあろうにワールド・シリーズという大舞台において史上唯一達成されたのじゃ。 (写真右。 1956年10月8日、投手ドン・ラーセン/NY・ヤンキース、対ブルックリン・ドジャース第6戦) 素晴らしきメジャーリーグ・ベースボールの世界! ゴールデンフィフティーズ当時に存在した 変形、アイディア・スタジアムが物語る「アメリカの個性」 |
21世紀はモダン・クラシカル・スタイル 1950年代に回帰する前に、現代のアメリカン・ベースボール・スタジアム(ボール・パーク)建築事情について、ちょっとだけ説明しておこう。 「ミニッツメイド・スタジアム」を初めとして、21世紀になってから“スタジアム・ラッシュ”と言われるほど新スタジアムの建築が相次いだんじゃが、合言葉は「モダン・クラシカル・スタイル」。 現代建築技術によって、古き良きスタジアムの味わいを再現しようという風潮じゃ。 「ミニッツメイド・スタジアム」の「坂」や「フラッグ・ポール」は、そんな風潮から生まれたのじゃ。 さて、その坂とポールじゃが、これは1960年代までシンチナチに存在した「クロスリー・フィールド」の坂と、デトロイトの「タイガー・スタジアム」のフラッグ・ポールを模したと言われておる。 坂とポールはそれぞれ当時の両スタジアムの名物であり、それを「ミニッツメイド・スタジアム」が採用したわけじゃが、懐かしい名物であれば、時と場所を隔てて別個に再現したっていいではないか!ってのが発想じゃ。 これを「図々しい」とか「何の意味があるのか?」なんて言ってしまったら小日本人じゃよ! 実際「ミニッツメイド・スタジアム」の坂付近の座席は、外野席でもっとも人気を呼んでおるらしい。 洪水の残置物を名物にしてしまった“ザ・テラス” ■クロスリー・フィールド(シンシナチ・レッズ本拠地) 「ミニッツメイド・スタジアム」の坂のオリジナル・モデルがあったスタジアムじゃ。 写真右端をよぉ〜く見てくれ。 外野後方からフェンスに向かって坂になっとるじゃろう。 「ミニッツメイド」はセンターの一部分じゃが、こちらはレフトとセンターを結ぶフェンス前はすべてなだらかな坂になっていて、“ザ・テラス”と呼ばれていたんじゃ。 これは1937年にスタジアム周辺を襲った大洪水の際に大量の土砂がグラウンド内に流れ込み、水が引いた後に出来た突起(坂)部分を「これはオモシロイ!」って、その上にも芝生を張ってスタジアムの名物にしたのじゃ。 「え?何がオモシロイの?」って言われそうじゃが、「他には何処にも無い!」ってことじゃ。 こういう無邪気な発想が名物ってもんを生むんじゃ。 土地買収劇がもたらしたジグザグ・フェンス ■グリフィス・スタジアム(ワシントン・セネタース本拠地) センター付近の芝生の凸凹ラインを見てくれ。 このラインに平行して外野フェンスがあり、不格好なまでにジグザグになっとったんじゃ。 これはスタジアム建設の際、センター周辺の5件の家屋が土地買収に応じなかった為に発生した苦肉の策なのじゃ。 さしずめ日本人の建築感覚ならば、ゆったりとカーブを描くフェンスを前面に立てて見栄えをよくする(凸凹を無くす)ところじゃが、当スタジアムは凸凹をそのままにしたんじゃな。 フェンスが飛び出した部分に打球が当たると、予測不可能な跳ね返り方をして外野手はてんてこ舞いしていたらしいが、それもまたこのスタジアムの名物、特徴ってことでファンに親しまれたらしい。 野球の打球をパチンコ玉扱いしとるようじゃが、それもまた楽しいではないか! スリリングではないか!! ベースボールとは太陽の下でプレイするものだ!? ■リグレー・フィールド(シカゴ・カブス本拠地) こちらは現在も使用されておるスタジアムであり、大リーグ全30球団の本拠地球場の中で、ボストンの「フェンウェイ・パーク」に次いで2番目に古いスタジアムじゃ。 写真を見て「おや?」って思わんかい? そう、このスタジアムには照明設備が無かったのじゃ! 1914年の開場から1988年までの75年間、ディゲーム・オンリー!でゲームを開催しとった珍しいスタジアムじゃ。 これは「ベースボールとは常に明るい太陽の下でプレイするものだ!」というオーナーのリグレー氏の意向ってのが定説じゃが、事実はチト違う。 実際は1941年に照明灯の設置工事を開始した直後に太平洋戦争が勃発して、鉄を供出しなくてはならないために工事が中止になったことに対するリグレー氏の弁明じゃったらしい。 リグレー氏はチューインガム会社社長で広告コピーを作る名手だったため、照明設備が製造できない弁明ですら「野球史に残る名言」にしてしまったのじゃ。 まあこの名言がいわば独り歩きしてしまったお蔭で、1988年まで照明を造らなかったんだから、いやあ〜実に大らかですな〜。 またこのスタジアムにはもうひとつの名物があり、それは外野フェンス全てを覆うツタの葉じゃ。 これが季節ごとに様々な色合いを見せてファンを楽しませたことから、スタジアムの近代化ブームが押し寄せてもツタが取り払われることがなく、「メジャーリーグ一美しいグランド」として不滅の名物になっておる。 このツタの中に打球が潜り込んでしまったら、「エンタイトル・ツーベース」ってな特別ルールもあるのじゃ! ワールドシリーズ初の“劇弾”が吸い込まれた森林の外野 ■フォーブス・フィールド(ピッツバーグ・パイレーツ本拠地) 現在のアメリカン・ベースボール・スタジアムにも見られるが、外野スタンドが極端に小さかったり、また無かったりする場合が少なくない。 これは諸説様々じゃが、スタジアム全体の開放感が重視されとることが一番の理由じゃろう。 外野後方に大自然が広がっていたり、歴史的建造物が聳えていたりしたら、視覚効果としてそれらを取りこんでいく建築様式なのじゃ。 1950年代当時のスタジアムで、もっとも外野後方の風景を大切にして建築されていたと思われるスタジアムがコレじゃ。 無粋な外野スタンドで美しい緑の木々、牧歌的雰囲気を損なうことなく、周囲との調和が重視されとるのが分かるな。 その分内野スタンドは重層、重厚な造りにするために、1909年の建築当時はメジャーリーグのスタジアムの中で2番目の鉄筋コンクリート造りによって完成に至っておる。 1960年のワールドシリーズにおいて、このスタジアムで歴史的なホームランが生まれた。 ワールドシリーズ史上初のサヨナラホームランによる優勝決定じゃ。 打ったのは地元パイレーツのビル・マゼロスキー。 ビルの打球は外野フェンスのツタをかすめるようにオーバーフェンスしながら、このスタジアム名物である緑豊かな森林の中に消えていったのじゃ! 数々のホームラン逸話を演出したニューヨークの2大変形スタジアム ■ポロ・グラウンズ(ニューヨーク・ジャイアンツ本拠地) |