NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN VOL.167

 The-Kingからクールなイタリアン・カラー・シャツの連射が始まると春を感じるの〜。 うむ。 まさしくいい季節になった! お花見にはどれを着ていくかいの〜♪って諸君もワクワクしていることじゃろう。 そんなハッピーモードをシラケさせてしまうようじゃが、左右2枚の画像を見てくれ。 わしの拙い画像加工ソフト遊びを披露しとる様で申し訳ないが、まあ先を読んでくれたまえ 。
 例えばだ。 もしエルヴィスの「カムバック・スペシャル」やストレイ・キャッツの「ライブ・イン・ブリンクストン」等、いわゆるファン待望の復帰作品のジャケットが、こんな感じで過去の名盤の上に新しいタイトルだけが書かれたまっさらの紙をのっけたデザインじゃったら、諸君は納得するか? 大概のファンは「ざっけんなあー」つって、ちゃぶ台引っくり返すがごとく大暴れするじゃろう! わしだってそうじゃ。 不買運動やったるわい! いかにキング・エルヴィスじゃろうと、親愛なるブライアン兄貴じゃろうが、許されざる暴挙、愚行じゃ!って、そんなことは現実にはありえんな。 まさか!のハナシじゃ。

 ところが、去る3月13日、そのまさか!が起こってしまったのじゃ! デヴィッド・ボウイ10年ぶりの新作「ザ・ネクスト・デイ」のジャケット・デザインがそのまさか!だったのじゃよ。 まさに我が目を疑ったぞ。
 このデザインは二ヶ月も前から発表されとったが、わしは「どうせ本デザインを発表する前のデモ、カモフラージュじゃろう」と信じておったが、本当にコレでキタ・・・信じられん・・・。
 「実はこの白い部分がシールになっていて、剥がすと下から本デザインがこんにちは!じゃろう。 もったいぶりやがって!」つって、白い部分を猫みたいに爪でひっかいてしもうたではないかバカモノ!
 ワカラン、どうしてもワカランわい、このセンス。 デザイン担当者は「ボウイの過去を破壊しながらも現在との繋がりをナンタラカンタラ〜出来る限りミニマル(最低限)のデザインにしてみた」と語っておるが、そんなノーガキ以前に、これはデザインと言えるのじゃろうか? 
 このジャケットにわしはかなり混乱しとるので、ここはロック史上に残るミニマル、シンプルなアルバム・デザインをアトランダムに思い出しながら、その意義について考えてみたいので、少々お付き合い頂きたい

 
 
デヴィッド・ボウイ10年ぶりの新作発表記念!?
手抜きか、ゲージュツか?
前代未聞の“ありえな〜い”ジャケットを機に振り返る、
ミニマル、シンプル・ジャケット史



 一応「ザ・ネクスト・ディ」のジャケ・デザインの詳細を述べると(まあ詳細ってほど手は込んでおらんが)だな、1977年に発表された名盤「ヒーローズ」のジャケットの上に「The Next Day」の表記のある白い正方形が重ねられておる。 フォント(書体)はシンプルなゴシック系。 そして右上の元々のタイトル表記「HEROES」を、上から黒いラインを引いて隠しておる。 ただそれだけじゃ。
 音楽雑誌の新作レビューのページなんかで、ジャケット写真が無い場合、そのスペースに「NOW PRINTING」って表記がされるが、観る側のイメージとしてはそれに近いもんがある。 今まで“奇をてらった”ジャケットには何度もお目にかかったが、「ザ・ネクスト・ディ」ほど人を喰ったというか、手抜きに見えるというか、いやいや、批判は止めよう。 では、ロック史における超シンプルなジャケットを思いつくままに挙げていこう。


究極のミニマル・ジャケも、やはりビートルズが先駆者


 究極のミニマル&シンプル・デザインなら白色の単色刷り。 代表作はビートルズの通称「ホワイト・アルバム」じゃ。 ただしオリジナル盤は、確かバンド名と製造番号が型押しされておるっつうアイディアが斬新じゃった。 またロック界全体がジャケット・デザインに凝りに凝った時代だっただけに、この逆行したアイディアそのものが絶賛された。(まあビートルズがやれば何でもOK!じゃったが)
 またデザイン部分以外でも、レコードの取り出し口が上部もしくは右側とか、全体のビニールコーティングの有無とかのバリエーションがあったらしく、さらに付録で封入されたポスターや写真がより豪華に見える等、白は白でもただの白では終わらせないところがビートルズのスゴサじゃったな。

 白地にワンポイントとなると有名(?)なのは、グレイシャスっつう70年代初頭のB級プログレバンドのファースト。 プログレ系のジャケットってのは懲りまくり!ってイメージが強かっただけに、「びっくりマークの強調だけとは、何ともひでえアイディアだな」って思ったものの、音楽的には突出した名盤だったので逆にシンプルなデザインが強烈な印象として残っておる。 
 なお、白ジャケ、無地ジャケというのは当時はブートレッグのジャケットというマイナスイメージが強くて、ビートルズやグレイシャスはそこら辺を逆手にとってみせたわけじゃ。 以降、ローリング・ストーンズの「ベガーズ・バンケット」やザ・フーの「ライブ・アット・リーズ」等、過激なジャケデザインにレコード会社がクレームを付けて発表できなかった場合の代替え案として、白ジャケ、無地ジャケは少しづつシーンにお目見えするようにはなった。


ダイナミックか、ナンセンスか? 見る側が困惑するこの2枚
 
 2色刷りの代表作は、ヴァン・ヘイレンの赤白のコレ! 究極の手抜きデザインとして悪名高き1枚じゃ。 シングル単体で発売した曲が大ヒットしてしまい、急遽ストック曲でアルバムを作って発売したためにジャケ・デザインが間に合わなかった!ってのが言い訳。 多分これは本当のハナシじゃろうが、「ロックにインテリジェンスは無用じゃあ〜」を貫き通してきた爆笑痛快バンドじゃったし、「アイツらなら仕方ねえな」って容認されておった。

 色数バナシの次は、グラデーション・ジャケットじゃ。 写真の濃淡ではなく、刷り色のグラデーションをジャケットいっぱいに使用したのはイエスの「危機」じゃったと思う。 色のグラデーションという概念がまだ一般的ではなかった時代じゃったので、アイディア自体は新鮮じゃった。 因みに、裏ジャケもこのまんまであり、どこにもポイントがなくて「だから何?」って声も多かった。 ましてCDサイズに縮小されてしまうと、グラデーションの迫力も消滅じゃ。 新しい色彩概念、印刷技術を見せられただけって印象じゃ。


とりあえずアダルトなセンスが光る、ブラック・ジャケット

 白一色とは反対に、完全黒一色ってのはいまだに存在しないが、バンド名(もしくはタイトル)だけ印刷ってパターンは結構ある。 有名どころは、@「バッド・カンパニー」のファースト Aエマーソン・レイク・アンド・パーマー「四部作」 Bイーグルスのラストアルバム「ロングラン」。
 ただしそれぞれ隠れたひと工夫があった。 @白のバンドロゴ部分は、ペイント・ローラーを滑らせた跡(かすれ)が残されており、デザイン現場のリアリティが伝わる雰囲気がなかなか! Aはバンドロゴがジャケ中央に型押しされて迫力あり! B白いバンドロゴがバックの暗闇に消えていくような、うっすらとしたグラデーションをかけてバンドの行く末(消滅)を暗示しておった。 
 こうした本来は二次的効果をもたらす小粋な隠し味的アイディアが、ブラックジャケットによって前面に出てくるという技あり!ジャケットじゃったワケじゃ

 

自分自身を見ろだとお〜? 大きなお世話じゃ!?

 その昔LP全盛時代は“アイディア・ジャケット”ってのが流行り、多角形、変形、穴あきスライド式、3D仕様とか、色々工夫が凝らされておった。 その中でも有名じゃったのが、ユーライア・ヒープの「対自核」。 原題は「Look At Yourself」で、直訳すると「自分自身を見ろ!」ってことで名盤紹介書籍なんかでは「タイトル通り、ジャケットには“鏡”が貼りつけられてある」と記載されておった。
 しかし実際に鏡が貼りつけられておるはずもなく、代わりに銀紙(左写真の青枠内)が差し込まれておった。 自分の顔なんてうっすらと歪んで見えるだけでオモシロクモなんともない! 「ヤロウ、アイディアが無かったからって、テメーのツラを見ろとは何事じゃ!って思ったわい。 


ガキの落書きの方がまだマシ!

 ロック史上もっとも“ファンをコケにした”ジャケットってのはセックス・ピストルズのコレじゃろうな。 彼らのやりたかった事ってのが、エルヴィスを筆頭とする先輩ロッカーたちが作り上げてきたロックの歴史を丸ごとぶっ壊すことだったワケだから、お金を払うファンに対する礼儀もへったくれもない! こんなクダラナイジャケットでレコードを包むことも作戦のひとつだったのじゃろう。 もう見ただけで買う意欲が失せてしまうような歴史的なふざけたジャケットじゃ。 
 わしはこのアルバムを持っとるが、買ったワケではない。 でも万引きしたんじゃないぞ。 いきつけのレコードショップのポイントカードがいっぱいになった(レコード1枚無料サービス)時に、そいつと引き換えに入手したんじゃ。 やはりとても身銭切ってまで買おうとは思わなかったもんじゃが、そこまで嫌悪感を抱かせたわけだから、やはりこのデザインの術中にハマったってことなんじゃろう。
 

 こうして振り返ってみると、それなりの新しい効果、見えない効果があったような気もするミニマル、シンプルなジャケットたち。 もうひとつ忘れてはならんのは、賛否両論のこれらのジャケットに包まれた作品は、いずれもロック史に残る名盤、もしくはバンドの活動歴の中で重要な作品として後世に語り継がれておることじゃ。 ということはメディアの露出度も高いから、観る者も段々と違和感がなくなってくるのじゃ。
 デヴィッド・ボウイの「ザ・ネクスト・デイ」もまた然り。 収録曲を絶賛する声が後を絶たない! やがてジャケット・デザインに対する疑惑の声も消えていくのじゃろう。    

 考えてみれば、アルバム・ジャケットについてアーダコーダ言うのは、もう完全に時代遅れなのかもしれんなあ。 お店に行かなくても、ネットからダウンロードでアルバムが買えちゃう時代になってきておる。 ジャケットどころか、音楽メディア(CD)すら要らない時代って事を忘れておったわい。 CDが要らないってことは、付録の歌詞カードや解説書も要らないってことじゃな。 「ザ・ネクスト・デイ」のジャケットは、「音楽作品完全無形時代」へのある種の啓示なのかもしれんなあ。
 「音楽作品完全無形時代」って、ヤル気スイッチがゼロになるな。 ジャケットの無い音楽作品って、クリープを入れないコーヒー・・・じゃなくて、何だか世界全体が色無しになってしまうようじゃ。 まあ見えないオバケに怯えていても仕方ないので、アイテムの種類は違えど、ここはやはりクールなカラーで攻め続けてくるThe-Kingの今後の新作を想像しながら、ロック・アイテムの存在感、美デザインってものに感動し続けていくしかないな!



七鉄の酔眼雑記
 〜無駄な抵抗が好き!
 
 自分で書いておきながらゾッとしてしもうたが、「音楽作品完全無形時代」かあ・・・。 変なハナシ、音楽ビジネスがそうなる前にこの世にオサラバしたくもなるのお。 なんか対抗策を講じないと・・・ってワケでもないが、ある無駄な抵抗?をしとるんじゃ。

 最近は欲しいアルバムが多過ぎて、致し方なく一部をレンタル品やダウンロードで賄う場合も少なくない。 その場合は必ず生CDに落とし、更にCDラベルとジャケットを自分でこさえるようにしておるんじゃ。 これはわしのレコードコレクター嗜好の名残りともいうべき行為じゃろうな。 やっぱり音楽を「物」としてもしっかり保管しておきたいんじゃな。
 盤面印刷ができる生CDの表面に、ネットから引っ張ってきた適当な写真や曲目を印刷する。 やはりネットから入手した該当ジャケ写をCDジャケサイズにトリミングして写真光沢紙に印刷する。 お休みの日はこの作業だけで丸一日を潰してしまうこともある。 こうして、レンタルやダウンロードで入手した音楽を自分の手で物品化しとるんじゃ。 PCやスマホにぶち込むだけなら時間もかからんし、何よりも嵩張る事もなく、いつでもどこでも気軽に聞けるのに、やはりこういうことをしておかんと気が済まんタチなんじゃな。

 こんな余計な事をやっとるのはわしぐらいか?なんて思っておったが、やはり世の中は広いもんで、ネットで該当写真を探しておると、時々予めCDラベルサイズにデザインされた図柄が見つかったりするからビックリ! 数からいったら映画のDVD用の物の方が多いが、中央の小円部分もくり抜かれてデザインされており、恐れ入りました、っつうか、涙が出そうになったわい。 やはりわしと同じような嗜好のヤツが世界のどっかにいて、同士にそれを無償で提供しとるんじゃろう。 自慢されとるだけかもしれんが嬉しいもんじゃ。 有難く利用させて頂いておるわい。

 まあそれでもチビチビ飲みながらやっとるんで、20枚に1枚ぐらいの割合でトリミング・ミスやデザイン・ミスをそのまま印刷しちゃう場合がある。 そんな時は迷わずNGとする。 といっても破棄はせんで、防水スプレーをかけてコースターとして使うのじゃ。 勿体ないのかもしれんが、それはそれで楽しい。 わしの部屋に遊びに来た輩に、飲み物と一緒にデザイン・ミスのCDコースターを出したら、「こんなの売ってるんだ!」だって(笑)
 音楽無形化時代への虚しい抵抗、悲しい独りよがりなのかもしれんが、こういう事に手間暇を惜しまない部分をわしは密かに自愛しとる!
  

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