NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN VOL.160


 この原稿を書いておるのは、まもなくThe-Kingの2012年更新セミファイナルが迫る12月4日じゃ。 既にボスからは新作の写真も送られてきており、そのスピーディーな仕事っぷり、そしてアイテムのハイ・クオリティぶりは、2012年を駆け抜けるためには申し分無し! 思いを残すことなくゲットして年を越せられませ、諸君! あ〜ホワイトバックスとブラックバックスの雄々しき輝きよ! Barnard  Lanskey亡き後はThe-kingに任せた!と言われる日もそう遠くはあるまい!

 いやいや、新作の写真を見ただけでコーフンしてしまったわしじゃが、それまではチト違った感慨というか、思い出に耽っておったんじゃ。 毎年12月4日が近づくと必ず思い出される事があるんじゃ。 それは32年前の1980年12月4日、1970年代最大の人気ロック・バンド、レッド・ツェッペリンから正式解散の声明が公式発表された事じゃ。 わしは確かFENラジオ放送で聞いたと思うが、それはロックバンドとして前代も後代も未聞の、最高にカッコイイ引き際じゃった。

「我々はこの度の敬愛すべき友人の死に際し、
彼の遺族へ深い哀悼の意を表わすとともに、
我々と我々のマネージャーとで共有していた
調和と連帯感を顧みた結果、
今後活動を続けていくことは不可能との結論に達したことを、
ここに表明するものであります」

 友人の死とは、ドラマーであるジョン・ボーナムの二ヶ月あまり前の訃報であり、ジョン無しでのバンドの存続はありえない!という実に明確で潔い結論じゃった。 

 そしてもうひとつ思い出は、ジョン・ボーナムの訃報からツェッペリン解散声明発表までの二ヶ月半の間に、わしのまわりのロックファンが特殊な騒ぎ方をしておったことじゃ。 偉大なアーティストが亡くなった場合、同志が集まって自分のお気入りの作品を熱く語り合いながら、亡き偉人を偲ぶのが相場じゃ。 しかしジョン・ボーナムの死に際しては、ツェッペリン・ファンの様相はかなり異なっておった。 なんつうか、各々がやり場のない悲しみを強引に何か別のエネルギーに転化してつき進もうとする様な異様な光景じゃった。 それは32年も経った今でも決して忘れることが出来ないのじゃ。
 そんなワケで、レッド・ツェッペリン解散発表日記念として、あの時のジョン・ボーナム・シンドロームともいうべきわしの周囲のツェッペリン・ファンの状況を書き記してみたい。 ツェッペリンと50sロックとの繋がりは表面的には薄いが、ヴォーカルのロバート・プラントはLanskey Bros.の上客じゃったし、「ラブテン」のメンフィス店でThe-King製のナッソーをお買い上げ頂いておるし、ギタリストのジミー・ペイジのアイドルはエルヴィスやバディー・ホリーじゃったし、ここはひとつ良しなに頼む! なお以後ジョン・ボーナムの表記は敬意と哀悼の意を込めて、彼の生前の愛称「ボンゾ」とさせて頂くことにする。



〜レッド・ツェッペリン解散日12月4日を偲んで〜

ロック史上空前絶後のドラマー、
ジョン・ボーナムの死がもたらした“
喧々諤々(けんけんがくがく)の二ヶ月半”

■後釜は誰だ! いや、後釜などいるのか!? ■
 
 半世紀を超えるロックの歴史において、一流バンドの解散の理由が「ドラマーの死亡(もしくは脱退)」であった例は他には無いと存ずる! だから何はともあれ、ボンゾ死の直後から、ファンもマスコミもボンゾの後釜を予想し始めたもんじゃ。
 ボンゾの死を悲しむより、後釜探しってのは、まったく喪に服することのない残酷なアクションのようじゃが、真相は違うのじゃ。 実のところ、ボンゾの死によって自動的にツェッペリンが解散してしまうことは誰もが薄々分かっておったんじゃよ。 だから 後釜探しは、ダブル・ショック(ボンゾの死、ツェッペリン解散)の悪夢、言うなれば死刑執行日が近付く恐怖を振り払うための空虚な戯れみたいなもんだったのではないか、と思うぞ。 それほど、ツェッペリン・サウンドにおいてボンゾの存在は絶対であり、それを理解出来ておるのが真のツェッペリン・ファンだったのじゃ。

 わしもよお聞かれた。 「誰になると思う?」って。 「居るハズねーじゃろう!」ってのが本音じゃったが、ロック仲間とのボンゾ談義がそこで終わってしまうのもまた虚しい・・・。 「居るとすれば、ミッチ・ミッチェル(ジミ・ヘンドリックスのバッグバンドのドラマー)ぐらいか」とか苦し紛れに答えた覚えがある。 世間で後釜として噂が高かったコージー・パウエルは、悪いがわしから言わせれば、ぜ〜んぜんチャラかった! 右写真は、ボンゾとコージー・パウエルの希少な2ショットじゃが、貫録からして違い過ぎマス!
 

■ 思い思いの追悼・・・ ■

 ボンゾ訃報をわしは意外な人物から聞いた。 事もあろうに!?ロック門外漢の姉貴殿から、「ツェッペリンのドラマーが死んだって夕刊に出てるよ」と。 こういう時の反応というのは「時間が止まった」以外の何物でもなく、他の記憶は曖昧じゃが、わしは姉貴殿の言葉を聞いた瞬間に「あぁ、ツェッペリンが終わったんだな」と条件反射の様に感じたことだけは鮮明に覚えておる。 
 当時わしは週4〜5日書籍の流通卸場で夜間アルバイトをしており、 その夜も職場に向かった。 作業室ではいつも洋楽の有線をかけっぱなしにしておったが、22時ぐらいじゃったかな。 突然ボンゾのドラムソロがフューチャーされた「モビー・ディック」が流れてきた。 その時だけは作業の手を止めて少々黙とうした。 有線はDJのお喋りが入らんし、一曲まるまるかけてくれるからエエな。 どこかの誰とも知れぬファンが、悲報におとなしく耐えることが出来ずにリクエストしたんじゃな。 その気持ちワカルゾ!
 二、三日してハードロック系の知識が豊富な顔見知りの店員のいるレコード・ショップに行ったら、その店員はツェッペリン・サウンドの基本である黒人ブルースのレコードばかりかけており、そして機嫌が悪い。 「どうせツェッペリンは解散だ。 信じたくないよ。 知りたくもないよ」ってわしにアタル・・・。 悲しみを押し隠すようなその態度にわしも胸にキタぞ。

 「ボンゾが死んでから You Tubeの再生数が○万回になった」「アクセスが殺到して動画が再生不能になった」なんてよりも、ファンが思い思いのスタイルで追悼の意を表することができた穏やかで情緒ある時代で良かったと、今さらながらにわしは思うておる。

 
 
■ 死によって明らかにされた、ボンゾの真の功績 ■
 

 例えばThe-Kingからわしの名前が消えたらって、それは大勢に影響ない・・・な、ゼンゼン! じゃなくて、ビートルズからレノン/マッカートニーが、ストーンズからジャガー/リチャーズが居なくなったら、それは果たしてビートルズ、ストーンズと呼べようか?
 歴史に名を残すほどのビッグバンドには、絶対に外すことの出来ない表看板、それだけで永遠の信用を勝ち得るパブリック・イメージってもんがあるな。 それを担っておるのは、ヴォーカリストでありギタリストである場合が大半じゃが、レッド・ツェッペリンは、その一人がドラマーのボンゾだったのじゃ。 ボンゾほどドラマーの存在がバンドの中で際立っていたのは、ロック史上でもレッド・ツェッペリンが唯一にして最大じゃろう。

 では何故ボンゾがそこまでの存在足り得たのか。 実はコレ、当時の日本人ファンはおろか、評論家でも正鵠を射た発言を出来るもんはおらんかった。 有名なツェッペリン評論家、いやツェッペリン応援団長だった評論家のS氏でさえ、当時はまだ明言出来ていなかったはずじゃ。 「とにかくね、ボンゾだけは別格のドラマーなんです」じゃった。 
 ボンゾの死から一週間も経たない内に、わしの周囲の筋金入りロック野郎どもが騒ぎ出した。 先述した「後釜論」がひと段落した後は、何故ボンゾは偉大か?って持論を語り始めたのじゃ。 彼らの評論家顔負けのボンゾ論はスゴカッタな。 道理で彼らが評論家嫌いだったのが分かったもんじゃ。

 まあ彼らの激アツの講談により、わしもツェッペリン・サウンドの真髄を多少は言葉で説明出来るようになったから感謝はしとるわい。 ロック・ファンってのはアタマヨワクくて荒っぽい!ってのが当時の世間の評判じゃったが、なかなかどうしてボキャブラリー豊富でキレ味鋭い音楽評論をするヤツが多いもんじゃ!と感心したわな。 冗談抜きに、今後日本のロック・ジャーナリズムは急速に成長するんじゃないか?って思えたな。 いわば、ボンゾの死が日本の青少年の中に眠っていた才能を引っ張り出した感があったぞ。 この点、わしの予想は見事に当たった!かもしれんな。 


 でも後になって気が付いたが、わしにボンゾ論をふっかけてきた連中じゃが、彼らは今までツェッペリン・フリークだと公言しておったかのお? つい先日までは、ジェームス・ギャングとかフリーとか、B級扱いされていたバンドを推奨しておったではないか。 それで改めて気が付いた。 「ツェッペリン、ボンゾってのは熱いロックファンにとっての『アンタッチャブル』な存在だったんじゃな」と。 安易に語るなかれ。 軽々しく口に出すな!とまで崇拝された存在だったのじゃ。


■ “男の中の男”を地で行くような野性味あふれる風貌 ■ 

 ここで論点を少々ミーハーっぽくしよう。 ボンゾのヴィジュアルについてじゃ。 ジミー・ペイジやロバート・プラントと同等の存在感を放っていた要因は、ボンゾのヴィジュアルも大きかったのじゃ。 どういうワケだが、ビートルズ、ストーンズ、ザ・フーらの先輩ブリティッシュ・バンドのドラマーってのは、どこか茶目っけのあるマスコット的なキャラが多かった。 ツェッペリンの場合は、他の3人が優しい顔立ちであるのに対して、ボンゾは男臭くて眼光スルドイ面構えが大変にヨロシイ。 まるでバンド内の番長、ボディガードみたいじゃ。 酒も喧嘩も強そうじゃ!って、実際に両方ともべらぼうに強かったそうじゃ。 なんせ死因は、ウォッカ連続28杯飲み(36杯じゃったかな?)じゃからな。 これにはわしも到底叶わん・・・。

 こんなドラマーが後ろにおったら、とても気を抜いたプレイなんかでけんな。 終始ガン飛ばされながらプレイしとるようなもんじゃ。 あるライブでボンゾのドラムソロの時間中、ヴォーカルのロバート・プラントがステージの端でタバコを吸っておったそうな。 ライブ終了後、ボンゾはロバートをぶっとばしたそうじゃ。 またあるライブでは観客がリクエストするナンバーを演奏せずにブーイングが起こった際、ボンゾは立ちあがってマイクで一言。 「売られた喧嘩は高く買ってやるぜ」 これだけで観客は静まり返ったという。(左写真、右端がボンゾ)
 ちなみにわしにボンゾ訃報を伝えた姉貴殿じゃが、後日ツェッペリンの写真を見せたら「え〜一番ステキじゃない! この人が死んじゃったのお!!」ときなさった。 王子様、美少年ルックス大っ嫌い! 頼りがいの無い男はダメ!ってな姉貴殿ならではの嗜好じゃったが、世界中の女性ツェッペリン・ファンには、そういう方も大勢いらっしゃったんじゃろうなあ。 

 更にわしのまわりでボンゾの訃報、ツェッペリン解散にまつわるもうひとつの忘れられない出来事があったんじゃが、それは笑い話に近いエピソードなんで、下記「酔眼雑記」の方に番外編として付記しておくので、どうかそこまで読んでみてくれ〜。 ケッコー笑えると思うぞ!



■ 最後の最後にキメてくれた、前代未聞の“名”未発表曲アルバム「コーダ(最終楽章)」 ■

 では最後にツェッペリン解散後の重大な後日談を。 不運にもボンゾ存命中のラストアルバム「イン・スルー・ジ・アウト・ドア」は、特に日本では非常に評判の悪いアルバムじゃった。 だからファンは、解散自体は納得できても、「イン・スルー・ジ〜」がラストなんて事に関してはヤリキレンってとこだったようじゃ。 前述した、わしに「ボンゾ論」を熱く語った連中の大半も「アレはないよな」じゃったな。
 ただしその悪評は、著名なロック評論家たちが、発表直後からこぞって声高にケナシタってのも大きい。 だから「『イン・スルー・ジ〜』は駄作」ってイメージが先行したってのが事の真相じゃよ。 バカタレ評論家めが! ボンゾのプレイに一段と凄味が増したナンバーもあったアルバムだったんじゃぞ! 
 そんな日本人ファンの為のようなアルバムが、翌年の11月に発表された。 未発表曲/未発表ライブ集「コーダ(最終楽章」」じゃ。 ボンゾ追悼作品のフレコミで発売されたが、「な、なんでこれがお蔵入りだったんだ!」って大騒ぎされるほどの名曲が多く、しかも全曲でボンゾは暴れまくる、真っ直ぐなツェッペリン・ファンにとってはまさに胸のすくような名演、快演の数々! 「モビー・ディック」に続く、ドラムソロがフューチャーされたナンバーもあった。 これにて、ファンはようやくボンゾの死とツェッペリン解散の事実に対して前向きになれたのじゃった! メデタシ、メデタシじゃった。

 
 現在イギリスではツェッペリンのニュースで持ちきりじゃ。 2007年の一夜限りの再結成ライブの収録作品「祭典の日」が発表され、それがやたらと大好評! メンバーはインタビューに引っ張りだこで、ともすれば結成50周年のローリング・ストーンズをも凌ぐメディアへの露出度じゃ。 ジミー・ペイジはプロモーションの為に来日までしたっつうしな。
 しかし再結成、リバイバル・ブームとはいえ、ボンゾがおるわけではなく、代役は息子さんのジェイソンが務めておるんじゃが、やっぱりツェッペリンをツェッペリンたらしめていたのはボンゾじゃ。

 マスコミはこぞってメンバーに聞いとる。 「このメンバーで正式な再結成はしないのか?」と。 もちろん全員即座に「No!」。 「ボンゾ無しはツェッペリンにあらず」ってのは彼らがもっとも分かっておるからじゃ。 笑顔で涼やかに正式再結成を否定する彼らは、清清しい解散表明を出した32年前と何ら変わっておらん。 まあこの度の再“編成”ブームはご愛嬌じゃ! 物事の本質を熟知し、それが徹底してブレない姿勢こそロックン・ロール! ロバート・プラントがThe-Kingのナッソーをゲットしたのは、自分たちの信念と同じスピリッツをThe-Kingのナッソーから感じ取ったからじゃ!とわしは信じておるゾ! (ロバート殿にお買い上げ頂いたのは事実じゃが、写真が無いのがボスもわしも残念じゃがな〜)
  


七鉄の酔眼雑記 〜 こ〜んなにデカいバスドラム!?
 
 ジョン・ボーナムの評価と人気はその後も衰えることなく、2010年の「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のドラマー」でNo.1に選出されたんじゃ。 まさに不世出のドラム・ゴッドじゃ。
 ドでかいバンド、ドでかいロッカーってのは、何かと都市伝説(出所が不明で、真偽が定かでない噂)がつきまとうのが常じゃ。 しかも映像作品も少なく、インターネットもない時代のロッカーには都市伝説ってもんが多かったもんじゃ。 そこでジョン・ボーナムに関するわしの知っとる都市伝説、それもトビッキリ!?のヤツを最後にオハナシしようか。

 本編で書いたわしのアルバイト先でご一緒し、大学のロックバンドサークルでドラムやっとるっつうヤツがもちこんだ話なんじゃが、こいつ、いつも苦虫をかみつぶした様なしかめっ面をしており、その顔で物事をいちいち大袈裟に語るんで、本人の思惑とは反対に(?)バイト仲間たちの間ではお笑いキャラじゃった。 しかしヤツは学業、バンド、学費を稼ぐアルバイト2本のハードな毎日を送っており、時間にも気持ちにも余裕がないのは皆が知っておったから、あからさまにイジルことはご法度。 それが我らバイト仲間たちのヤツへの友情の証みたいなもんじゃった(笑)。
 ジョン・ボーナムが亡くなってから一ヶ月後ぐらい、まだツェッペリンの解散が発表される前じゃったと思う。 ヤツがいつもの様に厳しいツラ、思いつめた表情でわしに話かけてきた。 この日はさらに虫歯の痛みにでも耐えているのか。 悲壮感まで漂っておる!
 
 「おい。 オマエ、確かツェッペリンのライブを観たって言ってたよな。 ジョン・ボーナムのバスドラってこ〜んなにデカイって本当か?」
 
 ヤツはそう言いながら両手を広げやがった。 「ぶはは! おみゃあ〜冗談にも程があるぞ! どう見たって通常の26インチのシングルバスドラじゃったよ」って即答しかかったが、ヤツはわしの返答に己の行く末を賭けている様なスゴイ形相であり、右手が腰刀にかかっておるような体勢になっとる。 その迫力に押されたか、いやいや、生真面目な勤労学生の純粋な夢を潰してはならんっつう仏心が出たか(笑)、ついつい

「おっ、おお、そうじゃそうじゃ。 こ〜んなにデカかった!」ってわしも両手を広げてやった。 吹き出しそうになるのをこらえながら〜♪

 ヤツは「やっぱりそうか! だからあんなデカイ音が出せるんだな!!」って、広げた両腕を今度は力強く組み、何度も何度も頷き始めた。 そして「よし! トレーニングが必要だな」とかワケワカラン事を呟いておった。 どうやらヤツは、ボンゾ訃報に際して、自らが後継者になることを決意したような感じじゃ。 わしの発言はその後押しをしたようなもんかいのお。 それからヤツが本当にトレーニングに励んだのかどうかは知らんが、翌年の3月、ヤツは大学で進級でけんかった(落第した)らしい。 わしのせいじゃねーぞ〜!

 しかしまあ、情報が少ない時代とはいえ、どこからそんな明らかなガセネタが出てくるんじゃろう? 大体わしはツェッペリンのライブには行ったことはないのに、どこで話が食い違ったのか。 それにバスドラムの大きさなんて、音楽雑誌を見ておれば目にする機会もあるというのに。 3年前にはライブ映画も公開されとる。 いや、ヤツはそんなものを観る余裕も無かったんじゃろうか。 でもなあ、バスドラムがこ〜んなにデカイって、真に受けるヤツはどういう頭脳しとるんじゃろうか、ってそれを煽り立てたわしもわしじゃがな〜。
 ヤツは留年してからは、そのバイト先に顔を出さなくなった。 こ〜んなにデカいバスドラムを購入するために、もっと割のいいバイトに鞍替えしたのかもしれない!? でもそんなモン、一体どこで売っとるんじゃ! ジョン・ボーナムというと、ツェッペリンの清清しい解散声明とヤツのツラがいまだにオーバーラップしてくるんじゃよ。 どうかヤツの行く末にもご加護を!って、もう遅過ぎるな。


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