NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN VOL.157
![]() でもな〜ナッソー関連以外のことはあんまり考えたくはない今日この頃なんで、ここはシリーズ「ロック・ファッション・ルーツを辿る旅」に今一度立ち返るとしよう。 また今回のNewナッソーは何と言ってもマテリアル(生地)がグレイトなんで、マテリアルにまつわるオハナシをかましてしんぜよう! 「ナッソー・ジャケット」の起源が18世紀のイギリスで登場した「ノーフォーク・ジャケット」であることは、去る8月24日更新の当コーナー153回目で書かせてもろうた。 ご面倒じゃが、ま ![]() マテリアルの世界、歴史ってのは恐ろしく奥が深く、そこに入り込んでいくことは「開けてはならぬパンドラの箱」を開けてしまうことでもあり、そうなったら底なし沼になってしまう。 お付き合い頂く方にとっては有難迷惑になりかねんので、出来るだけサラリと語っていくぞ。 スコッチでもチビチビやって、「ほほぉ〜」とかヌカしながらイージーな気分で読んでくれたまえ。 |
ロック・ファッション・ルーツを辿る旅 第7回 〜ディストリクト・チェック周辺の史実 チェック柄と、ケルト人と、スコッチ・ウイスキーのオハナシ ■ディストリクト・チェックとは ■ ![]() 「タータン・チェック」ってのは、我々異国の者から見ると「イギリス伝統の平和のシンボル」みたいに映るが、実は元々は身分の違いによって、厳しい色彩数の限定があったのじゃ。 農民や兵士は1色。 将校は2色。 氏族の長は3色。 貴族は4〜5色。 優れた哲人(学者)は6色。 王族は7〜8色だったという。 よって地方に住む権力者(氏族)は2〜3色しか使えず、これが「ディストリクト・チェック/地方格子」なのじゃ。 ![]() 多彩な色使いが許されない「ディストリクト・チェック」だけに、その階級に属する者たちは、同系色の濃淡を用いたり格子のデザインに様々な工夫を凝らしたりして多種多様なパターンを生みだして行ったのじゃ。 しかしながら貴族、王族の中にも「ディストリクト・タータン」の愛用者はおった。 それはプライベート・タイム用のジャケット、また各種スポーツに興じる時に着用するジャケットに「ディストリクト・チェック」が採用されておったのじゃ。 スポーツとは、乗馬、ゴルフ、クリケット、シューティング、そしてハンティング(狩猟)じゃ。 このハンティング・ジャケットとして「ディストリクト・チェック」に特殊なカッティング、縫製を施した物が「ナッソー・ジャケット」の原型「ノーフォーク・ジャケット」の基本形であ〜る。 ■ 謎めいたディストリト・チェックの起源 ■ ![]() ![]() じゃからわしも到底エラソーな事は言えんのじゃが、どうやら図柄のパターンの起源はごく初期の「タータン・チェック」である「ジャコバイド」「カレド二ア」「シェパード」ということは間違いないそうじゃ。 一応参考のために図柄の画像も掲載しておくが、「シェパード」(右写真)はともかく、「ジャコパイド」(左上写真)「カレド二ア」はどう見ても色鮮やかな「タータン」じゃ。 この他にも類似パターンがあるが、やはり全然地味じゃない。 どうやらチェック柄(窓)の作り方、連続のパターン等が参考にされたと思われる。 デザインセンス抜群のこのわしも!?実はよお分からんわい。 ![]() そして19世紀中ごろに登場した「グレン・フェシー」「グレン・プレイド(グレナカード・チェック)」の図柄が各階級で好評を博すことで「ディストリクト・チェック」が広く知れ渡るようになったそうじゃ。 さらに我らがテディ・ボーイの御大エドワード7世、そして8世に愛用されたことで有名になった「プリンス・オブ・ウエールズ」もまた代表的な「ディストリクト・チェック」 ![]() ちなみに「グレン Glen」とは、「グレン・フェディック」「グレン・モレッジ」等スコッチ・ウイ ![]() (左写真上が「グレン・フェシー」。 左写真下が「グレン・プレイド」) (右写真が「プリンス・オブ・ウェールズ) ■ 発案者は、“顔に絵を描く民族”ケルト人 ■ ![]() 「ピクト」という表現は、ラテン語の「ピクトール(絵描き)」あるいは「ピクトゥラトウス(彩色された)」という語に由来するという。 また「顔に模様を描く」という意味もあるらしい。 映画「ブレイブ・ハート」で、メル・ギブソン扮する13世紀のスコットランドの英雄的騎士ウィリアム・ウォレスは、顔にブルーで模様を引いておったが、これは明らかにピクト人の伝統性に対する時代考証による描写じゃろう。 さて、「ディストリクト・チェック」の起源は1680年頃と前述したが、その大元である「タータン・チェック」の起源はいつ頃なのか、これはいまだに解明されておらん。 ちなみに映画「ブレイブ・ハート」では、貴族たちが華やかな「タータン・チェック」を、ウィリアム・ウォレス率いる人民兵士たちは地味な「タータン」(「ディストリクト・チェック」ほど地味ではないが)を着用しておったが、ということは13世紀には「タータン・チェック」は存在していたということなのじゃろうか。 ちなみに「タータン・チェック」という言葉自体が定着したのが16世紀頃。 その語源は、これも諸説あるが、フランスの古語で「麻と毛の交織織物」という意味を持つ「テリターナ(teritana)」から転訛したものとも考えられておる。 ケルト人(ピクト人)についても少々。 民族としてヨーロッパ最古の先住者であるケルト人ってのは、他民族が石器、土器文化の延長線上でウロウロしておる紀元前の時代から、かなり先進的な文化を持った民族であったことは有名じゃ。 その反面、戦闘能力は決して優秀ではなかったとされとる。 それ故に、一度住み付いた土地において他民族との勢力争いに敗れ続けて、結局ヨーロッパ全土に散らばっていく運命となり、その一部がドーバー海峡を渡ってグレイト・ブリテン島(イギリス)やアイルランド島まで落ち伸びていったのじゃ。 また長らく文字文化を持たなかったので、彼らがヨーロッパ全土で残してきた様々な足跡記録が乏しいのじゃ。 「タータン・チェック」 ![]() 一方、高い文化やその技術を次世代に伝える手段として口述力(言語力)と、絵画力(デザイン力)が著しく発達していった民族だったとのことじゃ。 つまり、ケルト人/ピクト人がスコットランドの地で生み出した「タータン/ディストリクト・チェック」は、流浪の民である民族の素情と、先天的な優れたデザイン・センスから生まれた、ケルト・スピリットの結晶と言えるじゃろう。 余談ながら、もうひとつケルト人たちの高い文化力を示すのがケルト音楽じゃ。 今でもイギリスやアイルランドのロック/ポップの中にはケルト音楽が強く息づいておる。 それはアメリカン・ミュージックの中に黒人ブルースが色濃く反映されておるのと同様じゃ。 有名どころでは、チーフタンズ、ヴァン・モリスン、ポーグスらが語られる時に必ず引き合いに出される「アイルランド伝統音楽」ってのがあるが、そのテイストの原型は「ケルト音楽」と言っても過言ではない。 ■ 「タータン/ディストリクト」のお次は「スコッチ」 ■ ![]() これは、1745年にスコットランドの地方貴族のスチュワート家が、中央政権の圧政に反旗を翻すべく、土地の民ピクト人を集めて起こした武力行使じゃ。 この反乱はわずか1時間弱で鎮圧されてしもうたという伝説が残っておる。 やはりケルト系民族は戦闘能力は弱かったんじゃな〜。 ところがこの情けな〜い反乱が思わぬ効果、とてつもない副産物を生むことになる。 反乱に怒った中央政権は一切のケルト文化を禁じ、「タータンチェック」の着用も、ケルトの酒の飲酒もNGにしおったんじゃな。 おおっぴらに酒を醸造出来なくなったケルト人/ピクト人たちは、いたしかたなく酒樽を秘密の場所に隠して、ケルト文化禁止令が解かれる時を待ったんじゃ。 数年後、圧政も緩やかになったある日、一人の老醸造者が放置していた酒樽を開けてみると、そこには琥珀色に輝き、得も言われぬ香気を放つ酒の芸術品が出来あがっておった。 これが「今日のスコッチ・ウイスキーの原点」というワケじゃ! ちなみに、イギリス島に留まらずにアイルランド島にまで渡ったケルト人たち、こちらはゲール人とも呼ばれておるが、スコッチよりも早く「アイリッシュ・ウイスキー」を17世紀中期に完成させておる。 わしがこのコラムで度々紹介してきた「ブッシュ・ミルズ」であ〜る♪。 ![]() 本当は「ジャコバイドの反乱」が「アメリカン・ロックンロール」に繋がるって展開があったんじゃよ。 ちょっとだけかますとだな、「ジャコパイドの反乱」に敗れてスコットランドを追われた一部のピクト人がアメリカ大陸に渡り、ケルト音楽をアメリカ人に伝えてロックンロール発祥に大きく関与した!という記録、そして列記とした文献があるんじゃ! それに記された事実を紹介しながら、最後は「ロックン・ロール/ナッソー・ジャケット」に回帰するっつう風にクールに〆たかったのじゃよ〜。 じゃがその文献ってのが厄介でなあ。 恐ろしく難度な音楽理論によってケルト音楽とロックンロールとの繋がりが立証されており、わしにはほとんど「釈迦に説法」、いや違った「馬の耳に念仏」じゃ。 まったくもってわからん。 そういうムズカシイのは八鉄先生なら理解されておるかもしれんので、今度こっそりと聞いてみ ![]() 「ロックンロール」に「ナッソー・ジャケット」。 ひとつの偉大なる芸術品が完成の域に到達するには、時代を越え、国境を越え、文化を越えた、なが〜いなが〜い道程、歴史、そして愛すべき多様な副産物があるのじゃよ。 そのほんのさわりの部分、概要をなあ〜んとなく分かって頂ければ、わしも拙筆をふるった甲斐があったというものじゃ。 The-Kingのボスは偉大なるファッションの歴史の継承者であり、The-Kingのアイテムは壮大、恒久の歴史に支えられておることを忘れんようにな。 心して新作ナッソーをゲットするように! あっ! 確か6〜7年前に、切り替えに「タータン・チェック」を使ったThe-Kingの「ナッソー」があったな! 久しぶりにクローゼットから取り出そうぞ! 今回のオハナシ、ボスはとっくに知っておったんじゃろうな〜、オミソレイタシマシタ!! |
七鉄の酔眼雑記 〜エジンバラのたわけ者![]() もう30年以上も前、初めてイギリスに渡り、ロンドン郊外にてイングリッシュのお勉強に勤しんで、いや飽き飽きしていたある日、同じスクールに通う日本人数人と、確か3〜4泊ぐらいのスコットランドへの旅に出た。 目的は本場のスコッチウイスキーを飲むこと! 奇遇にも参加者全員が酒好きだったのじゃ。 どうせなら思いっきり北上しよう!と、我ら一行はイギリス北部の都市エジンバラまで足を伸ばしたんじゃ。 「エジンバラの騎士」と呼ばれてタータン・チェックをまとったベイシティ・ローラーズを追っかけたのではないぞ! 目的はあくまでも「スコッチ」じゃ。 早朝にエジンバラの地に降り立ってまず感動したのが、醸造所からほわ〜んと漂ってくるスコッチの香り、ではなくてだな、実は空気の味じゃった。 心身が引き締まるようなクリーンな冷気の中に草木と水の香りが閉じ込められておるというか、街の中で森林の空気を味わうような、そんな気分じゃったよ。 徐々に陽が高くなり温度が上がってくると、空気の中で凝結されていた草木や水の香りが溶解、芳香してきて、透明な空気が色づいてくるような何とも壮麗な気分! なんだかタバコを吸うのもはばかれる気分じゃった。 とは思いつつマルボロ・ライトを吸いまくっておった。 美味しい空気の中で吸うタバコの味もまたヨロシ! そんな極上の空気は、チェックインする宿で待っていたブレックファスト(朝食)の味も格別にしたんじゃ! あんなに美味いトースト、卵焼き、ソーセージ、紅茶は、今もって食した記憶がない! とまあここまでは、見事なオノボリさん的感動じゃが、やっぱり旅ってのは朝飯が美味かったならば、その一日はスイスイと良い出来事がやってくるもんじゃ! お次はメインイベントの「スコッチ」! 由緒ある(らしい)城砦とか庭園をのんびり観光した後、我ら酒飲み一行がランチで向かった先は小さなパブ。 イギリスで美味い酒を飲むなら、個人経営のパブに限る! 先刻の朝食が絶品なら、こん時の「スコッチ」は空前絶後! その場で昏倒するような超絶的な味わいじゃった!ってことはなかった。 世の中そんなに甘いもんじゃねえんだな、これが。 え? これが本場のスコッチ? これって酒?? とてもとても美味いとは感じられんかったよ。 洋酒といやあ、良くて「だるま(サントリーオールド)」、普段は「サントリーホワイト」が当たり前のワカゾーの酒の味覚なんざ、たかだかそんなレベルじゃよ。 じゃがな、これがスイスイとイケテしまうんじゃよ、何ら抵抗がなく! そして一滴一滴喉に流し込む度に、喉元から後頭部を軽く刺激しながらも、やがて確実に自分の細胞のひとつに成っていくような、あまりにもナチュラルで存在感の強い味じゃったな。 当然飲むピッチは上がり、炭火で焦がした砂糖のような不思議な甘みと香りに包まれてきた〜。 アタマん中でエルヴィスの「ラブ・ミー・テンダー」のギターのイントロが延々と鳴っている感じじゃ。 決してエルヴィスの歌い出しまではいかずに、ポロン、ポロンとあの短いメロが繰り返されとる感じ。 もう堪らなくなってくる! あの時わしは、酒飲みとしての「禁断の木の実」を食べてしまったんじゃろう! 同僚が語ったところによると、わしはそのまま飲み続けて夕方には泥酔状態。 生け捕りにされた動物のような情けない姿で宿に運ばれて、そのままベッドにころがされておったそうじゃ。 翌日は同僚と離れてさらに北上して、一人で幻の恐竜ネッシー君が潜むネス湖に行く予定だったんじゃが、二日酔いでそれどころではなかったな。 酒臭いアジア人の前に、ネッシー君が現れてくれるはずもない!とかクダラナイ慰めを唱えながらも、夕方になると体調が復活したことをいいことに、また前日のパブに行った! 懲りずに再来したわしに、パブのオヤジは呆れており、スコッチではなくてアイスクリーム・ケーキを出してきよった。 これが生クリームたっぷりのショートケーキをそのまま凍らせたような乱暴なデザートなんじゃが、カリカリ、バリバリのカステラも生クリームも実に美味かった! 酔い覚ましにはアイスクリーム・ケーキじゃ!という方程式が出来上がったのは、このオヤジのお陰じゃな。 って話を帰国後にバカ正直に両親に話したところ、「オマエは高いゼニ払って何しにイギリスに行ったんだ!」って、そりゃあえらい剣幕で怒られた、マジで。 でもコレがわしなんじゃ。 イングリッシュは大して上達せんかったが、スコッチを知るっつう体験はしっかりやってきたんじゃからな。 何をやっても、どこに行っても、何年経っても、やってることは大して変わらんが、こんなわしでも、皆様、今後ともよろしゅうお頼み申します! GO TO TOP |