NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN Vol.155 |
ふ~む。 どうもこのところお隣さんの二つの国との関係がよろしくないようじゃな。 でもわしなんかは、この手のすっきりした出口が見当たらない公(おおやけ)の問題が起こると、余計にロックンロールで身を守ろうとする気概が強くなるんじゃ。 これぐらいのノーテンキな精神をもっとらんと、人生は楽しゅうないわい! しかし世の中にはおせっかいな方がおってな。 先日も行きつけの飲み屋で楽しく飲んでたらインネンを付けられたんじゃ。 議論好きの輩から「この国内外ともに騒がしい時代に、アンタどう生きていく?」って。 ヤダネー、アタマデッカチってのは。 だから言ってやったぞアッサリと! 「ロックンロール」ってな!! やっこさん、唖然としていたよ。 「な、なんだ、この人は!」だったのか。 「バカかこいつは!」だったのか。 そんな事はカンケーネー! わしにはわしの武器がある。 その名はアルギンZ!(ギャグが古過ぎか!?)ではなくて、The-Kingの新作ナッソーじゃあ~。 やっと、本当にやっと秋が到来して下さって、ナッソーをキモチヨ~ク羽織ることが出来る。 わしにとっての何よりの朗報じゃ。 「さあ、誰であろうと、何であろうと、どっからでもかかってらっしゃい!」てなもんじゃ。 でも一応、世の中の動きをそぉ~とネットでチェックして現状の把握には努めてはおるが、気が付いてみたら、やっぱりいつもの通り! ロック関連サイトにサーフィンしておったわい。 と書いてしまうと、自分の「ロックバカさ加減」をさらしておるようで恥ずかしいが(今更恥ずかしがってどうする!) 実は懐かしの「プロテスト・ソング」を探しておったのじゃよ。 「プロテスト・ソング」ってえのはだな、恋愛感情とか心象風景の描写とかではなくて、時の様々な社会問題への見解について書かれたナンバーじゃ。 ベトナム戦争、公民権運動、学生運動、人種差別など、とにかく社会的な火種が多かった1960年代後半~1970年代初頭に数多く発表されておったんじゃ。 まあこのご時世に少々に触発されて、問題意識ってヤツで時代を燃やそうとした「プロテスト・ソング」をついつい追っかけておったということじゃ。 正直なところ、わしは「プロテスト・ソング」はあんまり好かん。 七鉄流音楽鑑賞とは、まずビートを身体で感じ、メロディを心で受け止めるべきであり、歌詞は二の次、三の次だからじゃ。 これはまだまだ海外が遠かった頃の日本において、イングリッシュで歌われるロックに衝撃を受け、しかもロック黎明期の絶対的なスターのオーラにノックアウトされた世代の日本人の共通した感覚かもしれん。 だから世の中の問題ってヤツを歌詞してロック調で歌う姿勢に対して、「ロックを利用すんじゃねえ!」ってのが本音じゃった。 でもそんなわしにだって忘れ難いプロテスト・ソングはある。 今回ネットサーフィンして、その内容を久しぶりにチェックしてみると、現実問題をアーダーコーダ言っておらん曲ばかりじゃったな。 じゃあ代わりに何を歌い、伝えようとした曲じゃったのか。 そこら辺をご紹介してしんぜよう。 |
We Shall Overcome! “こんなご時世”だからこそ聞き直してみたい 動乱の60~70年代に咲いたコズミックなプロテスト・ソング |
♪ イン・ザ・ゲットー/エルヴィス・プレスリー まずは何はともあれエルヴィスからじゃ。 この曲はアメリカのシンボルじゃったエルヴィスの“らしからぬ”ナンバーワン・ソングじゃな。 ゲットーとは貧民街。 そこで生まれた貧しい子供が辿る悲しい運命と、それが連綿と繰り返されていくゲットーの実態が歌われておる。 当時のエルヴィスは、半ばアメリカ国家からの要請で「アメリカ万歳」を歌わされていたのに、国の病巣をえぐるような内容の歌詞・・・。 仮にエルヴィス以外のシンガーが歌ったら“歌詞通り”の暗~い曲になっていたかもしれん。 でもエルヴィスの手に落ちれば、お聞きの通り。 悲しみすらも活力にチェンジする生きていく情念を芽生えさせるポジティブなナンバーになるのであ~る。 歌のテーマの真髄を伝えるに留まるのは数多の「歌の上手い」シンガー。 その先、聴く者に正しい影響力をもたらすだけの表現力があるのがグレイトなアーティストじゃ。 何故エルヴィスはそれが可能だったんじゃろうか。 とりもなおさず、エルヴィスの声が「革命を起こすことのできる声」だったからじゃろう。 ♪ 勝利を我等に/ピート・シーガー、ジョーン・バエズ他 ♪ 平和を我等に/ジョン・レノン エルヴィスのお次はプロテスト・ソングの代表曲2曲じゃ。 大そうなスローガンを掲げた政治的集会では、そのラストを〆るために参加者全員で肩を組みながら合唱するんじゃが、その時は大概この2曲のどっちかが選ばれておった。 じゃがわしは集会には行っても、最後の合唱ってのはご遠慮した。 わしはついシャウトしてまうから皆とハーモニーにならんし、大体ヤロウ同士で肩を組んだり、手をつないだりは御免じゃ!? 集会なんざ終わったら一刻もはよう飲みに行きたかった!ってのもあったが、実は日本では歌の真意が曲解というか勘違いされておったんで、シラケてしまうんじゃ、どうしても。 とにかく2曲とも邦題が悪過ぎたんじゃよ。 「勝利を我等に」の原題は「We Shall Overcome」。 「乗り越えて行くべし!」じゃ。 国内外問わず、政治主張には勝利も敗北もない。 民衆に受け入れられるか、否か、じゃ。 それがいつの間にか規制の政治システムをぶっ壊すことが目的になって、その決意表明としてこの曲は歌われてしまっておった。 作者のピート・シーガーにはそんな意図は毛頭なく、「困難な時代をみんなで乗り越えていこう!」という祈りに近い思いがこの曲に込められておったのである。 決して大衆をたきつけるのではなくて、いわば辛抱を説いた曲だったのじゃ。 ピート・シーガーのオリジナルと、メジャーなヒットにしたジョーン・バエズの両方のテイクを聞いても、それは明らかじゃ。 次に「平和を我等に」。 こちらの原題は「Give Peace a Chance」。 「平和に機会を!」じゃ。 俺たちに平和をよこせ!なんて歌われておるんじゃない。 世界中になんとかイズムが蔓延して、誰もが頭でっかちになっている時に、「皆が本当に求めているのは、自分たちの主義主張を押し通すことではなくて、平和そのものだろう?」と歌われておるのじゃ。 歌っておるのがジョン・レノンという過激なロッカー(当時)だったんで、ロックファンの間違った幻想に包まれてしまった曲じゃ。 以上、この辺の基本を履き違う事なくこの2曲を聞くと、まったく違った味わいが出てくるものじゃ。 ♪ 無情の世界/ローリング・ストーンズ この曲をプロテスト・ソングとして聞いていたモンは少なかったな。 これまた邦題がヒドイ。 原題は「You Can't Always Get What You Want」。 欲しいものがいつも手に入るワケではない!って事じゃ。 それが「無情のなんとか」だとお? 「世の常」ってもんじゃろうがバカモノ! この「熱くなるだけが能ではない!」って醒めた視点がクール。 足元を見つめ直すにはエエ曲かもしれんぞ。 1990年のストーンズ初の来日公演において、ミック・ジャガーはこの曲をスタートする前に、「イッショニ ウタイマショー」って言ったんでわしゃあ一緒に歌ってシャウトしたらストーンズが演奏を止めやがった!じゃなくて、隣のお嬢さんに七鉄、いやヒジテツを食らわされて抗議された・・・。 まあデモだ集会だ反体制だ何だ!ってみ~んな右にならえ!でツルんでわめいているのをスルーしながら、わしはロック喫茶でこの曲をよおリクエストしておったよ。 それであるロック喫茶のマスターがコイツを気に入っちゃってな。 閉店時に必ずかけるようになったんじゃ。 嬉しかったけど、それはチト違うぜマスター!ってもんじゃ。 「ホタルの光」じゃねーぞ! ♪ ザ・ラック・オブ・アイリッシュ/ジョン・レノン&ヨーコ・オノ ♪ アイルランドに平和を/ポール・マッカートニー&ウイングス あの当時は海の向こうの動向ってもんは、TVニュースと新聞からだけじゃ。 そこから自分なりの意見を持つなんて事は、わしの様なノーテンキな学生には出来んわな。 でもわしのタリナイアタマでも、こりゃ~スゲーって感じたプロテスト・ソングがこの2曲じゃった。 イギリスとお隣の国アイルランドとは複雑な対立の歴史があり、現在の日韓や日中よりも現実的な諸問題が多かった。 それがジョンとポールというイギリス側のヒーローから相手国を擁護すると解釈されかねない歌が発せられたからじゃよ。 「ザ・ラック・オブ・アイリッシュ」の切り口は、「アイルランド人の立場になって考えたことはあるのかい?」となる。 「アイルランドに平和を」の原題は、実は「アイルランドをアイルランド人に戻してあげよう!」なんじゃよ。 どちらも正面切って「アイルランドの方が正しい」とは歌っておらん。 いわばイギリス側の興奮状態を緩和し、「冷静になって先行きを考え直せ」といったニュアンスが強い、とわしには聞こえたのじゃ。 両曲を聞いたのは1972~3年であり、当時は一時的に「ビートルズなんかもう古いぜ!」って風潮が強かっただけに、ビートルズは無くともジョンとポールってのは、やはりやる事が違うな~と感心したもんじゃ。 どちらもイギリスでは放送禁止になったような記憶があるし、その後何種類か発売されたベスト盤にも絶対に収録されることのないナンバーじゃ。 時代や世相が騒がしくなると、歌はいろんな役目を担わされるものじゃ。 でも、「お相手憎し」の興奮状態、敵対意識を煽るのではなくて、逆に制止、鎮静化させ、融和への道を思案させる事こそ、歌本来の役割であり、歌のマジックじゃ。 ジョン・レノン、ポール・マッカートニーひいてはビートルズが、今も世界中の人々に愛されている所以はここにあるのじゃろう。 ♪ チェンジリング/ドアーズ 時代にはキーワードってのがあるな。 今はさしずめ「守る」かのお。 自分を守る。 恋人を守る。 家族を守る。 そして国家、国土を守る、じゃないか? 「プロテスト・ソング」全盛時代のキーワードは「変わる」じゃった。 ボブ・ディランの「時代は変わる」が当時のシンボル・ソングだじゃったからな。 誰もが「時代は変わるんだあ~」って叫んでおったその頃、だた一人だけ「オレが変わる」と言ったロッカーがおった。 ドアーズのジム・モリスンじゃ。 自らを「変わりゆく者/The Changeling」と称したんじゃな。 “時代に流される茶番劇はもう終わりだ。 今こそ自分自身へと変わる(戻る)時だ”ってことであると、このわしはヨンダ。 “The Changeling”にはもうひとつの別の意味があるんじゃ。 神様がこの世でもっとも美しい子供をさらって行く身代わりとして置いていく、酷い子供のことじゃ。 それまで、時代を代表する言葉のスナイパーとしてもてはやされたジム・モリスンの自己憐憫じゃな。 動乱の時代への惜別と来たるべき新時代への決意が交錯する、いわば彷徨う世代に捧げた霊歌じゃった。 ♪ ターン・ターン・ターン/ピート・シーガー 「勝利を我等に/We Shall Overcome」でチラリとご紹介したが、ピート・シーガーはアメリカのシンガーソングライターの草分け的存在であり、1950年末期から数多くのプロテストソングを発表しておったお方じゃ。「勝利を我等に」「天使のハンマー」「花はどこへ行った」等、数多くの名曲が後輩のシンガーソングライターに長きにわたり歌い継がれていったものじゃ。 今回はその中でも「ターン・ターン・ターン」をご紹介しておこう。 後にジョニー・キャッシュもカヴァーしとるぞ。 1966年にバーズのカヴァーで大ヒットしたので、この曲をポップソングと思っておるファンも多いが、「勝利を我等に」以上に、激動の時代に生きる興奮気味の民衆をなだめ、諌めるような一種宗教的な曲じゃ。 歌詞は旧約聖書「コヘレトの言葉」からの引用とされており、それはまた中国の荘子の「無用の用」にも通じる民衆生活の原点、盲点がつづられておる。 簡単に歌詞の大意を説明しよう。 ~この世で起きることには全て「時」があり、「定められた運命」がある。我々は天国の下で為すべき目的を持って生きており、誰かの役に立つということ。 それは平凡過ぎて意義が無いように思える行為だが、広い世界から見ると、それが人々を救うことになる~ いきり立ちたい時こそ、日常的で当たり前のことをしておけば、時が運命へと導いてくれるか・・・。 な~るほど、よく分かりました! ではわしは、今夜もまた当たり前のように飲みに行って参ります!とか冗談ヌカしておるとバチが当たりそうな曲じゃ。 ♪ 小さな友達の輪の外側/フィル・オクス 最後に、プロテスト・ソングに生涯を捧げた方の曲を。 フィル・オクスは60年代中期から勃発したアメリカの公民権運動や反戦運動の中で多くの政治的なメッセージ・ソングを残し、初期のボブ・ディランと並び称されるプロテスト・フォーク・シンガーじゃ。 一貫してプロテスト・ソングに固執したことでやがて時代に取り残されてもうて、76年に失意のまま自ら命を絶ったお人じゃ。 メロディが美しいことも特徴じゃったが、辛辣な歌詞を訥々と訴える名人でな。 わしがもっとも好きだったのがこの曲「小さな友達の輪の外側/Outside A Small Circle of Friends」じゃ。 タイトルから連想される通りに、小さな友達(同志たち)で喧々諤々ばかりやっとらんで、外側(世界)へ出てみて振り返ってみたらどうだろう?ってこと。 それからもうひとつ。 限られた世界にしか興味を持たず、外の世界に無関心で他人に手を貸そうともしないオタク系の者を非難しておる曲でもある。 ヒットチャートとは無縁のフィルさんじゃったが、ラグタイム風で冷やかし調のこの曲だけはヒットしかかった。 ところが思わぬところでケチがついたんじゃ。 歌詞の中で「ビールを飲むよりマリファナを吸う方がより楽しい」ってのが、ビール会社からクレームが付き、じゃなくて当局の検閲にひっかかって放送禁止になったんじゃよ。 サイケデリック全盛時代で、ドラッグに関する過激な描写なんか当たり前の時代にしてはあんまりの処分じゃなあ。 これは過熱するプロテスト・ソング・ブームへの当局からの嫌がらせだったのじゃ。 プロテスト・ソングを書けない、歌えないシンガー/ロッカーはアホだ!とか一部では言われたもんじゃが、実際に優れた視点の曲はそんなに多くはなく、過半数の曲は当時の世相の勢いに乗じた“新手のポップス”じゃった。 それでも、プロテスト・ソング・ブームはロックという音楽やロックに向かう者の知性(インテリジェンス)の底上げにはなったもんじゃ。 「世の中、自分が楽しければいいってもんじゃない!」ってことをロックが歌い始めるきっかけとなったのが「プロテスト・ソング」のブームじゃったな~。 上記の曲の共通点があるとすれば、いかに周囲が騒然となって天下国家へ対して声高になろうとも、慌てず騒がず喚かず、地に足をつけておけば、おのずと自分の進むべき道、今まで見えていなかった道が見えてくる、ってとこじゃろうか。 激動の60~70年代に登場したロッカー、シンガーというのは、とかく旗を振って聴衆を先導(扇動?)するオピニオン・リーダー(世論や集団の思想的主導者)になりたがっていたようじゃ。 その中でもデキル奴、クールな者は、聴衆の意識の上辺ではなくて、心の奥深くに浸透する物事の本質を突いた楽曲を歌うことが出来ていたもんじゃ。 さあ我々ロッカーも世相に惑わされることなく・・・ってそんな心配は無用じゃったな。 諸君にこの先の進むべき道を指南することなんぞは、今更愚の骨頂! そうモノホンのロックンロール・ライフ完成への道をつき進むばかりじゃ。 The-Kingのニューナッソー、ニューエドワードがお披露目になった今、やはり我らの行く手は死角無しじゃ! まあ折角ご紹介した楽曲の数々、これから先に万が一己の驀進に迷いが生じたら聞いてみてくれ。 その時は諸君を再び本道へと優し~く連れ戻してくれることじゃろう。 We Shall Overcome ! 七鉄の酔眼雑記 ~サイボーグ七鉄!? この七鉄、御歳○十歳にして先日トンデモネー疑惑をかけられてしもうたわい。 「整形疑惑」じゃよ「整形疑惑」! そこのキミ! 笑いよったな? おぅ! このわしも今では笑い飛ばせるが、疑惑をかけられている事が分かった時は唖然としたぞ。 ったくもう、人様ってのは時々思いもよらぬ事を言いだすもんじゃ。 いやあ~心底マイッタ。 仕事で出入りしているあるオフィスの女性陣が、最近わしを見ながら何やらヒソヒソやるようなったんで、ワケを聞いたらこの有り様・・・。 いつだったか「七鉄さんて、おいくつでいらっしゃるの?」って聞かれたんで正直に答えたところ、絶叫に近い悲鳴を上げられたんでオカシイとは思っておったが、どうもそれからわしが整形をしているということになっちゃってたそうな。 フッフッフッ。 南米はアマゾン奥地の原生林で密かに採取された特殊樹液と、アフリカのサバンナを闊歩する野生のサイの角を砕いた粉の長寿サプリを愛飲し、入浴後は欠かさずロイヤルゼリーパック。 飲んどる酒は実は養命酒なのじゃ~。 やはりその効果は絶大であった! ドモホルンリンクルよ、恐れ入ったか!って、んな事やっとるワケはねーじゃろう! 何らスペシャルな若返り術なんてやっとらんわい! 大体だな、もうこの年になれば、「若い」って言われるのは「歳取った」ってよりかは気分がいい、その程度じゃよ。 男は年輪で勝負!って境地にあるのじゃバカモノ! 心当たりがまったくない疑惑(当たり前じゃ!)だけに「ザケンナ!」っつって机でも引っくり返したくなったが、お仕事を頂いておる身分なんで、そうもいかん。 グッと堪えて「お、お、お嬢様方、ジョークがキツイですなあ~」と必死に返したんじゃが、ぜ~んぜん相手にされず、更に「あのさあ~、マジで整形してんでしょう? もーさーいい歳してキモ過ぎよね~」とまで言われた! それまでわしに対して常に敬語だったのに、いきなりタメ口になってるってのもどういうことじゃ! いやいや、誤解を解くのに一ヶ月近くもかかったぞ。 彼女たちめ、どうせわしの陰口叩いておったんじゃろうなあ。 「こっそり韓国とか行ってて、定期的なメンテしてんじゃないの? や~ね~あのじじい」とか、「韓流には興味ないとか言っちゃってサ、東方神起のコンサートにチャッカリ居たりしてね。 止めてって感じよね~」とか。 更に噂は噂を呼び、「エリカ様の映画じゃないけどさ~。 ついでに全身美容整形までやってたりしてえ~キャァ~サイッテ~」なんて事になってたんじゃろうなあ・・・あ~ヤダヤダ。 何が悲しゅうて、この歳で整形せにゃならんのじゃ! 大体、整形大国の韓国には、まだ一度も入国したことなんかないぞ! ちなみに疑惑が晴れたのは、彼女たちの職場のお局様の鶴の一声(?)じゃった。 「その顔はどう見たって整形の“ワケない”わよ。 ねっ七鉄さん!」って、オメーラ、人のツラを勝手に評論すんじゃねー。 それにその言い草は、わしがブサイクってことか! 全然フォローになっとらんぞ。 ほっといてくれ! しっかしな~。 「男の顔は履歴書」っていうのに、整形疑惑が噂されたわしの顔って、一体何なんじゃ・・・。 |
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