NANATETSU ROCK FIREBALL COLUMN
VOL.150


 新作「ブラッドレッド・ラフナッソー」に打ちのめされておるわしじゃ。 なんつぅ〜神々しいトーンじゃ。 思わず紹介文において、“血の色をしたレッド・ワインは淑女の理性を奪い取るというが、このナッソーにおいては云々かんぬん」と興奮気味に書いてしまったが、あのブラッドレッドはこの七鉄の理性を奪い取ってしまった! かぁぁぁ〜暴走しそうじゃぁ〜って、「アンタ、元々理性なんかあったの?」って黙らっしゃい! ここは理性だろうが惰性だろうがカンケーなく!?ロッカーとして気合を入れ直すことにして、4回ぶりに「ロック・ファッション・ルーツを辿る旅」をビシッと再開するとしよう! 「ズート・スーツ」「バギー・スーツ」ときていたんで、今回は「ボールド・ルック(ボールド・スーツ)」ってのをご紹介するゾ!
 「ズート」は1930年後半から40年代前半。 「バギー」は1930年代前半が主流。 どちらも第二次世界大戦以前じゃったが、この「ボールド・ルック」は大戦後の1940年代後半から1950年代初頭までの流行であり、ロック・ファッション・ルーツの本道からいけば、もっとも時期的にロック・オリジナル・ファッションの「ナッソー・スーツ」に近いスーツじゃ。 つまりオリジナル・ロック・ファッションが生まれるための最後の重要なプロセスを「ボールド・ルック」は担っておるのじゃが、日本ではその知名度はイマイチじゃな。 理由は、後発でありながらも、1950年代前半に日本でも大流行した「アイビー・ルック」の陰に隠れてしまっておるからじゃろう。

 「アイビー」ってのは極論を言えば、アメリカン・ファッション史の流れにおいては“反ボールド”な発想と嗜好から生まれたのじゃが、その浸透度と知名度は完全に「ボールド・ルック」を食ってしまっておる。 ロック・ファッション・フリークとしては、この事実には複雑な心境にならざるをえないが、まあええではないか。 「ズート」にしろ、「バギー」にしろ、この「ボールド・ルック」にしろ、ロック・ファッションの原型たるものは決してメインスリートには出てこないものなのじゃ。 その長きにわたるマグマのごとき反逆のフラストレーションが、エルヴィスのロック・ミュージックとともに「ロック・オリジナル・ファッション」として1950年代後半に大爆発を起こすのじゃ。 完成間近の「ロック・ファッション」最後の試作ヴァージョンが「ボールド・ルック」と言って差し支えなかろう! ではそいつの詳細を詳らかにしてしんぜよう


ロック・ファッション・ルーツを辿る旅〜第3回「ボールド・ルック(ボールド・スーツ」
第二次世界大戦後のアメリカのシンボルになった、4つの名をもつスーツ


■ プロローグ ■

 まずボールド(Bold)とは、「大胆な」「勇敢な」という意味じゃ。 この「ボールド・ルック」が生まれた時代の社会背景じゃが、第二次世界大戦が終了した後、アメリカは戦勝国として世界のトップに君臨することになり、それは社会全体が「強くて逞しいアメリカづくり」に邁進! その風潮において最新ファッションをまとう者が、大人から若者へと移行していったのじゃ。 「ボールド・ルック」はいわば初めての白人の若者ファッション(ストリート・ファッション)っつうお役目を担って登場したと言えるじゃろう。
 そこには「ズート」の様な社会への反抗意識や、「バギー」の様な反社会的特権意識といった危険な香りはなく、あくまでも「強くて逞しいアメリカ」のシンボル・ファッションとなったのじゃ。 それが数年後に登場する反逆のシンボル「ロック・ファッション」の「最後の原型」になったのだからおもしろいものじゃ。 

 
■タフガイ・ルック

 「ボールド・ルック」の基本は下記の通りじゃ。
☆上着
@大き目のパッドをいれた幅広のショルダーライン
A胸周りはゆとりををもたせ、Vゾーンはやや低め
B下襟は幅広くて、ピークド・ラペル(上向き)
C胴は絞られて、丈は長め
Dサイドベント

☆パンツ
@やや太めのストレート
A股上はやや深めで、サスペンダー使用
Bアウトタック4つ

以上、このスタイルは「ズート」と「バギー」両スタイルの特徴が程よく転用、ミックスされており、異端ではないが決して標準的でもないレベルのスーツ・スタイルじゃ。 これが「強くて逞しいアメリカ」をシンボライズしたスタイルなのじゃ。 反社会的黒人(ズート)、反社会勢力のギャング(バギー)といった「反逆のファッション・スタイル」というものが、改良ヴァージョンとはいえ、ようやく若者を中心とした一般社会のファッションへと変換されたのが「ボールド・ルック」なのじゃ。 別名「タフガイ・ルック」とも呼ばれておる。

なお装飾アイテムとしては、
@ツバの広いソフト帽、
A派手なポケットチーフ、
Bキーチェーン(ズートのドックチェーンほど太く長くはない)
Cウインザーノット(ネクタイの太結び)のユニークなプリント柄のネクタイ
Dワイドスプレッドのカラーシャツ
ネクタイの柄とシャツのカラーのセレクトのセンスが「ボールドルック」をキメル重要なポイントだったらしい。


■ ヴィクター・マチュア・ルック

 さて、「ボールド・ルック」の最大の特徴とは、特定のファッション・リーダー(モデル)が初めて存在したファッションであることじゃ。 そのお方の名はヴィクター・マチュア。 当時のアメリカの人気俳優の一人であり、マーロン・ブランドの一世代前の肉体派男優さんじゃ。 このヴィクター殿が公私にわたって「ボールド・ルック」をビシッとキメておったことで、「ヴィクター・マチュア・ルック」とも呼ばれておったのじゃ。
 ヴィクター殿の日本で有名な作品は、「荒野の決闘」と「サムソンとデリラ」かのお。 「荒野の決闘」はジョン・ウェインの「駅馬車」と並ぶウエスタン映画の傑作であり、「サムソンとデリラ」は歴史映画(アメリカ版時代劇)の代表作じゃ。 じゃがウエスタン映画と歴史映画では自慢の「ボールド・ルック」を披露する場面はあるはずもなく、“ヴィクター・マチュア・ルック”のネーミングが日本に伝わることはなかったな。
 ちなみに「サムソンとデリラ」のヒロイン役のへディ・ラマールは、アメリカ女性に「黒髪の美しさ」を初めてアピールしてみせたオーストラリア出身の女優さん。 ということで「サムソンとデリラ」は男女二人のファッション・リーダーが共演した稀有の作品じゃ。


■ アメリカン・スーツ

 「ズート」と「バギー」を先に見ておるだけに、白人の若者が先導する初めてのファッションにしちゃあ「ボールド・ルック」はオトナシイ印象を受けるものの、まだロックンロールは誕生していないだけに、若者パワー大爆発前夜の装いとして覚えておいてほしい。
 ところで、イギリスではこの「ボールド・ルック」は「アメリカン・スーツ」という何の変哲もないネーミングで呼ばれておる。 この呼び方は、「所詮過去の焼き直しスタイルだろう?」っつったイギリス人のアメリカ人に対する上から目線なのか。 それとも「強く逞しいファッションとはスゴイ!」っつった憧れの意識があったのか。 真相はいまだに判然とはせんが、同じく「ズート(ザズー)」と「バギー」を叩き台にして後ほど「テッズ・ファッション」を生み出すイギリス人は、この「ボールド・ルック」を「テッズ」完成への“隠れたステップ”としてチャッカリ参考にしていた、ってのはわしの私論じゃ。
 そう言えば、イギリスのパンク・ロック・ブームはテッズ・リバイバルにもつながったが、そのパンク出現直前の1975〜6年頃、イギリスの代表的ロック・シンガーのデヴィッド・ボウイが「ボールド・ルック」を着用しておった。 ボウイの予言的アクションだったのか。 それとも単なる偶然だったのか!?

 
■ バブル期に「ソフト・スーツ」としてリバイバル 
 
バブルの時代とは、1980年代中期から1990年代初頭の頃。 この頃「ソフトスーツ」なるモンが大流行し、胴回りも着丈も袖も裾も、全てのサイズが通常スーツより数センチのロングで仕立てられておった。 わしも色違いで10着ほど持っておった。 モスグリーンと藤色のタイプがオキニじゃった! 素材自体が柔らかくて、少々シワが出来てもOKな生地が使用されておった。 この「ソフトスーツ」の仕立ての原型が「ボールド・ルック」だったのじゃよ。
 そしてスーツ史における「ソフトスーツ」のもうひとつの特徴は、アンダーにTシャツを合わせたことじゃ。 これはヴェルサーチの発案だったとされておるが、スーツ・プラス・Yシャツという古い概念を取っ払ったスタイルは結構斬新じゃったな〜。 それはTシャツというアイテムの格上げにもなったもんじゃ。 ロック界では、当時エリック・クラプトンが「ソフトスーツ」の愛用者であり、ホワイト系、グレー系、紺系、ピンク系等の多彩な「ソフトスーツ」をステージ衣装にしておった。

 

■ 白人のズートとは、実は「ボールド・ルック」だった!?  
  

 「ボールド・ルック」「タフガイ・ルック」「ヴィクター・マチュア・ルック」そして「アメリカン・スーツ」の4つの名を持つこのスーツ。 全体的なイメージとしては洗練されたモダンな「ズート」「バギー」ってトコじゃな。
 多くの文献によると、1950年に勃発した朝鮮戦争にアメリカ軍が介入したことで、アメリカ全土に保守化の波が寄せてきたことが「ボールド・ルック・ブーム」に終焉をもたらし、トップの座は「スリーTルック」と「アイビー」にあっさりと取って代わられたとされておる。(「スリーTルック」と「アイビー」についてはまた機会を改めて)
 分かるような分からんような理屈じゃが、 わしの調査によると、どうやら「ロック・ファッション」が登場する1950年代中期まではしぶとく生き残っておったのは確かじゃ。 その証拠に、「白人のズート」として残されておる写真の多くは、正確に見ると実はこの「ボールド・ルック」であることが多いのじゃ。
 特に左のエルビスの写真は、“かなりのボールド”じゃろう? この写真を掲載した文献は「ズートを着たエルヴィス」と記しておるから困ってしまうが、実際のところ、こと白人ファッション・サイドにおいては、「ズート」と「ボールド」の見分け方はかなり曖昧のようじゃ。 まあロック・ファッションが生まれる前に、エルヴィスを初めとした当時のロッカーたちが、「反逆のファッション」の系譜にある「ボールド・ルック」をセレクトしたって決して不思議ではないのである!
 

■ エピローグ

 当コーナーVol.145の「ズート」。 Vol.146の「バギー」。 そして今回の「ボールド・ルック」を続けて読んで頂ければ、1930年代から1950年代のアメリカン・スーツ・スタイルの変遇がお分かり頂けるかと思う。 この流れの全ては、我らが魅了されて止まない「ロック・オリジナル・ファッション」の誕生への重要な布石なのじゃ。 
 ただし、正直なところ「バギー→ズート→ボールド」の変遇は分かっても、その先の「ボールド→ロック・ファッション」の系譜はピンとこない方も多いかもしれんな。 あまりにも一気にワイルド&エレガントな爆発を起こしておるからのお。 変遇、昇華をもたらしたベースな部分は理解出来ても、「ロック・ファッション」として突然変異的な大完成への流れに対して結構な違和感を感じていることじゃろう。 
 でも諸君よ。 もっとも重要なことを忘れてはおらんか。 そいつを思い出せば、事の解決は至ってスムーズじゃ。 反逆のファッションの流れに劇的な完成度をもたらしたのが、ロックン・ロールという音楽であり、エルヴィスというキングだったのじゃ。 グレイトな音楽とロッカーの出現が、ファッションという文化を驚異的に豊かにしたのであ〜る! そしてそれを21世紀に継承しておるのがThe-Kingであることを、諸君は今一度思い知るべきじゃ!



七鉄の酔眼雑記 〜食あれば楽あり!
  

 これからの季節、景気づけのビールから始まって酒がグングン美味くなるのは大変嬉しいが、その反面食欲が落ちてくるのお。 気がついてみると、朝はヨーグルト。 昼はソーメン。 夜は野菜のおひたし。 まるでパワーが湧かない、胃潰瘍で食事療法をやっとるようなメニューになっておる。 若い時ならそれも「ナチュラル・ダイエットのチャンス!」とほくそえんでもええんじゃろうが、この歳になるとそうもいっておれん。 ダイエットして身体は軽くなっても、頬がげっそりとこけたら「貧弱ジジイ」になってしまい、周囲の印象は悪くなるだけじゃ。 そして陰では「あのジジイもどうやら先が短そうだな。 よしっ。 これまでの恨みを晴らすべく今のうちに・・・」とかなんとかタカられてまうわな!? ってことで、わしはここ数年はダイエットには消極的じゃ。
 しかしやはり夏場は何かしら工夫をしないと食が進まんので、ここ2〜3年は食欲が落ちると、以前にも増して食欲増進のためのビールを飲みまくり・・・じゃなくて、ある書物を楽しむことにしておる。 それは自らを「“味覚人”飛行物体」と称して、数多くの酒と食のエッセイを発表しておる小泉武夫氏の著書「食あれば楽あり」じゃ。
 
 「食あれば楽あり」は、2000年前後数年間に亘って日本経済新聞の夕刊に連載されておった食のショート・コラムを一冊の書籍にまとめたものじゃ。 食に関するもんはあまり読まんわしじゃが、このコラムにはノックアウトされたもんじゃ。 いわゆるC級グルメとでも言うべきか、肉や野菜のきれっぱし、魚の粗(あら)等、ともすればあっさりと捨て去ってしまうような食材の残りかすをちょっとした工夫で劇的に美味い丼もの、鍋ものなんかに昇華させた手料理が勢ぞろい! またありきたりの地方の特産品をより一層美味しく頂くためのヒントなんかも随所に登場するのじゃ。 さらにその食べ方、味わい方に至るまで、読んでいるうちに口の中でヨダレが溢れてくるようなアッパレの文章力には、ただただ脱帽するしかないのじゃ。 

 わしが「食あれば楽あり」に最初にハマったのは、東南アジアで仕事が見つかり、その職場に日本経済新聞衛星版が配達されておったからじゃった。 この衛星版においての「食あれば楽あり」は、週1回、確か水曜日か木曜日かの掲載じゃったが、掲載される曜日が待ち遠しかったもんじゃよ。
 日本の事は一切忘れて現地の仕事、生活に没頭してはいたものの、年がら年中暑い土地において食欲は減退するばかり。 しかも現地の料理は調味料を大量にブチ込んだ、辛いか、酸っぱいか、甘いかの3パターンのみ。 慣れない内は匂いを嗅いだだけで胃酸が逆流してくるようじゃったなあ。 またスープを一口飲んだらあまりの辛さに気絶しそうになったり、マヨネーズや緑茶に砂糖が入っておるのを知らずに口に入れてしまって漫画の様に吹き出してしまったりしたのお。 汗と涙と鼻水が押し寄せてくる現地のお食事タイムは、決して「憩の時」ではなくて、まさに「戦闘時間」じゃったよ。
 そんな環境の中で「食あれば楽あり」は食欲増進剤としての役割をおおいに担ってくれていたんじゃよ。 とはいえ、触発されて和食を楽しむことは出来なかったんで、読むというよりは、今風の言葉なら「エア和食」とでも言いたくなるようなひとときを頂いていた記憶があるのじゃ。 和食文化へのキョーレツな郷愁をもたらしたのは言うまでもないが、わしが日本人としてのアイデンティティを保つことができたのはこのコラムのお蔭だったのかもしれんな〜。 そして、食べ物に不自由していたからか、食材を全部使い切ることや、一口一口をじっくりと味わって食べることの大切さを再認識させられ、更に食物連鎖の頂点にある人間であることへの有難味までも教えて頂いた。

 A級グルメを「あの有名な誰それが愛した美食メニュー」とか見目麗しく讃えるもんはいっぱいある。 B級グルメを「これぞ庶民の味方」とかなんとか煽りたてるもんもいっぱいある。 でも毎日食べても飽きない、質素で栄養満点のC級グルメを、「一度は食べてみたい」と思わせるもんはそうはないのではないか? 「食あれば楽あり」は、わしが知るところではその最右翼じゃろうな! 諸君も「ここんトコ食欲落ちたな〜」と感じたら、騙されたと思って目を通してもらいたい。 まず騙されることはないことを、このわしが保障しよう!



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